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[29549] 修羅と鋼の魔法陣【現代風異世界ラブコメ・バトル】
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/18 00:53
 前書き

 はじめまして、桐生と申します。
 初めて書いた小説を投稿してみました。
 なにかと至らない点があるかと思いますが、頑張って行こうと思います。

 小説を読もう!様でも投稿しています。




[29549] 一章 一話 プロローグ
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/26 21:28
 この世界の発展は魔術と切っても切れない関係にある。
 
 どの種族の大人に訊いても、そう答えるだろうし、どんな本でもそんな風に記されている。例外はあるかもしれないが、それは常識はずれな本と言わざるを得ないほど世界は魔術に溢れていた。
 魔術という言葉が何千年前からあったのかは未だ不明だが、少なくともこの世界の本には四千年以上前から使用されていた、と記されている。
 
 魔術には多くの種類がある、聖騎士の神聖術、陰陽師の陰陽術、ネクロマンサーの死霊術、エルフの多くが用いる精霊魔法、その他色々ある魔術のなかでもとりわけ強力な魔法陣を用いる者が魔陣使いと呼ばれていた。
 
 魔術の力は偉大である。真っ暗な夜を照らすことも、箱の中に人や景色を映すことも、一瞬で遠く離れた地点に移動することも、強力な術者にかかれば死んだ生物ですら蘇らせることも可能だった。
 
 もちろん、大量の生き物を殺すことも。

 戦争なんてものは、時代や場所を選ばずいつでも起こるものなのだろう、現在、世界の多くの国が戦争状態にある。
 国の力を左右するものは、その国の資源であったり、経済力であったりするが、なにより、優秀な魔術師が多くの戦局を覆してきた歴史を鑑みると魔術師が国力そのものと言っても過言ではないだろう。
 
 だからこそ、どの国もこぞって優れた魔術師を輩出しようと魔術学校の設立と多大な育成費の捻出を行っている。
 今、現在、戦争状態にない国であっても魔術の発展を怠れば隣国からの侵略が明日、明後日に起こっても不思議ではないからだ。
 
 この物語は東の大陸のとある小国の魔術学校から始まる。

 小国の名は日鋼。同盟を結んだ七ヶ国に囲まれ、共同支出によって設立された武鋼魔術軍事学校を運営している。
 武鋼魔術軍事学校の在り方は、次世代の兵士、技術者、指導者を長期間にかけて育成することであり、種族の差別は無く、下は8歳から、上は35歳まで幅広い年齢の人間を受け入れている。
 日鋼は小国ではあるが、代々、優れた魔術師を育成してきた実績のある魔術軍事国家である。育成した魔術師を傭兵として派遣することで国力を増大させていった。
 さらに、鉱山資源が豊富で鍛冶、製鉄技術にも優れ高品質な武器、兵器などを生み出し輸出し経済的にも潤い、世界中で、東の大陸の『武鋼』、と呼ばれるほどであった。
 現在、日鋼を支配しているのは天城家の当代、天城鋼耀。
 そして、鋼耀の長男、鋼焔《こうえん》は魔陣使いとして武鋼魔術軍事学校に通っていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 午前の講義の終わりを告げる鐘が鳴り響く中、二人の青年が談笑しながら、学食を目指している人で溢れかえった廊下を歩いていた。
「なぁ、コウ、さっきの魔術史学概論のノートちゃんと取れたか?」
 少し涙目になりながら訊いてくる友人、明人の言葉に、鋼焔はああ…と頷いた。
「無理だ、…明人も間に合わなかったか、相変わらずあの講師の板書速度には恐れ入る。この学校が創設何年目か知らんが、おそらくあの人が史上最速だろうな」
 鋼焔は、遠い目をしながらさっきの講義を振り返っていた。
「…コウ、おれたち、選ぶ講義間違えたのかな」
「いや、おまえが『おれは恋をした、愛の前に全ては平伏す』って世迷言を吐いた時点で間違えていたと思う」
 
 鋼焔は、かなり遠い目をしながら一月前を思い返していた。
「だってさ、あの先生見たことも無いほどの美人だったからさ、騙されるのも…」
「そうだな…」
「「仕方ないな」」
 はぁ…と二人同時に溜息をつく。
「しかし、このままじゃやばいな、手が攣りそうだし、いい加減対策を練らないと駄目だな。『そういう講義』ってことでもあるだろうし」
「『そういう講義』って、…そういうことか、なんらかの魔術で解決しろ、ってことか」
 明人は、呟きながら納得していた。

「まぁ、対策を練ろうとしたところで、おれも明人もそういう魔術には向いてない気がするが…前途多難だな」
「うむ…やっちまったな」
 明人もかなり遠い目になっていた。
「よし、気分を変えて飯にしようぜ、コウ、って…おまえは屋上だったな」
 明人はかなり羨ましそうな目を向けていた。
「…ああ、いつも付き合い悪くてすまんな、ちょっと行って来る」
 鋼焔は羨ましい視線を向けられているにも関わらず、暗い表情をしながら答えた。
「おー、行って来い、ホント両手に花とか羨ましいぜ」
 友の声を受けながら、戦場に向かう気持ちで鋼焔は屋上へ移動する順路を目指し始めた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 
 
 屋上の真ん中には美麗な絨毯が敷かれており異彩を放っていた。
 そこに座っている二人の少女達が発している風格も、その見た目の美しさも周囲から浮く原因にもなってはいるのだが。
 なにより、二人の取って貼り付けたような笑顔が最大の原因であった。
 
 しばらく、二人が固まっていると、不意に屋上の扉が開いた。
「すまん、明人と話し込んでいたらちょっと遅れた」
 屋上の扉が開いて二人の待ち人が現れると、さっきまでの作ったような笑顔とは打って変わって自然な笑顔になる。
「コウさん」
「お兄ちゃん」
「「お待ちしておりました」」
 二人の少女は三つ指をついて、絨毯に額がつきそうなほど深くお辞儀しながらいつもの挨拶をした。
 鋼焔もいつも通り、その挨拶に気圧されながら、あ、ああ…とだけ答えて絨毯の上に座る。
 
 ついで、二人の少女も鋼焔の左右に分かれるように座りなおす。
 右側に座った美人は鋼焔の幼馴染の神宮寺沙耶、神聖術を扱う聖騎士である、日鋼生まれの聖騎士は珍しく学内でも目立っていた。切れ長の瞳、ロングヘアー、スタイル抜群で豊かな胸が特徴的である。
 
 左側に座った綺麗というよりは可愛らしい美少女は鋼焔の義妹の天城悠、クリッとした愛らしい瞳、髪はツインテールに結っていて柔らかそうな頬が特徴的だった。
「ささ、もう時間もありませんし、お弁当頂いちゃいましょう」
 沙耶は包みを広げ、『二人分』の取り皿と箸を用意する。
 
 すかさず、悠が、
「もー、沙耶さんったらあたしの分忘れているー」
 と、このお茶目さん、とでも言いたげな風に突っ込みを入れた。
「あら、ごめんなさい。最近、私ったら物忘れが激しいみたいで、どうでもいいことは覚えられないみたい、ごめんなさいね。えーっと、えーっと、…悠ちゃん」
 沙耶は本気で悠の名前を忘れてしまいましたという雰囲気で白々しく名前を口にした後、嫌そうに悠の分の皿と箸を用意した。
 「あははー、やっだなー、もう、沙耶さんってば。お婆ちゃんじゃないんだからあたしの名前忘れるなんて。ねー?」
 悠は怒りで頬を引き攣らせながら、棒読みの台詞を吐く。

 一連の流れだけで鋼焔は少し疲れ始める。これがもはや日常の光景と化していた。とりあえず、少しでもこの空気を変えようとお弁当に手を出し始める。
 弁当の中身は真ん中の仕切りによって左右で東洋、西洋料理と分けられていた。
 
 鋼焔は相変わらずどちらが作った料理かはっきりしているな、と思ったが口に出せば墓穴を掘ること間違いなしなので黙っていた。
「念のため言っておきますけど、右の見た目が良くて美味しそうなのは私が作ったほうですよ、コウさん」
 ニコニコとした笑顔で言う沙耶によって、綱焔の目論見はあっさりと砕かれた、と同時に左から不機嫌そうな呻き声が聞こえたが、今、それに反応するのは泥沼だと判断し鋼焔は流すことにした。
「…えーっと、じゃあ沙耶の料理から頂こうかな。いただきます」
 狐に色に揚がったエビフライを選んで口にした。昨晩、調理したにも関わらずサクッとした歯ごたえと噛む度に旨みが溢れるプリっとした食感、鋼焔の好みにストライクなソースまで付いたそれは完璧と言って差し支えなかった。
「なんか前より美味しくなっているな、さすが」
 素直な賞賛を聞いた沙耶は、咲いた花のような笑顔になり、珍しく頬赤らめた。
「ふふ、ありがとうございます。もっとコウさんの好みの食事を研究して毎日美味しいって言ってもらえるように頑張りますね」
 鋼焔は沙耶からダダ漏れの好意に照れつつ、もうひとつ、もうひとつと照れ隠しするかのように勢いよく食事を取り始めた。
 それを見ていた悠はやはり面白くない、唇を噛み締め、怒りに耐えていた。
 
 鋼焔が沙耶の4つ目の料理を採ろうとしたところで、悠は攻勢に出た。
「お兄ちゃん、あたしの料理も食べてほしいな!はい、あーん」
 悠は大きく口をあけて、兄に復唱を求める。その時見えた悠の舌の形に沙耶と鋼焔は違和感を覚えたが意識は強制的に流されていった。
 悠は一番自信のあった南瓜の煮付けを選んで綱焔に差し出す。
「ああ、あーん…ってまたするの!?すまんが、今日は勘弁してほしい」
 鋼焔は周囲の視線が少しずつ集まっているのを感じていた。
「あーん、…ダメ?」
 上目遣いで瞳を少し濡らしながら懇願する。
「いやいや、全然ダメじゃないよ、悠」
 鋼焔は妹に甘く、案外と流されやすかった。あーん、と大きく口を広げ妹の自信作を咀嚼する。沙耶はそれを半眼でみつめていた。
「うん、美味しい」
 兄に褒められて妹のテンションは最大値を振り切った。すかさず2つ目を差し出す。
 しかし、それは鋼焔の口に吸い込まれること無かった。
「あむっ、――味付けが濃いし、ちょっと煮崩れしていますね…うーん甘く採点して45点ですね」
 悠の差し出した煮物を横から奪い去った沙耶が、まるで不味い物を食べましたと言わんばかりに顔を歪めながら品評した。
 悠の目つきが鋭くなりはじめ、鋼焔は凍りついていく空気に、もう駄目かと思ったがそこに救いの手が差し伸べられた。

「御主人、鬼堂様より連絡です。至急、連盟会議室に来られたし、とのことです!」
 突如、鋼焔の背後の空間から銀髪で赤い目をした藍色の着物を着た少女が現れた、見た感じの年齢は10歳ぐらいで人間離れした風貌。彼女は鋼焔の使い魔で名は京、代々、天城家と懇意にしている鋼の精霊の一族の最年少の娘である。
「どうなさいますか?」
 京は、主に向けて少しおどおどするように上目遣いに問うた。
「わかった、急いで向かう、と伝えてくれ」
「了解しました!」
 元気溌剌といったような大きく明るい声が屋上に響く。
「それじゃ、二人とも、悪いけどちょっと行って来るから。…仲良くしろとは言わないから喧嘩しないで昼飯食べときなよ」
 無駄だとはわかっていても、二人に一応は釘を刺す。
 楽しい一時が奪われたことと、その言葉に、二人は怒られた子供のようにしゅんとなり、少し気落ちした返事をした。
「…はい、いってらっしゃいませ」
「…お兄ちゃん、いってらっしゃい」
 
 鋼焔は屋上の扉を開き、駆け足で会議室に向かっていった。



[29549] 一章 二話 戦場は屋上
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:12
 鋼焔の居なくなった屋上の雰囲気は最初二人だけだった時よりも、さらに悪化していた。
「…はぁ、コウさんったら迷わず行ってしまわれるなんて、料理が口に合わなかったのかしら、悠さんの」
 沙耶は横目に悠を見ながら溜息をついて、見当違いの文句を口にした。言わずもがな、挑発である。

「…………」
 悠は黙ったままだ。そんな挑発には乗らない。
「45点じゃ仕方ないですよね。45点じゃ、そもそも死霊術士に料理なんてできるわけがないんですよ、普段からトカゲだー、コウモリだーって、毒物ばっかり調理していますのに」
 沙耶は追い討ちをかける。

「…………」
 悠は黙ったままだ。そんな挑発には乗らな――
「…45点、45点だ?ハァ!?てめぇ、ババアいい加減にしろよ、そのふざけた採点撤回しやがれマジでブチ殺すぞ」
 乗った。と、同時に何か大切なものが剥がれ落ちていた。
「あらあら、やっといつもの悠ちゃんに戻ってくれて沙耶は嬉しいですよ」
 本調子になったライバルに沙耶はニコニコ笑顔で応じる。
「クソババア、あんたマジで最近ありえねーよ、昼休みになるたびに延々とネチネチイチャもんつけやがって、小姑にでもなったつもりか?あぁ?」
 悠は殺意全開の眼で睨みつける。ここ最近のストレスが溜まりに溜まって、今まさに爆発しようとしていた。
「小姑?私が?…冗談もほどほどにしてください。小姑はあなたのような人のことを指すのですよ。コウさんと私の邪魔ばかりする義妹じゃないですか。それに、私がグチグチ言っているのはあなたが私のコウさんに毎日毎日毎日毎日、食事中の無作法を強要するからついつい口を挟まずにはいられなくなったからですよ、あなたが私の義妹じゃなかったらその首と胴体が離れているところです」
 普段から冷静沈着な沙耶が、珍しくイラ立ちを隠さず捲し立てた。
「だ・れ・が、てめぇの妹だ!未来永劫ありえないってーの。今日という今日はもう許さない、お兄ちゃんがいない今、あんたの首と胴体切断してからあたしの使い魔にしてやるよ」

「望むところです」
 沙耶が距離をとった直後、ほぼ二人同時に得物を召喚する。
 沙耶は、聖騎士の大半が使用している両刃の長剣ではなく、日鋼の鍛冶職人の魂がこもった業物、日鋼刀を腰に召喚した。そのほぼ全てが西大陸から留学している聖騎士はガードの上から打ち砕く破壊力と対魔法、対兵器への攻防のバランスを考え、盾と長剣もしくはメイスを好んで使うが、イレギュラーな存在の沙耶は盾は使わず、速度と鎧すら切り裂く攻撃一点重視の刀のみを好んで使うことが多い。実際、模擬演習の講義でも沙耶の攻撃速度についてこられる聖騎士はこの学校には存在していなかった。
 
 悠はネクロマンサーの多くが愛用している大鎌を召喚した。他にも愛用している毒を塗ったナイフがあったが間合いの関係上、大鎌を選択せざるを得なかった。しかし、大鎌を選んだところで斬る、突くといった攻撃が行えない、薙ぐにも手前に引く動作が必要なため大鎌の長さの半分ほどしか有効な間合いは無い、そのため少し間合いを詰める必要がある。今の二人の立ち位置で有利なのは圧倒的に沙耶の刀であった。
 
 一瞬早く、悠が動く。
 
 鎌で薙ぐのは不可能と判断し、大鎌を反転させ石突きで沙耶の喉元狙った。あと、数瞬で石突きによる突きが決まろうというところで、沙耶が動いた。
 神聖術の多くは詠唱を必要としない。身体強化の神聖術もそのひとつである。
 沙耶が刀の柄に手をかけた瞬間、

一閃。

 ツインテールの少女の首が、髪を振り乱しながら舞った後、屋上の床に嫌な音を立てて落ちる。残った首を失くした身体も前のめりに倒れた。
 神聖術で強化された沙耶の横なぎの一刀は、まさに神速と呼ぶにふさわしい速さで悠の突きを凌駕し、その首を両断した。
「あら、…あっけなかったですね。当代最高の死霊術士と聞いていましたのに、尾ヒレがつきすぎた評判でしたね」
 
 沙耶は終生のライバルと思っていた相手があっさり片付いたことで、少し興奮気味に一人ごちた。
「…しかし、不味いですね。つい、カッとなってやってしまいましたが、この惨状をコウさんに見られたらと考えると身の毛がよだちます」
 他に、屋上いた人間は悠が豹変しだしたあたりで退散していたため、犯行現場を目撃されることは無かったが、それも時間の問題だろう。
「…どうしましょう、うぅーん、…そうです、これは正当防衛、言い訳は正当防衛にしましょう、少なくとも得物召喚魔術の反応は二つ以上感知されていたはずです…、…ぅうー、やっぱり駄目です、こんな言い訳ではコウさんは一生、私を許してはくれない気がします」
 鋼焔が来る前になんとかしなければ、と沙耶は頭を抱えていた。とりあえず、首がくっつけば生き返るかもしれないと思い生首を拾いに行こうとした、その瞬間、足を、物言わぬ死体となった悠の手によって掴まれた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 連盟会議室についた鋼焔はドアをノックした。
「どうぞー、はいってー」
 室内から陽気な調子の声が届く。ドアを開いて入室した。
「ごめんね、鋼焔くん、お昼ご飯食べていたでしょ?」
 申し訳なさそうにしている女性は、日鋼の北部に隣接している同盟国、華山国の長、鬼堂陽厳の一人娘、鬼堂灯美華《きどうひみか》であった。彼女は鋼焔より二つ年上の19歳。若い身空でありながら校内における同盟八ヶ国の方針を決定できる連盟長に任ぜられた才媛である。
 
 容姿も整っている、モデル体型で髪型はショートヘア、綺麗なおでこを出しているのが特徴的で人懐っこい笑顔が似合う、その才能と相まって国内外問わず屈指の人気を誇る女性だった。
「いえ、問題ありません。鬼堂様のおかげで助かりました」
「え、なにが!?…というか、前に直してって言ったのに、また敬語になってるよ、もっとリラックスしてほしいな、昔みたいにお姉ちゃんって呼んでくれてもいいよ?」
 鋼焔と灯美華は親同士の付き合いもあり、二人は昔から仲が良かったが、ある事件の結末によって鋼焔は彼女に対して引け目を感じていた。だからこそ、昼休みの真只中でも優先して灯美華の元に駆けつけたわけだが。
「申し訳…すまん、というか年上に対して敬語を使うな、というのはおかしくないか」
「ノーノー、私が良いって言っているんだから問題なしよ!」
灯美華はフランクに話しかけられてテンションがあがった。
「それで、灯美華さん用件は?」
「あー、ごめん、話しが脱線し始めていたわね。用件は一ヵ月後に行われる連盟会主催の演習のことについて注文が寄せられていてね、そのことでちょっと鋼焔くんの意見が聞いてみたくて呼んだのよ」
「…はぁ、おれなんかの意見が参考になるなら」
 鋼焔は彼女の普段の仕事ぶりから、八ヶ国から賓客を招いて行う演習すら些末な事柄として処理するだろうと思っていたので、ちょっと納得しかねる部分があった。

「というか、鋼焔くんたちに関係あることなのよね、例年通りなら魔法陣課を除いた術課同士で対抗戦ってことになるのだけど、今年は、魔法陣課に別枠設けて他の課との模擬戦も披露してほしいって注文がうちのお偉いさん方から出ているのよ」
 灯美華はその五月蝿いお偉いさん方の顔を思い浮かべているのか、眉根を寄せていた。
「前例がないわけじゃないし、おれは賛成かな」
 他の術課と違って講義の演習でも基本的に魔法陣課は、魔法陣課のみで模擬戦を行っているので、鋼焔は好奇心も加わり即答した。
「そうねー、鋼焔くんが良いっていうならやってみようかしら、人数の方は魔法陣課一人に対して他の課の子三~四人ぐらいで良いよね?」
「ああ、それで良いと思う」
 鋼焔は何気ない調子でそう答えた。魔法陣課でも実力者はピンキリだが平均的な能力者なら一人で数人の術士を相手にすることが可能で、灯美華の示した人数なら妥当であると言えた。
 続いて幾つか灯美華が鋼焔に質問をして、用紙に日程、内容の変更の旨を書き記していった。
「よーっし、こんなもんでいいわよね、ほんとお昼時にごめんね、助かったよー」
「じゃあ、そろそろ戻っていいかな」
「うん、…そういえばもうすぐお昼終わるわね、次の講義、遅刻しないように気をつけてねー」
と灯美華が言った瞬間、二人は屋上の魔術を感知した。
「あら、屋上で何かしているのかな」
 鋼焔はまさかと思い表情を引き締めて使い魔に確認する。
「京、今さっき感知した魔術の種類は?」
「得物召喚の類です。おそらく御主人の想像通りだと思います…」
 鋼焔の隣に現れた京はしょんぼりしながら目を伏せ報告した。
「急いだ方がいいな、じゃあ、灯美華さんまた今度!」
「はぁい、いってらっしゃい、また用事がないときでも来てくれるとお姉ちゃん嬉しいよー」
 灯美華は出て行く鋼焔に声をかけた後、会議室の椅子に深く腰掛けながら溜息をつく。

「…ふーん、またあの女かぁ」

そんな呟きが静まりかえった室内でもれていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 沙耶の足を掴んだ悠の腕が、徐々にその姿を変える、黒よりさらに黒い色をした闇色の大蛇になった。
 大蛇に頭部はなく尻尾の部分で沙耶の足に絡みつき締め上げる。頭部は沙耶によって切断された顔の部分であった。

「ちっ…そういうことですか」
 沙耶は少し悔しそうに舌打ちして、食事中に見えた悠の舌が蛇のそれだったことを思い出す。あの時、気がついたはずなのに意識することができなかったのは死霊術の幻惑だったようだ。最初から大蛇を悠に化けさせていたのだ。
 
 つまるところ、悠は最初からヤル気だったのだ。
「どうよ、あたしのドロシーの締め付けは中々強力だろ?その太い足からミシミシって音が聞こえるぞ」
 案外と近くから、見えない悠の声が聞こえる。沙耶は、おそらく死霊術の幻惑によってその姿が見えなくなっているのだろうと当たりをつけた。もしかしたらさっきの料理になにかが仕込まれていたのかもしれない、口にする前から相手の術中に嵌っていたことから、吸引するだけでも発動する術の可能性もありえるが、今は種を明かしている場合ではないと切り替える。

「で、誰に尾ヒレがついているって?甘くみたな、あの世で後悔しろ、クソババア!」
 悠は沙耶の真後ろにいた、最初に大鎌を使い背後から仕掛けなかったのは油断を誘ってから、蛇によって動きを封じるためだ。悠はあの女なら、例え、見えない相手の攻撃でも万全な状態でなら避けるだろうと見ていた。さすがに、姿が見えない状態で、さらに足を封じれば自分の敵ではないだろうとも思うが。
 大鎌を再び手元に召喚する、沙耶にも召喚して大鎌を握ったことはばれただろうが、拾い上げて居場所を悟られる愚を冒すよりはましだ。

 召喚から間をあけて、沙耶の集中が切れる頃合を慎重に見計らい、ついに悠は仕掛けた。
 首目掛けて、大鎌を薙ぐ。今度は沙耶の首が落ちる、と思われたが――
「えっ、うそ……」
 悠が驚愕と呆然が混じった声を上げた、瞬間、沙耶の振り向きざまの斬撃が襲いかかって来た。
「くっ…ばかな」
 悠はうめき声を上げながら、己の幸運に感謝した。薙いだ後の大鎌の柄に刀が、偶然命中し無傷で済んだ。急ぎ、刀の間合いからも逃れる。
 しかし、混乱は収まらない。見えない攻撃を避けるどころか、反撃までされたのだ。

 沙耶は、偶然かわせたわけではなかった。吸引による術だと当たりをつけた時点で、神聖術による解呪を行っていた。完全に解呪できたわけではないが、大鎌が薙がれた瞬間に視界の端に捉えた大鎌の地面に伸びた『影』を見て上体を反らした。解呪により武器の影だけはなんとか見えるようになっていた。神聖術による身体強化も加わり、到底かわしきれないタイミングの攻撃を避けることに成功した。その直後、大鎌の影の位置から悠の立ち位置を察して反撃に移った。


―――結果として、攻撃に時間を置いた悠の用心深さが仇となった。


「マジ、ありえねぇ。これだから野生動物は嫌いなんだよ、クソババアゴリラが」
「ふふふ、私もだいぶ悠さんのことを過小評価していたみたいです、こうなる前に一度手合わせしておいたほうが良かったですね」
 悠は大鎌での攻撃は諦めて六本の毒ナイフに持ち替えた。接近することを嫌がり、すぐさまそれを全て投擲する。
 
 そして、その全てを沙耶は切り払った。
 
 沙耶は未だ解呪に成功していない、術式が複雑で得物の影を見えるようにできたところで解呪は止まっていた。カウンターを仕掛けることはできるが先手をとることはできない。
 悠も手詰まりになっていた。もともと死霊術士は大量に死体が生まれる戦場でこそ、その本領を発揮する。タイマンには向いていない。まして、相手が聖騎士ならば防戦一方になってもおかしくはない。
 
 このまま、膠着状態になろうか、というところで屋上の扉が開いた。

「おまえら、なにやってるんだ!……あれ」
 鋼焔が戻ってきて扉を開けた瞬間には、もう二人は絨毯の上に座りなおし、ニコニコと胡散臭い笑顔を浮かべていた。
「お兄ちゃん、おかえりなさいっ、どうしたの?あたし、沙耶さんと仲良くおべんと食べてただけだよ、ねー、沙耶さん」
「ええ、私なにもやましいことはしていませんよ、信じてくださいコウさん」
 いきなり、弁明しはじめた二人に更に疑惑が募っていく。
 鋼焔は訝しげに二人の顔を眺めていると、視界の端に大蛇の首が落ちているのを発見した。
 さすがの二人も取り繕うには、時間の壁という限界があったようだ。
「おまえら、今晩飯抜きな」
 晩御飯抜きに併せて、家に帰るまで説教、家に帰ってからも説教。寝るまで説教が行われた。
 二人はその夜さめざめと泣いた、飯抜きが辛かったわけではなく、鋼焔にバレて怒られたことがなにより心苦しかったからだ。
 
 翌日、怒られた二人は土下座し、しばらく喧嘩はしませんと誓った。誓約書も書いた。
「しばらく喧嘩しません」の「しばらく」ってなんだよ、という突っ込みが入ったのは言うまでもない。



[29549] 一章 三話 魔法陣
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:19
 2週間後に連盟演習会を控えたある日の、午前最後の授業開始の鐘が鳴った。
「ちょっと皆、静かにしなさいよ、もうすぐ先生来るんだから」
 魔法陣クラスの真面目な委員長、宇佐美絵里香が緩んだ教室の空気をたしなめた。
 
 数分後、扉が開き、軍服を着た講師が入ってくる。魔術学校は特に実技以外は制服の指定をしておらず、生徒の多くは私服で登校している。それだけに、軍服の講師、名前は篠山信、62歳で元傭兵の魔陣使い、教師生活二十年目のベテランの格好はかなり浮いていた。
「よし、さっそく授業始めるぞー、今日は昨年の復習だ。今年度からAクラスに上がってきたやつのためにおさらいするぞ、元からAクラスのやつにガンガン質問していくからちゃんと答えろよ」
 
 武鋼魔術軍事学校では、どの術課も定期的に行われる能力試験によってA、B、C、Dクラスと分けられる。Aクラスが一番人数は少なく二十名ほどであった。
「んでは、魔術教本から机の上に出しておけ。――じゃあ、宇佐美、魔術戦闘で一番大事なことはなんだ」
 篠山は、基本的で一番重要な説明が求められる質問を、的確に答えてくれるであろうと模範的で成績優秀な生徒の宇佐美を指名した。
「はい、対敵への迅速で的確な詠唱妨害です。これができれば生存率が大きく上昇します」
 指名された宇佐美は立ち上がり、眼鏡の位置を調整してから、教室中に届く声で簡潔に答えた。
「そうだ、なによりも死なないことが重要だ。詠唱妨害は、妨害専用のクラス1の魔術でも可能だが、攻撃的魔術さえ命中すれば衝撃で大抵の人間は集中を乱す。他にも、精神的動揺があれば詠唱は成功しないし、激しい動きをしても集中が乱れて失敗する、絶対に忘れるな、まぁ基本的なことだ、だからこそ怠るなよ」
 講師は、これだけは肝に命じておけと念を押していた。

「次の質問だ、じゃあ、火蔵」
鋼焔の親友、火蔵明人が指名された。明人も鋼焔と同じ魔法陣課でAクラスの魔陣使いである。
「魔法陣の形と大きさ、陣の表面に描かれている文字、陣の色、魔法陣領域内の有効射程範囲と最大火力範囲を答えろ」
 
 少し焦りながら明人は姿勢を正して腹から声を出す。
「はい、形は術者を中心とした球状、大きさは最小で半径約30m、最大で半径約100kmのものが確認されています、表面の文字は古代魔術文字、陣の色は術者の精神状態、または性格によって変化すると言われています。魔陣領域内の有効射程範囲は魔法陣の大きさと同じです。最大火力範囲は半径14mから 15mです」
 意外に優秀だった明人が完璧な答えを口にした。

「よし、そうだな、皆が普通に魔陣領域を展開すれば、だいたい半径30mになるだろう、基本的に、この大きさが一番戦闘しやすい、たとえ半径何kmに拡張したところで、魔術は術者から離れれば離れるほど威力が落ちて意味が無い、だいたいが魔術の威力が有効な範囲は30mだ、あと、魔術の命中精度も極端に下がる。逆に、近すぎても魔術の威力は落ちる、自分で近くに発生させた魔術に巻き込まれる危険性を無意識に恐れているからだ、だから約半分の14mから 15mという距離が最高火力範囲になる」

「誰にしようかな、えーっと、古賀」
 次に、指名された生徒は魔法陣課のなかでも最高齢の34歳既婚の古賀源一郎、今年で8歳になる娘がいる、普段はSPの仕事をしており、学校への出席率は低め、愛称はゲンさんもしくは長老である。本人は謙遜するところがあるが、実戦経験豊富で老獪な戦術に定評のある頼もしい魔術師だった。
「はい、ぼくの番か」
「魔陣領域を展開した魔術師と、魔陣領域を展開していない状態の魔術師&他の術士の違いはなんだ」
 古賀は少し面倒くさそうにしながらゆっくりと立ち上がった。
「…そうですねぇ、まず魔術の威力が違いますね、なによりも魔術の命中精度がほぼ100%なことが嬉しいですわ、あと、物理的、魔術的攻撃に対する防御力が格段に上がります、魔陣領域外部からの攻撃は魔法陣が全てシャットアウト、魔陣領域内部での攻撃に対しては微量の痛みと衝撃だけを残して、ダメージは全て魔法陣が引き受けてくれる、魔法陣が破壊されるまでは、ぼくらもご機嫌さんですね」

「さすがだな、まぁ、命中精度が100%ってところは該当する人間は少ないだろう」
 篠山は、ベテランの簡潔な回答を賞賛した、古賀は、いえいえ…と言いながら手を横に振り着席した。

「魔法陣が破壊されれば術者は意識を失う可能性が高い、気絶して倒れてしまえば子供にでも殺されてしまう、そうなる前に魔陣領域展開を中断する、ということも視野にいれておくように。ただし、相手も魔陣領域を展開している場合は絶対に中断するな、相手の領域外に出る前に殺される可能性が高い、展開したまま死ぬ気で戦え。そして、決して魔法陣を過信するな、無敵な人間など存在しない」
 篠山もそうだったのだろう、魔陣使いに共通する心理を諌めた。魔陣使いは最強だが、不死身ではない。

「じゃあ、最後に天城、なぜ魔陣領域内部では魔術の命中精度が古賀の言ったように格段に上昇するか説明できるか」
 
 質問された鋼焔は、あ、あれ?おれだけなんか難しくない?と思ったが少し緊張しながら回答しはじめる。
「えーっと、少し自信はありませんが、魔陣領域内に新しい感覚が生まれるからだと思います。五感とは違うもう一つの感覚、自分の部屋にいるように、何がどこにあるかが目を閉じていても分かっているような、そんな感覚です」
 鋼焔はやばい、微妙な回答をしてしまったかもしれないと思ったが。
「自分の部屋か、その考え方もありだろう、おれも皆もそうだろうが、他人の魔陣領域内に入ったとき、他人の家に入ったような感覚になる。校内でも無闇に魔法陣展開を禁じているのも他の生徒がその違和感に不快感を示すことがあるからだ、一人の人間だけならまだしも、この教室いるやつ全員が展開すれば違和感は相当なものになるからな」
 などと、適当なところに話しがまとまったので安堵した。

「よし、話しはこんなところにして、今日はこんなものを用意した」
 篠山はそういいながら、教壇の後ろから一本の蝋燭を取り出した。
「今日は教室での魔法陣展開を許可して、この蝋燭に灯の魔術をつかって火をおこしてもらう、時間もないから一人だけな」
 最後の一人だけな、というところで数人は不満に思ったが、それを口に出すものはいない。
「えーっと、じゃあ宇佐美にやってもらおうか」
「はい」
 宇佐美は席を立って教壇のほうに歩いていった。
「宇佐美、まずは魔陣領域を展開させずにチャレンジしてみろ、場所は教室の一番後ろからだ」
「了解しました」
 わざわざ教壇まで行ったのに…と教室の全員が思いながら宇佐美は一番後ろに立った、教壇までの距離は20mほどあるだろう。
「よし、3回はずしたら終了だ、はじめ!」
 宇佐美は教壇の上に置いてある蝋燭の先端に狙いを定めて、精神を集中しクラス1の灯の魔術を詠唱する。

「【Ark Fir Lgs】」

 宇佐美の滑らかな詠唱は当たり前に成功し、灯の魔術が発動した。
 しかし、小さな灯火は蝋燭の2m左の辺りで高さも少し足りない場所でボッっと音を立てた後消える。
 2度目も、宇佐美は同じように狙いを定めて詠唱するが、同じようにはずれる。
 3度目は、蝋燭に少し近づいたがまだ1m以上離れていた。
「まぁ、無理とわかっていてやらせてみた、次は、魔陣領域を展開して狙ってみろ」
「了解しました」

「展開《オープン》」

 宇佐美の魔陣領域が展開される、窓の外に広がっている陣の色は白色だった。展開されたと同時に教室にいた全員は微妙な違和感を覚えた。
 今度こそは、と宇佐美は蝋燭の先端に狙いを定めて詠唱する。

「【Ark Fir Lgs】」

 さっきと打って変わって、宇佐美の灯火は蝋燭の先端に着弾した…が点火するには至らなかった、先端に当たっていたものの5mmほど上に発動したため、火の温度が弱い部分が先端に当たっていた。
「宇佐美、もう一度だ」
 篠山の言葉を受け、宇佐美は集中力が高まっていたのだろう、間髪入れずに再詠唱した。

「【Ark Fir Lgs】」

 今度こそ間違いなく、蝋燭に灯が点灯した。

「うむ、上出来だな、2回で成功するとは思わなかった、今の距離を2回で成功できるなら十分一人前だ」
 篠山と他の生徒が宇佐美の成功に拍手する。
 講師とクラスメイトに称えられ、宇佐美は教室の後ろでエヘヘと照れくさそうにしていた。
「宇佐美、魔法陣を消しておけ」
そういった篠山も蝋燭の火を消した。
「あ、はい、了解しました」

「終了《クローズ》」

キーワード共に宇佐美の魔陣領域は消失した。
「よーし、今日の講義はここまでだ、来週は1日かけて連盟会演習の別枠に出場するやつを選抜するから覚悟しておくように」
 そう言い残して、軍服の教師は腹がすいているのだろう、さっさと出て行ってしまった。
「ぬぁー、コウ聞いたか、来週面白そうだな」
 明人は子供のように目をキラキラさせながら鋼焔の席にやってきた、明人はこういった催しが大好きだった。
「おう、古賀さんとおれと委員長の頂上対決がはじまろうとしているな」
 鋼焔も嬉しそうに目を輝かせ、古賀に話しを振る。
「いやー、ぼくなぁ、来週仕事かもしれへんわ、大丈夫やったらええんやけどなぁ」
 古賀は少し残念そうにしていた。鋼焔も明人も、えー、と残念だ!と顔に出す。
「まぁなんとか嫁さん説得して、仕事休めるように頑張ってみるわ」
 そういって古賀は鞄から愛妻弁当を取り出し、教室を出て行った。
 話しこんでいるうちに、他の生徒もいなくなり、教室には鋼焔と明人しか残っていなかった。
「んじゃ、そろそろ飯食いに行くか、明人」
「おう」
 二人が揃って教室から出ようとしたとき、教壇の上に忘れられている灯の消えた蝋燭を鋼焔は見つけた。
「篠山先生、よっぽどお腹すいていたのか」
「…だな」
 と明人は同意した後、あの人ほんとハラペコだよな、とぼやいた。

 

 二人で食堂と屋上を目指している途中、教室から50mほど離れたところで不意に、鋼焔は呟いた。



「【       】」



「ん、コウなんか言ったか?」
「いや、なんでもない、お腹すいたわ」
「うむ、先を急ごうぞ」


 
 異常な速さで昼食をとった篠山は忘れ物を回収するために教室に戻る道を辿っていた。
「いかんいかん、午後の授業でBクラスでも使おうと思っていたのに蝋燭わすれるなんてな」
 苦笑しながら教室の前まで戻ってきた篠山は扉を開いた。
「む…誰か蝋燭で遊んでやがったな」


 
――誰もいなくなった教室で、蝋燭の炎だけがメラメラと燃えていた。



[29549] 一章 四話 あさげ時々蹴り
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:23
 沙耶と悠の喧嘩しない宣言から二週間ほど経過したある朝。

