哀しい事実と、国や自治体のウソがまだ続いています。
もともと、原発事故というのは「原子炉からの放射線で被曝する」のではなく「自分の身の周りに飛んできた死の灰」によって被曝するのですから、「距離には関係が少ない」と覚えた方が被曝を減らせます。
それを、事故が起こった直後、政府、NHK、東大教授の連合軍が「遠くに逃げろ、距離の二乗に反比例する」、「直ちに健康に影響がない」と科学的に間違ったことを言ったので、多くの人が「余計な被曝」をしました。またかつては言論が自由だったので「死の灰」と呼んでいた放射性物質を「言葉狩り」が流行しているので使えずに綺麗な言葉を使ったために分かりにくく、これも「余計な被曝」につながりました。
・・・・・・・・
世田谷で1時間あたり2.7ミリシーベルトが観測されましたが、道路の脇の藪の傍で、当然、死の灰の性質からいって予想されることです。毒物が飛散した場合、「どこに毒物があるか」というスタンスで毒物の多いところを探して、そこを警戒するのに、「できるだけ事故を小さく見せたい」ということで公園の真ん中など意味のないところを測定していたのです。
だれでもわかるように「毒物が飛散した」というと道路の真ん中や公園の広場を調べるのではなく、丹念に「どこに行ったか?」を調べるのですが、今までは「なさそうなところ」を測るというとんでもないことをやっていたのです。
さらに、1年は1日が24時間、1年が365日ですから、それをかけて8760時間ですから、今回の汚染は1年24ミリに相当します。しかし世田谷区は5000時間ぐらいで計算し「年間14ミリシーベルトだから20ミリより少ない」と説明しています。国の言い分としては「そこに24時間いないから」と言いますが、その人は残りの時間は「放射線が全くないところ」にいるのでしょうか? そこはどこでしょうか?
このトリックは禁手です。もし1日14時間とするなら、後の10時間をどこでどのように過ごすかを決めて、そこでの被曝を計算に入れなければならないのです。つまり「被曝側の立場」に立つことが安全の基礎中の基礎です。世田谷区の人のうちもっとも被曝を受ける人を決めて、その人を基準にすることはできないので、普通は「24時間」とするのです。
この事件の教訓は、「細かくマップを作れば危険なところを避けることができる」ということですから、早速、東京の人は高性能の線量計を使って付近をくまなく測り、マップで被曝から子供の健康を守りましょう。国、自治体、専門家、NHKはまったく頼りになりません。被曝させるのに一所懸命ですから。災いを転じて福となすためには、測定すること、自治体やNHKを排除することがポイントです。
・・・・・・・・・
福島の新米を買うことができなくなりました。それは「二本松のお米が400ベクレルていど汚れている」からではありません。「ベクレル表示せずに販売する」からです。国の暫定基準である500ベクレルというのは1年間に5ミリシーベルト程度の被曝になりますから、労災適応ギリギリということです。明らかなダブルスタンダードですから、子供たちに福島のお米を食べさせることはできません。
残念です。もし福島の新米を出荷するときに福島が「ベクレル表示をする」と決めてくれれば、安心して買うことができたのですが、「ベクレル表示をせず、食べる人を被曝させます」という宣言ではとうてい、信用することができないからです。
福島県が「1年100ミリまで大丈夫」という違法学者を雇用した理由が少しずつわかってきました。それは福島の人が決めることですから良いのですが、福島のお米を絶対に他県に出さないでください。法を守ることは国民の大切な義務です。
ある道路を走っていて制限速度が60キロなのに「おれは運転がうまいから100キロでも大丈夫だ」などというのは誠意ある大人とは言えません。
最近、食材はますますひどい状態になってきました。無理矢理、関東、福島の野菜を食べさせるために、汚染されていない各地の野菜を出荷しないように圧力がかかっています。こんなことが起こるなんて、自由で明るい国、日本とは思えないですね。
(平成23年10月13日)
武田邦彦
« 10月21日 富士市講演ご案内 |
| 横浜のストロンチウムと子供の守り方(緊急の2) »