目を覚ますと、そこは巨大な図書館だった。
他に誰もいない静かな空間で、一人の青年がいくつかの本と原稿用紙を机に広げている。
僕は、その人に話しかけようと思った。
しかしどうだ?
「あ……ウァ……」
話しかけようと思っても口が上手く動かない。
それどころか、体全体がマヒしたかのように動かない。
僕のそんな状態に気が付いたのか、目の前の青年は本から目線を僕にやるとおもむろに口を開いた。
「やっと目が覚めたか」
どうやら、彼は僕が目を覚ますのを待っていてくれたらしい。
「目が覚めたのなら、さっさと話を進めるぞ。
お前には転生してもらうからな。
一応聞くが何か希望はあるか?」
いきなり言われたことが意味がわからなかった。
転生?
なんで?
えっ、僕って死んでるの?
そもそもこの人は誰だ?
いろいろ考えようとすれば、次々に疑問が湧いてくる。
そして気が付いた。
僕が……誰だ?
「あ~、一から説明しなきゃならんのか?」
面倒くさそうに頭をかく青年。
この後の彼の説明は理解できるようなできないような、そんな内容だった。
「えっとな、卒業に必要な必修単位に運命論ってのがあってだな?
その課題に人間を別の世界に転生させるっていうのがあるんだわ」
人間を転生させるって……それじゃ神様みたいじゃないか。
どう見ても目の前の青年は自分と同じ人間にしか見えない。
別の世界や、別の人物に転生するっていうのは色々な物語で見たことがある。
それこそ一次創作から二次創作まで、僕らの世界にはその手の物語が溢れている。
でもそれは空想の中のことにすぎない。
実際にあるわけはないと思っている。
いや、輪廻転生を信じていないわけでないけども……
そもそも彼の言っていることを鵜呑みにするとして、必修単位で転生ってどういうことだろうか?
「俺はおまえら人間とは違うぞ?これでも一応神だしな。
まぁ、見た目はあんまり変わらんかもだけどなぁ。
お前らの世界にも大学とかあるだろう?
俺たち神の世界にも大学みたいなもんがあってだなぁ、そこを卒業しなきゃ仕事には就けないんだわ」
要は資格を取らなきゃ神様として働けないそうだ。
神様って……ちょっとイメージが崩れた。
「俺が神な証拠に、お前今動けないだろ?
動けないし喋れない。
それはお前の存在が俺と比べて格が小さすぎて、負荷がかかっているからだ」
なんでも、人間が神様を目にすると魂にものすごい負荷がかかるそうだ。
だからその負荷により僕の体は抑えつけられてしまっている状態らしい。
これが夢でないなら、彼の言っていることは本当かもしれない。
しかし、彼が神様としてだ。
僕の記憶がないのはどうしてだ?
それとはあまり関係ない気がするんだけど。
「これから転生するやつに、以前の記憶なんて残ってても厄介なだけだしな。
悪いけど消さしてもらったぜ?」
う~ん、そうなのか?
理不尽な気がするけど、あまり怒りが起こらないのはなぜだろう。
あれかな?
目の前の人物が神様だから、スケールがでかすぎてそう言う気がおこらないのかな。
実際負荷で僕の体動かないし。
「お前の世界でも流行ってるんじゃないか、転生?
先輩たちが今まで単位のためにいろいろなやつをいろんな世界に飛ばしてるからなぁ。
それと同じだと思ってくれてかまわないさ」
ふむ。
でもそういうのってもっと神様っぽかったり、神様の不注意で死んだりした罪滅ぼしだと知識ではあるんですが……
「そりゃあれだ。
お前は冷静なほうだけど、中には馬鹿正直に単位がどうのって話すと無駄に怒るやつがいるからな。
昔の先輩が話をスムーズに進めるために一芝居うったんだ。
そっからはまぁ、コピペだな。
お前の大学でもそうだったろ?