「コッオっさ~ん朝ですよー。起きていますかー?起きていませんねー!」
 沙耶は鋼焔のドアの前に立ち小声で呟きながら、鋼焔の部屋に侵入しようとしていた。
「うふふ、ふふふ、今日こそは私、コウさんと同じ布団に入って二度寝しちゃいますよ」
 どこへの表明かはわからないが、沙耶は世迷言を吐きながら、鋼焔が眠っている布団に忍び寄っていく。
「いや、いやいや、同じ布団で二度寝、これは確かに魅力的です、捨て難いなんとも捨て難い…ですが、やっぱり今日は、私は敢えて難易度の高い『おはようのチュー』を目指したいと思います」
 沙耶は朝から何かが振り切っていた。おそらく誓約書によるストレスが原因なのだろう。
 ついに、鋼焔の布団の上に跨り、沙耶は鋼焔の唇をロックオンした。
「ああ、神よ、罪深き私をお許しください。それでは、おはようのチューいただ―ゲハッ」
 むくり、と勢い良く起き上がった鋼焔の額に沙耶の顎が打ち抜かれ、沙耶が淑女にあるまじき奇声を発した。
「…んん、ん、沙耶か、おはよう」
 幼馴染が自分の布団の上に乗っていることにもあまり驚かず鋼焔は軽く挨拶した。これが朝のお約束だった。
「ところで、ゲハってなに」
 沙耶は心の中で、チッ、さすがに三回目は失敗しました、と呟く。
「なんでもありません、コウさんおはようございます」
 顎は打ち抜かれた沙耶は、鋼焔の布団の端でうつ伏せになりながら挨拶を返した。
「じゃ、おれは悠を起こしてくるから食卓で待っといて」
「はい、わかりました…」
 沙耶なら悠さんを起こしに行くのは私が、と言いそうなものだが沙耶が天城家の別邸に同居しはじめてから五年間の内、一度しか悠を起こしたことはなかった。
 一度だけ沙耶が悠を起こした時、朝から部屋の一室がプロレスリングと化した。その日、たまたま機嫌の悪かった鋼焔がそれを目撃、激怒し朝は誰が誰を起こすかを、その朝に取り決め、破った場合は二度と互いの部屋への出入りを禁じるとしたため、ここ五年間その予定通りに行われていた。
 
 悠の部屋の前に着いた鋼焔は素早くドアをノックして、室内の妹に声をかけた。
「悠、起きてるか?入るぞ」
 鋼焔はなぜかほぼ毎朝、声をかけながらドアを開ける。
「上は、なし、下は――しまパンか、おはよう」
 変態兄は妹の裸を見ながら淡々と朝の挨拶をした。
「あ、ごめん、お兄ちゃんいま着替えちゅ――って、おっ、お兄ちゃんのドエロぉ」
 悠は羞恥と怒りで朱に染まった体を隠しながら、兄を追い出した。
 鋼焔は追い出された後、食卓に向かって歩き出そうとした。
 すると、京が現れて困惑顔で質問をする。
「……御主人、京には分からないです、なぜ毎日のように悠様の裸体を覗かれるのですか」
 すると、鋼焔は家族を慈しむように、京の瞳をみつめながら頭をポンポンと撫で――
「簡単なこと、兄には、妹の成長を見守る義務がある。ただ、それだけのことだ」
いつにない面構えで、一見美しい兄妹愛のある台詞を吐いたが、最低のクズだった。
「はぁ…、そうですか…」
 京はこの人、これさえ無ければなぁ、と思いながら溜息を吐いて姿を隠した。

「いただきます」
 三人が食卓につき、食事をはじめる。御飯、味噌汁、目玉焼き、ソーセージ、漬物が今朝の献立だ。
 今朝の話題は今週行われる予定の、連盟演習会選抜についてだった。
「コウさん、選抜って何人ぐらいが選ばれるんでしょうか?」
「んー、たぶん3人か、4人だと思う」
 鋼焔は目玉焼きに箸を伸ばしながら、そういや醤油かけてなかったなー、と思い醤油に手を伸ばそうとした。すると、すでに沙耶が醤油を掴んでおり、
「はい、どうぞ」
と、楚々とした笑顔と共に差し出してくれる、そんな幼馴染を鋼焔は好ましく思いながら醤油をかけた。
「じゃあ、コウさんは確定として、残りの三人は誰が選ばれると思いますか?」
 どうやら、沙耶の中では鋼焔が選ばれるのは決定事項らしい。
「そうだな、古賀さんが仕事じゃなければ確定として、後は委員長の宇佐美、最後の一人は正直わからないな、意外とAクラスは実力が拮抗しているから誰が選ばれてもおかしくないな」
 鋼焔も自分が選ばれる自信はあった、それだけの能力はあるつもりだ。
「そうですか、当日、私は休講なので応援にいかせてもらいますね」
「……なんだか照れるな」
「あ、コウさん口におべんとついてます」
 沙耶は鋼焔の唇の端についていた米粒をひょいと取り、そのままパクッと頂いた。
「…すまん」
 鋼焔はかなり照れながらお礼を言った。

 一連のお約束の流れをじっとりと鑑賞していた悠は、気が狂っていた。
「ババアマジ殺すババアマジ殺すババアマジ殺すババアマジ殺すババアマジ殺す」
と、呪詛の念を沙耶に送りながら、脳内でブサイク化した沙耶を100回はキルしていた。
「お兄ちゃんっ、あたしもその日お休みだから見に行くね」
 死霊術課はその日休みではない。悠は嘘つきな悪い子だった。
「うん、応援頼むわ」
 鋼焔がそういった直後、沙耶が、あら、悠さんその日ってたしか、とニヤニヤしながら言いかけたところで悠が食卓の下で蹴りを飛ばした、眼も今度こそ殺すぞ、と言わんばかりに据わっている。
 沙耶は誓約書の件もあるので、はぁ、まぁいいでしょう、とあっさりと引き下がった。
 思いのほか、誓約書の効果は抜群だった。

 朝食も取り終え、三人は登校の準備を済まし、いつも通り徒歩で学校へ出掛けて行く。



[29549] 一章 幕間 二人
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:25
 ある少女がいた。
 彼女の生まれ持った力は禍々しいものだった。
 人に触れれば人が狂い。
 犬に触れれば犬は死に。
 猫に触れれば猫は死に。
 彼女の親族はそんな彼女を恐れて殺すことも已むなしとしたが、彼女の父親と母親がそれを許さなかった。彼女が力をコントロールできるようになるまで、別邸に幽閉することを条件に彼女の親族は少女を生かすことを許した。

 母親は彼女を溺愛していた。少女の力など関係なくただ一人の娘として接していた。少女も母親を深く愛していた。その力から友達すら作ることができず、いつも彼女の相手をしていたのは母親だった。彼女には母親しかいなかったのだ。

 父親は彼女を愛していなかった。彼女の力がどういうものかを理解していたから、己の欲望を満たすために利用することにした。彼は強欲だった、プライドが高かった、今の地位にコンプレックスを感じていた。彼女の力さえ掌握すれば、己が国の長になることすら夢ではなくなったのだ。
 
 だから、彼女の父親は、母親を人質にすることにした。彼女を意のままに操るために。
 彼女が大きく成長し力を完全に支配した数年後、彼女の父親は国の長となった。


 

 まだ、彼女が小さかった頃、別邸に小さな男の子が迷い込んできた。
 普段は母親しか現れない場所だったために、彼女は非常に驚いた。
 彼女は少年には近づかず遠くから声をかけた。
「君、こんなところで何をしているの?」
 声をかけると少年はこちらを振り向き、自分に向かって歩き出そうとしていた。
「来ないで!それ以上近づいちゃダメ」
と、怒鳴り声で制した。少年はビクッとして止まり、その場で話しはじめた。
「父様がここのおじさんにようがあるからって、つれてこられたんだ、でも…」 
 少年はつまらなさそうに、遊んでくれる人もいないし、ともらしていた。
 どうやら、父親についてきたが退屈でうろうろしている間に、どうやってかこんなところまで迷い込んで来てしまったらしい。
「ここに居てはダメよ、危ないから…。ちょっと待っていて、私のお母さんを呼ぶからそこにいてね」
 彼女は母親に連絡するために、庭から部屋の中に入っていった。
 すぐに、母親を呼んで少年をどこかに連れて行ってもらわなければ、万が一のことが起きると恐れた。
 母親に連絡して庭に戻ってきてみると少年はいなくなっていた。言うことを聞かずにどこかに行ってしまったか、勝手に帰ったんだろうと思った。庭を遠くから見渡して探してみたが、どこにもいなかった。とりあえず、母親にそのことを連絡しようと部屋に戻ろうとしたら、不意に腕を掴まれた。
「かくれんぼ、ぼくの勝ちだね」
 少年は勝ち誇りながら楽しそうに笑っていた。

 彼女は吃驚した。いきなり少年が現れて腕を掴まれたことよりも、この距離でしかも子供が自分の力に抗っていることに。

 彼女の力は常に暴走している、魔術への抵抗が低いものは近寄っただけで狂わせてしまうのだ。彼女の親族は優秀な魔術師の一族だったために無事だった。
 しかし、下手をすれば大人の魔術師でも狂ってしまうほどの力なのに、その少年は平然としていた。
「な、なんで?」
と、不思議に思って少年を見ていると眼に違和感があった、さっきまで少年の瞳は黒かったのに、今は真っ赤になっている。もしかしたらなんらかの魔術を発動させて、暴走している自分の力に抗っているのかもしれないと彼女は思った。
「君、もしかして魔術師なの?」
彼女がそういうと今度は少年が驚いていた。
「え、なんでそう思ったの?」
眼のことを指摘すると少年は、非常に驚いてから少し暗い表情になった。
「…このことは父様しか知らないから、誰にも言わないでね」
 そう言って少年は笑顔に戻り、約束だよ、と指を一本差し出してきた後、自分の秘密を訥々と語りはじめた。その後、彼女も自分の力のことを話した。

 少年と少女は少し似ていた。
 二人とも孤独だったのだ。


 彼女の母親が庭にやってきたときには、二人の子供が庭で遊んでいた。
 それを見た母親はずっと泣いていた。


 それから、毎月、少年は遊びに来ていた。
 彼女は少年に自分のことをお姉さんと呼ぶように強要した。将来、お嫁さんにしてくれるかな、なんて約束もしてみた。
 少女と仲良くしている自分の息子のことを知っていたのだろう、彼の父親が彼女の父親に縁談の話しをもちかけていた。当時の彼女の父親からしてみれば願っても無い話だった。彼女はとても喜んだ。少年はいまひとつ理解していなかったようだけど、一緒にいることは嬉しいと言っていた。

 
 二人は孤独だった。だからずっと一緒にいようと約束した。



[29549] 一章 五話 沙耶の日常と襲撃者
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:27
 沙耶は、神聖術課で聖霊教典の講義を受けていた。これさえ終われば屋上でいつも通りの時間を過ごす。
 神聖術課は神の教えから男女別で授業を受ける。教室内には女性しかいなかった。
 ここでいう、神、というのは西大陸に実在している神聖精霊のことである。
 彼女はこの講義が嫌い…というほどではないが眠くなるし、意義を感じないから退屈だと、この学校に入学した当時から思っていた。
 沙耶にとっては、講師も生徒も熱心に読んでいる教典は、綺麗ごと、神の偉大さ、優しさ、人間のマヌケさ、胡散臭い創作神話、神はいつでも我々を愛してくださっていると、そんなものばかり書いているくだらない書物に過ぎなかった。
 
 沙耶は神を信じていない。神は沙耶を助けてはくれなかった。
 彼女が信仰しているものがあるとすれば、それは天城鋼焔という人物だけだろう。

 
 では、なぜ神を信じていない沙耶が神聖術を使えるかというと――

 
 つまるところ、『お金』なのだ、西の大陸の言葉を借りるとMoneyである。
 
 ある程度の適性と、お金さえどうにかすれば、神聖術は使えるのだ。
 聖騎士はお金で西大陸にいる神聖精霊と契約してその力を借りている。
 それも相まって沙耶は、この授業を、教典を、くだらないと言っているのである。
 
 
 今日は鐘が鳴る前に、講師が終わりを宣言した。沙耶にとってはありがたい話しである。
「……はぁ、やっと終わりましたね」
 沙耶は、少し疲れたというふうに溜息を吐きながら、席を立った。
 すると、隣の席の西大陸出身の女性が声をかけてきた。
「ねぇ、神宮寺さん私達とランチご一緒しない?」
 沙耶は神聖術課で人気者だ、なぜなら実技演習で男達相手に刀一本で完全無敗の連勝記録を打ち立てているからである。
 だから、こうしてお昼に誘われることもしばしばあった。
「あら、お誘いありがとうございます。でも、ごめんなさい、先約があるんです」
 もちろん、鋼焔との昼食だ。沙耶は、鋼焔側になんらかの用事がない限り、入学したときから1日たりとも屋上に行かないことはなかった。
「……そうですか、また今度お誘いさせてもらいますね」
 丁寧に断られた、女性は少し残念そうにしていた。
 周りに座っていた、一部始終をみていた女生徒たちも、あ、幼馴染の彼だよー、とか、婚約者が相手ではしょうがないな、などと小さい声で会話していた。
「それでは、失礼します」
 沙耶は軽く会釈したあと、教室を出ていった。


 屋上へ行く道はいつも人通りが少ない、少しだけ講義が早く終わったため、今は沙耶だけしか歩いていなかった。

 階段を上っている最中、不意に、沙耶は背後に嫌な気配を感じた。瞬間――

視界の右側に、今、正に自分の首を刎ねようとしている大鎌を捉えた。

 沙耶はまるで襲撃をわかっていたかのように、軽く上体をスウェーするだけで大鎌を回避する。
 同時に刀を召喚した。
 振り向きざまに背後からの襲撃者に一太刀浴びせる。それだけで襲撃者――死神は存在を保てなくなり消え去った。

「一瞬、悠さんかと思いましたが、さすがにここまで露骨に気配を晒すほど彼女は無能ではありませんでしたね、残念です」
 彼女はそうはいうが、一連の襲撃者察知から攻撃までの動きはまさに野生動物の勘とでも言うべきか、普通のレベルの人間なら大鎌に気づくことすらできずに死んでいたであろう。
 以前、悠が暴言を吐いていたが、あながち間違いでもないように思える。

 そして、悠であれば良かったなどと、恐ろしいことを口にした沙耶は思案顔になる。

 
 沙耶が入学してから度々、襲撃にあうことがあった。
 先ほどのように、暗殺に向いている死霊術が一番多いが、他にも聖騎士や、オーソドックスな古代魔術士、こうして一人になった時にいつも姿を隠した相手か、遠距離から狙われていた。
 魔陣使いに襲われれば命に関わることもあるだろうが、一度たりとも襲ってくることはなかった。相手も周囲にばれることを恐れているのだろう、と沙耶は思っていた。
 
 しかし、沙耶には心当たりがなかった、悠はともかく、他の人間に襲われる理由が分からない。
 沙耶は、人付き合いには気を遣っていたし、容姿端麗、成績優秀でモテはするが表向き鋼焔が婚約者ということになっているので振った男はいない、日鋼の当主の息子の婚約者に手を出す阿呆はいなかった。
 逆恨みされるようなこともないのだ。
 最初は、鋼焔のことを好いた女性による犯行か、とも考えたが――
まず、第一に相手が多すぎるし、男性も半々ぐらいいた。もしかしたら同性愛者など、と思って、それとなく鋼焔に訊いたことがあるが、笑われた。
 答えの出ない問答を止め、沙耶は屋上へ向かい始めた。


 屋上についた沙耶は、いつものように豪奢で品のいい絨毯を召喚し敷いて、鋼焔がやってくるのを待った、ついでに、おまけのもう一人のことも。



[29549] 一章 六話 傀儡術と灯美華
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:29
 魔術には適性がある。
 例えば、天城悠は死霊術の適性が高く、古代魔術も基礎までなら扱える。だが、神聖術の適性はなく一切使用することができない。
 神宮寺沙耶は神聖術の適性が高く、古代魔術も悠と同じレベルで扱える。逆に、沙耶の場合は死霊術の適性はなく一切使用することはできない。

 天城鋼焔は古代魔術の適性が高く、その次に陰陽術の適性が高い。
 死霊術、神聖術の適性は無く使用することはできない。
 そして、鋼焔は術の属性――鋼の系統の術の適性がずば抜けて高かった。
 そういった突出した属性を持った魔術師がその系統の術を使用すると『固有魔術』になる場合がある。
 例えば、日鋼にいる普通レベルの鋼系統の適性を持った魔術師が鋼のクラス4の古代魔術を使用すると、無銘の刀が具現化する。
 西大陸の普通レベルの鋼系統の適性を持った魔術師が鋼のクラス4の古代魔術を使用すると、なんの変哲も無いロングソードが具現化する。
 東の人間と西の人間、生まれ育った文化の違いでも同じ術の発現内容は変わる。
 

 しかし、高い適性を持った人間、――鋼焔が同じように鋼の古代魔術を使用すればクラス1~10全ての段階で様々な銘入りの名刀や、妖刀、神剣が具現化するのである。

 
 そして、この鋼の系統の術と相性が良い傀儡術《かいらいじゅつ》の講義を鋼焔は受けていた。魔法陣課とはまた別の講義である。
 
 傀儡術は詠唱する必要がない術である。精神を集中し物体の制御をする術であった。
 特にこれを習得していない魔術師が鋼の古代魔術を使用すれば刀が具現化して、そのまま対象目掛けて飛んでいくだけである。
 傀儡術をマスターしたものが同じように術を使用すると、まるで刀が生きたように――優れた剣士が刀を振るっているかのように動かすことが可能になるのである。
 傀儡術とは術の補強・補助をする術という一面を持つ。


 鋼焔は広い空間のある実習教室で傀儡術の演習をしていた、今日の授業は年度初めの実力試験である。
「じゃあ、最初は天城くん前に来てください」
 呼ばれた鋼焔は席を立ち、講師に指定された場所にたって演習を開始する。
 教室中の視線が集中し、鋼焔は少し緊張した。
「では、はじめてください」
 講師に促された鋼焔は演習の内容を説明する。
「えーっと、おれは5本の刀で殺陣《たて》をやります」
 そう言った、鋼焔は深呼吸して緊張を解き軽く精神を集中させ鋼のクラス4の古代魔術『天下五剣』の詠唱を開始する。

「【Ark Urt Arl Tyn Idr Irx】」

 鋼焔の詠唱は成功し、鋼焔の周りに抜き身の五本の名刀が空中に具現化した。
 これを見た何人かの学生は歓声をあげた、おそらく『固有魔術』をみたのが初めてだったのだろう。
 そして、鋼焔は空中に浮いた五本の刀をウォーミングアップするかのように、クルクルと回転させ始める。ついで、刀の位置を離しはじめ、剣士が構えたかのようにそれぞれの刀に特徴を持たし始める。
 正眼、上段、下段、八相、脇、とそれぞれの刀を完全に空中にピタリと制止し構えさせてから、殺陣を開始させた。

 空中で刀同士がぶつかり合えば、鍔迫り合いが起こり、刀の持ち手がいるだろう場所を互いに斬り合えば、斬られた方の刀はくるくると回転して地面に落ちる、斬った側の刀はそのまま通り抜け再び構えをとる。
 それはまるで、見ているものからすれば透明人間が居て、刀を実際にあつかっているのではないかと思うほど精密な動きであった。
 
 一人の人間が五本の刀をここまで自在に動かせるというのは、なかなかに珍しいことだった。
 
 鋼焔の殺陣が5分ほど経過したところで講師が終了を宣言した。
 教室中から拍手が起こる。
「出だしから好調ね、上出来、席に戻ってよろしい」
「ありがとうございます」
 鋼焔は講師に褒められ照れながら礼をして席に戻っていく。
 席に戻ると近くに座っていた、鬼堂灯美華に声をかけられた、彼女も傀儡術の講義を受けていた。
「さすが、鋼焔くんやるねー」
「…いや、灯美華さんに言われると嫌味にしか聞こえないんだけど」
「ふふん、まぁ年の功よ」
「二つしか変わらないのに?」
「そうよ!…というか次、私の番だからいかなきゃ」
 そういって、灯美華は呼ばれて前に移動し演習の準備をはじめる。
 灯美華は陰陽術を扱う。
 両手に30枚ずつ計60枚の式符を用意して式神を召喚した、のっぺらぼうの人サイズの紙が具現化する。
 その60体が規律正しい動きで、教室の端から楽器を持ち出してくる。これだけで彼女の傀儡術のレベルの高さを推し量ることができる。

 灯美華の式神は西大陸の楽器を60個ほど設置した。かなり多い。オーケストラを始めるつもりなのだろう。
 
 そして、灯美華は演奏を開始した。
 綺麗なメロディでどの楽器もミスをしない、本場のオーケストラそのものが再現されていた、どの楽器の奏者も少しずつ特徴をつけるなど恐ろしい工夫がなされていた。
 教室の皆がもう少し聴いていたいだろうと思っていたが講師が10分ほど経過したところで終了を宣言した。少し時間を取りすぎたぐらいだ。
「さすが鬼堂さん、素晴らしかったです」
 褒められた灯美華は笑顔で席に戻ってくる。
「鋼焔くんどうだった?お姉さんすごかったでしょ?」
「はいはい、すごいすごい」
「もー、なによそれぇ!」
 鋼焔が少し嫉妬しながら生返事を返した、灯美華は笑いながら怒る。
「しかし、本当に凄いな、おれの殺陣が児戯に等しい」
「もー、そんなに褒めないでよー、お姉さんはこれぐらいしか取り柄がないからねー」
 灯美華はデレデレになっていた。
 
 そして急に真剣な顔つきになって、鋼焔に訊ねる。

「ところで、鋼焔くん、調子はどう?演習選抜で勝つ自信ある?」

「うん、いつも通りやればいける自信はある」
 鋼焔は力強い返事を返した。


「そっか、それならよかったよー」


そう言った、灯美華の顔は可愛らしい笑顔をしていたが、なぜか鋼焔はその笑顔に違和感を覚えた。


 まるで小さい頃の自分と彼女を見ているようだった。



[29549] 一章 七話 選抜戦その一 悠の疑問と沙耶の猥談
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:32
 鋼焔を含めた魔法陣クラス総勢20名(欠席あり)は校舎からテレポーターで、広大な魔術演習場に移動し、篠山講師が到着するのを待っていた。
 演習場はだだっ広いグラウンドで外周には外に魔術が漏れないようドーム状の結界が張り巡らされている。
 今日は他の課の多くも休講、ということになっており、たくさんのギャラリーが駆けつけていた。
 観客は朝早くから場所取りをしていた人もいれば、トトカルチョを行っているものもいる。
 さっそく賭け事を運営している生徒がギャラリーにブックレットを配布しはじめる、それには、魔法陣課に所属している生徒の入学当時からの模擬戦での結果や得意な魔術、魔法陣の色、簡単なプロフィールなどが記されていた。
 ギャラリーの最前列には豪奢な絨毯が敷かれており、そこには神宮寺沙耶と天城悠が陣取っていた。
 ブックレットを受け取った悠はさっそく鋼焔の載っているページを見つけるためにペラペラとめくっていった。
「お兄ちゃんは―――っとあった。えーっと、なになに天城鋼焔、年齢17歳、得意な魔術、古代魔術全般なかでも鋼、火、治癒系統を好んで使う、これまでの戦績はって――ッなにこれ!?……おい!ババアこれはどうなってんだ…」
 悠は少し震えながら、驚きそして動揺していた。
「…………」
 沙耶は答えない。
「おい、ババ……沙耶、これはどうなってんの」
 沙耶は答える。
「……悠さん、あなたはコウさんの妹なのにそんなことも知らなかったんですか?」
 沙耶は多分に哀れみを籠めた瞳で悠を見つめた。
「う、うるさい!だって、お兄ちゃんあんまり魔法陣課のこと話してくれないし、戦ってるのも家でお父様と軽く手合わせしてるのしかみたことないもん…」
「……そうですね、ちょっと前まではコウさんが入学したばかりの悠さんのことばかり心配して、悠さんがずっと話す側でしたもんね、しかたありませんよね、……グスン」
「止めろ!そんな哀れんだ感じで喋るのを止めろ!あたしがお兄ちゃんに愛されていないみたいだろうがっ」
「えっ?愛されていたんですか?」
 沙耶はまぁ驚きました、という風に目を見開く。
「――テメェ」
 悠の目つきが鋭くなる。
「まぁまぁ、そんなことより、今はコウさんのことが聞きたいんですよね?」
 沙耶は悠のガン飛ばしを軽く受け流して、ブックレットの戦績のところを指し示す。
 悠は――っそんなことだと?と思ったが仕方なく話を聞く、今は分が悪すぎる。
 
 そこには、こう記してあった。



 天城 鋼焔 71戦 48勝 0敗 23引き分け



 悠が驚いたことは、


 0敗。これは考えられないことだった。


 鋼焔は入学時からAクラスだったはず、しかも入学時の年齢は10歳そこらだ。
 現在の魔法陣課には在籍していないが、数年前まで数名の傭兵兼学生の人間が所属していたはずだ。他にも、古賀、宇佐美などの優秀な魔陣使いも当時からAクラスに在籍していたはずである。



 10歳の少年がプロの魔術師に敗北しない、なんていうのは悠には想像がつかなかった。それはなにかの夢物語だろう。



 さらにいえば、どんな魔術師でも調子の悪いときはある、逆に調子の良い時も、それも踏まえると現在の鋼焔でも不敗というのは信じられなかった。

 

「だいたい悠さんの驚いたことは分かるんですが、それよりもここを読んでみてください」

 そう言って、沙耶は魔法陣の色について書かれた場所を指す。そこには、


――天城 鋼焔 魔法陣の色『不明』


 そう書かれていた。


 悠はそれを読んで首をかしげた、不明とはなんだろうか、魔法陣の色は人格や精神で変化することはあるといわれているが、人格や精神はそう簡単に変わるものではない。

「……ババア、意味わかんねーよ、『不明』ってなによ不明って、この冊子作ったやつはどこみてやがったんだ」
 悠は呆れたようにブックレットをバシバシ叩きながら職務怠慢だな、と尊大な態度をとっていた。
「ですから、『不明』です、この冊子を作った人は本当に見たことがないんでしょう」
「んー、つまりお兄ちゃんの魔法陣は色が無い――無色透明ってこと?」

 沙耶はそう言った悠を、まぁ、そう思っても仕方がないですね、と思いながら、




「違います、コウさんは模擬戦で魔法陣を―――魔陣領域を一度たりとも展開していない、ということです」




 と、言った。

 それを聞いた悠は一瞬呆然としたが、
「――っは、あたしを騙してどうするつもりだ?」
 どう考えてもありえないことなので、ババアまたおちょくりやがって、と思いながら睨みつける。


「では、あとで、直接コウさんに聞いてみますか?」


 沙耶がいつになく真剣な目と声音でそう言ったので、悠は今度こそ絶句した。体も震えはじめた。


 悠がさっきまで考えていた勝敗の数は、当然、魔陣使い二人ともが魔陣領域を展開しているものだと想定してのことである、誰が展開しないだろうと考えるだろうか…。だからこそ、余計に意味が分からなくなった。
 魔陣領域を展開しないということは、魔術の効果、抵抗、命中精度、全てにおいて数段劣るということなのだから――
悠は考えるのをやめた。頭が痛くなってきそうだった。



「…ところで、沙耶は見たことあるのか、その――お兄ちゃんの魔法陣を」
 やっと思考から帰ってきた悠がおそるおそる沙耶に訊ねた。


 沙耶はとても大切なものを宝箱から取り出すようにそれを思い出した後、普段、鋼焔に向けるような満面の笑みになって、


「はい、一度だけ」


 と、答えた。


「ふ、ふーん、そうなんだ、…ぜんっぜん羨ましくないけどな!あたしが頼めばお兄ちゃんはあっさり見せてくれるハズだしー、あっ!そうだ2回見させてもらおっと、そしたらどっかのババアが泣いて悔しがるしー、ふふーん」
 悔しがっていた悠が徐々に勢いを取り戻す。

「いえ、無理ですよ、綱耀様によほどのことが無い限り絶対に使うなと言われていますから、コウさんも私も納得する理由ですし」
 沙耶は勢いを取り戻しかけた悠をドン底まで叩き落とした。
「むっ、お父様が……じゃあ絶対無理じゃん、ババアマジふざけんなよ…くそがぁ…」
 悠は沙耶に八つ当たりしはじめていた。

 天城綱耀は厳格な父親だった、鋼焔も悠も決められたことは必ず守っていた。
 未だに悠は父親と話す時緊張する、それぐらい威圧感のある人物だった。
 鋼焔も父と話しているときは言葉遣いから仕草、礼節についてまで徹底していた。
 その彼がダメだと言えば、自分達はそれを守るしかない。
「……ていうかあたし、お兄ちゃんのこと全然しらなかったんだな」
 天城綱耀と悠の母親が再婚した当時、悠は6歳、それから7年天城家で生活してきた。
 悠は10歳から魔術学校に通い始め、現在13歳、たった3年で死霊術士としての才能をメキメキと伸ばし、当代最高とまで言われた駿才である。
「まぁ、コウさんは悠さんに対して過保護すぎますからね、余計なことで悠さんを不安にさせたくなかっただけだと思いますよ」
 沙耶は珍しく悠に対して真面目に励ますようなことを言った。
「……たしかにお兄ちゃん優しいけどな、でも、あれ過保護っていうのかよ、毎朝着替え覗かれてるきがする、あたしエッチなのは苦手なのに…」
 悠は少し顔を赤らめながらそう言った。
 
 それを聞いた沙耶は不敵な微笑みになり、変なスイッチが入った。
「ふっ、その程度のことでエッチなんて言っているんですか?可哀想です、私なんて小さい頃からお風呂に一緒に入って見せ合いっこをしていましたからね、私の胸が膨らみ始めてからはしばらくそんなこともなかったんですが……あれは一昨年の夏でした、私の体つきがどんどん良くなっていくにしたがって、コウさんが徐々に私の胸をチラ見する回数が増えていったんです。だから私、別邸の中で逆に扇情的な薄着にしてみたんですよ、悠さんも覚えていますよね?――そしたらコウさん、私に気が付かれているのも知らずにずっと胸の谷間を凝視してくるんですよね、私はこの時にイケルと確信しました。――コウさんも限界だったんでしょう一つ屋根の下に女の子がエロい格好をずっとしてるんです、それを一週間ぐらい続けた日の夜、私、シャワーを浴びていたんですが、突然、お風呂場のドアが開いてコウさんが入ってきたんです」
 暴走気味の沙耶が一気に捲くし立てる。
「そ、それで?」
顔を真っ赤にして少し興奮気味の悠が続きを促した。
「……私はその時、覚悟を決めました。嗚呼、今日、私の初めては奪われてしまうのだと!で、お風呂場に突然侵入してきたコウさんは、背後から乱暴に私の胸を鷲掴みにしてきたんです、二人とも無言で荒い吐息だけが浴室に響いていて、鏡に映ったコウさんの眼は血走っていました。そしてもう片方の手で私の××× に指をいれてきたんです!私は歓喜に打ち震えました…。何度か前後に動かされた後、一度指は抜かれて、そしたら今度は指を三本も入れてきたんです…。私、驚きました。危うく手で×××が破かれるところでした…。初体験が手ってありなのか、無しなのか少しだけ迷いましたが、さすがに手は勘弁してくださいヒギぃって言って止めてもらったんです」
「うう、も、もう嫌だ聞きたくない、やっぱり止めろ!」
顔色がトマトのような色になっている悠が顔を伏せぎみにしながら耳を塞いでいた。
「いえ、ここからが良いところなんです、――私の処女膜がブチ破られる話しなんですが…」
「ふ、伏せないのかよ!っていうか、う、う、嘘だろその話、本当だったらあたしが一緒に住んでるのにおまえ、あたしのお兄ちゃんとなんてことしてくれてるんだよ!」
「嘘だと思うなら後でコウさんに聞いてみてください、ごまかそうとしておそらく眼を逸らしますから」
 悠にいつもの勢いは無い、声は震え自分の苦手な話に頭が沸騰しそうになっていた。
 そして、思い出す。
 ここ数年、夜中にトイレに立った時に度々沙耶の部屋から聞こえていた振動音のことを、それは昨晩も。
「ババア、テメェまさか昨日の夜も――」
「あら、どうしてわかったんですか?…コウさんったら、こうした方が明日気合がはいるからって激しくされて、なかなか眠らせてくれなくて、普段は照れてばっかりなのに、本当にやる時はやっちゃう人ですよね――あら?悠さんどうしました?」
 悠は頭からプスプスと煙を出して意識を宇宙《そら》の彼方に飛ばしていた。
「…なんていうか、話が脱線しすぎましたね、今日は悠さんに圧倒的な戦力差というものを教えるつもりはなかったのですが」
 そんな悠を見て、沙耶は軽く嘆息した。


 一方、魔法陣課の面々の前では篠山講師が魔術演習場に到着し選抜戦についての説明をはじめていた。
 もうすぐ一回戦がはじまろうとしている。



[29549] 一章 八話 選抜戦その二 千石葵VS火蔵明人
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:35
「うーっし、それでは今から連盟演習会の選抜戦を行う」
 軍服を着込んだ講師篠山がゆるゆるな開会の宣言をする。講師は篠山の他にも10名ほどが今日の選抜戦のために集められていた。
 他にも、治癒医療班のテントが会場の脇に設置されている。模擬戦で怪我もしくは死亡した場合に治療、蘇生するためだ。治癒術での完全な蘇生は難易度が高く魔術学校の中でも、数人の講師と生徒を除いて使用することはできない。高度な蘇生術になると死亡数分以内であれば完全に頭部欠損などの即死状態からでも再生させることが可能である。
 その治癒医療班を選抜戦のために一日借りるため、他の術課の多くが模擬戦などをできなくなり休講になっていた。
 
 今日は魔法陣クラスの全員が私服ではなく、武鋼魔術軍事学校の制服、黒に近い紺色の軍服を着用していた。
 鋼焔を含む数名の生徒は軍服の上に黒色の外套《コート》を羽織っている。
 外套を好んで着用するものには純粋な詠唱戦に特化している者が多い。いわゆる『魔法使い』のローブをイメージして羽織っていた。
 外套を羽織っていないものは詠唱戦よりも刀剣、拳法、射撃武器などと魔術を組み合わせた戦いを好む場合が多い。

「今日は、リーグ戦で行う、今から呼ばれた者がAブロックだ、古賀、インスマス、宇佐美、天城、以上4名」
 鋼焔はてっきりトーナメント制だと思っていた、さらにAブロックだけ明らかに成績優秀者が偏っていることに衝撃を受ける。ついで、残りのB~Eブロックが発表されていった。明人はBブロックのようだ。
「ちなみに選抜は勝敗だけでは決定しない、戦闘での過程も考慮して選出するので相手が格上でも最後まで投げずに奮闘するように」
 鋼焔はなるほどと思った。それならこの分け方でも問題はない。
「それではブロック毎に移動して1戦目の者は準備を開始してくれ」
 篠山講師の指示を受けて皆がそれぞれの場所に散っていく。

 鋼焔は2戦目なので明人の応援をするためにAとBブロックのギャラリー席に移動する。すると、最前列に沙耶と悠が絨毯を敷いて陣取っていたのでそちらの方へ向かっていた。
「コウさん、こっちですよー」
「お兄ちゃん、こっちだよー」
 二人が自分に近い位置を示して絨毯をバンバン叩いている、鋼焔は少し気圧されたが二人の中間に座った。
 無難な選択である。
 沙耶と悠は、少しむっとして、
「「よいっしょっと」」
と、掛け声とともに二人は鋼焔の近くに座りなおした。おそらくどちらかのそばに座っても片方がそばに座りなおすだけで結果は同じになっていたことから、片方の機嫌を損ねることのなかった鋼焔の選択は最善だったようだ。
 座ると同時に鋼焔は悠の顔色が少し赤いことに気が付いた。
「ん、悠熱でもあるんじゃないのか、すげー顔色悪いぞ」
「え、大丈夫だよっ、ふぁ――」
 鋼焔はそう言って悠のほっぺや首に手を当てた後、おでこ同士をくっつけた。
 そうすると悠は真っ赤になって頭から煙を噴出し、絨毯の上にコテンと倒れてしまった。
「……悠、まじでやばいんじゃないのか…」
 沙耶はそれを楽しんでみていたが、さっきの猥談の件を説明するわけにもいかず、少し寝不足なだけらしいですよ、と適当なことを言って鋼焔の注意を逸らした。
「ところでコウさん外套を脱いでください、畳んで置いておきます」
「ん、すまん」
 そういって外套を脱いだ鋼焔はそれを渡し、沙耶は綺麗に外套を畳んで傍に置いた。
「ところで、コウさん調子の方はどうですか?」
「んー、バッチリかな」
 鋼焔がそう答えると、両名は昨晩の情事を思い出したのか少し赤くなった。
「そ、そうですか」
「そ、そうだけど」
 二人の間に桃色の空間が出現しつつあった。
「うー、そうです!火蔵《かぐら》さんの一戦目の相手は誰なんですか?」
 雰囲気を変えるために思い切った感じで沙耶はそう切り出す。
「たしか、Bクラスから上がってきた千石葵《せんごくあおい》って子だな、沙耶と同じ剣術家だったはず」
「どんな感じなんですかね」
「そうだなー、まだBから上がってきた人たちとは模擬戦やってないからなんとも言えないけど、他の授業でみているとあの千石って子オーラあったわ、なんていうか侍って感じの子でさ……だけど明人が負けるとは思えないな」
 話しながら鋼焔は彼女に呼ばれた敬称――殿なんてつける年下がいたことに驚いたのを思い出していた。
「あ、出てきました、あの子ですね、なんていうか可愛いらしいじゃないですか、女の子に侍っていうのは失礼ですよ、コウさん」
 沙耶はちょっとプリプリしながらデリカシーないですよ、もう!という感じで嗜める。
 千石葵は背筋が綺麗に伸びていてスタイルが良い、髪型はポニーテール、身長は女性にしてはかなり高く170cmに届きそうなほどだった、顔は凛々しくキリッとしている。そしてなにより、胸が大きかった。
 そして鋼焔は私服が和服で分からなかった葵の胸の膨らみをこれでもか、と凝視していた。
 沙耶より少し小さいが、かなり大きいな、と感想を心中で述べる。
 意外と軍服がピチピチしていて体のスタイルがハッキリみえているようだ。
 いや違う、軍服がピチピチしているのではなく彼女の胸のせいでパッツンパッツンなのだ。
 あれで明人の精神集中を妨害するつもりなのか!?などと、益体も無いことを考える。
 そうしている鋼焔の視線を捉えた沙耶は、自分の胸を見て、葵の胸を見て、自分の胸を見て、葵の胸を見てから鋼焔に訊ねる。
「――コウさん、……私の胸は嫌いですか?」
「…え、なんでいきなりそんな話しするんだよ」
 そう答えながらも少し動揺しつつ葵の胸の凝視からゆっくり沙耶のほうを振り向くと、ちょっとだけ沙耶の瞳が潤んでいた。
 鋼焔は己が葵の胸を凝視していたことが、ばれたのを瞬間的に悟る。
「い、いやいや、好きだけど――って……他の子の胸見ていて本当にすいませんでした!」
 鋼焔は絨毯に額を擦りつけるように謝罪した。



