Oct
10

[読書メモ]桑原晃弥『スティーブ・ジョブズだったら、こうするね!』

スティーブ・ジョブズだったら、こうするね! ~カリスマリーダーの問題解決力~(桑原晃弥)

2011年10月5日朝、アップル創業者で前CEOのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなったという報道を見ました。それ以前にこの本を買っていたのですが、次にこれを読もうと通勤のカバンに入れていたのがその前の日で、ジョブズ氏の死去が報道されたまさにその日に、この本を読むことになりました。たまたまではありますが、ミーハーだと言われそうな状況ですね。
ジョブズ氏の恩恵にはそれほどあずかっていないと思う自分ですが、それでもmac mini(Windows7を入れていますが)とiPod classicを使っており、アップル製品とは無縁ではいられません。アップル製品を使わないと強く意識していない限り、誰しも何らかの形でアップル製品を利用することはあるのではないかと思いますし、それだけ私たちの生活に大きな影響を与えた人物であったということができるでしょう。

本書から読み取れる範囲でも、筆者の解説というフィルターを除き、ジョブズ氏の行動のみを取り上げていくと、彼の経営手法は言葉はよくないかもしれませんが強引で、ときには無茶苦茶だといわざるを得ない部分があります。それでも多くのアップル従業員が彼についてきたのは、ジョブズ氏が自分の理想を細部に至るまで実現し、それが市場に熱狂的に受け入れられるという実績があったからだといえるでしょう。
常識をひっくり返すアイデアかもしれませんが、実現すれば自分たちもヒーローになれるし、ジョブズのためにも実現させたくなるし、そのためには1日24時間のどれだけを実現のために費やしても惜しくはない、そう思わせるカリスマがあったわけですが、それもジョブズ氏の理想へのこだわりと、成功体験から出てきたものではないかと思います。

最も凄いと思ったのは、ジョブズ氏が過去を徹底的に断ち切る決断力があるということ。エピソードには事欠かず、初期にはApple IIを捨ててMacintoshを開発したこと、アップルに復帰してからはラインアップが混乱していたMacintoshを捨てて4製品に絞り込んだことなどがあげられています。そのほかにも、Mac OS Xで9以前との互換性をかなりの部分で切り捨てていますし、iMacも初代と最新世代で名前以外は全然違うものになっています。
これを今後のアップルに当てはめれば、iPhoneやiPad、あるいはiTunesといった主力の製品やサービスを然るべき時期に切り捨て、次の新しい製品やサービスを展開することになるかと思います。ジョブズ後のアップルに、これができるかどうか、真価が問われているといえるのではないでしょうか。

もしアップルに製品ラインアップを切り替える決断力がなく、今後ずるずると現行製品のバージョンアップを繰り返すのみとなるのであれば、ITサービスの恩恵を受けている私たちの生活にも影響があるでしょう。言葉は過ぎるかもしれませんが、ITサービスが小さな改善の繰り返しにとどまってしまい、正常進化だけで突然変異が生まれなくなる。それはサービスとしての飽和点であり、緩慢な死に至る道のりではないかと思うのです。
自分もIT業界に身を置いているわけで、こういった状況を指をくわえて見ているわけではないのですが、ジョブズ氏と比較されてしまうと自分の圧倒的な無力感を感じざるをえないですね。

Oct
9

[読書メモ]木村尚義『ずるい考え方』

ずるい考え方 ゼロから始めるラテラルシンキング入門(木村尚義)

「一方ロシアは鉛筆を使った」というアメリカンジョークが、ラテラルシンキングの特徴を言い表していると言います。無重力である宇宙空間ではボールペンが使えない(重力でインクを押し出しているため)という問題に対し、米国のNASAは無重力空間でも使えるペンを開発したのに対し、ロシアは宇宙空間で鉛筆を用いることにした、という発想の転換ですね。
実際には、宇宙空間でも利用できるペンは、米国の民間企業が独自に開発しており、NASAもロシア宇宙局もそれを採用していたようですが。

