2011年10月13日木曜日

ありがとうございました

皆様、大変ご無沙汰しております。
僕は現在、入院先の整形外科の病棟で、このメールを書いています。
 
明日、肩の手術を受けることになりました。
まだ現役として野球を続けたい、その気持ちから、賭けに出ることにしました。
手術をして、もとのように投げられるようになるかどうかはわかりません。
けれど、後悔のないように、でき得ることはすべてやってみたいのです。
あきらめの悪い男だと笑ってやってください。しつこさには自信があります。
明日からは完全に右側を固定されてしまうので、
これがおそらくは、今年最後のメールです。
 
そして、「オリックスの田口」としても、最後のメールとなります。
 
最近の報道などで、皆様にはご心配をおかけし、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
同時に、シーズンで一番大切な時期にいるチームに、私事のごたごたで
迷惑をかけたくない、という気持ちから、まずは黙っていよう、と決めていました。
しかし、球団側の発表と、事実があまりにかけ離れていることで、
「いったい真実は何なのか」と、応援してくださる皆さんを混乱させてしまうのは
あまりに失礼であると思い、自分の言葉できちんと報告すべきと、
パソコンに向かった次第です。
 
9月の中ごろだったでしょうか。球団から「お前は来年どうしたいんだ」と聞かれ、
「現役やりたいですねえ」と話したのを覚えています。
「引退するんやったら、コーチとかのポストをあけるつもりはあるけどなあ」とは
言われましたが、話はそれで終わりました。
 
そして、9月30日。
「現役を続けるのであれば、うちとしては戦力外です。肩の手術も好きにしてください」と
通告されました。
その際、今後についての打診は一切受けていません。
 
さらに、
「このことは黙っておいてくれるか」と。
 
僕は、「まわりの人に悟られてはいけない」と、
その直後から普通に練習に参加しました。
もはや何のために練習しているかわからない日々でした。
そのうち、何人かの球団関係者から、
「聞いてるよ・・・」と言われ始め、その数日後には、
一部の新聞に、「戦力外通告」の記事が出ました。
しかし球団は通告の事実を最後まで否定。「田口とは今後のことを話し合っている」として、
第一次の戦力外通告リストには「今回は載せない」と連絡してきました。
 
楽天の山崎さんが胴上げされて退団した直後には、
「田口も記者会見をするべきでは」と打診してくれた球団関係者も
いたそうですが、クビになった選手の会見には違和感があり、
実現しませんでした。
 
そして本日、球団が「田口が退団する」と発表しました。
「慰留の上の退団」だそうです。
僕は「退団」するのではありません。慰留もされていません。
戦力外、クビになったのです。
退団、には、「出て行きます」という本人の意思があります。
しかし僕にチョイスはありませんでした。
発表が今日になった理由は、「今まで話し合いをしていた」からだそうですが、
僕は後にも先にも、戦力外を告げられた9月30日以降、球団と話もしていません。
「指導者としてのポジションを用意したが、本人の意思が固かった」そうですが、
そんなお誘いは受けていません。
 
今こうしてメールを書きながら、まず残念と思うのは、こういった報告でしか
皆さんにお別れができないということです。
なんらはっきりした理由も告げられず二軍に落ちた日から、まさかこんな
最後が来るとは思っていませんでした。
 
今、CSに向けて戦っている選手たちにも、これで何らかの影響を与えてしまったとしたら、
それも申し訳ない限りです。
 
日本に帰ってきた時、オリックスからは「将来的にはチームのために」と、
引退後も何かの形で関わって行ってほしい、と言われました。
僕にとっても、オリックスはふるさとであり、神戸のファンと一丸になって戦った場所であり、
これからも骨を埋める場所、そう信じていました。
だからその言葉は本当に嬉しかった。
 
それが2年経って、このような形になったのは、きっと僕の力不足ゆえなのでしょう。
「オリックスの田口」を応援してくださった皆さんには、
ただ挨拶もなく消えていくことが申し訳なく、
どうやってお詫びをしたらいいかわかりません。
 
本当に、ごめんなさい。
そして、心から、これまでのサポートに、感謝の気持ちを捧げます。
皆さんは、熱くて優しくて、僕らといつでも一体化してくれる最高のファンでした。
僕は皆さんのおかげで、励まされ、前へ進み、ここまでやってくることができました。
 
