海外レポート/エッセイ
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冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)   作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」
アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』。
訳書に『チャター』がある。

“from 911/USAレポート”が、『10周年メモリアル特別編集版』として電子書籍アプリで登場!!

「FROM911、USAレポート 10年の記録」
〜Vol.1「911からの10年、テロ戦争とはなんだったのか?」〜
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【対応機種】iPad/iPhone/iPod touch (※iOS4以上に対応)
【価格】350円(税込)
【発売元】株式会社G2010

2つの続編をアプリ内で追加購入できます。(各350円)
Vol.2「ブッシュの8年、草の根保守とイラク戦争の日々
Vol.3「オバマ、性急な改革者か? それとも政治的怪物か?
第534回 「遠ざかる911、特別な存在から降りつつあるアメリカ」
配信日:2011-09-10
 911の十周年を直前に控えた今週ですが、予想以上に事件の「風化」は進んでいるようです。例えば、7日の水曜日に行われた共和党の「大統領候補ディベート」では、「反テロ戦争」を遂行した党とは思えない発言が相次いでいました。そもそも、ディベートの中での軍事外交に関する言及が僅かであったということもありますが、2時間弱の討論の中で、特に911に関係する部分を抜き出すと次のようなものでした。

(1)トップランナーのリック・ペリー知事が「軍事冒険主義には反対」と主張していることに対して、「具体的にはどの軍事作戦に反対だったのか?」と「追及」されるも、「私の哲学を語ったまで」とウヤムヤに。「あうんの呼吸」でアフガン、イラク戦争に否定のニュアンスとも受け取れるやりとり。

(2)中国大使やユタ州知事を務めたジョン・ハンツマン候補は、「アフガン戦争の評価」を問われると「膨大な駐留兵力はムダ。帰還させて国家再建のために働いてもらうべき」と切れ味良く発言。場内からは拍手。

(3)異色の「リバタリアン(政府の極小化を主張)」候補であるロン・ポール議員。「空港でのセキュリティチェックも国の仕事から外すべきなのでしょうか?」と問われると「当然です。航空会社自身にさせればいい。民間のほうがいい仕事をするでしょう。TSA(運輸保安庁)はセクハラばかりやっている」とバッサリ。司会者(NBCのブライアン・ウィリアムス)が「全身X線スキャンのことですね」とフォローすると、場内からは大きな拍手。

(4)リック・サントラム候補(前上院議員)に対して「911後に国家保安庁創設法案に賛成した」ことを「政府肥大化の観点から」非難する趣旨の質問。同議員は「テロ情報の一本化のためには必要だった」などと必死に防戦するも、場内には白けた雰囲気。

 とにかくこれがブッシュ=チェイニーの共和党か、と思えるほどの「脱911」ぶりでした。軍事外交に関する「タカ派(ホーキッシュ)」的な発言といえば、支持率低下に苦しんでいるミシェル・バックマン女史が「リビアの反体制派は怪しい。反体制派支持の軍事行動は国益に反する」という「持論」を展開した程度で、その他は純粋に国内問題の議論に終始したのです。

 翌日8日のオバマ大統領の「雇用演説」も同じようなものでした。必死に声を張り上げて、「新たな雇用刺激のための財政出動を」と叫び、45分の演説中に15回も「この法案を通して欲しい」と訴えたのですが、その演説中に「911」という言葉は全く出てきませんでした。911の十周年のわずか3日前にもかかわらずです。

 そのオバマは、全国紙の「USAトゥディ」に911の十周年について寄稿しているのですが、その短いコメントの主旨は、「我々は勝利しつつあり、敵は弱体化した。ビンラディンを制裁してアメリカの安全はより確保された」という自画自賛と、「10年後の今日、我々は全く別の困難に直面している」として雇用や財政の問題が今日の課題だと指摘、この問題を「10年前の愛国心と団結力を思い出して」乗り越えようというメッセージ、それ以上でも以下でもありませんでした。

 911を回顧しても結局は雇用と財政の話に行き着いてしまう、そして現在オバマが苦しんでいる「与野党対立」を何とかしたいばかりに「911直後の愛国と団結」を持ちだしてくる、何とも苦し紛れのロジックとしか言いようがありません。それ以前の問題として、こうしたコメントを大統領が出すこと自体が、アメリカの極端な内向き志向を物語っています。