 Bブロックの演習舞台では遅れてやってきた火蔵明人《かぐらあきと》と千石葵が20mの距離を開けて対峙していた。二人とも外套は着用していない。
「よろしくお願い致します、火蔵殿」
「お、おう、待たせたな」
 凄まじい大声で遠くから挨拶をされた明人がたじろぐ。
 そして開始の合図が設置された音響設備から流れる。
「それでは、1戦目開始してください」
 それを受けてBブロックの審判の講師が合図を出した。
「一戦目開始」

「「展開《オープン》」」
 
 火蔵明人と千石葵の両名がほぼ同時に魔法陣――魔陣領域を展開した。
 それはギャラリーの方まで飲み込み、違和感を覚えさせた。
 明人の陣の色は灰色で、葵の陣の色は白であった。

「参ります」
 葵は、そう宣言すると同時に、腰に鞘に納まった日鋼刀を召喚する。葵はそのまま刀を構えずに深く腰を落とした。
 
 
 そして次の瞬間、長特大の『一歩』で20mはある明人との間合いを詰めて腰を低くした状態で抜刀した。
 
 刃が明人に叩きつけられる。


 明人は完全に虚をつかれた、相手の戦闘スタイルが全くわからなかったので初手は相手に譲るつもりだったが、それはなんらかの詠唱を譲るだけで、こんな至近距離まで詰められ刀で襲われるつもりなど毛頭なかった。
 だが、これで相手の得意とする術がわかった、東大陸における西大陸の神聖術といわれる――武神術である。武神術は神聖術と違って『お金』は要らないが、適性と武への純粋な求道が必要である。日鋼にいる武神の精霊にその武への努力と研鑽を示すことで力を借りている、ほとんどの術が詠唱を必要としていない神聖術と似ていて得物・身体能力強化が主である、明人も多少心得があり身体能力強化にしようするときもある、だが明人は一歩でここまで凄まじい速さの跳躍をする武神術士をみたのは初めてだった。  
 おそらく魔法陣による魔術効果の上昇に加えて千石葵の身体能力が元から高いのだろう。


「――痛ッ」
 明人が吹き飛ばされギャラリーがどよめく。
 もはや一撃で勝負がついたかと思われたが、腰の右側辺りを襲った刃を明人は右肘でガードし、同時に左側に飛び可能な限りダメージを逃がしていた。そして、葵の攻撃と自身の跳躍により10mほど吹き飛んだ明人は立ち上がらない。
 葵の放った抜刀術は速さこそあったものの、片手で打ち込んでいたため威力自体は一撃必殺のそれではなかった。
 もちろん明人に肉体的損傷はない、ダメージは全て魔法陣に行く。
 しかし、今の葵の斬撃により明人の魔法陣に甚大なダメージが蓄積した、後一撃で明人の魔法陣は消失し勝負は葵の勝利となる。
 仰向けに倒れている明人にトドメを刺すべく、千石葵は正眼《せいがん》の構えを取り、突進しようとしていた。
 

 火蔵明人の父親は日鋼の諜報機関に所属する間諜だった。明人も将来、父親のようになれたらと同じスタイルを学んでいた。
 それは、主に武神術で強化した拳法や柔術などの接近戦格闘技全般、それに火と隠の系統の術を組み合わせて戦う。
 そして、明人は隠の系統の『固有魔術』を使用できるほどに父親から受け継いだ才覚を磨いていた。
 
 
――明人は起き上がらずに仰向けに倒れたまま、古代魔術、隠のクラス2の『発煙弾《スモークグレネード》』を詠唱していた。

「【Spc Ned Fbr Hed】」

 それに気が付いた葵は詠唱させまいと、神速で間合いを詰めるが、斬撃が明人を捕らえるよりも早く魔術は発動した。明人は手元に現れた発煙弾のピンを抜く。
 そして、明人を中心に凄まじい量の煙幕が立ち昇る。
 
 この煙幕は明人からみるとほぼ透明に見える、視界を奪われることはない、素早く次ぎの詠唱を開始する。

 しかし、葵はそうはいかない、完全に視界を奪われる、急いで後ろに下がろうとするが煙幕が尋常ではない速さで広がっていく。
 葵が退避しているのを見ながら明人が15m――魔術の威力が最大になる距離を測り古代魔術、火のクラス4を発動させた。
 葵の背中目掛けて巨大な火炎の弾が飛んでいき直撃する。葵が吹き飛ぶがある程度攻撃を予想していたのだろう、綺麗に受身を取る。
 しかし、無防備な背中に直撃したため魔法陣へのダメージはかなりのものだった。もう一度同じ距離から直撃させることができれば、その時点で葵の魔法陣は消失し明人の勝利が確定するだろう。
 煙幕は未だ晴れていない、続けざまに明人は隠のクラス4の魔術を詠唱する。

「【Io Urt Arl Tyn Idr Hed】」
 
 
 立ち上がった葵は刀を上段に構えて精神を集中させていた。

 明人の詠唱が完成すると同時に、葵が裂帛の気合とともに上段から前方の空間を切り下ろす。
 すると、煙幕が一瞬にして吹き飛んでいくように晴れる、葵は武神術の『凶祓い』によって解呪をしたのだ。
 
 しかし、煙幕が晴れるとそこにはなんと四人に増えた明人がいた。詠唱したのは『分身の術』だ。
分身は明人の姿を写したダミーで軽く斬られればそれだけで消し飛ぶ存在。
 だが、それだけの時間があれば明人は決定的な利を得る。
 さらにもう一度、明人は火のクラス4の詠唱を開始する。
 葵は一瞬、分身に驚いたがさきほどのように15mの距離を一歩で詰め、まず一人目の明人を叩き斬る。ダミー。二人目、ダミー。
 三人目を斬ろうとしたところで四人目――本物の明人から火炎の玉が飛んでくる。斬ろうとしている体勢だったために葵は全く回避が取れずに直撃する、しかし魔術の発動が明人に近すぎたためさっきもよりもかなり魔術の威力は減少していた。葵の魔法陣は消失しない。
 しかし、あと一撃軽い攻撃さえ当てることができれば明人の勝利は確定する。


 ダメ押し、とばかりに明人は隠のクラス5の魔術の詠唱を開始した。

「【Io Ift Aym Wul Pjr Sol Hed】」


 明人の詠唱は完成した、しかし……何も起こらない。


「あ、あれ?ミ、ミスったぁあああああああっ!?」


 明人が大声で間の抜けた声をあげた。表情も混乱している。
 すでに体勢を整えた葵はその隙を見逃しはしない、一度刀を鞘に納め神速で距離を詰める。

 葵の抜刀術による紫電一閃。
 初撃と全く同じ腰を狙った一撃だった。




 明人の腰と胴体が切断された。




 それをみたギャラリーから悲鳴があがる。




「―――なーんつって、な!」



 突如現れたもう一人の明人が驚愕した表情の葵の顎《あご》を拳で突き上げる――アッパーカットが炸裂し、ついに千石葵の魔法陣は消失した。

 この瞬間、明人の勝利が決まった。

――切断された方の明人は、『木』に明人の軍服を着せていただけだった、隠の固有魔術『身代わりの術』が完全に決まったのだ。

「勝負あり、勝者、火蔵明人!」

「終了《クローズ》」
 試合終了と同時に明人は魔法陣を閉じた。

 意識が完全に断たれた千石葵が担架で運ばれていく。
ギャラリーから明人と葵へ惜しみない拍手が送られる。Bブロック1戦目が終了した。

「火蔵さんさすがですね、最初は危なかった気がしましたけど、圧倒的でした」
「伊達にAクラスじゃないってことだわ、おれもそろそろ準備しておく」
「はい、コウさんも頑張ってください、ここで応援していますね」
「おう、行って来る」
 鋼焔は外套を羽織、沙耶に見送られつつ戻ってくる明人とハイタッチを交わしてからAブロックの舞台へと歩いていく。
 Aブロック2戦目、天城鋼焔の初戦がはじまろうとしていた。



[29549] 一章 九話 選抜戦その三 実力の片鱗
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:39
 Bブロックの演習舞台から戻ってきた火蔵明人は、観客席に陣取っている神宮寺沙耶と天城悠を見つけて近寄っていった。
「よっ!神宮寺さん、隣いいかい」
「どうぞ」
 片手を挙げて軽く挨拶した明人は、絨毯の隣に御座を敷いた。
「火蔵さん、さきほどの戦いぶりお見事でした」
「いやいや、照れるねぇ」
 沙耶に褒められ明人は照れくさそうに頭をぽりぽり掻いた。
「つーかなんで、妹ちゃんは寝てんの?」
 沙耶は、また答えにくい質問がきましたね、と思いながら鋼焔に言ったのと同じ言い訳を明人にもしておいた。さらに話しを逸らす。
「…ところで、最近の魔法陣課でのコウさんはどんな様子ですか?」
「んふふー、気になるの?神宮寺さんは心配性だなぁ、…あいつはエロいけど意外にその辺は誠実だよ、神宮寺さんと他の女子は線引きしてるっぽいし、特定の女子とそこまで仲良くはしてないよ」
「そ、そうですか」
 沙耶は特にそういう話を聞きたかったわけではなかったが、思いがけず嬉しい情報が手に入って心の中で、激しくガッツポーズを取っていた。
「へへへ、嬉しそうだねぇ、ほんとコウが羨ましいわ」
 沙耶は知れず顔が綻んでいたらしい。
 そう言った後、明人は表情を引き締めて、
「……ところで真面目な話しになるんだが、この間、コウが俺の親父に頼んでた件しばらく後回しになるって言っといてくれ」
「……もしかしてそれって私の父親のことですか?」
 沙耶は何か思い当たるところがあったらしい。
「ああ、神宮寺さんもコウから聞いていたか、まぁ、元々親父達の仕事だからな、何か情報があれば自分と神宮寺さんに情報流してくれればいいって言ってたんだよ、……でもな、前から同盟国できな臭い動きをしている国があるらしくってな、そっちに一度行かなきゃならんらしい、それに神宮寺さんの親父さんの目撃情報はあったけど信憑性は薄いらしくてな…」
「……そうですか、火蔵さんのお父様にお礼だけでもお伝えしておいてください」
「…ああ、でも父親の居場所を聞いてどうするんだ?自分達でケリを着けるつもりなのか、ほっといても軍の誰かが――」
「いえ、コウさんも何か気にかかることがあるらしくて、……それに私も話したいことがあります―――決着をつけるにしてもそれからですね」
 沙耶の父親達は日鋼の魔術研究者だった、そして五年前に日鋼を裏切った、他の国の内通者と手を組み日鋼での研究結果をどこか他所の国に持ち出したのだ。未だに行方は知れていない、同盟国の手配によって西大陸へのテレポーターは検閲がしかれており、死んでいなければ、同盟七ヶ国のいずれかに潜伏しているとされていた。
「……そうか、了解した、親父に伝えとく」
 暗い表情をしながらそう言った明人は一転、明るい表情になり、
「そんじゃま、コウでも応援しますかね」
Aブロックの舞台に現れた鋼焔に視線を移した。


「やっぱり、緊張するな」
 舞台に上がった鋼焔は緊張していた、戦闘への緊張ではなくギャラリーが多すぎることに緊張していた。
 鋼焔は、己の記憶を鑑みてもこんな大勢の観客が見ている前で戦うのは初めてだった。
 だからこそ、昨晩、沙耶と気合を入れていたのだが。
 しかし、それも戦闘が開始されるまでだろう天城鋼焔の戦闘においての集中力は群を抜いている。
 そのことは鋼焔自身も分かっているのだが、緊張するものは緊張するらしい。
 
 そして鋼焔の一戦目の相手が現れる。
「…ふー、天城君よろしくね」
「おう、よろしく委員長」
 鋼焔の一戦目の相手は宇佐美絵里香《うさみえりか》――委員長だった。眼鏡と綺麗にパッツンされた前髪が印象的だ、容姿は眼鏡をはずさなくても美人である、しかし、彼女は委員長という渾名《あだな》であって委員長ではない、そして年齢は20歳である。20歳で渾名が委員長というのはちょっとおかしい気がするが、どうみても委員長なので仕方ない。性格も真面目で努力家、パーフェクトな存在だった。

(……トイレ行っといた方が良かったかな)
 宇佐美も少し緊張していたが、それよりも自分のくじ運の悪さに感謝していた。
 鋼焔との模擬戦での結果は通算だと引き分けが多いが最近は負けることが多い。
 もちろん一度も勝利したことはなかった。
 自分で相性の悪い相手だとも認識している。
 だからこそ、このプレッシャーのかかる場面で苦手意識のある相手を打ち負かしてやろうと意気込んでいた。
 相手は魔法陣を使わないのだ、負けること自体がおかしい、しっかりと策を練れば勝利はすぐそこにあるはずなのだ。
 
 音響設備から開始の合図が出されて、審判が開始の合図をしようとする――
 その直前に宇佐美は白い魔法陣の魔陣領域を展開させる。
 
「展開《オープン》」
「2戦目開始!」

 別に模擬戦でも試合開始後に魔陣領域を展開させなければならないというようなルールは存在しない、暗黙の了解なのだ。
 鋼焔は魔陣領域を展開しない、そして律儀に相手が開始直後に展開するのを待つ理由もない。
 宇佐美は以前、模擬戦で対戦相手が鋼焔の時に戦闘開始後に魔陣領域の展開をしたことがある。
 それまで、相手の魔陣領域展開を律儀に待っていたはずの鋼焔が、その日から急に開始直後から即攻撃に入るという戦法に変わったのは懐かしい記憶だ。
 そしてその時、宇佐美は試合開始30秒持たずに敗北したのを思い出す。
 悔しかった、それになにより一瞬でも鋼焔のことを卑怯だと思ってしまった自分を恥じた。
 
――実戦では敵は待ってはくれないのだ。

 その時の反省から宇佐美は試合が開始される前に、魔陣領域を展開することを心掛けていた。
 そして、宇佐美に『固有魔術』は無い。
 しかし、満遍なくあらゆる系統の魔術を高ランクまで使えるように修練してきた秀才であった。Aクラスでも五指に入る実力者だ。


 試合開始の合図と同時に鋼焔と宇佐美が全く同じタイミングで詠唱を開始する。

「【Ark Ned Fbr Fapn】」

「【Ark Fir Iscu】」

 鋼焔はクラス2の火の魔術を唱えた、小さい火炎の弾が相手を焦がす。
 宇佐美はクラス1の氷の魔術を唱えた、鋭い氷柱が矢となって相手目掛けて飛んでいく。
  
 しかし、同時に詠唱を開始したのにも関わらず、詠唱に、より時間のかかるクラス2の魔術を唱えた鋼焔の方が魔術を発動させるのが速かった。


 天城鋼焔が魔法陣を使用せず、不敗だったのには幾つもの理由がある。


 そのうちの一つ目が詠唱速度の異常な速さだった。
 詠唱は精神を集中しなければならない、精神が集中できていなければ魔術の発動は成功しないのだ。
 天城鋼焔は本当に精神を集中させているのか?と疑われるほどの早口で詠唱を行う。
 そして、その異常なまでの詠唱速度で難無く魔術を成功させていた。
 恐らく、天城綱耀《あまぎこうよう》に幼少時から鍛えられていたのだろう、



 だが、それだけでは説明できない何かを宇佐美は以前から感じていた。天城鋼焔には何か『秘密』がある、そう思っていた。



 お互いに発動させた魔術が相互にヒットする。
 鋼焔の腹部に氷柱が浅く刺さり出血する。
 宇佐美は軽い衝撃を覚えたが宇佐美の魔法陣が少しダメージを受けただけだ。
 
 宇佐美の魔術はクラス1でクラス2の鋼焔の魔術より威力が弱いはずだ、

 しかしクラス2の綱焔の魔術よりも威力が高い。
 
 もちろんこれは、魔陣領域の恩恵である、魔陣領域を展開した魔術師とそうでないものの圧倒的な差だ。魔術への抵抗も高い。そして、命中精度も。

 だが、宇佐美は天城鋼焔と戦闘している時いつも思う。

 魔陣領域を展開していないはずの天城鋼焔の魔術の威力が高い、魔術への抵抗が高い、命中精度も高い。

 高すぎるのだ。
 
 例えば、さっきの氷柱の矢ならば魔陣領域を展開していない人間に刺されば大抵は腹部を貫通して背中までダメージは及ぶはずだった。
 だが、鋼焔の場合は腹部に浅く刺さっただけで氷柱は止まる。


 例えば、さっきの炎の弾ならば魔陣領域を展開している宇佐美に当たっても魔法陣にはかすり傷程度でしかない、少しもダメージを受けるはずがないのだ。
だが、宇佐美は確かに少量のダメージを魔法陣が受けたと感じたのだ。


 そしてなにより、鋼焔の命中精度に至っては魔陣使いとなんら変わらない、下手をしたら凌駕しているようにすら感じる。
 

―――だからこそ、天城綱焔に『秘密』があるのだと思わずにはいられない。

 
 これらが天城鋼焔の強さの理由のうちの三つだった。
 魔術に関する全てが常人の域を超えていた。
 もし、人間に『人間の魔力』というものが視えるのならば、天城鋼焔は魔力が溢れているように視えるのかもしれない。そう思わせるほど天城鋼焔は人間離れしていた。



 魔術師は回復さえすれば元通りの肉体になる。
 しかし、魔法陣は展開していない状態で1時間は休息を取らなければ完治しない。治癒魔術を魔法陣にかけても意味はない。



 腹部にダメージを受けた鋼焔はすぐさま治癒の魔術クラス1を詠唱し始める。
 しかし、鋼焔よりも先に宇佐美はクラス1の『詠唱妨害』の魔術を詠唱し始めていた。
 宇佐美は鋼焔が回復することを読んでいたのだ。
「【Ark Fir Imds】」
「【Io Fir Rosy】」
『詠唱妨害』の魔術は発動から相手への着弾までのタイムラグが0の最速の魔術だ。
『詠唱妨害』が発動する、しかしそれでも――間に合わない、鋼焔は1テンポ以上早く詠唱を完成させて腹部の傷を完治させた。

(くっ、…このままじゃ)
 宇佐美はいつもの流れだと感じて焦りを覚える、相手の詠唱を読めても鋼焔相手では意味が無い。このままずるずる行くと精神集中が乱れていつか詠唱を失敗する。そして流れを持っていかれて一瞬で追い込まれる。

 だから、宇佐美は思い切ったことをやってみようと思った。鋼焔の裏を掻くために。

 宇佐美も鋼焔も最初と同じ氷1クラス、炎2クラスの魔術を再び唱えた。
 お互いに魔術が当たり、同じようにダメージを受けた。

 そして、ここからが勝負だった、宇佐美は鋼焔を一撃で戦闘不能に追い込むことが可能なクラスの魔術で、且つ最も得意で精神集中しやすいため詠唱の速い、雷のクラス5の魔術を唱え始める。
宇佐美の詠唱を少し見てから鋼焔も詠唱を開始していた。

 これは賭けだ。

「【Ark Ift Aym Wul Pjr Sol Tsed】」
「【Ark Hir Mrh Thn Irx】」

 そして宇佐美は賭けに勝った。
 
 傷を無視して鋼焔が詠唱したのは鋼のクラス3の魔術だ、『耐雷障壁』の魔術でもない、『詠唱妨害』ですらない。
 『固有魔術』だろうが、なんだろうが雷撃より速く宇佐美を倒すことはできない。しかもクラス3の魔術を一撃くらった程度では宇佐美の魔法陣は消失しない。

 宇佐美は勝利を確信して、鋼焔の上空に発生させた雷雲から雷撃を落とした。
 鋼焔は敗北を悟ったのか、具現化させた刀を鞘に納めたまま自身の頭の傍に浮遊させて宇佐美を攻撃しようとはしていなかった。
 決着が見えてきたことでギャラリーがそわそわしだす。

 そして、人間には捉えきれない速度の稲妻が鋼焔を直撃する――



 その寸前で雷撃は刀によって切断された。


 
「な、……うそでしょ……」
 宇佐美は完全に呆けていた。
 自身の勝利を疑うことなく放った自慢の雷撃が、その役目を果たすことなく消え去ったからだ。
 しかし、いつまでも集中力を欠いているわけにはいかない。
 気持ちを切り替えて、次に備えた。
 
 そして、状況をよくわかっていなかったギャラリーは一瞬静まりかえったが、鋼焔がなにをしたかを理解した瞬間湧き上がっていた。

 鋼焔の詠唱した、クラス3の鋼の『固有魔術』は『雷切』だ。
 鋼焔は、雷を斬ったとされる伝説の名刀を具現化させていた。
 『固有魔術』はその伝説を再現する。
 そして、雷切で上空から落ちてきた雷撃を、傀儡術を駆使した居合い抜きで切り裂いた。
 雷切の『固有魔術』を選んだのは、宇佐美の詠唱をみてから、さらにその詠唱速度から判断して雷撃にあたりをつけたからだった。

 鋼焔は宇佐美がクラス5の魔術で一番得意で速いのは雷の魔術と、何度も模擬戦を繰り返して来ていたので分かっていた。
 
 もちろん雷撃を切れたのは雷を見て斬ったのではない、宇佐美が魔術を発動させるタイミングも模擬戦で掴んでいたから斬れたのだ。
 発動のタイミングをずらされていれば鋼焔は黒コゲになっていた。
 だが、宇佐美は鋼焔がまさか雷撃を切れるとは思ってはいない、タイミングをずらしはしない。
 最速で雷撃をぶっぱなすだけだ。
 
 さらには、傀儡術の講義で一本の刀ならば達人が如き剣筋を発揮させられるまでに修練していたからだ。

(――やればできるもんだな)
 鋼焔が雷を斬ったのはこれが初めてのことだった、これまでは『詠唱妨害』で雷撃の詠唱自体を封じるか、『耐雷障壁』の魔術で威力を減少させることでやり過ごしていた。
 しかし、『雷切』が上手く使えるならば防御と攻撃の魔術を一つで賄える、使わない手はないと、ここ一番で勝負にでて偉業を成し遂げた。
 先の攻防で勝負を賭けていたのは宇佐美だけではなかったのだ。
 鋼焔はここから攻勢にでる。宇佐美に向かって雷切を上段に構えさせてから飛ばした。
 そして詠唱を開始する―――、

「【Ark Inth Ptem Xuaq              】」

 宇佐美は飛来する刀を『解呪《ディスペル》』の魔術で消去しようと思っていた。
 
 しかし、鋼焔の詠唱を聴いて少し動揺した、鋼焔がクラス9の魔術を詠唱し始めていたからだ。
 宇佐美はありえないと思った。
 いくら天城鋼焔が精神集中に優れていると言っても、傀儡術で刀を操作しながらクラス9の魔術を成功させられるはずがない、傀儡術自体が精神集中を必要とするのだ。
 クラス9の魔術はクラス5の魔術の比ではない深い精神集中が必要になる。
 講師でも軍人でも詠唱を成功させられる人間はなかなかいない。
 さらに、鋼焔の詠唱速度は普段より少し遅いぐらいでまだ早口なのだ、絶対に失敗するはずだ。

 人間には不可能だ。これで詠唱を成功させられるのは人間ではない『何か』だけだ、と彼女はそう思った。


 しかし、天城鋼焔は『人間』だ、これは紛れも無い事実である。

 
 宇佐美は鋼焔の詠唱はブラフだと判断した、精神的動揺を誘い詠唱を失敗させるためか、こちらに『詠唱妨害』の魔術を選択させて、この刀で己を斬り付けるつもりだ。
 
 だから、『解呪《ディスペル》』を選択した。

「【Ark Hir Mrh Thn Dcus】」

「【Ark Inth Ptem Xuaq Vila Arsm Neud Oveq Heos Womg Fapn】」

 宇佐美が『解呪』の魔術で刀を消去した、と同時に鋼焔は火のクラス9の詠唱を終わらせていた。
鋼焔の魔術は発動していない。

(……やっぱりハッタリだった!魔術は発動してない、イケる!)

 宇佐美はそうして次の魔術を詠唱し始めた、



 その時突然、気温が上昇した。



 気温が上昇した、なんて生やさしいものではなかった、顔や体が火傷しそうなほど熱い。
まだ午前中だったのに、周囲の空間は太陽が昇りきった時間より明るくなっている。

 宇佐美は恐る恐る鋼焔の頭上の空間を見上げた。そこには――


 小さな太陽が浮かんでいた。


 それを見た瞬間、宇佐美絵里香は圧倒的な力への恐怖で体の感覚が無くなった、全身の力が抜けていく。
 体はガタガタと震えていく。歯がカチカチと鳴っている。
(……あ、…やば…い…)
 そう思った瞬間、下半身が完全に脱力し、宇佐美絵里香の股間は徐々に緩んでいく。
(……も、だめぇ…)
 宇佐美の体が一瞬ぶるっと震えた。
 そしてついに、彼女の股間は完全に決壊した。
 堰き止められていたものが勢いよく放出されていく。
 試合開始前から我慢していたそれは激しい快感と、下着に広がっていく生暖かい不快感を伴い、一滴残らず排出された。
 「……はぁ、…はぁ……くぅ…」
 宇佐美は立っていることもできなくなり、その場にアヒル座りになって鋼焔と審判に下半身のシミを悟られないよう軍服の上着を引っ張って下にずらし隠そうと頑張っていた。

 審判もギャラリーも呆然としている、クラス9の魔術を生で初めて視た人間がほとんどだったようだ。
 
 鋼焔は詠唱を完成させていたが、発動させていないだけだった。
 すぐに発動させなかったのは、小さな太陽が如き超巨大な火炎の弾を、宇佐美に直撃させると魔法陣が消失し、そのまま宇佐美ごと灰になると思ったから一瞬躊躇していた。
 それに、一度発動させると制御できる自信があまりなかった。
 宇佐美が次の詠唱開始したので、仕方なく発動させた。
 そして鋼焔は今、必死に空中に押しとどめるよう制御している。
 
 すでに、勝敗は決していた。

 
「し、審判、ギブアップします!」
 アヒル座りをしている、宇佐美が手を挙げてそう宣言する。



「ぎ、ギブアップ申告を承認、勝者、天城鋼焔!」

 宇佐美の判断は迅速で賢明だった。

 それを聞いて、すぐさま鋼焔は小さな太陽を頭上に向けてぶっぱなす。
 天井に張られたドーム状の結界と巨大な火炎の弾が激しく衝突した。
 火炎の弾が結界を突き破ろうとしている。
 結界の表面が激しく波打つ。
 そして、ガラスが砕け散るような音と共に、結界は巨大な火炎の弾によって消滅させられた。
 火炎の弾はそのまま上空に向かって飛んでいき見えなくなった。
 ギャラリーも審判もその一部始終を呆然と眺めていた。
 誰もが口を半開きにして火炎の弾が飛んでいった上空を見つめたまま固まっている。

(ちょっと、やりすぎたかも……)
 鋼焔が思っていたよりも結界は脆かった。
 どうやら、結界はクラス9の魔術が直撃することを想定していなかったようだ。

「……はぁはぁ、……い、委員長、今の本気でやばかったぞ、あと3秒ぐらい遅かったら委員長が、炭になってた…」
 結界を壊したことよりも、宇佐美の方を心配して鋼焔は彼女の方に走り寄り、息も切れ切れにどれだけ切迫した状態だったかを説明した。

「……あ、あ、天城くんのアホ!バカ!ボケ!もう、いっそ炭にしてよ!」
 アヒル座りをしている宇佐美は涙目で内股になって鋼焔を非難していた。鋼焔には意味がわからない、真剣勝負に卑怯もへったくれも無い。鋼焔はそこらへん宇佐美と気が合うと思っていたのだが、宇佐美はどうしたのだろうか?と思った。

しかし、そうではない……宇佐美絵里香はお漏らししていたのだ。

「……あ、委員長それって――すまん、これで」

 鋼焔はすぐに宇佐美の隠れ切っていない下半身のシミに気が付き、周りの誰かが気が付く前に彼女に自分の外套を前から羽織らせた。
 自分のせいで危うく委員長の渾名が新しくなるところだったと、肝を冷やした。
「……ありがと」
 宇佐美は負かされるわ、お漏らし見られるわ、気を遣われるわ、で複雑な気分になりながら顔を真っ赤にしていた。

 こうして天城鋼焔の選抜戦初戦は勝利で終わった。



[29549] 一章 十話 選抜戦その四 京と鋼焔
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:42
 「な、なんで……どういうことですか、なんでコウさんが照れた顔で、しかも優しそうに外套《コート》をかけてあげてるんですか……」
 しばらく、巨大な火炎の弾の行く末を見上げていた神宮寺沙耶が、演習舞台に視線を戻すとちょうど鋼焔が委員長に外套を羽織らせていた。
 火蔵明人は鋼焔が『雷切』によって雷撃を切断した後、勝負はついたと確信して違うブロックの試合を観戦しにいって既にいない。
 そして、沙耶は鋼焔のクラス9の魔術を見ても全く動じていなかった、鋼焔の実力を知っているため彼女があの程度で驚くことはない。
 今、眼前で繰り広げられようとしている光景にこそ彼女は動揺しまくっていた。
「え、うそ、あぁあああああっ!」
 沙耶が淑女らしからぬ叫び声を発した。周りのギャラリーはまだ結界が壊れた空を呆然と眺めていたため、沙耶の叫び声に気づいているものはいなかった。
 この叫び声に含まれるのは嫉妬、羨望といった感情だ。
 鋼焔が、腰が抜けて動けなくなっている宇佐美絵里香をお姫様抱っこしていたのである。
「……くっ、私ですらそう何度もやってもらったことないのに、激しく羨ましいです」
 沙耶は拳を強く握り締め、鋭い目つきで二人を捉えている。
 そして鋼焔は宇佐美をお姫様抱っこしながら、宇佐美の着替えを取りに行くためテレポーターに向かって移動していく。
「……ちょ、コ、コウさん動けない女性を連れてどこにいくつもりなんですか、うぅっ……でも、私は信じて待っています、…………宇佐美絵里香、……宇佐美絵里香」
 少し瞳を潤ませた沙耶が、委員長の名前を魂に刻んでいる、沙耶の魂のブラックリストだ。ちなみに沙耶の宇佐美絵里香への要警戒レベルは3で、天城悠への要警戒レベルは8だ。レベルは沙耶が羨ましいと思う行為をラインナップし、それをいくつ消化したかで変動していく。天城悠が高いのはもちろん妹だからだ。
 沙耶も一度でいいから鋼焔をお兄ちゃんと呼んでみたいと思っていた。


 AからDブロックの二戦目が終了してから、魔法陣の回復を図るためと、鋼焔の火炎弾によって破壊された結界の復旧も兼ねて一時間の休憩がとられていた。
 宇佐美を校内の女子更衣室に送り届けたあと、鋼焔は再びギャラリー席まで戻ってきて次の試合開始までの時間を潰していた。隣には沙耶と未だ寝ている悠の姿がある。
戻ってきた時は非常に固くなっていた沙耶の表情に驚いたが、今はもう元に戻りつつあった。
 もちろん、鋼焔が事の成り行きを説明したからだ。
「そ、そうだったんですか、それは仕方ありませんね、私てっきり……あ、なんでもありません、……ところでコウさんは私が―――お漏らしするところ見てみたいですか?」
 鋼焔から納得できる説明を受けて沙耶は徐々に元気を取り戻し、一瞬で最大値を振り切って変なスイッチがはいった。
 鋼焔の一戦目の間から二時間近く寝ていた悠も話し声が聞こえて目覚めようとしていた。
 
 お漏らしと聞こえた鋼焔は動揺していた、いきなりなんてことを質問してくるのだと。
 だが、鋼焔は逃げない、この程度の質問で戦いを放棄するのは弱者だけなのだと己を奮い立たせる。
「……見たいか、見たくないか、と言われれば見てみたい気もするが、……しかしな、おれと沙耶にはまだそういうアブノーマルなプレイは早すぎると思うんだけど……」
「そうですか?私は有りだと思っていたんですが、そうですね、コウさんが早いっていうなら、私、我慢します。こういうことはお互い話し合っていくのが大事だと思いますし」
 かなり恥ずかしがりながら鋼焔が告白したが、沙耶は全くそんな様子もみせず完全に夫婦の営みを真剣に語るそれになっていた。
(お、お漏らし……だと?あたしが倒れている間になにがあったんだ……)
 悠は目覚めた瞬間から二人が意味の分からないこと―――お漏らしについて語りあっていたので衝撃を受けた。
 悠はまだ13歳なのでその辺はよくわかっていない、13歳にお漏らしプレイのなんたるかはまだ早すぎたのだ。とりあえず、寝たふりをしたまま二人の会話を盗み聞きしていた。
 


 そして一時間のインターバルが終わり、天城鋼焔の二戦目Aブロック三回戦が始まろうとしていた。
「なんかさっきより……仕方ないか」
 Aブロックの演習舞台に上がった鋼焔は、先の一戦目より異常に増えたギャラリーに気圧されていた。先の一戦で鋼焔に興味が沸いたのか、鋼焔と目が合うと両手を大きく振ってくるものまでいる。
元々、鋼焔は天城鋼耀《あまぎこうよう》の子息として学内でもかなりの有名人だ。
しかし、その天城家の人間という噂か、神宮寺沙耶と婚約しているらしい、という噂ぐらいしか広まっておらず、本人の実力云々よりもそこらへんばかりが注目されていたため一戦目のギャラリーはそこまで多くなかったのだが、先ほどの魔法陣を使わない魔陣使いという事実とクラス9の魔術による結界破壊で、現在A ブロックに多くの人間が集まっていた。他のB~Eブロックのギャラリーがまばらになっているほどだ。

「ちょっとそこの貴方、戦う前に言っておきたい事があります」
 鋼焔がギャラリーを見渡していると、不意にすぐ後ろから強い口調の声が聞こえた。
 まさかとは、思ったが相手を見て鋼焔を驚いた。
 声の主は二戦目の相手であり、今年度からAクラスに上がってきたクレア=インスマスだった。 
 同盟国の中でも最も西大陸に近いインスマス国のお姫様その人である。
 鋼焔はなんでお姫様が軍事学校に通っているのか、かなり疑問に思っているのだが、未だにそれを聞けないでいた。
 どうしてかと言うと、彼女は講義中はもちろんだが休憩時間に至るまで男子に対して近づいてくるなオーラを出しているからだ。
 未だに彼女とまともに会話を交わしている男性を鋼焔は見たことがなかった。
 女子とは普通に話しているのだが、なにか男が嫌いな理由でもあるのだろうか。
 そんな彼女に、今しがた鋼焔は話しかけられたので驚いたのだった。

「いかがなされましたか、インスマス様」
 鋼焔は一応敬語で挨拶しておいた。クレアが魔法陣クラスの女子とは今時の女の子と変わらない感じでフランクに話しているのは知っているが、自分の立場を考えると無礼な事をして同盟に要らぬ波風を立てかねないと思ったからだ。
「いえ、敬語は必要ありませんわ、そんなことよりも―――先ほどの試合、貴方ふざけていたのかしら……わたくしには手加減は必要ありませんから魔法陣を使いなさい」
 どうやらクレアは鋼焔が魔陣領域を展開しないことが気に喰わないらしかった。
 言葉の最後の方はもう家来かなにかに命令するそれと変わらない口調だ。
 彼女は、敬語は必要ないというが使っておいた方が無難な気がするので止めない。

「はあ、お断りします」
 鋼焔は、一応話しは聞いたという風に相槌を打ってから、きっぱりと断った。
「な、なんですって……手加減されるなど、インスマス家の者として屈辱です、貴方は相手に失礼だと思わないのですか、全力を持って応えるべきですわ……魔陣使いとしてのプライドはないのかしら」
「いえ、別に手加減はしたくてしているわけではないのですが……」
「ならば構いませんね、魔法陣を使ってください」
 鋼焔は彼女のことが少し好ましいと思った。
 何度か同じように言ってくる相手はいたが、それは鋼焔の戦闘を一度も見ていない者だけだった。
 鋼焔が魔法陣を使わず魔陣使いに勝利もしくは引き分けたのを目撃したあと、誰も挑戦的なことを言って来るものはいなかった。
 次戦の相手である鋼焔の一戦目を見ていなかったわけではあるまいし、天井の結界を突き破った巨大な火炎の弾を見ていないわけがないはずなのに、こうして臆することなく力を持って応えろというのは戦う者として気持ちいい相手だと思える。
 