さて、ラテラルシンキング。「水平思考」と訳されることが多いのですが、lateralの辞書的な意味は「側面、横」といった意味です。ゴルフでラテラル・ウォーターハザードというルールがあるのですが、通常のウォーターハザードにボールが入ったときは、その後ろから打ち直さないといけないのに対し、ラテラル・ウォーターハザードの場合は入った場所の横から打てる、という救済措置があるようです(ゴルフには詳しくないので、間違っていたらすみません)。アメリカンフットボールでもラテラルパスという表現がありますし、これは真横へのパスですね。
対になる「縦」がロンジチューディナル(longitudinal)なのですが、緯度(latitude)・経度(longitude)の連想で覚えることもできそうです。

そういうわけで、深掘りしていくロジカルシンキングに対して、発想を広げていくラテラルシンキング。あるいは正面から攻めるロジカルシンキングに対して、側面攻撃のラテラルシンキング、といった考え方ができるかと思います。
自分はラテラルシンキングはどちらかというと苦手で、かといってロジカルに掘り下げるのも得意ではなくて、正解が示されたり、少なくとも正解があるとわかっていればその通りにできるのですが(何も考えていないとも言う)、自分で考えて正解を見つけるのは不安が先に出てしまいます。本書の事例も、答えを知っているか、答えを探してしまうかしてしまい、本書をきちんと読めたとはいえないかもしれません。
ですが、問題を正面から取り組もうとして1つの方法にこだわってしまい、別のやり方があるのではないかと考えられない部分があったので、側面攻撃ともいえるラテラルシンキングを、阿漕なやり方だとして忌避するのではなく、選択肢の1つとして取り入れることは大事だと感じるようになりました。

ただこの本、細かい部分で編集が甘い。判官贔屓を「はんがんびいき」とわざわざルビを振ったり(誤読が定着してしまったか?)、メイドカフェの店員が「いらっしゃいませ、ご主人様」だったり(主人とメイドの関係が「いらっしゃいませ」になるわけがない)。細かいと言えば細かいのですが、どうしても気になってしまう部分なので。というより、こういうところが気になるのが、まだまだ自分はロジカルシンキングに固執しているからなのかもしれませんが。

Oct
8

[読書メモ]うだひろえ『誰も教えてくれないお金の話』

誰も教えてくれないお金の話(うだひろえ、泉正人)

お金の話、それも自分の身近なマネープランの話は、避けて通っている人が多いのではないか、という印象を受けます。考えるのが難しいとか面倒だとか、将来が不安定で気が滅入るとか、お金にがつがつしていると思われるのが嫌だとか、いろいろ理由はありそうです。
実際自分もマネープランは苦手で、支出を抑えるより、仕事のやり方で収入を上げるほうを考えてしまいます(ブログに取り上げた書籍を見ても、働き方の本が多いはず)。なので他人のことはいえないのですが、自分はたぶん、マネープランを考えるのが面倒なんだろうと思います。
昔は、こういったことを考えなくても普通に生活していけたし、マネープランを前面に出す人は株式投資などに力を入れており、お金に執着しているという印象があったかと思います。ですが現在は、ただ働いているだけでは普通に生活できないようになってきていると感じます。どうしてもマネープランを意識せざるを得なくなりますし、決して楽な時代ではないと感じますが、本題から離れますのでおいておきます。

収入のうち、「生活費の残りを貯蓄する」なのか「貯蓄して残りを生活費にあてる」なのかで、考え方もずいぶん変わってきます。私の家の場合は、銀行の定額積立預金で毎月強制的に貯蓄していますし(コンビニや時間外でお金を下ろすときに、手数料がかからない特典を買っているようなものですが)、妻も月々の生活費のうち、いくらかを別口で積み立てているようです。そういう意味では後者の考え方ができているのかもしれません。
賃貸住まいでローンを組んでいないので、固定金利と変動金利のどちらがいいか意識したことはありませんし、直接お金を扱う投資もほとんど経験がありません(最初に勤めた会社の社員持株会だけ)。リスクの少ない生計を立てられているとは思いますが、家計簿をつけていても毎月赤字で、どこをどうすればいいのだろうかと頭を抱えてしまいます。