 こうした内向き志向の背景には、雇用や景気の問題が個々人の生活に重くのしかかっているという現実があり、更にその奥には長い戦争に対する厭戦気分もあるでしょう。また、巨額の財政赤字を背負う中で、与野党共に、軍事費の大幅削減も視野に入れているということがあります。そんな中、10周年という「感慨」がテロの犠牲者に対する追悼にはなっても、10年間のアメリカの行動に対する反省にはなって行かないのです。経済が低迷する中で、反省する余裕もないと言えばそれまでですが、反省イコール「より良い理念の模索」だとして、そうした心の動きに関心がないということは、裏を返せば「アメリカは世界への理念発信を止める」ということになると思います。

 そのことが、世界に対するアメリカの影響力低下につながることは分かっていても、財政赤字を抱える中で、また景気回復と雇用対策に全力を注がなくてはならない中で、他に選択肢はない、それが911の十周年直前のアメリカのホンネなのだと思います。

 確かに、それは無責任です。アフガンの現状、イラクの現状を考えるとき、この10年を「忘れよう」というアメリカの姿勢には、どうしようもない虚しさを感じます。大義なき作戦に駆り出され無用な国内対立の果てに政治の脆弱化を招いた国、例えば日本にしても「911後の10年」における親米反米の迷走を考えると一種の脱力感に襲われるのです。

 一方で、世界最大の軍事国家が「殺気」を引っ込め、同時に大幅な軍縮に進むというのは世界平和にとってマイナスとも言えません。その動きが確実に個別の紛争の対立エネルギーを下げるように動くのであれば尚更です。では、当初のオバマ=ヒラリー外交が目指したような、「軍事覇権は求めないが、外交努力に関しては世界をリードし続ける」という姿勢が続いているかといえば、これも特に2011年に入ってからは大きな成果は出ていません。

 チュニジア、エジプト、リビアと続いた北アフリカの自由化運動について、オバマ=ヒラリー外交は反政府側に明確な支持を与え、リビアに関してはフランスのサルコジ大統領と連携して軍事介入も行っています。ですが、現時点では方向性が見えない中、バックマン候補のような保守派からは疑念の目で見られているわけです。

 ここ10年のアメリカということで考えると、軍事覇権国家であることを止めつつあると同時に、移民国家であることも大きくスローダウンしています。90年代のITバブルの際には、英語圏や準英語圏を中心に多くの技術者を受け入れる一方で、景気の拡大は不法移民を呼び寄せる「吸引力」ともなっていました。そうした要素が2000年以降は弱まる中で、911が発生したわけです。

 実際は911の犯人グループの中で、メキシコから国境を越えてきた人間はいないのですが、アメリカの保守派、特に南部を中心に「メキシコからの不法移民を許すのは安全保障上危険」だとして、不法移民の締め出しや国境警備の体制などが強化されています。アメリカ全体としてみれば、民主・共和両党ともに、ヒスパニック票が欲しいわけで、それほど移民政策を厳しくはできないのですが、国境や南部の州に関しては例えばアリゾナやアラバマなどで非常に厳しい体制が敷かれつつあるわけです。

 そんな中、2008年以降の不況が襲い、移民が帰郷してゆくという動きも出てきました。例えば中国からの移民に関しては、合法・非合法の双方とも大きな流れがあったわけですが、こちらも様変わりをしています。母国の経済成長に伴ってアメリカに留学して中国に帰る若者なども増え、「自由を求めてアメリカに」という一方通行は終わったのです。

 思えば、911というのは大変に大きな事件でした。この事件をきっかけとして、アメリカは徐々にこの10年をかけて「特別な存在」から降り始めたのです。世界における軍事覇権国であることから降り始め、世界中から貧困と圧政に苦しむ人を引きつける移民国家であることから降り始め、更には今年に入ってからはドルの威信も大きく傷ついています。

 ドルに関しては、財政赤字の問題に加えて極端な流動性を付与することで相場が弱くなっているだけでなく、基軸通貨としての存在感も揺らいでいるわけです。その意味で、スイス・フランと日本円に高騰の圧力が来ているというのは、単なるドル安というより、国際的な通貨体制全体の動揺のエネルギーがこの二箇所で噴き出しているということも言えるのではと思います。

 では特別な存在でなくなったアメリカは、単なる過去の覇権国として衰退の一途をたどるのでしょうか? 必ずしもそうではないと思います。先進国中で圧倒的な高出生率と高出生数を誇るアメリカという国の「若さ」は、大きな方向転換を可能にし、また成功の回路に入った際には相変わらず大きな影響力を行使することになるのではないかと思うからです。

 その意味で、現在のオバマというのはあくまで過渡期の大統領としてしか行動ができていないと言っていいでしょう。オバマを批判する共和党の側も、「もっと早く徹底的に、特別な存在から降りろ」と言っているだけです。この911「10周年」の後に、どのようなアメリカを作ってゆくのか、その議論はまだ始まっていないのです。

村上龍RYU'S CUBAN NIGHT