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きょうの社説 2011年10月2日
◎島清恋愛文学賞 議論深め、後悔しない結論を
白山市の「島清(しませ)恋愛文学賞」で持ち上がった存廃論議は、渡辺淳一氏ら選考
委員が指摘する通り、「唐突」の印象が否めない。一時は乱立気味だった自治体文学賞は財政難から廃止する動きが出ているが、金沢市の 泉鏡花文学賞や島清恋愛文学賞はかえって希少価値が高まっている。若者の活字離れ、文学離れが指摘されるなか、自治体が文学賞を主催する意義は極めて重い。 文化にはお金で測れない価値があり、そうした無形の価値まで考慮に入れないと存廃は 軽々に判断できないだろう。結論はどうあれ、大事なのは、後で悔いが残らないよう議論を尽くすことである。 島清恋愛文学賞は、旧美川町が1994年に地元出身の小説家島田清次郎を顕彰する目 的で制定した。当初の名称案は「島清文学賞」だったが、選考委員の渡辺氏の助言で「恋愛」を入れた。それが功を奏し、全国唯一の恋愛文学賞として文壇の評価が定着した。 今年で18回となった受賞者を振り返れば、他の著名文学賞に劣らぬ顔触れである。受 賞者と受賞作品によって賞の性格が分かりやすくなったといえる。 全国規模の自治体文学賞の先駆けは、1973年創設の泉鏡花文学賞である。「該当作 なし」で賞の在り方が議論された時期もあったが、選考の厳しさが鏡花賞の価値を高め、「地方からの文化発信」という創設意義はさらに鮮明になっている。 島清恋愛文学賞については、白山市側の「役割を終えた」との認識に対し、選考委員は 「土木事業と文化活動の費用を一緒にしないでほしい」(小池真理子氏)、「経費の問題は何とでもでき、活字文化に愛情があるかどうかだ」(藤田宜永氏)と反対姿勢を示した。渡辺氏は、賞名には見直しの余地があるとして「白山恋愛文学賞」との具体例まで示し、再考を促している。 双方の認識には隔たりがあり、この溝を埋めない限り、今後の円滑な運営は難しいだろ う。むろん自治体が税金を投じる以上、市民の意向は無視できない。市民を巻き込んだ幅広い議論が必要だが、何より問われるのは、文学賞を支える自治体側の姿勢である。
◎避難準備区域解除 国の責任で除染を着実に
福島第1原発から半径20〜30キロ圏内に設定された緊急時避難準備区域が約5カ月
ぶりに一斉解除された。原発事故で拡大を続けた避難に関する区域が縮小するのは初めてであり、形の上では地域再生の一歩といえるが、放射性物質の除染やインフラ復旧など課題は山積しており、地域が元通りの生活を取り戻すまでには険しい道のりが予想される。野田佳彦首相は就任以来、「福島の再生なくして日本の再生なし」と繰り返してきた。 福島再生で最大のかぎを握るのは、放射性物質の除染である。 政府は当初、年間被ばく線量5ミリシーベルト未満の地域は財政支援を見送る方針を示 したが、地元自治体が反発したのは当然である。日本が経験したことのない大規模な除染作業は「国家プロジェクト」であり、たとえ線量が低くても政府が全面的に責任を担い、国の総力を結集して取り組む必要がある。 緊急時避難準備区域は「事故が収束していないため、緊急時に速やかな避難や屋内退避 を求められる可能性がある地域」とされた。5市町村の約5万8500人のうち約2万5千人が避難している。 政府は原子炉が安定状態になったとして区域を解除したが、住民の受け止め方はさまざ まで、「徹底的に除染したうえで解除するのが筋」との不満も根強い。 除染作業は南相馬市以外はほとんど手つかずの状態である。面積の多くを占める農地や 山林は除染方法さえ決まっていない。除染に伴って発生する汚染土の処理方法、汚染廃棄物の仮置き場や中間貯蔵施設の確保をどうするのか。これらの課題に手間取れば作業は思うように進まない。技術、人手を最大限に投入し、国、県、市町村が知恵を出し合う必要がある。 原発から20キロ圏内の警戒区域については、原子炉の冷温停止状態が見直しの前提だ ったが、ここにきて先行きに不透明感が増している。避難準備区域と警戒区域にまたがっている自治体もあり、警戒区域が縮小しないと一体的な地域再生は難しい。新たな段階へ進むためにも、除染対策を加速させなければならない。
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