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トレインマニアさん、1956-1961年の鉄道事情についての正確な記述を有難うございます。うろ覚えの記憶で、その頃の印象の強かったことにのみ引きずられ、思い出が脚色されていたようです。
私が特急「つばめ」に大阪京都間を無断乗車したのは昭和31年の春休みのことだったと思います。東京から広島と大阪の親類を尋ねる旅の帰途でした。大学生の私と小学生の弟との二人旅です。当時の列車はいつも混雑していて、私たちは東京から神戸あたりまで、とうとう座れませんでした。床に新聞紙を敷いて座り込み眠る旅でした。
週末には新宿から夜行列車でよく登山に出かけました。土曜日の夜の新宿駅の地下には、こういう学生たちの列が出来ました。でも座席にありつけないことが殆どでした。トイレにも人が座ります。
しまいには座れたときでも、床に新聞紙を敷いて横になった方がよく眠れるようになりました。混雑のお蔭様で、車内検札も実効が上がらず、ずいぶん「キセル」をさせて貰いました。往きは学割で、帰りはキセルなどと。
あの頃の列車は、どれもあの混雑でしたから、一本の列車が垂れ流す糞尿の量も半端なものではなかったでしょう。その列車に近付いて撮影をしておられたトレインマニアさんは筋金入りの「撮り鉄」さんなのですね。「列車が去れば、レールは金メッキ・・・」などと子供同士ではやし立てたものです。
「停車中の列車トイレの使用は厳禁」。このマナーは身に染み付いています。今でも、新幹線などで停車中に用を足すときには抵抗感があります。
当時、国立駅の引っ込み線で、国鉄の新型車両の見学会がよくありました。たしか、昭和33年だったですか。「こだま」型電車にならって設計された、ボンネット型の特急気動車キハ81。それを見に出かけました。あの先頭車のデザインがえらく気に入ったことを覚えています。しかし、この車両が事故つづきで、いつの間にか、すべて「白鳥」型になってしまいました。
お古いお話で失礼しました。
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