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人は、誰もが生きているかぎり、様々な気を
受けて生きています。

それらの気を受けることにより、気持ちの変動・
身体の変動・流れの変動により、人間関係・
体調・物事の良し悪しに繋がります。

その気の中で霊気と言う気の波動があり、
それを霊的影響と言います。

私(流明)は、仏法の闇道の流れを汲み霊視と言う感性で、
人を見させて戴き霊視鑑定と言う名を付け
今の活動を行っております。

今月の一言

10月の一言
夜空に月の姿がさえわたることとなり、秋たけなわを実感いたします。 10月のことを神無月(かんなづき)という。

日本中の神さまが出雲に集まって何か相談されるので、村々には神さまがいなくなるので、 神無月というという。逆に出雲では神在月(かみありづき)という。

田を守ってきた神さまが、収穫を終えて帰って行くときの神送りの行事がもとにあるともいい、 また11月の新嘗祭など重要な収穫の祭のためにお籠りをしたので、10月は神を祭らなかったからともいう。

現代では10月の祭礼行事は多い。
家々には留守神(るすがみ)があって、カマド神や荒神(こうじん)、恵比須、大黒さまなどが留守を守るといわれた。

これらは普段から家の神や土地の神として、主として女性たちによってまつられ てきた神である。

鎌倉時代の『徒然草』によると、神々は出雲ではなく伊勢の神宮へ集まるという別の考えかたも紹介しているという。

出雲の大社は伊勢の神宮と並びうる国民の信仰だったということだろう。 雲さそふ空にしられて神無月 嵐のうへをゆく時雨かな  二条為定 雲が動き嵐や雨が降るという歌である。旧暦10月は立冬のころからをいうので、 嵐というのはあまりありえないかもしれないが、神送りには嵐がつきものだったという伝説がある そうです。

豆知識でした。
秋は、いろいろ事がチャレンジしやすい時期です。 読書にスポーツに実り多い秋をお過ごしくださいますよう。

「仏教」の教えってなあに?

「仏教なんて全然わかんな~い」っていう人も多いと思います。
また仏教というと、ご先祖やお墓、葬式に法事という暗いイメージを持つ人も多い
のではないでしょうか。


そこで、第1回目は「仏教」ということについて書いてみたいと思います。
「仏教」とは、「仏の教え」と書くように、この私が仏さまの教えをいただきながら、
仏さまと一緒に生きていく宗教ということです。


また、仏さまと一緒に生きていくということは、この私が仏に成っていくということで
もあります。

「仏さまの教え」ってなあに?(その1)

「仏さまの教え」って、何て言ったらいいんだろう。
非常に乱暴な言い方になりますが、一言でいえば「現実を現実のままに、素直
にちゃんと見ていこう」ということですかね…。


もう少し言うと「全てのものは移り変わって永遠にかわらないものはない。全ての
ものは関係し合い、支え合って、それだけで成り立っているものはない」ということ
を明らかに見るということです。


こんなことを言っても、「何のこっちゃ」という人も多いかもしれませんが、やっぱり
これは大切なことです。


だって私たちは、現実を離れては生きていけないのだから…。
今、ここを除いては存在できないのだから…。 (その2)へ続く…。

「仏さまの教え」ってなあに?(その2)

「全てのものが移り変わる」ということは、私の”いのち”がそうなんだということ。
だから過ぎ去る今をどう生きるかを問う。また、向上、進歩することも移り変わるこ
となんだと常に精一杯生きるということです。


「全てのものが、それだけでは成り立っていない」ということは、この私の”いのち”
が他の多くの”いのち”に支えられ、生かされているということ。


それは、他の多くの”いのち”と共に生きていくということ。だから、思いやりをもっ
て、優しさを分け合って、共に生きていくことです。


人を信じるとか、安心するということは、こんななかから生まれてくるのではないで
しょうか。