wise9編集長のshi3zです。
このブログはいわゆる「社長ブログ」ではない。
少女と少年のためのプログラミング情報ブログであり、僕の個人的な思いを綴るブログではない。
けれども、今日ばかりは特例として許して欲しい。
wise9を運営する企業、UEIこと株式会社ユビキタスエンターテインメントにとって創業以来最大のニュースなのだ。
そしてかつてプログラミングが大好きな田舎少年に過ぎなかった僕が、そのプログラミング人生の終着点をここと決めた日でもあるのだ。
だから今日僕が思った事は、このブログの読者であるプログラミングが大好きな少女と少年がいつか思う事かもしれない。
その意味で、年老いた一人のプログラマが会社を起こし、初めて迎えた大きな変化をその思いが新鮮なうちに綴り、君たちに語りかけるのは意味のあることだと思う。
それともうひとつ、僕はUEIに関して「株式公開はしない。外部からの資金調達もしない」と公言してきた。それは古くからこの業界に居て僕を知っている人なら誰もが知っていることだ。
今回の増資はそれを覆すものになる。だからその理由を説明する義務が僕にはある。
それがこのエントリーを書いた理由だ。
まーでも長いから時間があるときに読んでね。
既報の通り、UEIは今日、創業以来初めての大規模な第三者割当増資を行い、5億円の資金を調達した。
ちょっと難しい表現だけど、わかりやすく言えばUEIという会社の株の一部を、外部の投資会社に5億円で売ったのだ。
失ったのは株。そして得たものは現金5億円。
なお、株を売ったとは言っても、UEI経営陣で総株式の過半数は確保しているので経営が誰かに乗っ取られるとかではない。
むしろ僕はこれで会社を簡単には辞める事が出来なくなったのだ。
この5億円という金額には大きな意味がある。
僕は1998年から5年間、ドワンゴという会社で働いた。自分で言うのもなんだが、優れた社員だった。携帯電話事業を立上げ、会社の事業の基礎を作った。会社は僕に多額のボーナスと、未公開株の購入権(ストックオプション)をくれた。このストックオプションを最もよいタイミングで行使すれば、僕はちょうど5億円くらいの現金をなにもせずに手に入れる事が出来た。
しかしこれには条件があった。
最低二年間、全てのオプションを行使するには都合六年間、ドワンゴに居続けなければならなかったのだ。
僕には携帯電話のコンテンツを作る以外にもっとやりたいことがあった。
しかし会社はそれを許さなかった。
ドワンゴには素晴らしい仲間達がいた。
けれども僕にはもっとやりたいことがあった。
アメリカに設立されたDWANGO NORTH AMERICA社は僕をコンテンツ担当副社長として日本のドワンゴよりもさらに倍くらい高い給料を約束してくれた。
僕はそのとき、ストックオプションについて考えなかった訳ではない。
しかし日本でやりたくないことをやって燻ったまま六年間を過ごして五億円を手に入れるよりも、新天地で自分の力を試してみたかった。
26歳で今の会社、UEIを設立した。
会社を作る、と言ったとき、色んな人と話をした。
色んな人が、誘って来た。
1億だしてあげるよ、1000万だしてあげるよ。
色んな人が来た。
でもどうせお金を出してもらうなら、知ってる人がいい、と思った。
それでドワンゴ時代の上司に相談した。
既に億万長者になっていたその上司は、しかし僕にこう言った。
「オレが金を出せば、お前は一生オレを超えられない。自力でオレを超えてみせろ」
ショックだった。
しかし確かにこの上司は金が惜しくて言っているのではないことは痛いほど良くわかった。
なぜなら、親しくない相手ほど金を出したいと言ってくるのである。
そこで僕は気づいた。
金を出す人というのは、金しか出せるものがない人なのだと。
僕は資金と引き換えに、自分の魂を彼らに切り売りするのだ。
早い段階でそれに気づけた僕は、とてもラッキーだった。
だからギリギリ、有限会社を設立できる300万円で会社を作った。
でもお金がなかったから、やっぱりあまり縁がない人にお金を出してもらった。
これが「自力」と言えるのかどうか、よくわからない。しかし確かに、上司は既に身内と言えた。
他人から金を出してもらうのは、自力のうち、と考えることにした。
僕は19の時から彼に育てられている。
彼の御陰で僕は他の誰もできなかったような経験を積むことができた。
もうずいぶん昔の話になるけれども、僕が彼と知り合って間もない頃、彼とグループを組んでいた他のメンバーに紹介されたとき、ぼそっと言われた。
「君が”彼”を継ぐのか・・・・」
それは買いかぶりだと思っていたし、事実そうだった。
しかし彼は”後継者”として僕を育てているのだと、時間を経るごとに感じていった。
「営業の仕事を手伝って来い」
ある日、こんなことを言われた。なぜだろう、と思った。
僕は技術者で、企画者だった。営業なんて性に合わない。口が軽いから、何を言い出すかわからない。交渉ごとも苦手だ。
僕は思わず聞いた。
「なぜですか?」
「おまえに必要だからだ」
それはいつかこの会社の社長になるために必要な資質だからですか・・・と言いかけたが、口を閉じた。
彼は社長ではなかったし、彼自身は社長にはついぞならなかった。
会社をやめる、と告げたとき、彼は力強くうなずき、その大きな瞳に燃えるような光をたぎらせた。
「よし!」
それっきり、彼は何も言わなかった。
アメリカには五年くらいいるつもりだったが、退屈すぎてすぐに戻って来た。
アメリカは広大な田舎町の寄せ集めだ。
違うのは言葉と人種くらいで、別に地理的な優位性はない。
長岡の四畳半からでも世界を相手に戦える、と思って実家の新潟県長岡市に引っ込んだ。
実際、アメリカの会社と長岡市に住みながら取引した。
けど、すぐに限界が来た。日本国内の仕事をとるには、東京に行くしかないのだ。
