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「受給者のままでいい」 生活保護4か月連続200万人4か月連続で200万人を上回った生活保護受給者。今年に入って59年ぶりに大台を突破した背景には、働くことが可能な世代の受給者の急増があり、そこには、ひとたび生活保護を受けると泥沼に沈むように働く意欲を失ってしまう受給者の姿も浮かぶ。全国最多の約15万人の受給者を抱える大阪市で、現状を探った。(鈴木隆弘、梶多恵子) 午前8時半。開庁時間を迎えた大阪市西成区役所に、長い列が吸い込まれていった。 月1度の生活保護費の支給日だった9月30日、現金支給を受けに来た約200人で、3、4階の窓口前は満員電車並みに混雑し、「1列に並んで下さい」と職員が大声で呼び掛けて回る。同区は人口約12万人のほぼ4人に1人が受給者。市内24区の中で、群を抜く。 午前9時のチャイムと同時に受給者は一斉に窓口に押し寄せ、職員から茶封筒を受け取る。その多くは50〜60歳代の男性だが、若年層もちらほらだがいる。 Tシャツにジーパン姿で茶髪の男性(34)がいた。窓口を離れ、1階に下りると、待ち構えていた若者に受け取ったばかりの保護費を手渡す。相手はアパートの大家で、家賃4万5000円を支払ったのだという。 あいりん地区にある、そのアパートを訪ねた。古い簡易宿所を転用した6階建ての典型的な受給者向け。6畳一間には備え付けのテレビと布団、冷蔵庫があるだけで、「1人でいると刑務所にいるような気持ち」と男性。他の住民との付き合いは全くないという。 数年前から仕事をせず、生活保護は5月から。住宅扶助も含めた月12万5000円を受給するが、家賃と光熱費を除くと「ほとんど酒代」。ガールズバーやキャバクラに出入りし、2、3日でなくなることもある。2年前にアルコール依存症と診断され、借金も数百万円あるという。 建築作業員など様々な職に就いてきたが、人間関係が煩わしくて続かず、親にも勘当された。それでも「最初は生活保護が後ろめたかった」。職探しに励み、清掃会社の面接を受けたこともある。だが不採用。以後、就職活動はやめた。 「仕事しなくても金が入っちゃう。やる気なくしますね」と、男性は苦笑いを浮かべた。将来の夢は「仕事をして家族を持ち、普通の生活をすること」。このままではダメとわかっている。でも、どうしていいかわからないという。 「生活保護でようやく、人並みの生活ができるようになりました」と、区役所で出会った別の受給者の男性(37)は笑顔で話した。保護を受けて4年。この間仕事はしたことがない。 約10年前に両親が死亡し、実家マンションを家賃滞納で追い出された。あいりん地区の簡易宿所で暮らして派遣で清掃などに従事、仕事がない時は野宿していたが、不況で仕事が途絶えた。 うつ病と診断され、生活保護を受けたが、初めて保護費を受け取る時は「恥ずかしかった」。だが就職活動は、100件近く応募して面接に至るのが10件ほど。ある工場に採用が決まった時も、1日7時間の労働が「厳しすぎる」と辞退した。 医師からは「じきに完治する」と言われているが、「まじめに働いても、月10万円ちょっとでは……」と働く気が起きない。ハローワークにも行かず、スロットマシンで遊ぶ日々。「プロになるまで、生活保護のお世話になろうかな」。悪びれることなく言った。 (2011年10月12日 読売新聞)
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