レポートなんて前からあるものをいろいろコピーして切り貼りしたもんでしかない。
俺ら後輩は楽な道を作ってくれた先輩の真似をしてるだけなのさ」
でもあなたは別に芝居うってないんじゃあ……
「俺は単に面倒くさかっただけ。
というか芝居とはいえ人間に頭さげたりするのもむかつくし。
だいたいさぁ、一応神だぜ?
まだ仕事についてはいないとはいえ、間違えて人間一人殺すような失敗するかよ」
そうですよね。
普通、神様がそんなしょぼい失敗するわけないですよね?
「そうそう、どうせ失敗するんなら世界滅ぼすっつうの。
コーヒーで名簿を汚しただとか馬鹿じゃねえの?って思うね。
主神クラスがコーヒーこぼしたら大陸一つ沈むっての」
それはまた……スケールの大きい話ですね。
「おっと、話がそれたな。
要するに、先人達と同じくお前も別の世界に転生してもらう。
テンプレだな。
で、こっちの都合で転生させるんだから何か特典もやろうってわけだ」
はぁ……特典ですか。
そう急に言われても何もぱっと思い付くものがないですねぇ。
「そうか? 別に遠慮する必要はないんだぜ?
そもそもの課題が人間に特典を一つつけて別世界に転生させることだからな」
あ、そうなんですか。
あなたの好意からのものじゃないんですね。
「なんで俺が人間のためにそこまでせにゃあならんのよ。
ないのか? 何か欲しい能力とかさぁ」
……うーん
そう言われましても、特にこれといって……
「……そうか、ならこっちで適当に決めるぞ?」
言葉通り、目の前の青年はわずか3秒でその特典とやらを決めてしまった。
内容は【ご都合主義の加護】らしい。
「ご都合主義ってわかるか?
ピンチになったら都合よく助けが入ったり、何かしらの邪魔が入って運よく助かったりすることだ。
努力全てが報われるわけでもないのにちょっと修行すれば成長したり、
ここぞという時で都合よく眠っていた力に目覚めたり。
要するに物語でしかありえないような都合のいいことが起こりやすいようにしてやるってことだ」
それはまたなんとも凄い話しですね。
あれですか、借金で困ってる時に宝くじ買ったら都合よく一等が当たるようなもんですか。
「そうそうそれそれ」
はぁ、凄いんですねぇ。
「ほんじゃ特典も決まったし、そろそろ転生させるからな」
あっ、その前に……別の世界ってことは今までいた世界ではないんですよね。
どんな世界なんですか?
「知らん」
……さすがにそれはないでしょう。
あなたが今から転生させる場所ですよね?
「まぁ、俺もまだ先輩のレポート全部読み終えたわけじゃないからあんまり把握してないんだ。
でもあれだぜ?
転生先としては比較的人気の高い物語の並行世界って感じらしいぜ?」
そうなんですか。
物語ってことはなんかの作品か。
なんだろう、知ってるやつだったらいいけど。
「まぁそう難しく考えんなよ。
ご都合主義で何かあってもそう簡単に死にはしないだろうよ」
それもそうですね。
「んじゃ、いってら」
青年がぱちりと指を鳴らすと、そこで僕の意識は暗転した。
次に目が覚めた時僕は犬になっていた。
記憶はなくとも、前は人間であったはずなのに体は特に違和感がなかった。
季節は冬のようで、体の芯から凍えそうな寒さが生まれて間もない小さな体を襲った。
まだまだ完全には目が開かなくて、視界もうっすらとぼやけている。
それでも視界に映るのが森の中で、雪の積もる冬であったことは理解できた。
でも、僕が凍えることのないようにお母さんは優しく寄り添ってくれた。
お母さん。
この世界のお母さんは、今の僕と同じく犬であった。
犬、といっても野良犬らしく、僕たちは人間と関わらずに山で暮らしていた。
僕の他にも兄弟が2匹いる。
2匹も同じくして体をこすりつけるようにしてお母さんの懐で寄り添っている。
毛はみんな真白で、顔のつくりは愛らしい子犬そのものだ。
お母さんの顔は犬にしてはちょっと細長いというか、額がせまいというか……なんという犬種なんだろう?