かくして2003年8月8日、東京都は秋葉原に有限会社ユビキタスエンターテインメントはスタートした。
それから紆余曲折あった。
僕は苦労した、と語るのは好きじゃない。
けれども、最初の1年は間違いなくそれまでの人生で一番苦しい時期だった。
慣れないスーツ。
先の見えない不安。
目減りして行く資本金。
営業の経験は非常に役に立った。
というよりも、社長はなによりもまず営業しなくては仕事がないのだった。
恐怖と心配で夜中に何度も目が覚めた。
二年目は地獄。
あるとき、僕は悟った。
一人の人間が自ら扱える資金には限界があるのだと。
それはRPGで、あまりにレベルが高すぎる武器をたとえ手に入れたとしてもレベルが低いままでは装備することができないのと同じで、資金も経営者のレベルによって扱える資金に限界がある。
しかし、たとえば資金を過剰に集めてしまうと、集めたからには資金は使わなければならない。
これは会社を作ったことが無い人には感覚としてわかりにくいが、会社というのは資金を集めたらそれを有効に運用して増やす義務を負うのだ。
こう考えるといい。
競馬をやるとしよう。
お金を出してくれる人が居て、これを1日でできるだけ増やさなくてはならないとする。
元手が1万円あるとしたら、1万円全部を1日で使わなければならない。
1万円を全く使わずに朝から晩までボーっとしていたら、その1万円は永遠に増えない。増えないとお金を出してくれる人に怒られる「おまえになんか預けなければ良かった」と罵倒されるだろう。
1万円もどってきたんだからいいじゃないか、という理屈はこの場合通用しない。
1万円使うのが絶対の条件だ。
運良く運用して、1万円から増やせたとしょう。そうだな、1万2千円くらいかな。
これが100万円だったら。
きちんと増やすことが出来るだろうか。
原理的には1万円と同じだ。
けれどもプレッシャーはずっと巨大になる。
多くの人は自分が稼いだこともないような大金を渡されると、金銭感覚が狂ってしまう。
競馬の場合、お金の使い道は馬券を買うことだけだから、実際の経営に比べたらずっと簡単だ。
馬券はオッズ(倍率)が出てるから、どの組み合わせを買うとどのくらい儲かるか簡単に予測できる。
しかし経営の場合、これを千万単位で、馬券よりもずっとわかりにくいものに対して投資しなければならないのだ。
机を買うなら値段はいくらにする?1万円?10万円?椅子は?秘書の給料は?といった具合だ。
会社の経営を始めて、振り返って僕が思うのは、もしストックオプションを全て行使するまで待って、その5億円を元手に会社を始めたら、絶対に失敗していただろうということだ。
というのは、僕は5億円という金額をふつうのやり方で稼いだことはなかった。
5億円の予算の仕事など、想像もつかなかった。
そういう意味ではほぼ無一文から会社をスタートしたのは資金のハンドリングについて僕自身が成長するのに最も理想的なスタートだったと思う。
何年かして、会社が軌道に乗り、人が増えて行き、ドワンゴで一緒にやっていた仲間達もUEIに集まって来た。
ドワンゴを辞めてからUEIに来た連中は大半がストックオプションを棄てていた。
大金を手に入れるよりも面白い仕事をしたかった連中だ。
なかでも、今UEIのCTOをつとめている水野君との合流は印象的だった。
彼はドワンゴを辞め、ちゃんと黒字の出てる会社を経営していた。
技術者だというのに器用に営業もこなし、事業をはやばやと軌道に載せていた。
僕は事業を軌道に載せるのは苦手だったから、水野君のこの才能はうらやましかった。
そこで水野君にこう持ちかけた。
「僕はたぶん頭の良さや器用さ、仕事をするってことにかけちゃ、どれひとつとっても君には叶わないよ」
「え?どうしたんですか気持ち悪いなあ」
水野君は警戒した。当たり前だ。
「けど、ひとつだけ、君には絶対負けないものがある。いや、僕は日本一得意なことがある」
「うーん・・・口の巧さですか?」
「正解! 僕は少なくとも君の1000倍、他のどのマシな会社の社長のたっぷり1万倍は口が巧いだろうね」
「それは否定しませんが」
「君と僕はそれぞれ別々に会社をやれば、そこそこうまくいく零細企業を作れることはもうわかったじゃないか。けれども僕たちはそんなことがしたくてドワンゴをやめたんだろうか。もっとやりたいことがあったはずじゃないのか」
「それはそうですけど・・・」
「君の技術力と仕事力、それに僕の口の巧さとビッグマウスを加えたら、世界最強じゃないか。え?」
「うーん・・・」
「ハッカーとして生まれて来たからには、世界一を目指さなきゃ。そうだろ?僕たちゃ子供の頃からずっと世界で一番になることを夢見て来たんじゃないのかよ」
それから一ヶ月で、水野君は自分の会社を清算してUEIに合流した。
最初は平で入って来たが、あっという間に実力でそれまでいた社員を圧倒して取締役CTOになった。
水野君が来たことで、UEIの規模と売上げは、水野君と僕が別々にやっていた頃の4倍になった。
会社が十分軌道にのってから、僕はまだドワンゴの会長をやっていた川上さんに会いに行った。
会社がまずは上手く行ってることを、川上さんは手放しで喜び、褒めてくれた。
僕は川上さんと親しくなかった。今でも親しくないが、会社に居たときはほとんど会話らしい会話をしたことがなかった。
どちらかというと疎遠だったし、ドワンゴが株式公開を本格的に目指すようになってから、つまらない仕事ばかり押し付けてくるようになった、と思っていた。
ドワンゴからUEIに来た連中も、株式公開に関しては否定的だった。
株式公開を目指すというのは、かなり大変な覚悟が居ることなのだ。
だから僕は会社を作ってからずっと、どんな人に言われても「株式公開を目指すつもりはない」と答えて来た。実際、そんなつもりは無かった。
では株式公開とは何か?
