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科学の進歩と人間シリーズ(4)




 

(時々刻々と汚染状態が変わっているのに、のんびりしたブログを出している感じですが、東京の汚染などは、1)福島を除染し、2)福島の一部を管理区域として物の出入りを制限し、3)汚染を拡げない、ということをしないと汚染はひろがります。それは福島の人の希望でも無いと思います。私は終始、福島の人や「東北」の人が日本中を汚染するのは気が進まないと思っていると信じていますが、政府の宣伝にのせられて主に自治体や教育関係者がまだ錯覚の中にいるようです。)

 

 ところで先回、科学の作品をショーウィンドウに飾るという話をしましたが、このようなことは医療の倫理でも成り立ちます。

 

 科学者と同じように医師も専門的な知識を駆使して社会に貢献するのですが、その時の治療法はあくまでも患者さんや社会が希望していることに沿わなければなりません。患者さんの人生観が診察した医者と違うという理由で、医者が患者さんを怒鳴っているところに出くわしたのは一度ではないのですが、医者は治すことに全力を注いだ方が良いというのが私の考えです。

 

 たとえばタバコのことで私はいろいろな問題を投げかけているのですが、タバコを吸うと肺がんになりやすいから吸ってはいけないと医師が言うことができるかというのは非常に難しい問題を含んでいます。

 

 医師の仕事が病人を直すだけではなく、患者の健康を守るというならタバコを注意する必要があります。現代の多くのお医者さんはそう思っておられます。でも、人の一生の幸福というのは「健康で長生き」だけではありません。場合によっては健康を害しても自らの目標に向かって身を削る人もいますし、細く長く生きるより太く短く生きる方が良いと考える人もおられます。

 

 このようなことを「法律」で決めることはできないので、適切な情報やアドバイスが必要な時もありますが、その人に強制するようなことでもありません。人は自分の生活、幸福、健康、命などを自由に自分で決めることができると考えるべきだと私は思っています。

 

 そうすると強い反論があります。それは「タバコを吸うと病気になり、治療にお金がかかる。医療費を国民が分担しているのだから、病気になる行為をするのは反社会的で自由ではない」という考えです。このような考えも私は「ありうる」という感じです。誰もが国民ですから、一致して医療費の削減に努力しなければならないし、まして本人の健康になるのだから当然でもありますが、どうも引っかかるところがあるのです。

 

 人の健康、人の命と「経済学」を一緒にするとろくなことはないからです。私はこんなとき、1970年代に起きたフォードピント事件を例にとります。

 

 第二次世界大戦後のアメリカは強大な国になり、その力を背景に豊かな生活を享受しました。その一つとしてアメリカの巨大な車、ラグジャリーな自家用車がその象徴的な存在でした。ところが1960年代になって徐々に日本が作る小さなコンパクトカーが優性になってきたので、フォードもそれに負けじと小型車の分野に参入し、その第1号がピントという車でした。なにしろ、それまで小型車なるものを設計していなかったので、狭いところに部品を詰め込むという経験が無く、後ろのトランクに置いたガソリンタンクの設計が悪く、

 

追突されると火災を起こし、数人が焼け死にました。

 

 フォードの社内で緊急会議がもたれ、ピントをリコールして修理するか、このまま放置するかが議論された結果、リコールするとお金がかかり、このまま放置して数10人の死者がでて補償金を払ってもその方が安いということになり、放置することになりました。

 

 私には悪魔の決定と思います。人の死とお金を比較するとこんな奇妙な結果になると言うことです。これは実例ですが、現実には次々と死者がでてフォードは社会的に非難されて、結局リコールしたということになりました。

 

 この例を頭に入れて「タバコ」を考えてみましょう。この場合はタバコを止めることによって本人の健康も良くなるのですから、フォードピント事件とは違うような気もします。でも、本人がタバコを吸いたいという強い希望がある場合、果たして医療費を抑えるということで本人の行動を制限するだけの合理性があるかということです。

 

 そこで「タバコと肺がんの関係」、「タバコと寿命の関係」などを調べてみますと、必ずしもハッキリしているとは言えないのです.タバコを吸うと血管系の病気などが起こることは臨床的にもまちがいないのですが、どうも「タバコ忌避」の中にはタバコと医療費の問題ばかりではなく、「タバコはイヤだ」という感情問題も多いような気がします。

 

 もう一つの問題は、医療費を削減したいので、メタボ対策、禁煙などをしてもよいかということです。医療費が増大した主たる理由は、第一に長寿になったこと、第二に現代医療が進歩してきて大型の診断機械などを使うようになったということです.前者は大変結構なことで「医療費を削減しなければならないから、長生きするのが悪い」というのはかなり無理な論理です。また「高額医療をすると病気を治すことができるが、医療費がかかるから控える」というのも無制限にOKという訳にはいきません。あまり高額な医療は「保険からはずしてご本人の医療費でやる」というのは正しいと思いますが、全面禁止というのもどうかと考えます。

 

 つまり、医療費の削減という経済問題と、国民の健康を絡ませるとろくなことはないという感じです。

 

「takeda_20111008no.237-(4:20).mp3」をダウンロード

 

(平成23108日)

 


武田邦彦



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