「――何だい?」
エレベーターから先に降り、振り返った彼女の右眼には、包帯。
「私に話って」
対するのは少年。普段と同じ黒のアーマーを身に付けている。だが、そのあどけない顔に、いつものような明るさはない。
風が吹き、メットに覆われていない少女の銀髪が揺れ、マフラーがたなびく。白い鎧が太陽の光を反射して輝いている。
「――あのね、」
間を置いて、アクセルは切り出す。
「……ずっと前、レッドとじいさんが話してるのを立ち聞きしたんだ」
言葉を選ぶように、ゆっくりと紡いでいく。
「………………ボクの、きょうだいの話」
大きく揺れたマフラーが、屋上の柵を叩いた。
「………きょうだい?…キミの?」
「……うん」
明るい髪が、風に遊ばれる。
「ボクのきょうだい。一人いるんだって。レッドは“そのひと”に逢って、ボクに自分のことは言わないで欲しいって頼まれたんだって」
常葉色の瞳が青空を仰ぐ。
「……結局ボクは、きょうだいのことを聞けなくて………でも、最期のあの時……レッドは教えてくれた」
忘れはしない、あの言葉。
「―――ねぇ、あんた」
真っ直ぐに向けられる幼気な眼。その瞳は、真剣そのもの。
「――――ボクの、お姉ちゃんなの?」
時は遡る。
“……アクセルの姉……確かにそう言ったのかの?”
“ああ、確かだ”
帰還したレッドは、直行で解析室を訪れていた。
“しかし、その娘が言っただけじゃろう?真実かどうかは…”
“本当だ”
“…何故そう言い切れるんじゃ?”
即答した彼に驚きはしなかったが、疑問を投げかける。
“あの小娘、アクセルの能力を熟知してやがった。大体、無理矢理連れていく気ならわざわざ俺に逢いに来たりしねぇだろ。姉弟ってのが嘘なら尚更な”
“じゃが……”
“俺は、”
切れ者の老人の言葉を遮る。
“あの小娘を信じてみたい”
迷いの無い、隻眼。
アリクイックは小さく息をついた。
“……まだ話してはやらんのか?”
誰に、とは言わない。判りきっている。
“何言ってやがる。今話しても、混乱させるだけだ。それに『言うな』って口止めされてるしな。教えたくねぇ理由ももっともだ。話さねぇ方がいい”
“…そうか…そうじゃな……”
“…他の連中にも黙っといてくれ”
“アクセルに話さんのなら、それがいいじゃろうな…。
その娘、名は?”
黒き銃士の姉と自称する、少女の名前。
“アノマリー・クリアーナ”
「…“クリアーナはお前の姉だ”って。レッドはそう言ったんだ。……最期の時、直接聞かされるまではっきりしなかったから訊かなかったけど……」
白き闘士を見つめたまま、少年は口を閉ざした。
後は彼女の返事のみ。
賢いクリアならば、この後に及んでしらを切るという選択肢は無いだろう。
彼女は、何も言わない。
全くの無表情で、彼の視線を逸らすことなく受け止めている。
どれほど経ったか。前触れなく、彼女はふっと息をつき瞳を伏せた。
思わず疑問符を浮かべるアクセルだが、すぐに淡い碧が現れる。
しかし、今度は彼と目を合わせてはいない。
「………………………………レッドは………………………口が固いと思っていたけどね…………」
独り言のような、淡々とした声。
アクセルは眼を見開く。
「…じゃあ……!」
「ああ、そうだよ。私とお前は姉弟だ」
さらりと、一言。
彼は彼女を、きっ、と睨みつけた。
「……何で……」
声が、大きくなる。
「何で教えてくれなかったんだよっ!!」
目の前に弟が居るというのに、それを伝えなかった事実。
以前立ち聞きした会話から、クリアが姉であることは予想していた。しかし彼女が何も言わないので、アクセル自身どう切り出せばいいのか判らず、今の今まで引き延ばしになってしまった。
朱色のレプリロイドの口から、聞かされるまで。
「お前は知らないと思っていたの」
少女は、あくまで冷静だった。
「“言わないで”って頼んでたんだから、知らされていないと思うよ。証拠なんて無いのに、いきなり“私はお前の姉だ”って言ったって信じないでしょう?」
「っ…!」
正論だ。
「じゃ…じゃあ何でそんなこと頼んだんだよ!?ボクがレッドアラートに居たからって、教えてくれてもよかったじゃないか!!」
叫ぶ少年に対し、クリアは俯き眼を閉じた。
「……………………幸せに………見えたから…………」
「……………え?」
「………………」
視線を合わせないまま、彼に背を向け空を見上げる。
「………行方不明になったお前を捜し……やっとのことでレッドアラートに居ることを掴んだ……。……記憶を失くしていると知り………どうすべきか迷った……」
