番外編
第一話 背水の告白 ~シンジ、ドイツへ飛ぶ~
僕は碇シンジ。
エヴァンゲリオン初号機のパイロットだったけど、今は何の取り柄も無い普通の中学生だ。
だけど僕は使徒との戦いを経験して、以前と変わった事がある。
それは温かい家族を得た事だ。
伯父さん達と暮らしていた頃は、家族のようで、実際には他人より冷たい関係だった。
必要最低限な会話以外交わさない、食事も一人でパンやコンビニの弁当を黙々と食べるような毎日。
でも今は父さん、ミサトさん、レイと顔を合わせてその日にあった出来事を話しながら夕食を食べる。
食事は家族全員揃って食べると言うのが今まで寂しい思いをして来た僕達の家族のルールなんだ。
ミサトさんは料理や家事が壊滅的にダメだから僕が代わりにやっているけど、それでも僕は幸せを感じていた。
満ち足りた日々を送っているはずなのに、何かが足りない。
いや、何が足りないのかは分かっている。
けれどアスカはドイツに居るお祖母さんの所へ戻ったんだ。
家族は側に居た方が良いって事は僕も分かっている。
だから僕はドイツに帰るアスカを引き止める事はしなかった。
レイや洞木さんはアスカと連絡を取って話しているみたいだけど、僕は出来る限りアスカと話さないようにした。
アスカに会いたい気持ちが強まってしまうから。
このままアスカの顔や声、記憶が薄まってしまえば僕もアスカの事を自然と忘れて行く事ができると思う。
でも、アスカの事を忘れようとすればするほど、アスカとの思い出が強く思い出されてしまう。
僕はアスカが嫌いになったわけじゃない。
だけど、毎日顔を合わせていた今までとは違って距離が遠のいてしまって、きっとこのまま心も離れてしまう。
でも、やっぱりアスカが僕以外の誰かと付き合ってしまうのは想像するだけで胸が痛くなる。
僕がアスカの事で悩んでいるのはミサトさん達にはお見通しだったみたいだ。
はっきりと気持ちを伝えた方が良いって言われたけど、アスカにきっぱりと拒絶されたら僕は立ち直れないかもしれない。
アスカを忘れようと自分に言い聞かせている僕とは矛盾しているじゃないかと自問自答して苦笑した。
それにもしアスカが受け入れてくれても遠距離恋愛は上手くいかない事が多いなどと僕には消極的な考えしか浮かばなかった。
でも、僕が臆病者だと業を煮やしたミサトさんは『カンシン作戦』と言う作戦を立てて僕を追いつめたんだ。
カンシンと言うのは、大昔の中国の大将の名前で、現在でも死語にならずに残っている『背水の陣』の語源ともなっている人物だ。
自軍は少数、敵は大軍だと知ったカンシンは、川を背に布陣して自軍の逃げ場を無くして死に物狂いで戦わせようとしたんだそうだ。
おおげさかもしれないけど、僕も同じような状況に立たされている。
ミサトさんによって僕はドイツに行かされて、父さんにはアスカに告白しなければ家に帰って来るなとまで言われた。
けれどこれはいつまでもウジウジと悩んでしまって実行に移せない情けない自分を変えるチャンスだと思う。
そして僕を乗せた飛行機はドイツに到着して僕は空港へと降り立った。
空港ではアスカが迎えに来てくれる事になっている。
僕はミサトさんに指定された場所に向かったけどアスカの姿は見つからなかった。
言葉も通じない異国の地で僕はどうすればいいのか不安になる。
「シンジ、どうしてこんな所に居るのよ!?」
僕の前に息を切らせたアスカが姿を現した。
よかった、アスカが来てくれて。
安心したのも束の間、僕はアスカにドイツまで会いに来た理由を話さなければならなくなった。
ここで言い訳をして逃げたら、僕は一生後悔し続ける。
「僕はアスカが好きだから来たんだ!」
僕が思い切り叫ぶと、アスカは顔を真っ赤にして叫び返す。
「あ、会うなりなんて事を言っちゃってくれちゃってるのよ、こ、このバカシンジ!」
人差し指を僕に突き付けたアスカは、激しく動揺して舌も上手く回らないようだった。
久しぶりに表情がコロコロと変わるアスカの顔を見れた僕は嬉しさが湧きあがって来る。
たった一ヶ月会えなかっただけなのに。
久しぶりにバカシンジと呼ばれるのも心地良さを感じる。
「と、とにかく立ち話もなんだから、ホテルへ案内するわよ」
「うん」
返事をした僕はアスカに手を繋がれた。
そういえばアスカと一緒に買い物とかしてカップルだと冷やかされた事はあったけど、手を繋いだ事は無かった。
「それで、アンタが泊まる予定のホテルの名前は?」
「えっ、そんなのミサトさんから聞いてないよ」
「ウソっ!?」
アスカは僕の言葉を聞くと驚いた。
そして、舌打ちをすると携帯電話を取り出して電話を掛ける。
「ミサト、アンタ何を考えているのよ! 『獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす』って言うことわざがあるのは知ってるけどさ、いくらなんでもやりすぎじゃない?」
違うよアスカ、これは『背水の陣』なんだよ。
だけど心の中でアスカにツッコミを入れている場合じゃない。
日本を出発する前、僕がドイツで泊まる場所はアスカに任せてあるとミサトさんから聞いていた。
ミサトさんからの電話を切ると、アスカは僕の手を引いてまた歩き出した。
僕は不安になってアスカに尋ねる。
「えっと、僕はどこに泊まる事になったの?」
「……私の家よ、仕方無いじゃない。まったくミサトったら家族だからって問題無いとか言ってくれちゃって」
「それじゃあ、これから僕はアスカと同居するって事……?」
アスカのお祖母さんは入院しているって聞いているから、まさか2人きり……?