監修に名前が出ていますが、『年収のあがらないあなたへ』などを書かれた泉正人さんが本編にも登場します。「消費」「投資」「浪費」の話が泉さんの言葉として出てきますが、この考え方はいくつかの書籍で紹介されていますし、改めて考えてみたいと思いました。
私は家計簿に「自己投資」の費目をもうけて、自分の知識にする書籍代や新聞代、資格試験の諸々の費用などを「自己投資」としていますが、投資になっているのかどうか。泉さんの言葉を借りれば、投資とは「払ったお金以上の価値を生むもの」なのですが、本を読んだり資格試験の勉強をしたりして知識は貯められても、その知識を生かす行動が取れておらず、このままいくと単なる浪費に終わってしまいます。株式やFXなど、直接お金を扱う投資とは違って結果が見えにくいのですが、投資と言うからには何らかのリターンを求めていかないといけませんね。それが今の仕事で成果を出すことなのか、新しい企画を形にすることなのか、わかりませんが。

さいごに、この本、著者がイラストレーターということもあり、全編がマンガで書かれています。それだけに非常に読みやすいのですが、通勤電車の中でスーツにネクタイ姿で読むのには、やっぱり抵抗がありました(笑)。まあ、週刊のマンガ雑誌を電車の中で読むよりは、ずっとましだと思いますが。この本は少なくとも感想ブログという形になりましたし、「浪費」ではないでしょうから。

Oct
2

[読書メモ]亀田潤一郎『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?』

稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?(亀田潤一郎)

この本、買うかどうかかなり悩みました。ネットなどで話題になっていましたし、この本が初出かどうかわかりませんが「財布の値段×200=その人の年収」の法則は、広く話題になり賛否両論あったことで、読む価値があるかどうか、世間の評価を見ている状態が続いていました。
で、どうなったかというと、1度購入してあとで読もうと寝かせていたのですが、「買うのに迷っている」という意識だけが残っており、買ったのを忘れて2度買ってしまいました(笑)。こんな形で売り上げに2倍貢献したのは、さすがに初めてです。

さてこの本、記載されているうちの表面的な部分にとらわれてしまうと、否定的な感覚から離れられないかと思います。たとえば上にもあげた、年収200倍の法則。統計的な根拠があるわけではなく、筆者の感覚に過ぎないのですが、表面的にそこをなぞって批判するようでは、作者の言いたいことは全く理解できていないのだと言わざるを得ないでしょう。
この書籍を価値あるものとするためには、表面的な事例は書籍を手に取らせるためのあおり文句でしかなく、些末なこととして捨ててしまうくらいの読み方でないといけないように思いました。では何を読み取ればいいのかというと、つまりこの書籍の本質ということになるのですが、具体的には次のようにいえるのではないでしょうか。

お金に愛着を持ちなさい。
自分の手元に入るお金、出ていくお金が、どのようにして出入りするのかを意識できるようになります。そうすることで自分の正当な行動の正当な対価として収入を得ていることを知りますし、自分が何を目的としてお金を支出しているのか、そしてその金額が妥当なものか、考えることができるようになります。
年収200倍の法則は、言い換えれば年収の200分の1という、決して少なくはない金額(年収が600万円なら、3万円)を財布代に充てるという意味です。それだけ、財布の中のお金にも愛着を持ってほしいという筆者のメッセージでしょう。
他の事例にしても、私自身実践していること、できていないこと、必要性を感じないこともありますが、全てはお金への愛着、意識の向上につながっています。

