タマモさんと僕

「おーい、キタロー!」
「どこだー、ガイジーン? きゃははっ!」

 はっ! はっ! はっ! はっ!

 吐き出す息に血の味が混じってる。
 心臓はノドから飛び出しそうなくらいバクバク言ってるし、ヒザもガクガク。
 本当は今にも発作が起こりそうで怖い。だけど、捕まって何をされるか分からない
怖さの方が何倍も大きくて、僕は曲がりくねった山道を必死で走る。

(父さんの嘘つき! 都会だって田舎だってアイツらのやる事は全然変わらないじゃ
ないか!)

「“オイ、キタロウ!”」
 かん高い声で誰かがモノマネをして、大ウケしてる。
 ホント、イジメっ子ってのは互いにケータイの連絡網でも回してるんだろうか?
 さもなきゃ、全員、同じノーミソしてるんだ! 何のひねりもなく、どいつもこい
つもみんな似たような行動ばっかり。
 ああ、僕は一体どうすれば良かったんだろ? いっそ、サングラスでもかけてれば
よかったのかな? でも、そんなのコーソクで許されないだろうし、ますます“エジ
キ”になっちゃう気もする。
 僕が6年生だったら、まだ良かったのかもしれない。来年は僕も『お受験』の準備
が始まってるはずで、その頃ならきっと、みんなも塾とかテストで忙しくて転校生に
かまってるヒマなんかなかったと思う。
 5年生の夏に転校してくるヤツ――しかも、長い金髪の前髪で片目を隠してるチビ
なんてサイコーの『オモチャ』だ。自分でもそう思う。
 でも、誰がなんと言おうと髪は黒く染めない。それだけはゼッタイにイヤだ!
(あーあ、せめてカラコン使わせてくれたらなぁ……)
 昔からお世話になってる眼科の先生はちょっとアタマの固いヒトで『成長期の目の
発育に悪影響だから』って絶対にカラーコンタクトを許してくれない。
 でも、先生には分からないんだ。キンパツで右眼が青くて、左眼が黒――そんなヤ
ツが転校してきた時のクラスの騒ぎなんて。

「ゲッ♪ ゲッ♪ ゲゲゲのゲー♪」
 またこの曲――そんなアニメ知らないよ! ああ。中途半端に前髪で隠すんじゃな
くてドクロの付いた眼帯でもしとけば良かったんだな。先生には怒られるだろうけど。
 まぁ、とにかく今は逃げきる事が一番大事。

 ザザッ!

 茂みをかき分けた先は、石畳の敷かれた小さな広場だった。
 なんだろココ? ――神社?

「なぁ、ホントにこっちかあ?」
「さっき走ってくのがチラッて見えたぜ」

 マズいっ! こんな見晴らしのいいところにいたらいっぺんで見つかっちゃう!
 慌ててどこか隠れられるところは無いかとあたりを見渡した僕は、石畳の外れに小
さな木でできたほこらがあるのに気が付いた。
 高さは1m半くらい。格子戸に障子紙が張ってあって中は見えない。
 大人は入れないサイズだけど……僕なら?
 都会生まれで都会育ちの僕にとって『タタリ』って言葉は、TVや映画で耳にする
もので、普段の生活からはすごくすごくキョリのある単語だった。
 だから、“あんな事”が平気で出来たんだな――って後から思う。
 でも、転校早々、さっそくイジメっ子達に追いかけられてる今の僕にそんな事を気
にしてる余裕は無くて、小さなほこらの格子戸に張ってある汚い札みたいな物をペリ
ペリ剥がすと、素早く中に入り込んだ。

 
 ズキン!

「痛っ!」
 格子戸はだいぶ古くて、あちこちがささくれてる。
 そのうちのどこかにひっかけたみたいで、右の手の平から血が流れていた。

 ぽたっ。ぽたっ。

 ドキドキしてるせいか、思ったより大粒の血が滴る音に、ギョッとする。
(うわー……大丈夫かな、コレ? 膿んだりしないかな?)
 ほこらは僕が一人入っただけでもう満員で、明りは障子紙の破れ目から差し込む光
しか無い。こんな薄暗がりだとどれだけ深い傷なのか全然分からない。
 ゼンソクの薬は持ってるけど、バンドエイドや赤チンなんか有るハズがない。
 しばらくは手当する余裕無いから我慢しなきゃ、そう思った時だった――

『……誰じゃ?』

「えっ!?」
 すぐ耳元で声がした。
 ものすごくビックリして心臓が止まりそうになる。
 慌てて声がした方を向いたけど、板で出来た壁があるだけで、当然誰もいない。
「……空耳?」
 細く、高い――『女の人』というより『女の子』の声だった。
 首を傾げた、またその瞬間に――

『妾の眠りを妨げる痴れ者は誰じゃ、と聞いておる』

「えっ? えっ? えええっ?」
(隠しスピーカー!? でも、ココって電気通ってんのっ?!)
 慌てて周り中を見回したけど、薄暗くて狭いほこらの中には何も……いや、待てよ!
 何だコレ?!