株式会社は、資金を株という単位で集める。
たとえば資本金1000万円の会社が1000株を発行していたとしたら、一株あたりの株価は1万円ということになる。
この株価は、会社の業績によって変動する。
なぜかと言うと、会社を清算したとき、会社の資産は一株あたりの資産として分割され、株主に分配されるからだ。
たとえば資本金1000万の会社の50%の株式を持っていたとする。
その会社は業績好調で大きな利益が出て、総資産が100億円に達したとしよう。
あるとき、その会社を清算することになった。この場合の「清算」とは、会社を解散するということだ。
資産が大量にあっても会社を解散することはよくある。
そのとき、50%の株式を持っている人は50億円ぶんの資産を受け取ることが出来るということになる。
もし、1株1万円の時にその株を手に入れていれば、500万円で買った株が50億円という1000倍の価値を持つことになる。
この場合、一株あたりの株価は、会社の資産から単純に逆算して1株1000万円となる。
これは株式を公開する前の話で、かなり単純化して説明している。
「株式を公開する」とは、どういうことかというと、この会社の株を、株式市場で誰でも自由に売買できるようにするということだ。
市場に上がるので「上場」とも言う。
株式が公開されると、株価は単に会社の資産からの逆算だけではなく、将来に対する期待値で取引されるようになる。
たとえば今は資産は少ないが、将来伸びそうだ、と思われる人気の株は値段が高くなる。逆にこれからどんどん資産が減って行きそうだ、という会社の株は安く売りたたかれる。
このあたりはオークションなんだと思うとわかりやすい。
株式取引は相対取引なので、株価は取引する相手が見つからないと決定しない。
つまりババ抜きと一緒だ。ただし何がジョーカーなのかは誰にもわからない。どのカードもジョーカーになる可能性がある。
「この株はオレは下がると思うけど、君は上がると思うんでしょ?」という相手を見つけて売らなければならない。
逆もしかり。
また、株式を公開(上場)するには、少なくともすぐにつぶれるような会社であっては困る。
さらに言えば、会社がきちんと公正に運営できていることを証明できなくては困る。
そこで厳しい上場審査というものが行われる。
株主を守るため、市場が会社組織を審査するのだ。
また、高い株価をつけてもらうには、会社が将来大化けしそうだという期待感を株主にもってもらう必要がある。
特に新規上場に際しては、「この会社は、これこれこういう事業で業績をのばしていて、これからも業績の向上が期待が出来ます」と市場と証券会社(幹事会社と呼ぶ)が自信を持ってその会社を市場にいる投資家たちに紹介する。
従って、上場に際しては、将来を魅力的に感じるようなストーリーが描けなければいけない。
そのため、会社は目論見書という計画表を作って、1年後、3年後、5年後の将来像をプレゼンテーションする。
この目論見書がまったくのデタラメであっては投資家から市場が信用を失ってしまうため、誰にでも解るようなわかりやすい内容にする必要がある。
また、上場準備も大変だが、上場後も投資家に対して継続的に業績の予想や会社の概況を説明し続ける義務が発生する。
上場を維持するだけで年間に何千万円も掛かるのだ。
それだけ苦労して上場しても、株価があまりにも安くなり過ぎ、時価総額が基準を割り込むと、哀れ上場廃止となってしまう。
上場すると、多くの資金を広く薄く集めることが出来る。
集めた資金を使って、会社はより大きなことに挑戦できるようになる。
そのためにはできるだけ多くの人に理解できる「成功のストーリー」を語る必要がある。
つまり上場するときには「これで業績をのばして行きます」という「ネタ」がどうしても必要になるのだ。
ドワンゴの場合、それは「着メロ」だった。
最初からそうだったわけじゃない。
ドワンゴにもとからいた連中は、生粋のハッカーだ。
なにしろDWANGOは、Dial-up Wide Area Network Game Operation systemの略である。
ゲームと、ネットワークと、OSの専門家が集まった会社だ。
僕がDWANGOに出入りするようになったのは、まだ社員が5人くらいのときだ。
日がな一日ゲームばかりしていて仕事をしない連中ばかりの会社だ。
なぜ潰れないのかが不思議だった。
僕は元上司の”彼”に言われるがまま、DWANGOに籍をおいた。
「仕事は特にないけど、給料は払う。座っててくれ」そう言われた。
破格の給料だった。
まだ全く儲かってないDWANGOが払える額として限界の給料だったと思う。
仕事はなかったから、自分で仕事を作り出した。
面白かった。
毎日が心が踊るような冒険の連続だった。
僕はあっさりと大学を辞めた。頑張って卒業して新卒で会社に入っても、こんな面白い仕事はできない。
仲間達も凄かった。
ネットでしか名前を見たことが無いような、凄腕の連中が集まって来た。クレイジーだった。