タイトルは「稼ぐ人」とついていますが、本書の内容を実践しても稼ぐ人になれるかどうかはわかりません。
ですが、お金に「振り回される」ことはなくなるはずです。収入の多寡で生活スタイルが変わるような生き方は、浪費の部分が多くを占めていることになり、いくら収入があってもお金に振り回されているということになるでしょう。本書の考え方は、そういったお金に振り回される生活から一線を引く、お金に対する考え方を転換できるものであるはずです。

Sep
24

[読書メモ]羽生善治『結果を出し続けるために』

結果を出し続けるために (ツキ、プレッシャー、ミスを味方にする法則)(羽生善治)

将棋棋士、羽生三冠の著書です。棋士が書籍を出すのは将棋の技術書(棋書)のことがほとんどなのですが、羽生三冠は一般的な棋書は比較的少なく、将棋普及のための入門書と、本書のような将棋以外の世界にも適用できるビジネス書が多くなっています。
(ちなみに、前回3月に羽生さんの書籍を紹介したときの肩書きは「名人」でしたが、将棋の肩書きの名人は、7つあるタイトル戦の1つで、7つのタイトルとも毎年タイトル戦が行われます。4月~6月に行われた今年の名人戦七番勝負で、羽生名人は森内九段に敗れて名人位から陥落(なので現在は森内名人)、羽生さんは王位・王座・棋聖の三冠となっています。)
羽生三冠は現在40歳ですが、初タイトルが19歳のときの竜王戦(1989年)で、翌年に竜王位を失冠した4か月間を除けば、現在まで7つのタイトルのいずれかを獲得しており、1996年には7冠全てを制覇したこともあります。このように、20代前半から20年近くにもわたって第一人者であり続けるのには、単に将棋が強いだけ以上の理由があるのだと考えられますが、本書でもそのあたりのことが述べられており、将棋以外の場面でも役に立つ内容が多くちりばめられています。

自分に結果が出ていないとき、たまたま不調で実力を発揮できていないのか、そもそも実力がないのかを見分ける方法が示されています。結果だけではなく内容を見れば、内容が伴っていてたまたま結果が出ていないだけなのか、それとも実力がなく内容も悪いのかがわかりますし、信頼できる第三者に自分がどう見えているか聞いてみてもいいともありました。不調のときは自分の判断も狂ってきて、客観的な判断ができなくなっていますから、自分の判断と他人の判断をすり合わせて、自分を過小評価、ときには過大評価していないかを見るのも大事ですね。
逆に、ついているとき、運が回ってきているときもありますが、それに一喜一憂してしまっては自分の実力を伸ばすことにおろそかになってしまう。ツキや運にとらわれずに最善を選択することが大事ですが、何が最善かわからないときでも決断を下すべきときはあります。そういったときは主観で判断することになりますが、気持ちをまっさらにすることで、よりよい判断が下せると言います。羽生三冠は色紙によく「玲瓏」と揮毫しますが、このまっさらな気持ちの状態こそが「玲瓏」であり、座右の銘にしているそうです。

後おもしろかったのが、羽生三冠の苦手なものとして、「人前で話すこと」と「毛筆で字を書くこと」があったのだそうです。だから子供の頃に将棋に打ち込んだというのもあるのかもしれません(羽生三冠や私の子供時代のお稽古事として、習字がありましたから、習字をしない代わりに将棋道場に通っていたというのがあったのかも)。それが今や、将棋棋士として色紙や扇子に先ほどの「玲瓏」など、多くの揮毫をすることになりましたし、多数の講演もこなされています。本書でも書かれていましたが、苦手だと思っていたことが、ずっと続けることになるのは、よくあることなのではないでしょうか。