案内されたアスカの家は、日本だったら家族で住めそうな大きな家だった。
「こんな大きな家にアスカだけで住んでいるの?」
「仕方無いじゃない、パパもママもグランマも居ないんだから」
僕が尋ねるとアスカは悲しそうな顔になって声を震わせた。
しまった、今のはマズイ質問だったみたいだ。
「ごめん、アスカに辛い事を思い出させて」
「別に謝らなくても良いわ、アタシが勝手に落ち込んだだけだから」
僕はアスカのお父さんの使っていた部屋を使わせてもらう事になり、部屋に入った。
長い間使われていないはずなのに、ほこりまみれになっていない事に驚いた。
きっと今でもアスカが部屋を掃除しているのだろう。
アスカの家に着くなり暗いムードにさせてしまった僕はどうやってアスカに顔を合わせればいいのか悩んだ。
部屋で悩んでいた僕に美味しそうな匂いが届く。
もしかして、アスカが料理をしてるの?
僕が部屋から出ると、アスカが台所でゴソゴソやっている。
ゆでたジャガイモと玉ねぎ、卵やベーコンなどを使った料理を作っているみたいだった。
「アスカ、僕も手伝うよ」
「良いわよ、アンタは慣れない旅で疲れているんでしょう?」
「だけど僕はアスカの家族なんだから、仕事を分担するのは当然だよ」
僕がそう言うと、アスカは目に涙を浮かべた。
またアスカを傷つける事をしてしまったのかと僕は焦ったけど、アスカは首を横に振って謝ろうとする僕を止める。
「嬉しいのよ、シンジにまた家族だって言ってもらえて」
僕は料理を中断して泣いているアスカを抱き締める。
でも、すぐにフライパンから焦げ臭いにおいがして僕は慌てて火を止めた。
「……少し焦げちゃったね」
「だけどこうして誰かと顔を合わせて食べるのは、一人で食べる味気ない食事より美味しいわ」
僕とアスカはお互いの事を話しながらゆっくりと食事をする。
アスカが作ろうとしていた料理はアスカのお祖母さんに教わったものだった。
「シンジに喜んでもらおうと、あり合わせで作ろうとしたんだけど、何年も作っていないから失敗しちゃった」
「それじゃあアスカはドイツに帰って来てから料理はしていないの?」
「うん、どうせ自分一人だったから外食やレトルトで済ませちゃったわ。せっかくシンジに教わったのにね」
アスカは寂しそう顔でつぶやいた。
どうして僕は話題を振るのが下手なんだろう、アスカがさっきからため息ばかりついているじゃないか。
「そうだ、ミサトさんが冬休みの間はドイツに居て良いって言ってくれたんだ。だから、アスカにドイツの街を案内して欲しいんだけど」
僕がアスカにそう言うと、アスカは嬉しそうな笑顔になってドイツの観光スポットの話を始める。
よかった、アスカが明るくなって。
僕も楽しそうにアスカの話に耳を傾けた。
「シンジ、今日はありがと」
「そんな、僕は大したことはしてないよ。急に来ちゃってアスカに迷惑を掛けちゃったかもしれないし」
「ううん、愚痴を聞いてもらえてスッキリしたわ。愚痴って、家族にしか言えないようなものじゃない」
「そうだね」
寝る前にアスカにお礼を言われた僕は、良い気分で眠りに就いた。
次の日の朝、僕はアスカに起こされた。
僕が誰かに起こされるなんて、初めてだった。
それだけ僕は疲れていたのか。
でも、アスカに起こされるのも悪い気はしない。
いつも朝早く起きて碇家の家事をしている習慣が身についているんだけど、僕はアスカのおかげでゆっくりとした朝の時間を過ごせた。
「ほら、ダラダラしていないで早く着替えなさい、グランマの所に行くんだから」
「うん」
アスカが台所に立ってパンにバターを塗ったりコーヒーをいれている姿に見とれていたら、怒られてしまった。
僕とアスカはドイツの街を廻る前に入院しているアスカのお祖母さんの所へ行く事になった。
アスカのお祖母さんは驚いた事に日本人だった。
だからアスカのお父さんは日本人とドイツ人のハーフで、アスカのお母さんは日本人だからアスカは3分の4も日本人の血が流れている事になる。
そして、家での会話もほとんど日本語だったから、アスカは日本語の発音が上手いのかと納得した。
アスカは僕の事を日本の大切な友達と紹介したけど、僕もそれで十分嬉しかった。
そしてアスカは僕を紹介しながら日本で僕とどんな事があったのか、思い出話を楽しそうにお祖母さんに話した。
「あっ、もうこんな時間が経っちゃった」
話に夢中になっていたアスカは時計を見てそうつぶやいた。
