投資情報サイトの『投資比較サイト』提供アイコン

トップ | ログイン

南条時光(なんじょうときみつ)の生涯  

2011年 10月 12日

◇青年創価学会(学会二世)永遠の憧れ。

南条家は、鎌倉幕府の御家人で、駿河(するが)国富士郡上野郷の地頭であった。
上野郷の地頭であるがゆえに、上野殿と呼ばれた。
南条時光は、今でいう学会二世である。
正式な呼び名は、南条七郎次郎平時光。
南条時光の父は念仏信仰者であったが、大聖人に帰依し、時光の母や子供たちも、皆、大聖人門下となった。
父は若くして亡くなった。時光7歳のときであった。
父亡き後も、母の信仰は揺るがない。時光は、幼いときから母と共に日蓮大聖人の信仰を実践する。
その母と子の信心は、やがて親類に当たる松野家、興津家を入信へと導く。
時光は、日蓮大聖人、日興上人から激励され、さらに多くの先輩同志に接しながら強盛な信仰者へと成長する。
時光は熱原法難の際に、自宅を信仰活動の場に提供し外護に奔走したが、幕府は圧迫を強め、南条家には不当な重税が課せられた。
南条家は、極度の耐乏生活を強いられた。時光自身、乗る馬もなく、妻子の着るものにもこと欠く事態になった。しかし、この苦難にあっても、時光の信仰は揺るがない。
時光自身、大聖人から30通を超える御書を与えられている。与えられた御書の数は、信徒の中でも最も多い。大聖人は、時光への手紙に「上野賢人殿」としたためられ、その純粋にして強い信心を賞賛されている。
大聖人御入滅の後、やがて身延は謗法の山と化す。地頭の波木井実長が、学頭の日向に迷い、日興上人の戒めにに不遜な態度を示すようになったのである。
日興上人は、大聖人の御遺命を体し、身延離山を決意された。
この身延離山に際し、自宅に日興上人をお迎えした時光は、自領の大石ケ原の地を寄進することを申し出る。そして、南条家、新田家、西山家、高橋家、石河家などの同志と糾合して日興上人門下の寺院建設に着手したのである。
最初の寺の大きさは、十二間四方(約22m四方)。名称は大石寺と命名された。山号は、多宝富士大日蓮華山。ときに、南条時光、32歳であった。
大石寺、すなわち、創価学会の源流たる日蓮正宗の寺院建立は、この南条時光の赤誠によって果たされたのである。この大石ケ原には、やがて、幾多の坊が建設されていく。
時光の晩年は、幸福に満ちた生活になった。
息子に家督を譲り、先立った妻の乙鶴(法号・妙蓮)の追善菩提のため自宅を供養し、妙蓮寺を創立した。享年74歳。
嗚呼、南条時光よ!誉れ高き日蓮仏法の丈夫(ますらお)よ!
われ、時光の人生に感服するのみ。

             ◇いでよ、百万の時光よ。創価後継の勇者よ!

      

ランキング参加中★ご協力ください
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
人気ブログランキングへ

by sokanomori | 2011-10-12 21:21 | 御書と法華経 | Trackback | Comments(5)

トラックバックURL : http://sokanomori.exblog.jp/tb/16965157
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by hayamityouzaburou at 2011-10-12 22:23
昔の大石寺と今の大石寺は、雲泥の差。
如何して、あんなに成っちゃったんですかねぇ~。
大御本尊様が、御気の毒である。
あの、汚らわしい輩に・・・
Commented by HCJ at 2011-10-13 01:59 x
「創価学会の源流」は、「日蓮正宗」でもなければ、まして「大石寺」ではありません。
創価学会の存在意義は、大聖人直結であることであり、したがって、創価学会の源流も、大聖人それ自体となるのではないでしょうか。
撤回をお願いします。
Commented by sokanomori at 2011-10-13 06:07
長さん、おはようございます。
宗門の堕落、正宗の死滅。
日顕の出現は、清流を濁流へと変貌させましたね。
けれど、正宗は全部創価にある。
創価にこそ、大聖人、日興上人、四条金吾、南条時光がいる。
ともかく、民衆から遊離した寺の住職に広宣流布は到底できませんし、大石寺を聖地とするようなことでは、真の全人類救済の宗教にもなりませんから、結果、良かったですね。^^
★菊川広幸
Commented by sokanomori at 2011-10-13 06:36
HCJさん、おはようございます。
創価学会は、日興上人門下ですよ。
大聖人と日興上人は師弟不ニです。
身延相承書には、「日蓮一期の弘法・白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す・本門弘通の大導師たるべきなり」(1600頁)とあります。
大聖人の仏法の継承者は、日興上人を置いて他にありません。

創価学会は、日蓮正宗創価学会でした。
その日蓮正宗が、魔僧日顕によって破壊されたのです。
日顕とは、全世界広宣流布の壮挙のときに出現した僭聖増上慢です。

「日蓮正宗は、創価学会が継承している」というのはまったく問題のない発言だと思います。
私は、日頃も、「日蓮正宗は大石寺にはない。創価学会の中にある」と話しております。
★菊川広幸
Commented by sokanomori at 2011-10-13 09:29
HCJさん、もう一つ申し上げておきます。
HCJさんのおっしゃられていることは、心情としては分かりますよ。
けれど、日興門下、すなわち正宗なくば、白法は現代にまで伝承はできなかった。その功績なければ、創価の今はありません。

宗門にも、興隆と衰退の歴史がありました。
その中でも、日寛上人は中興の祖として有名ですね。
その他にも立派な信者、正宗の中に沢山いましたよ。
現実には、大聖人の仏法を、700年も正しく伝えるというのは大変な事業でした。ある意味、奇跡と言っていいと思います。
大聖人の仏法の広宣流布が果たされないまま700年が経過したとはいえ、正宗の過去は偉大な正法護持の歴史でありますから、私はこの発言を撤回する必要を感じません。
ご了承くださいませ。
★菊川広幸
名前 :
URL :
※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
削除用パスワード 

<< introduction 四方山話 >>