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2011年10月13日9時49分

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森健の元付き人・矢野浩二が中国で大成功

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:がっちりと握手を交わす森田健作知事(右)と矢野浩二(撮影・蔦林史峰)拡大がっちりと握手を交わす森田健作知事(右)と矢野浩二(撮影・蔦林史峰)

 00年に中国に渡って以来、現地のドラマや映画に出演し「中国で最も有名な日本人」といわれる俳優矢野浩二(41)が12日、日刊スポーツのインタビューに応じた。下積みが長く、日本軍人役など偏った配役に悩んだ時期もあるが、07年にバラエティー番組の司会に抜てきされたことで“全国区”に。今はオファーが途切れることはなく、「僕自身のカラーをさらけ出したことで、仕事の幅が一気に広がった」と話す。

 矢野は7日に“来日”した。このほど「大陸俳優」(ヨシモトブックス)を発売し、そのプロモーションのためだが、つい先日、中国の会社から映画のオファーを受けた。複数の女性をほんろうするプレーボーイの中国人男性役だ。もちろん主役だが、今までに演じた経験がない。それとは別に、ほぼ同時期にドラマの撮影も控えている。現在、中国では香港の人気俳優ジャッキー・チェンの長男ジェイシー・チャンと共演した「LEE,S ADVENTURE」が、公開中だ。

 矢野は「スケジュールはきついですが、どんどん自分の置かれた状況が変わっている」。中国で本格的に仕事を始めたころ、ロケ地への移動は24時間電車に揺られ、ホテルは他の共演者らと同じ部屋。今は、飛行機はビジネスクラス、ホテルは4つ星以上だ。

 日本で役者を目指していたがなかなか芽が出ず、森田知事の付き人や運転手を務めた。00年、当時所属した芸能事務所の紹介で、中国のトレンディードラマに出演。言葉も話せないまま飛び込んだ中国の芸能界で、もっと仕事がしたいという思いが募った。一時帰国後、アルバイトでためた90万円を手に01年、再び中国へ。03年に初めて日本軍人役を演じ、その後も出演依頼が続いた。セリフはいつも同じで「限界が来た。軍人だけでなく、もっといろんな役をやりたくなった。当時は、目の前の役を必死に演じていた」。

 転機は07年。トーク番組にゲスト出演した際、北京に来た時の苦労話をぶっちゃけで話した。その後、バラエティー番組の出演依頼が相次ぎ「自分をさらけ出し、中国の役者にはないカラーを出した。その国に染まるのではなく、理解することが大事だと客観的に見るスタイルも受け入れられたと思う」。森田知事に「出過ぎたくいは打たれない」と言われたことも思い出した。現在は、2億〜3億人の視聴者がいるといわれる人気バラエティー「天天向上」のレギュラー司会者の1人として、人気だ。「昔は不可能だったことが可能になった」と感じている。

 「バラエティーをやっても、基本は役者」。役に没頭する俳優と、軽妙なやりとりをするバラエティーとの「落差」でバランスをはかる余裕も生まれた。昨年、3年間交際していた中国人女性(31)と結婚、女児(1)も誕生した。帰国後も、仕事漬けの日々だが、そんな活動を通じ、「天天−」の共演者に教えてもらった「管道」(パイプの意味)の役割を担うことが、今後の自分の重要な役目とも考え始めている。【中山知子】

 ◆矢野浩二(やの・こうじ)1970年(昭45)1月21日、東大阪市生まれ。森田健作知事の付き人を経て、中国にわたり俳優活動を開始。日本人将校役などを演じ、ドラマ「記憶の証明」「大刀」などに出演。08年から「天天向上」に、中国人の司会者とともにレギュラー出演している。07年、「ニューズウィーク日本版・世界が尊敬する日本人100人」に選出され、08年には中国の雑誌「新周刊」が主宰する最優秀娯楽番組司会者賞に選ばれた。家族は妻と1女。北京在住。

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