僕とアスカはアスカのお祖母さんにあいさつをして病室から出ようとすると、僕だけに話があるとアスカのお祖母さんに呼び止められた。
アスカのお祖母さんは僕がドイツに来てくれて本当に助かったとお礼を言った。
ドイツに帰ってからアスカは、学校にも通わずにお祖母さんのお見舞いに来ているのだと言う。
そうか、だからいきなり明日ドイツの街を案内して欲しいと行っても大丈夫だったのか。
てっきり僕はドイツの学校も冬休みなのかと思っていた。
僕は日本でアスカの友達は居るのかなども聞かれた。
どうやらアスカはお祖母さんに洞木さんやレイの事を話していないようだった。
そして、僕がアスカの事をどう思っているのかとも尋ねられた。
僕はアスカが側に居てくれると楽しい、でもアスカがお祖母さんと言う家族と一緒に居られる事も大切だと話した。
アスカのお祖母さんは僕みたいな思いやりのある優しい子ならアスカを任せられると言ってくれたけど、僕は照れ臭くてたまらなかった。
後でアスカにお祖母さんと何を話したか聞かれたけど、適当にごまかした。
アスカが日本での事を今までお祖母さんに話さなかったのは、きっとお祖母さんに対する気遣いだと思っているから。
それから僕とアスカはドイツの街を歩いて、市場で夕食用の食材を買って家に帰った。
今日の献立は昨日と同じものに挑戦する事にした。
野菜もたくさん加えて美味しいものにしようとしたんだけど、アスカの野菜の切り方は相変わらず豪快なものだった。
アスカは僕が器用に野菜を切る姿を見て、苦笑しながら僕に尋ねる。
「シンジはやっぱり碇家の家事をやっているの?」
「うん、ミサトさん達は家事は全然できないからね」
「じゃあ、シンジが居なくなって大変になっているんじゃない?」
「はは、だけど僕も小さい頃から家事をやってくれる人が居なかったから自然に出来るようになったんだ、きっと頑張ればできるようになるよ」
僕は『カンシン作戦』のお返しだとばかりに、ミサトさんや父さん達の心配はしなかった。
夕食を食べながら、僕とアスカは明日からドイツのどの場所に行くか計画を立てた。
行きたい場所を列挙して行くうちに、僕がドイツに滞在できる最後の日まで予定が埋まってしまった。
「どうして……シンジはこんな短い間しかドイツに居られないのよ……もっと一緒に行きたい場所がたくさんあるのに」
「僕もアスカともっと長く一緒に居たいよ……」
僕とアスカは抱き合って泣き始めてしまった。
アスカに会えて嬉しかった、でもこんな辛い思いをするなんて。
不意にアスカの携帯電話が鳴る。
ミサトさんからの着信だった。
アスカは涙をふいてミサトさんからの電話に出る。
「ええっ、それって本当!?」
ミサトさんと話している間に、アスカの顔はどんどん嬉しそうに変化していく。
いったい、どんな事をミサトさんと話しているんだろう。
アスカは満面の笑みでアスカのお祖母さんが日本のネルフ本部の病院に転院希望を出してそれが受理された事を僕に告げる。
アスカのお祖母さんが日本に来るって事は……もしかして。
「うん、アタシもまた日本に住む事が出来るのよ!」
「良かったねアスカ!」
さっきまでの暗かった雰囲気とは一転、リビングはダンスホールとなり僕とアスカは手を取り合って喜びのユニゾンダンスを踊ってしまった。
でもその間にミサトさんとの通話は繋がっていたみたいで、その事に気が付いた僕とアスカは恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
ミサトさんはアスカのお祖母さんの転院手続きにしばらくかかるので、冬休みの間ドイツにずっと居る事を勧められた。
せっかくだから新婚生活のテストをしてみたら? と冷やかされたから、アスカもミサトさんに尋ねる。
「ミサト達もシンジが居ないと大変じゃないの? 早く帰って来てなんて音をあげたりしないかしら」
アスカによると、ミサトさんは大丈夫だと自信を持って言い張ったらしい。
それならば僕はドイツでの幸せな生活を満喫しよう。
この時僕は知らなかったけど、碇家は僕が思ったより大変だったみたいだ。
レイはアスカに何度もSOSメールを出そうと悩んだとドイツから帰った時に聞かされて、僕とアスカは苦笑した。
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