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楽天・山崎 今季限りで退団 最大の功労者、涙の会見

退団の記者会見で涙ぐむ東北楽天・山崎

 東北楽天の山崎武司内野手(42)が今季限りでの退団を決め、9日、Kスタ宮城で記者会見した。7年間過ごした球団と、温かい声援を送ってくれた東北のファンに何度も感謝しながら、「(野球をやりたいという)自分の気持ちにうそをつけなかった」と新天地での現役続行を選んだ。
 2年ぶりのクライマックスシリーズ(CS)進出が絶望的となり、チームは若手を積極起用。不調の山崎は9月29日の西武戦を最後に、出場機会を失っていた。その後、球団と去就についての話し合いがあり、最終的には8日夜、退団を決意した。球団からは2005年の創設時からの最大の功労者として、コーチでチームに残るよう求められたが、家族とも相談し、現役にこだわり、自ら自由契約を申し出た。
 2年契約の最終年となる今季は、開幕から4番を務めたが、6月に右手薬指の骨折で2軍落ち。7月に1軍復帰したが、本来の調子を取り戻せなかった。本塁打11本、48打点はチームトップながら「20本塁打、90打点」をノルマとした球団の期待に応えられなかった。その中で「3年後、5年後の構想を見据えた」(米田純球団代表)という考えが、星野仙一監督ら現場の意向と一致。球団が、来季の戦力構想から外すという苦渋の決断を下した。
 山崎は球団に対し、「イーグルスで終わるという気持ちでやっていた。最大の功労者とねぎらいの言葉もいただいた」と感謝する一方で、一番の気掛かりに「ファン」を挙げた。「3月11日の東日本大震災があり、CS出場の約束をしたのに…。こんな責任の取り方しかできなかった」。7年間に及ぶ温かい声援に対しては「いい夢を見させてもらった。ありがとうと言いたい。僕の野球人生の中で、間違いなく仙台に来て良かった」と、涙で言葉を詰まらせた。
 Kスタ宮城での10日のロッテ戦で、最後のプレーを見せる。「いい形で締めくくりたい。またユニホームを着て、仙台のファンの前に参上するのが夢かな」と話した。(中村紳哉)


◎山崎・一問一答/引退したら自分にうそつく/仙台に来て良かった

 山崎の退団会見の一問一答は次の通り。いつもと変わらぬ「武司節」の一方、涙をこらえきれない場面もあった。

 ―今の気持ちは?
 「球団からは最大の功労者という、ねぎらいの言葉をもらった。イーグルスに来たとき『野球がしたい』という気持ちだった。今も現役を続けたいという気持ちがある中で引退したら、その時の自分にうそをつくことになると思った」

 ―いつ退団を決意したのか。
 「ここ1週間で球団から最終的な考えを聞いて決断した。楽天に残って、若いやつを指導してくれないかという話をもらい、うれしかった。でも、自分でやるべきことが、まだあると思った」

 ―東北楽天での7年間の思い出は。
 「中日、オリックスと渡り歩き、悔しい思いで『野球なんか二度とやるか』と思っていたところ、イーグルスができて拾ってもらった。野球ができる喜びを感じた7年間だった。小学生で野球をやったころの気持ちになれた。1年目は1勝の難しさを感じたが、5年目にCSに出ることができて、日本シリーズにも行けそうな雰囲気になった」
 「仙台はすごくいい街。初めは東北まで来て、どうやって野球をやろうと思った。でも、仲間もいっぱいできたし、正直、まだまだこのユニホームでやりたかった。残念です」

 ―今後について。
 「12球団の全日程が終了してからの話になる。海外? 若ければね。年も年だし、アメリカは断念します(笑)」

 ―東北のファンにメッセージを。
 「いい夢を見させてもらった。みんなにありがとうと言いたい。ことしは3月11日に東日本大震災があり、底力を出してCS出場を約束した中で、期待を裏切った罪は重い。こんな形でしかおわびができない。ただ、僕の野球人生の中では、間違いなく仙台に来て良かったと思う」


2011年10月10日月曜日


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