彼らはみんな同世代で、僕はひとつの会社にこれだけの才能が集まるのは、奇跡としか言いようがないと思った。
実際問題として、それは奇跡だった。
なぜこれだけの才能が一カ所に集まったのかと言えば、”彼”の力だった。
“彼”がそれまでに築いた名声は、僕らにとってはそんぞょそこらのロックスターなんかとは比べ物にならなかった。
僕はやりたい仕事をやりたいときにやりたいだけやり、それが次々と当たって行った。
負けを知らなかった。
給料は新卒で入った同級生の誰よりも高かった。
毎月新しいデジカメを買った。
仲間たちも増えて行った。最初は”彼”がネットで集めた猛者たち、それから僕が講師をしていた専門学校で特に優秀だった連中。
1Fが米屋になってるビルの4Fに引っ越して、畳だけの部屋を作った。
そこにはゲーム機やフィットネス器具を、みんな思い思い買って並べて、遊んでいた。
会議室にはマイクとギター、みんなで歌を作って飽きるまで歌ってレコーディング。
どこにも発表しない、誰にも知られない、自分たちによる自分たちだけの歌を作った。
毎日が面白くて仕方が無かった。
家に帰る間が惜しいほどドワンゴが好きだった。
あまりにも家に帰らないので、ついにはマンションを解約して、住民票を会社に移した。あとで怒られたけど。
でも仕事が上手くいけば行くほど、逆にやりたい仕事から遠ざかって行った。
誰が悪いという訳じゃない。
会社の業績は絶好調。
だけど僕はどんどん忙殺されていった。
文字通り、忙しさに殺されていった。
やりたいことができなくなっていく日々にどこか虚しさを感じて、あのキラキラした黄金のような日々はもう二度と戻ってはこないのかと嘆いた。
それから最悪なことが起きた。
着メロが当たったのだ。
ドワンゴは外部から大規模な資金調達を終えていたから、是が非でも上場を目指す必要に迫られていた。
着メロは格好のネタになる。
「着メロなんかつくって・・・ハッカーとしてのプライドはないがしろにされていいんですか」
僕は川上さんにそう詰め寄ったことがある。
「たくさんのユーザが使ってくれてるんだ。それに誇りを持てばいいじゃないか」
川上さんはそう言った。
けど、その時の僕は納得できなかった。
ワクワクするような冒険はもうそこには無かった。
淡々とサーバーが唸りをあげて電話料金に課金。僕は着メロの自動販売機をメンテナンスする会社に長居するつもりはなかった。
そのうえ、着メロのビジネスは、根本的には音楽産業の膨大なプロモーション費にフリーライドして、JASRAQに支払うわずかな権利料だけで成立していた隙間産業だった。
大金を逃したと気づいたレコード会社各社は、2002年当時も対策を取り始めていた。着うたで権利料は大幅に値上げされ、着メロで大もうけしていた会社が軒並みピンチに陥ったのは承知の通りだ。
つまり着メロをネタに上場しても、すぐにネタは尽きることが解り切っていた。
そんな会社に、大切な20代後半の人生を捧げるなんて馬鹿げてると思った。
たとえどんなに大金を積まれても、だ。
それで会社を辞めることにした。
他に辞めてUEIに来た連中も多かれ少なかれ同じような理由だった。
とはいえ、僕たちが思っていたよりもずっとドワンゴの経営陣はタフだった。
他の着メロ企業が軒並みピンチに陥る中、捨て身のCM大量投下で会員を軒並みさらってごぼう抜きした。鮮やかだった。
着うたにもいち早く対応し、最終的には大手レコード会社の傘下に入ることでピンチを脱した。
その着うたの売上げも伸び悩み始めた頃、僕は川上さんに呼び出された。
彼の悩みを聞いているうちに、あることを閃いた。
「動画視聴体験の共有サイトを作ろう」
動画を共有するサービスではなくて、動画視聴体験を共有するサービス。
これは画期的だった、と思う。
僕はそう提案し、サービスの初期設計とプロトタイプの開発を担当した。
その後、彼らはそれをニコニコ動画と名付けた。
ドワンゴが紆余曲折を経ながらも、なんとか上場を維持していることは僕たちにとっても良いニュースだった。
成功した企業の体験を持っているということは、外からは高く評価される。
ドワンゴが成長し続けていることに僕たちは何度も救われた。
これまで9年間に渡り社長という仕事を経験してみて、僕はドワンゴの社員として感じていた不安や疑問が、氷塊していった。
そしてむしろ逆にかたちはともあれ、上場することは一般社員に多くのメリットを生むことを理解した。
川上さんとはいろいろと意見の食い違いもあったが、会社を離れていざ自分で会社の立上げをゼロから経験してみると、川上さんの気持ちが手に取るようにわかるようになった。
そして株式公開に対する考え方も大きく変わって行った。
ドワンゴの上場を内と外から見ていて、まず解ったことは、「上場するときのネタが廃れても、二の矢、三の矢があればなんとかなる」ということだ。着メロで上場したが、着うた、ニコニコ動画で期待値を維持し続けている。