 しかし、それとこれとは話は別なのだが、
「ですから、お断…………わかりました、次の戦闘で、もし私が負けるようなことがあれば再戦はそちらの条件を必ず飲みましょう」
 鋼焔は共感できる相手には甘くなり勝ちだった。
 もちろん負けるつもりはかけらもない。

「あくまで使わないつもりですか……その自惚れ、後悔させてあげますわ」
 クレアは捨て台詞を吐いて、鋼焔から離れていった。
 
 鋼焔もできる限り譲歩はしたつもりだったが、それは相手に全く届いていないようだった。
 実際、もし負けるようなことがあれば全力全霊を持ってこたえるつもりだった。
 その結果彼女がどうなるかはわからない、インスマス国とも決裂する可能性は高い。

「難儀なもんだ」
 気が合いそうな人間に限って、鋼焔は失礼にあたることをしているのは自覚している。
 なかなか上手くいかないものだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 ギャラリー席では、鋼焔とクレアが話している一部始終を目撃していた沙耶と悠が目を鋭くしていた。

「なんだあの女、お兄ちゃんに色目使ってるんじゃねーのか」
 悠の声がいつもより怖い、ドスを利かせている。
「そうですね、悠さん、その可能性は高いでしょうね、彼女はインスマス王の娘ですから×××××から生まれてきた×××××ビッチだと思います」
「う、……うん」
 悠には沙耶の言った意味の半分しか伝わっていない。
「ところであの女は誰なんだよ、インスマス王の娘ってことはお姫様なの?」
 共通の敵が現れたことで沙耶と悠の間に流れる空気はいつもと違っていた。
「ええ、その通りです。今年度から魔法陣課Aクラスに上がってきたようです。名前はクレア=インスマス、16歳、性別女、血液型はAです。職業は学生兼プリンセス、身長162cm、体重は45kg。足のサイズは24cm。誕生日は2月20日です。髪型は綺麗な金髪で縦ロールが特徴的です。スリーサイズは上から85、57、87です。胸のサイズは私の圧勝ですね。好きな下着の色はピンク。家族構成は母親が四人もいます、そのうち二番目の王妃から生まれたのが彼女です。しかも四人の王妃から生まれてきた子供15人全てが女性です。インスマス王は15回泣くはめになるんですかね。………(中略)………休日の過ごし方はショッピング。趣味はぬいぐるみ集め、特に猫のぬいぐるみが好きだそうです。最近は日鋼で生け花にはまっているそうですが、他にもネイルアートもしてみたいなどと言っているらしいです」

(……ババアいつもより飛ばしてやがるな)
「クソババアそれ、どこから情報仕入れたんだよ、怖いんだけど……」
 悠は少しびびっていた。
「いえ、結構前に魔法陣課に行った時に綺麗な女性がいたので、念のため調査しただけなんですが、私、コウさんに近づく女は全て調べ上げないと気が済まないんです。悠さんのもありますけど、読み上げましょうか?」
「……テメェ、勝手になにしてくれてるんだよ!」
「安心してください、全て私調べですから」
「なにに安心するんだよ、―――死ねッ!」
 悠が沙耶の顔面に向かって、拳を繰り出す。
 沙耶は楽々その拳を眼前で受け止め、拳を握り潰し始める。
「悠さん、ちょっとこのスリーサイズのBのところが気になったんですが、胸―――抉れてませんか?」
「―――殺すッ」
 悠が毒ナイフを召喚して沙耶の首筋を狙う、しかしあっさりその腕を握られナイフを叩き落されていた。
「おい、ババア放せ……放してください!」
 二人の戦いは悠の敗北で終わった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 鋼焔とクレアの両者は最大火力範囲の15mの距離を置いて対峙していた。
 
 試合開始の合図が音響装置から流れる。
 
「Aブロック三戦目開始!」
 
 Aブロック三戦目、天城鋼焔の二戦目がはじまった。
 試合開始の合図と同時に鋼焔は火のクラス4の魔術の詠唱を開始する。
「【Ark Urt Arl Tyn Idr Fapn】」
「展開《オープン》――っな…」

 クレアの黄金色の魔法陣が展開される。
 そして、鋼焔が魔陣領域展開を待たずに開幕からクラス4の魔術を詠唱していたので、クレアは瞠目した、おそらく今まで魔陣使いとしか模擬戦をしていなかったのだろう。
 しかし、鋼焔にとっては暗黙の了解なんて糞以下だ、相手の展開など絶対に待たない。
 鋼焔は魔法陣を使わない代わりにどんな手段でも取るつもりでいる。
 一戦目が良い例だった、宇佐美に勝つためにブラフと思わせるため、わざとクラス9の魔術を唱えた、それが勝利への最善の一手だったからだ。
 下手をすれば宇佐美が蘇生不可能なレベルで死んでいたにも関わらず。
 

 鋼焔の火のクラス4の魔術を完成させ即発動させる。

(……ありえません、速過ぎですわ)
 虚をつかれたクレアは『詠唱妨害』の魔術を選択しようと思ったが、いかんせん鋼焔の詠唱速度が速すぎて諦めた。


 そして、鋼焔の火炎の弾がクレアに直撃すると思われたが―――


 クレアは左手を前に突き出す。
 その一瞬後、火炎の弾がクレアの左手にぶつかり爆発した。
 しかし、彼女はほとんどダメージを受けていない、クラス1の魔術をくらった程度にしか魔法陣は傷ついていない。

 クレアは詠唱する代わりに武装を召喚していた、市販されている聖騎士用の剣ではない、非常に豪奢な装飾の鍔と柄頭に虎の彫刻が施されているブロードソード。
 そして左手には女性の顔が描かれている円形の盾を召喚していた。

 
(……あの盾まさか、それに剣もかなり高級品だな)
 今度は鋼焔が驚く番だった、剣は見たことはないが、クレアが召喚した盾は『アイギス』の複製品――退魔に優れた伝説の盾のレプリカだ、レプリカでも安物ではない、耐魔術障壁が施されており魔術の威力をかなり軽減することができる。彼女の手に小さな結界がついているようなものである。
一帖《いちじょう》数十億はくだらない成金装備だ。
 彼女の父親、インスマス王は親バカだった。普通こんなものは娘には持たせない。そもそも買わない。
 ギャラリーの多くも盾ついてひそひそと会話している。うらやましい、ほしい、そう言った声が鋼焔の耳にまで届いてくる。
 
 鋼焔は『アイギスレプリカ』への対処を何通りか考え、その中で最も手っ取り早い手段を選ぶ。
 鋼焔は鋼のクラス4の固有魔術『天下五剣』の詠唱を開始する。
 そして、クレアもほぼ同時に詠唱を開始していた。

「【Ark Urt Arl Tyn Idr Irx】」
「【Ark Urt Arl Tyn Idr Irx】」

――二人は全く同じ詠唱を完成させた。
 そして、クレアは鋼焔の方を睨みつけ、不敵に微笑んでいる。
 完成した魔術を発動させて、二人の鋼が具現化する。

 クレアの周囲には円の形に十二本の剣が浮いていた。
 どうやらクレアは鋼焔と同じく鋼の適性が高く『固有魔術』が使えるようだ。
 対する鋼焔の傍らには『天下五剣』の内、なぜか二本しか具現化していない。

「どうです、わたくしの『固有魔術』『円卓の騎士』は―――ッ」

「【Ark Inth Ptem Xuaq Vila       】」
 
 鋼焔はクレアが喋りだした後すぐにクラス9の魔術の詠唱を開始していた。
 天城鋼焔は戦闘中に無駄口を叩くことを嫌う。
 簡単なことだが、魔術師は詠唱しなければならない、もし喋っている間に相手が詠唱を始めれば致命的な隙になるからだ。
 鋼焔は暢気《のんき》に戦っている相手とお喋りなどしない。
「くっ、馬鹿にして」
 クレアは鋼焔の詠唱を聞いてすぐさま十二本の剣を凄まじい速さで投擲した。
 鋼焔は詠唱を中止する。

(あの剣、多いが……しかし)
 鋼焔は空中に浮かんだ二本の刀を中段に構えさせた――正眼に構えた刀二本で十二本の剣を迎え撃つ。

 大勢のギャラリーが息を呑む。この本数全てをその身に受ければ魔法陣を展開していない人間などひとたまりもないからだ。

 鋼焔は二本の刀の先を左右に揺らし始める。
 顔を、胴体を、足を狙って凄まじい速さの剣が飛んできた。
 最初に飛んできた剣の刃先を左右に揺らした刀で軽く弾く。
 その次も弾く。その次も弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。弾く。
 それだけで剣は鋼焔の横をギリギリですり抜けて思い切り地面に突き刺さり、そして役目を果たしたと言わんばかりに消失していく。

 結果として鋼焔はかすり傷一つ負わなかった。

「な、な……ぐっ」
 クレアは驚愕して目を見開いている。意外にあっさり勝負が決まるかと思っていたら一本もかすりもしなかったのだ。ショックは大きいようだ。

 1戦目よりも多いギャラリーが沸きあがる。今度は大道芸でも見た気分になっているのか、口笛を吹いて何か盛り上がっている、興奮した西大陸出身の人間が鋼焔に分からない言葉で賞賛している。

 周りの声が耳に入っていない鋼焔は自分の予想通りだったと確信していた。

(やはり、扱いきれていなかった。十二本全て速さは申し分なかったが、同じ速さで動きに全く工夫がない)

 クレアは一本ならば自分が振る程度には傀儡術で操ることができるが、十二本になると真っ直ぐ飛ばすことしかできなかったのだ。

 鋼焔はクレアが動揺している隙に二本の刀を飛ばす。
 そして再び詠唱を開始した。『アイギスレプリカ』ごと叩き潰すためと、動揺も誘う狙いでクラス9を詠唱する。

 鋼焔の詠唱があと半分ぐらいで完成しそうになり、二本の刀が呆然としているクレアを襲おうとした瞬間、クレアがそれを避けて―――神聖術で強化された凄まじいダッシュで鋼焔に詰めてきた。

 鋼焔は彼女がブロードソードを召喚した時点で半ば予想していたが、古代魔術に高い適性があって神聖術をここまで扱える者を見たのは、過去に数人しかいなかったので少し驚いた。

 鋼焔は間に合わないと判断し詠唱を中断する。

 一瞬で鋼焔に肉薄したクレアが神速の斬撃を放つ。首を狙った一撃だ。
 
 しかし、それを鋼焔は頭を下げて避ける。そしてそのまま後ろに転がる。
 クレアの二撃目は胴を狙っていたが鋼焔が後ろに転がって避けたため空振りする。
 転がってしゃがんだ鋼焔をクレアは突きで狙うがそれをカエルのように跳んで避ける。
 何度も何度も避ける。どれも凄まじい速さの太刀なのだがかすりもしない。

(ど、どうして当たりませんの……)
 クレアは、かなり自信のあった剣術がかすりもしない状況に混乱しかけていた。

 ギャラリーのテンションが最高潮を迎える。彼らは何かの舞台か映画でも見ているつもりになっているのか。鋼焔が一撃避けるたび「おおー、おおー!」と感嘆の声をあげていた。

 鋼焔がクレアの斬撃を避けられるのには理由があった。
 鋼焔は、本来近接戦闘は専門外である。これは武神術も神聖術も使えないので当たり前なのだが。
 しかし、幼少から何度となく神宮寺沙耶と手合わせしていたため、デタラメな速さの攻撃をどう『避ける』か、というものが身に付いている。
 さらに、傀儡術で刀の動きマスターしていくにつれて今まで習得していなかった剣筋というものを明確に理解していた。
 もう一つ、これはクレアにも言えることなのだが、『鋼』の適性が高いため剣や刀といった物の『気』を感じ取り、それを回避の手助けにしているのである。

 何度か攻撃を避けた後、鋼焔は詠唱を開始する。クラス5の氷の魔術だ。

 クレアは何を血迷ったのかと思った。この間合いではいくら詠唱が速かろうが、間に合わない。
 今度こそはと覚悟を決めて、大きく踏み込み、鋭く重い最速の一撃で詠唱中の鋼焔の胴を横薙ぎに払おうとした、斬撃が横腹に届こうか、という瞬間、


―――少女の小さな掌が剣の刃を受け止めていた。


 鋼の精霊の少女、京は欠陥品だった。
 彼女は、生まれつき鋼の精霊としての力がごっそり欠けていた。
 体の一部を武器や防具に変える能力が使えない、自分自身を一本の武器に変身させることもできない。
 戦闘能力も低い、鋼の精霊は生まれつき武術に優れているにも関わらず。
 さらに、心も弱かった。『鋼の心』と言われるほどの不動の精神を彼女は持っていなかった。一族の中で馬鹿にされ砕け散りそうになっていた。


 太古の昔、地上にドラゴン、恐竜、その他の巨大な怪物達が溢れていた時代、地上を制覇していたのは『鋼の精霊』だった。伝説の物語で剣や刀を持った勇者がドラゴンを倒している話しもその頃の名残だと誰かは言った。
 彼らは圧倒的な『魔力』を有し、その能力によって他の精霊、怪物を寄せ付けなかった。
 しかし、時代が進むにつれて人が台頭してくると、鋼の精霊に限らず精霊は山や海、それぞれ自分達に合った居場所にいなければ『魔力』が枯渇するようになってしまった。
 自分たちの性質に合った『気』を吸収しなければ衰弱してしまう。
 彼ら精霊達は変わって行く――人間たちが変えていく世界に適応できなかった。
 今の世界は全て人間のためにできている。自分たちの吸える『気』は世界の隅っこにしかない。
 しかし、精霊達は現代でも自分に適応した空間や、棲み処ならば当時の力を再現できる。
 もしくは、契約した者から『魔力』を与えられれば力を発揮できるのだ。


 京は、初めて自分の主に出会った日のことを今でもよく夢に見る。
 彼の第一印象は最低最悪だった。
 彼女が気にしている欠陥の能力を見て、京自身を見てから、涙が出るぐらい爆笑していたのだ。
 そして、『精霊契約の儀』が行われる日がやってきて、皆が一族最強と謳われた長女の桜が選ばれると思っていたが、―――天城鋼焔は欠陥品の京を選んだ。
 
 京は、その時の事を思い出す、「おれたち二人なら最高のコンビになれる」と不敵に微笑みながら優しく頭を撫でてくれたことを。
 

 だから京は全力を持って主に応える。
 
 主の想いを感じ取って動き始める。


 鋼焔はなにも考えなしに攻撃を避けていたわけではない。
 武術に劣る京にクレアの太刀筋をみせていたのだ。
 そして、京は鋼焔の魔術を合図に動き出した。
 鋼焔は京に指示は出さない、普段から自分で動くように戦況を判断してくれ、と言っている。
 片手で刃を掴んだまま、右手を手刀の形にする。普通の鋼の精霊なら手を刀に変化させるのだが、京にそれはできない。
 決定的に間合いが足りないが仕方が無い。
 手刀にした右手をクレアの顔面に叩きつけようとする。
 イメージするのは刀だ。この右手を最高の刀と想うのだ。
 未だ、突如現れた少女に驚いていたクレアだが、使い魔と判明し冷静さを徐々に取り戻した。
 そして、京の手刀を眼前で左手の盾で受け止める。盾と手刀が激しくぶつかり合う。
 
(―――なんなんですの、この音はっ)
 手刀が盾に当たっただけなのに、まるで刀が盾と衝突したような音が周囲に響く。
 マシンガンが発射されているかのように断続的に、凄まじい音が響き続ける。
 押し付けている手刀から何度も斬撃が発射されているのだ。
 
 京は、一撃毎に凄まじい量の魔力を込める。
 鋼焔から供給されている魔力をガソリンにして京のエンジンが全開になっていく。
 そして、ついに『アイギスレプリカ』は真っ二つに切り裂かれた。

(御主人、京はやりました!)
 一仕事終わりましたと京の笑みがこぼれる。そして、半分になった盾が地面に落ちた。
「……う……そ…」
 クレアは眼前で起こったことが信じられないという表情で固まっている。
 
 ギャラリーも数十億円もする盾が半分になったことで騒いでいる。
 数十億が……、……あの半分でもいいからほしいな、そんな会話が聞こえていた。

 京も鋼焔も盾が無くなった瞬間、畳み掛ける。
 京は主の狙いを推し量る、ここで求められているのは―――
 人間より大きな金槌をイメージする。己の掌に巨大な金槌だと想いを込める。
 そして、京がクレアの胸に掌打を打ち込んだ。
 大砲が発射されたかのような音が響く。
 クレアは弾き飛ばされて、15m――最大火力範囲まで転がった。
 すかさず、鋼焔はクラス5の氷の魔術を発動させた。

 大きな氷柱の矢がクレアに直撃する。
 京の掌打と合わせてかなりのダメージを与えたがまだ終わっていない。

(まだ、やれますわ……)
 クレアの魔法陣は健在だ。彼女は立ち上がろうとしている。
 今度こそクレアは神聖術を駆使して逆転を狙おうとしたが、次の瞬間―――上空から三本、背後から二本の刀に止めを刺された。
「……くっ……ぁ……」
 クレアの魔法陣は消失し、完全に意識が断たれた。

 鋼焔は『天下五剣』の内、三本を最初から上空に保険として具現化しておいた。
 残り二本は先ほど回避されたものを待機させておいただけだ。

「勝者、天城鋼焔!」

 審判が終わりを告げて、担架でクレアが運ばれていった。
 
「御主人、さっきの京はどうでしたか……?」
 京は少しおどおどしながら、上目遣いに主に問うた。
 彼女の主は満面の笑みになって、彼女の頭をポンポンと撫でる。
 京は嬉しそうに目を細めて、少し顔が赤くなった後、逃げるように隠れてしまった。

 二人の力で手に入れた二勝目だった。



[29549] 一章 十一話 選抜戦その五 選抜最終戦
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:44
 天城鋼焔が二戦目を終了し、神宮寺沙耶と天城悠の居る場所に戻ってくると、その隣には首をガックリと落として落ち込んでいる火蔵明人が座っていた。
「……なぁ、沙耶、明人はどうしたんだ」
 鋼焔はなんとなく予想はついたが、事情を察しているのだろう少し気の毒そうな顔をしている沙耶に訊ねてみた。
「それが、火蔵さん……小さな方に……そうですね、見た目が京さんぐらいの子に惨敗してしまいまして……」
 鋼焔は少し吃驚した、明人は宇佐美と同じくAクラスの中でも相当な実力者なのだ、京ぐらいの見た目の子というからには間違いなくかなりの年下だろう、彼がそんな年の離れた相手に負けるとは鋼焔には信じがたかった。
 今年度Bクラスから上がってきた年下の子は三人ほどいたので、鋼焔はどの子か気になり明人に訊ねた。

「ところで相手は誰だったんだ?」
「…………」
 鋼焔がそう訊ねても明人はかなり落ち込んでいるのか微動だにしない。
「おい、沙耶、もしかして明人はずっとこうなのか……」
「……はい、こちらに戻ってきてからずっと眼が死んだ魚のようになってしまって一言もお喋りになっていません」
 沙耶は気の毒そうに目を伏せてそう言った。
「悠と沙耶はその相手見たのか?」
 明人の心の傷を抉る可能性もあるが、鋼焔はどうしても気になったので見ていただろう二人に訊ねた。
「うん、見たよ、あたし今日初めてみたけど……あれがハーフエルフって噂のあった子だと思う!淡い金髪で耳がピーンってなってたもん」
 悠は自分の耳を引っ張りながら、初めてハーフエルフを見たため少し興奮しながらそう説明した。

「……そうか、あの子か、つまり精霊魔法にやられたのか」
 鋼焔は今年度からAクラスにやってきたハーフエルフの少女のことを思い出す。
 彼女はクレアより情報が少ない、男子と話さないどころか女子ともほとんど会話しているところを見たことが無い。
 鋼焔も一度会話したことがあるが、クールで寡黙な印象を受けた。
 そして、明人を負かすということはかなりの実力者なのだろう、鋼焔は少し興味が湧いた。

「……なぁ、明人そんな落ち込んでないで昼飯にしよう、たまには調子悪い日もあるわ」
「………………」
 明人は微動だにしない。

「……沙耶、悠、昼飯にしようか」
「はい……」
「うん……」
 鋼焔たちは諦めて昼食をとる事にした。


「お兄ちゃん、今日はねー、あたしかーなーり自信あるよっ、今日はどっかの誰かが朝から邪魔してこなかったからねー」
 普段は、鋼焔が二人の仲の悪さを見かねて二人で一つのものを作ってくれと言っているが、今日に限っては堅苦しいことは抜きにして一人一人お弁当を作るのを許可していた。
「あら、悠さん自分でハードルをあげるようなことを言ってしまって大丈夫なんですか?私も相当自信がありますけど」
 二人の間にバチバチと火花が散る。
「ま、まぁまぁあまり時間もないし、さっそく食べよう」
 鋼焔は少し不穏になりかけた空気をすぐさま方向修正する。己のハンドル捌きが試されていた。
「どれから食べようかな、じゃあそのから揚げから」
 そういって鋼焔は沙耶の作ってきた、から揚げを選ぶ。
「チッ……」
「おしいです……」
 鋼焔は悠の舌打ちと沙耶のつぶやきが聞こえたような気がしたがあまりに小さくてなんと言っているかは聞き取れなかった。
「うん、おいしいおいしい」
「ふふ、ありがとうございます」
 鋼焔は暢気にから揚げを頬張っている。
 鋼焔は沙耶の作るから揚げが好きだった、少しレモンの風味がしてサックリと揚がっている衣と肉は噛む度に旨みの利いた鳥の肉汁が溢れてくる。もはや自分の胃袋は沙耶なしでは満たされないのかもしれないと阿呆なことすら考え始めるぐらいに好きだった。

「じゃあ、次は悠の頂いていいか」
 そういいながら鋼焔は悠のお弁当からだし捲きを選んで口に運んだ。
「……ふへへへ、ビンゴ」
「あら、ふーん……」
 なぜか嫌らしい笑みを浮かべる悠、それを訝しげに見ている沙耶。

 そして、鋼焔は悠のだし巻きの味に困惑していた。
(な、なんなんだこのだし巻きの味は……個性的、いやそんなソフトな表現をすることは許されない。これは……ハッキリ言って不味い。昔、悠が目玉焼きを作る際に食物油と食器洗い洗剤を間違えて調理した時よりも不味い。あの時は黙って食べたが、これは無理だ……、もしかして悠は毎朝着替えを覗いていることに怒って制裁をしてきたのか……くッ、あれは兄の義務なのだ……!どうしてそれが分からない悠……!)
 鋼焔は阿呆なことを考えながら青い顔をして懸命にだし巻きを頬張っている、しかし、飲み込むことはできないのか、ずっと口だけ動かしている。

 しかし、制裁ではない、悠も沙耶も普段は二人で料理を作っていたため、お互いを監視されていたが、今日はそれから解放されたため、最低な手段に出ていたのだ。

 悠の料理が不味いのは失敗したからではない、『秘薬』の講義でならったばかりの惚れ薬をだし巻きに仕込んだのだ。
 鋼焔の魔術抵抗を考慮してだし巻き一つに対して十人分の惚れ薬を投入したため、本人が異常に気が付くほどバレバレの味になっている。
 惚れ薬と言っても好きでもなんでもない人間に惚れるような魔法のアイテムではない、多少いつもより食べた本人がムラムラしてしまいブレーキが緩む程度だ。同じ家に住んでいる悠ならある程度の効果は望めるだろう。
 しかし、下手をすれば沙耶の方に鋼焔がいってしまう可能性もある。
 
―――悠は勝負に出たのだ。

 沙耶も沙耶で幾つかのから揚げに悠とは逆の薬を仕込んでいた。つまり、惚れ薬を解除するものである、こちらも通常の十倍近くの量を投入したため恐ろしい味になっている。
 沙耶は悠が何かを仕掛けてくるだろうと予め読んでいた。
 そして鋼焔が必ず手に取るであろう、から揚げに幾つか仕込んでおいたのだが、先ほどは鋼焔が自分で選んだため回避されてしまった。
 沙耶は惚れ薬がもしかすると自分の利になる可能性があることを知っているが、なによりこれ以上、悠に美味しい目をさせるのは我慢ならないのだ。

―――彼女は計画自体を叩き潰しに来ていた。

 鋼焔は三分ほど迷っていた、この毒物とすら言える妹の食事を飲み込むべきか否か。
「……お兄ちゃん、あたしの料理、……おいしくない?」
 悠は上目遣いに兄を見ながら瞳を潤ませて、恐る恐る兄に訊ねた。もちろん影では、
(あと一押しだ、イケルッ!)
 目を爛々と輝かせながら兄に追撃をかける小悪魔と化していた。
「……もしかして……おいしくない?」
 悠の瞳から涙がこぼれそうになっている。しかし、これは涙ではない目薬だ。
「……ゴクッ……ああ、いや、そんなことない、そんなことない」
 やはり妹には甘かった。
 飲み込んだ瞬間、不味いものを食べたため鋼焔の体は思い切り震えていた。
 沙耶はそれを見て焦る、急いで解毒しなければならないと思い、鋼焔にから揚げを差し出す。
「コウさん、もう一つどうですか?はい、あーん」
「はむっ、うぇマズ、沙耶さんちょっとこれ不味すぎじゃない?お兄ちゃんの健康考えたらこんなものは作れないよ、良いお嫁さんにはなれないんじゃないかなー?」
 それをすかさず悠がインターセプトした。沙耶の眼光が鋭くなる。
「あらあら、悠さん邪魔しないでくれませんか、私も悠さんみたいに行儀の悪いことをしたくなってみたものですから、勇気を出してみましたのに」
「えー、行儀悪いって思うなら止めときなよ」
「たまには良いじゃないですか、はい、コウさんあーん」
「はむッ、マッズッ、……沙耶さん料理ほんと下手だね」
 悠が再び解毒剤入りのから揚げをインターセプトする。
 直後、バキッと凄まじい音を響かせ―――沙耶の箸が折れた。
「あははー、沙耶さんスゴーイ、なんでお箸を持ってるだけで折っちゃうのゴリラなの?」
「……ふふふ、うふふふ」
「あはは、えへへへ」
 二人の目は笑っていない、新しい箸を持ち出した沙耶と悠の攻防が再び繰り広げられる。
 鋼焔は未だ先ほどのダメージが抜けきっておらず、放心していた。
 悠が全ての解毒剤入りから揚げを処理したため、沙耶は打つ手がなくなった。
 彼女たちの第二戦は悠の勝利で終わった。
 
 そして、今晩、何かが起こるそれだけは確実だった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 Aブロック最終戦、天城鋼焔の三戦目が始まろうとしていた。
 鋼焔はあの後、放心から回復し残った物を食べて調子を取り戻していた。
 今は、三戦目の相手古賀源一郎《こがげんいちろう》を待ちながら食後の準備運動をしている。
 相手は古賀と考えると先の一戦より動き回る必要はないが、何をしてくるかわからない相手なので準備運動にも余念がない。
 ギャラリーを見渡すとさっきよりは減っているがまだまだ多い。鋼焔も流石に慣れてきたようで、準備運動に集中できていた。

「やあ、鋼焔くん、調子よさそうやなぁ」
 古賀がこちらに歩いてきていた―――ほんの一瞬古賀の視線が上空に向いている気がした、鋼焔もつられて上を見てみるがなにもない。
 もしかすると、さっき自分が突き破った結界が気になったのかもしれない、と鋼焔は思った。
「古賀さんも、試合は見ていませんが調子良さそうですね、全部短い時間で終わっていましたし」
 外套《コート》を羽織った古賀と軽く挨拶を交わす。
「いやぁー、それがなぁ、ぼく仕事休む言うたら嫁さんが、じゃあ娘連れて見に行く言い出して、ちょっと気合はいっとんのよ」
「そうなんですか、じゃあおれも娘さんのために気合入れないと」
 古賀の娘は八歳だ。
「ははは、冗談きっついな鋼焔くんは、まぁお互い頑張ろうか、ほんならまたあとで」
 古賀は15mの距離を取るため遠ざかっていく。奥さんと娘に手を振っている、家庭でも良い父親なのだろう。
 鋼焔も古賀のことが好きだった、小さい頃から同じ魔法陣課にいたため、今や明人や委員長、古賀は家族みたいなものだった。
 古賀の戦闘スタイルも好きだった、勝つためなら手段を選ばない、策を弄する、そういったものは彼からも学ぶ事が多かった。
 しかも、同じ外套《コート》を纏った――今では数が少なくなってしまった純粋な詠唱だけで勝負する魔術師、気が合わないわけがなかった。


 音響装置から選抜戦最後の試合開始の合図が流れる。
 鋼焔は合図を聞きながら古賀を観察する、やはり鋼焔の方の上空に視線を刹那だが向けている気がした。
 普通なら、他の誰にも気が付かれはしない程度にしか見ていないが、鋼焔にはその上空への視線が獲物を狙う蛇のそれに見えた。

「展開《オープン》」
 開始直前に古賀の銀色の魔法陣が展開された。
「Aブロック四戦目開始!」
 試合開始の合図を受けてAブロックの審判が開始を告げる。

「【Ark Hir Mrh Thn Tse 」
「【Ark Fir Imds】」

 鋼焔はクラス3の雷の古代魔術を完成させようとしたが、詠唱が唱え終わるギリギリで古賀に『詠唱妨害』をされた。
 すぐさま古賀は次の詠唱を開始する。鋼焔も邪魔をされた瞬間すぐに次の詠唱を開始していた。
 

「【Ark Urt Arl Tyn Idr Fap 」
「【Ark Hir Mrh Thn Tsed】」

 数瞬遅れた鋼焔の雷クラス3の詠唱が先に完成する―――しかしすぐには発動させない。
 古賀が火クラス4の詠唱を完成させるか、させないかのギリギリに直撃するように発動させた。
 電撃は発動から着弾が速い分、攻撃と相手の詠唱を邪魔する防御の両方を同時に行い易い。
 
(どっちや……くそ、完成しとらん)
 さらに、雷撃による衝撃を受けた古賀が一瞬固まる、詠唱が完成していたのか、鋼焔によって詠唱が妨害されたのか、それをコンマ何秒だけだが考えてしまった。

 そして、鋼焔は自分で作った隙を見逃さず、強気に攻める。

「【Ark Ift Aym Wul Pjr Sol Fapn】」
「【Dfc Hir Mrh Thn Fapn】」

 鋼焔は火のクラス5の詠唱を完成させ間髪いれず発動させた。
 出遅れた古賀は防御に回り、鋼焔が火の魔術を発動させるのに合わせて『耐火障壁』のクラス3の詠唱を完成させた。

 古賀に大きい火炎の弾が直撃したが、直撃ギリギリに発動できた障壁によって魔法陣へのダメージはクラス2程度に抑えられた。

(……ギッリギリや……あいかわらず、鋼焔くん詠唱はやいなぁ、今のタイミングならクラス4いけるかと一瞬思ったけれど、色気みせへんで正解やったわ)

 鋼焔は立て続けに攻める。雷のクラス4を詠唱する。
 古賀は『詠唱妨害』で鋼焔の詠唱が完成するギリギリを狙い定める。
 同じ事をやり返して隙を作るつもりだ。

「【Ark Urt Arl Tyn Idr Tse 」
「【Ark Fir Imds】」

 古賀の目論見通りに鋼焔の詠唱は完成するギリギリで邪魔された。
 鋼焔も古賀と同じように一瞬思考停止に陥るかと思われたが―――、

「【Ark Urt Arl Tyn Idr Efxp】」
「【Ark Urt Arl Tyn Idr Tsed】」
 ほぼ同時に詠唱を再開させ、鋼焔は『空間爆発』のクラス4の魔術を完成させた。
 そして、古賀の魔術は鋼焔が詠唱を完成させた直後に直撃した。
 詠唱を邪魔することはできなかった。
 鋼焔は、雷撃の苦痛で表情を歪めているがそれも一瞬だ、すぐに次の詠唱に入る準備をしている。
 
 二人の高度な詠唱戦の攻防をギャラリーは固唾を呑んで見守っていた。
 鋼焔の二戦目までのように騒ぎたてることはない、綱渡りのような戦いを誰もがかじりついて見ている。

 さきほど、鋼焔の詠唱した空間爆発とは空間に設置する魔術の爆弾だ。古賀は身動きが取りにくくなる。
 古賀は、恐らく鋼焔はこの後、鋼の『固有魔術』で自分を狙い、それを避けさせている内に爆弾のある場所に誘い出し、そして発動し一瞬で勝負を決める気なのだろう、と思った。

(……チッ、もう、ほっんまやりにくい相手やな、仕掛けていくしかないわ)
 古賀は、心中で舌打ちするが焦ってはいない。
 鋼焔とは何度も戦ってきている。古賀が一番鋼焔と引き分けている回数が多い。

 鋼焔が火のクラス4を詠唱開始し始めた、その瞬間―――古賀が『銃』を召喚した。

(悪いなぁ、鋼焔くん、こっちは嫁と娘が見に来とるから、負けるわけにはいかんのや)
 古賀は今日わざと外套《コート》を羽織ってきていた。鋼焔に武器を使うと思わせないいために。
 だが、銃では魔法陣を展開していない魔術師であっても、ほとんどダメージを与えることはできない。
 剣や刀と違って飛び道具は籠めた魔力が相手に届く前にほとんど消失してしまうせいである。
 接近して撃てばある程度の効果は望めるが、それなら最初から刀や剣を持てばいい。
 そのため、銃を持っている人間など魔術師にはいない。
 しかも、銃を撃ちながら精神集中は難しいため詠唱をすることもできない。

 しかし、古賀は構わず鋼焔に向けて銃を撃つ。
 そして弾丸は鋼焔に直撃するが詠唱を邪魔しただけで全くと言っていいほどダメージがない。

 一方、鋼焔は銃の弾が切れるまでクラス2の魔術で古賀の魔法陣を削っていくことに決めた。

 そして古賀は光系統の『固有魔術』クラス1を詠唱し始める。

「【Ark Ned Fbr Tsed】」
「【Fcr Fir Lgs】」

 古賀は魔法陣クラスで2番目に詠唱が速い、鋼焔とは圧倒的な差はあるが、1クラス下ならなんとか間に合う可能性が高い。
 そして、鋼焔は銃による詠唱妨害を気にしてクラス2を唱えた。
 これが古賀の狙いだった、魔法陣を展開していない鋼焔はクラス1の魔術だと古賀に全くダメージを与えられないと言っていい、そしてクラス3以降だと銃で詠唱が邪魔される可能性が高まる。
 必然的にクラス2を選ぶ―――選ばせた。
 古賀は鋼焔のクラス2なら十数発は受けても平気だった。
 古賀がクラス1の魔術を何度も唱えられる条件と時間を稼ぐ方法はこれしかない。
 
 ジワジワと削られていくのは覚悟の内、奇策を用いて勝利を手繰り寄せる。

 古賀の光の『固有魔術』クラス1は魔術や魔力を通った物を反射する小さな板『リフレクター』だ。
 小さい板なために、板に当たらなかった部分の魔術はそのまま古賀に向かって飛んでくる。
 板のサイズは古賀の掌より少し大きいぐらいで、クラス1の小さな火炎の弾の半分以下しか反射できない。
 残りは古賀に命中するという、微妙な『固有魔術』だった。
 しかし、クラス1の『リフレクター』は属性系統関係なくあらゆる物、魔術を反射できる上に、反射するたびに威力が上昇していくのだ。

 そして、その『リフレクター』を鋼焔の頭上―――試合前に見上げていた上空に発生させていく。
 しかし、鋼焔はまるで上空を気にせず、淡々とクラス2の魔術で古賀の魔法陣にダメージを蓄積させていく。
 十個ほど空中の適当な位置に完成させたところで古賀の銃弾はあと一つ、そして、


 古賀は上空に向けて弾丸を発射した。


 上空に向けて撃った弾丸がリフレクターに当たり、キィンという甲高い音を響かせた。
 
 さらに、銃弾の尽きた古賀がもう一度『固有魔術』を詠唱する。
「【Fcr Fir Lgs】」

 同時に鋼焔も鋼の『固有魔術』の詠唱を開始していた。
「【Ark Ift Aym Wul Pjr Sol Irx】」

 そして、詠唱を完成させた古賀は『リフレクター』を一つ追加した、弾丸が永久にリフレクターの中から出ないように。
 古賀は続いて、『解呪《ディスペル》』の魔術を詠唱し始める。鋼焔の詠唱はまだ完成していない。
  
 甲高い音が響き続ける、銃弾が何度も何度も反射されている。
 あまりに速い銃弾の軌跡が残像になり、まるで幾何学的な図形のように見ている人間には映っている。
 
 何度も反射するごとに速度も、古賀の手元から離れ失いかけていた魔力も、凄まじい速度で増大していく。
 
 そしてついに、今まで戦況を見守っていたギャラリーから歓声があがった、銃なんておよそ魔術師は使わないものを一撃必殺の兵器に変えた古賀に対して賞賛が送られる。
 鋼焔のピンチにおそらく一戦目二戦目でファンになったものが悲鳴を上げている。

(悪いな鋼焔くん、これで詰んだやろ)

