忘却少年 後篇
「………すまないねテツヤ。君は頭を強く打って、記憶が混乱しているんだ。僕と一緒に病院にいこう?」
いつの間にか、赤司が観覧席から降りて黒子の隣に来ていた。赤司でさえ自分たちが既に高校生で、黒子とは喧嘩別れしたのだとは教えられなかった。ただ、当たり障りのないことしか告げられなかった。
何も知らない黒子を、壊したくなかったのだ。
「ああ、そうなんですか。じゃあ、今は試合かなにかの最中だったんですか?」
「っ、…そう、だよ。」
「じゃあ、みなさんに悪いことをしてしまいました。少し時間をくれませんか?今日、約束していたので」
ギクリと、身体が強張った。嫌な予感がする。
「誰に、かな?」
「紫原君です」
黒子は笑顔で告げた。
「今日は紫原君と駄菓子屋さんへ寄る約束をしていたので。何も言わないで病院に行って約束を反故にしたら、紫原君、拗ねてしまうので」
ふふ、と楽しそうに笑う黒子に、誰もすぐには言葉を返せない。
苦々しい想いを抱え、赤司は笑みを浮かべる。
「敦も…ここにいるから、大丈夫だよ」
「そうですか? じゃあ、緑間君と黄瀬君もここにいるんですよね?」
「ああ、二人とも…ここに、いるよ」
そう、三人ともここにいる。ただし、みんなバラバラの学校だ。そんなことはここにいる全員が知っている。
黒子だけが知らない。
「そうですか。少し、心配してしまいました」
「…すまなかったね」
「いいえ。赤司君が謝ることではありません」
重苦しい空気が漂う。試合も止まっていた。音も止まっていた。
「…黒子」
吐き出された小さな声。おそらく本人も出したつもりはなかったのだろう。だが黒子は聞き届け、声の主に目を向けた。
「…?えっと、どちら様でしょうか? 」
「っ、…………………火神、大我…」
「そうですか、初めまして」
火神の目が絶望に染まる。
黒子の中には自分の記憶は無いのだと本人から思い知らされた。黒子にその自覚は無い。それでも…。
呼びとめておいて黙ると言うのは褒められた行為ではない。だが黒子は別に気にした様子もなく、微笑んで見せた。
「今度、帝光にいらしてください。歓迎します」
「えと、…ああ」
そんな日は来ない。
それを告げる勇気も残酷さも、赤司にはなかった。
バタバタと廊下を走る音がする。一つ、二つ、三つ。それが誰のものか赤司には分かった。
黒子は、火神に気をとられていて気が付いていない。
黒子が入って来た時とは違う。荒々しく、扉が開かれた。
其処にいたのは、赤司が予想したとおり。黒子が気にしていた三人が肩で息をしていた。本来なら、この程度の距離を走って呼吸を乱すような人間ではない。
それでも、息が荒いうことは違う要因が絡んでいる。
「あ、少し急ですけど、来週末、文化祭にいらっしゃいませんか?」
火神を気に入ったらしい黒子は、良いことを思い付いたとばかりに顔を輝かせた。
「……ぶんかさい?」
「はい、バスケ部で催し物をやるんです。一般の人が参加が可能な試合形式のゲームもありますから、是非」
それは、中学二年の時にやったことだ。
あの時は結局、青峰がゲームに参加しっぱなしで一般の参加者が殆どいなかった。いや、最初のほうはいたのだが、次第に着いていけなくなって脱落していった。そして最終的には、キセキの世代の3on3が見世物になった。青峰だけが満足して他の、特に碌に買い食いができなかった紫原に不評だった。あの、文化祭だ。
そして、来年は喫茶店とかにしようと、全員で青峰に文句を言いながら騒いで帰った。
それは、酷く甘い、想い出だ。
引きつるように、胸が痛い。
「ぁ、……くろ、ちん?」
青峰も黄瀬も緑間も紫原も赤司も桃井も、みんな黒子の記憶がどこで止まっているのか理解した。
理解してしまった。
自分たちが一番、仲が良かった頃だ。
ずっとこんな日々が続くと、馬鹿みたいに、無邪気に信じていた頃だ。
今は、違う。そんなモノは粉々になった。もう。欠片しか残っていない。
ダメだ、もう耐えられない。これはキツイ。
周りから微かに、涙を堪える声が漏れる。赤司も、油断すれば涙が零れそうだった。
「テツヤ」
「はい? ……赤司君?」
「無理を言っては、ダメだよ。それに、病院に行かなくちゃ…」
宥めるように囁いた赤司だが、黒子には空気を重くしている自覚がないのだ。困ったように、少し照れて、そしてまた爆弾を落とす。
「そう、ですね。火神さんにも予定がありますよね。失礼しました」
「……いや」
「今度、ちゃんと紹介させてくださいね。すごく上手なんですよ。自慢の仲間なんです、みんなは」
傍に来ていた三人に気づいて黒子は恥ずかしそうに笑った。
頬を紅潮させる黒子は幸せに溢れていて、今度こそ皆は耐えられずに涙を落とした。
嬉しそうに笑って駆け寄ってくる黒子が、どうしようもなく哀しくて。愛しくて。
忘却少年
あとがき
記憶喪失の黒子が痛々しい。
悪気が0で、無意識にキセキ全員の傷口を抉りとって塩を塗り込んでいく様が痛々しいです。
黒子の記憶の中では、まだ仲が良いことなってるけど、実際はそんなものは夢のような話で過去のことになってるからキセキはグサッとやられます。
蒼夜さん、こんな鬱い話ですいません(>_<)
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