明日、新しい肩を手に入れて、また次の道を模索します。
クビになるのは2年ぶり4回目です。甲子園の常連校並です。慣れています。
 
背番号6番の、33番の、やけに目のでかい選手がいたことを、
心のどこかにとどめておいていただけたら、それだけで僕はうれしい。
 
ありがとうございました。

2011年9月5日月曜日

修学旅行の写真のような

4月。二軍スタートとなった僕は、新人たちに囲まれておりました。
プロ入りの緊張以上に、興奮と喜びで堂々としている若い選手たちは、
びびりまくっていた新人の頃の僕とはまるで違います。

どれくらいのびのびしているかというと、たとえば合宿所の風呂。
入り口のスリッパは脱ぎっぱなしでバラバラで、
それをひとつひとつ揃えるのは僕の役目です。
「ちゃんとせんかい!」と言うのは簡単ですが、叱られ慣れていない
いまどきの子供たちにとっては、鬱陶しいだけでしょう。

だから、背中を見てもらいたい。身体を丸くして、後輩たちのスリッパを
黙々と揃える僕の姿を見てほしい。そこから、
「おっさん、マメやなー」と思うのか。
「あ、ホンマはおれらがやらなアカンのやなー」と悟るのか。
それは、彼ら一人一人が持っている「資質」の差として現れます。

僕は若い選手に無理やり何かを教えたいとは、かけらも思いません。
1年目でも、20年目でも、お互いプロ。
現役である以上、チームメイト兼ライバルなのですから。
もちろん、尋ねられれば、いくらでも教えます。
しかし、押し売り教師をするほどのお人よしでもありません。

それでも。
勝つために、何かを伝えなければならないことがあります。
チーム内での細やかなルールや、プロとしての動き。
本人のためではなく、チームに迷惑がかからないように、と
正してやるのが先輩の役目です。

同時に、「オモロいな」と興味が沸いてくる選手がいます。
ちょっと、つついてみたくなる、そんな一人が、ミッツこと、三ッ俣選手です。
19歳。僕より23歳下ですから、息子と言っても過言ではない彼は、
出会った当初、「おーい」と呼びかけたら、「ふあーい?」と、
おにぎりをかじったまま振り向いたのでした。
先輩に呼ばれて、口に物を入れたまま振り向く。
ありなんですか?今風の言い方で言えば、「自分の中ではセーフ」なのでしょうか。
僕よりもむしろ、僕のまわりにいた比較的年長の選手たちを、
(こらっ!お前っ!なんちゅー態度やねん!)と
おろおろさせてしまったミッツ。しかし、野球における彼の必死さに、
僕は好感を持ちました。共に練習し、試合をしていく中で、
彼の中にある「伸びしろ」を伸ばす手伝いをしたい、と思ったのです。

だからある日、普段自分からは絶対にしない「アドバイス」をしました。
今後彼がプロとして成長するために、という願いを込めた提言。
しかしたぶん、彼にとっては「説教」でしかなかったでしょう。
僕の目をじっと見て話を聞いている最中に、
ぽろり、と大きな涙がこぼれ落ちました。

あれから数ヶ月経った今、僕は再び二軍で、夏の終わりを迎えています。
そして、ちょっと見ない間にびっくりするぐらい変化するのは、
赤ちゃんだけじゃないことを思い知らされました。
高校生のミッツが、プロの顔になっていたのです。

ドラフトされたら即プロ、とは言えません。プロには、なっていくもの。
若い選手の成長の早さとは、口をぽかんと開いてしまうほどの勢いです。
ベテランは現状維持に努めることが精一杯で、精神的にはともかく、
肉体的、技術的な成長に、目を見張るような変化は見られません。
でも、若い選手は違う。これが若さなのかと感動させられます。
42歳の僕が同じように変化しようとしたら、
身体がついていかずに、一瞬で怪我をしてしまうでしょう。

この驚きは、実に愉快です。
見ていて、痛快なものです。
あの日、「(思うように動けない)自分が悔しいです」と涙をぬぐったミッツは、
僕の言葉を意地悪や説教ではなく、好意として受け入れてくれました。

そして、ミッツの隣で微笑んでいる駿太。彼に関しては、現在まじまじ研究中です。
何しろ4月に彼は一軍だったので、僕とは入れ違い、今回初めて
マトモにゲームを見せてもらっています。またこのブログで彼の活躍を
お伝えする日も近いことでしょう。

