乗客106人が死亡し493人が負傷したJR福知山線脱線事故(05年4月)で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長、山崎正夫被告(68)の公判が神戸地裁で結審し、判決言い渡しが来年1月11日に決まった。鉄道事故で巨大鉄道事業者の経営幹部が起訴された極めて異例の裁判で、検察側と弁護側は、安全対策の統括責任者という立場で事故を予見できたかなどについて真っ向から対立している。死傷者が出た事故で刑事責任を問える範囲や条件を巡り、判決が今後の捜査に与える影響は大きいとみられ、司法判断が注目される。【重石岳史】
「鉄道事故はひとたび発生すれば多数の乗客に重大な被害を及ぼすという点を考慮すれば、発生確率が低くても、いつかは起こりうるという程度に予見できるものなら、予見可能性が肯定される」
7月の論告で検察側は、82年に33人が死亡したホテルニュージャパン火災でホテル社長(当時)の有罪が確定した判例を引用し、最大の争点である予見可能性の基準をこう位置付けた。これに対し、弁護側は最終弁論で「被告が脱線事故の危険性を認識していたと断じた起訴内容の事実上の撤回であり、立証できなかったからハードルを下げた」と応酬。「火災は繰り返し起きているから消防法で備えることが義務付けられているのであり、カーブでの脱線事故とは同列に論じられない」と反論した。
予見可能性を巡る両者の主張は根底から異なる。
検察側は「現場カーブで、運転士が何らかの理由で転覆限界速度を超える速度で列車を進入させることが予見できたか否かが問題」と提起し、「国鉄時代から運転士の人為的ミスが後を絶たず、危険は具体的かつ現実的だった」として容易に想定できたとする。
一方、弁護側は、停車駅間の所要時間の比較などから、脱線するような速度で列車が現場カーブに進入する危険性が生じたのは「快速が中山寺駅に停車するようになった03年12月以降」と主張。さらに、事故が起きるまで鉄道業界ではカーブで列車が脱線する恐れがあるとの危険認識がなかったとし、予見は不可能だったと結論付けた。
検察官が作成したJR西関係者などの供述調書について、地裁は大半を却下したものの、カーブの危険認識やATSの必要性などを認めた核心部分は採用した。調書の信用性をどう評価するかも判決の大きな焦点だ。
JR西は90年以降、半径450メートル未満のカーブを対象に、路線ごとに新型ATSを順次整備していた。その目的について、検察側証人として出廷したJR西関係者は「脱線転覆事故を防止するため」と書かれた捜査段階の供述調書を次々に翻し、「乗客の乗り心地のため。脱線の危険認識はなかった」などと証言した。
山崎被告の過失が問われている時期に明確にカーブの危険を認識していたとする法廷証言はなく、元部下らは「検察官に修正を求めたが押し切られた」「聴取に疲れ、事故を起こしたことは申し訳ないという気持ちもあった」などと調書に署名した理由を話した。
検察側は「口裏合わせを行っていたにもかかわらず、JR西に不利な内容の供述調書に署名したのはその内容が真実だから。法廷証言は客観証拠と矛盾する」との意見だ。
これに対し、弁護側は「何が何でも起訴するとの結論ありきで捜査が進められ、強引に調書を取り付けようとした」と捜査手法を批判した。
仮に事故を予見できたとして、山崎被告がATS(自動列車停止装置)を現場に設置するなどして事故を回避できたかについても、両者の主張は正反対だ。
検察側は、安全対策を統括する鉄道本部長だった被告の職責について、「たこつぼ状態に陥りがちな大組織で、各部門にまたがる情報を集約し、必要な指示を出すことができたのは、いわば扇の要の位置にいた被告以外にはいなかった」と強調。論告で「被告こそが現場カーブにATSを整備すべき義務を負っていた」とし、「いわば、“怠慢型”の過失」と厳しく断じた。
「鉄道史上初となるATSの個別整備を現場カーブですべきだったという超人的な注意義務を課そうとしている」。弁護側は最終弁論で検察側の論理をこう表現した。弁護側は鉄道本部長の職責を「大所高所から安全面を含めて全社的な施策を計画立案すること」と位置付けたからだ。結果、「現場から『危険だからATSを整備すべき』との意見は全く上がっておらず、指示することは不可能」とした。
さらにATSの個別設置についても、「100万円程度で、一両日の工事で可能」とする検察側に対し、弁護側は「線路だけでなく現場を走行する全車両にも設置する必要があり、約16億円の費用と2~3年の期間が必要」と見解が分かれた。
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89年 3月 半径450メートル未満のカーブへの新型ATS整備決定
91年 3月 現場カーブの付け替え決定
93年 4月 山崎被告が安全対策室長就任
96年 6月 山崎被告が取締役鉄道本部長就任
96年12月 函館線脱線事故(4日)
現場カーブ完成(21日)
97年 3月 東西線開業、福知山線のダイヤ改正
98年 6月 山崎被告が鉄道本部長退任
03年 9月 福知山線への新型ATS整備決定(事故当時は工事中)
05年 4月 事故発生
毎日新聞 2011年10月2日 大阪朝刊