「悪いっ!戦線離脱する!」 そう叫んで地上に向かっていく同僚に、アーニャは首を傾げた。真面目なジノにしては珍しい。 「ジノ? どうしたの?」 しかし次の瞬間、アーニャも慌てて地上に向かうことになる。 「ルルーシュ先輩を見付けた」
ダ・カーポ -da capo-
「学校の先輩なんだ。軍医を呼んでくれ」
しかもそのことを後悔や恥じ入ることなく、助けてくれと頼んでくる。これが一人だけならまだしも、ナイト・オブ・スリーとシックスの二人が頼んでくるものだから、軍人たちはいよいよ混乱した。
だが彼らはラウンズだ。多少おかしくとも従わないと未来がない。慌てて軍医を呼びに駆ける。
ラウンズが連れて帰った恐ろしく綺麗な顔をした民間人は、頭から血を流していた。
「ありがとう」
軍医の言葉に、ジノはホッと安堵の溜め息をつく。軍人のジノは大した怪我じゃないと解っていたけれど、場所が場所だけに心配だったのだ。
黒の騎士団との戦闘に巻き込まれ頭部から出血しているルルーシュを見つけて、我を忘れて助けてしまうくらいに。
「ルルーシュ、平気?」
アーニャも心配そうに顔を覗き込む。すぐさま戦闘放棄したところを見ると、アーニャもルルーシュを気に入っているらしい。
「ブリタニアの医学なら、顔に傷も残らないさ」
「なら、いいけど」
ベッドに寝ているルルーシュを残したまま、二人は部屋を出る。目が覚めるまで側にいたいけどそういうわけにもいかない。仕事がある。
名残惜しそうに立ち去る二人は気付かなかった。ルルーシュの瞼が震えていたことに。
ナナリーのいない世界なんて。
戻りたい。
幸せだった、あの頃に。
還りたい。
その会議室の扉が、ゆっくりと開く。お待ちください、と慌てる門番の声がして、会議室にいた者は一斉に顔をあげた。
「ルルーシュ先輩!もう大丈夫なんですか?」
「ルルーシュ、もう痛くない?」
ジノとアーニャが心配する様子で、他の者はこの少年が救助された民間人だと気付いた。ラウンズの保護した少年だから、門番が強い態度に出られなかったんだろうとも。
そんな中、ただ一人だけ驚愕に目を見開いた者がいた。神聖ブリタニア帝国宰相の位を持つ第二皇子、シュナイゼル・エル・ブリタニア。ガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、口を開く。
「・・・ルルーシュ?」
信じられないと、掠れた声音が物語っていた。シュナイゼルを見て瞬いたあと、ルルーシュは頭を傾げる。
「シュナイゼル・・兄上?」
「え?」
驚いたのは周りだ。ジノやアーニャも固まった。シュナイゼルを兄と呼ぶのなら、このただの民間人だと思っていた少年は、神聖ブリタニア帝国の皇族。何故戦場なんかにいたのだろう。
「本当にルルーシュなのかい? ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア?」
「はい。どうしたんです? シュナイゼル兄上」
何故そんなことを訊かれるのか解らないという風にルルーシュは戸惑う。
「あの、シュナイゼル兄上、ここはどこなのでしょうか? 僕は確か、アリエス宮にいたはずですが」
「・・・アリエス宮?」
「はい、自室で休んでいたはずなのですが、ここは・・・兄上の専用母艦ですか?」
アリエスの離宮。それは確かにルルーシュの家である。ただし、マリアンヌが殺されるまでは、の注意書がつく。ブリタニアに戻ってきたナナリーでさえアリエス宮には戻ることを許されなかった。
「待ってくれルルーシュ。君は昨日まで・・・アリエスの離宮にいたのかい?」
「そうですけど。どうかなさったんですか? 顔色が悪いようですが」
ルルーシュは嘘をついている風ではなかった。少なくとも、ルルーシュに嘘をついているつもりはない。ルルーシュはアリエス宮に住んでいる。その、記憶が確かなら。
「ええと、ルルーシュ? 変なことを聞くようだけど、君は今年、何歳になるんだったかな?」
「? 八歳になります」
