有田芳生

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日本の旗 日本の政治家
有田 芳生
ありた よしふ
生年月日 1952年2月20日(59歳)
出生地 京都府京都市
出身校 立命館大学経済学部
前職 出版社編集者
現職 ジャーナリスト
所属政党 新党日本→)
民主党
公式サイト 参議院議員/有田芳生

選挙区 比例代表区
当選回数 1回
任期 2010年 - 現職
所属委員会 法務委員会
予算委員会
北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会
議員会館 参・議員会館416号室
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有田 芳生(ありた よしふ、1952年(昭和27年)2月20日 - )[1]は、日本のジャーナリストテレビコメンテーター参議院議員。父は、政治運動家労働運動家有田光雄

目次

[編集] 来歴

[編集] 生い立ち

京都府北桑田郡周山町(現京都市右京区)に生まれる[2]。名前は、日本共産党の熱心な活動家だった両親により、ヨシフ・スターリンファーストネームにちなんで名付けられたもの。

京都府立乙訓高校を経て[3]立命館大学経済学部1977年(昭和52年)に卒業する[4]1977年(昭和52年)から1984年(昭和59年)まで出版社に勤務する。

[編集] ジャーナリスト、テレビコメンテーターとして

1986年(昭和61年)にフリーランスのジャーナリストとして『朝日ジャーナル』の霊感商法批判キャンペーンに参加する。同誌休刊後は『週刊文春』でも統一教会報道に携わる[1]

日本共産党員であったが、1990年(平成2年)に出版された『日本共産党への手紙』(教育史料出版会)の編集を手掛けたことが党規律違反に問われ除籍処分を受ける。

2002年(平成14年)と2009年(平成21年)には、勝谷誠彦加藤哲郎重村智計高世仁日垣隆湯川れい子とともに「意見広告7人の会」を結成し、北朝鮮による日本人拉致問題解決を求める意見広告を世界各国の新聞に掲載する運動を行う[5]

[編集] 政治家として

2007年(平成19年)、新党日本副代表に就任し、同年の第21回参議院議員通常選挙比例区から立候補したが落選した[6]

2009年(平成21年)、新党日本公認で、第45回衆議院議員総選挙東京都第11区(比例区重複)から立候補したが、新党日本は比例区で議席を獲得できず、東京都第11区では落選した[7]

その後民主党に移籍し[8]2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙に比例区から立候補し、初当選した[9]

[編集] 取材・執筆活動

[編集] 統一教会、オウム真理教問題

1993年(平成5年)からオウム真理教の取材を始め、1995年(平成7年)にはオウムウォッチャーとしてテレビに出演し有名となった。 レギュラーコメンテーターを務めていた『ザ・ワイド』では、 統一教会合同結婚式騒動およびオウム真理教による地下鉄サリン事件の際のコメンテーターとして出演していた。 統一教会信徒の拉致監禁問題に関しては、「拉致監禁ではなく保護説得だ」と主張しているが、拉致監禁(または保護説得)を受けた信者と面会した際、「一年間も閉じこめられていて、よく耐えられましたね」と述べ、信者が監禁状態であったことを認める発言をした[10]

[編集] 神戸連続児童殺傷事件

神戸連続児童殺傷事件の際に、『ザ・ワイド』で有田は「犯人はメガデスというデスメタルバンドの音楽・歌詞の影響を受けた人物だ」と指摘した。しかし、メガデスはデスメタルバンドではなく、また犯人もメガデスを聴いた事実はなかったため、ハードロック・ヘヴィメタル論壇雑誌『BURRN!』別冊の『炎』(ほのお)誌上で非難された[11][12]

[編集] 芸能など

都はるみとは『歌屋都はるみ』(1994年刊行)の取材および執筆を機に親しくなった。 テレサ・テンとは亡くなる半年前に会い、伝記執筆を申し入れた[13]2005年(平成17年)に出版した『私の家は山の向こう - テレサ・テン十年目の真実』は、2007年(平成19年)にテレビドラマ化された。

[編集] 政治・選挙活動

  • 2011年(平成23年)5月18日、参議院本会議において、参議院憲法審査会規則の採決を棄権する。棄権の理由は、「内面の理由から判断した。」参議院民主党執行部は、口頭で注意。

[編集] 公職選挙法第146条違反の疑い

やまと新聞』は、第22回参議院議員通常選挙中の2010年(平成22年)6月25日、有田が自らキャッチコピーの入ったのぼりを持ち、スタッフにも「とことん現場主義」というコピーをプリントしたポロシャツを着用させて選挙運動を行っていることについて、明らかな公職選挙法146条違反と指摘した。やまと新聞の記者が有田の演説終了を待って公職選挙法に抵触しないかを確認した際に「は?やまと新聞か、そんなもん新聞じゃねーよ」「おい。ちょっとこい」などと恫喝した[17]。なお東京都選挙管理委員会は「公職選挙法第146条によりスタッフが同色のシャツを着ることだけでも違反になります。選挙期間中に候補者の氏名を連想させるものは全て禁止されています。シャツに名前やキャッチフレーズなどは認められるはずがありません」としている[17]。やまと新聞は抗議文を送ったが有田が返答をしなかったため、抗議文の全文をホームページ上に掲示している[17]

[編集] 拉致問題虚偽発言

2010年(平成22年)10月20日の「北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会」における自らの国会初質問に関し、インターネットブログ「酔醒漫録」において、「横田早紀江さんが短波放送『しおかぜ』を通じて北朝鮮にいるめぐみさんに訴えた音声を流してもらった。しかしそこで速記は止められ、院内放送でも放送されなかった。なぜなら自民党参院国対の反対があったからだ」と記した。しかし、「自民党参院国対の反対があったからだ」の部分が全くの事実誤認であり、自民党の脇雅史・参院国対委員長が羽田雄一郎・民主党参院国対委員長に抗議。有田は同拉致特別委の塚田一郎・自民党理事の事務所を訪れ謝罪し、同ブログから本人の書いた本文と読者のコメントが削除された。ところが、31日までに「自民党参院国対の反対」の文言を削除するなど修正を加えた本文が復活。さらに「文章を拝見しただけでも涙が溢れてまいりました。何故この録音を流してはいけなかったのでございましょうか。何でもかんでも反対する自民党には違和感がございます」などの読者コメントが復活した。本文に自民党批判がなくなったのに、本文を読んでの読者コメントで自民党批判をしているという矛盾した内容になっている。また有田自身のツイッターにも同様の趣旨の記載が残っている[18]

[編集] 著書

[編集] 共著または共編

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

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