もしかしたら、野良犬だからハウンド系の血が入った雑種なのかもしれない。
「お母さん」
「なあに?」
「僕たちは、なんていう犬種なの?」
「犬種?……ああ、種族のことね?」
お母さんは優しい声で教えてくれた。
僕たちは犬に似てるかもしれないけれど、犬じゃないんだよ……と。
なんでも、マカミという狼らしい。
僕の生前の知識にはなかったけれど、そういう狼の種類がいるのかもしれない。
日本には狼はとうにいなくなったはずだし、ここは日本じゃないのだろうか?
もしくは、日本だとしたらもっと昔なのかな?
未だ幼い体では、それ以上は考えられなかった。
考え事をするとお腹がすくのだ。
「お母さん、お腹すいたー」
「ふふ、じゃあお乳の時間にしましょうか」
「「わーい!」」
僕がお腹がすいたと訴えると、お母さんはお乳が飲みやすいようにお腹を見せてくれた。
それを待っていたかのように僕よりも先に兄弟たちがお母さんのおっぱいにむしゃぶりつく。
出遅れた僕は、呆然としてしまったが兄弟二匹が元気にお乳を飲む姿を見ているとさらにお腹がへった。
くりゅりゅりゅりゅぅぅ……
お腹の音が小さく鳴る。
その音を聞いて、お母さんが優しく僕の頬を舐めた。
「あなたも飲みなさい。順番を待たなくてもおっぱいはまだあるでしょう?」
「うん」
僕は目の前のお母さんに甘えるようにして、兄弟たちと並んでお乳を飲んだ。
お母さんに甘え、兄弟たちと遊び、寒さをしのぐようにして家族でくっついて眠る。
お父さんは狩りに出ていたあまり会えなかったけど、家族みんなで仲良く過ごした。
人間であった意識はすぐに薄れ、僕はマカミであることを受け入れていた。
それから数か月。
僕たちはすくすくと育ち、体もだいぶ大きくなってきていた。
もうお母さんのお乳は卒業して、お父さんの狩ってくる肉を一緒に食べている。
兄弟のうちの一匹は甘えん坊で未だに乳離れができていないけど。
季節はすでに春になっていて、雪はもう残っていない。
森の木々の隙間からは暖かな木漏れ日が降り注いで、僕たちはご機嫌だった。
今ではこの世界に産まれる前の、神を名乗る青年とのやりとりも忘れてしまっていた。
今日も兄弟たちといっしょに山を駆け回る。
最近では前は危ないといって連れて行ってくれなかった狩りに、お父さんが見物をさせてくれるようになった。
お父さんは凄い、風のような速さで駆けて獲物を捉える。
地面にいるすばしっこい鹿も、樹の上にいる猿もなんのその。
僕たちは皆そんなお父さんに憧れた。
お母さんの見守る中、兄弟で一緒に訓練をする。
見よう見まねで狩りの練習をするのだ。
だけどやっぱり狩りごっこは遊びなわけで、途中から真剣見がぬけてただの鬼ごっこへと変わってしまう。
きゃーきゃー言ってはしゃぐ僕たちを、お母さんは怪我をしないように優しく見守っていてくれた。
でも僕たちの体はとても凄いものだと思ってる。
まだ生まれて数か月しか経っていないのに、ぴょんぴょんと樹から樹へ飛び移りながら遊んでいるのだ。
生前の知識では、さすがに犬でもここまでの身体能力はなかったように思う。
もしくは、これが人に飼いならされた犬と野生のものとの違いなのだろうか?
