2010/05/13
明治座「舞踊ショー」① by工藤ちはる
30分ほどの休憩時間もあっという間に過ぎ去り…第二部の舞踊ショーが始まりました!
緞帳が上がると…「エ~ンヤ~」と聞こえてくる風流深川唄のメロディ。花笠を手にした芸者姿の二代目が、凛と舞台に現れます。後ろ姿の二代目が振り向くまでに、真っ先に目に飛び込んでくる…この花笠。いったい、何代目になるのかな、と、ふと考えが過(よ)ぎりました。まだ大きな舞台に立つ前の浅草の大勝館で、繰り返し舞台を共にしてきた初代花笠は、ライトに照らされ続けて色あせてしまい、二代目が大舞台に飛び立つ前に、次の世代へと交代を果たしたのでした。 使わなくなった花笠は無用の長物。折りしも月末、劇団入れ替え時期の大勝館は、荷物でごった返していました。
処分品の山の中に、全体に白っぽくなった花笠を見つけたときは、ひとつの時代の区切りを感じ、お疲れ様、と声をかけたのを覚えています。…ところが…数日後、大勝館の事務所の片隅に、捨てられたはずの初代花笠を発見しました!捨てられるのを見かねた誰かが、救い出したのでしょう。その場所にしばらく置かれていたものに、いつしかゲスト出演で訪れた二代目のサインが入り…しかも、「急いで書いたから」と、太一の点「、」の位置がちょっとずれてしまっているのもご愛嬌。今でもこの初代花笠は、どこかで二代目の活躍を見守っていることでしょう。
明治座と御園座での公演が終わり、心機一転の二代目。ここからしばし、明治座での二代目の晴れ姿の写真を眺めながら、二代目の今後の飛躍に思いをシフトして行きましょう。
明治座千秋楽の思い出 by工藤ちはる
舞台は生き物、と言います。出演者やスタッフは一定の高水準を保ちつつ、客席のテンションなど様々な要素がからみあって出来上がった作品は、その日、その回だけの唯一のものであると言えるでしょう。そう考えると、千秋楽を観た直後は名古屋にも行きたい!と強く思ったのですが、残念ながら機会を作ることができませんでした。
明治座での千秋楽では、第二部舞踊ショーが終了すると、二代目だけのカーテンコールに続き、再び緞帳が上がりました。するとそこには…劇団朱雀の面々の他、「嗚呼、田原坂」の出演者が勢ぞろいです!華やかな女形の二代目に並び、きらびやかな藤巻や沙雪、武者たちがそろって挨拶をする舞台上には、夢のような世界が広がり…
いつまでもその場面を見ていたいと思いながらうっとりしていると、パンパン!という破裂音と共に、金銀のリボンが空から舞い落ちてきました。客席にヒラヒラと降り注ぐ金銀の雨に、場内から歓喜の声があがります。その様子を微笑みながら見守る二代目の満足げな表情に、明治座での座長公演を務め上げた自信が感じられました。そして、この客席の興奮を、御園座でも再現してもらえるものと確信したのでした。
二代目の送り出しを見届けてから劇場を出て雨の中を歩き出すと、すぐ隣りに、パリのカフェを思わせる赤いひさしの「シュヴァル」という洋食屋がありました。シュヴァルは、フランス語で馬を意味します。雨と馬。私の頭の中では再び民謡の田原坂が響いていました。「雨は降る降る、人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂…」。幕間にアイスもなかを食べただけの私と連れ合いは、この店に入り、舞台の余韻にひたりながら遅めの昼食を楽しんだのでした。
これまで、二代目の舞台を観るために日本や海外の各地を訪れました。これからも、二代目の舞台を観ることで初めての土地を楽しみ、観劇と共に食や観光を楽しんで行ければ幸せです。
明治座の2度目の幕間 by工藤ちはる
「嗚呼、田原坂」の前半と後半の間にも休憩時間が設けられていましたが、正直、どのように過ごしたかあまり記憶がありません。プログラムに見入ったり、前半の物語を反芻してみたり…まだまだお芝居の渦中にいたのではないかと思います。
お芝居が終わって舞踊ショーを控える段になり、ようやく幕間を楽しむ余裕が出てきた私でした。
あちこちの店を覗きながら歩くロビーでは、甘いお菓子の香りが漂っていたりして、ちょっと小腹がすいたような気もします。人形町の駅を出たところの老舗の和菓子屋の大きな黒豆の甘納豆もいただいたのですが、こちらは家に帰ってから楽しむこととして…さて、何を食べましょう。
行列が出来ていたのは、アイスもなか売り場でした。そう言えば、お芝居の合間に隣の席の老夫婦のお二人が美味しそうに召し上がっていたのを思い出しました。売り場の人に聞くと、作りおきではなく、注文したその場でウェハースにアイスを包むので、外はパリパリ、中はヒンヤリでとても美味しいとのこと。ということで、さっそく私もその行列に並びながら、バニラ・小倉・抹茶のうちのどれにしようか真剣に考えていたのでした。
客席に戻ると、舞踊ショーの開始まであと数分でした。ふと天上を見上げると…大きなシャンデリアなどはありませんでしたが、存在感のある四角い模様が一面に広がり、落ち着いた明るさに照明が調整されていました。観劇のあいだは存在を消す天井ですが、劇場により個性があって、とても面白いのです。これまで訪れた劇場でも、必ず一度は注目することにしています!