振り返り、真っ直ぐに“弟”を見据える。
「“仲間”と共に居るお前が、幸せそうだったから」
情報を掴んだ時こそ、引き取るつもりだった。姉弟なのだから、それが当然だと。
しかし、“弟”を見つけ、“仲間達”と笑い合う姿を目にし、迷いが生まれた。
“弟”は、“姉”のことを覚えていない。
「………淋しくなかったと言えば、嘘になる。…けど、私にとってお前は、大切な弟だから」
記憶に無い、“姉”よりも。
“仲間”と居る方がいい。
「…………共に居られないのなら、知らないままでいい。余計なことは知らずにおいた方がいい」
“姉”は、存在しない。
それが、彼女の選択。出した答え。
「………まぁ、立ち聞きしちゃってたなら、意味無かっただろうけど」
自嘲気味にはは、と笑う。
アクセルは―――
「…………………………………ボクの……………………ため………………………?」
「そう言っているでしょう?」
茫然と紡がれた言葉に、クリアは闇夜を照らす満月のような笑みで返す。
少年は、一歩、寄った。
「……………クリア、お姉ちゃん………」
「……………いいの?こんな私が、キミの姉で」
彼女の笑みが、哀しげなものに変化する。
「………お姉ちゃん」
「……………また、そう呼んでくれるの…………?」
「お姉ちゃんっ!!」
答えの、代わりに。
飛びついた。
突然のことに背中が柵にぶつかり、痛みが走ったが何とか堪える。
驚きで何も言えない彼女の首に腕を回したまま、アクセルは呟く。
「………ボクは、アノマリー・クリアーナと、姉弟でいたい」
空色の瞳が見開かれ。
そっと、言葉を紡ぐ。
「………ありがとう…………姉弟」
そのまま弟を、両腕で優しく包み込んだ。
どれくらいそうしていただろうか。どちらからともなく離れ、笑い合う。
「…エックス達にはどうする?」
「そうだね…お前が私を姉と呼ぶなら、教えておいた方がいいだろうけど……どう切り出すか……」
「そっか!じゃあボクが言うよ!」
「………え!?」
弟の言葉に、クリアは驚き声を上げる。
「ア、 アクセ」
「今言って来るよ!“善は急げ”だもんね!」
何時だったか、彼女が言ったセリフだ。
それは確かにそうなのだろうが。
(こーゆ―ことって……姉の私が説明すべきじゃないの……?)
しかし、そんな彼女の思考を知るわけもなく、アクセルは駆け出していた。
「ちょっ…アクセっ…」
一瞬考えに耽っていたため反応が遅れる。
「おま……」
「あれ?
どしたのゼロ」
「…………………………………え」
扉のすぐ内側、開かないギリギリの所に立っていた彼。
いきなり飛び出したアクセルに隠れることもできず、ゆっくりと姿を現す。
「…………はぁ!?キミっ……何、何で!?何時から!?」
「……………最初から、だな」
恐らく、戦闘型たる優れた聴覚を更に研ぎ澄ませ、全て聞いていたのだろう。
そのことが判るからこその驚き。
「……すまない」
「いやすまないじゃなくてね……?」
「…そっか、ゼロもあの時、レッドの言葉聞こえてたんだね」
“あの時”というのは、彼の最期。
「ああ…気になってな…………前々から何かあるとは思っていたんだが……」
再度“すまない”と謝る青年に、クリアは思わず頭を押さえた。
「…………何なのさもう…………」
「……盗み聞きした詫びと言っては何だが……みんなには俺から話そうか?」
「………そうしてもらえるかな」
「え?いいの?えっと……お姉ちゃん」
「………まぁ、いいさ」
随分と雰囲気の変わった彼女を見て、アクセルは首を傾げ、ゼロは眼を細めた。
「行くぞアクセル」
「ボクも?」
「お前達のことだろう」
「でもそれなら……えっと、お姉ちゃん、も…」
「いいから来い」
半ば強引に彼を連れ、赤き闘神はその場から去る。
二人を見送った後、少女は息を吐いた。
「…………………ありがとね、ゼロ」
彼が気付いていたかどうかは判らないが、今、クリアは一人になりたかった。
弟に、仲間たちに隠し続けてきたことが、一つ、知られてしまった。
そのことに対する罪悪感と安心感、そして疲労。
――……………今回のことなら
むしろ、知られて良かったのかもしれない。
――…………………でも…………………
アクセルのことで、まだ言っていないこともある。
まだ隠している秘密は。
まだ抱えている謎 は。
ふっと青空を仰げば、純白の雲がゆったりと流れていて。
彼女はくすりと笑みを零し、マフラーに軽く触れた。
「―――………………いいよね」
茨の道でも、構わない。
――――これは、私の道だから。
To be continued.....