 鋼焔は先ほどから詠唱していた鋼の『固有魔術』を完成させていた。

 古賀は『解呪《ディスペル》』の魔術を自分で生み出した『リフレクター』に向けて発動させる。

 直後、『解呪』によって『リフレクター』が一枚消失し、そのまま鋼焔の頭上に向けて一撃必殺の弾丸が発射された。
 
 鋼焔はその瞬間、地面に這いつくばって鋼の『固有魔術』を発動させる。
(的がでかくなっただけや)
 古賀は地面に伏せている鋼焔を見て悪あがきをしているのだと思った。

 そして、弾丸が凄まじい速さで鋼焔に向かっていき、後半分という距離で


―――空間が炸裂した。


(そんな……まさかあの時の)
 凄まじい爆発音が響く、鋼焔と古賀以外の人間は何が起こったか分からず停止する。

(……無駄になるかと思ったが、やっぱり保険はかけておいて正解だった)
 鋼焔は己の勘を信じて、古賀が頭上から何か仕掛けてくると思い、『空間爆発』の魔術を古賀の周辺ではなく自身の頭上に設置していた。
 そして、爆風から逃げるため地面に伏せていた。
 
 古賀の空中への視線は、鋼焔が突き破った結界を気にしていたのではない、『リフレクター』を設置するため、つい視線が上に向いてしまっていたのだ。
 
 鋼焔は、古賀が頭上に一枚目の『リフレクター』を設置し始めた時点で勝利を確信していた。

 鋼焔の逆襲が始まる。
 
 鋼焔は伏せたまま、鋼の『固有魔術』クラス5神刀『祢々切丸』を発動、具現化させた。
 
 妖怪祢々を斬ったとされる神刀は巨大な得物だった、鋼焔の魔術によってさらに巨大さに磨きをかけたそれは、全長10m近くになっている。

 空間爆発あたりから置いてけぼりをくらっていたギャラリーが鋼焔の巨大な刀を見て呆然としている。でかすぎ……、なにあれ……、とそんな呟きが漏れていた。

(くっ、あんなもんまともに喰らったら死んでまう!)
 古賀は混乱からすぐに立ち直り、『耐鋼障壁』を詠唱し始めるが、

「【Dfc Ned Fbr I  」

 鋼焔の操る『祢々切丸』はその巨大さに似合わず、いつも扱っている刀と同じように達人が如き剣筋で斬撃を繰り出す。
 リーチも10m、長大だったため一瞬で巨大すぎる大太刀が古賀に肉薄、直撃する。
 古賀の『耐鋼障壁』は間に合わず、そのまま凄まじい勢いで吹き飛ばされる。
 『祢々切丸』が直撃した時点で古賀の魔法陣は消失している。
 そして、古賀は無抵抗に地面に叩きつけられゴロゴロと転がりやがて止まった。

 ギャラリーが悲鳴をあげる、審判が古賀の方に駆けていく―――それよりも先に古賀の娘と奥さんが駆け寄っていく。

 古賀の下に二人が到着する前に、突然―――倒れていた古賀が勢いよく立ち上がり、
「ぼくの負けや」
と、それだけ言った。
 再び、倒れそうな古賀を奥さんと娘が支える。
 そして、古賀は、こんなんもんなんでもない、と二人の髪の毛をわしゃわしゃしていた。


 古賀は父親の矜持にかけて気絶だけはしなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 篠山のゆるい閉会の宣言が行われる。
「うーっし、これで全部終わったな」
「三日後、連盟演習に出てもらう者を発表する、本日は皆ご苦労だった、ゆっくり休めよ」

 半日以上かかった選抜会が終わる。

 そして、鋼焔の知る由もない、血で血を洗う戦いの幕が開こうとしていた。



[29549] 一章 幕間 二人の今
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:50
 憎い。 憎い。 憎い。
 母を奪った父が憎い。
 必ず殺そう。

 憎い。 憎い。 憎い。
 彼を奪ったあの女が憎い。
 必ず殺す。


 ある日のこと、彼女の父親――鬼堂陽厳《きどうようげん》は言った。
「もう、この国は俺の思うままだ。それでだ、次は同盟ごと俺の物にしたくなったんだが、日鋼のあの男が目の上のこぶだ、今度はあの男―――天城鋼耀《あまぎこうよう》を失墜させろ、どんな手を使っても構わん」
 彼女の父親の野心はとどまるところを知らない、現在の地位に見合った能力が無いにも関わらず上ばかり見る強欲で下賎な男だった。

 この時すでに、人質―――彼女の母親はもう亡くなっていた。

 彼女に従う道理は無かったが、疲れ果ててしまった彼女にはすでにどうでも良くなってきていた。
 無理矢理明るく振舞い、表面上の顔だけを取り繕って生きる日々を過ごしていた。
 彼女は今まで父親―――人質になった母親のために百人以上の人間を狂わせて殺すか、意のままに操ってきた。
 だから、彼女はこの命令も淡々と仕事のようにこなすつもりだった―――次の言葉を聞くまでは。

「―――ああ、ついでに奴の無礼な息子、天城鋼焔は消しておけ。息子の方は殺してしまって構わん。そうだな、お前の力で息子と父親で殺し合わせるというのはどうだ?なかなか趣向の凝った余興になるだろう」

 父親への磨耗しかけていた感情が甦る。
 母を奪ったこの男は彼女から全てを奪うつもりなのだ。
 母を奪われた憎しみが、そして彼まで奪おうとする父親を決して許しはしない。
 
 憎しみが殺意に変わる。

 彼女の父親が天城鋼焔を嫌いな理由は二つ、一つは日鋼当主、天城鋼耀の息子だからだ、今後自分が同盟で権力を振るう際、邪魔になる。下手をすれば彼が鋼耀のあとを継ぎ、自分がその下につかなければいけなくなる可能性がある。
 そしてなにより、縁談を断られたからだった。
 天城鋼耀が断ったわけではない、鋼焔自身が断った。
 その時はもうすでに鬼堂陽厳はある程度の力をつけていたが、天城家との繋がりを得られればさらに高みを目指せたはずだった。
 それを年端もいかぬ子供に妨害されたのだ。当時の彼は怒り狂っていた、天城鋼焔は二度と彼女に近づけなくなった。
 
 彼女は鋼焔が縁談を破棄しても怒りはしなかった、約束した当時は彼もよくわかっていなかったからだ、そして断られた後でも会いたかった。彼女には母と彼しかいなかったのだ。
 彼を遠ざける父親を彼女はますます嫌いになった。

 当時のある日、その事で彼女の父親は怒りながら愚痴をこぼしていた。
「……あの糞餓鬼、うちとの縁談を断って、よもや裏切り者の神宮寺の娘を選ぶとは舐めた真似をしてくれるな」

 父の言葉を聞いた彼女は豹変した。
 
 今まで感じたことの無い感情が生まれる。

 日鋼で起こった事件は知っていたが、どうやらその女が彼を奪ったのだと知った。
 彼女はそれから事件について徹底的に調べ上げた。

 神宮寺沙耶という女が彼の同情を引いて、自分から彼を奪い去ったのだと分かった。

 彼女は必ず彼を取り戻そうと誓った。
 そして、神宮寺沙耶が武鋼魔術軍事学校に在籍していることが分かった。
 彼女は早速、実行に移る。
 彼を奪ったあの女をどのように惨たらしく殺してやろうかと思った。
 しかし、派手に殺すのは不味い。しかも、常に彼と一緒にいて手をだしにくい。
 だが、自分の力なら容易く殺すことは可能だった。能力を行使すればそれだけで狂わせて殺せる。

 ある日、一人で居る神宮寺沙耶を見つけた、近づいて能力を行使する、簡単だと思った。

 しかし、神宮寺沙耶には通じなかった。彼女は愕然とした。明らかに自分より魔術に劣る相手に通じなかった。こんなことはありえない。
 こんなことは彼と初めて出会った時以来だった。それが余計に許せなかった。
 彼との思い出が穢された気がした。

 別の手段で神宮寺沙耶を殺すことにする、迂遠なやり方だがこれが一番確実で安全だった。
 しかし、その全てを神宮寺沙耶は退ける。異常なものを感じた。
 それでも、執拗に狙い続けた。
 だが、それでも彼女を殺すことはできなかった、戦力が足りない。
 相応しい場を用意して彼女を始末しようと決意する。
 その日が待ち遠しい。
 すでに彼女の頭の中は奪い返すことよりも神宮寺沙耶を殺すことに傾いていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 天城鋼焔は普通の少年だった。
 家族は父親しかいなかった、他の家族を見たとき寂しかったけれど、我慢しようと思っていた。

 天城鋼焔には母親がいた。
 母親の面影は少ししか思い出せない。
 天城鋼焔には姉がいたらしい。
 彼女のことはほとんど覚えていない。

 ある日、鋼焔は父親の部屋にこっそり忍び込んで家族のアルバムを見つけた。
 それまで、彼は母親と姉の写真を見たことは無かった。
 なぜか父親が見せてはくれなかったからだった。
 そしてついに見つけた。
 写真には日付が書いてあった。

 ××09年 8月 若い頃の父親と着物を着たスタイルの良い母親が写っていた。初めて見る母親はなぜか偉そうに腕を組んでいる。顔は笑っているがなんとなく喧嘩が強そうに見えた。それになにより元気そうな美しい人だと思った。

 ××09年 12月 父親と着物を着たスタイルの良い母親が写っている。写真の中の父親は珍しく笑顔だった。こんな顔を鋼焔は見たことは無い。
そして、写真の中の母親が悪ガキのような顔で父親にパンチしていた。恐れ多いことをしていると苦笑いした。
 
 ××10年  1月 父親と着物を着たスタイルの良い母親が写っている。そして彼女の両腕には生まれたばかりの鋼焔と、鋼焔の姉が写っていた。鋼焔は父親に似ている気がした。姉は母親にすごく似ている。赤ん坊なのにここまではっきりと分かるものなのかと思った。
 鋼焔の母親は赤ん坊を思い切り天に突き翳していた。豪快そうな人だと思った。

 しかし、鋼焔はその写真を見て気持ち悪くなった。幼少の頃だったが、常識として知っていた、なにより実際にみたことがある。

 写真を持ってすぐさま父親のところに向かった。
 父親を問いただすと、少し悩んだ後、全てを話してくれた。
 
 話しを聞いた後、鋼焔は聞かなければ良かったと思った。
 気持ちの悪い孤独感が襲ってくる。

 それでも天城鋼耀はこう言った。

 鋼焔、お前は人だ、人間だ。別段気にすることは無い、と。

 父親はなにかある毎にそう言ってくれた。
 おまえは人間だ。

 似たような境遇の鬼堂灯美華もこう言ってくれた。
 鋼焔くんは人間だよ。
 
 人間。人間。人間。人間。
 人間。人間。人間。人間。
 人間。人間。人間。人間。
 人間。人間。人間。人間。

 善意で言ってくれているのは分かっていたが、『人間』と言われる度に、

―――『化け物』。

そう言われている気がした。

 鋼焔は鬼堂灯美華に出会っても孤独感は拭えなかった、ますます孤独になっている気がした。それでも孤独な一人でいるよりはましだと思った。

 でもこれは、傷を舐めあっていただけだったのだと後で思った。

 ある日、幼馴染の神宮寺沙耶は言った。
「コウさんはコウさんです。私にとってそれ以外のことは些細なことです」
 彼女は何気ない言葉でそう言ってくれた。

 鋼焔はその時初めて孤独の泥沼から一歩外に向かって進めた気がした。
 彼女はずっと孤独に苦しんでいる自分を見てくれていた。

 そして、あの日がやってきて、神宮寺沙耶は窮地に立たされた、助けることができたのは自分の立場と力だけだった。
 運命が鋼焔に選択を迫った。鋼焔は覚悟を決めていた。

一瞬頭に彼女の顔がよぎったけれど、鋼焔は―――神宮寺沙耶を選んだ。


 
 そして、神宮寺家の前を通る度にあの日のことを思い出す。
 血に染まった自分。自分が殺しかけた彼女。もはやただの肉塊となった彼ら。

 鋼焔は神宮寺家の前で立ち止まり住居のあった場所を見つめていた。
 
 そこには、大きな看板が備えられていて―――『特一級魔術汚染区域により進入を禁ず』そう書かれている。
「……コウさん、私の家が無くなったことまだ気にしてくれているんですか?」
 深刻な顔で元自分の棲家を見ている彼を気にして沙耶は訊ねる。
「いや、気にしてはない……その逆だ」
「逆……ですか?」
「ああ、沙耶には悪いけど、ちょっと誇らしく思うときがある」
「……、私もそれで良いと思いますよ。家は無くなりましたけど、居場所はありますから」
 彼女は鋼焔にそっと寄り添い、嬉しそうに笑顔になってそう言った。


 天城鋼焔に後悔はない、親しかった人間を殺してでも地上を破壊してでも守りたいものがあった。
 ただ、それだけだ。



[29549] 一章 十二話 『家族計画』
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 03:55
 時は午前六時、すでに陽は昇りはじめ、鳥は囀っている。
 昨日の選抜戦はどこ吹く風か穏やかな朝が訪れていた。
 そして、東西の建築様式が入り乱れる天城家別邸の二階、天城悠の寝室から約三m離れた場所に位置する西側階段の最上段に一つの影が存在した。

 影の名は神宮寺沙耶、彼女は一睡もせず天城悠の寝室前に張り込んでいる。
 彼女が見張っているのは天城悠ではない、彼女が最も信頼し愛する天城鋼焔その人であった。
 もちろん理由は昨日彼が、昼食で食べた悠お手製の淫猥なだし巻きに含まれた『秘薬惚れ薬』の効果を警戒してのことである。
(……おかしいですね。彼これ七時間になりますのに、コウさんに動きがありません。悠さんの能力を考慮すれば間違いなく効果は出ているはず、つまりコウさんは雌の臭いに敏感なオオカミになっているはずです、私がここに居ればどちらの臭いに引き寄せられても必ずここは通るはずなんですが)
 七時間も微動だにせず階段の傾斜に体を預けて、上から顔だけを出している人間の方だいぶおかしいが彼女はそんなことなど気にしていない。
(悠さんも私に警戒されていることは分かっているはずです、ここで見張っている限りは下手な動きはしていないと思うのですが…………っ、失念していました、あの幻惑術があれば姿を消して……まさかとは思いますが)
 自分の警戒の穴に気がついた沙耶は、まず悠の部屋を確認しに行く。
 鍵の掛かっていないドアノブを回す、そして扉を開くと十三歳の少女らしい部屋が視界に広がる、雑誌や小物、ぬいぐるみ、洋服などで少し散らかっているが今はそんなことはどうでもいい。
(ベッドは……寝ていますね)
 ベッドの上がこんもりと膨らんでいるのを確認する。しかし、悠の顔は見えない。
 沙耶は念のため膨らみが悠なのかを確認する。
 
ガバッと捲ると現れたのは――――『ハズレだよヴァーカ、この年増!ゴリ女《じょ》!行き遅れろ』と書かれた紙を顔に張られた熊のぬいぐるみだった。

「ふ、ふふ、やってくれましたね、悠さん」
 沙耶は熊のぬいぐるみをふわりと空中に浮かせると、神聖術で強化した右ストレートを放つ、踏み込みは大きく、腰の回転も加えた神速の一撃は熊の顔面を捉え、そして

―――貫通した。中の綿が飛散する。

「この熊さんと悠さんを同じ運命に辿らせなければならなくなるなんて、私、悲しいです」
 全く悲しくなさそうにそう言った沙耶は、豊満な胸を揺らしながら猛スピードで鋼焔の部屋を目指す。
 普通に歩くと十五秒はかかるであろう距離を持ち前の脚力と神速によって二秒で到着し勢いのまま鋼焔の部屋のドアを開く。
(くっ、やはりコウさんの布団の膨らみ方がおかしいです……)
 苦々しい表情になりながら明らかに二人目が入っていそうな鋼焔の布団に近づいていく。
 そして、掛け布団を一息に捲り上げる。そこには、
 
 
 全裸の悠がいた―――昨日までとは違う十三歳とは思えない妖艶な雰囲気を全身に纏わせている。沙耶が来たことに気づいていたのだろう、腕で薄い両胸を隠し、もう片方の手で股間を押さえて隠している、髪形はいつも通りのツインテール、しまパンが―――脱がされたのだろうか、右足のくるぶしの所に引っ掛かっている。鋼焔にくっついて寝ていたようだ。そしていつにない勝ち誇った顔で沙耶の方を見てあざ笑っていた。

 その顔と雰囲気を見て沙耶は確信した――手遅れだったのだと瞬間的に悟る。
 四つん這いになりがっくりと首を落とす。
「ん、んぅー……」
 寝起きの声がする。鋼焔が目覚めようとしていた。
 悠はすかさず、傍に置いていたネグリジェとしまパンを身につけて起き上がる。
 沙耶は四つん這いのまま視線を悠に戻して愕然とする。
 悠が股を痛そうにしながら歩み寄ってきていたからだ。

「まだ、お兄ちゃんのが入ってる気がする……」
 沙耶に聞かせるようにそう言った後、彼女の肩をポンと叩いて、
「沙耶さん、お夕飯、豪華にしてね」
 勝者の余裕を見せるかのように優しい眼差しを向けながら囁き、沙耶の横を通り抜け食卓に移動していった。
 敗者となった沙耶は完全に力尽きたのか、バタンと地べたに這いつくばり畳に爪を立てていた。


 
 
 気まずい、いやかつて無いほど雰囲気の悪い―――鋼焔にとって悪夢のような朝食が始まる。
 鋼焔は寝起きの頭でそのまま食卓に着いた。しばらくすると頭が覚醒し始め、昨晩の記憶が甦ってきていた。
(あれ……)
 ありえない光景、裸の細身の美少女―――義妹と抱き合い、愛し合っている姿が脳裏に浮かぶ。
 いや違う、そんなはずはない、と鋼焔は現実逃避し始める。
 背中に嫌な汗をかき始め、胸も苦しくなる、かなり胃が痛くなってきている。
 朝食入らないかも、なんてことを考える余裕はない。
 視線を沙耶に向けると、この世の終わりが訪れたような暗い表情で鋼焔のお茶碗に御飯をよそっていた。
 悠の方を見ると、幸せの絶頂を迎えているかのような笑顔で卵焼きを口に運んでいた。

(……夢ではない)
 二人の表情を見て鋼焔は現実に帰還し、確信した―――義妹に手を出したのだ。
 血の気が引いていく。喉がカラカラに渇いている。目も痛くなってきた。
(……どうする?)
 迷うことなどなにもない。そんなものはすでに決まっている。
 鋼焔は己を鼓舞するため自身に問うた。
 そして、沙耶が鋼焔の茶碗を食卓に置いた瞬間、

「沙耶、悠。―――昨晩は真に申し訳ありませんでした……!妹に手を出す……まさに悪鬼が如き所業……弁解の余地もありません。ですが、どうか…どうかご容赦を……!」
 鋼焔は凄まじい勢いで畳みに額をドゴッと音が鳴るほど叩きつけ、土下座した。
 綺麗な土下座だった。見る人が見れば一流と思うであろう土下座だ。
 すると、沙耶と悠がさっきの表情のまま、

「ううん……お兄ちゃんは悪くないよ!あたし初めては―――……ううん、一生お兄ちゃんだけって決めてたから、えへへ」
「いいえ、コウさんに罪はありません、そこの『悪魔』が全て仕組んだことなんです、昨日は秘薬のせいで性欲が強くなっていただけです、まかり間違ってもその悪魔に心を許したわけではないんです」
 沙耶は悠に指を突きつけて、悠はそんなものは眼中にないと真っ直ぐ土下座している鋼焔の後頭部を見つめて言った。



「ねぇ、お兄ちゃん――――赤ちゃんの名前は何にしよっか?」
 鋼焔の心臓が一瞬止まった。
「男の子だったら鋼悠が言いかな?女の子だったら――」
 すぐに心臓は動きだす、鋼焔はむしろ心臓止まってくれ、と思った。もはや体が土下座の姿勢に固まりつつある。


「ふ、ふふ、悠さん非常に残念なお知らせがあるんですが、聞きたいですか?」
 暗い表情だった沙耶が、少しだけ息を吹き返し始める。
「悠焔はどうかなー?ちょっと可愛くないかな?お兄ちゃんはどう思う?」
 沙耶の言葉を無視して悠は赤ちゃんの命名に集中している。
 沙耶は無視されているのも気にせず捲くし立てる。

「実は昨日のから揚げに使っていた薬、秘薬の解毒剤としては勿論の事、女性が使うとどうなるとおもいますか?……私もコウさんとする時”たまに”使っているんですが―――分かりやすく言うと避妊薬です、ふふ、ふふふ、……ああ、それと安心してください、コウさんに使うつもりだったので、もちろん副作用はありませんから」
 沙耶はギリギリのラインだけは死守していた。試合には負けたが最終勝負には勝ったのだ。
「う、うそだ!あたしのおなかにはお兄ちゃんとの愛の結晶が宿っているはずだもん!」
 悠はさっきまでの笑顔はどこへやら、一転涙目になり頭を振って沙耶の言葉を否定している。
「本当に、ほ・ん・と・う・に残念でしたね」
 沙耶は暗黒の化身のような表情だが、目だけは爛々と光らせていた。
「な、なんてふざけたことをしてくれたんだ!このクッソババア、あたしの家族計画がぁっ!」
 悠は立ち上がって沙耶の顔面に腰の入ったフックを叩き込む。
「―――ふん、甘いです、家族計画を考えていたのは私の方が先です」
 沙耶はそれを軽く首だけを動かし避ける、そして通過した腕を掴む。
 足を悠の首に伸ばして、そのまま転倒させる。
 
―――沙耶の腕挫十字固《うでひしぎじゅうじがため》が炸裂する。

 「イダッいだだだだだだだぁあああっ、ギブ、ギブギブギブゥゥゥゥッ」
 悠が激しくタップする。
 沙耶は暗い笑顔のまま関節技を極める。

 鋼焔は未だ土下座の姿勢のまま固まっていた。
 
 悪夢のような朝食は終焉を迎えようとしていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「お…、コ…」
「おい、コウ」
「コウ、どうしたんだ、おまえ今日一日中様子がおかしいぜ」
 選抜戦、翌日最後の講義が終わり火蔵明人は魂の抜け殻になっている天城鋼焔に声をかけていた。
「ああ……」
 鋼焔の眼には光がない。
「やっぱ、おかしいじゃねぇか、大丈夫かよ」
「ああ……ちょっと、……夜と朝で天国と地獄を味わっただけだ」
「?よくわからんが、大丈夫そうだな、おまえ二日後選ばれるかもしれないんだからしゃきっとしとけよな」
「そういう明人も、昨日の廃人のような状態から完全に回復しているな」
 鋼焔は明人と話しているうちに少し気が重くなっていたのが晴れつつあった。
「あったりまえだろ!おれは過去に引きずられん男だぜ」
「……おう、おれもそういう所は見習わないとダメだな」
 鋼焔は帰宅することに緊張を感じていた。しかし、そんなことではダメなのだ、こういう時こそ前だけを見て生きていかなければならないのだ、と思い込む。
「んじゃ、そろそろ帰るかー」
「おう」
 
 鋼焔と明人が二人揃って帰り支度を終わらせて立ち上がったその時、後ろから女生徒が声をかけてきた。
「すいません、そこの貴方―――天城様、少々お時間よろしいですか?」
 鋼焔と明人は振り返ってギョッとした。
 声の主が男嫌いと噂のクレア=インスマスその人だったからだ。
「インスマス様、どうなされましたか?」
(まさか、盾を弁償しろとかそんな話じゃないだろうか)
 しかし、そう言われたとしても鋼焔には弁償する気はない。正当な戦いの結果なのだ。ケチをつけられるのはお門違いだろう。
「ですから、昨日も言いましたが、そこまで畏まらなくても良いのです、クレアと呼んでください」
 彼女は少し頬を膨らませながら名前の所を強調していた。
「……クレア様、それでどうしましたか?」
「はい、あなたに折り入ってお願いがあるのですが」
 そう言われたので鋼焔は少し安心した、面倒くさそうな話にはならないで済みそうだった。
「どうぞ」
 そう言って彼女に続きを促す。
「わたくし、天城様と一戦交えまして、自身の未熟に気が付いたのですが……是非とも傀儡術を教授してくださいませんでしょうか?…………今から」
 彼女も無茶を言っているのは承知しているのだろう、最後の方は消え入りそうな声になっていた。
「クレアさん、昨日の今日なのに疲れてないのか、見かけによらずタフだな」
 明人は感心している。クレアの見た目はまさにお姫様という感じで華奢なのだ、選抜戦で疲れていそうなものなのに、今から訓練してくださいというのは中々に根性のある女性だろう。
「……おれは構いませんが、クレア様、本当に大丈夫ですか?」
「ええ、構いません、もし明後日選ばれて―――選ばれなくても悔いのないようにしておきたいんです」
 鋼焔も感心していた、昨日話してなんとなく雰囲気は掴めていたが、ここまで熱心だとは―――なんとなく委員長に通じるものがあると思った。
「じゃあ、西の外の演習場でやりましょうか」
「はい!天城様、お忙しい所ありがとうございます」
 鋼焔が了承すると、クレアは嬉しそうにお辞儀した。
「……あ、ちょっと待ってください、少々連絡を。――京」
 そう言った瞬間、鋼焔の背後の空間から京が出現する。
「御主人、承りました、沙耶様と悠様には知らせておきます」
 京は「……御主人、朝はあんなことになってたのに、もう夕方には違う女性とどこかに行くってどういうことなんですか?」と思っていたが口にはださない。
「おう、頼んだ、じゃあ行きましょうか」
「はい、よろしくお願いしますわ」
「……おい、コウ、おまえ三人目なのか、いや京ちゃんを入れれば四人目だ……」
「……明人、どういう意味で言ったそれ」
 今の鋼焔はちょっとこういう話題にナイーヴになっていた。今朝のせいだ。
「……いや、おまえの信ずる道を行け」
 明人はなぜか敬礼しながらそう言った、鋼焔は微妙な表情になりながらクレアと連れ立って外の演習場に向かって行く。



「それで、傀儡術ですが、どういったところが聞きたいのですか?」
 演習場に着いた鋼焔は早速そう切り出す。
「そうですわね、昨日、天城様が行ったような精密な動きができる―――できるようになるヒントでも構いません、何かアドバイスしてほしいのですが……」
 クレアは昨日、十二本の剣、全てが容易く捌かれたことを思い出していた。悔しかったが、なによりあの刀の繊細な動きに憧れたのだ。
「流石に、一日二日でどうこうなるものではないですが、そうですね、まず昨日の剣を出してもらって良いですか?」
「わかりましたわ、少々お待ちください」
 彼女は詠唱して『円卓の騎士』十二本の剣を具現化させた。
「今から教える前に、昨日のクレア様の剣の扱いですが、あれではまだ一本ずつ投擲した方が効果的だったはずです、一本なら普通に操れますよね?」
 そう批評されたクレアは少しムッとしたが、
「ええ……そうだとは思っています、ですが一本だけ動かすというのがどうも難しいのです……」
 素直に自分の現状―――壁にぶち当たって詰まっている部分を話した。
「なるほど、たしかにクレア様の『円卓の騎士』は数が多すぎますしね、おれも『天下五剣』の詠唱を初めてした時、戸惑いましたから、その感覚わかります」
「おれのアドバイスとしては、一本だけ動かそうと思うだけでなく、残りの十一本に動くなと静止命令を二つ同時に出す感じでやってみてください、それだけでだいぶ変わると思いますから」
「は、はい、わかりましたわ、やってみます」
 クレアはなんだか簡単なアドバイスだなーと半信半疑に思いながらも、深く精神を集中してアドバイス通りに一本に回転、残りには静止の念を送る。すると、
「で、できましたわ!」
「結構筋が良いですね」
 一本をグルグルと回転させて、残り十二本を停止させられていた――動き出しそうに少しプルプルと震えてはいたが。
「まずこれで第一段階はクリアですね、ただこれだけでもできるようになればクレア様の戦闘スタイルなら戦術も増えて良いと思いますよ、じゃあ次は、一本だけ自分が振っているように動かせますか」
「やってみますわ」
 彼女は一振りだけ自由に動かす――やはり筋が良いのか最初はゆっくりとした動きだったが徐々にキレのある太刀筋になっていた。しかし、残りの剣は動きたそうにプルプルしている。
「こ、こんな感じでいかがでしょうか?」
「かなり良い感じですよ、後はそれの応用ですから全て同時に動かそうとせず一本が自在になれば次は二本、次は三本と増やしていけば気が付いたら十本ぐらいは動かせるようになっていると思いますよ、クレア様、センスありそうですし」
「あ、天城様、ありがとうございます」
 素直にそう褒められるとクレアは真っ赤になった。
「いえいえ、微力ながら力になれて嬉しいです。じゃあ、明後日選ばれることがあればお互い頑張りましょう」
「は、はい!がんばりましょう」
 そう言って鋼焔が握手を求める。クレアは握手をしながら、まだ顔も耳も真っ赤になったままで、少し声が上擦っていた。
「それじゃ、今日はもう遅いですし、そろそろ帰りましょうか」
「はい…………っあの、明日も教えて頂いて構いませんか?」
「ええ、構いませんけど……」
 クレアが勢いよく大きな声で言ったので驚いた。
「す、すいません、ありがとうございます」
 クレアも自分でも思っていなかったほどの声が出たので自分で驚いていた。
「それでは、クレア様、お気をつけて」
 鋼焔は礼をして去っていく。
 
 クレアは鋼焔の背に手を振って見送った後、ぼうっとしながら握手した手を見つめて佇んでいる。
 そして、そういえば、自分から話しかけた男性は―――彼が初めてだったと思い起こす。

「……『アイギス』を真っ二つにされたから、気に掛かったのですわ、きっと、そ、そうですわ……」
 そんな独り言が演習場に漏れていた。



[29549] 一章 十三話 嵐の予感と子守
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 08:22
 連盟演習会当日。
 場所は武鋼魔術軍事学校から北に700kmの地点―――崋山国との国境線付近につくられた広大な演習場。
 天気は雲ひとつ無い青い空が広がっている。風は少し強い。
 催し事を行うには申し分ない晴天であった。
 そして、魔法陣課の別枠に抜擢された火蔵明人《かぐらあきと》は演習場のド真ん中で他三名――古賀、宇佐美、クレアと少し緊張しながら周りを見渡していた。

「古賀さん、まじでお客さん多いですねこれ、ありえないっすね……」
「……さすがに、ぼくもこれは緊張してきたわ」
 普段、全く周囲の視線を気にしない古賀でさえ居心地を悪そうにしている。
 それもそのはず、現在彼らが居る場所には十万人近い人間からの視線が集まっているからである。
 昨年までは関係者のみ、多くても千人は超えていなかったのだが、なぜか今年は一般公開、しかもわざわざ各地の巨大な転送装置《テレポーター》と直通にしており、事前にチケットを購入していたものは八ヶ国のどこからでも瞬時に会場に到着することができる。
 演習場は長方形の広大なフィールドになっており面積は6haほどもある、その中で数十ブロックとわけ、術課対抗戦を行うことになっている。
 そして、観客はフィールドをぐるりと囲んで各国ごとに指定された場所に座っており、魔術師ではない一般の者が大半である。
 各国の要人は国ごとに指定されている最前席に小規模の結界を張り巡らせ護衛を数人付けていた。
 日鋼の席は南エリアのAブロック、インスマス国の席は東エリアBブロック、崋山の席は北エリアのAブロックとなっていた。
 南と北が離れており、七百mほどの距離がある。
「古賀さん、……崋山のお客さんたちなんか変じゃないですか。みんな黒い服着てますよ」
 少し余裕があるのか宇佐美は観客席の明らかに浮いている部分――崋山国指定のところに八千人ほど軍服に身を包んだ人間が観客席にびっしりと座っている場所を指さしながらそう言った。
 
「ほんまやな、あれ全部軍人とちゃうやろか……あんな危ないことして、なに考えてるんやろ」
 古賀の意見はもっともだった、下手をすれば同盟他国への威嚇と思われても仕方が無い。

(そういや、親父が言っていたキナ臭い動きしてるってのは崋山だったな、さすがにこの場でどうこうってことはないだろうって思うが……)
 明人は父親の言葉を思い出し、少しだけ不安に思ったが即座に自分の想像を杞憂だと見なす。
「ま、大丈夫だろ。しっかし、コウのやつはこっちじゃなくて良かったかもしれんな、緊張しすぎて演習始まる前に死んでたかもしれねーな」
「天城くん、選抜戦でひぃひぃ言ってたもんね」
 宇佐美は戦闘時とギャップのある彼を思い出したのか、微笑んでいる。
「……天城様」
 クレアは自分が選ばれて彼がここに居ないことが納得できておらず、少し暗い表情になっていた。


 そう―――天城鋼焔は別枠の選抜から漏れ、さらに魔法陣課同士の対抗戦からも漏れ、余った人間と校内の演習場で自首訓練することになっていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 二日前。
 魔法陣課の教室で明人の大声が響き渡っていた。
「なんで、鋼焔がはずされないといけないんですか、納得できません!」
「まぁ落ち着け火蔵、おれも含めて講師陣は天城を一番に押したんだがな、各連合の上の奴が認めなかったんだよ」
 激昂《げっこう》している明人を軽く受け流しながら、篠山講師は簡潔に説明する。
「上が認めなかったって……そんなあっさりあっちの意見を受け入れたんですか?」

「落ち着け明人、擁護してくれるのは嬉しいが、おれの場合魔法陣を使わないからしょうがない事もある」
 鋼焔は連盟演習の対抗戦には三回ほど出ているが、今まで黙認してもらっていたことをありがたいと思っているほどだった。父親が当主なだけあって融通が利いていた可能性もある。
 しかし、それと同時になぜ今年からというタイミングで、しかも全勝という結果を残していたのにという疑問がわいてくる。
「……コウ…」
 鋼焔にそう言われると明人は落ち着いたのか深く溜息を吐いて席に着いた。

「そういうわけでだ、天城、ニィナ、千石は演習場で訓練ということになった、講師は居ないが、天城が中心となって……まぁ、適当になんかしておいてくれ、他の課の人間も来るから合同でなにかしておいてくれても構わん」
 篠山はなんだかめちゃくちゃ適当でゆるい発言をした。
「はい、了解しました」
 鋼焔は少々残念だなと思いつつも、一緒になったハーフエルフの少女――ニィナと会話する良い機会ができたと気持ちを切り替えつつあった。
 そして、少々ひっかかる点は心に留めて置いた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「はぁー、ここにはコウさんがいません、私、帰りたいです」
「ババア、嫌なら今すぐカ・エ・レ」
 神宮寺沙耶と天城悠は連盟演習会場に居た。
 しかも二人がタッグを組んで別枠の魔法陣課の対戦相手として出ることになっている。
 そして、二人とも、鋼焔が会場にいないことでいつもより機嫌が悪い。

「この間から本当に嫌なことばかりが続きますね、なにか呪いでもこの悪魔にかけられたんでしょうか」
 沙耶はそう言いながら流し目で悠を見る、悠は思いっきり、沙耶に向けて中指を立てていた。
 すでに二人とも一戦目の待機状態に入っており、生徒代表の鬼堂灯美華《きどうひみか》の挨拶を聞きながら、試合開始の合図を待っていた。
『……本日は天気にも恵まれ、最高の……』
 沙耶は視線を中央の壇上で挨拶している灯美華に移す。
 すると、それに目聡く気が付いた悠がチョッカイをかける。
「おやおや、ババア、お兄ちゃんの元婚約者が気になるのか?」
「いいえ、別にそういうわけではありませんが」
 そう言って視線を観客席に逸らした。
 本当は灯美華のことが気になっていたが悠に悟られるのは恥ずかしかった。
 鋼焔からは彼女のことをある程度は聞いていたが、自分が聞きたくなさそうな内容だったため深くは聞いていない。
 元婚約者だったと聞かされた時は泣きそうになるのを我慢したり、鋼焔のことを信頼していなかったわけではないが、なんとなく不安になったりしていたことを思い出す。
 灯美華とは数回しか話したことはなかったが悪い印象はなかった、自分が現在鋼焔の婚約者になっていることについて話した時も「昔のことは昔のことだよー」と気を遣われた事を思い出す。
 しかし、それでも沙耶は気になっていた、今更どうしようもないあの二人の過去というものが不意に頭にチラついていた。
 だからといって聞くのもつらい、そんな微妙な乙女心を持て余していた。

 灯美華の演説が終わってすぐ、悠は自分達の対戦相手――クレアがこちらへ向かって来たのに気が付いた。
 そして少し嫌らしい笑顔になった。
「おい、沙耶、あたしたちの相手どうやらこないだのビッチみたいだな」
「あら、本当ですね、悠さん今日だけは休戦ということで、一緒にがんばりませんか」
「そうだな、実はあたしまだあそこがジンジンしてるから激しい運動がきつい、ババア頑張ってくれ」
「悠さんそれ絶対嘘ですよね、二日連続懲りずにコウさんに秘薬仕込もうとしていた癖に……、ほんと嫌なことを思い出させないでください、私のやる気がなくなりますから」
「えー、ほんとだよー、あたし沙耶さんと違ってユルユルじゃないしー」



「悠さん、後ろには気をつけてくださいね、"間違って"斬りますから」
「沙耶さんあたしも、間違って魔術ぶちこんじゃうかもしれないけど、"たぶん"事故だから許してね」

 二人のチームワークが試されようとしていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 一方、天城鋼焔と千石葵は頭を抱えていた。

「ねぇ、おにいちゃん、鬼ごっこしよーよ」
「あいちゃんはかくれんぼがいいです」
「おねえちゃん、おままごとしよー」

 演習会場への転送装置《テレポーター》から、なかなか距離のある校内の演習場で、鋼焔たちは自主訓練をする予定だったのが、他の術課から集まったものがほぼ十歳以下だったために混迷を極める状況に陥っていた。

