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共に生きる・トブロサルダ:大阪コリアンの目/81 /大阪

 ◇南北情勢の議論、意義深く 在日1世と歩いた故郷・済州島

 先週、韓国・済州島に出かけ、韓国政府の統一政策に影響力を持つ民間のシンクタンク「平和問題研究所」のセミナーに参加した。6カ国協議の再開が模索されるなど、朝鮮半島情勢に変化が生まれ始めている中、南北の統一問題がメーンテーマだった。

 植民地支配からの解放直後の1948年、南北分断の序章となる激しい左派と右派の対立が半島を包んでいた。そのさなかの済州島で、多くの住民が犠牲になる忌まわしい「4・3事件」が起きた。その記憶が深く刻み込まれる済州島の地で、専門家らと南北情勢を議論できたことは意義深かった。

 平和問題研究所が主宰する国内外での政策討論の場に、在日の側から参加するため、昨年、日本で初めて大阪に支部が設立された。土地柄もあって役員には済州島出身者が多く、偶然にも研究所の玄敬大(ヒョンギョンデ)理事長も済州島出身だ。今回支部からセミナーに参加した7人のうち、私を除く6人が済州島生まれの在日1世たちだった。

 済州国際空港に到着し、郷里の空気に触れただけで、彼らの表情は柔らかくなり、空港で待っていた家族や旧友と再会すると、すぐに言葉が島の方言に変わっていった。4日間の滞在中、必然的に済州島の言葉が共通語になった。だが、長年の異国暮らしで体に溶け込んだ日本語、それも大阪弁がそこここに混ざり込む。それはそれで面白くて、今は亡き祖父母を思い出し、私の胸に無性に懐かしさがこみ上げてきた。

 今回私がお供した6人の在日1世たちは、戦前ではなく、戦後の混乱期に日本に渡ってきた。全員が「4・3事件」の死線を乗り越えた経験を持ち、その後の朝鮮戦争の混乱も重なって、貧困から逃げるようにして日本への「密航」を図った。

 しばらくは身元を隠して暮らしていたが、いつまでも不法滞在を続けるわけにもいかず、当局に出頭。長崎県の大村収容所(現大村入国管理センター)で1年以上過ごした後、在留資格を得た。

 そこから血のにじむ努力を重ね、今は、乳児用品の製造販売元として業界で名の知られた会社▽有名大型スーパーの商品陳列台を一手に引き受けている鉄工所▽大手に引けを取らないまでに成長した印刷会社--などを経営し、裸一貫、大阪の地で成功を遂げた大先輩たちだ。

 国と国のはざまで果敢に生きた在日。戦後すぐの混乱期に渡日した1世もまた高齢化が進む。今はもう会うことのできない懐かしい祖父母の代わりに、まだ元気な彼らと済州島を歩き、ときに饒舌(じょうぜつ)に語る古い日々の思い出を聞いた。またひとつ故郷に近づけたように思えた。<文と写真・金光敏>

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 ■人物略歴

 1971年、大阪市生野区生まれ。在日コリアン3世。大阪市立中学校の民族学級講師などを経て、現在、特定非営利活動法人・コリアNGOセンター事務局長。教育コーディネーターとして外国人児童生徒の支援などに携わる。

毎日新聞 2011年10月7日 地方版

 
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