次に重要なのは、「上場してしまうとちょっとやそっとのピンチでは潰れなくなる」ということだ。
上場するのは、とにかく大変だ。
だから一度上場すると、その会社を応援しようといろんな会社や投資家が助けてくれるようになる。
ドワンゴは上場していなかったら三回くらい倒産していてもおかしくない。
そして最も重要なことは、「創業者がいなくなっても、市場によって健全な経営が維持される」ということである。
たとえピンチになったとしても、メリットを感じる会社が現れて、資金提供してくれる場合があるのだ。ドワンゴは一度目はAvex、二度目は角川ホールディングスに救われた。
ドワンゴを創業した川上さんは今、なぜか老舗のアニメスタジオでプロデューサー見習いという冗談みたいな仕事をしている。
会長は兼務したままだが、実務はもうやっていないらしい。インタビューで読んだだけだが。
僕のもと上司もとっくに相談役を退いて悠々自適の人生を送っているし、アメリカのドワンゴを創業したボブも東京ドーム20個分の農場を買って牛を飼い庭の鹿を撃っては食べる、リアルなファームビルをやって暮らしている。
とすると、どうやら創業時のメンバーはもう誰も経営していない。
これは凄いことだ。
社歴20年弱の会社で、創業者が事実上の引退生活を送っていて、なお会社が健全に維持されているのである。
もしかしたらあと50年経ってもドワンゴは存在しているかもしれない。なにを商売にしているのかは全く予想もつかないがたぶんなにか派手で面白いことをやっているだろう。
とすれば、僕の理想としている会社組織の究極の形態のひとつは、結局ドワンゴだったんじゃないか。
そう思った僕は頭を抱えた。
ドワンゴのバカヤロー、と思って飛び出したものの、10年近い年月を経て、結局のところ僕がやりたかったことは、ドワンゴ自身を再び作り出すということだったのか。
そう、僕は、あの、キラキラした仲間達と、ワクワクするような冒険の日々が恋しくて恋しくてたまらなかったのだ。
そしてUEIを作って、またあのキラキラしたまばゆいばかりの日々が戻って来た。
それは要するに、米屋の4Fだった。
あのボロボロに汚れた、けれどもまぶしい仲間達が毎日笑って血湧き肉踊る冒険に明け暮れていた、あの米屋の4Fだ。
要するに僕が作りたかったのは、結局のところ、ドワンゴ・バージョン2なのだ。
このキラキラした、米屋の4Fをできるだけ長続きさせることがUEIにおける僕のテーマだった。
そのために、僕は経営幹部に対して独裁を宣言していた。
最初は1/3しかもっていなかった株式も、川上さんに「バカヤロー!自分の会社の株は8割持っとけ!」と言われて80%超を持つことにした。給料を貯金し、毎年コツコツ増資していった。川上さんは僕が会社の株を80%まで持つために、保証人まで買って出てくれたが、幸いそれはせずに済んだ。IPAから未踏プロジェクトのお金が振り込まれたからだ。
独裁経営・・・それはしばらくのあいだ上手く言っているように思えた。
僕はワガママだから、基本的に会社の幹部は僕がワガママで自分勝手であるという事実に関しては諦めるというコンセンサスを得ていた。
僕は社員の信任のもと、ゆるやかで優れた独裁をしているつもりだった。
しかしやはり人間には限界がある。
社員が80人を超えたあたりから目が行き届かなくなって行った。
それどころか社員にさえ顔を忘れられるようになった。
そんななか、父親が脳溢血で倒れた。幸い、命はとりとめたが、言語と右半身に重い障害が残った。
親父は高卒の叩き上げで、東証一部上場企業にありながら、定年間近に課長まで上り詰めた。
課長になるのは親父の悲願だったし、同じ会社で班長で退職した祖父の悲願でもあった。
しかし課長を拝命してわずか一ヶ月後に、運命は残酷なまでに彼の夢を奪った。
この事件が僕はショックだった。
それまで漠然としか捉えてこなかった「自分の死」が目の前に迫った感じがした。
親父は59歳だったが、僕が親父と同じまで元気でいられる保障はない。
病気や事故でいきなり倒れるかもしれない。
そうなってしまったとき、たった一人の人間の不運で、100人の社員とその家族達がいきなり路頭に迷うようなことがあってはならない。
だとすれば、UEIを私企業として僕が個人的に独裁を続けたいと考えるのは、単なる僕のエゴではないか。
それに拘り続けてなにが得られるのか。
よし、こだわりを棄てよう、と思った。
株式公開を目指す。
しかもできるだけ、会社にいるハッカー達がその才能を活かせる形での上場を目指す。
たとえダメでも、ハッカー達はもっとマシな遊びを見つけるだろう。ハッカーである社員達を僕は信じる。
独裁者である僕を社員達が信じてついて来てくれたように。
そのために、外部から資本を調達し、多いなる飛躍と事業の永続的な繁栄を実現する組織へとUEIをバージョンアップさせる。
そして社長を辞めるための準備をする。
万が一のときがいつ起きるかわからない。