でもまだまだ僕たちは狩りが上手くできない。
動きは素早く、様々なことができるようにはなってきている。
でも気配をけすことができないのだ。
だから獲物に近付いても気づかれて逃げられてしまう。
僕たちの目下の目標は、お父さんやお母さんみたいに気配の消し方が上手くなることだった。
「大変! 大変!」
いつものように遊びながら狩りの練習をしていると、木霊が危険を知らせて騒ぎ出した。
木霊というのは、この森に住む木の精霊たちである。
三頭身の小人のような姿で、仲間が口にした言葉を繰り返す習性がある。
大変なことが起きていると騒ぐ木霊の声は、森の外側から広がっていった。
森の外、僕たちはまだ出たことがない場所。
そこから何かがやってきたのかもしれない。
「あなた達はここでおとなしくまっていなさい」
今までの優しそうな顔を真剣な表情に変えたお母さんがそう言った。
僕は、お母さんのこの顔が怖かった。
それは僕たちを怒るときにもする顔だからというわけではない。
お母さんがこういう顔をするときは、何かこわいものがやってくることがあったからだ。
僕たちが怒られるのは、それは僕たちがいけないことをしたからだ。
だから怒られるのは当然だと、その時は甘んじて受け入れている。
だけど今はそうじゃない。
きっと何か嫌なものがやってきたんだ。
お母さんは僕たちを住処に残して、一人風のような速さで去って行った。
その方向は、森の外。
木霊達が騒ぎ立てる、「大変」が来た方向。
僕は胸騒ぎがして仕方無かった。
「おれ、おかあさんのようすみてくる!」
兄弟の一匹が、お母さんの言いつけを破って住処を飛び出した。
慌てて制ししようにも、あいつは僕たち兄弟の中で一番足が速い。
止めようとした時にはすでに姿が木々で見えなくなってしまっていた。
「どうする?」
「どうするって、追うしかないじゃないか」
「でも、おかあさんはまっててっていったよ?」
甘えん坊の方の兄弟が不安そうに僕に聞いてくる。
わかってる。
お母さんは僕たちに待ってろと言った。
それは行けば邪魔になるし、何より危険だからのはずだ。
なら、そのいいつけを破って追いかけて行ったあいつはどうする?
……きっとお母さんの邪魔になる。
もしかしたら足を引っ張って危ないかもしれない。
「怒られても仕方無い。あいつを連れ戻すんだ」
「……ぼくもいく」
こうして僕たちは、お母さんのいいつけを破って住処を抜け出した。
方向はわかっているし、なにより走る先から嫌な気配がぴりぴりと肌をうつのがわかった。
この向こうに嫌なやつらがいる。
それも複数。
そして、気配だけでなく血の匂いもかすかに漂ってきている。
正直嫌な予感しかしなかった。
先走っていった兄弟が無事なことを祈るばかりだった。
どれくらい走っただろうか……距離にして2キロから3キロほどか。
そこは森の中にあってぽっかりと開けた場所。
否、この間まではこんなに広いところなんてなかった。
それは木々が無造作に切り倒され、へし折られて自然にできた空間。
戦闘の余波でつい今しがたできた場所だった。
僕たちは茂みに隠れて様子を窺う。
そこでは、大きな体をした角をはやしたやつらとお父さんとお母さんが戦っていた。
数は多勢に無勢。
お父さんとお母さんに対峙する鬼と形容するしかない化け物たちはたくさんいた。
その手にもったこん棒や刀でお父さんたちに襲いかかる。
それを危なげなく躱すと、そのままの勢いで相手の喉元を噛みちぎる。
または近づいてきた鬼をお母さんが前足を横に凪払って倒していた。
お母さんが前足を振るうと、衝撃波が出て相手を吹き飛ばす。
お父さんもお母さんも凄かった。
倒した相手は、煙のように消滅して数を減らしていく。
僕の隣にいる兄弟は、呆けた表情でそれを眺めている。
でも、実際今はこんなことをしている場合ではない。
たぶんお父さんとお母さんには僕たちが隠れているのがばれているはず。
その証拠に何度か目が合ってる気がするから。
でもこんな状況じゃ飛び出すわけにもいかない。
まずは先に住処をでたはずの兄弟を探してお父さんたちの邪魔にならないよう確保するのが先決だ。
ここまでの道のりで、先に飛び出したはずのあいつの姿はない。
たぶん僕たちと同様、近くの茂みで隠れているはず。
どこだ、どこにいるんだ?