『ほぅ。わざわざ血の盟約まで――“贄”の習わしでも甦ったのかえ?』

 後ろの壁から『何か』が生えていた。それは白くて細長くて先端が分かれてて――

「ひっ! ひいいいぃっ!」
 ソレが“細くて華奢な女の子の腕”だと分かった瞬間、僕はほこらから後ろ向きに
ゴロンと転がり出ていた。

『あ。これ、【待ち】や』

「お、おば、おば……おば――」
 尻餅をついた格好の僕は慌てて逃げようとするんだけど、まるで悪夢の中のように
動けない――いや、違う! 『動かない』?!
「えっ! 何で? 何でっ?!」
 足を掴んで必死に揺さぶってみたけど、腰から下が石になったみたいに固まって全
然動かない。

『何を驚く? 自ら封を開き、血の盟約を施し、妾を眠りから呼び覚ましたのはそな
たであろう? 主従の因果が結ばれておれば、妾の言魂にそなたが縛られるのは当然
ではないか』

 なんか難しい事言われてるけど、足を動かそうと必死の僕に耳には全然入らない。
「オイオイ、何だよ!? 何なんだよ、コレ?! ……ん?」
 

 目の前でサラサラと金の糸が風に揺れていた――ううん。これ、髪の毛だ。僕のト
ウモロコシのケバみたいな色のキンパツじゃなくて、本当の金で出来てるみたいな透
き通った綺麗で長い髪。それが赤い着物の前にあって……ええと、髪の毛があるって
事は、それを上に辿ると――

『ほほぅ。珍しや。見鬼ではないか、お主』

(う……わ)
 僕は思わず、ぽかんと見とれてしまう。
 ものすごく綺麗な――えーと、『女の人』っていうには若いけど『女の子』なんて
言ったら怒られちゃいそうなビミョーな年頃の“お姉さん”だった。
 一体、幾つなんだろ? 自分より年上な事は分かるけど……中3くらい?
 まだダイガクセイじゃないと思う。でも、コーコーセーにしては小さくないかな?
 まぁ、結局、女の人の歳なんて僕にはまるで見当がつかないんだけど。
 金髪でパッチリした青い目で……だけど、顔立ちは全然ガイジンぽくなくて――僕
の言葉じゃ全然伝えられないけど、すんごい美人さんだった。
(母さんもこのくらい美人だったのかなぁ――)
 僕はものすごーくマヌケで場違いな事を思いながら、やっぱりものすごーく頭の悪
そうな質問をした。
「あの、誰……ですか?」
『玉藻』
 スコンと短く答えが返る。
「タマモ……さん?」
(――変な名前)
 反射的に思ったのがつい顔に出たのか、タマモさんは僕に冷たい視線を送る。
『妾に名乗りを挙げさせ、己は口をつぐむか童よ?』
「えっ? あ! す、すいませんっ! 僕、友神健司(ゆうじんけんじ)です!」
『ケンジ?』
「はい! 健康の『健』に司会の『司』で健司です!」
『ふむ』
 そのままタマモさんが黙る。
 上品な着物を着て金髪のお姉さんが立っている姿は、外国製の人形にむりやり着せ
替えをさせたみたいで、なんだかすごく違和感がある。だけど、やっぱり、綺麗な事
に変わりはなかった。
(今の……一体なんだったんだろ?)
 僕の目の前にいるこの凄い美人のタマモさんは(見てなかったけど多分)、あのほ
こらから出て来た。
 でも、ついさっきまであの中には僕しかいなかったわけで、中で聞こえた『声』と
壁からニュッて出た手がタマモさんのだとすると――
「あ、あのぅ……ひょっとしてタマモさんは手品の人ですか?」
 もしそうなら、この格好だって、まぁ、納得出来ない事はない。だけど――
『てじな、とはなんじゃケンジ?』
 ああ、やっぱりそういう返事。そうじゃないかと思ったんだけどね。
「じゃ……じゃあ、もしかしてタマモさんは……」
(――お化け?)
 ノドまで出掛かった言葉を慌てて呑みこむ。
 ものすごーく怒られそうな予感がしたのと、やっぱりこんな綺麗なお姉さんに言う
のは失礼な言葉のような気がする。さて、なんて言おう?
「えーと……」

