著者の原さんは、共同通信社の記者、編集局長を経験したジャーナリストである。また、1996年春の日本マス・コニュニケーション学会のワークショップ「公正な表現と公正な社会をめざしてー市民の視点から」において私の「ジェンダー的公正報道」という問題提起をジャーナリストの立場で討論者を務められた。その際、日本のマス・コミュニケーション学会において「ジェンダー公正」が語られたのは画期的なことだ、というコメントをされたのが印象深かった。
原さんはこの本執筆の動機を次のように記している。
「今のジャーナリズム活動の基盤となっている「ものの見方、考え方」を浮き彫りにし、日々の報道や論評がどうしてこういう形で生まれてくるのか、なにがどうして取り上げられないのか、その原理を考えて見る。ジャーナリズムはテーマの選択から視点、表現、取り扱いの大きさまで、すべて主観的判断による選択作業なのに、その選択の基準になるジャーナリストの価値観を問題にすることなく、表面的な流れを批判していても核心に迫ることはできない」
全体の内容は、ジャーナリズムの倫理観、テレビの特性と思想、言論・報道の「日本的」自由、「不偏不党」と「政治的公平」、ジャーナリズムとナショナリズム、客観報道主義と署名記事、ジャーナリズムと人権思想という7つの章から構成されている。カバー裏には、「この国のジャーナリズムを渡したちの社会の「共同作品」とするための問題提起の書」とある。
この「ジェンダーとメディアのHP」ではとりわけ、最後の章「ジャーナリズムと人権思想」に注目したい。
まず、メディアとジェンダーをテーマとする「ジェンダーとコミュニケーション・ネットワーク(GCN)」(加藤春恵子代表)のメディア機関のジェンダーに関する調査に言及し、「日本のメディアのなかの女性の率は、アジア、アフリカ、南米を含め、世界の同業の中で最低クラスと言われて反論できない実態のようである」とメディア機関のジェンダー構造の偏りの厳しさを記す。
さらに、『きっと変えられる性差別語』(三省堂,1996)の中からも、「xx人(うち女性何人)」を例に女性差別に敏感になることを「女性差別に鈍感」なメディアに提起している。また、女性からの問題提起によりレイプの報道を「婦女暴行」と言い換えているなどレイプ報道も変革を迫られていく、との認識が示されてもいる。性の商品化問題、セクシュアルハラスメントなどを取り上げ、「ジャーナリズムの描く女性像の問題点を追求することで、男性が作り上げてきた近代社会の価値観の見直しを求めている。性差別解消は民主主義の質を変える運動でもある」とする。
感想を一言だけ。フェミニストは性差別表現が出没していること、それが差別だからやめるべきだ、という主張をしてきたが、それがニュース制作のルーティンやロジックとどのように結びついているのか、また男性や高齢者、異なるエスニシティ、異なる性的指向者など別の属性の表象問題とどのように違い、どのように共通しているのかをこれまで問うてこなかったことを反省させられた。
原さんの主張を現場のジャーナリストが思想として理解した上で、さらに、どのようにメディア制作のシステムをも変えたらいいのか、を提起できるように、具体的、かつ緻密なメディアのジェンダー表象の分析を遅まきながらもやっていきたい、と思った。