「斬岩剣!!」
「ぐぎゃあああ!?」
「「!?」」
未だ見つからない兄弟をきょろきょろと目を動かして探していると突然別の声が聞こえた。
その瞬間に鬼たちが数体、何かに体を切り裂かれて消滅する。
反対側、森の外側の茂みから姿を現したのは3人の人間たちだった。
紅袴を着た女が2人に、浅葱を着た男が1人の三人組。
その手にはそれぞれ日本刀やお札のような紙を手にしている。
あの恰好からすると、日本人か?
この世界に生まれて初めて人間を見たので、かなり驚いた。
「まさか鬼だけやなく犬の妖怪までおるとはなぁ。
狗族かなんかか?」
「珍しいけど妖怪なら消すまでや」
「くそっ、もう来よったんかいな!」
「「グルルルル……」」
お父さんとお母さんは、人間に向かって牙をむき出しにして唸っている。
僕にも、あいつらの敵意がわかった。
どうやら鬼たちはあの人間たちと戦ううちにこの森に入ってしまったらしい。
その人間たちは、お父さんとお母さんも敵と認識したようだった。
人間の男が刀を振るう。
その剣圧に乗って、何かの力が飛んでくる。
「「「ぐあああ!!」」」
「ギャイン!?」
たくさんの鬼に向かって飛ぶそれを、お父さんは回避しようとした。
一撃で残っていた鬼のほとんどを切り裂いた攻撃。
回避しようとしたけどわずかに間に合わず、左の前足を切り裂かれてしまう。
バランスを崩して倒れこむお父さん。
そこに別の人間が手にした刀をお父さんに向けて振り下ろそうとした。
「あぶない!!」
その時、僕らと離れた茂みから兄弟が飛び出した。
その場所は丁度お父さんの近くで、狂刃がお父さんに振り下ろされる前に助けようと飛び出してった。
飛び出してしまった。
人間の振るう刀が、お父さんとの間に割り込んだ兄弟の体を切り裂いた。
「ギャン!?」
切り裂かれ、地面に叩きつけられる兄弟の体。
真白だった毛は真っ赤に染まり、ぴくりとも動かなくなった。
「なんや、まだおったんかいな。
邪魔しよってからに」
憎々しげに地面で動かなくなった兄弟を見る人間の女。
僕は一瞬何がおこったかわからなかった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」
「うおっ!?」
だけど、お父さんの怒りの声で理解した。
その咆哮はとても怒っていて、そしてとても悲しみのこもった声だった。
お父さんの咆哮でひるんだ人間の首元に、お母さんが噛みつく。
そのまま噛みちぎった。
「げぶっ!?」
動脈を噛みちぎられ、喉と口から血を垂れ流して倒れる人間の女。
仲間がやられることを想定していなかったのか、驚きの表情をする人間たち。
しかしその表情もすぐに怒りの表情へと変化した。
「っよくも!!」
「薄汚い妖怪の分際で!!」
怒りの表情の人間たちに、残っていた鬼が攻撃をしかける。
しかしそのことごとくは彼等に届かず、霧のように消滅するだけであった。
もうここにいてはいけない。
相手はかなり手ごわいやつらだ。
それも食べるために狩りや仲間を守るためでなく、殺すだけのために動くやつ。
このままここにいては僕たちまでお父さんやお母さんの足を引っ張るはめになる。
当初の先走った兄弟を連れ帰ることはもうできない。
ここは一緒にきたこいつだけでも連れて逃げるしかない!