「おおっ! キタロー発見! キタロー発見! みんな呼んでこいっ!」
「らじゃ!」

(……あっ!)
 一番聞きたくなかった声に、思わず後ろを振り返った僕の顔がサーッと青ざめる。
「へっへっへ。よお、ガイジン。逃げ足早いじゃんか」
 影で『ブタマン』と呼ばれてるらしい武田満(たけだみつる)が、ニヤニヤ笑いな
がら近付いて来る。仇名は『ブタマン』なのに、見ためはどっちかって言うと『ゴリ
ラマン』に近い。

 僕は慌てて逃げようとするんだけど――あ、ダメだ! やっぱり、足が動かない!
 それに――え? あれ? タマモさんは!?
 目を反らした一瞬の間に、タマモさんがいなくなっていた。
(うわ。それ、ちょっとヒドくない?)
 僕は一人、呆然と地べたに座り込んだまま、ブタマンが近付くのを見つめる。
「俺達でせっかく歓迎パーティしてやろうってのによぉ。逃げちゃダメだろ逃げちゃ」

 ああ。どうして僕はどこへ行っても『一番目を付けられちゃいけないタイプの奴』
に必ず当たるんだろ?

「いっつあ! しょおおおぉたああああいむ!」
 ブタマンとそのお仲間の4人、マサルにタケシにユウジにミツルが逃げられない僕
を取り囲む。
「なぁなぁなぁ、誰か、チャンチャンコとゲタ持ってねぇ?」
「バカ。それよか、ムこうぜ。ガイジンてチンコでかいんだろ?」
「デジカメあるぜ、俺ん家」
「おお、学級新聞の特ダネ決定か?!」
 みんなニヤニヤしながら、ヒドい事を話してる。
「やっぱよぉ、妖怪退治してもらおうぜ。ちょうどココってアレがあんじゃん」
 ブタマンがほこらを指さす。
「お、アレか! いいねぇ。『お化けのほこら』にラチカンキン?」
「やっちゃう? やっちゃう? タタられても、知らないよー俺」
「アレ? なぁ……なんか戸が開いてねぇか」
「……あ」
 その瞬間、ブタマンを含めた5人の顔色がサッと変わった。
『冗談ですむ事』と『冗談にならない事』の境を知らない間に通り過ぎてたのに急に
気付いた表情。
「……」
 皆、何とも言えない眼付きで僕を見下ろす。
 互いに目くばせして……だけど、誰も自分から口を開きたくなくて――

『やれやれ』

 ドキン!

 いつのまにか、またタマモさんが僕の横に立っていた。
『いつの世もヒトの愚かさだけは変わらぬものじゃな』
 タマモさんはなんだか悲しそうな表情でため息をつく。
『ケンジ――妾の“贄”よ。妾に身を差し出せば、これなる者どもから守られると思
うたか? そは狼の口より逃るるため、熊の巣穴に潜る兎のような愚かさぞ』
 何故か――というより、“やっぱり”、ブタマン達にはタマモさんが見えないし、
声も聞こえないみたいで、こんなに近くにいるのに誰も何の反応も見せない。
 そっか。やっぱ、タマモさんは『ニンゲン』じゃないんだ。なんか残念。
『まぁ……よい。愚か者でもひとたび主従の因果を結んだなら、そなたは妾の物。贄
を汚されるのは妾とて望まぬ。ケンジ、汝は妾がこの場から汝を救う事を望むか?』
 タマモさんがなんだか気がすすまない様子で僕に尋ねる。
(え? 救う事を望むか、って? そりゃ、助けてくれるなら――)
 僕はコクリと頷く。
『そうか。血の盟約に加え、約定までも成してしまうか。……愚かな』
 深くため息をついたタマモさんが、はっきりした声で僕に命令する。

『【立て、ケンジ】。そして【舞うがいい】』

「はいっ!」
 急に声を上げ、立ち上がった僕に、みんなギョッとする。
 僕は――

 
 自分の右手がブタマンの腹をチョップして、思わず屈んだブタマンの鼻先をなぐり
つけるのを、呆然と見つめる。

(うわわっ!)