野球には、誰かの成長に目を見張るという楽しみもあったんですね。
それとも、自分以外に目が向くようになったのは、僕自身の成長と捕らえても
いいのでしょうか。


山口県の由宇に移動してきました。バスから素振り用のバットを一本取り出して、
宿にチェックインする駿太とミッツ。
こんなにあどけない笑顔も、グラウンドではすっかりプロの表情です。



2011年8月11日木曜日

ときどき壊れます

先日、尼崎青年会議所の方々とご一緒する機会がありました。
その時、いただいたのがこれ。













水飴です。懐かしいのです。うれしいのです。
人情と情緒あふれる関西の下町、尼崎。
地元の人たちは、謙遜と誇りを込めて、「アマ」(マ、にアクセント)と呼びます。
「尼からの贈り物」と題された数々の名産品のひとつであるこの水飴は、
あまりの人気に生産が間に合わず、なかなか手に入らない逸品だとか。


早速「ねりねり」してみました。



やりませんでしたか?子供の頃。
透明の水飴を割り箸につけて練っているうちに、
空気が入ってどんどん白くなるのです。
この水飴はうっすらと茶色く、練っても白くはなりません。
でも、やっぱり「ねりねり」はお約束ですから。





夢中になって練っているうちに、
心はどんどん童心に戻って行って、
「打ったるで~」と水飴バットを構えたくなりました。





試合の後だというのに、
真夜中だというのに、
こんなにハイテンション。

たぶん、疲れとんなー。

2011年8月9日火曜日

分けてほしいパワー

野球選手としては、夏休みと言ってもピンときませんが、
父親としては大いに関係のある時期です。
なぜなら寛(かん)が毎日家にいるから。普段は僕の起きる頃、
とっくに学校に行っている彼と、試合に行く前、連日顔を合わせるのです。
 
うれしいか?うーん。そりゃ、子供はかわいい。でも、小学校2年男子は手ごわいのです。
家中を疲れ知らずに走り回って、悪い言葉を連発して、叱られてもどこ吹く風。
ヨメは寛と二人の毎日にすっかり煮詰まってしまって、本気の喧嘩を繰り広げています。
都合のいい時だけちょっと遊ぶならいいのですが、
ずーっと顔を突き合せるには、大変な年齢です。
 
有り余る体力に、知力と常識が追いつかない7歳児。
 
小学校3年生からしか入部できない野球チームも多くあるということは、
きっと3年生になってようやく、人として少し落ち着くのかもしれません。
僕の大好きな子供映画「モンスターズ・インク」では、子供の叫び声(物語の最後は笑い声)が
エネルギーとして利用されます。汗をびっしょりかいて、頭からむんむんと
熱気を発している子供のパワーも、何かに使えたらいいのに。
 
ということで、夏休みの我が家には、人影がいっぱい。
廊下をくすくす笑いながら横切っていく姿。
荷物が全部引っ張り出された押入れの、その奥から聞こえる荒い息遣い。
風もないのに揺れるカーテンの不自然なふくらみ。
 
寛の所属する野球部の友達が、たくさん遊びに来て、かくれんぼをしているのです。
一人でも暑苦しいのに、小学生男子がたくさんいると、家の温度がむやみに上がります。
 
お前ら、冬に来い。
 
 

かくれんぼブームなので、僕も時々つきあわされます。今日はゴミ箱にて発見。


 

 

2011年8月1日月曜日

夕飯は自分で作りました

おもしろき こともなき世を おもしろく 

言わずと知れた高杉晋作の辞世の句です。
たとえ目の前の現実が面白く、楽しく、ないとしても、
気持ちの持ちようで「面白く」できる、という、
彼の生きる姿勢が伝わってきます。

すみなすものは、心なりけり、とつながるそうですが、
この下の句は、第三者が詠んだとか。
いずれにしても、人は気持ち次第で出来事を
プラスにもマイナスにも変えられるんやなあ、という教訓になります。