だから僕は万が一のとき、会社ができるだけすみやかに、できるだけ健全に次の経営者を選べるよう、早くから後継者を見つけ、育てて行く必要がある。
そう。”後継者”だ。
かつての上司が僕にそうしてくれたように、僕は若くて才能のある人間を見つけ、宝石のような体験を与えなければならない。
そしてドワンゴで彼と川上さんがやったようなことを、僕もっとうまく大きくやらなければならない。
そうしなければ僕は”彼”を超えることができないからだ。
20歳のとき、僕はブログに「アメリカの会社に行って働き、世界の最先端を見たい」と書いた。
それを読んだ”彼”は、次の週から僕がレドモンドのMicrosoftで働けるように手配してくれた。そのときのたった二週間のMicrosoft本社での勤務経験は、今でも僕のかけがえのない宝物だ。
“彼”が20歳のとき、”彼”にそうしてくれた人はいなかった。
だから彼は自力でその地位を築くしかなかった。
彼は自分の得た地位を最大限に利用して、僕が自分の実力以上にジャンプするための踏み石となってくれた。
僕は”彼”と出会わなければ、絶対に今のような仕事を今のような気軽さでできなかっただろう。
そして同時にそれは僕自身の限界も意味していた。
僕が”彼”であり、CTOの水野君が川上さんだとすれば、ドワンゴ・バージョン2であるUEIがこれから大きな飛躍を遂げるために足りないものはあまりにも明白だった。
それは20歳の時の僕自身だ。あの頃の僕は、控えめに行っても、ドワンゴの黎明期において八面六臂の活躍をした鉄砲玉だった。会社というのは、単に優れた経営者や優れた社員だけがいても成長できない。そうでない場合もあるかもしれないが、ドワンゴはそうではなかった。
僕の描く企業、理想郷としてのUEIを成長させる中心となるのは、無謀なほどの情熱を持った少年の燃えるような瞳だけなのだ。
野心に溢れ、恐れを知らず、無鉄砲で才能のやり場を探して悶え苦しんでいる大馬鹿者。まだ何者でもない少年の日の僕だ。
だから35歳の僕は、20歳の頃の僕のような、無鉄砲で隠しきれないような野心を持った、大馬鹿者が現れるのを待ちわびた。
しかしそんな人間はなかなか現れなかった。
UEIの社員は皆、優秀だ。
どこに出しても恥ずかしくない一流の技術者たち。機転が効き、システム構築から経理まで一騎当千の活躍をする総務。真綿が水を吸い込むように次々と新技術を覚え、ユニークな仕事をとってくる営業マンたち。徹底的に磨き上げられた法人サポート部隊、一瞬で目を引くグラフィックスを仕上げるデザイナーたち。そして僕が鍛えたはずなのに、もはや僕も太刀打ちできない鋭い視点とクオリティで企画書を上げてくるプランナー達。
ドワンゴでも数多くの人材の面倒を見たが、僕は初めて企画書を書くのを完全にやめた。
僕が書くよりもずっといいものを彼ら彼女らは書いてくるからだ。
コンペでは負け知らず。
しかし足りない。それだけでは。
そうして時が過ぎた。僕はかつての”彼”よりかなり年をとってしまった。
けれどもついに、その時は来た。
無謀で無鉄砲、しかし瞳の奥には燃えるような野心を持った少年たちだ。
そう。彼らは、一人ではなかった。
こんな幸運が果たしてあるだろうか。
否、これは単なる幸運ではない。
かつての上司が、僕と出会ったときから、周到に計画され、呼び込むべくして呼び込まれた幸運なのだ。
彼らとなら、再びキラキラとした情熱と野心とをごちゃまぜにしたような、ダイアモンドみたいな日々が送れる筈だ。
僕は彼らの踏み石になろう。そして僕が行けなかった場所へ、彼らを送り込もう。
かつての上司、森栄樹という男は、僕をアメリカへと連れて行き、世界の広さを見せてくれた。そして経営者として独り立ちできるよう、あらゆる教育と見識を与えてくれた。
僕は指導者として、経営者として彼を超えなければならない。それが彼へ報いる唯一の方法であり、”後継者”たる者の使命だ。
であれば、僕は少年達に何を与え、どこに導くべきだろうか。
そのとき、僕の脳裏に「leap」という言葉が閃いた。
それはニール・アームストロングが人類として初めて月面に降り立ったとき、まさしく口にした台詞だ。
そうだ、僕は彼らを月へ送ろう。前人未踏の地、宇宙に広がる広大なフロンティアへと。
彼らにとって、僕がそれをしようとするよりも遥かに簡単に、その地平線を見るだろう。
彼らにとってはほんの小さな一歩だが、会社ぜんぶから見たら、偉大なる飛躍となるようなプロジェクトを始めよう。
UEIはNASAになる。
秋葉原に才能を持った子供達を集め、彼らが大いなる飛躍を達成するために教養と訓練を与えよう。
秋葉原リサーチセンターと名付け、これをARCと呼ぶことにしよう。
ARCはコンピュータの歴史に偉大な貢献をしたXEROX PARCにちなむ名前であり、なおかつ大きな飛躍を遂げた時に描かれるであろう緩い円弧も意味している。
誰にも相談せず、今年の1月にARCという名前と組織をつくることを密かに決意した。
ARCを設立する前後、UEIに集まった優秀な子供達と話をした。