最後に、本書の制作にあたって「100冊の本制作委員会」が関わり、102名の著名人から幸福や成功についてのインタビュー後、1人1冊で電子書籍が作られているということです。こういうプロジェクトが動いていることを知りませんでしたが、一般の方々が新しいものを作り出し、多くの人に言葉を伝えていくこのプロジェクトに、非常に興味を持ちました。始まったときに知っていればうまくいくことを願っていたと思いますが、こうやって結果が出たことで、第二第三の「100冊の本」プロジェクトが生まれるきっかけになればと思います。

Sep
21

[読書メモ]見城徹・藤田晋『憂鬱でなければ、仕事じゃない』

憂鬱でなければ、仕事じゃない(見城徹・藤田晋)

幻冬舎社長の見城徹氏と、サイバーエージェント社長の藤田晋氏の共著です。ふたりは師弟関係とも言えそうな深いつながりとお互いへの信頼をもっているようですが、対談ではなく、見城氏の信念のこもった文章を受けて、藤田氏が自分の思いを返す、というやりとりで本書が構成されています。

見城氏の文章から強く伝わってきたのは、「圧倒的な努力」という言葉に代表される自身の経験と、それに裏打ちされた絶対的な自信です。人生において成功を収めるにはこれだけの行動が必要なのだとしたら、成功は覚束ないと絶望するのに十分です。さらにいうと、見城氏と同じ量の努力をもってしても、方向が誤っていれば成果には結び付きませんし、そもそも見城氏は成功しているのか、という疑問さえ湧いてきます。
おそらく、見城氏はこれからも、高みを目指すプロセスを求めて、世間の流れに抗い続けるのでしょう。見城氏が、そして幻冬舎が、どこに向かっているのかが見えてこないため、見城氏の主張はやや咀嚼しづらかった部分はありました。

どちらかというと、藤田氏のほうに共感できました。私と同い年(1973年生まれ)で、自分もIT業界で働いていますので、親近感もあります。自分はそこに行くだけの方法も勇気も努力も足りませんでしたが、ひょっとしたら藤田氏の立場に自分がいたかもしれないと想像できる程度には、藤田氏の意見は理解できるように思います。
その中で意外だなと思ったのは、藤田氏が人間関係を非常に大事にしていること。同じITで名をあげた堀江貴文氏(元ライブドア社長)や三木谷浩史氏(楽天社長)らとは、苦楽をともにした仲間であり、ビジネスを超えた交流が続いているとのことです。こういった関係を自分は持てておらず、ともすると表面的な人間関係に終始してしまうのですが、それが藤田氏と私を分けるもの、あるいはほかの主催者よりも自分があまりうまく勉強会を回せていない理由となるのかもしれません。

見城氏と藤田氏のやりとりのうちいくつかは、藤田氏が気圧されているか、見城氏の真意を測りかねているかで、意見がかみ合っていないものもあったかと思います。本書のタイトルにもなった「憂鬱でなければ仕事じゃない」も、2人の見解はちょっとずれているのですが(というか、この項に関してのみ言えば、藤田氏の見解は浅いと言わざるを得ないでしょう)、そのずれがどこから起こったか、藤田氏は見城氏の主張をどのように受け止めたのか、という観点から見てもおもしろいものです。

そして、自分の心に残ったのは、やはり「圧倒的な努力」というフレーズです。自分には見城氏が言うような圧倒的な努力はできなかったとしても、結果を得るための努力、勝つための努力、言い換えればためにするわけではない努力を、自分はどれだけやって来たでしょうか。
この間、勤務先の野球チームの試合で、残念ながら負けました。悔しがっているみんなの中で、ひとり冷めている自分がいるのに気づきました。それが野球であっても、勝つこと、結果を出すことへの欲望を、失ってしまっているのです。
本書の主張と自分の思いが、まるっきり逆を向いています。いろいろ思うところもあるので、簡単にどちらが正しいとか自分がダメだとか言うつもりはありませんが、この本に出会ったことで、自分を変えるきっかけにしたいと思います。

