かつて日本人が一生懸命働いて高度成長の時期を迎えている時代、収入は少なかったが今よりもずっと人生をエンジョイしていたように思う。
(1970年の平均月給7万6千円.2000年は40万円)
あの頃、職場では早朝野球、ママさん・バレーボール大会が盛んに行われたし、昼休みには将棋や碁で同僚との一時を楽しんだ。
年に1回か2回は職場で旅行があり、バスではビールを飲んでカラオケ大会、温泉に着くと見たこともない芸者さんが来てバカ騒ぎをしたものである(それが良いことだと言っている訳ではないが)。
家庭でもやっとやっと買った小さな自家用車に乗って、日曜日が来ると家族とドライブに出るのが楽しみだった。あまりに多くの人がドライブに出かけるので帰りの道路は非常に混雑して、家族のトイレを捜すのに困った経験がある。
お酒も自由に飲んだし、たばこも吸った。学生時代にはマージャンをし、冬になると友人と一緒にスキーやスケートを楽しんだ。
夏は海水浴、キャンプも好きだったのでキャンプファイアーで大いに青春を謳歌したものである。
そんな時代が懐かしいというわけではない。またそれが日本人として一番いい社会というわけではない。しかし少なくとも活気はあったし、仕事とか勉強以外にやることは山程あった。
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それに比べると最近は随分静かになったものだ。早朝野球はないし、職場のバレーボール大会や年に1回の旅行もなくなった。
当時に比べれば立派な車を持てるようになったし、高速道路網も発達したけれど、かえって家族でドライブに行くということは無くなってしまった。
名古屋に住んでいるとドライブは実に楽しい。山の方に行くと木曽川にそって素晴らしい景色、見事な紅葉を見ることができるし、海の方では知多半島がある。
奈良や京都も近いし日本海側も意外に近い。それなのに私もあまり出かけないし、たまにドライブをしても人影はなく閑散としている.
ネットで1人で遊ぶことはできるようになったが、その代わり麻雀や将棋のように相手がいなければできないような娯楽は減ってしまった。
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全体として本当に「日本人の人生は楽しくなっている」のであろうか。
わたくしが感じるだけかも知れないけれど、現代の社会で楽しみといえばほとんどパチンコと飲むことだけという感じがする。
「パチンコ排斥運動」というのはあるけれども、わたくしはむしろパチンコだけが現代の日本人にとって大切な娯楽という感じがする。
よく農業の売り上げ高が8兆円に対してパチンコが31兆円を超すということで恨みを買っているが、この事はいかに日本人がパチンコで楽しんでいるかを示している結果だろう。
人間の心の中には、カケをしたりそのスリルを味わったりする気持ちがある。それが人間というものだ。一日、競馬をすれば2万円はするだろうけれど、あれほど楽しい遊びをして2万円は安いかも知れない。パチンコは大変に素晴らしくできていて、時々、台が新しくなるし変化にも富んでいる.
もちろんパチンコにのめり込んで離婚になったり、時には子供置き去りにしてパチンコに熱中して子供が車の中で死んでしまうという事件もある。でも、それはパチンコというゲームに問題があるのではなく、パチンコだけが面白いからだ。
もしパチンコを追放するのであれば、パチンコに代わるもっと面白いものを発見してからにして欲しい。
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暗い・・・
ゴミは分別しなければならない、電気はこまめに消さなければならない、たばこを吸ってはいけない、お酒もほどほどにして早く帰らなければならない、食べたいだけ食べてメタボになってはいけない、早朝野球もなければ職場の旅行もない、皆でわいわいガヤガヤやってストレスを発散することもできない。
ただ、真面目な行動をしてしかめっ面をしなければならない・・・
そんな人生は何の面白実があるのだろうか。楽しみのない生活は、人間のすることではない。
毎日、朝起きて歯を磨き、ご飯を食べ、駅まで歩いて満員電車に乗り、上司に怒られながら仕事をし、まっしぐらに家に帰って夕食を食べて、テレビを観てそのまま寝てしまうという生活は人間の生活ではない。
頭も心も要らないからだ。
どこでも携帯電話で追いかけられ、メールは夜中まで来る.でも、こんな生活をしていると自分の時間が無くなるのに慣れてくるように感じられる。
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今はパチンコを大いに楽しもう! わたくしはパチンコ以外に何か楽しめるようなものを発明したい。
他人の人生を苦しめることは容易だし、批判も楽だ。でも、多くの人が楽しめることを発明することは難しい。
(平成23年2月16日 執筆)
武田邦彦
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