2010/05/10
明治座「田原坂」⑥ by工藤ちはる
ストーリーは、戦うことや生きることなどを通して、新之助の目線から「愛」について探求していました。また新之助を取り巻いて登場する伊予、藤巻、沙雪といった女性たちの生き方や愛情表現の仕方を見て、女性としての幸せについて考えさせられました。愛する幸せと、愛される幸せ…。強い語り口の藤巻(知念里奈)がふと見せた女性らしい一面は可愛らしく、また愛らしく振舞っていた沙雪(高部あい)が命を落とす間際に男たちに挑んでいく姿は力強く、そんな意外性を垣間見ることで、それぞれのキャラクターの魅力をより強く感じたのは私だけではないでしょう。。
その他にも、「上(政府)が変わっても、国は変わらない。」など、現代にも通じる台詞などもあり、ひとつひとつの言葉の奥に潜む意味を噛みしめながら、物語に没頭していました。
明治座での千秋楽は、雨がしとしと降る1日でした。劇場を出たところで降りしきる雨空を見上げると、「田原坂は、今日も雨か…」という台詞が聞こえてくるようでした。そして、それから3週間後の御園座での千秋楽。この日の名古屋も、雨の1日だったということです!これはもう単なる偶然とは言えないと、御園座の千秋楽を観た友人から震える声で報告があったのが、今でも耳に焼き付いています。田原坂で命を落とした数多(あまた)の薩摩隼人たちが、いつまでもその史実を忘れてないで欲しいと、雨雲を呼び寄せたのかもしれません。
明治座「田原坂」⑤ by工藤ちはる
新之助が陣地に戻ると、新政府軍の密通者となった薩摩藩士たちの家族が処刑されるところでした。刃を向けられた沙雪が、裏切り者となってもなお父を慕い、新之助に抱いた恋心を押し殺してまで武家の娘として命を全うする姿に、新之助はある種の感銘をも受けたかのようでした。
ちょうどその頃、薩摩軍のトップである大西郷からの伝令が、新政府軍に捕らえられ、「薩軍は、全軍撤退せよ」との命令が、最前線まで届かない事態となっていました。
新政府軍の手先となり、新之助の父を暗殺した抜刀隊の久坂は、自分の犯した行為を恥じ入り、今こそ罪をつぐなうときだとばかり、その伝令を薩軍に、田原坂で攻防を張る陣営に伝えるべく、走り出しますが…。
撤退命令がない以上は、進軍を続けるしかない抜刀隊。新政府軍は新しい兵器を持ち出していました。ガントリング砲の弾丸が飛び交う中を、薩軍のため、そして伊予を守るために戦う決意を固めた新之助は、仲間のひとりに「お前だけは死なずに、母のもとに、これを」と、伊予への手紙を託します。
抜刀隊と、新之助を援護する薩摩一番隊から四番隊までの大隊長らが、自ら盾となり弾丸に撃たれ、命を落としていきます。仲間たちが次々と倒れる中を果敢に進んでいく新之助のもとには、大西郷からの命令は、もはや届くことはありませんでした。
敵の弾に当たり、朦朧としていく意識のなか、新之助の瞼に浮かんでくるのは伊予の優しい、あじさいの花ような笑顔だったのでした。
明治座「田原坂」④ by工藤ちはる
新之助は伊予を守ることはできましたが、啓二郎は刺客の刃に倒れ、息を引き取りました。新之助はまた戦うことに疑問を持ち、自分の進退に行き詰まってしまいました。武家に生まれた女性として毅然と振る舞う伊予に対し、高ぶる感情のままについ荒々しく接してしまう新之助ですが、すぐに自分を取り戻し、「戦って、無事に生きて帰ってくる」ことを伊予と約束するのでした。
死者が出るごとに現れる藤巻…弟の死に際しても、現れました。そして、思いがけず聞くことになる、藤巻の身の上話。琉球を出て神に仕える身となったことは、ある壮大な夢を語る男性に対する揺るぎない「愛」によって裏付けられていたのでした。
「愛」と「戦い」が新之助のなかでリンクしたのでしょう。再び戦場に向かう新之助の心は、“愛するもののために戦う”というひとつの決意で固められていました。もう、戦うことに対して、新之助が迷うことはありません。
明治座「田原坂」③ by工藤ちはる
次の陣地に進軍すれば、最前線で戦う父と合流できるところまで来た新之助。飫肥で暮らしていた頃に比べると、神に仕える巫女の藤巻との会話や戦争での経験を通して、考え方に変化が出ていました。今では立派な武士たる父に敬意の念を改めて認識し、これまで反発してきた自分の愚行を詫びたいと思うようになっていました。
ところが、陣地に到着すると、父は殺されていたのです。
それが仲間の裏切りによるものとは知る由もありません。「父上!」と駆け寄り、まだ温かさが残る父の亡骸にすがりつき、悲しみにくれる…はずが、どうしたものか、悲しさとは違った心情が沸き起こることを禁じえない新之助なのでした。鎮魂のために現れた藤巻に、その得体の知れない感情を問うのでした。「父が死んだというのに、この清々しくもある気持ちは、一体何なんだ?」