「そ、そうだね、ちょっと待ってね、君達普段はどんな講義――授業受けているのかな?」
 鋼焔は状況を打破するため、ちびっ子達から情報を引き出そうと頑張る。
「鬼ごっこ」
「かくれんぼ」
「おままごと」
「かんけり」

 さっきからこの調子であったため、鋼焔と葵は困り果てていた。
「千石さん……なにもやらないよりはましだと思うので、どれか選びますか」
「そう……ですね、天城殿の指示に従います」
「よーっし、じゃあみんな鬼ごっこするぞー!」
 鋼焔はいつになくテンションを上げる。子供は嫌いではないのだ。
「「「おー!」」」
 子供たちは元気いっぱいだ。
「じゃあー、最初の鬼はこのお姉ちゃんだ!二十数えたら開始だぞー」
「――えっ!……ちょっ、私ですか、天城殿」
 葵は突然鬼に指名され慌てふためく。
「ある程度加減してやってね千石さん、おれも逃げるんでよろしく!」
「は、はい!了解しました」
 
 鋼焔は逃げようとしたところで、みんなの輪からはずれてぽつんとしている小柄なハーフエルフの少女――ニィナに声をかける。
「よっ、ニィナは鬼ごっこしないか?」
「…………子供の遊びよ」
「まぁまぁそう言わずに」
「…………私これでも二十歳」
「まじで!?」
 どう見ても十歳前後にしか見えなかったので鋼焔はド肝を抜かれた。
 エルフの血って恐ろしい。
「…………嘘よ、本当は十歳」
「……最近心臓に悪いことが続くな、じゃあニィナもやろうか」
「…………わかったわ」
 ニィナはトテトテと全力でゆっくりと走っていく。
 
 そして、葵が動き出す。手加減はしているが子供より圧倒的に速い速度で子供達に迫っていく。
 そして一人目の子に触れようとした瞬間。

 触れた子供が消え失せた。

「なっ、まさか幻惑術ですか!?」
 葵はまさかの事態に目を見開いている。
 続いて近くの子供に触れようとすると、神聖術を使われてあっさり逃げられる。
「くっ」
 その次の子には古代魔術の短距離空間跳躍で避けられる。
「ううっ」
 葵は本気を出すかどうか迷い始めていた、大人げないと思われそうかなーと考えている。
 
 そうしていると、不意に鋼焔と目があった。
 
 葵は鋼焔をターゲットとして捕捉する。
 
 一瞬にして武神術のギアを最大に入れる。
 
 魔法陣を展開していないので明人戦で見せたほどではないが、神速の歩方で鋼焔に肉薄する。
 背を向けて逃げようとしている鋼焔の背中にタッチしようと手を伸ばす、触れようかというタイミングで、さっきの子と同じように短距離空間跳躍で逃げられた。

「くっ」

 葵は瞬時に空間跳躍した鋼焔に追いすがる、葵の神速は詠唱しない分、短距離空間跳躍に匹敵すると言っても過言ではない。
 鋼焔の後頭部にタッチしようとするが、鋼焔は、首を動かして避ける。
 葵は見えていないはずのタッチが避けられたことに一瞬驚いたがすぐさま背中をタッチしようとする、しかし―――それも体を捻られて避けられる。
 
 そして、葵の負けず嫌いに火がついて、凄まじいタッチの連打をわざわざ鋼焔の正面に行ってから開始した。

 武神術で速さと威力を強化した葵の掌が大砲の散弾のように繰り出される。
 
 空気を粉砕しながら鋼焔に襲い掛かっている。

(……これ、ほとんど掌打じゃないのか)
 鋼焔は当たったら子供が骨折するんじゃないだろうかと思いながら、眼前の鬼気迫る表情の葵から繰り出される神速のタッチを体を軽く動かすだけで回避し続ける。

「「「おにいちゃんすっげええええ!!」」」
 鋼焔の曲芸じみた回避術にいつのまにか散り散りになっていた子供達が集まって来ていた。鋼焔を見る目がキラキラしている。
「うぐぐぐ」
 葵は呼吸することすら忘れてタッチ――掌打の連打を未だ一歩も動いていない鋼焔に浴びせ続ける。
 
 しかし、かすりもしない。
 
 葵はプッツンしてしまったのかなぜか刀を召喚した。
「――ちょっ、千石さん子供がいるしそれはちょっと」
「――ハッ、す、すいません、完全に我を忘れてしまいました、面目ない……」
 葵は真っ赤になって謝罪する。男の子が刀をみて「うおー、かっけー」と目を輝かせている。
「おにいちゃんそれおしえてよー」
「……私も知りたいです。天城殿はなぜあれほど簡単に避けられるのですか?見たところ武神術も神聖術も使われていないようですし……」
「……そうだな――幼馴染に聖騎士の子が居るんだけど、組み手をすると凄まじい速さの剣術はもちろん寝技、打撃と関節技も狙ってきてな、気が付いたら避けるのと逃げるのが得意になってた」
 特に沙耶は寝技を狙っていた。
 ちなみに実戦で寝技も間接技も使わない。鋼焔との組み手のためだけに覚えていた。
 鋼焔もわざと寝技と関節技をくらっていることが稀にあった。
 理由は―――言うまでもない。

「そ、そうなんですか」
 葵はなんか大変そうだなーと一瞬遠い目になった。
「じゃあ、鬼ごっこ再開しよっか?それともなんか違うことする?」
「…………肩車」
 そう鋼焔が提案した瞬間、肩にニィナが乗っていた。
 それを見て周りの子供たちも羨ましそうな視線を送っている。
 徐々に鋼焔が取り囲まれていく。
「わ、わかった、一人ずつな、一人ずつ」
 
 あれ、ていうかこれもう授業崩壊してないか?と思いつつ鋼焔は肩車を順番にしていく。

「…………嫌な風ね」
 鋼焔の上に乗っているニィナが北―――演習会場のある方角を向いて呟いていた。
 
 
 完全に鋼焔達だけが演習会場の雰囲気から取り残されてしまっていた。



[29549] 一章 十四話 戦争開始
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 08:25
 十五mの距離を置いて一人と二人が対峙していた。
 一般人の観客から黄色い声援があがる。
 なぜなら、三人ともが見目麗しい美人と美少女だったからだ、そして三人ともそれぞれ雰囲気は違う。
 高潔な雰囲気を感じさせるお姫様、今や絶滅寸前か?と言われる大和撫子、小さくて愛らしい可憐な、もしや妖精なのでは!?と見紛うほどの美少女、そんな容姿の三人が揃っていた。
「古賀さん、お客さん盛り上がりすぎじゃないですか」
「まぁ、今だけやろ、三人とも”見た目は”可愛らしいからな」
「……そうかもしれませんね」
 三人が相対している傍に控えている男性陣から微妙なコメントが漏れた。

 クレアは自分の対戦相手を見て思い出すものがあった。
(あの方たちは、たしかいつも天城様と一緒におられる……)
 思い返してなぜか少しムッとした。
「わたくし、頑張りますわ……」
 小さくその決意を口にする。
 試合開始の合図が出された。
 
 クレアは前回の鋼焔戦から宇佐美と同じように学んでいた。
 開始前にすかさず、魔法陣を展開する。

「展開《オープン》」

「一戦目開始してください」
 審判から合図がだされた。
 
 そして、かつてないほど醜悪な戦いが始まる。

「【Ark Urt Arl Tyn Idr Irx】」
 
 開始直後にクレアは『円卓の騎士』を詠唱し、鋼焔に教えられた通り、一本だけを精密に操作し、残りは自身の周囲に突きの形のまま固定、沙耶の接近に備える用配備している。
 神聖術で強化された沙耶が神速でクレアに迫る。
――速い!
 クレアは魔法陣を使って強化しているが、沙耶は使用していないにも関わらずクレアに匹敵するか、もしくはそれ以上の動きをしている。
 クレアは強敵を待ち構えながら、ブロードソードを召喚した。
 接近した沙耶はクレアの周りに浮いている剣の一本を刀で弾き飛ばす。
 その瞬間、クレアの背に隠れていた精密に操作している一本が上段から沙耶に向けて振り下ろされた。
 沙耶はそれを巧みに避ける。
 そして、避けたところへブロードソードが襲い掛かる。
「くっ」
 沙耶は避け切れず、刀で受ける。鍔迫り合いを嫌がって沙耶は後ろに下がった。
 そこにさらに周囲に浮いている一本の剣を投擲して追撃する。

 しかし、沙耶はそれを強引に弾いた。

 そして、沙耶が再びクレアに詰めようとした瞬間、

 沙耶の後頭部に悠の投擲した十本のナイフが迫っていた。

 沙耶は天性の勘でそれに反応する。重心を極端に前に置き、ほとんど倒れているような超前傾姿勢で刀を脇構えにし、クレアに迫る。

 クレアは沙耶の影に隠れていたナイフが突如現れたため動揺する。
 沙耶とナイフがほぼ同時に襲い来る。

 クレアはナイフをブロードソードと浮かせていた剣で捌いたが、一本だけ右腕に直撃を受ける―――ダメージ自体は無いが、塗られていた魔術効果は発動する。
 そして続けざまに沙耶が襲いかかって来た。

 ナイフに塗られていたのは『麻痺毒《パラライズ》』の魔術だった、その効果でクレアはブロードソードを持っていた手が動かせない。
 沙耶の刀がクレアの顔面に届こうとしていた。しかし、

 壊れたはずの『アイギス』がその凶刃から彼女を守った。

 彼女の父親は真なる親馬鹿だった、クレアの『アイギス』が破壊されたと知るや、個人所有している転送装置《テレポーター》で家臣に持たせ直通で新しい『アイギス』を送って来ていた。ちなみに本日は公務で来ていない。

 刀と盾が激しくぶつかり合う。
「なっ、まさかもう一枚あったんですか……」
 沙耶の虚を突いたクレアは、その隙をさらに突いて浮かせていた剣を自分が握っているさながらの動きで攻撃を仕掛けさせる。
 まさかもう一枚『アイギスレプリカ』があったとは思わなかった沙耶は体勢を整えるため、後退しながら剣と刀をぶつけ合う。
 剣は何度か打ち合っていると魔力が尽きたのか消滅した。

 そして、後退した沙耶は悠を思いっきり睨み付ける。
 彼女にしては珍しく殺意全開の眼だ。
「―――悠さん、まさかとは思っていましたが、本当にやる気満々でしたね」
「えーー、そんなぁ……あたしを信じてくれないの沙耶さん?さっきの、"たまたま偶然"だよー」
「あら?そうなんですか、"たまたま偶然"であの本数が頭に飛んでくるんですか?」
「えへへ、お兄ちゃんのこと考えてたら、あのね……余所見しちゃってたみたい、てへ」
「そうですか、よーくわかりました」
「よかったー、わかってもらえたみたいで」
「ふふふ」
「えへへ」
 
 二人からドス黒い笑みがこぼれ始めていた。

 悠の後頭部目掛けてのナイフ投擲当たりから、一般客の笑顔と声援は完全に消えていた。
 正に、古賀の予言していた通りになったのだった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「―――本当に楽しそう、でもそれも今日で終わりね」
 崋山国の指定席の最前列、鬼堂陽厳《きどうようげん》の隣に座っている少女――鬼堂灯美華《きどうひみか》はモニターで沙耶達の試合を観戦しながら、そう呟いた。
 この日が来るのが待ち遠しかった、憎い相手の最期を華々しい舞台で飾ってやろうというのだ、心が震えている。
 この男――父親は玩具にしてから殺そう。
 あの女――神宮寺沙耶は恐怖で命乞いをするまで追い詰めてから、己の所業を後悔させた後、じっくり殺してやろう。
 準備は万全だった。
 兵力は魔陣使い8000人、その他武神術士、神聖術士で固めた遊撃部隊が数百人それと――玩具。
 その全てに彼女は『狂わせる力』―――それを昇華させた『精神操作』に『傀儡術』を加えて完全な私有戦力を持っていた。
 
 多人数に精神操作をかけるために、彼女の心に同調できる、憎しみを持った者たちだけで構成された軍隊。
 操られている彼らは自分達が操作されているとは気付かない。
 父親も、他の誰もが気が付いてはいない。
 ただ、なんとなく戦おうという意志に加えて、攻撃対象をある程度指定できる。
 そして、鬼堂灯美華の命令には従う。
 これだけを忠実に守る兵士達として彼らの精神を弄った。
 さらに、演習会場全域に仕掛けは施した。そして、天城鋼焔は巻き込まないように手を回しておいた。
 一般客も今年から自身の薦めで入れさせた。
 これから始まる惨劇を生で観戦させたかったのだ。
 これでこの国――崋山は完全に終わる。
 しかし、彼女にとってそんなものはもうどうでも良い。
 
彼女は孤独に生きることに疲れ切った。

ただ、ただ、憎い、殺したい。

その結果、自身が破滅に向かおうとも。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 今度は悠が前に出ていた、ナイフで牽制しながら近づいていく。
 悠たちは麻痺毒が効いている間に勝負をつけるつもりだった。

 そして、ある程度接近してから悠の姿は消えた―――幻惑術を行使したようだ。
 それと同時に沙耶が一気に間合いを詰めてくる。
「うっ……不味いですわ」
 クレアは、魔陣使いなので魔術への抵抗は高いが、それでもこの麻痺毒の効果はかなり優秀で、さらに未だに完全に解呪できていなかった。
 この状態で沙耶の刀を剣で受けるのは難しい。
 それに消えた悠の動きも警戒しなくてはならない。
 そこでクレアは再び『円卓の騎士』を具現化させる。
 顕現させたそれらを自分の周りに円を描く用に配置し切っ先を外に向け、時計回りに高速回転させ始める。
 それをゆっくりと外に向かって広げ始め、消えた悠を炙り出す策をとった。同時に沙耶への牽制も可能となる。

(以前なら、ここまでの動きは不可能でしたが……)
 たった三日だけだったが、鋼焔に教えてもらった甲斐はあったようだ。

 しかし、突如、クレアの正面に大鎌が現れた。
 緊急にそれを『アイギス』で受け止める。

 なぜか悠は剣の包囲網を抜けていた。クレアはタイミング的にありえないと思ったが、とにかく全ての剣を停止させ、剣を一本傍に戻し精密に動かして悠を狙わせる。
 自身は防御に徹していた。
 
 そこに沙耶まで突っ込んでくる。
 悠は小柄な体型を生かしたフットワークで大鎌を操っている。
 ここに更に沙耶が混じると味方同士で傷つけあう可能性が高いが、

 沙耶は刃の向かう先にいる悠ごとクレアに向かって刀を横薙ぎに払った。

 クレアはなんとかその一撃を偶然受け止められたが、眼前で少女が切断されて呆然としてしまう。
 そして、沙耶の攻撃は一時止んだ。
 

「ちっ……またですか、まぁわかっていましたけどね」
 そして当の沙耶はその切断されたものを見て舌打ちしていた。
 
「―――ッテメェ、ババアそれマジ、あたしだったら死んでるから!死んでるからな!」
 突然、離れたところに現れた悠が沙耶に向かって怒鳴り散らす。
「ええ、ほんとうに残念です……、またつまらないドロシーちゃんを斬ってしまいました」
 切断されたものは黒い大蛇に姿を変え始めていた。

 
 クレアは、二人のチームワークは最低だが、連携に関してはかなりの脅威を感じ始めていた。
 今の攻撃もまさかあの状態で仕掛けられるとは予想外だったので全く回避していなかった、防げたのも偶然にすぎない。
 虚をつかれたナイフの時も絶妙のタイミングだった。二人の攻撃がほぼ同時に襲って来て、こちらの選択肢をかなり狭めてくる。
 
 本当は仲が悪いのは演技で、こちらの油断を誘っているのではないかと思い始めていた。

 しかし、そんなことはない。これが彼女たちの普段通りである。

 二人が仲違いしている間に体勢を整える。

 しかし、クレアが、十分な距離を取って麻痺毒の解呪の続きをしようとした刹那、



―――崋山国の最前席が大爆発を起こした。

 そして、同時に奇怪な生物の鳴き声が聞こえていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
「しかし、退屈だな灯美華、あの件はどうなっている」
 鬼堂陽厳はつまらなそうにモニターを眺めてそうこぼした。
「お父様、あの件ならいつでも大丈夫ですよ、それに―――今から退屈じゃなくなりますから」
「ほう、それは楽しみだな」
 灯美華がそう言った直後、結界の中の数名の護衛が動き始め、陽厳を取り囲んだ。
「なんだ、何か問題でもあったか?」


「いいえ、お父様、今から起こるんですよ。――――斬れ」

 灯美華がそう言っただけで、護衛が鬼堂陽厳を斬り伏せた。

「ぉ、おま……えたち……なに……、がはっ」
 斬られて倒れた陽厳の傷痕を勢いよく灯美華は踏みつけた。

「それじゃあ、始めましょうか、―――お父様は欲張りですから今から相応しい物にしてあげましょう」

 鬼堂灯美華は陰陽術と古代魔術に優れる。
 そして今日は死にかけの父親を触媒にして術を完成させるつもりだった。

『阿耨多羅三藐三菩提《あのくたらさんみゃくさんぼだい》』
 九字を切る。

『青龍・白虎・朱雀・玄武』
 詠唱を完成させる。
 彼女は自分の父親に向けてそれを発動させた。

 死に掛けの陽厳の体が膨れ上がる。
 顔中に白い毛が生えていく。
 爬虫類のような尻尾が生えていく。
 背中にゴツゴツとしたものが現れる。
 さらにその背から炎の翼が噴出していた。
 胴体はその全てが入り乱れたかのように混沌としている。

 そして、
 顔は虎になり。
 龍の尾が生え。
 亀の甲羅を背負い。
 灼熱の翼が生えた。

 体も巨大化していく、すでに十m、まだまだ大きくなろうとしている。
 産声なのか――虎の口を大きく開き火炎の弾を吐き出した。
 結界にひびが入る。
 触媒の魔力だけは優秀だったのだろう、二十m。
 先ほどよりも大きい火炎の弾を吐き出す。今度こそ結界は砕け散り、大爆発を起こした。
 そして雄叫びをあげる。それは、化け物のような人間の叫び声だった。
 周囲から悲鳴があがる。観客がパニックに陥る。「化け物だ」「怪物がっ」と叫ぶ声が聞こえる。

 そして、彼の欲望はとどまるところを知らない――三十mまで育った。
 
 
 鬼堂陽厳―――鬼堂陽厳だったものは四神『青龍・白虎・朱雀・玄武』の合成獣《キマイラ》となった。

 結界が無くなり合成獣――四神獣は空へと舞い上がる。

「お父様ったら、はしゃいじゃって、今は私の手に余るから後で躾てあげないとねー」
 灯美華はくつくつと笑いながら、自由に空を泳ぎながらそこら中に向かって火を吐いている父親だったものを眺めていた。

「それじゃ、全軍前進と共に攻撃開始よ」
 灯美華は数人の連隊長を呼び集めて指示を出す。
「鬼堂様、な、なにを攻撃なさるのですか?観客もいますが……」
 その内の一人が真っ当な疑問を口に出した。
「あっちよ、あっち、観客なんてそんなものは気にしないで!」
 灯美華は南エリアの日鋼のブロックを指さしてそう言った。
「りょ、了解しました」
 彼らは自分たちがおかしくなっていることには気が付かない。
 灯美華の指示に従う。
 そして、殺戮、虐殺を好むものばかりがこの軍隊には組み込まれている。
 彼らにとっても最高の舞台が整っていた。
 同盟国を攻撃する、という疑問、それだけを排除していかに、日鋼へ攻撃を集めるか、それだけが彼女の仕事だ。

「最初は、四方八方、牽制しながらゆっくりと日鋼の方へ進軍してくわよ」
「「「了解しました」」」

「魔陣領域展開!」
 八千の兵全てが同時に魔陣領域を展開する。飲み込まれた一般人はそれだけで吐き気に襲われた。
 全ての魔陣領域が会場全体を包むサイズで展開されている。
 今は威力・命中よりも手数で一般人を巻き込み、日鋼、その他の関係者にそれを守らせ足止めと避難させることが狙いだ。
 なによりも日鋼が孤立するように狙っていく。

「全隊、詠唱開始!」

 灯美華の声は良く通っていた。
 今からやろうとしている行為とは無縁と思わせるほどの澄んだ綺麗な声音だった。
 
「全隊、魔術発動!」

 ある程度日鋼に集中させた魔術の散弾が四方八方に飛び散っていく。
 
 八千人が唱えた、氷、火、風、水、雷、鋼、土などのあらゆる魔術が会場を混乱の渦に叩きこむ。



 今ここに戦争が始まった。



[29549] 一章 十五話 圧倒的劣勢
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 08:28
「な、なにあれ、怪獣?――――うっ」
 突如現れた異形の怪物を見上げていた天城悠は、酷い違和感に襲われた。
 八千人分の魔法陣が展開されていた。
 一般客に至ってはそれだけで気を失った者もいる。
「え……、なんだよ…あれ、うそでしょ……」
 怪獣をぼうっと見上げていた悠が魔陣領域の中心を見た時、すでに八千の魔陣使いから種々の攻撃魔術が放たれようとしていた。

 天城悠に実戦経験は無い。
 はからずも、今日この日が彼女の初陣となった。

「――悠さん、ぼうっとしていたら死んじゃいますよ」
 戦闘していた三人の中で逸早く動き出した神宮寺沙耶が悠を片手で持ち上げて、小脇に抱える。
「にょ、にょわ」
 悠が変な声を上げた。
「インスマスさん」
 沙耶は悠と同じようにぼうっとしていた彼女にも声を掛けた。
 はっとしたクレアは沙耶に頷く。そして駆け出す。
 二人と抱えられた一人が全速力で、数十m離れた観客席の近くまで後退しようとする。

 それと、同時に八千の魔術が一斉掃射された。

 沙耶たちの前方に古賀たちが見える。彼らは会場に居た他の魔術師と協力して、観客席付近に幾重にもあらゆる属性系統の『耐障壁』を張っていた。

 魔術の散弾が沙耶たちに追い縋る、もう少しで張られた障壁の内側に到達しようかというところで追いつかれて直撃する―――ギリギリで宇佐美、古賀、明人たちの張った障壁によって直撃は免れた。

 『耐障壁』に『攻撃魔術』の雨がぶつかる。
 幾重にも重なった炸裂音が響き続ける。
 その音を聞いて、誰もが肝を冷やす。
 遠距離から放たれたため威力はかなり低いが、障壁なしでは恐らく重傷は免れない。
 魔陣使いでも二度浴びれば魔法陣は消失するほどの威力はある。
 今のところ高クラスの障壁であったため、破られる気配はないが相手が接近しさえすれば、こちらの障壁は詠唱時間の関係でクラスを落とさなくてはならなくなる上に、相手の攻撃魔術の威力が上昇し障壁を貫通して甚大な被害を及ぼすのは明白だった。

「みんな、まずは避難誘導するで、魔陣使いは『耐障壁』張り続けろ、古代魔術が得意なやつはそれのサポート入って満遍なく張るんや、絶対に後ろに通すな。その他の術士は避難誘導と相手側の神聖術士その他が接近してこないか要警戒しておけ」
 実戦経験が豊富な古賀が中心になって日鋼のエリアに集まった人間に指示を出す。
 すぐさま、各自動き出す。
 古賀、宇佐美、明人、クレアは障壁を張り。
 沙耶、悠は障壁の最前で警戒に入った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「この微妙な時期になんということをしてくれたんだ、鬼堂は」
 日鋼の観客席の最前列の結界が張られた席にいた鋼焔の父親、天城鋼耀《あまぎこうよう》はこめかみを押さえて深い溜息を吐いた。
 すでに彼は事後処理のことを考え始めている。
 巻き込んだ一般人への対応、そのことで追及してくるであろうメディアへの対応。
 揺れ動くであろう同盟の結束。
 それが引き金となって招きかねない他国の侵攻。
 鋼耀は考えるだけで頭が痛くなってきていた。
「鋼耀様、急いで避難してください、お願いします」
 鋼耀の近衛は未だ動かない主に困り果てている。
「分かっている、しばし待て」
 そう言いながら、鋼耀は巻物を取り出し、両手に持って広げる。
 巻物には間諜から、相手の戦力、向こう側の状況などの情報が魔術によって送られて来ている。
 
 機械と魔術を併用した端末もあるが、古くからある紙を使った物は情報の傍受が難しく軍関係者や年配の人間は使っているものが多かった。

「ほう、どうやら鬼堂のやつは死んだ――娘に殺されたようだな、飛んでいるアレか……、指揮はその娘がとっているようだが――父親の方ならともかく娘がうちを狙う理由がわからんな」
 鋼耀は深く考え込んでいた。
 和睦への糸口がないだろうかと探ってはみたが、これはもはやただの殺戮行為だ。
 どちらかが壊滅するまで戦うしか道はないように思える。
「援軍の手配は済んでいるのか?」
「は、はい、ですが、今しばらく人数が揃い到着するまでに時間が掛かります。各国とも一般人避難優先のため、それが終わるまでは転送装置《テレポーター》が使用できません……」
 近衛の話を聞いて鋼耀は眉間にしわを寄せた。
「そういえば、今年から一般客の招待を提案したのも鬼堂の人間だったな、余程うちのことが嫌いと見える」
「そ、それよりも鋼耀様、避難を急いで下さい、崋山がこうなって、日鋼の当主まで倒れればそれこそ同盟の終わりです」
「まぁ、待て、兵が来られないのなら仕方がない―――ちょっと手紙をしたためる」
 そういって鋼耀は巻物にメッセージを書いて、宛先を記した。
「よし、急ぐか」
 そうしてからやっとその重い腰を上げて避難し始める。
 鋼耀は現役を引退して久しい。
 昔は、日鋼の鬼神と恐れられたほどの強者だった。
 自分ではまだまだ戦えるとは思っているが、立場と周りがそれを許さない。
 寂しくもあるが、時代は移り変わり、次世代の芽が育っていくのを見るのはまた嬉しいものだった。
 
 そして、眼前の少数で大群に立ち向かっている彼らの勇姿を少しでも長くその眼に焼き付けた後、彼は去っていった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「まずいわね、少し魔法陣にダメージ受け始めてる……」
「このままだと、時間の問題ですわね……」
 宇佐美とクレアはゆっくりだが、確実に近づきつつある崋山軍に恐怖を感じ始めていた。
 まだ彼我の距離は四百mほどあるがそろそろ厳しい状況になっている。



「悠さん、来ましたよ」
「う、うん」
 沙耶が遥か前方を指差す。
 悠は固い返事をしながら指差された方向を見た。
 そこには数名の神聖術士と武神術士が神速で突撃して来ていた。

「私が、障壁のライン上で迎え討ちます、援護、お願いしますね」
 周りが悲観し始めている中、沙耶は焦った様子もなく淡々としている。
 悠はあの人数を二人で相手できるのかと不安になっていた。
「いつもの元気がありませんね、怖いのなら逃げても構いませんよ?」
 沙耶は鼻で笑いながら年下の少女を突き放す。
「ふんっ、ぜんっぜん怖くないし、ババアの顔の方がまだ怖いっつーの」
「そうそう、その意気です。それじゃあ頑張りましょうか」
 沙耶の軽口で悠の緊張が少し解れる。
「じゃあ、頑張った方が今夜お兄ちゃんと一緒に寝れるってことで」
「悠さん、あまり調子に乗らないでください」
 
 二人がそうこうしている内に接敵する。
 
 悠に二人、沙耶に二人、襲い掛かる。
 
 沙耶は一瞬でその二人を斬り伏せ絶命させる。
 彼女にとって魔陣使い以外の同タイプの近接系術士は相手にならない。
 速さも一撃の重みも遥か上をいっていた。

 悠は襲い掛かられた二人に斬り捨てられる。

 しかし、すでに幻惑術を発動させていた―――斬られたのは再び大蛇だ。

 そして、ここから天城悠はその残酷な本領を発揮する。
 彼女は消えた状態のまま精神を集中させた。
 その対象は、沙耶が絶命させた二体の死体だ。
 血に汚れた二体の死体が動き出す。
 死体の動きは速い、さきほどまでの生前の動きを完全に再現している。
 死体は「あ、ぁ、あ、ぁ、あ、ああ」と唸りながら味方だった二人に襲い掛かっていく。
 襲い掛かられた彼らは一瞬動揺しながらも、味方だった死体を斬った―――しかし、死体はその程度では止まらない。
 仕留めたと思い込んだ二人はその直後、死体に斬殺された。
 
 
 天城悠が最も優れているのはこの能力だった。
『傀儡術』とは似てはいるがより凶悪な力『死霊術』。
 優れた死霊術士にかかれば死体は魔術すら使用可能になり、何十体でも動かせる。
 もちろん、敵味方の死体関係なく動かせてしまう。
 
 戦場を地獄に変える力。
 
 しかし、それゆえ、幼少の死霊術士は他の術課の子供に不気味がられて虐めにあうことが多い。
 以前、鋼焔はそのことで悠のことを非常に心配していた。
 悠自身も『死霊術』について悩んでいたことがあった。
 だが、彼女は今この力を受け入れようとしていた。
 悠は今日まで、動物の死体しか動かしていなかったが、実戦でその威力を自分で証明した。
 これから先、どこかの国に侵攻されたとしても家族を守れる力が自分にはあるのだと確信する。
 だから今、彼女は悩まない――――少女は初陣で駿才と呼ばれたその才能を発揮していた。

 そして、前方で再び崋山軍の詠唱が始まっている。先ほどよりも詠唱が長い。
「悠さん、下がりますよ」
「うん……」
 初めて誰かを殺してぼうっとしていた悠は、声を掛けられて気持ちを切り替えた。
 
 そして、二人は障壁の内側へと後退して行く。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「今度は高クラスだぞ、こっちもできるだけ多めに高クラスを張って防ぎ切れ!」
 明人は古賀たちから少し離れたところで周りの古代魔術士に指示を出しながら障壁を張り続けていた。
 明人も周りの人間も疲れが見え始めている。
 なによりも、戦力差が違いすぎていた、向こうは8000以上の兵力だが、こちらは1000人程度しかいないのだ。
 時間は稼げてはいるが、徐々に相手の進軍速度が上がってきている、このままだと避難すら間に合わない内に距離を詰められてしまい一般客ごと無残に殺されるだろう。
 その精神的圧迫も疲労を加速させていた。
 しかしそれでも、自分達も逃げたいが一般客を逃がすまでは動かないという、魔術師としての矜持が彼らを支えていた。
 
 
 崋山軍の詠唱が終わり魔術が発動される。
 先ほどよりも一つ一つが大粒となった魔術の雨が降り注ごうとしている。



 その時、明人の視界の端に障壁の範囲外に出て泣いている少女の姿が映った。
 

 明人の心臓の鼓動が急激に早まる。
 助けに行ける距離で、あの魔術の雨に耐え切れる可能性があるのは自分だけだろう。
 しかし、下手をすれば死ぬかもしれない。それに死ななかったとしても自分は戦闘不能になるだろうと判断する。
 そうなれば魔陣使いが一人減ってしまい、ますます戦況は傾いていく。

―――見捨てるべきだ。
 
 そう思う。この判断は正しい。そう教えられてきた。

 
 だけど、
 明人は駆け出していた。全力で。

 すぐさま少女を抱きしめて、背中を魔術の雨に向けて覆いかぶさる。

 魔術の散弾が明人に襲い掛かる。
 瞬く間に明人の魔法陣は消失した。
 その直後、明人に直接、魔術のダメージが襲い掛かる。

「がぁあぁぁああぁああああぁああああああ」
 連続的な痛みが明人に気絶する暇すら与えなかった。
 明人の背中に氷柱が何本も刺さる。血液が流れていく。体温が奪われていく。
 炎と雷撃が背中を焦がす。火傷で皮膚が爛れていく。
 十数発の魔術をその身に受けた明人はその場に倒れた。

 魔術の雨が止み、すぐさま周りの人間が明人の下へと駆けつける。
「だ、だいじょうぶですか」
「ぁあ、なん……とか、この子を……」
 耐え切った明人はそう言って気絶した。少女は無事だった。
 二人は障壁の内側へと運ばれていく。

 時間とともに確実に戦況は傾きつつあった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「よーっし、かくれんぼはもう終わり、次のやろうか、次の」
 天城鋼焔と千石葵は未だ、子供たちの相手をしていた。
 あの後、順番に肩車をして、続いてカンけり、そして今かくれんぼが終わったところだ。
 
 しかし、突如、着物姿の銀髪赤眼の少女が鋼焔の隣に現れる。
「御主人、鋼耀様から連絡が入ったのですが……」
「珍しいな。……?どうした京、親父はなんて言ってる?」
 困惑した顔で黙ってしまっている京に続きを促す。
「そ、それがですね、受け取った文章が上手く読み取れないのです、どうやらなんらかの妨害を受けてしまったみたいです、どうなってるんでしょうか……」
 
 今日、父親は連盟演習会場に行っている、それが妨害されているとなると会場の方でなんらかの事故か事件が起きていると推測して間違いない。
 そして、鋼焔は父親から何らかのメッセージが届くこと自体が稀だった、よほどの事が無い限り家で直接話している。
 つまり、会場の方で起きた事故か事件が相当危険な状態にあると考えた方が良い。

「……千石さん会場の方で何かあったらしい、外に居るのは危ないかもしれないから子供たちを校内に避難させといてくれ―――頼んだ」
「は、はい。天城殿、承りました」
 鋼焔は葵にそう言うと同時に転送装置に向かって全速力で走り出していた。
「ご、御主人、待ってくださいー」
 遅れた京が空中を滑るように飛んで追いかけていく。

 道を一つ、二つ、曲がる、あちらの会場への転送装置のある場所へと繋がる道が見えてくる。

 しかし、道は会場から避難してきていた人々で溢れかえっていた。
「くそっ、なんだこれ、かなりの非常事態だな―――これじゃ転送装置を使うのは無理か」
 鋼焔は舌打ちする、父親のメッセージが妨害されていたことからも一分一秒を争うはずだが、これでは会場に行くために最速の転送装置は使えない。

 鋼焔は転送装置での移動は諦めて、高難易度の長距離空間跳躍を検討する。

(とりあえず、さっきの場所に戻らないと)
 飛びたい場所の座標が正確に分からない長距離空間跳躍は高度な精神集中を要する。
 こんなにも人が溢れかえった通路で成功させるのは不可能に近い。
(もう少し詳しい状況がわかっていれば良かったんだが……)
 分かっていれば、演習場から直接長距離空間跳躍をして最速であちらにいけたはずだった。
 逸る気持ちを抑えつつ鋼焔は全速力でUターンし、元の場所に戻る。
 地面を強く蹴とばし一歩を前へ前へと先を急ぐ。


 演習場に戻るとそこには――なぜかハーフエルフのニィナが葵の指示を聞いていなかったのかぼうっと佇んでいた。
「ニィナ、校内に入っておけ」
「…………会場に行くの?」
「ああ、ここから飛んで行くつもりだ」
 鋼焔はニィナに離れていてもらいたかったが、とにかく長距離空間跳躍の準備に入ろうとした。
すると、
「…………私に任せて」
 そう言ってニィナは両手を天に翳す、そして精霊魔法の詠唱を開始した。
地面から鏡が浮き上がる。ここではないどこかの景色が映っていた。
「……もしかして、ここに入れば会場に飛べるのか?」
「…………そう、おにいさんの行きたい場所に行けるわ」


「恩に着る」
 鋼焔は今日話したばかりの彼女の言葉を信じて鏡の中に飛び込んでいった。
 


 精霊の鏡が天城鋼焔を戦場へと誘う。



[29549] 一章 十六話 鋼焔の魔法陣
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/01 08:33
 会場に残された者たちは絶体絶命の窮地に立たされていた。

「さすがに不味いですね、あと一回……いえ二回で終わりです」
「くそ……まじでやばいな」
 そうは言うが神宮寺沙耶に焦った様子は全く無い、ただ淡々と状況を解説しているだけだ。
 悠は悲観しつつも冷静に戦況を分析するが、もはや撤退という手段を選ぶことすら不可能になってしまったこの状況では戦略の立てようもない。

 崋山国八千の兵は百mの間合いまで詰めてきていた。

 避難は順調に進んでいたが、日鋼のエリアだけは狙いが集中されていたのでまだ一万人以上の一般客が取り残されている。

「宇佐美くん、インスマスくん、きばりや、もういっぺん来るで」
 古賀が、最年長の男として、実戦経験豊富な者として、半ば心が折れかけている二人を鼓舞する。
 しかし、彼はもう死を覚悟し始めていた。
 もう、あとどれだけの一般客を逃がすことができるだろうか、と最期の時まで最善を尽くそうとしている。

「……古賀さん、でも今のままじゃ……」
 宇佐美は死への恐怖で体がすくみ始めている。
 もはや死ぬ時間を先延ばししているにすぎない、この状況を打破する術はない。
 後ろを向いて逃げ出そうにも、逃げ場はない。逃げても退路は詰まっている。
 崋山に好き放題に撃たれ一般客ごと皆殺しになるだけだろう。
 
 

「分かっていますわ、ですが――くっ」
 苦しい表情でクレアが何かを言おうとした途端、再び攻撃魔術の散弾が降り注ぐ。
 高クラスの攻撃魔術が容易く耐障壁を貫通し、魔陣使い、その他の術士に直撃していく。
 魔陣使いでないものは膝を着きそうになっている。もう気力だけで立っているのだろう。
 そして、古賀たちの魔法陣へのダメージも相当に蓄積してきており、限界はすぐそこに来ている。
 間合いが詰められて行くごとに徐々に、確実に死が近づいていた。
「…………本当にもう……覚悟をした方がいいですわね」