彼らは皆十代で、研ぎすまされた才能を持て余していた。
何度か話をするなかで、「こんなものがあったら喜ばれるんじゃないか」という話をした。
その萌芽は、意外にも早く現れた。
enchant.jsだ。
これはHTML5専用のゲームエンジンである。
文句なしに素晴らしいものだった。
これほど素晴らしいプロダクトを、僕は自分の生涯のどの時点を振り返ってみてもついぞ手にしたことが無かった。
パワフルで軽量。しかしなによりも、ありとあらゆる意味で美しかった。
そしてこれが、本格的なゲーム開発経験のない、若干19歳の少年の手で作られたという事実そのものが仰天するほど美しかった。
少年達はアイデアを出し合い、力をあわせ、enchant.jsを磨き上げて行った。
これはさながらサターンV型ロケットだ。
アポロ計画の中心になったエンジニアの平均年齢は26歳。若き才能溢れるエンジニアでなければ、無謀な挑戦はできない。
19歳の少年達が骨格をつくり、それを23歳の近藤誠や36歳の経験豊富な布留川英一や鎌田淳二がサポートして完成度を高めた。
ま、ARCのメンバーも”平均”したらそんなもんかな。
そしてenchant.jsは日本国内で瞬く間に広まり、注目を集めた。
これは行ける!
そう思った。
開発者に愛されるミドルウェアは、成功する。
これは鉄則だ。
しかもHTML5は世界的なムーブメントだ。
コンシューマ向けサービスで海外展開するのは非常に大変だが、ミドルウェアなら活路が開けるかもしれない。
全地球規模のソフトウェアを作るのが僕たちの夢だ。
これに賭けよう。
それから僕は、取締役と経営幹部を集めた。
それからたっぷりと時間をとって、頭の中で台詞を組み上げた。
「ところで僕は独裁者をやめようと思う」
僕が熟慮の上で発言していて、それには一片のセンチメンタリズムもないことを確認するかのように、全員が僕の顔を文字通り覗き込んだ。
「独裁をやめてどうする?」
誰かが聞いた。
僕は芝居がかった口調で、しかし確固たる意志を持って、答えた。
「株式を上場し、資金を広く調達して、事業を永続化する。事業資金を確保し、月へ行き、旗を立てる」
シン、と静まり返った。
「月?・・・それはなにかの暗号ですか」
「暗号ってほどじゃないけど、僕たちが集まったのはなんのためだった?世界をアッと言わせるためだろう?そのために必要なものがほとんど全部揃ったんだ。けど、足りないものと邪魔なものがひとつずつある」
「足りないのはお金?」
「そう。そして邪魔なのは僕のつまらんプライドさ。独裁なんて、80%なんて、くそくらえだ。株を売り、ベンチャーキャピタリストから資金を調達する。第二宇宙速度に達するまでの燃料をそれで確保するんだ。たったそれだけのことで、世界一になれるんだったら安いもんさ」
「なれるのかなあ・・・なんか話聞いてるとできないってほどでもない気がして来ちゃうんだけどなあ」
「そうだろう。なにしろ僕は口が巧いからな」
「どうせ反対しても無駄なんでしょう。”まだ”独裁者だから」
「その通り・・・でも反対意見があれば聞こう。なにしろ僕はものわかりのいい独裁者だからね」
「反対はしない。面白そうだし。そういう法螺話、久しぶりに聞いたし」
「それでいくら調達する?」
「5億。ただし過半数を超えない」
「根拠は?」
「今期の売上高が5億。昔は無理だったが、今の僕はもう5億なら手足のように使うことが出来る」
「確かに、昔は5億って途方も無い金額に思えたけど、今ならちょっと足りないかもって感覚」
「ベストのタイミング、ベストの金額。世の中はかねてからの予想通りスマートフォンが全盛だ。iPhoneブームが落ち着き、Androidの時代がやってきた。いまこそハードウエアにもOSにも依存しないエンターテインメント・プラットフォームの時代だ」
「ユビキタス・エンターテインメント、か」
「それをやるためにこの10年やってきたんだ。このチャンスを逃したらもうチャンスは来ない。それに僕は気が短い」
「うまくいかなかったら?」
「そんときゃそんとき。また別のことをしよう。平気だよ。なにしろこの会社には、地球上で最高の人材が揃ってるんだ」
僕は幹部の顔を見回した。ゆっくり、一人ずつ。
一人残らず、同じ顔をしていた。
「よし、決まりだ」
それから先は、あっという間だった。
いくつかの引受先候補があったが、皆この計画に尻込みした。当然だ。
日本人の開発したソフトウエアで世界展開に成功したのは、おそらくRubyのまつもとゆきひろ氏のみ。
しかもRubyそのものによって得られた収入は投資家からみたら微々たるものだと思う。完全なオープンソースだからだ。
そもそもオープンソースのソフトウエアを作って売るのは難しい。
全世界に1100万人の”有料ユーザー”を抱えるMySQLでさえ、売上高はたったの50億円だったと言われている(現在はOracleに買収)。
もちろん僕たちはもっとうまくやるつもりだ。