Sep
19

[勉強会]2011/9/19 PRESIDENT 2011 9.12号、10.3号読書会

○コミュニティ名:プレジデント読書会 in 東京
○名称:【2011/9/19(祝)】10:00~12:00 PRESIDENT 2011 9.12号『一億稼ぐ人の勉強法』、10.3号『「すべらない」話し方』 読書会
○日時:2011年9月19日 10時00分~12時00分
○場所:エクセルシオールカフェ 永田町店Googleマップ
○参加者:3名
○課題書:『プレジデント』
2011 9.12号「一億稼ぐ人の勉強法」
2011 10.3号「「すべらない」話し方」

きちんとした形で、「プレジデント読書会」を開催できたのは久しぶりでした。参加者を集められないというのは主催者である自分の力不足ではあるのですが、ともかく再開にこぎ着けられたのは素直にうれしく思います。
今回、これまでの記事内容をもとにしたフリートークから、いくつかのテーマを決めて実際に手を動かしてもらうワークも加えてみました。超・愛妻家の大田さんが勉強法の号で取材を受けたことをきっかけに、大田さん主催のプレジデント朝食会(前回私も参加しています)も始まったので、ちょっとは違いを出していかないと、というわけです。

今回のワークは、『一億稼ぐ人の勉強法』からは「人生企画書シート」と『新たに勉強したいこと」、『「すべらない」話し方』からは「すべらない話」としてみました。
それぞれ特集からで、人生企画書シートは誌面にある読者自身が書き込める企画記事となっています。自分自身、誌面の書き込み企画はあまりやっていなかったので、今回ほぼ初めて取り組むこととなり、自分の働き方、生き方を見直すきっかけとなりました。
自分の年代(38歳)だと平均余命は40年余り(平成22年厚生労働省調査で、40歳男性の平均余命が40.81年)だそうで、今回の表にあったように40年先までのスケジュールを立てるのは、それなりに意味がありそうです。
といっても、40年も先のことなど考えたこともなく、その場の状況に対応しながら、1日1日を積み重ねていくのだろうと思います。ただ、昨日よりも今日、今日よりも明日は成長していたいし、この10年で20代30代でやり損ねたこと、つまり経験や人脈作りや自己実現といったことを、今からでも遅くはないと取り組みたいと考えています。そして次の10年で人を率い、その次の10年で若い世代にゆだね、最後の10年で悠々自適に暮らす、とうまくいくでしょうか。

「すべらない話」は、失敗しない前提で話をする雰囲気に持って行ったこともあり、やっぱり難しいというか、緊張します。参加した皆さんにも話してもらったのですが、どこをどう改善すればいいかを、指摘しあう時間を作ったらよかったかな、と思いますが、話術に関しては自分自身が学ばないといけない側ですし。
自分のことではなく、相手の持ち物や趣味に入り込んで話をするのがいいともありましたが、これもわかっていてもできない。まだ、話すことで頭の中がいっぱいになって、周囲をきちんと見る余裕ができていないのでしょうね。

そういうわけで、反省点もたくさん出てきた今回の取り組みでしたが、次回以降も改善しつつ続けていきたいと思います。今回指摘されたのですが、実際に書いてもらうワークは、各参加者に予習してもらって、読書会の場ではそれを発表するようにしたほうがよさそうです。当該号を買っていない方もいるかと思いますので、そこは手を動かす部分だけをコピーして配れればいいのですが、著作権的にどうかなあ。厳密にはアウトになりそうなので、編集部に許諾を得るなりしないと難しいでしょうか。

Sep
10

[読書メモ]横山泰行『「のび太」という生きかた』

「のび太」という生きかた―頑張らない。無理しない。(横山泰行)

『ドラえもん』は、私が子供のころの愛読書でした。買ったりもらったりして、全巻揃えようとしていました。22~3巻あたりで、ドラえもんを卒業して「週刊少年ジャンプ」に行ったんじゃなかったかな。いまではジャンプも卒業して、マンガは特定のものしか読まなくなってしまいましたが。
さて本書は、「ドラえもん学」の提唱者としても知られる、横山先生の著書です。ドラえもんを全巻全話、おそらくは全ページ全コマを知り尽くしている横山先生だからこその視点、というのが非常におもしろく感じられます。

