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「ウォール街を占拠せよ」運動の性格 - 湯浅誠の限界
「ウォール街を占拠せよ」の運動が、さらに規模を大きくして全米に広がっている。感無量だ。ネットやマスコミでは、この運動の性格づけについて議論が多く見られるが、一部に出ている「貧困層が反乱」という見方は当を得たものではないだろう。運動の主体をプロファイリングするなら、4人家族で年収2万2300ドル以下とか、フードスタンプを受給しているといった、いわゆる底辺のプロレタリア階層ではなく、明らかに高学歴のホワイトカラーに属するか属していた人々だ。物理的には貧困の立場でも、精神的には知的エリートの市民であり、自らを米国社会の良質な中間層としてアイデンティファイし、有能で有用な市民としてコミットしている人々である。すなわち、意識においては、現在の無職とか無収入の境遇をテンポラリーのものとして認識し、政治や社会を変えることによって、主観的自己(中間層)へ客観的自己(没落層)を統一できると意思している人々の集合だ。マクロ経済的な視点で言えば、2007年まで5%だった失業率が2009年に10%に上がったとき、就職をシャットアウトされた部分である。企業は、最初に新卒雇用を減らして人員調整をする。だから、日本の氷河期世代と同じで失業者は若者が多くなる。それからまた、彼らは3年前の大統領選のとき、オバマ支持のムーブメント(Change)を興した草の根市民でもある。
 

オバマに期待し、オバマ政権を作り、オバマの政策に裏切られた人々だ。この人々に対して、単純に「貧困層」と定義づけるのは適当ではない。今、米国のいわゆる貧困層は4620万人と統計されていて、社会全体の15%を占める存在だが、「ウォール街を占拠せよ」の参加者は、自らを99%だと言い、すなわち15%だとは言わない。ここが重要だと指摘したい。つまり、この運動は、貧困層が行政に権利改善や福祉充実を求めたものではなく、反貧困のアクションとは全く違う。貧困層が貧困層のために起こした運動ではなく、市民層が貧困層を助けるべく始めた慈善や救済の事業でもない。中間層が中間層たらんとして蜂起し、市民を貧困に追いやる元凶である1%に対して牙を剥いた運動だ。1%とは、富裕層・金融資本・多国籍企業である。新自由主義の社会システムを敵として見据えている。正面から資本主義を批判する運動であり、その意味で社会主義の傾向を持っていて、この点は否定できない。この運動の思想的中核、すなわち動機や目的を理解する上で最も分かりやすい対象を指させば、それはマイケル・ムーアの映画『キャピタリズム』だろう。この作品のエンドロールでは、国際労働歌「インターナショナル」が流れて話題となった。ウォールストリートの支配と収奪に対抗するため、市民は海を越えて団結せよというのが、監督のシンプルでストレートなメッセージだ。

日本の場合、中間層が没落する同じ経済社会状況は、米国に先行して10年前から起きたが、それを加速させ激化させた政策や構造や思想に対する市民の抵抗運動は、結局、反格差ではなく反貧困として収斂することになった。反貧困は言葉として定着し、市民権を得、トップは日弁連会長になり、リーダーは内閣府参与に就いた。だが、国の貧困対策の面で前進はあったものの、格差社会の本質論は失せ、そのシステムやイデオロギーを根本から否定する契機は、「反貧困」に吸収されて芽を摘まれる結果となった。格差の以前に戻そうとする動きや、中間層や製造業を再建しようとする声は、年を追うほどに弱まり、パーソナルサポート等の支援制度論か、さもなくばベーシックインカム論になり、新自由主義の格差社会を前提した社会保障設計の方に関心がスライドして行くばかりだった。湯浅誠の「反貧困」運動は、貧困ビジネスや自己責任論に対する否定はあったが、新自由主義の資本法制と労働法制を破砕するという政治的視角はなく、市民が運動に関与する方法も、炊き出しのボランティアとか、ホームレスの保護や救出とか、直接的で篤志的なマイルドなスタイルで固まった。「ウォール街を占拠せよ」的な反格差の抗議行動は、日本では提起されることがなく、その間、格差はどんどん開き、労働者の収入は減り、大企業や金融系の幹部の所得は増える一方で、米国型の社会が定着した。