たとえなかなか勝てず、苦しい試合が続いていたとしても。
たとえさっぱりヒットが出なくとも。

なんてすっきり悟れるような聖人君子ではないわけで、
煩悩の塊の僕は、片時も離れない野球の、試合の、打席の、
それらの結果を、エンドレスでリピートしております。
当然そんなことしか考えていないから、顔つきは険しくこわばり、笑顔は、ない。
早朝の新幹線で東京から地元に戻ったら、
「すごい顔してる・・・」とヨメに指摘されました。
「明日からのゲームに向けて、リセットしないとね」

「おいしいもの作るから、ゆっくりしてて」とにっこり笑ったヨメは、
この数時間後、外出先のつまみ食いで食中毒になり、
まるっきり機能しなくなりました。

面白いやんか。

2011年7月21日木曜日

みんな悩んで大きくなった

「おはようございます!」
いつにもましてさわやかな挨拶が響きます。口角を上げた笑顔で、
瞳をキラキラさせるグッチ。妙に礼儀正しくて、やけに丁寧。
はっきり言って、気持ち悪いのです。
「普段の生活の姿勢を正して野球に臨む」のが勝負運を高める、
と聞いて、早速それを試しているのです。
「家を出る前には、トイレの掃除もしてきましたっ」
ああ、このままではグッチがべっぴんさんになってしまう。


どんなアプローチでも、野球にいいことは何でもやってみる。
壁にぶつかると、また苦しんで、悩んで悩んで解決方法を
探し当てる。その繰り返しが彼をここまで強くしてきました。
かっこつけて、努力してないふりをするような、そんな器用さはありません。
泥臭さを嫌ういまどきの若い人の中にあって珍しい、見た目草食の肉食系男子。


とにかく、かわいいやつなんです。
ひたむきで素直で、まっすぐな男。
僕の弟分、なんて言うには申し訳ないほど、
はるか上の空を飛び始めた選手です。
それでも、足を地に着けた「学ぶ姿勢」は変わらない。
今日も全力でプレーして、全力で悩んでいます。


悩め悩め。悩みはすべてがこの先に通じてる。
ひとつも無駄な悩みなんてない。
「これまで」を「今」に活かそうとしている俺には、
「今」を「これから」につなげていくお前が、
とても頼もしくて、
そして羨ましくて。


「お願いします!」と言うと、何も聞かれず出てくる「ざるラーメン」。
「ほらほら」って、常連の快感かみ締めてます。



2011年7月14日木曜日

移動前のひと時は・・・

いつもより少しだけゆっくり眠って、
昼からヨメと近所のうどん屋さんに出かけました。

常に目標物(今日はざるうどん)しか見ていない彼女は、
必ず湯のみに手にひっかけてお茶をこぼします。
つけ汁に天かすを入れ過ぎて水分が吸われてしまい、
最後のほうでつゆがなくなり、オロオロします。
注意力なし。計画性なし。
付け合せの天麩羅盛り合わせに、
「あなたと私で内容が違うね~」と一言。
「いや、同じやから。盛り付け方が違うだけで」
「そうなの?なんでわかるの?」
「俺は、パッと見た瞬間に、そういうのをチェックしとんねん」
「・・・そんなに普段から注意力を張り巡らせて、しんどくないの?」

僕はそういう性格なのです。何でもじーっと観察してしまう。
野球に限らず日常生活の中でもそれをやってしまうのが、
「小姑」と言われるゆえんなのでしょう。
見えている範囲だって、人より広いのです。
馬、とまではいきませんが、視界が180度以上あることは確かです。
無駄に大きな目ではないのです。

人前ではしっかり者のヨメだけれど、
僕の前では7歳児の寛とかわらない。
こうやって過ごしていると、いつも張り詰めている彼女のテンションが
柔らかく緩んでいるのがわかります。

最近は女子高生まで日傘さしてるよなー、とか、
世の中の常識って、いったい誰が決めるんやろう、とか、
とりとめないことを夫婦で話せる大切な時間。
シーズン中はなかなかゆっくり話ができず、
限られた時間の中では、せいぜい子供を中心とした、
お互いの現状報告にとどまってしまいがち。
だからこそ、思いつくままの会話で笑い合えるひと時が、
とても贅沢に思えてなりません。何でもメールで事足りてしまう世の中ですが、
目を見て言葉を交わす、ということの大切さを改めて噛み締めるのです。

これが、ゲームのない、夕方の移動が好きな理由。
では、遠征に行って参ります。


野球界もクールビズ?移動の際のジャケット着用が免除されました。