一般的にはのび太は勉強も運動もできない男の子の代名詞で、ドラえもんの助けを借りないと何もできないと思われています。ですが横山先生に言わせると、のび太はドラえもんに依存しているわけでも、ひみつ道具の力でズルをして生きているわけでもありません。ひみつ道具で小さな成功体験を得ることはありますが、道具に頼るのはよくないことだと考えて、最後は自分の力でやり遂げようとします。
考えてみれば、目の前にひみつ道具という誘惑が転がっているのに、誘惑に負けない力は、人並み以上に強いのではないでしょうか。自分がのび太の立場であったなら、おそらくひみつ道具の誘惑に負けて、結果を出せばいいと言い訳をしながらズルをしてしまうのではないかと思います。それでその場はしのげたとしても、自分の成長にはつながらないし、次に同じことがあったときに対応できないということにもなります。自分にとっての「ひみつ道具」は、ネットの情報と言うことになるでしょうか。システム開発の仕事でプログラムを書くことも多いのですが、ある問題にぶつかったとき、ネットに上がっている解決策をそのまま使うことも少なくなく、その結果得られたものがきちんと自分のものになっているのか、ただその場をしのいだだけなのか、いささか不安な部分があります。

そして、あらゆるものに優しさをもって接する態度は、特筆すべきものでしょう。他人を蹴落としてでも偉くなりたいということは全く考えも及ばず、むしろ周囲の人間の目標達成や成長のために、自分が犠牲になってもかまわないと考えている描写が見られます。また、その優しさは人間に対してだけではなく、拾ってきた犬や猫をうちでは飼えないとママに叱られる場面は何度もありますし、映画第1作にもなった『のび太の恐竜』では、タイムふろしきで孵化させたフタバスズキリュウへの愛情をみせています。
さらに動物だけではなく、心を与えた人形や、台風のたまごといった、無生物にまで優しさの対象はおよびますし、ほかの登場人物の冷淡さと対比的に、あらゆるものに対して慈しみの心を持つことの大事さを知らされます。

もちろん、のび太の性格付けや行動は、作品をおもしろくするための技術的な面もありますし、読者層(小学生ですね)への教育的な意味も強かっただろうと思います。ですがそれだけのことだと結論づけてしまうのではなく、のび太の性格が、とくにここであげた「ひみつ道具に頼らない意志」と「あらゆるものに対する優しさ」が、のび太が誰もが愛せるキャラクターになった最大の理由であると、私は考えます。

Sep
7

[読書メモ]泉正人『年収のあがらないあなたへ』

年収のあがらないあなたへ(泉正人)

日経新聞のサンヤツ(1面下の3行8つ割の書籍広告欄)にこの本の広告が出ていて、タイトルが気になって購入しました。過去の読書会で『「仕組み」仕事術』が取り上げられたこともあり、著者の名前も知っていたことも、購入を後押しさせました。
タイトルこそ「年収」とついていますが、お金の話はほとんど出てきません。仕事の成功の基準として年収がわかりやすいため、このタイトルを選んだのだと思いますが、もっと広い意味で仕事で成功する、成果を出すための指南書です。

やるべきことは1つだけ。
「信頼できる人の思考をまねなさい。」
成果を出している人の行動をまねるというのはよくあります(これさえも難しい)が、うわべの行動だけではダメで、なぜそのような行動をするのかという考え方の部分からまねていく。思考のレベルでまねようと思えば、我流のやり方や考え方は否定することになり、まっさらな気持ちでその人のやり方を取り入れることになるし、アドバイスも聞き入れられるようになります。