決定打だった。ルルーシュの年齢を知らない周りの者でさえ、おかしいと気付いた。当たり前だ。どう見てもルルーシュは年齢一桁の子供ではない。明らかに記憶喪失。いや、この場合は記憶後退と呼ぶのだろうか。とにかく、ここ何年かの記憶を失っている。
シュナイゼルは目眩を懸命に堪えた。倒れている場合じゃない。でも、このルルーシュは、何も失っていないときの幸せだった頃の弟なのだ。現状を伝えるのは酷すぎる。
「・・・・・・すまないねルルーシュ。ここは私の母艦でね、寝てる君を勝手に運ばせたんだ。少しの間、私に付き合ってくれないだろうか?」
何の解決にもなっていないと解っていながらも、先延ばしにすることをシュナイゼルは選んだ。やっと帰ってきた弟を、壊したくなかったのだ。
「はい、兄上の頼みならば」
「ありがとう」
「でもあの、すみません兄上。通信機をお借りしてもよろしいですか? 今日、約束していたので」
ギクリと、身体が強張った。嫌な予感がする。
「誰に、かな?」
「今日はクロヴィス兄上とチェスの約束をしていたのです。何も言わないで約束を反故にしたら、兄上拗ねてしまうので」
ふふ、と楽しそうに笑うルルーシュに、誰もすぐには言葉を返せない。
苦々しい想いを抱え、シュナイゼルは笑みを浮かべる。
「クロヴィスには・・・もう連絡をしておいたから、大丈夫だよ」
「そうなのですか? ありがとうございます。じゃあ母上にもですか?」
「ああ、マリアンヌ皇妃にも・・・もちろん連絡してあるよ」
マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア皇妃。彼女が亡くなったことを知らない者もいない。
「そうだったのですか。少し、心配してしまいました」
「・・・すまなかったね」
「いいえ。兄上が謝られることではありません」
重苦しい空気が漂う。誰も、この憐れな少年に真実を告げられないでいた。
「・・・ルルーシュ先輩」
吐き出された小さな声。おそらく本人も出したつもりはなかったのだろう。だがルルーシュは聞き届け、声の主に目を向けた。
「・・・あ、ジノ・ヴァインベルグ殿ですね? お久しぶりです」
「え? あの・・・?」
「先日はパーティーに招いてくださり、ありがとうございました」
ジノの目が丸くなる。今まですっかり忘れていた。艶やかな黒髪と紫色の瞳の少年。アッシュフォード学園でルルーシュを見て一目で気に入ったのは、昔会ったことがあるからだ。
「え?・・・・・・ああっ!ルルーシュ様!?」
皇族を忘れるなんて無礼極まりない。だがルルーシュは別に気にした様子もなく、微笑んで見せた。
「今度、アリエス宮に遊びにいらしてください。歓迎いたします」
「えと、はい。楽しみにしてます」
そんな日は来ない。
「あ、少し急ですけど、明後日お時間ありましたら、ティーパーティーにいらっしゃいませんか?」
ジノを気に入ったらしいルルーシュは、良いことを思い付いたとばかりに顔を輝かせた。
「ティーパーティーですか?」
「はい、親しくしている兄上たちもいらしてくださるんです」
「ということは、皇族なのでしょうか?」
それはちょっと、と遠慮の雰囲気を漂わせたジノに、ルルーシュは柔らかな笑みを零す。
「はい、でも皆お優しい方々ばかりなので緊張なさらなくても大丈夫ですよ。ジノ・ヴァインベルグ殿も何度か会ったことがあると思います」
微笑みながら告げられた名前を聞いて、皆は耳を塞ぎたくなった。
「シュナイゼル兄上、コーネリア姉上、クロヴィス兄上、ユーフェミア、それに僕の妹、ナナリーです」
それは諮ったように、ほとんどがもういない皇族の名前で。
「ナナリー・・様?」
しかもナナリーは、たった今、フレイアで殺された皇女だ。
ダメだ、もう耐えられない。これはキツイ。
「ルルーシュ」
「はい? ・・・シュナイゼル兄上?」
「無理を言っては、ダメだよ」
宥めるように囁いたシュナイゼルだが、ルルーシュには空気を重くしている自覚がないのだ。困ったように、少し照れて、そしてまた爆弾を落とす。
「そう、ですね。ジノ・ヴァインベルグ殿にも予定がありますよね。失礼しました」
「・・・いえ」 |