アイデア、提案、計画等を聞いたとき、
まっさきに、「それができない理由を指摘する」人と、
まっさきに、「できるようにする方法を考えてみる」人がいる。
そして、たいていは、できない理由を指摘する人の方が圧倒的に正しいし、説得力もある。
できる方法を考える人の「こうすればできるんじゃないか」というその場の思いつきは、
たいてい穴だらけで、間違ってる。
なのに、ある程度歳をとってみて、周りを見渡してみると、
風通しの良いまっとうな会社では、
おもしろい仕事と良い年収を得ている人たちに、
「まっさきに、できない理由を指摘するタイプ」
ってほとんどいない。
おもしろい仕事と良い年収を得てる人たちの多くは、
「まずは、できる方法を考えてみるタイプ」の人だ。
若い頃、あんなに圧倒的に正しかった
「まっさきに、できない理由を指摘する人たち」は
結局どうなったかというと、
歳をとっても会社では下っ端のままで、
つまらない仕事ばかりをやらされ、
軽んじられてる。
しかし、なぜ、正しいことを言っていた人たちが地を這い、
間違ったことを言う人たちが楽しく飛び回ることになったのか?
その原因の一つは、ゲームのルールが、
学校と職場で、根本的に異なるからじゃないだろうか。
アカデミズムとビジネスでは、
最適戦略が異なるのだ。
学問では、正しいか間違っているかが一番重要なことになる。
みなで徹底して間違ったものをとりのぞき、
世界中の学者たちが協力し合って純粋で巨大な真理の体系を作り上げていく。
全人類が、人類史を通じて行ってきた超巨大プロジェクトだ。
そこでは、不純物がまぎれこむと、巨大な真理の体系は崩れ落ちてしまう。
そういうゲームにおいては、「間違ってないこと」が一番重要。
そして、そういう純粋で巨大な真理の体系を支える
アカデミズムの人たちが学校教育を作り上げてきた。
だから、学生たちは、パブロフの犬のように、
まっさきに「正しいか?間違っているか?」を反射的に考え、
間違った点を見つけ出して指摘するように、
訓練されてきた。
もちろん、それは重要で意味あることだ。
ビジネスだって、
純粋で巨大な真理の体系というインフラがあるからこそ、
そのインフラの上で、自由にビジネスを展開できるのだから、
まずは学校教育で、学者たちが作り上げてきた知のインフラを
脳にインストールしなければ、ビジネスがはじめられない。
ところが、その全人類的な知のインフラ自体を維持発展させるのに適した思考方法と
インフラの上でビジネスをするのに適した思考方法は異なるのだ。
だから学生は、企業に就職した瞬間に、いや、就活を始めた瞬間に、
基本的な思考方法を切り替えないと、
つまらない仕事と低い年収が続く人生を送ることになる。
しかし、そもそも、
「まっさきに、できる方法を考える」と、
たいてい間違ったことしか思いつかないのに、
なぜ、結果として、その思考戦略をとった人が成功するのか?
その最大の原因は、
計画実行後の「走りながらの修正」にあるんじゃないだろうか。
アイデア・戦略・計画を、実際に実行してみると、
ほとんどの場合、それが間違っていることが判明する。
そして、その計画の実行者は、計画の修正を繰り返して、
その計画をなんとか最後までやりとげようとする。
この、プラン実行後の計画の「走りながらの修正」がキモなのだ。
ビジネスにおいては、
アイデア、戦略、計画などで重要なのは、「それ自体が正しいか間違っているか」ではなく、
それを実行した後、「走りながらの修正を繰り返した結果、成功するかどうか」だ。
だから、プランの検討段階で、そのプランが成功するか失敗するかを議論するとき、
「できない理由」を指摘する戦略をとれば、
たいていは「圧倒的に正しい意見」を言える。
基本的に、修正前の最初のプランというのは、たいてい間違っているし、
そのままでは失敗に終わるのだから、これは当たり前だ。
そしてそれは、プランの検討段階においても「重要」なことだ。
実際、間違いを指摘することで、正しい修正に近づくこともたくさんあるのだから。
ところが、やるべきことを、
「重要じゃない」「そこそこ重要」「重要」「すごく重要」「超重要」
と優先順位付けすると、たいていは「超重要」なことをやるだけで、
ほとんどの時間とエネルギーを使い尽くす。
そして、「できる方法を考える」というのは、
あたる可能性の高い「修正」を洗い出す効果が高いという意味で
「超重要」という優先順位になる。
というか、「正しい修正」の候補をリストアップするには、
「できない理由を指摘する」よりも、
「できる方法を考えてみる」方が、
圧倒的に生産性が高いのだ。
そもそも、ビジネスにおいてプランそのものの成功可能性を検討するのは
あまり意味がない。
どうせそれは間違っているのだから。
重要なのは、「走りながらの修正」を繰り返したときに成功に突き当たる可能性がどれくらいあるかなのだから、できるだけ多くの「走りながらの修正」のアイデアを出しまくって、「走りながらの修正」の集合体としてのプランの成功可能性を論じないと、正しい評価にはならない。
さらに、プラン自体を作り込むときも、たくさん上がった「走りながらの修正」のアイデアのできるだけ多くが可能になるように、プランの中に布石を打ってあるプランほど、強靱で、成功確率が高くなる。
はじめから失敗することを前提として計画を実行し、失敗したときの方向転換をしやすいプロジェクトほど成功する。
最初のプランがそのまま成功することをあてにしてプロジェクトを立ち上げるのは、宝くじにあたることを前提として資金調達計画をたてるのと同じぐらい愚かなことだ。
そして、最初のプランをそのまま実行することを前提として、それが失敗する正しい理由を指摘するのは、見当違いの指摘であることが多く、非常に効率が悪いのだ。
さらに別の理由もある。
たとえば、「失敗する理由が見あたらない企画」を誰かが思いついて提案したとする。
しかし、失敗する理由が見あたらないということは、他社も失敗しないだろうと考えるということだから、結局競合が多くなるし、パクられやすくなるので、それ自体が失敗する確率を高めてしまう。
ビジネスにおいては、むしろ「説得力のある失敗する理由があるために、みな手を出さなかったのだけど、それをあえてやったサービスが成功した」ということはたくさんある。
このように、『「失敗する説得力のある理由」が指摘できるものほど成功しやすい側面がある』という複雑なゲーム構造をしているために、単純に「失敗する説得力のある理由を指摘できる」というだけで、そのプランの是非を簡単に判断できないところが、ビジネスの奥深さだ。
ところが、まっさきに「失敗する理由」を指摘するタイプの人は、この、ビジネスの奥深さが血肉になっていない。
それが血肉になっている人は、「みな、これが××という理由で失敗すると考えている。たしかに、誰もがそのように思う。しかし、ここの部分に関しては思いこみに過ぎないし、そっちの部分にこういう工夫を付け加えれば解決できるのではないだろうか」というような思考方法を、まっさきにする。もちろん、それは、単なるその場の思いつきだから、たいてい間違っていることが、プランを実行するまでもなく、すぐに判明するのだけれども。
しかし、それでも、結局は、当たりくじを引くまで、走りながらの修正を繰り返すという思考スタイルが血肉になっている人が、成功しやすいのだ。
これらの要因が絡み合った結果として、少なくとも風通しの良い、ある程度まっとうな職場では、「できる方法を考える」タイプが、楽しい仕事と良い年収を得る一方で、「できない理由を指摘する」タイプがつまらない仕事と低年収の待遇しか得られない傾向が強いのではないだろうか。
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