2011年8月6日 18時57分 更新:8月7日 0時6分
認知症が悪化するお年寄りの姿が、被災地で目につく。「認知症の人と家族の会」岩手県支部の小野寺彦宏(よしひろ)代表は「数多くの相談が寄せられている。自宅から避難所、仮設住宅と、環境が変化したことが大きな要因だろう」とみる。長年友情を温めてきた岩手県陸前高田市の2人の女性は、同じ仮設住宅内に住みながら、以前のように互いの家を行き来できなくなってしまった。
藤丸ナカエさん(85)が、困ったように周囲を見渡していた。均一な建物が並ぶ仮設住宅群。捜しに出た嫁の秀子さん(62)が呼びかけると「すっかり大都会になってしまって」と首をかしげた。「家(元の自宅)さ見に下がったけど、何もねがった」
ナカエさんは陸前高田市米崎町の自宅にいた時に大地震に遭い、近所の人の車に乗せられ高台に避難したが、津波があったことすら覚えていない。近くで豆腐屋を営んでいた姉夫婦は津波で流され、姉は死亡、義兄が行方不明になっていることも理解できていない。秀子さんに説明され、その時は納得したように見えても、すぐに「姉さはどうした?」。家を見に行く、姉に会いに行くと言っては海の方へ出かけ、戻る途中で道に迷う。その繰り返しだ。秀子さんは「認めたくねえことは、抜けてしまうんだな」と苦笑する。
藤丸家の100メートルほど山側に家があった大和田フユさん(90)も、同じ敷地内の仮設住宅に入居した。時々「家へ帰る」と言って嫁のミワ子さん(70)を困らせる。
自宅前の電柱標識板に自分で目印の青いひもをつけた。それでも一人で戻れない。記憶力が大きく減退し、そううつも激しくなった。ミワ子さんは「目が離せなくなった」とため息をつく。
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酒好きの夫で苦労したナカエさんと、夫を早く亡くしたフユさんは、製材所でともに働いた。いくつになっても仲良しで、フユさんが坂道を下り、妹分のナカエさんを訪ねるのが常だった。避難先の小学校の体育館でも、一日中、おしゃべりをして過ごした。
同じ避難所から仮設住宅に移り、2人は数十メートル離れた棟に分かれた。その距離が、2人にはとてつもなく遠い。フユさんは言う。
「前はいつも、おれが藤丸の家さ下がったんだ。でも藤丸は何だか遠くの方さ移ってしまったようで、それから行かねんだ」【市川明代】