「ぎゃっ!」
「て、てめ――ぐあっ!」
 ユウジの股の間に僕の右足が跳ね上がり、ユウジはその場に崩れ落ちる。
 思わず後ずさったマサルとタケシとミツルのうち、一番近くにいたミツルに一歩近
付くと、ミツルが奇声を上げてなぐりかかってくる。
「きゃおおおぉっ!」

(ちょっ! ちょっとっ!)

 僕自身は逃げたいのに、体は勝手にさらに一歩前に進み、ミツルの拳をかわすと、
頭突きを鼻先にくらわせる。
「ぎゃふっ!」

(やめてっ!)

「わ、わわ――」
「お……オイ。ちょっと待て! うわ!」

 パン! パン! パン! パン!

 もう、すっかり逃げ腰のマサルとタケシの頬を、僕の右手が容赦なくビンタする。
 まだ塞がっていない手の平の傷から血が溢れ、二人の頬に赤い筋を付ける。

(ダメだよ! こんなのダメだっ!)

『ふむ。それだけ魂魄を揺さぶれば、後はた易かろう』
 僕の手が勝手に前髪を払いのけて、僕の口が勝手に動いて――
「『さあ、【見よ】。お前たち』」
 怯えた目でこちらを見ている5人に向かって、普段隠している右の青い目を晒す。
「あ……」
 5人とも、僕の目を見た瞬間、ビクンと体を震わせて、それっきり動かなくなる。

(えっ? えっ? えっ?)

「『【お前たちは今日、ここには来なかった】――よいか?』」

 5人ともコクンと頷く。

「『【お前たちはここであった事を全て忘れる】――よいか?』」

 また頷く。

「『【お前たちは互いに諍いあい争いあった】――よいか?』」

 頷き。

「『では、最後に一つ。【我を畏れよ!】』」

 ぱん!
 

 僕の手が小さく打ち鳴らされると、途端にブタマン達がハッとした表情になる。
 みんな、自分が一瞬どこにいるのか分からないみたいで、キョロキョロ周りを見渡
して、僕に気付くと――
「ひ、ひいいいいいいいっ!」
「うわああああっ!」
 大声を上げて、一目散に逃げ去ってしまう。

「……」
 後に残されたのは、呆然と立ち尽くす僕と、つまらなそうな表情のタマモさん。
「あ……ありがとう、ございます」
 一応、お礼を言ってみる。
『これで、汝の望みは……果たされたな?』
 なんだか、すごくイヤイヤな感じでタマモさんが僕に尋ねる。
「望み――あ、はい!」
 タマモさんから『あいつらから救って欲しいか』って聞かれて頷いて、こうなった
んだから、(やりかたはともかく)たしかに『望みを果たした』って事になる。
『そうか。では、約定に従い……汝を喰らうとしよう』

「……は?」

 今、なんておっしゃいました? なんか変な言葉が――

「え? え? 喰らう?」
『ああ。心配するでない。妾は肉は喰まぬ。魂魄をもらうだけじゃ』
 憂鬱な表情でタマモさんが返事を返す。
「こここ、コンパクって何ですか?」
(だいたい想像つくけど――)
『魂じゃ、汝の』
(やっぱりっ!?)
「ももも、もしかして、それ食べられちゃったら僕は――」
『消えるな。後に残るは“生ける肉”……ただそれだけじゃ』
 タマモさんは綺麗な顔を、ものすごくイヤそうにしかめる。

 ええええええっ!

「そ、それは困りますっ!」
『じゃろうな』
 コクリとタマモさんが頷く。
(え? ひょっとして――)
『だが、ひとたび約定の成りし上は、汝は妾の糧。素直に喰われる事じゃ』
 ずい、と一歩タマモさんが前に出る。僕は慌てて逃げようとするけど――うわっ!
 やっぱり、足が動かないよおおっ!
『無駄じゃ。血の盟約により、汝は妾のもの。腕も足も全て主である妾の命に従う』
「やめて! 食べないでっ! だ、だいたい何なんですか、あなたは?!」
『妾か?』
 タマモさんが目を伏せる。
『妾は――汝ら“ヒト”が言うところの“あやかし”。ヒト喰いのバケモノじゃ』
(……あ)
 自分の事を『バケモノ』というタマモさんはなんだか痛ましいくらいに悲しそうで、
こんな状況なのに、一瞬、僕の胸がざわめく。
『ケンジ、運無きヒトの子よ。痛みはせぬ。ほんの数瞬の我慢じゃ』
 そう言って、タマモさんは僕の首筋に――うわわわわ! 助けて! うわあああっ!

