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【プロ野球】鷹連覇 秋山監督 所沢で舞った2011年10月2日 紙面から
◆ソフトバンク3−0西武ぶっちぎりのV2だ。優勝へのマジックを「1」としていたソフトバンクが1日、西武に3−0で快勝。2年連続15度目のリーグ優勝、1リーグ時代を含めると17度目の優勝を決めた。交流戦を史上最高勝率で制して波に乗り、首位を独走し、2位日本ハムに13ゲームの大差をつけて栄光のゴール。秋山幸二監督は思い出の地・西武ドームで6度宙を舞った。ダイエー時代の1999〜2000年以来、パでは06〜07年の日本ハム以来の連覇となったソフトバンク。ダイエー時代の03年以来となる日本シリーズ出場権をかけ、11月3日から本拠地・ヤフードームで始まるクライマックスシリーズファイナルステージを戦う。 勝利の瞬間に込み上げたのは、興奮よりも充実感だった。感涙もガッツポーズもない。秋山監督はゆっくりベンチを歩み出ると、選手たちとハイタッチを交わした。かつて西武時代に本拠地だったスタンドに沸き起こる「秋山コール」。その歓声に促されるように歓喜の輪の中央に進み、宙を6度舞った。 「選手が最初から全力で戦った結果。本当にうれしい」。今季80勝目。貯金36。2位日本ハムに13ゲーム差。9月17日の優勝マジック「17」の点灯後、11試合目でのゴールだ。「こういうのは最近ない。本当に早かった」。快ペースで選手たちは突っ走った。 優勝決定ゲームで輝いたのは、今季の戦いを象徴する若い才能だった。「若い選手が伸び伸びやってくれた」。マウンドで躍動したのは21歳の岩崎だ。打線は6回先頭で26歳の長谷川が右翼フェンス直撃の二塁打で出塁し、1死から22歳の福田が先制の中前打。25歳の明石が右中間三塁打で続いた。 秋山監督が最大の勝因に挙げたのは、選手層の厚さだ。小久保、カブレラら故障者が続出しても、本多、松田の進化があった。若い主力は成熟し、福田ら次代を担う選手が台頭。投手陣も杉内、和田、ホールトン、摂津の4本柱に岩崎、山田、大場といた若手が結果を残した。「助け合いカバーしながら、戦力が落ちないようにやってくれた」。かつてのベテランに依存する体質はない。 現場では一貫して「鉄の監督」を演じた。「勝っても負けても過去の話。終われば次の試合のことを考える」。快勝でも辛勝でも、接戦でも凡戦でも、惜敗でも大敗でも、感情をのみ込んで前を向いた。 とはいえ、ストレスはその心身を確実に重くした。球場でのマッサージに加え、自宅にもマッサージ師を呼んで体を整えた。「いつも野球のことを考えていた」。考えれば考えるほど眠れなくなり、睡眠導入剤を服用する日もあった。 8月10日、母・ミスエさんが85歳で他界した。当日は敗れたが、11日のロッテ戦に勝ち、試合後すぐにウイニングボールを手に、ヤフードームから通夜が営まれる熊本県氷川町へ向かった。12日は告別式への参列を見送り、日本ハムと戦う札幌へと向かった。貫いたのは勝負の世界に生きる信念。「日本一になってほしいと思ってただろうから」。墓前への報告は日本シリーズを勝ち抜いた後だと決めている。 もう一つ、東日本大震災で被災した東北の人々への思いも胸に刻み、戦ったシーズンだった。「今年は(被災者に)勇気と元気を与えるということでスタートした。特別な思いがあった」。さらに「活力を与えるということが使命だと思っていた。選手には全力でやってくれと伝えた」と振り返る。その思いを結実させた。 だが、この日の胴上げですべてをやり遂げたわけではない。「今年は日本一になるんだということでやっている。最後まで目いっぱいいく」。いつもと同じように小さく笑っただけで、そう宣言した。 (久保安秀) PR情報
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