2011年10月12日
父は板前で、我が家から車で20分ほど離れた店で働いていました。帰宅はいつも深夜。私はすでに布団の中で、起きて学校に行く時は父が寝ていました。すれ違いの生活の中、父とのつながりは交換日記でした。
小学2年のころに始め、父の仕事が休みの日曜日以外は毎日、やり取りをしました。まず、私がその日を振り返ってノートに書き、リビングのテーブルの上に置いて寝ます。その後、帰宅した父が返事を書いてくれました。
内容は様々。多い時はノート半分を埋めることもありました。また、漢字の間違いを指摘してくれたり、人の告げ口を書くと「そんなことを言ってはだめ」と諭したりしてくれました。日記を通して教育してくれたような気もします。
中学生になると、お風呂がコミュニケーションの場の一つでした。湯船につかると、リラックスして学校での出来事や進路について相談できました。20歳までは一緒に入っていたと思います。我が家ではそれが普通で、別に恥ずかしくも何ともありません。
歌手になろうと上京したのは高校2年の3月でした。その際、父から契約書を渡されました。A4判の紙1枚に「いい加減な気持ちで仕事をしない」などと父の思いがつづられていました。私は指印を押して同意しました。「嫁に出すつもりで送った」。父は母にそんな風に言っていたそうです。
デビュー後は私が掲載された新聞や雑誌を切り抜き、出演したテレビ番組を録画して応援してくれました。しかし、すぐに体調を崩し、入院と退院を繰り返す生活になりました。最後まで弱音を吐きませんでしたが、17年前の七夕に亡くなりました。私が21歳の時でした。
それからずいぶんと時間が過ぎましたが、私たち家族にとって、いつまでも父は身近な存在です。困った時はよく「お父さん、助けて」と心の中で叫びます。知らない神様に頼むより、大好きだった父にお願いする方が安心しますからね。(聞き手・峯俊一平)
かとう・のりこ 1992年に歌手デビューし、ドラマやバラエティー番組で活躍。2000年春から2年間、フランスに語学留学した。三重県鈴鹿市出身で、10年から「鈴鹿市シティセールス特命大使」。38歳。