しがないディーラーのブログ

ヘッジファンドのマネージャー(元証券ディーラー)の相場ネタ


テーマ:

チーフや兄貴たちとの決別。

自分にとっては最もつらい出来事を経て、自分はいちディーラーとしてゼロから再出発をすることになった。


ITバブル本格化を迎えようとしていた時期だった。

時期もよかった。期中に稼いできた収益は全部チームに残してきたため、本当にゼロのスタートとなったが、あっという間にその収益以上を稼ぐことができた。


気合いも入っていた。


『やるしかない!』


誰かの下ではなく、完全に独り立ちしていかなければならなかったし、逃げ道はなかった。

収益を上げることにトコトン貪欲になっていた。


そしてトラブルの原因にもなったチャートシステム。

これをインターネット・サービスプロバイダー大手の株式サイトで採用されることが決まり、その開発にも追われるようになった。


元々はVBとC++で書いたプログラムだったが、メンテナンスやホームページへの転用ということからJAVAで全てを書き直すことになった。


JAVAは書いたことがなかったので、全て勉強しながらの開発。

しかも納期は3か月。


朝6時に会社に来て、ディーラーとしての仕事。

そしてマーケット分析を行って、夕方6時には仲介した情報会社に行き、そこで開発作業を進めた。

平均で3時ぐらいまでは開発に追われ、タクシーで家に帰ってシャワーを浴びて、電車で出勤という恐ろしいほどのハードスケジュールだった。


睡眠時間は2時間あるかないか…。移動で寝て、昼休みに寝て…。

でも苦じゃなかった。それだけ気を張っていたのだろう。


『やるしかない!』


という思いが自分をつき動かしていた。


ディーラーとしても数字はどんどん伸びていき、月間数千万円は当たり前のように稼げるようになった。

インターネット・サービスプロバイダー大手の株式サイト用チャート・アプレットの開発も納期に間に合い、稼働にこぎつけた(2004年ぐらいまで使ってもらっていたと記憶している)


仕事は充実し、少しずつ独りでいることへの自信もつき始めていた。

でもあの時感じた痛みが消えることはなかった。


ちょうど30歳になる頃だっただろうか…。


この頃、自分で決めたことがいくつかある。


・『一流』と言われるプレーヤーになり、チーフや兄貴に負けない運用者になる。そして胸を張って彼らに育ててもらったと言おう。


・彼らから学んだものを次の世代に必ず伝える。


・自分自身のコネクションを作り上げ、それを周囲の仲間や後輩たちのために広げていこう。


今の自分に出来る恩返しは、チーフや兄貴に対してではなく、そんな形でしかできない。

それを30歳台の10年間で必ずやり遂げる。


そんな誓いを胸に自分は走り始めた。