「「「うわああああああああああああ」」」
 追い詰められた一万人以上の観客はパニックに陥っている。
 さきほどまでは古賀たちの獅子奮迅の活躍によってなんとか焦りながらもギリギリ平常心を保っていたが彼らも状況を理解したのだろう、近くの者のせいにしていがみあう者、神に祈りを捧げている者、泣き出す者、完全な恐慌状態を起こしていた。




 そして、崋山軍八千の次の詠唱が始まる。
「……じゃあ、もうこれで終わりにしましょうか、全隊、クラス5以上を叩き込むわよ」
 何者の邪魔もなく詠唱は完成する。鬼堂灯美華の目的は果たされる。
「―――さよなら、神宮寺沙耶、鋼焔くんは返してもらうわよ」
 口角を吊り上げて彼女は嗤う。憎しみが解き放たれる。




「悠さん、あれが飛んできたら終わりですよ、お祈りは済ませましたか?」
 沙耶はこの期に及んでもいつも通り悠に向かって軽口を叩いていた。
「……沙耶、狂っちゃったのか、……クソッ、もう、どうしようもないじゃん」
 悠は目に涙を溜めて前方を睨み付ける。

「……死にたくない」
 宇佐美は障壁を一つ張った後、心が折れた。
「……死にたくないよ」
 精神集中が成功しなくなり、障壁を一枚張ったところで彼女は終わった。
 宇佐美の正面の障壁は薄い。確実に、彼女と彼女の後ろに居る人間に死が訪れる。
 
「……ごめんなさい、お母様、お父様」
 クレアは最後まで気丈に振る舞い、障壁の詠唱も完璧に成功させた。
 親に先立つことを謝罪し、覚悟を決める。
(……そういえば、天城様に教えてもらったお礼をしていませんでしたわね……)
 不意に、そんな益体もないことを思い出す。もう手遅れだというのに。

(真紀、雪、すまんなぁ……結構ローン残っとるのに、保険ちゃんと降りるんかなぁ)
 古賀は愛する妻と娘のこれからを心配する。
 いつか、もしかしたらこうなるだろうと覚悟は済ましていた。
 それでも後悔の念は尽きない。
 娘の成長を見守ることもできずに、こんなところで朽ちていく己が腹立たしい。
 自分が生きてまた娘と妻に会える、そんな奇跡を信じたい。
 でも、古賀は大人だった。
 そんな都合の良いことは起きないと知っている――甘い思考は泡のように消えていく。


 そして、崋山軍が、彼らに死を告げる魔術を発動しようとしている。




 しかし、その瞬間、戦場のド真ん中に天城鋼焔が突如現れた。




 まだ、鋼焔に気が付いている者はいない。
 鋼焔はすぐに状況を把握する。
 日鋼のエリアの方を見る。
 沙耶がいる。悠がいる。古賀がいる。宇佐美がいる。クレアがいる。明人がいない。
「明人は!?」
 五十m離れたところまで聞こえるように大声で叫んだ。
 それでようやく、周りが鋼焔の存在に気が付く。誰もが突然現れた鋼焔に驚き、混乱する。
「生きています!」
 そして、驚きもせず、逸早く気が付いた沙耶が刀を抜いて明人が倒れている方を指し示しながら叫んだ。

「――よし、間に合ったか」
 もしかして手遅れなタイミングで現れたかと思っていた鋼焔はそれを聞いて安堵する。

 さっきまで死を覚悟していた宇佐美とクレアは突然現れた鋼焔のせいで呆然としていた。

 しかし、ハッと気が付いたように、
「天城くんっ」
「天城様ッ」

「「うしろ!!」」
 二人は迫り来る多種多様な魔術の散弾を、指差しながら鋼焔に向かって叫んだ。
 すでに、崋山八千の魔陣使いによる攻撃は鋼焔に届こうとしている。

 沙耶以外の誰もがグチャグチャの死体になるであろう鋼焔を見たくない、そう思い、目を閉じた。

(コウさん、お待ちしていました)
 沙耶はじっと現れた鋼焔を見つめながら心の中でそう呟く。
 
 神宮寺沙耶は神など信じていない。
 神には祈らない。

 彼女は最初から天城鋼焔が必ず来ると信じて待っていた。

 鋼焔は後ろを振り向く。
 最初から後ろのことには気が付いていた。
 先に仲間の安否を確認したかった。

 
 そして、鋼焔は己に課された―――課した禁を破る。


「京、可能な限り魔力を吸い続けてくれ、領域拡大の進行を抑える」
「はい!……使われるのですね、御主人、了解しました!」



 太古の昔、地上を制覇していたのは『鋼の精霊』だった。

 しかし、今は『人間』の世界、『鋼の精霊』はかつての猛威を振るうことはできない。

 ならば―――『人間』であり『鋼の精霊』であるものこそが、この世界の覇者として君臨する。

 

 天城鋼焔は数年ぶりにそのキーワードを口にする。
 


『侵蝕《オープン》』

 

 その瞬間、凄まじい勢いで鋼焔の魔法陣が展開した―――魔陣領域が広がり続ける。
 鋼焔の異常とも言える『魔力』が常人ならば半径三十mの魔陣領域を半径五百mほどまで押し広げる。
 
「御主人、前回より小さいです、これなら大丈夫かもしれません」
「よし、京、引き続き頼んだ」
「……了解しました!」

 数年前、手加減せず展開してしまったときに魔陣領域は半径百kmまで広がった。
 数年後、それが魔術学校の教本に載ってしまっていたことに自身で驚いた。

 鋼焔の魔法陣の表面には古代魔術文字が刻まれている。
 魔法陣の色は赤黒い、ありえないことに領域内の空間の色さえ薄く赤黒く変色していた。

 そしてさらに、鋼焔の足元から『二つ目の黒い色をした魔法陣』が展開されようとしていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 色とりどりの魔術の散弾が鋼焔に迫り来る。

「【Dfc Fir Tsed】」
 鋼焔はすぐさまクラス1の『耐障壁』の詠唱を開始すると―――同時に完成させた。

 周りから見ればもはや『無詠唱』に見えているだろう、刹那の時間で唱え終わる。

 魔力の塊と化した鋼焔の生きる時間が『ズレ』ていた。
 何千何万年を生きる者の一日が短く感じられてしまうように、その一秒は限りなく短くなる。

 壱が零に近づく。

 天城鋼焔は加速していた。

「【Dfc Fir Wdoq】」
「【Dfc Fir Fapn】」
「【Dfc Fir Ahrp】」
「【Dfc Fir Iscu】」
「【Dfc Fir Etsl】」
「【Dfc Fir Irx】」

 瞬く間にクラス1の障壁魔術を七つ完成させる。
 頭上には『耐雷障壁』、正面には『水、火、風、氷、土、鋼』の六枚の障壁を発動させる。

 しかも、その全てが異常に分厚く巨大で幅広い、鋼焔の後ろには一つたりとも通さないというように、重厚長大で堅牢な障壁の列ができあがっていた。

 壁にあたった崋山軍八千人分の魔術が潰れたトマトのように変形し掻き消えていく。
 鋼焔の魔法陣はおろか障壁にさえ掠り傷一つ存在しない。



「……え、な、なに?た、助かったの?なんで……?」
 目を瞑っていた宇佐美は何が起きたのか、未だ理解していない。
 沙耶以外のほとんどの人間は、なぜ助かったのか理解できず不思議に思って、突如現れた巨大な障壁を見つめているだけだ。


「【Ark Fir Fapn】」
 全ての攻撃を防ぎ切った鋼焔はすぐさまクラス1の火の魔術を詠唱する―――空に片手を翳す。たったそれだけで、


 空の青を埋め尽くすような極大の火炎弾が生まれた―――以前のクラス9の火炎弾より十倍以上に膨らんだものが空を占拠する。


 鋼焔の圧倒的すぎる魔力がクラス1の魔術をクラス10を遥かに超えた究極の魔術へと変貌させてしまっていた。

「お、おい、あれはどういった魔術なんだよ、沙耶……」
 悠は火炎の弾を呆然と見上げながら訊ねた。

「先ほどの障壁とあの火炎もたぶん、ただのクラス1ですね」
 沙耶が淡々と解説する。
 彼女は平静を装っているが、鋼焔が現れてから少し興奮している。

「……嘘でしょ……でか過ぎだし、つーか暑すぎて死にそ」
 悠は自身の兄の力を目の当たりにしても未だにこの現実を信じられずにいた。
 彼女にとって兄とはいつも自分を心配してくれている優しい家族、愛すべき人だ。

 しかし、今の彼は神か悪魔かと言わんばかりに、その絶大なる猛威を振るっていた。
 
「……おかしいな……ぼく、遠近感狂ってもうたんかな……」
 生きていたことに安堵していた古賀は上空を見てから、目を擦って再び上を見てそう呟いた。

「……ク、クラス1で……あのサイズですの!?」
 クレアは沙耶の言葉に衝撃を受けた。
 なら、あれより上があるということなのだろうかと……。
 もはや自分の想像できる範疇を超えていた。天城鋼焔の全てが規格外になっていた。

「―――え、……な、なにが……どうなってるのこれ……?」
 宇佐美は我が目を疑っていた。
 もはや、鋼焔が現れてからの急変していく状況についていくのが精一杯になっていたが、上空の火炎弾を見て一瞬夢かと思ったほどだ。
 それに、鋼焔は手を空に翳しただけだ、詠唱をしていない。
 もし、詠唱していたとしても―――速すぎる。
 わけがわからない。
 しかも、神宮寺沙耶はあの魔術を――クラス1だと言った。

 さらに、鋼焔がさっきまで立っていた場所からもう一つ魔法陣領域が広がり始めていて、余計に混乱に陥った。


「皆さん、あの黒い魔法陣には絶対に触れないでください、特に魔術師でない方は気をつけてください」
 沙耶が後ろにいる観客を含めた周りに向けてそう注意を喚起した。

 これから何が始まるのだろうかと、不安と少しの好奇心が彼女たちの中に渦巻いていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そして、もう一つの魔法陣の領域――『侵蝕領域』が、鋼焔が初めに展開をした地点から徐々に広がろうとしている。

 『侵蝕領域』は濁った黒色のドーム状の見た目をしている。
 普通の魔法陣のように表面が半透明だが、こちらの方が遥かにくっきりとみえている。
 そして表面に精霊魔法に使われる、精霊文字が刻まれている。
 鋼焔の父、天城鋼耀がこれを見たとき、恐怖した。
 初めて鋼焔が魔法陣を使った時、侵蝕領域内にいた動物や虫、草は全て一日と掛からず全て息絶えた。
 そして、その時、鋼耀は試しにその領域内に入った。
 瞬く間に体中の力は抜けていき、吐き気、眩暈が起こる。
 魔力の弱い人間ならば数日で死に絶え、強い者でも数週間もたず死に絶えるほどの恐ろしいものだろうと、鋼耀は判断した。
 この領域内ではただの人間はゆっくりと蝕まれていく。
 大地は全て鋼に生まれ変わる。
 空気は毒になり、熱が人を溶かしていく。
 血と鉄の臭いがする世界に変わり果てる。
 
 これは、天城鋼焔が、己に『最も適した世界』へと塗り替える為の力。

 そして、『侵蝕領域』は鋼焔が魔法陣を閉じても拡大は止まるが、消失はしなかった。
 その時から自身の息子に『可能な限り魔法陣を使うな』と強く言い聞かせている。

 鋼焔が力を振るえば振るうほど、この世界は狭くなっていく。

 世界が天城鋼焔のためだけのものになっていく。

 天城鋼耀は天城鋼焔のもう一つの魔法陣を―――『鋼の魔法陣』と名づけた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「「「う、うああ、うあぁぁあぁああああああぁぁあああああぁっ」」」

「い、いやだ死にたくない」
「に、逃げられるのか……あれから」
 崋山軍のそこら中から悲鳴があがる。
 今度、パニックに陥ったのは崋山軍だった。
 鋼焔の発現させた極大の火炎弾を見て完全に平常心を欠いている、軍の士気が急激に下がっていく。
「落ち着きなさい!」
 灯美華が声と共に兵の精神に干渉し可能な限り取り繕う。
「で、ですが鬼堂様……あれは…あれは、いったいなんなのですか」
「今はそんなことはどうでもいいの、全隊に『耐火障壁』の指示を出すのよ」

「……りょ、了解しました」


「……鋼焔くん、来ちゃったのね」
 灯美華は悲しそうな顔をしながら、少し嬉しそうに呟いた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 鋼焔は翳した手を正面に振り下ろす。

 真っ赤な空が崋山軍に向かってゆっくりと落ちていく。
 
 極大の火炎弾が、彼らの張った『耐火障壁』を何も無かったかのように突き破り、大勢の人間に直撃する。
 
 たった、クラス1の魔術一発。

 ただ、それだけで四千人以上の魔陣使いは消し炭になった。

 髪の毛一本残さず燃え尽き、この世界から消滅した。



「……なんなんだよ、なんでこんなことになってるんだよ、楽な仕事じゃなかったのかよ」
「悪夢だ、これは夢だ、夢だ、夢だ」
「……あ、は、あは、あは」

 生き残った崋山軍の兵士は、気が狂った者、現実逃避を始めた者、現実を直視して絶望している者の三種類しかいなくなった。


 だが、鋼焔は容赦しない。
「【Ark Fir Tsed】」
 
 次はクラス1の雷の魔術を唱える。空全体を覆い尽くす厚くて黒い雷雲を顕現させる。

「夜になったみたい……」
 宇佐美の呟きが漏れた。

 鋼焔が呼び出した雲によって完全に太陽からの光が遮断されている。
 完全に空が黒雲に染まり埋め尽くされている。
 青い空など、どこにも見当たらない。
 ただ、暗黒の空が広がっている。

「やめ、やめろ、殺さないでくれ」
「助けて……助けてくれ……」
 崋山軍から命乞いすら聞こえ始める。


「全隊、『耐雷障壁』を張りなさい―――急ぐ!」
 灯美華の命令は絶対だ。ここまで付いて来た彼らに逃げ場などない。
 精神に作用するその言葉で一時的に平静を取り戻し、すぐさま詠唱を開始する。

 そして、灯美華はここで空を自由に泳いでいた父親を『傀儡術』で動かす。
 多数の操っていた兵が死んだことで操作する余裕が生まれていた。
 腐っても四神、雷程度どうにかしてみせろと自分の盾にする。


 雷雲から雷撃が落ちる―――いや、流れ出していた。
 
 滝のように、大量の巨大な雷撃が残り四千の兵を蹂躙するように途切れる事無く落ち続ける。
 絶え間なく、凄まじい大きさの雷鳴がバリバリと鳴り響き、空気を震わせる。
 稲妻が発光し続け、雷雲によって暗闇になっていた地上が明るくなる。

「うう……」
 雷が苦手なクレアが目を閉じ、耳を押さえている。
 耳を押さえても、雷鳴の音が大きすぎて彼女の鼓膜を打ち続ける。
 目には、途絶える事無く稲妻の光が瞼の隙間から入り続ける。
 彼女の一生のトラウマになりそうな光景が眼前で広がっていた。



 しかし、灯美華の操った四神獣はその中で生きていた。
「さすが、お父様ね。どんどん肥えていっちゃうなんて――これで形成逆転かしら」
 灯美華の盾となり雷を喰らって己のエネルギーに変換し、さらなる成長を遂げていく。

 雷雲からの放電が終わった後、灯美華の周りに居た百数十名以外の人間は、影だけを地面に残して消滅していた。

 もはや、生き残った彼らの表情に生気は無い。目も虚ろになっている。
 
 完全に勝敗は決した。
 
 鋼焔は空間跳躍の魔術で灯美華の近くまで飛んでいく。

(……灯美華、さん)
 彼女だとハッキリ分かったが鋼焔に驚きは無い。
 しかし、なぜだ、とは思っている。どうして彼女はこんなことをしているのだと。
 
 鋼焔は魔法陣を展開した時点で、『人間の魔力』が視えていた。
 崋山兵一人一人から微弱に発せられる魔力が、鬼堂灯美華のものだとなんとなく分かっていた。
 二撃目の魔術で彼女ごと終わらせるつもりでいた。
 しかし、彼女は生き残ってしまった。

「【Ark Ixl Une Wim Mho Lun Ech Irx】」
 鋼焔は灯美華たちの眼前で鋼の固有魔術クラス6を詠唱――完成させ発動させる。

 生き残っている人数と同じ本数分の―――妖刀『村正』を兵士達の傍に具現化させた。

「降伏しろ、不穏な動きをすれば斬る、詠唱しても斬る、全員地面に伏せて頭に両手を乗っけろ」
 鋼焔の言葉に従ってすぐさま、兵士達は指示通り動き出した。

「嫌よ」
 灯美華がそう言った瞬間、一人を操って詠唱させた。
 
 しかし、次の瞬間その兵士の首は切断された。

「あら、鋼焔くんたら容赦ないわねー」

 『村正』は傀儡術で操っていない、鋼焔が最初に出した指示を呪いとして受け取り、自動で殺戮を開始する。

「灯美華、さん、どうしてこんな……」
 鋼焔は苦しそうに言った。

「どうして?どうしてってそりゃ、あの女――神宮寺沙耶を殺すために決まってるじゃない、もうすぐ終わるところだったのに鋼焔くんが邪魔するから面倒くさいことになってるんだけど」

「なんで、沙耶を……まさか」
 鋼焔は以前、沙耶から誰かに狙われることがたまにあるという、話を聞いていた。
 沙耶は狙われても「軽い運動みたいなものです」そう言って笑っていたが。
 それは『父親の件』の方だと思い込んでいた。
 鋼焔はそのことから沙耶を守るために婚約をした、可能な限り傍に居た。
 
 しかし、それは違っていた。
 今日初めて見た灯美華の『狂わせる』ではない『人間を操る』力で彼女を狙っていたということに思い至った。

「そのまさかだよー、鋼焔くんをあの女から取り返すの、だから邪魔しないでくれるかな?」
 灯美華はニコニコとした笑顔でそう言った。

「……おれが沙耶を選んだんだ、鬼堂灯美華、もう止めろ」

「ううん、違うの。鋼焔くんは、あの女に上手く騙されただけだよ、父親が国を裏切った事と家が無くなったからって鋼焔くんの同情を引いて私から奪い去ったんだよ」
 
 灯美華は鋼焔と会話しながら傀儡術で四神獣を動かしていた。

「だから―――殺すの」
 沙耶の眼前には、雷を貪りさらに巨大化した四神の合成獣がにじり寄っていた。
 すでに体長はゆうに五十mを超えている。



「どうやら、鬼堂さんに狙われてるのは私みたいですね、……女の嫉妬は怖いです」
 遠くで鋼焔と灯美華が話しているのを見てそう軽口を叩いた後、眼前の化け物に向かって刀を正眼に構えた。
 さすがにこのサイズ相手にまともに戦えるわけもない、沙耶はとりあえず抵抗する姿勢だけは見せていた。


「鋼焔くん、動かないでね、動いたらあの女を殺すから―――でも動かなくても殺すけどね」
 灯美華は四神獣に彼女を殺害するよう命令を下した。

 
 しかし、鋼焔は後ろを全く気にせず、目を閉じ詠唱―――『無詠唱』をする、次の瞬間、


 極大の神刀『祢々切丸』が遥か上空―――雲の上から抜き放たれ、地を抉るように切先だけで四神獣――鬼堂陽厳だったものを押し潰すように霧散させた。


 巨大な質量を持った刀が通り過ぎ凄まじい風が起こる。近くに居た人間を吹き飛ばす。
 神刀『祢々切丸』の大きさはゆうに二千mを超えていた。
 鋼焔はそれを上空から完璧な精度で操り、地上に居る『蟻』だけを狙い、踏み潰した。
 柄は完全に雲に隠れており、見ることはできない。
 鋼焔の異常な力が全てを想像の埒外においやった。

「……コウさん、助かりましたけど……、さすがに今のは驚きました」
 沙耶が一番近くにいたため、上から降ってくる刀の衝撃に煽られ吹き飛んでいた。
 しかも、眼前に突然あんな巨大な物が凄まじい速さで降って来たものだから、心臓が口から飛び出しそうになっていた。

「……お兄ちゃん、心臓に悪いことは止めてほしいよ」
 
 悠たちも、生き残った兵士も、逃げられなかった観客も、ただただ、唖然として口を開きながら、遥か天空を見上げていた。



「……ほんま、鋼焔くんが味方でよかったわ……」
 古賀が震えながらそんな呟きを漏らしていた。


 そして、『侵蝕領域』が拡大していく、これ以上時間をかけるのはあまり得策とはいえない。


「……あは、あはは……本当に無茶苦茶だね、一瞬でお父様が成仏しちゃった」
 灯美華は今の状況に似つかわしくない、乾いた笑いと呆れた表情を鋼焔に向ける。

「――ごめんね、やっぱり鋼焔くんは人間じゃない、化け物、私と同じ化け物だよ。周りの人を見てたら分かるよ、鋼焔くんを見てる目が変わり果てたお父様を見てた時と同じだもん」

「……………」
 鋼焔は黙ったまま、ただ、眼前の少女を睨み付ける。
 
「御主人、もう時間がありません、『侵蝕領域』が……」
 濁った黒色の魔法陣が沙耶たちの眼前まで近付いていた。
 あと数分もすれば一般客まで飲み込まれてしまう。

「鬼堂灯美華、大人しく降伏しろ、これは最後の通告だ」
 鋼焔は傀儡術を使うのを止め、わざわざ『村正』をその手に握り締めた。
 強く、ただ強く握り締める。

「鋼焔くん、見逃してくれないかな……あの女は必ず殺すってもう決めたの、どんな手段を使っても必ず追い詰めて殺す、あの女がこれから心休まる日なんて来ない、私がいつも狙ってあげる、それで自分がしたことを後悔させてあげるの、だからこんなところで捕まるわけにはいかないわ、だって捕まったらどうせ殺されちゃうでしょ?そしたらあの女を殺せなくなるから、無理よ」

「そうか、わかった―――――なら、鬼堂灯美華、おまえはおれが殺す」

「――ふふ、あはは、鋼焔くんが?私を殺せるの?今度こそ一人ぼっちに…………なる………っ……ょ……」

 灯美華が彼には殺せないと余裕を見せて話している最中、それは唐突に始まり瞬く間に終わった。

 真紅の妖刀が鋼焔の手元から抜き放たれる。
 鋼焔が灯美華を袈裟に斬った。
 彼女が全ての言葉を言い終える前に、凄まじい量の鮮血が迸る。
 灯美華は血に染まり、鋼焔は大量の返り血を浴びる。
 鬼堂灯美華はあっけなく死んだ。
 天城鋼焔が殺した。

 鋼焔に後悔はない、もし後悔するのならあの日、神宮寺沙耶を選んだ時にしていただろう。
 どれほど独善的であろうとも、鋼焔は自分が守りたいものを守った。
 
 その結果、大勢の人間を殺しても、親しかった誰かを殺しても、昔、好きだったかもしれない彼女をその手で殺しても。
 何かを選んだのなら、それは何かを捨てるのと同義だった。



 二人はずっと孤独だった。
 灯美華はずっと孤独に囚われていた。
 鋼焔もずっと孤独に囚われていると思った。

 鋼焔は沙耶に支えられ、京に出会い、悠を守って、孤独から抜け出そうと必死に足掻いていた。
 

 灯美華を支えてくれる者はいなかった。
 孤独に溺れた結果、彼女は狂気に走っていった。
 しかし、最後まで自分を捨てたのも同然の鋼焔を恨むことはなかった。

 
 二人は、ずっと一緒にいようと約束していた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 あれから一ヶ月の時が経った。
 連盟演習会場は『侵蝕領域』に汚染されたため、『特一級魔術汚染区域』に指定され出入り禁止となった。
 崋山国は、鬼堂家が当主になる前の姫川家を当主代理に据えて、連盟軍監視のもと国政を行い始めていた。
 天城鋼耀が恐れていた、他国の侵攻は未だ無い。
 一般客に混じっていた隣国の間諜に今回の件は漏れてしまっていたが、同時に鋼焔の情報も流出し、それが抑止力となっていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 一月という時間が経ち、色々と落ち着き始めたところで、鋼焔と沙耶は墓参りに来ていた。
 鋼焔は、つい最近まで彼女の母親が亡くなっていたことを知らなかった。
 あの件が起きる直前に亡くなっていたらしい。
 
 沙耶と二人で綺麗に草を抜き、墓石に水を掛け、蝋燭に火をつけ、線香を立てた。
 長い間、手を合わせながら、彼女のことを思い返していた。

 もう彼女の家族は誰もいない。ここに来る人間もほとんどいないのかもしれない。
 自分が彼女のことを忘れてしまったら、本当の孤独が彼女に訪れてしまうのではないかと思った。
 
 ゆっくりと立ち上がり、墓前を後にしようとする。
 
 すると、沙耶が、
「……もし、良かったらでいいんですけど、また今度、鬼堂さんとの昔の話でも私に聞かせてください」
 そう言った。
 
 
 鋼焔は、辛い表情だったが、力強く頷いて答えを返した。


 【第一章 完】




[29549] 二章 一話 潜伏先
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/02 23:20
 
 五年前。

 天城家本邸の道場で天城鋼焔と天城鋼耀の二人は向かい合っていた。

「―――それで、話とはなんだ」
 鋼耀は先ほどまで体を動かしていたのか、汗を拭いている。

 そして、鋼耀は息子が何について話に来ているかは、半ば分かった上で続きを促した。

「はい、……神宮寺のことです、鋼耀様、どうか、もう一度考えてはもらえないでしょうか」
 鋼焔は正座し、じっと父親を見ながら思い詰めた表情でそう言った。
 時刻はすでに九時を回り、窓からは月明かりだけが差し込んでいる。
 そして、薄暗い室内の中でもハッキリと分かるほど、鋼焔のまぶたは腫れていた。
 先ほどまで泣いていたのか、目も真っ赤になっている。

「……また、そのことか」
 鋼耀は呆れたように呟いた。
 こうして自身の息子に頼み込まれることが、彼是一週間も続いていた。

「鋼焔、お前にはまだ分からんのかもしれんが、俺には日鋼を治めている者としての立場というものがある、息子に頼まれたからと言って簡単に決定を覆すことはできないんだ」

「……お願いします」

「無理だ、分かってくれ」

「…………お願いします」

「……すまんが――」
「お願いします」
 繰り返し何度も同じことを言った後、土下座をした。
 鋼焔は父親が折れるまで何度でも、いつまでも、こうするつもりでいる。
 自分が子供の我が侭を言っているのは重々承知で。
 
「……はぁ、分かった分かった、仕方が無い奴だなおまえは、俺も鬼じゃない、お前がこの国に対して、それ相応の働きをしてくれるのなら考えんこともない」
 鋼耀はそうは言ったが、妥協案を提示するつもりは無い。
 息子ができない事を提案して諦めさせるつもりでいた。

「……なにをすればいいのですか!?」
 鋼焔は土下座していた顔を上げて、必死の形相で鋼耀に問うた。

「そうだな――情報を持ち出した者二十名全てとは言わん、三つの研究の根幹に関わっていた人間――黒田、赤羽、神宮寺、誰か一人でも良い、探し出してここに連れて来い。生死は問わん」
 鋼焔は、よく沙耶に連れられて魔術研究所に遊びに行っていた。
 鋼耀が名前を挙げた三人も、挙げなかった他の人間も全てが鋼焔に良くしてくれていた。
 忙しい父親よりも長い時間遊んでもらっていた。
 それを分かっていて、捕まえて来い、と。
 しかし、見つけることができたとしても必ず抵抗される、殺すか殺されるかしかないのだ。
 
「……本当にそれを果たせば、沙耶――神宮寺の件、考えて下さるのですか」
 条件を聞いて、鋼焔は複雑な表情になった。
 瞳に涙が溜まり始めている。

「ああ、嘘は言わんよ、神宮寺の娘の除籍は必ず取り消そう」
 沙耶は、彼女の父親たちが国を裏切って捨てたため、武鋼魔術軍事学校からは抹席され、住居も接収されることになっていた。
 母は亡くなり、彼女に資産は無いため、今後、戦争孤児と同様の扱いを受ける予定になっている。
 そして、そこで裏切り者の娘がどういう扱いを受けていくかは想像に難くない。

「……鋼耀様、ありがとうございます―――――では、さっそくですがお願いします」
 
 鋼焔は瞳から涙を零しながら、笑っていた。

「京」
 後ろに控えさせていた京を呼ぶ。

「ご、ごしゅじん、……うう」
 小さな少女が両手で大きな包みを持っていた。
 京は怯え、青い顔をしながら恐る恐るソレを運んでくる。
 鋼焔は自身の前に置かれたその包みを解いた。
 悲しくて泣きながら。
 嬉しくて笑いながら。


「―――っ、……お前」
 その包みから現れた物を見て鋼耀は瞠目した。
 木造の家屋にふさわしくない濁った悪臭が漂い始める。

「黒田響、赤羽奏、両名の首です」

「黒田は、神宮寺家の地下に隠してあった資料を回収しに来た所を待ち伏せ、殺害しました」

「赤羽は、黒田の護衛から合流場所を聞き出し同様に処理しました」

「他十五名と護衛に付いていた者十名、全て殺害。神宮寺信夜と残り二人の所在は分かりませんでしたが」

「―――これで文句はありませんよね、鋼耀様、約束は必ず守ってください」
 鋼焔の涙は止まらない。
 視界がずっと滲んでいる。
 声も震えていたが、強く鋼耀の目を睨み付けるようにしながら言い切った。

「……わかった、約束は守ろう。……だが、除籍を免れたとしても神宮寺の娘はどうなるかわからんぞ、お前はそれを分かっているのか」
 場所が変わるだけで沙耶は迫害の憂目にあうだろう。

 
 一瞬、鬼堂灯美華の顔が脳裡を掠めた。


「……神宮寺沙耶には天城の家に入ってもらいます、……自分がずっと傍にいます、それで誰にも文句は言わせません」

「……お前な、そういうことを勝手に決めるな、それに鬼堂の娘との縁談はどうするつもりだ」

「自分が、話を着けておきます」

「……はぁー、もう知らん、勝手にしろ」
 鋼耀は頭を掻きながら、道場を出て行こうとする。

「鋼耀様、ありがとうございました」
 出て行こうとするその背に礼の言葉を投げかけた。

「……まぁ、これだけ揃っていれば周りの人間は黙らせるには十分だろう、あいつらの研究結果はもとより、本人が他所の国であのふざけた研究を続ける方が危険だったろうからな、……お前はよくやったよ」
 そう言って今度こそ、鋼耀は出て行った。
 
 
 静寂が訪れる。


「……京、ごめんな、運ばせて」
 まだ涙を流しながら鋼焔が、ポツリと呟く。

「……京は大丈夫です。御主人の方が……」
 主の方を心配しながらも、京の顔は優れない。
 彼女は、この日初めて人が目の前で死ぬのを目の当たりにした。
 自分達が殺した。

「……もう寝ようか、それで明日、沙耶の意識が戻っていたら報告しに行こう」
 しかし、目に、脳に、その手に焼き付けた光景と感触が、眠ることを許してくれそうにはない。
 
「……はい」

 その夜、二人は一睡もできなかった。
 鋼焔はずっと泣いていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 連盟演習会から一月以上経ち、武鋼魔術軍事学校は日常を取り戻しつつあった。

 そして、天城鋼焔と火蔵明人は午前最後の講義、魔術史学概論を受けている。

「コウ、見ておけ、これがおれの秘策だ」
 そう言って、明人はシャーペンを鋼焔に見せ付けるように掲げた。
 
 今日、二人は美人講師の神速の板書速度に対抗するため、練りに練った作戦を互いに披露しようとしている。

「どっからどう見ても、なんの変哲もないシャーペンじゃないのかそれ」
 鋼焔は訝しげにそれを見た。

「かぁー、これだからコウは素人の域から抜け出せないんだよ、これはシャーペンなんて柔な物じゃねぇ、鉄でできてんだよ、鉄でな」
 そう言いながらシャーペンを折ろうと全力で力を入れている。
 鉄ペンは全くしならない。
 鋼焔に見せ付けた後、それを渡す。

「ちょ、これ重すぎだろ、これじゃ逆に書くの遅くならないか」
 細いシャーペンが二キロ近くあり鋼焔は衝撃を受けた。なんらかの魔術も付与しているようだ。
 これでは数分で手首が悲鳴をあげるだろう。

「ふふ、ふ、まぁ見ていろ、ここからだ、おれのリベンジが今、始まる」
 そう言って鋼焔から鉄ペンを受け取り、ノートに写しだす。

「……なっ、速い、明人の手が見えない!まさか、武神術を使っているのか!?そのためにシャーペンの耐久性を上げていたというのか!」
 鋼焔は棒読みで説明している。
 
 そして気が付く。

「明人、さっきから凄い勢いでノートが破けてる音がするんだけど」
 最初の数行は書けていたが、それ以降、鉄ペンがノートを彫り始めていた。

「…………………ふぅー」
 明人は急停止して溜息を吐き、鉄ペンを置いた。
 無事なのは右側だけで、左側のページ群は表紙に達するほど鉄ペンによる破壊の痕跡が深く刻まれていた。

「明人、おまえ、どうしてぶっつけ本番でやったんだ……練習してこいよ」
 明人の目は死んでいた。

「おれは今日、この日のために練習に練習を重ねて来た――お前とは違う、明人よ、恐れ戦くがいい」
 鋼焔は腕を組み、両目を瞑った。
 不敵に微笑んでいる。

「……見せてもらおうじゃないか、コウ」

「【Ark Urt Arl Tyn Idr Irx】」

 そして、鋼焔は『天下五剣』を詠唱した。

「なん……だと……、コウ、おまえまさか、……刀の先に鉛筆を付けて、五本同時に違う文章を書いていくつもりか!?」
 明人が棒読みで説明する。

「その通りだ、明人、そこでおれが書き終えるのを、指を咥えて待っているがいい」
 隣に座っている明人に高らかに宣言した鋼焔は、切っ先に鉛筆をくっ付けた五本の刀を動かし始め――たところで、

「天城くん」
 美人教師が板書の手を止めて鋼焔に声をかけた。

「はい、なんでしょうか」
 
 鋼焔が応えると美人教師は冷淡な笑顔になり、親指でクイっと廊下を指し示した。

「あ、はい」
 一転、目が虚ろになった鋼焔はトボトボと廊下に出て行く。

「コウ、アホだろ、講義中にそんな物騒なもん出すやつがどこにいる……」
 明人の悲しい呟きが、廊下に去っていく鋼焔の鼓膜を揺らしていた。
 

 それから数分後、講義終了の鐘が鳴り昼休みに入ろうとしていた。


「コウ、昼休みに話がある、今日は屋上についていくぜ」
「ああ、付いて来い、むしろ、こちらからお願いしたいぐらいだ」
 鋼焔はいつも沙耶、悠の三人で昼食をとっているため、明人とは別々だった。

「あー、……やっぱ駄目だ、教室で話をしよう、クレアさんも屋上にいるんだろう?」
「……ああ――そうだけど、……彼女に聞かせられない話なのか?」
「微妙なところだが、彼女の協力が必要になる話でもある」

 明人は一度大きく深呼吸した後、口を開く。

「神宮寺さんの父親、神宮寺信夜の手がかりを見つけた―――場所は」

「――インスマス王国ってことか」
 鋼焔が明人より先に答えた。

「ああ、インスマス王国の西大陸に近い『騎士領』で見つかったらしい」
 騎士領とは、インスマス王家が管理している領地だ。
 入るにはそれなりの手続きを踏まなければならない。

「目撃情報があったとか?」
 以前もそうだったが、沙耶の父親の目撃情報はどれも信憑性が低い。
 もしそうなら、わざわざ遠くまで行くのは馬鹿らしいと鋼焔は思ったが。

「いや、違う、死体が見つかったらしい――異常な量の爬虫類の死体だ、しかも目撃した次の日には全て処分されていたらしい」

「王家の騎士領に大量の爬虫類の死体、罠かと思うぐらいに不釣合いだな、しかも西大陸寄りか、本人の目撃情報なんかよりよっぽど信頼できそうだ」
 鋼焔は思い出す。
 神宮寺家の地下にあった、異形の爬虫類の亡骸の数々を。

 神宮寺信夜が行っていた研究は、魔術と遺伝子工学を組み合わせてこの地上に『龍』を兵器として蘇らせることだった。
 
 そして、彼は西大陸に留学し魔術遺伝子工学を学んでいた。
 研究情報を流そうとしている先も、西大陸ではないかと言われている。
 
「たしかに、怪しいけど、それだけじゃまだ騎士領に入れてもらうのを交渉するのには踏み切れないな……」
 鋼焔は、情報は嬉しかったが、苦い表情でそう返した。


「……まだある、これを言うとおれの頭が可哀想と思われそうだから言わなかったんだが、……三mぐらいのトカゲみたいな生き物が二足歩行していたらしい、……映画か何かの見過ぎだと言われてもおかしくはないだろ」
 明人もその情報を父親から聞いたとき、ボケてしまったのかと思った。

「一気に胡散臭くなった――、と、言いたいところだが、沙耶の家に残っていた研究資料にそんなものが載っていたな……」

「……コウ、どうする?」

「……行ってみよう、だが、その情報が本当ならインスマス王家が神宮寺信夜を匿っている可能性が高くないか」

「その可能性もある、だからクレアさんに話すのは慎重になった方がいい、そこはコウに任せる」

「……わかった、どちらにせよ、彼女の協力は必須だろうからな、少し考えとくわ」
 鋼焔は少し難しい顔になって唸った。

「へへ、じゃあ、おれも準備しとくぜ」
 
 明人は若干、旅行気分に浸れそうだと浮かれ始めていた。
 二人は分かれ、鋼焔は屋上に向かって行く。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
 その頃、屋上には三人の少女がいた。

