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help RSS ロマンスカーの真実

<<   作成日時 : 2010/12/22 00:27   >>

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 昭和の初めからなんだけど。


 http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20101209/zsp1012091230001-n1.htm

 ロマンスカーとは、二人掛けの座席配列が中心に構成される優等列車の愛称であり、それまでの四人が向かい合った形(ボックスシート)が基本とされた時代において、映画館のロマンスシート(真ん中に肘掛のない二人掛けのシート)同様に二人だけの世界の提供を目的に作られたものである。現在は商標登録を済ませた小田急が、特急列車の愛称として用いている。昭和初期には関西、関東で私鉄の開業が相次ぎ、東京、大阪周辺の国鉄線(現在のJR、当時は省線)も電化され、地下鉄銀座線も開通した昭和2年の金融恐慌の真っ最中に、小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)が新宿=小田原間の営業運転を始めた。この頃はまだ沿線の人口も少なく、電車の利用客も少なかったので経営にはかなり苦労したらしい。

 この鉄道特需を見た三菱電機も発電機や船舶用の電気機器から民生用の小型モーターや家電製品の開発に乗り出した。扇風機は問題があり、リコール騒ぎになったようであるが、電鉄用主モーター、とくに制御機器は電機の得意分野であり、小田急の新宿=小田原問の電気工事一式と電車の車体を一括受注している。昭和の大恐慌下に新宿=小田原間を一気に全線開通させた「小田急」はこの時代を象徴する話題になり、西条八十のヒット曲『東京行進曲』では、下記のように歌われている。

東京行進曲(昭和4年)
   作詞:西条八十
   作曲:中山晋平
   歌唱:佐藤千夜子    
  
 (四)
  シネマ見ましょか お茶飲みましょか
  いっそ小田急で 逃げましょか
  かわる新宿 あの武蔵野の
  月もデパートの 屋根に出る

 実は作詞した西條八十は盆踊りで一晩中「東京音頭」を聞かされたのではたまらんとばかりに小田急で箱根に避難したのだが、何と夜になったら、そこでも東京音頭を聞かされる羽目に。東京へ舞い戻ってきたという逸話が残っている。ところがこの歌詞に小田急から「我が社の電車が駆け落ち電車とは何事か」とクレームがついてしまい、小田急の重役は名誉毀損で訴えると息巻いた。ところが歌の大ヒットがかえって小田急を有名にしてしまい、大変なコマーシャルになったものだから、手の平を返すように当時走らせ始めた週末温泉特急に 「ロマンスカー」と名付けて、便乗したらしい。それが小田急ロマンスカーの始まりである。当の小田急は終戦後に西条八十に非礼をお詫びし、感謝状と金一封、終身招待乗車パスを贈呈している。

 小田急ロマンスカーのおもしろい点はまだある。お待ちかね(笑)の不倫カップルシートだが、昔はOL3人組の小旅行とか明らかな不倫カップルが複数乗り合わせて、その会話に耳を傾けることでさまざまな引き出しを作ることが出来た車両も、最近はオバさんの団体客と家族連れが目立ち、騒々しいことこの上ない。しかも「ホームウェイ」が出来てからこの方、町田までは通勤特急状態でスーツ姿のオジサンが多い。記事の言う車内不倫カップル率85%には程遠い状態だし、そもそも1800時以降に新宿を発車するロマンスカーにアテンダントは乗らない。ちなみに同じロマンスカーでも江ノ島行きは海へ行くだけなので逆に健全すぎて寝るしかない。

 ・・・「あさぎり」(RSE&371系)はどれにも属さないよ。

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