そう思って隣を見た。
僕と一緒に来た兄弟は、恐怖で腰がぬけたのか座り込んだまま震えていた。
未だに呆然としていて全く動く気配がない。
僕は首元を口にくわえて、無理やりにでも引きずって行こうとした。
「そこに隠れとるんは解ってるんや。
逃がさへんで!!」
紅袴を着た人間が、懐から何か札を取り出して地面に叩きつけた。
「不動縛呪!」
叩きつけられた札から、女の声を合図に光が地面をクモの巣のような模様を描いて走った。
一瞬で僕たちの足元まで到達した光は、そのまま僕たちを地面に縫い付けた。
お父さんとお母さんは咄嗟に跳躍してかわしたけど、僕たちにはそんな芸当はできなかった。
でも、これで相手にも僕たちのことがばれているのが確定した。
そして、もう僕たちは逃げられない。
またしても人間の男が刀を振るう。
「斬空閃!」
さっきと同じ技だろうか?
剣の動きに乗せて衝撃波がこちらを切り裂こうと飛んでくる。
あれは気というやつだろうか、今回はそれがはっきりと見えた。
その飛ぶ剣圧が僕たちを襲う瞬間、お母さんが間に割って入って守ってくれた。
どうやったのかは知らないけど、剣圧を口で噛みついて受け止めたらしい。
「なっ!?」
相手も驚いている。
お母さんは口にくわえた相手の気の刃をかみ砕いた。
その刃は僕たちのところまで届くことはなかった。
だけど、その代償としてお母さんの足までも地面に縫い付けられてしまう。
先ほどは回避できたのに、お母さんは僕らを守るために光のクモの巣にとらわれてしまった。
相手が驚いている隙にお父さんが跳躍して術者に襲いかかる。
だけど、相手の方がすこし早かった。
「舐めんなや!!」
「ガハッ!?」
女が別の札を取り出して雷を召喚し、お父さんに喰らわせたのだ。
いつものお父さんのスピードならあんな攻撃簡単に避けてみせるはずだ。
それどころか相手に攻撃動作をさせる暇すら作らせないだろう。
だけど今のお父さんは足を一本失ってしまっていて、いつもの機動力を発揮できなかった。
雷に貫かれ、全身から煙をあげるお父さん。
そのまま地面にどうっと音を立てて倒れ込んだ。
お母さんが悔しそうに唸るけど、足は地面から離れない。
お父さんからは焦げ臭い匂いがしてきた。
ぴくぴくと痙攣してるけど、もう助からないのが僕にでもわかる。
あんなに強かったお父さんがやられた。
それが僕には信じられなかった。
「グルルルル……」
精一杯相手を睨みつけて威嚇する。
でも僕のそんな威嚇も、人間たちにとっては脅威にあたいしなかったようだ。
「くそっ、この札高かったのに……」
「もうええわ、はよ終わらそう」
動けずにもがくお母さんに男が近づいてくる。
その顔は歪んだ笑みを浮かべていて、僕には気味悪く映った。
「死ねや!!」
その刀が無慈悲に振るわれた。
お母さんの首が鮮血を散らして飛ぶ。
僕たちが、いいつけを守らずについてきてしまったばかりに。
やはり嫌な予感はことごとく的中し、足を引っ張るだけに終わってしまった。
だけど、母は強しという言葉通り……僕たちのお母さんは強かった。
「グルォッ!!」
「ぎっ!?」
首を切り飛ばされてなお、お母さんはそのまま相手の首にかみついた。
明らかに油断していた男は、気の刃をさきほど粉砕してみせたお母さんの顎に噛み砕かれた。
今まで以上に周囲に血の臭いが充満する。
お母さんの首は、噛みちぎった男の首と一緒に地面へと落ちた。
同様に、頭部が無くなったお母さんの体と男の体は、血をまき散らしながら地に伏せる。
「は?」
人間の仲間で、最後に生き残った女は先ほど異常に呆然としていた。
お父さんもお母さんも、僕の兄弟もこいつらに殺された。