そのために、MicrosoftでDirectX、ドワンゴで通信サーバ、そしてUEIでCMSという、いずれもミドルウェアビジネスを一貫してやってきた。
思えば、これはもう運命のようなものなのかもしれない。
コンシューマ向けのビジネスをB2C、事業者向けのビジネスをB2Bと呼ぶが、僕の得意領域は。対開発者、いわばB2Dとでもいうべき領域なのだ。
結局、今回のラウンドで投資を引き受けてくれたのはジャフコということになった。
ジャフコは、ベンチャー起業家なら知らぬ者はいない、日本最古にして最大のベンチャーキャピタルだ。ドワンゴも上場前にジャフコからの出資を受けているが、一度断られている。
今回の投資はジャフコ自身にとっても大きな冒険だったのではないかと思う。
なにしろ海のものとも山のものともつかない会社、いったいなにがどうなるのか全くわからない会社に、単独でかなりの規模の投資を行ったのだ。
その振込が、9月30日に終了した。
簡単なものだった。
今、僕の手元に、5億円プラス、それまでの預金がある。
月に何千万も生み出す事業もある。
これだけあれば、まず当面は会社が潰れる心配はない。
もちろんそれだけじゃない。
100人の極めて優秀な社員たちと20人の若き才能溢れる少年少女たち。
そして世界を魅了するソフトウェア、enchant.js。
そしてキラキラした職場、胸躍る冒険に溢れた仕事だ。
iPhone、Android、HTML5、Node.js、Couchbase・・・技術者なら誰もが恋焦がれるような刺激的な仕事に溢れている。
この資源をもとに、enchant.jsをコアとするそしてスマートフォン向けゲーム事業をこれから積極的に展開していく。
それは国内外を問わずやっていくつもりだ。
まず手始めに11月1日にシリコンバレーで開催されるHTML5ゲームカンファレンスにGoogleに次ぐGoldスポンサーとして参加する。今後も世界の主要な展示会にはどんどん進出していく。
社内でアメリカ人エヴァンジェリストを養成し、世界中のカンファレンスに送り込む。
もちろん日本でもイベントを開く。
9leap camp以外にも近々、enchant.js単独イベントを開催する予定だ。
enchant PROのiPhone版も年内を目指して開発する。
enchant PROのライセンス料金はもうすぐ公開されるが、世界に類をみないほどリーズナブルになる。
少なくともTitaniumは開発者一人当たり月額200ドル、PhoneGapの有償サポートは年間250ドルから2万ドルかかるけど、このあたりとは桁違いに明朗会計にするつもりだ。
モバイル向けのミドルウェアはなにかとグレーな部分が多くて、僕も経営者のひとりとして扱いにくさを感じることが多々ある。
enchant.jsとenchant PROはこの状況に正攻法で風穴を開けるつもりだ。
ドキュメントやサンプルもより充実させていく。enchant.jsの書籍ももうそろそろ公表できる段階に近づいてる。
もちろんここに書けない秘密の作戦も多数進行中だ。そっちのほうが多いくらいだ。
僕たちはこれまで学んだ全ての経験と知見を動員して、ARCの少年達が作り上げた最高のミドルウェアとして磨き上げる。
しかもオープンソース。全地球展開。
enchant.jsを誰よりも開発者に愛されるミドルウェアにしていく。
ポーランドでの手応えも確かにあった。
もう夢じゃない。手の届くところまで来ている。
もちろん簡単じゃない。だから燃える。ワクワクする。
これこそが僕の冒険だ。
誰かがTwitterでこの増資のニュースについて「UEIはトップギアに入れた」と表現していたが、それは誤りだ。
これはセカンドギアに下げたのであり、エンジンのトルクを全開まで使って一気に加速する体勢に入ったのだ。
全身の血が沸騰し、身体ぜんぶでオーケストラを演奏しているみたいだ。
うまくいくか、惨めに失敗するか、彼らを無事月に飛躍(leap)させることができるか。
みなさんにはぜひ、固唾を飲んで見守っていただきたい。
もしできれば、そんな我々をぜひ応援して欲しい。
——— お知らせ ———-
こういう記事の直後に求人情報を載せるのは嫌なんだけど、社員がどうしても載せてくれというので載せることにする。
UEIでは、iPhone、Android、Node.js、HTML5などに興味のあるエンジニア(正社員または学生アルバイト)を募集している。
前職の給与は原則として保証。会社から2キロまたは2駅以内なら家賃補助も出る。
社員持株会もあるから、会社が上場すれば、ともに上場益(キャピタルゲイン)を得ることが出来る。
ストックオプションを社員には交付していないが、今回の増資で、社員持株会の資産は数倍に跳ね上がった。それまで持株会に入っていた社員はかなり得をしたことになる。
http://www.uei.co.jp/recruit/index
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