 バチバチッ!

『きゃああっ!』

 ――えっ!?
 

 一瞬、青い稲妻みたいなものが走って、タマモさんが弾き飛ばされる。
『な、何じゃこれはっ!? 法術か? 身の裡に封魔の陣じゃと? いや……』
 ゆっくりと顔を上げたタマモさんが、僕を睨む。うわ、怖いけどやっぱり綺麗。
『ケンジ――汝の姓は何と申した?』
「ゆ、『ゆうじん』です。『友達』の『友』に『神様』の『神』で……」
『トモガミ! 汝は友神の裔かっ!?』
 かっと目を見開いたタマモさんが叫ぶ。ひいぃ!
『何を企む、友神の裔よ!? か弱き贄を装い、妾をたばかって約定を成し、それで
汝は何を得るつもりじゃ!?』
「い、いや、あの、その、ぼぼぼ、僕は――」
 タマモさんに詰め寄られ、僕はアタフタと慌ててしまう。
『……まぁ、よい』
 フッと笑ったタマモさんが、ビシッと僕に指を突き付ける。
『直接、触れられずとも、約定が成った以上、汝の魂魄を喰らう術は幾らでもある。
この玉藻をあなどるでないぞっ!』
 ランランと目を輝かせるタマモさんは、なんだかさっきまでと違ってずいぶんイキ
イキとして嬉しそうだった。
『心するがいい、ケンジ! もはや汝に安息の日は訪れぬ! 妾は必ず汝の魂魄を喰
らい尽くしてくれよう!』
 そう言って――
「あ……」
 タマモさんはパッと消えた。

「何なんだよ、一体――」
 一人ぽつんと取り残された僕は、そう呟くしかなかった。


            ■■■■


「ただいま」
「あ、ケンジ君だっ! おかえりなさ〜い!」
 そう言って美和ちゃんが僕にピョンと抱きついてくる。
(うわわっ!)
 僕と一つしか違わない小学校4年生のはずなのに、美和ちゃんは僕より10cm以
上背が高い。おまけに多分……いや、確実に僕より重い。
「ねっ! ゲームやろ! 対戦しよ、ケンジ君!」
(うわ。胸が……)
 ちょっと前まではほんの小さい子供で、よく一緒に遊んだけど、最近急に成長した
美和ちゃんは、こうして抱きつかれるとちょっと困るくらいグラマーだった。
 しかも幼児体型じゃなくて、手足はスラリと長いし、腰もキュッとくびれてる。
 三つ編みのお下げがもう似合わないくらい、きちんと『綺麗な女の子』だった。
「こら、美和。ケンジ君困ってるでしょ? それにちゃんと『ケンジお兄ちゃん』て
言いなさい」
 小夜子さんが困った顔で美和ちゃんを叱る。
 僕は慌てて右の手の平の傷を後ろに隠す。つまらない事でここの人達を心配させる
のはイヤだった。
「ごめんなさいね、ケンジ君」
 小夜子さんは父さんの兄妹なのにあんまり似てなくて、とっても綺麗な美人ママだ。
 美和ちゃんも、きっと小夜子さんみたいな綺麗な人になるんだろうな。
「えー、ママ。ケンジ君はケンジ君だよぅ! ね、ケンジ君?」
「はは……」

 父さんが駆け落ち同然で母さんと結婚した時、『友神の家名を継ぐ人間がいなくな
る!』って、ここの家では大騒ぎだったらしい。
 結局、妹の小夜子さんが当時付き合ってた彼氏と相談して『イリムコ』とかいう方
法で家を継ぐ事になったそうなんだけど、考えてみると父さんてずいぶん迷惑な人だ。

