こらむ 基礎学力は大丈夫ですか? 「そうですね。最近の国際規模のテストで、児童生徒の学力の低下が低下したと大騒ぎをしていますね。その原因がゆとり教育に あるということだそうで、関係者は大慌てで、基礎学力向上の対策に取り組みだしたようですね。」 「いやいや、私の言っているのは、先生、あなたの基礎学力ですよ」 「はあ〜?」 わたしね、時々、先生の研究報告を読ませてもらっています。さらっと読んでるときは、多少、論理に矛盾があったり、ことば の言い回しに、ひっかかりがあったりしても、多分、こんなことが言いたいのだろうと類推して、分かったような気になってい ます。しかし、文章をタイプし始めると、途中で、何度も手が止まってしまいます。何が書いているのか理解できないのです。時 々、勝手に文章を直してしまうこともあります。いや、失礼だと思いますが・・・・でないと、まったく意味不明になってしまう のです。 わたしも、人のことを言えたもんじゃ〜ないのですが・・・。文章表現には個性がにじみ出ています。その人特有の言い回しと か言葉使いがあります。ですから、時には、そのひと特有の文体・表現を、私自身が理解できないということもあるでしょう。そ の結果「あなたの書いたものは読みにくい」とか「文脈がおかしい」「論理に一貫性がない」などと、失礼なことを言ってしまう こともあります。 私が読むのは研究報告です。これは、小説と違って巧みな表現で読者を引きつけるというようなものではありませんね。表現が クールというのでしょうか。理路整然と言いますか、起承転結が明確と言いますか主述が明快になっているはずです。また、そう することで、相手に、自分の研究成果を確実に伝えることが出来るはずです。もし、小説のように華麗な文章で書き上げたら、脚 色した研究ドラマになってしまうでしょう。 「・・・・・」 私がおかしいなと感じる原因はなんでしょうか。 ・言葉の概念が曖昧なまま使っているのではないだろうか。 ・主語が脱落し論旨が不明悪になっしまっているのではないだろうか。 ・最近「〜て〜で〜て・・・・」とだらだらと話すのを耳にする。その傾向が文章にも表れ、句点のない文章になるので、意味不 明になってしまう。 ・途中で、それまで述べてきた事柄を説明するためか、新しい主語が入ってきたりして前後の内容がつながらなくなってしまう。 ・文章を書く時の癖だろうか、特別なことばを多用するので、「つまり」何が言いたいのかまとまらない。 ・結果的には簡単な事柄なのに、何と言いますか、正当化しようと言うのでしょうか、豊かに(過大に)表現してしまい、いろい ろな言葉(同義語)を使うために、「馬から落ちて落馬する」的な重複表現になってしまっている。 いや、全部の先生の文章がこうでるとは言いません。ですから、指摘したようなことが気になる文章にぶつかると、「あなたの 基礎学力は大丈夫ですか」と問いたくなるのです。もし、こうした文体で、学級便りや連絡文書が保護者に配られたとしたら、本 意がうまく伝わらないのではないかと思いますよ。 私はある人に「あなたの書いた原稿は黒すぎる」と言われたことがあります。その意味は、漢字を使いすぎるということです。 漢字にはそれぞれ意味があります。読みながら、即座に頭のなかの辞書で翻訳して理解するわけです。言葉の意味・概念をしっり 理解していれば、使い方を誤るようなことはないでしょう。意味や概念は共通なものです。誰でも同様な翻訳が可能です。つまり、 確実に理解してくれるわけです 「原稿が黒い」と言う意味は、自分の考えを読み手に正確に伝えるには、広い意味や概念を持つ熟語(漢語)を使うより、ひら がなで丁寧に説明する方がよいと言うことです。 研究活動が活発になると、関係者しか理解でいない言葉、表現。言い回しがうまれることがあります。それは、みんなが共通し て持っている意味や概念と異なることが多いのです。そんなとき、何の説明もなく、自分が慣れ親しんでるからと言って「特殊概 念を凝縮した特有語?」を使った文章に出会うと、読み手はかなり混乱してしまいます。 私が現在、混乱している言葉です。 「協同する」これは むかし{お茶する?}と言う表現が流行しました。名刺を動詞化し たような言葉と同じでしょうか。「協同的・・・」これは最近よく聞かれる「わたし的」「色的には」といった表現に通じるので しょうか?ちなみに{きょうどう}を意味する熟語には、「協同」「共同」「協働」「共動」があるようです。これに「的」を加 えて「協同的学習」「共同的学習」「協働的学習」「共動的学習」とやったら、素直に「了解」ということに二の足を踏むのは私 一人だけでしょうか?同じように「協働する」「共動する」「共同する」「協同する」といったら、何も抵抗なく受け入れること 出来るでしょうか? 人に自分の意志を伝えるためには、遅蒔きながら基礎学力を付けなければと痛切に感じています。