このように、ひとこと言われて実行できるのであれば、その人は成功に近づいているのでしょう。ですが今の自分は、できなかったその他大勢の中のひとりです。以下言い訳。
自分のやり方を変えるのは、エネルギーがいります。変化しないほうが楽ですから、どうしても楽なほうに流れて、結果的にダメなほうに向かってしまっています。また、プライドは邪魔していないと思っていますが、本心では自分のやり方にこだわる部分が必ずあるのでしょう。意味がないとか納得できないとか、自分に言い訳をしながら他の人のアドバイスを聞かない、残念な人間になってしまっています。
自分の場合はさらに悪く、身近に手本となる人がいるのに、またその人からアドバイスをもらっているのに、そのうえ「まねられることはまねていきます」と自発的に言っているのに、結局何もしていません。

さあ、どうする、自分。
このまま我が道を突っ走って万に一つの成功を待つか、謙虚にアドバイスを受け入れてみるか。
少なくとも、アドバイスを聞かないことで人望や信用をロスしている部分はあると自覚しているので、何かを変えていくきっかけにしていければ、と思っています。

Sep
6

[読書メモ]佐藤伝『「朝」日記の奇跡』

「朝」日記の奇跡(佐藤伝)

先日参加した読書会で紹介されて、買ってみました。
去年の暮れに日記帳を買ってつけ始めたのですが、半年で挫折してしまいました。5年連用日記だったのに……。
そのときの反省をしますと、朝とか夜とか関係なしに、毎日つけられなかった、習慣化できなかったというのが一番の問題だったと思います。継続できない理由をつぶしていけば、習慣化に一歩でも二歩でも近づきますし、この本にはそのヒントがいくつもありました。

最大のヒントは、フリーフォーマットではなく、最初にいくつかのジャンルを決めておき、そのジャンルに関連する出来事を書いていくこと。フリーフォーマットだから、何を書いていいのかわからず、結果的に日記帳に手が伸びないということもありました。何をどこに書くのかを決めておけば、今日あったこと、今日するべきことは何なのか、それぞれのジャンルに従って考えることができ、書きやすいというメリットがあります。
2つめは、紙ではなくデータファイルに書くこと。本書でも紹介されているExcelでファイルを作れば、毎日パソコンの電源は入れますから、必ず日記ファイルを目にします。勤め先によっては認められていないかもしれませんが、DropBoxなどのファイル共有サービスを使って家と会社で日記ファイルを共有しておけば、会社でも日記を開くことができます。
3つめは、日記にTo Doを記載するという発想。朝に日記をつけることから自然に出てくる考え方なのですが、その日にするべきことを日記に書くことで、To Doを明確にし、1日を計画的に過ごすことができます。日記というのは経験したことを書くものだという固定観念がありましたので、目から鱗が落ちるような感覚でした。

放送大学で将棋の歴史を研究していて、そのときに戦国時代の公卿である、三条西実隆があらわした『実隆公記』を題材としました。先人の研究で、実隆は朝起きてから前日の日記を書いていたのではないかとされており、400年以上前から朝日記がなされていたのを思い出しました。『実隆公記』はフリーフォーマットではありますが、型はかなり決まっていて、まず日付と天気、その後は誰に会ったかなどの人間関係を多く記していました。ちなみに、将棋の記述も誰と何番指したかということしか書かれておらず、ルールや指し手については一切言及がなく、研究者泣かせでした。

日記とは直接関係ありませんが、本書で一番心に残ったフレーズを最後に残しておきます。
「八方ふさがり」の状況に陥ることもあるのですが、そんなときにも1か所だけ開いている方向がある。それがどこかというと、上、頭上です。
視点を変えてみれば、いかに行き詰まった状況に見えても、打開策はある、ということですね。本書では日記と絡めて、そんなときこそ過去の日記を読み返してみましょう、となっていますが、視野を広げ、視点を変えるのは大事だのは間違いありません。

« 前の10件 | 次の10件 »