食べていくための狩りに負けたのであれば、僕も仕方がないと思う。
でもこの人間たちはたぶん違う。
たぶんじゃない……絶対違うと言い切れる。
だからこのまま引き下がるとも思えない。
今は僕の後ろにいる最後の家族を守らなきゃいけない。
「ウッ、ゥウウウ……」
足は相手の術で動かないけど、頭を低くして歯をむき出しにして威嚇する。
せめて、せめて僕の後ろで震える兄弟だけでも守りたかった。
「嘘や、こんな……こんな犬っころに……」
信じられないという顔でこちらを見る女。
彼女にとって、自分たちが被害を被るのはもともと想定外だったのかもしれない。
それがすでに仲間が二人死に、残るは自分ただ一人。
「許さへん、許さへんであんたら!」
女がこちらを睨む。
先に問答無用で襲いかかってきたのはそちらだというのに、逆恨みの光がぎらつく目をしていた。
女がこちらに近づく。
正直怖い。
僕なんかがかなうわけない。
でも兄弟は守らなければいけない。
女が懐から別の札を出した。
「楽には殺さん。じわじわと燃やしたる」
彼女が札を翻すと、そこから炎の塊が現れた。
炎の塊は、まっすぐに僕らのほうへと飛んでくる。
「ギャインッ!?」
「キャン!?」
炎の塊は僕にぶつかると、周囲をぐるぐると回り出した。
周囲の草を燃やしながら時折こちらにぶつかってくる。
痛いし熱い。
毛が火でくすぶられて焦げ臭いにおいが鼻をつく。
塊がぶつけられるとその衝撃で体が飛びそうになる。
だけど相手の術のせいで足はその場に縫い付けられているためにそれもままならない。
せめてこの足の呪縛さえ解ければ!!
炎の塊が僕と、僕の家族をいたぶる度に心の中がざわつく。
僕の中の何かが作りかえられていく。
「グルッ、グルアアア!!」
毛が逆立ち、血液が逆流するかのような感覚が全身を駆け巡る。
「あっはっは!
そない必死になっても無駄や、あんた程度じゃこの不動縛呪は解けへんよ」
僕らをいたぶる女術師は、僕の抵抗を心底楽しそうに笑う。
そのこちらを見下す女の喉元は、本来なら一足跳びに届く距離。
でも、それが届かない。
悔しい! 悔しい! 悔しい!
僕には飛び道具になるような物もないし、あってもそもそも使えない。
それにさっきの男が使っていたような技も知らない。
このままじゃあ、僕も後ろのこいつも殺される。
そんなの駄目だ!
守るって決めたんだ!
「グゥゥゥ……」
「……なんや?……毛が黒く……!?」
全身の血が沸騰するような感覚に侵される。
でも、それでいい。
僕の中の本能が、これでいいと告げていた。
―――― パキンッ ―――――
僕の耳は、確かに何かが壊れるような金属音に似た音を捕えた。
口の中に全身で暴れまわる気が集約される。
「ウオオオン!!」
その溜まった気の力を、全て咆哮に乗せて吐きだした。
白く煌めく光線となって放射される力。
その力は僕の異変に警戒していた女術師の上半身を消し飛ばした。
腰から上が消滅してくずおれる女。
僕はそれを見届けると静かに意識を手放した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
急にテンプレものが書きたくなりました。
ほぼ衝動でなぐり書きです。
主人公転生→犬(狼)です。
狼といっても、大口真神と呼ばれる神様の一族という設定。
真神とは本来は日本狼が神格化したもので、実際にあるものです。
大口は枕詞ですね。
基本的に大和国(今の奈良県)にある狼を神格化した信仰みたいです。
今は狼も淘汰されてほとんどその信仰も残っていませんが……
京都府の舞鶴にある大川神社でも祀ってるので、ちょうどいいかなぁと軽い気持ちでネタにしました。
最初のご都合主義は口から破壊光線でした。