 それで一時は『カンドウ』状態だったらしいんだけど、僕が産まれるのと一緒に母
さんが死んじゃって、男手一つじゃどうしていいのか分からないっていうので、小さ
い頃から僕はここの家の人によく面倒を見てもらっていた。
 気まぐれで思い立ったら他人の言う事を聞かない父さんは、僕が小学生になったら
急に「俺の手で育てる!」って言い出して、それ以来、つい最近まで親子2人で暮ら
してきた。
 父さんは人の迷惑とかあんまり考えないところがあるんだけど、とても楽しい人で
誰からも好かれていて、僕も一緒に暮らしていてすごく楽しかった。
 だけど、僕は見掛けのせいなのか父さんほどうまく周りに溶け込めなくて、いじめ
られて喘息持ちになって――結局、父さんの『外国に赴任する仕事』が決まった時に、
またここの家にお世話になる事になった。これは自分で決めた。さすがに父さんと二
人で外国で暮らすのは無理だと思う。
 そんな訳で僕はこの友神家の本家から、近くの学校に通う事になった。
 イジメは多少覚悟してたけど、まさか、あんな事になるなんて思わなかった。

「お。ケンちゃん、おかえりー。お風呂空いたよ」
「あ、愛美さん、どうも……わわっ!」
 美和ちゃんのお姉さんの愛美さんがパンツ一丁にタオルを肩に掛けた姿で立ってい
た。うわ、この人ブラジャーもしてないよ! タオルで一応胸は隠れてるけど――
「こら、愛美! なんです、裸で! はしたない!」
 小夜子さんが赤くなって怒る。
「え? 別にいいじゃん。家の中だし」
 ケロっと答える愛美さんはまだ中学2年なのに100m走で県の大会に出るくらい
のスポーツウーマンで、いつもこんな感じにラフ過ぎる格好で家の中を歩き廻っては
小夜子さんに怒られていた。
「お姉ちゃん、オンナはダンナ様以外に肌を見せちゃいけないのよ」
「え、何。それどこの『大奥』?」
 ショートカットでスラッとした姿の愛美さんは学校では男子より女子からの人気が
高いらしいけど、やっぱり美和ちゃん同様にお母さん譲りのかなりの美形だった。
「だいたい暑過ぎるのよねー、この家。作りが悪いのよ。ママも裸になんない? 気
持ちいいよー」
「ば、バカ言うんじゃありません! ほら、ケンジくんだって困ってるでしょ?」
(え? いや、僕に振られても――)
 小夜子さんはちょっとお嬢様育ちっぽさが抜けてなくて、娘達の大胆な行動にあた
ふたしてしまう事が多い。
「そぉ? 別に困らないよね、ケンちゃん?」
(いやいやいや! 困ります!)
 僕はブンブンと必死で首を横に振る。
「ほら、困らないってさ」

 ちーがーうー!

「いいから、ちゃんと服を着てきなさい!」
「へいへい」
 そう言って手をひらひらさせながら、愛美さんが部屋に向かう。
「ご、ごめんなさいね。ケンジ君」
 頬を赤くした小夜子さんが僕に謝る。
「い、いや、僕は別に……」
 なんだか僕も赤くなってしまう。
「あの……もうすぐお食事だから、ケンジ君、先にお風呂入ってらっしゃい」
「はい」
「あ! じゃあケンジ君、あたしと一緒に入ろ!」
「み、美和! バカを言うんじゃありません!」
「えー。あ、いたたたたっ!」
 耳を掴まれて、美和ちゃんが連れていかれる。
 

(はぁ……)
 なんとなく僕はため息をつく。
 いい人達なんだけど、なんというか……その――

『なんと、ふしだらなっ! なんと、淫らなおなご共かっ!』

「うわあああああっ!!」
 本当に心臓が止まりそうなくらいビックリして、僕は跳ね上がる。
「た、タマモさんっ?!」

『あ……』

 僕のすぐ横にタマモさんが立っていた。
『しまった!』という顔付きで口に手を当てて――でも、すぐに胸を張って僕に威張
ってみせる。
『い、言ったであろう? 汝に安息の日は訪れぬ、と!』

(うわ、マジ?! ついて来ちゃったよ、このヒト!)

「どうするつもりです? まさか、僕が喰べられないからって、ここの人達を?!」
『ああ。案ずるな。妾は約定を交わした者の魂魄しか喰わぬ』
「……え?」
“ヒト喰いのバケモノ”にしてはずいぶん意外な言葉に、僕は目を丸くする。
「じゃあ、僕……だけ?」
『そうじゃ。そして、汝の魂魄を喰らうための妾の秘策はすでに動き始めておるぞ!
 ケンジよ、心するがいい! はっはっは!』
「あ……」
 また消えた。

「いや。秘策……って」
 なんだか、ドッと疲れた気がする。

 そんな訳で僕はどうやらタマモさんに“とり憑かれて”しまったらしい。
 これから一体、どうなるんだろう?

                               [続く]

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