気象・地震

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特集ワイド:JCO事故から12年、脱原発村長の茨城・東海村を行く

震災で停止した東海第2原発では定期検査が進められている=井田撮影
震災で停止した東海第2原発では定期検査が進められている=井田撮影

 ◇命も地域も二の次か

 福島第1原発事故が列島を揺るがしている。日本の原子力発祥の地といわれる茨城県東海村では、村長が脱原発を打ち出した。東海村はどこに向かうのか。現地を歩いた。【井田純】

 ◇30年、40年恩恵受けたとしても それで、ふるさと失ったら…?

 東西、南北とも7~8キロの村に、原子力関連の事業所は12を数える。村内を東西に走る道路には原電通り、原研通り、動燃通りの名が。3万8000人の村民の3分の1が原子力関連の仕事に就いているか、またはその家族といわれる。それでも村上達也村長(68)は言う。

 「福島での対応を見ていたら、日本には、原発なんていう巨大な科学技術をコントロールすることはできねえなと。『資格なし』というふうに思いました。これはもう脱原発だ、と腹を決めましたよね。世界一、二の地震地帯でさ、54基も原発を持って平然としてる。あまりにもうぬぼれた話、自然に対して傲慢だと思いましたね」

 ぼくとつとした茨城弁。だが、あまりの言葉の強さにけおされる思いがした。

 これまで、放射能漏れなどの原子力関係のトラブルが起きた時の自治体の長の反応はほぼ共通していた。まずは住民の健康への影響懸念に言及して事故を非難し、最終的には「再発防止を」「安全第一で」と念を押し、容認する。だが、この「脱原発」はどうやら違うようだ。

  ■

 1957年8月27日、日本原子力研究所第1号実験炉が臨界に達し、日本で初めて「原子の火」がともった東海村。以来、日本初の商業用原発の運転開始も、日本初の100万キロワット級原発ができたのもこの地だった。村民憲章は「わたくしたちはゆかしい歴史と原子の火に生きる東海の村民です」とうたう。

 村上村長は97年に初当選し4期目。過去の選挙では「原子力との共存」を掲げながらも、原発新設には慎重な姿勢を示してきた。背景には、ジェー・シー・オー(JCO)事故の経験がある。

 99年9月30日、核燃料加工会社JCO東海事業所で、ずさんな加工作業により、国内初の臨界事故が発生。村への連絡は、科学技術庁(現文部科学省)や県よりも後の、発生約1時間後。現場のJCO社員たちはすでに避難しているという情報が入った。「屋内退避で十分というけど、あてにはならん」。科技庁も、県も対策本部の設置前だったが、村長の判断で住民に避難を呼びかけた。作業員2人が死亡し、村民ら600人以上が被ばくする事態となった。

 「現場は臨界事故が起きてると言っとるのに、国は『そんなことは起こるはずもない』。今回、福島の事故でメルトダウンしていたことを認めるのに最後まで抵抗していたのも同じですよ」。事実を隠蔽(いんぺい)し、最悪の事態に対応する準備もない。「今回の対応に、原発第一、住民の命や地域社会は二の次という根本が改めて見えた」。村の世論も変わりつつある、と村長は言う。

  ■

 JCO東海事業所は、事故後、燃料加工事業からの撤退を余儀なくされた。村西部にある同事業所では今、従業員約40人がドラム缶八千数百本分の低レベル放射性廃棄物の管理を続ける。周囲には畑や民家が連なり、JCOは住民向けの説明会を毎年開催する。農作業中の年配の女性は言う。「今年の説明会は震災後の7月。地震の影響はなかったという説明だが、本当はどうなのか。もっと大きな揺れでドラム缶が崩れれば、廃棄物が外に飛び出す危険性もあるというし、心配です。私たちは、自分の土地に安心して住みたいだけなのに」

 JR東海駅にあるギャラリーでは、JCO事故翌日からの村の様子を記録した写真家・樋口健二さんの作品が展示されていた。避難所に集まる不安そうな住民、人影が消えた街角--今回の福島の光景と重なる。

 受付をしていた中年の女性の一人が言う。「福島の事故で、みんなが『人ごとじゃない』と思い始めた。家族が原子力関係でも、『反対』ではないが『心配』だという人は増えているようです。東海第2原発も福島のようになりかねなかった、と後で分かったし」

 震災当日、運転中だった日本原電・東海第2原発は自動停止した。「(震災直後)大丈夫だと聞いたが、とてもそんなもんじゃなかったんだ」と村上村長は声を強める。外部電源を失い、非常用ディーゼル発電機3台のうち1台が津波で停止する事態に陥った。想定では1日程度で冷温停止に至るはずが3日以上を要していた。東海第2の津波の高さは5・4メートル。福島第1を襲った15メートルもの波を受けていたら--。

 政府、電力業界内部の「原子力ムラ」の体質を、村長は「戦前と同じ」と表現する。「戦争遂行に全部が固まっちゃってて、確実に負けると思っててもそう言えないんだよ。そんなこと言ったら非国民になっちゃうんだもん。ね? 原子力ムラに入っちゃったら、安全性に疑問を呈したら生きていけない。この日本人の体質は変わらんと思う」

 原発維持勢力から貼られた「反原発派」のレッテルにはこう反論する。「3万8000人の村民に限っても、避難計画なんて立てられない。これだけの人口をどこが受け入れ、食糧、住居、医療、教育を提供できるのか。原発賛成とか反対以前のテクニカルな話ですよ」

 しかし、村の財政基盤は原子力に依存してきた。一般会計の歳入約200億円(09年度決算ベース)のうち、原子力施設関連固定資産税は約40億円、電源3法の交付金や県の補助金が約14億円。法人村民税のうち原子力関連が約3億円。合計すると歳入全体の約3割を占める。村長への批判の理由も、基本的にはこの「カネ」の話に尽きる。

 「カネだけでいえばそういうことになる。さもしいというかさびしい民族だなあと思うよ。原発は、造る前からカネが入ってくる、打ち出の小づちみたいなもの。あんな地方をばかにした政策はあってなるか、と。植民地政策と同じで、邪悪な政策ですね。村は30年、40年と恩恵を受けたかもしれない。だが、それでふるさとを失ったら何もないじゃないか。今回の福島のことで、私自身もふるさとという意味がはじめてわかったような気がしますよ」

 原子力史の中に、数々の「日本初」の文字を刻んできた東海村。村民は日本初の「脱原発」を選び取るのか。それとも--。

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 ◇東海村にある原子力関連事業所

 (1)日本原電 東海発電所・東海第2発電所

 (2)核物質管理センター 東海保障措置センター

 (3)東京大学大学院工学系研究科原子力専攻

 (4)日本原子力研究開発機構東海研究開発センター原子力科学研究所

 (5)同核燃料サイクル工学研究所

 (6)原子燃料工業東海事業所

 (7)積水メディカル薬物動態研究所

 (8)三菱原子燃料

 (9)ニュークリア・デベロップメント

(10)住友金属鉱山 エネルギー・触媒・建材事業部技術センター

(11)ジェー・シー・オー 東海事業所

(12)日本照射サービス 東海センター

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t.yukan@mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

毎日新聞 2011年10月11日 東京夕刊

 

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