この点、「反貧困」運動の功罪を見つめ直す必要がある。われわれが希求していたものは、本当は「ウォール街を占拠せよ」の運動ではなかったか。NHKの「ワーキングプア」を見た後で、われわれが発起して一直線に進むべきだったのは、(主観的な)中間層による構造改革と新自由主義への抗議行動であり、小泉・竹中と経団連をデモ隊で取り囲むことだったのに違いない。ラディカルな政治行動であり、もっと言えば革命行動だったのだ。20代の70%が非正規で働き、非正規の74%が年収200万円以下の惨状で、貯蓄も結婚もできず、年年も払えず、将来の生活設計が立てられない若者がどんどん増え、彼らが年をとって堆積しているのに、パーソナルサポートだのベーシックインカムだの、そんな小手先の行政論で問題を解決できるはずがないではないか。マッカーサーGHQの革命権力が、共産党の32年テーゼを採用し、農地解放を強権で実現して、小作を自作に変え、日本の農村を貧困から救い、そこに後の高度成長の基礎となる購買力(国内市場)を築き拡大したように、誰かが、大企業の230兆円の内部留保を中小企業と労働者に分配し、官僚が専有している特別会計(年間170兆円)を国民の手に解放しなくてはならないのである。その革命的政策によって、日本のGDPを現在の480兆円から600兆円にしなくてはいけない。社会保障費の問題は、経済のパイを大きくして、税収を増やすことによってのみ解決できる。

1980年代までは、日本の若者は普通に就職できたし、正規社員で財形貯蓄できたし、厚生年金を納めていたし、結婚して家族を持ち、マイカーとマイホームを購入していたのである。15年前まではそうだった。何が変わったのか。何も変わってはいない。システムとイデオロギーが変わっただけだ。格差を是として制度を変えただけだ。それまでは日本では格差は非だった。もともと日本は資源のない国で、人が知恵を出して協力し、他国にできぬ努力と工夫を結晶にして、世界経済の中で生き抜く環境を得ていた。15年前に戻せばいいだけだ。大企業の役員報酬や株式配当を元に戻し、東証から外資を追い出し、80年代の頃の金融と経営のシステムに戻すだけだ。新自由主義の制度(構造改革)は、間違いなく失敗したのである。失敗を認め、元に戻せばよいではないか。現実に、政権と政策を変え、新自由主義と決別した南米諸国では、着実に経済成長する成功軌道を描いている。湯浅誠と反貧困ネットのこれまでの業績について、それを否定するつもりは毛頭ないが、厚労省が予算を使ってやっているハローワークの就職支援が、果たしてどれほど有効に機能していると言えるのだろうか。Excel入門とか、ビジネスマナー講座とか、それらのほとんどは失業者には役に立たず、人材派遣会社に仕事を与えるもので、歪んだ無駄な公共事業である。国営貧困ビジネス。国交省の土木事業より質が悪い。内需拡大で景気をよくすれば、自然に仕事が増えて失業率は下がる。

私の目から見て、湯浅誠の「反貧困」に綻びが出ないのは、生活保護の「水際作戦」が中断しているからである。麻生政権以前はホームレスになっていたところを、生活保護を受けられるようになり、最後のセーフティネットで救命されてプールされているからだ。長妻昭が示達を出し、冷酷な水際作戦を禁止する措置に出た。その代わり、生活保護費が3兆円を超える事態となり、国と自治体の財政を圧迫している。厚労官僚は、一刻も早く小泉時代の「聖域なき構造改革」に戻ろうとしていて、おそらく来年度予算から、この部分で制度改定の攻勢に出てくると思われる。NHKを使って、第2弾、第3弾の情報工作を仕掛けてくるだろう。NHK特集の「生活保護」では、支給削減に抗議してデモする市民の姿が映されたが、NHKのナレーションは、それを2ちゃんねるのネット右翼と同じ歪んだ視線でネガティブに取り上げ、市民を「プロ左翼」の表象で扱っていた。こういう左翼勢力の邪魔があるために、無駄な支出を削減できないという論調だった。5年前の「ワーキングプア」であれば、きっと逆に紹介していて、行政に抗議する市民は弱者を救う英雄だっただろう。しかし、問題を生活保護で処理していることは、言わば、不良債権を銀行から国に付け替えたのと同じで、不良債権そのものは残っているのである。国が買い取りできないほど不良債権が増え、オーバーフローしたらどうするのかという問題だ。職業訓練の充実とか、失業手当の長期保障とかでは、基本的に問題は解決しない。仕事を増やさない限り。

悪い予感であり、悪い冗談と言われそうだが、官僚は、いわゆる「働ける世代の生活受給者」の対策として、これから彼らを福島の除染作業に駆り出すのではないか。「水際作戦」を回避するブレイクスルーとして、そういう方向が考えられる。そうなったとき、湯浅誠はどういう対応を示すだろうか。


 
by thessalonike5 | 2011-10-06 23:30 | その他 | Trackback | Comments(0)
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