 屋上のド真ん中に豪奢な絨毯を敷き、その上には神宮寺沙耶と天城悠が、
 その隣には、ハンカチをお尻に敷いて、クレア=インスマスが座っている。

「…………なぁ、なんで毎日毎日毎日、ドリルさんはここに来てるの」
 悠は凄い嫌そうな顔で、半眼になりクレアを睨みつけている。

「? ………ドリルってもしかして、わたくしの事ですか……?」
 その髪形からドリルと言われたクレアは、周囲を確認して、沙耶を見て、悠を見た後、自分を指差して首を傾げながら訊ねた。

「テメェ以外に誰がいるんだよ! そんな立派なドリル二個も装備しやがって」
 悠は、ここ最近、毎日のように屋上に来て一緒に食事をしている彼女にムカムカしている。
 ただでさえ、沙耶がいるせいで兄との会話が削られているのだ、もう一人追加など許容できるものではない。
 そして、嫌味が完全にスルーされてしまったことでヒートアップし始めている。

「悠さん、落ち着いてください。一応の一応ですが、悠さんは腐っても天城家の長女、外交問題に発展しますよ」
 沙耶は止めるつもりがあるのかないのか、火に油を注ぎながら嗜める。

「……一応でも腐っても無いわ、ババア!」

「まぁまぁ、ここは私に任せてください。……インスマスさん、本当にお礼のためだけに来ているんですよね」
 荒ぶる悠を受け流して、クレアの方に真剣な目を向けた。

「ええ、そうですわ。個人的なお礼と、命を助けて頂いたお礼です」
 鋼焔は傀儡術の礼ならともかく、命云々の方は自分に責任がある、と頑なに遠慮しているのだが。

 しかし、クレアはそんなの関係ありません、と毎日のように実家から送られてきている高級食材を携えて屋上に来ていた。

「別に、下心があるわけではないですよね?」
 沙耶は少し、探るような眼つきになり訊ねる。

「……それはどういった意味ですか?」
 
「コウさんに好意がある――いえ、恋愛感情を抱いているのではないかと言っているんです」
 沙耶は、まどろっこしい策は採らなかった、単刀直入に切り込んでいく。

「べ、別にそういうことはありませんわ、ただ、純粋にお礼がしたいだけです」
 いきなり、ストレートにそう聞かれたので頬を朱に染めながら答える。
 
「――そう、ですか、なら特に私からはなんの異存もありません、仲良く昼食を頂きましょう」
 沙耶は彼女の表情をじっくりと見て、たしかに恋愛感情ではなさそうだと判断した。
 それから、安心しましたと言わんばかりの満面の笑みになり昼食の用意を始めようとする。
 
 しかし、悠は、

「待て! あたしは異存ありまくりなんだよ、この女、絶対お兄ちゃんに色目を使いに来てるし! しかもここ最近ずっと餌付けしてるじゃん!」
 全く納得しておらず、一国の姫相手に失礼な言葉を吐きまくる。

「……こ、この女? 餌付け? ……少々言葉が過ぎるのではないですか? いくら天城様の妹君とはいえ―――」
 クレアは額に青筋を立てて、礼儀のなっていない年下の少女に説教しようとするが。

「まぁまぁ、お二人とも落ち着いてください。――そうです、まだ自己紹介もしていませんでしたし、仲良くなるための第一歩を進めていきましょう」
 沙耶は、二人の間に流れる空気を無視して、笑顔で場を仕切り始めた。

「では早速、私から、神宮寺沙耶です、所属は神聖術課、―――コウさんの婚約者です」
 最後のところを強調して言った、と同時に、クレアの表情を伺う。
 沙耶はまだ探りを入れるのをやめてはいない。

「……婚約者、だったんですか、わたくし『護衛』か何かだと思っていました」
 不意を突かれたクレアは、沙耶の判断を迷わせるような複雑な表情で語ったが、さきほどから探りを入れられているのに気が付いたのか『護衛』のところを強調してやり返した。

「……それに神聖術士だったんですね、刀をお持ちになられていましたから、てっきり武神術士だと思っていました」
 クレアは本当に珍しいと思ったのか、表情を変え、以前の一戦のことを思い返していた。

「よく間違えられます、日鋼人の、しかも刀を持った神聖術士なんて私ぐらいでしょうから、じゃあ、次はインスマスさんお願いします」

「は、はい、クレア=インスマスですわ、魔法陣課に所属しています、最近は生け花を嗜んでおります」

「じゃあ、一応、悠さんもしときます?」
 沙耶は、どうでもよさそうに髪の毛をいじりながら悠に話を振る。

「――ふん、天城悠、死霊術課、好きな人はお兄ちゃん、嫌いな人は『おまえ』と『こいつ』」
 おまえ、と言ってクレアを、こいつ、と言って沙耶を指差した。

「悠さん、本当にやめてください、外交問題になります」
 沙耶はその無礼な悠の人差し指を掴まえて、曲がってはいけない方向に曲げ始める。

「イタッイタタタタッやめやめぇ、お、おれちゃうぅおれちゃうううぅ」

「……はぁ、神宮寺さん放してあげてください、『子供』の言うことです、別になんと言われてもわたくし気にしませんし、その程度で問題にはしませんから」
 クレアは呆れたように深々と溜息を吐いた。
 
 『子供』と言われた悠は、痛がりながらもクレアに鋭い眼光を飛ばしていた。

「そうですか? インスマスさんが良いというなら放しますけど……」
 沙耶はまだまだわかっていませんね、という表情でクレアの寛大な措置に従った。

「……ッイテテ、ほんっと年増垂れ乳女は無茶苦茶するな、それに比べてこっちの『メス豚クソドリル』は話しがわかりそうじゃん、よろしくね」
 悠は、曲げられていた指の安否を確認したあと、嫌らしい笑顔になりクレアに向かって握手を求める。
 
 クレアは一瞬、頬がヒクッとなったが、握手を求めるその手を取った。

「――ええ、よろしくお願い致しますわ」
 と、言った瞬間、彼女は神聖術で握手している右手の力を限界まで引き上げた。

「――――っふぎゃぁぁあああぁあああああああああ」

 メキャメキャっという、何かが砕けそうな音と、悠の叫び声が屋上に響き続けていた。



[29549] 二章 二話 出発
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/05 02:01
 
 屋上では鋼焔が到着し、四人揃っての昼食が開始されていた。
 日差しは強く、日鋼に夏の到来がもうすぐ迫っているのを予感させられる。

「天城様、今日も母から送られてきたものなのですが、いかがですか?」
 そう言って、クレアは大きめのバッグから品の良さそうな包みを取り出す。
 包みを解いて現れた重箱の中には、高そうな牛肉に始まり、日鋼の人間に気を遣っているのか、魚の刺身や、天ぷら、大きめの海老もある、そのどれもが高いと分かる見た目をしていた。
 さらには、フカヒレ、キャビアなど、鋼焔が初めて目にする食材も混じっている。
 初日には、フォワグラとトリフュが入っていたので、恐ろしい事に鋼焔たちはここ数日だけで三大珍味を頂いてしまったことになる。

「はい、ですが、本当にこんな豪華な物を、毎日のように頂いてしまってもいいんですかね」
 鋼焔は高級品に若干遠慮をしているが、それ以上に、これって――国民の血税から捻出されているのでは? ということを一番気にしているのだが、恐ろしくて直接的に訊くことはできないでいた。

「大丈夫ですよ、どちらにせよ、わたくし一人では食べきれませんから……」
 彼女に鋼焔の心配は伝わっていない。
 鋼焔も初日は食材に驚き嬉しく思いながら夢中で食べていたのだが、四日ほど続いた時に、これがいつまでも続くとなると、インスマスの王族が国民によってギロチンにかけられるのではないか、と冷や汗をかきながら食事をしているのだ。
 以前の『アイギス』の件も含めて考えるとインスマス王家は相当に浪費家だと推察できる。
 彼らの首が飛ぶ日は案外近いのかもしれない……、と鋼焔は怯えていた。

「そうだよ、お兄ちゃん遠慮なくもらっちゃ……ひぃっ」
 兄の心配をよそに悠は高い物が食べられて嬉しい! と、箸を高級食材に伸ばしながら目を輝かせている。
 しかし、その寸前でクレアから鋭い眼が飛ばされた。
 悠は、握手の件がトラウマになっているのか、小さく悲鳴を上げながら箸の軌道を捻じ曲げ、沙耶のお弁当に突っ込ませた。

「それもそうですね、では遠慮なく頂きます」
 鋼焔は、怯える妹が気にかかったが、二人の言うことは尤もだと思ったので、余計な心配事を今は忘れて楽しむことにした。
 
 それに、彼女たちが自分の異常な力を目の当たりにした後でも変わらず接してくれていることが嬉しかった。
 もしかしたら、妹もクレアにも少し距離を置かれるかもしれないと、覚悟はしていたのだが杞憂だったらしい。
 彼女が、毎日のように来てくれているのはその当たりを気遣ってくれているのかもしれない、と鋼焔はありがたく思っていた。

「はい、どうぞ召し上がってください」
 クレアが鋼焔に慈愛に満ちた笑顔を向けた後、食事は開始された。

「ムっー………」
 それを見ていた悠は、やはりこの女は色目を使いに来ていると確信するのと、あたしもそれ食べたい! と思いながら歯がゆい表情になっていた。


 そして、鋼焔は、食事をしながら先ほど明人がくれた情報を吟味していた。
 
 この五年間、目撃情報以外のそれらしいものは皆無だった。この機会を逃す手はないと思われる。
 もしかすると『罠』の可能性もあるかもしれないが、それ相応の準備と覚悟は整えているつもりだった。
 
 しかし、場所が『騎士領』となると、速やかに事を進めることは難しい。
 『騎士領』には外部からの魔術的移動手段に対する強力な結界が張り巡らされているため、長距離空間跳躍で進入することはできない。
 徒歩でこっそり忍び込む方法もあるにはあるが、鋼焔は隠密のプロではない、もし『騎士領』に不法侵入していることがバレれば、外交問題は必至だろう。
 
 例え、インスマス王家が神宮寺信夜に加担していたとしても、正直に話して承諾を得る以外の手段はないように思える。
 クレアに話をして、彼女が情報を流し、神宮寺信夜がさらに逃亡する公算は高いがそれならそれで『騎士領』以外の場所に移る可能性もある。
 研究も一時中断せざるを得ないだろうから、メリットは無いわけではないのだ。

 それに、なにより―――

「クレア様、少々お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですか」
 食事をしながら、考えが纏まった鋼焔は決断した。

「? なんでしょう、答えられることならお答えしますが……」
 彼女は鋼焔の真剣な声音に居住まいを正し、箸を置いた。

「ええ、それで十分です、とある人物について訊きたいんですが」
 
「……とある人物……ですか?」

「はい―――神宮寺信夜、という男をインスマス王家で匿ってはいませんか?」
 鋼焔は包み隠さず切り込んでいく―――男の名を知っているものが聞けばかなりの失言であるはずだが。

「コ、コウさん!?」
 いきなり食事中に、父親の名前を出された沙耶は吃驚した。
 しかも、インスマス王家が匿っているなどとは、寝耳に水だ。

「……いいえ、そのような話し、聞いたことはありません、もしかして神宮寺さんの親族の方ですか?」
 彼女は、何の話なのか全く理解できておらず、隣にいる少女を一度見た後、首を傾げている。

「……はい、私の実の父です。同盟国内で指名手配されているんですが、五年以上行方が全く分かっていないんです」
 少し平静を取り戻した沙耶は、淡々と父親について語り聞かせる。

「―――なっ、天城様、わたくしの家が犯罪者を隠し立てしていると思われているのですか!? 心外ですわっ!」
 それを聞いたクレアは目を剥いた。
 柳眉を逆立て、不機嫌さを隠そうともせず、鋼焔を睨みつけ一気に捲くし立てた。

「下手に誤魔化すよりは、ハッキリと言っておきたかったので、気分を害すようなことを言ってしまい申し訳ありません」
 鋼焔は真剣な目で彼女に視線を返しながら、謝罪した。

「ですから、正直に言います、インスマス王家もしくは、それに近い誰かが相当に怪しいと思っています」
 そして、先ほどより言葉と眼に力を籠め、表情を硬くして、自身が今考えていることを包み隠さずそのままぶつける。

「……そう、ですか。ところで神宮寺さんのお父様がなぜうちの国にいると思われたんですか?」
 鋼焔の明け透けな物言いと、その表情に少し気圧されたクレアは、少し怒りが収まったのか、当然の疑問が浮かび上がってきた。

「日鋼の諜報機関からの情報なんですが、インスマスの騎士領で目撃情報があったんです」
 鋼焔は、あなたの国にスパイを送り込んでいますよ、と更なる失言を繰り返す。

「コウさん、私、そんな話聞いていません!」
 沙耶はそれを聞いて珍しく鋼焔に対して不満を口にした。
 父親の情報を鋼焔は常に、いの一番に自分に教えてくれていたのだ。
 それが、今回はクレアも悠も同席している。
 だから、二人の絆が軽く扱われている気がして不安になってしまった。
 
 鋼焔を上目遣いに睨みつけ、若干頬を膨らまして不満です! と、訴える。

「今さっき聞いてきたばかりなんだ、すまん」

「…………ううう、わかりました、……クレアさん、話の腰を折ってしまってすいません」
 軽くだが、真摯な態度で謝罪され、沙耶は不承不承と少し悲しそうにしながら引き下がった。

「いいえ、それで今の情報をわたくしに話した、と言う事は――」

「ええ、協力してほしいのですが、お願いできますか」
 鋼焔は話しが早くて助かると、次の段階へと進めていく。

「……はい、もちろんです、王家が疑われているのですから、出来る限りのことはさせて頂きます、……それに天城様には借りがありますから」
 クレアは、濡れ衣を晴らしたいという気持ちと、鋼焔には恩義を感じているので快く承諾した。

「ありがとうございます」

「……ですが天城様、正直に話しすぎです、わたくしはこれでもインスマス家の者なのですから、騎士領に諜報機関ですとか……そういう話は伏せてください、どのように反応すればいいのか困ってしまいます……それに、もし、わたくしが神宮寺さんのお父様を匿っていることに関与していたら、どうなさるおつもりだったんですか……」
 鋼焔の真っ直ぐすぎる発言に、少し呆れたような表情でそう零した。

「……すいません、それでもクレア様とは正々堂々と付き合いたいと思ったので」
――なにより鋼焔は、彼女に対して卑怯な手段を取りたくはなかった。
 選抜戦の時に正面からぶつかって来た彼女に対して、これ以上不義理なことはしたくないと思っていた。

「そ、そ、そうですか」
 鋼焔の素直な物言いに、一瞬で耳まで真っ赤になったクレアは言葉も震えていた。

「「ぐぬぬッ……」」
 それを見ていた二人は、唇を噛みながら凄まじい眼光でクレアをねめつけていた。

「それで、早速なんですがクレア様の実家に同行させてもらえませんか? ―――無礼な行為だとは分かっているのですが、――おれたちのことは一切知らせずにクレアさんが一人で実家に帰るところに付いていきたいのですが……構いませんか?」

「……必要なことなのでしたら仰せの通りにいたしますわ、……ですが母は歓待したいと思っているでしょうから残念がられるかと思います」

「……すいません、色々とご迷惑をおかけします、また人数と日程はこちらから連絡させてもらいますね」

「わかりました、わたくしも精一杯のことはやってみせます」
 クレアは胸に手を寄せ、迷い無く宣言する。

「ところでお兄ちゃん、あたしも連れて行ってくれるよね?」
 なんだか蚊帳の外に居る心地になった悠が、少し不機嫌そうに言った。

「ああ、悠、明人、古賀さんあたりに、付いて来て貰おうかと思ってる」

「そっかー、お兄ちゃんと遠出するの初めてかも」
 一転、嬉しそうな顔になり、これから先の予定に思いを馳せる。
 鋼焔も沙耶も遊び気分ではないのだが、悠と明人は完全に観光気分になっている。

「悠さん、私は二回ほどコウさんと旅行したことがありますよ」
 沙耶は、悠に向かって指二本立てながら得意げな顔をしている。

「沙耶さん、そんなこと聞いてないよ」
 そんな彼女に対して、悠は中指を一本立てて冷たくあしらった。

「ま、まぁまぁ、昼食の続きにしよう、箸が止まってるし、そういう話は家に帰ってからな」
 これ以上、話しが逸れると嫌な雰囲気になると判断した鋼焔は、食事の再開を皆に促す。
 
 思っていたよりも早く出立の日は近づこうとしていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「悠、ハブラシは持ったか? 替えの靴下は? パンツも忘れてないか?」

「お、お兄ちゃん、朝から何度もしつこいよ! ちゃんと揃ってるから大丈夫だよ!」
 人の往来の激しい場所で、兄にパンツのことを聞かれて悠は真っ赤になった。

 鋼焔と沙耶と悠の三人は、魔術学校から最寄の転送装置のターミナルで残り三名を待っていた。
 鋼焔たちは、魔術学校の方には、非公式の課外活動として申請していた。
 鋼焔がマークされている可能性はほぼ無いだろうが、インスマス側の間諜に今回のことを悟られないよう念には念を入れている。

 そして、本日、他の者と合流次第、インスマス王国へ出発する予定になっている。

「それにしても、早く来過ぎましたね、困っている悠さんを見るのは楽しいですけど」
 鋼焔たちは予定の時間より二十分以上早く着いていた、そろそろ他の三名も到着するだろう時間にはなっているが。

「こっちから頼みこんどいて、遅刻しましたはシャレにならないからな、こんなもんじゃないか?」

「それもそうですね」

「お、鋼焔くんおったおった、娘がついてきたい言うて、中々離してもらえんかったんよ、ごめんなぁ」
 集合時間の数分前に、古賀が現れた、少し急いできたのか息が上がっている。

「いえ、こちらの我が侭で付いて来てもらうんですから、全然気にしませんよ――ところで娘さんは?」
 鋼焔は、一人ぐらい大人に付いて来て貰おう、ということで古賀に連絡をとっていた。
 そして、古賀が仕事でインスマス国にも行った事があると聞いていたので、何かあった場合にも頼りになる。
 
「いや、おらんけど……」
 古賀は何か、背筋に寒気を感じた。

「そう、ですか」

「……鋼焔くん、そのネタ好きやなほんま、ははは」
「ははは」
 二人の乾いた笑い声がターミナルに響く。

「皆様、お待たせ致しました、それでは……あら、火蔵様はまだ来ていらっしゃらないのですか」
 集合時間丁度にクレアが到着した、なぜか実家に帰るはずの彼女の荷物が一番多い。

「……クレア様、その荷物、いったいどうしたんですか?」
 鋼焔は、はち切れんばかりに詰まったクレアの荷物を指差して訊ねる。

「これですか? 実は、わたくしのお母様達や妹達が日鋼の名産品が好きなので、お土産を大量に詰めていますの」
 鋼焔は、そういえば以前、沙耶にクレアの家族は母親が何人も居て、姉妹が何人もいる、と聞いたのを思い出した。

 それから数分後、

「おう、みんなスマンスマン、昨日なかなか眠れなくて寝坊してしまった」
 五分ほど遅刻した明人が到着して、全員が集合した。
 明人は恐ろしいほど身軽なのか、小さい鞄一つしか持っていない。

「よし、それじゃ、行きましょうか、四十一番です」
 そして、鋼焔は全員に声をかけ移動し始める。
 
 四十一番とは転送装置の番号だ。
 
 大小様々な転送装置があるなかで、数名用の小型の物に鋼焔達はドアを開けて入る。

 中は四角い空間になっており、ドアの横に数字の番号と『転送開始』と書かれたデカイボタンが付いている。

 鋼焔は、クレアの実家から一番近いカナン地区の番号『499』を入力してデカイボタンを押した。

 日鋼からインスマス国のカナン地区までは二千キロ近く離れているが、


 一瞬で転送が終わる。


 ドアを開くと先ほどまでの光景と一変していた。
 まず、周りに居る人間のほとんどがクレアのように綺麗な金髪をしているものが多い。
 鋼焔たちのように黒髪の人間も混じってはいるが、西大陸の人間も多く出入りしており、同盟国の中でも飛びぬけて外国といった雰囲気を醸し出している。

「うーん、ほんまここ来ると、ええとこきたなぁって気分になるなぁ、綺麗なおねーちゃん多いし」
 古賀が周囲を見渡しながら、妻帯者にあるまじき発言をする。

「ゲンさん、おれ、奥さんに言いつけますよ」
 そんな古賀を横目に見て、明人は冷淡に突っ込みを入れた。

「冗談、冗談やって……ああ! みんな待ってやぁ」
 女性陣が、そんな古賀を無視してターミナルの外に向かって歩きだしていた。

「古賀さん急ぎましょう、そんなこと言ってたら置いてかれます」
 男性陣も遅れて、その後ろについてターミナルを出ていった。

 
 
 鋼焔はインスマス王国に来るのは初めてだった。
 
 外に広がっている光景は日鋼人にとってはどれも鮮明に映りそうに見えた。
 今でも建物の多くが木造の日鋼と異なり、その多くが石造りで、屋根に瓦が無い。
 色もパステルカラーの物が立ち並んでいたりと目を引かれる。
 そして、日鋼と違い、魔術によって発生させた電力を通す電柱が一本も立っていなかった。
 鋼焔が事前に調べておいた情報によると、景観を壊さないために、全て地下に格納されているらしい。
 
 さらに、周りを見渡しながら歩いている鋼焔は、あることに気が付いた。

「クレア様、ここらへんゴミが一つも落ちていないのですが、どうなってるんですか?」
 周りを見た感じ、紙クズ、タバコの吸殻一つ落ちていないのだ、路上のタイルにもガムの一つも落ちていない。

「ゴミですか? カナン地区は路上にゴミを捨てると罰金なのです、初犯でも五百ゴルドほど取られるので皆さんも気をつけてくださいませ」

「……本当ですか、それ」
 一ゴルド=日鋼の円に直すと約五万円なので相当だった。
 しかも、鋼焔が事前に調べた情報には載っていなかったことを鑑みると、外国から来た人間は罰金払いまくりなのでは、と恐ろしくなった。
 鋼焔は、ますますインスマス王の首が飛ばないか心配になってきていた。

 そして、しばらく歩いていると不意に、悠が鋼焔の袖を掴み、

「お、お兄ちゃん、あれ見てあれ!」
 そう言って、道沿いの店舗を指差した。
「どれどれ、―――えっ、なんだあの店!?」
 鋼焔はその店舗の名前を見て度肝を抜かれた。掲げられている看板には、

 『伝説の武器・防具屋』

 と、大きく描かれていた。
 しかも、それらしい雰囲気がある。数百年前の建物をそのまま使っているようだ。

 さらに、

 『エクスカリバー始めました』

 という、のぼりが立っており、鋼焔は目を擦った後、もう一度見たがそれは消えてくれなかった。

「……クレア様、あれはなんなんですか?」
 唯一人、答えてくれそうな彼女に訊いてみる。

「どれですか? ああ、あれはわたくしの母が経営しているお店です、主にレプリカを扱っているんですのよ」
 鋼焔はそれを聞いて納得した、そして、クレアの父親は自分の奥さんから『アイギス』を買っていたのだと思い至る。
 つまり、インスマス王家の異常な財力はあそこから来ていたのだと判明した。


「天城様、もし興味がおありでしたら、後で時間がある時にお店に寄って頂けませんか?」

「ええ、是非ともお願いします」
 鋼焔は鋼の適性が高いだけあってレプリカであろうと高品質の武器などには目が無い。
 だが、今すぐに入りたいという衝動を抑えてクレアの家への道を行く。

 

 店舗を通り過ぎ、数分歩くと、周りの建物も減り始めクレアの実家が見えてきた。
 かなり遠いはずなのに、そこそこ大きく見える。

 数分歩いても、辿りつかない、しかもどんどんクレアの実家が大きくなっていく。

「……おかしいなぁ、ぼく、また遠近感狂ってる気がするわ」
「……古賀さん、おれもなんかおかしいです、写真でちゃんと見てきたんですけどね」
「……ゲンさん、おれもなんか歩いても歩いても辿りつかないっす」
 三人とも変な汗をかき始めていた。

「実物を見るのは初めてですが、本当に御伽噺に出てきそうな建物ですね」
「なぁ、ババア、……もしかして天城家ってしょぼかったの?」
「いいえ、あれが例外なだけです、コウさんの家をしょぼいとか言うのは止めてください」
 沙耶は、クレアの実家を指差しながら、自分たちの家を愚弄する悠を諌めた。


 そして、やっとのことでクレアの実家の正面の門にたどり着いた一同は、その建物を見上げながら、

「「「デカッ!!」」」

 と、クレアと沙耶を除いた面々が叫びをあげた。


 正面には、巨大な城がそびえ建っていた。



[29549] 二章 三話 名探偵?
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/07 02:21
 鋼焔たちが、正門を潜ると辺り一面にどこまでも緑が広がっていた。
 城内への扉へは、まだまだ遠い。
 庭園には、誰かの趣味なのか、植木が綺麗に刈り込まれてトピアリー―――ウサギや熊のぬいぐるみの形にされている。
 中央には噴水があり、大きいライオンの彫刻の口から、水が空に向かって噴き出していた。


 鋼焔は、歩きながら隣の古賀に囁くように声をかける。
「古賀さん、ちょっといいですか」

「ん、なんや鋼焔くん」
 振り返った古賀に耳打ちして、鋼焔はある頼みごとをする。

「………おっけー、わかった、それぐらいはやっといた方がええやろなぁ」
 その内容を聞いた古賀は、何度か、うんうんと頷きながら納得し了承していた。


 しばらく、庭園を歩き、やっとのことで城内への扉へと辿り着くと、すでに巨大な鉄の扉はギギギと音をたてながら開き始めていた。

「「「「クレア様、お帰りなさいませ」」」」
 完全に開いた扉の中には、クレアの帰宅を待っていたのだろう、エプロンドレスを着た数十名の侍従が深く頭を下げて一斉に挨拶をした。

「メ、メイドさんがいっぱいだ……」
 悠は、やっぱり天城家は負けている! とショックを受ける。

「……クレア様、此方の皆様は、御学友でいらっしゃいますか?」
 一番手前に立っていた二人の女性の内、他の侍従とは少し異なるデザインのエプロンドレスを着た女性が、クレアの後ろにいる鋼焔達に気がついて訊ねた。

「ええ、ただいま、グロリア、彼らは同じ魔術学校の仲間です」
「突然なのですけど、実家に招待したくなってしまって、此度の帰省にご一緒して頂きました」
 クレアは、鋼焔との打ち合わせ通り、実家にはなにも知らせず鋼焔達を連れて来ていた。
 しかし、考えていた言い訳は強引で、少しぎこちない説明になってしまっている。

「そうでございますか、――申し遅れました、インスマス王家の侍従長、グロリアと申します。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。皆様方が滞在なされている間、誠心誠意尽くさせて頂きます」
 グロリアは、何らかの事情は察したが、主の娘と、その客に対して突っ込んだ話を聞くわけにもいかず、すぐに思考を切り替え、礼儀正しく挨拶をした。

「初めまして、王の秘書官を務めさせて頂いております、アリアと申します」
 そして、一番手前に立っていたもう一人の女性、スーツスカートを着た――アリアが鋼焔達に向かって挨拶をする。



「…………初めまして、天城です、短い間になるかと思いますが、よろしくお願いします」

 鋼焔は彼女――アリアを見た瞬間、生まれて此の方感じたことの無い、奇妙な感覚に襲われた。
 
 眠っていた本能が無理矢理目覚めさせられるようだった――目が血走り、耳は冴え、手に少し汗をかく。
 
 だが、それも一瞬のことで、すぐに平静を取り戻した鋼焔は挨拶を返し、アリアの全身を観察し始める。

「あの、いかがなされましたか?」
 アリアは、そんな鋼焔のなめ回すような視線をものともせず、落ち着いた様子で鋼焔に問いかける。

「お、お兄ちゃん見過ぎだよ!」
「コ、コウさん……」
「……天城様」
 しかし、女性陣には、鋼焔がアリアの体を性的な目的でなめ回すように見ているようにしか映っていない。
 
 なぜなら、アリアのスタイルは抜群で、胸は沙耶以上の大きさを誇っている、Bの数字が恐らく三桁に届いているのだろう、そんな鋼焔の様子を見て、沙耶は瞳を潤ませ、悠は牛が増えたと嘆き、クレアは白い目で見ていた。

「天城くん、男すぎるやろ……」
「コウ、アホか!」
 古賀は、そんな鋼焔を勇者と認め、明人は鋭いツッコミを入れた。

「すいません、失礼致しました」
 鋼焔は、周りの声が全く聞こえていなかったのかアリアの全身をじっくりと確認したあと、僅かに鋭い眼差しをしながら返事をした。

「……それでは、お部屋の方にご案内させていただきますね」
 一部始終を見守っていたグロリアが、少し苦笑いしながら皆に声をかける。
 
 

 城内に入ると、三つも四つも階段があるホールになっており、中央正面には恐らくインスマス王と思われる油絵が飾ってあった。
 天井にはシャンデリアが飾ってある。
 床には高級そうな赤い絨毯がどこまでも敷かれていた。

「客間へは、一階の転送装置から二階へ行って頂くことになります」

「へぇー、クレアさんのお家って転送装置まであるんだ、すごーい」
 悠は、ますます天城家と差をつけられていく状況の中で、これは無駄遣いしすぎじゃねーのかよ、と視線に籠めて彼女に向けて感想を漏らす。

「小型の物ですが……、ですけど、無かったら物凄く不便なのですよ、五階まで行くのに十分近くかかりますし」
 クレアは少したじろぎながらも正当な言い訳を口にする。

「――それではこちらになります、一人一部屋御用意させて頂きましたので、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
 転送装置で二階に着くと、左右にいくつもの部屋があり、まるでホテルのようになっていた。

「あ、天城様」
 さきほどまで、侍従から何らかの連絡を受けていたアリアが声をかける。

「「はい?」」
 天城と呼ばれた鋼焔と悠が同時に振り返った。

「すいません、鋼焔様の方でございます―――インスマス王が是非とも面会したいと仰せられていますので、謁見の間にいらしてくださいませんか?」
 アリアは詫びた後、鋼焔に向かってそう言った。

「了解しました―――じゃあおれはインスマス王に謁見してくるから、悠たちは部屋に荷物いれといてくれ」
 鋼焔はそう言い残して、侍従と共に王の所を目指して歩いていく。

「天城様、わたくしは着替えてから伺いますので先に行っておいてくださいませ」
 そして、クレアから、声をかけられ振り向き頷き返した。

「うん、わかったよー」
「では、コウさんの荷物は、私が開けておきますね」
 沙耶と悠は我先にと、鋼焔の荷物を奪い合い始めていた。



 鋼焔が去ったあと、

「ありがとう、グロリア、急だったのにごめんなさいね」
 クレアは、この短時間――鋼焔達が部屋に着く前までに、全ての部屋のベッドメイクなどの準備を済ます命令を影ながら下していた侍従長の労を労った

「いいえ、クレア様が初めて殿方を御招待されたのですから、グロリアにはこれ以上喜ばしいことはございません!」
 グロリアは、両頬を手の平で押さえ、夢見心地な瞳になり、クレアの将来に思いを馳せていた。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとグロリア、何を言っていますの! そ、そこの御二人、笑わないでくださいま―――ひっ……」
 クレアは一瞬で紅潮し、ニヤついている男性陣二名に突っ込んだ後、怨念のような気配を感じて青ざめ、か細い悲鳴をあげた。

 怨念――沙耶と悠が、鋼焔の部屋の扉の隙間から、凍えるような視線をクレアに向けていた。
 二人は、やはり、この女は油断してはいけないと再確認する。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「入ってくれ」
 鋼焔が謁見の間の扉の前に着き、侍従が扉を鳴らすと、中から低く明瞭な深みのある声が聞こえてきた。


「はい―――お初にお目にかかります、日鋼が当主、天城鋼耀の長男、天城鋼焔と申します」
 鋼焔が扉を開くと、短髪に髭をたくわえた渋い中年の男性と、その奥さん――クレアによく似ている女性が豪奢な椅子に座っていた、恐らく母親なのだろうが……どう見ても十代後半から二十代前半にしか思えない。
 
 ―――魔力が高い女性は見た目を若く保つことができる、クレアの母は正にその良い例だった。

 そして、その二人の前で鋼焔は片膝を着き、丁寧に挨拶をする。
 
「いやいや、顔を上げてくれ、そんなに畏まられては困る、一月前の一件、先ほど妃から聞いた、娘が生きているのは君のおかげだ、心から礼を言わせて貰おう、ありがとう」
 インスマス王は、膝を着いている鋼焔を見て焦ったようにそう述べた後、本当に心の底からそう思っているのだろう、真摯に感謝の言葉を言い表した。
 
「いえ、ですが……」
 あの一件は、鋼焔に責任が無いわけではない、だから心苦しく思うのだが。

「君の事情も分かっている、それも先ほど妃から聞いたが、それでも助けてくれたのは君だよ、ありがとう」
 となりで、クレアの母だろうと思われる人が優しい表情で鋼焔を見守っていた。

「―――わかりました」
 鋼焔は恐縮しながらも、感謝の言葉を受け入れた。
 これ以上遠慮するのは、逆に失礼にあたるだろう。
 なにより、王の言葉は心に染み入るように力強く、誠意があり、優しかった。
 父、鋼耀もそうだが、やはり人の上に立つ人間というのはどこか声そのものに不思議な力でもあるのではないかと、鋼焔は思った。
 
 そして、ここに来るまで、インスマス王に対して阿呆な想像をしていたことを恥じた。

「うむ、それでいい――しかし、クレアはどうして私にその事を一月も黙っていたのか……、もう少し早く言ってくれれば天城殿を国賓として招いていたのだが、まぁ今更仕方がないか……」
 インスマス王は、少し悔しそうな表情になり、残念がっていた。
 国賓と聞こえた鋼焔は、それこそ恐縮の至りだろうと苦笑いせざるを得なかった。

「お父様、お母様、ただいま戻りました」
 しばらく、鋼焔と王が会話していると、艶やかな赤いドレスをその身に纏ったクレアが現れた。
 ドレスは背中がぱっくりと開いて、黒いフリルが施されている。
 真っ赤なそれは、クレアの金髪と相まって、より一層彼女の魅力を引き立たせていた。

「おかえりなさい、クレア」
「お母様」
 クレアと彼女の母は再会を喜び、互いに抱きしめあう。
 
 それを見ている王の様子が、少しおかしくなっていることに鋼焔は気が付いたが、気のせいだと思った。



「クッレアちゅわぁ~ん、パパにも! パパにもギューってしてぇ、ギューってぇッ!」
 
 気のせいではなかった、鋼焔が先ほどまで王に感じていた威厳とかカリスマと言われるものが音を立てて崩れ去っていく。

「嫌です」
 クレアは、そんな父に対して絶対零度の視線を返す。

「しょ、しょんなー……、パパのこと嫌い? 嫌い??」
 王が、泣きそうになっていた。
 鋼焔も、なんとなく泣きたくなってきた。

「――お父様、少しの間黙っておいて頂けますか」
 クレアに氷河期が訪れている。

「……ぅうう、ふぁい……わかりましたぁ……」
 そして、鋼焔は、クレアが男嫌いだったことを思い出した―――間違いなくその原因は父親にありそうだと思い至る。

「……お母様、今日は突然、天城様を招待してしまい申し訳ありません、以前から準備をして歓迎したいとおっしゃられていましたのに」

「いいえ、別にいいのです、今からでも相応の準備をすればいいだけのことですから」
 王は、いじけてしまったのか、下を向いて絨毯の刺繍をいじっている。
 二人はそんな王を無視して話し始めている。
 鋼焔は呆然となって立ち尽くしていた。

「それも、そうですね、――それと、天城様の方からもお話があるのですが」

「――あ、は、はい、いきなり不躾なお願いで申し訳ないのですが、『騎士領』への立ち入りの許可を頂きたいのですが」
 クレアに話を振られて、意識を現世になんとか帰還させた鋼焔が、ここへ来た目的を思い出す。

「『騎士領』ですか……、今は長女のフローラと、秘書官のアリアが管理していますので、フローラが戻り次第、すぐにでも許可が下りるよう話を通しておきます」

「突然の申し出にも関わらず、ありがとうございます」

「いいえ、気にしないでください、娘を助けていただいた礼だと思ってください」

「……はい」
 クレアの母から優しい言葉をかけられ、再び恐縮し、あっさりと目的を果たせそうだと安堵した。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 クレアと別れて自室に戻ってくると、沙耶が鋼焔の荷物を整理していた。
「コウさん、どうでしたか?」
 
「ああ、問題は無さそうだった、クレア様のお姉様が帰ってこられたらすぐにでも行けそうかな」

「そう、ですか」
 沙耶は、もうすぐ訪れるかもしれない父との対面に、何か思うところがあるのだろう、少し思案顔になる。

「あ、それと、インスマス王はどんな方でしたか? 稀代の女たらしで親馬鹿という噂があったんですが」
 しかし、一転して、楽しそうな顔になり、鋼焔が今一番聞いてほしくないことを訊ねてきた。

「……さ、沙耶言い過ぎだろう、おれはなにも見たくなかった」
 鋼焔は、あんな現実を認めたくはない。

「……コウさんのその動揺の仕方をみると、何を見てきたのか、私、気になります」
 沙耶は、すでに鋼焔の表情からある程度察しているが、以前からの噂を、鋼焔の口から聞きたそうにしている。

「……この話しはもう止めておこう、ちょっとクレア様に話があるから行って来る」
 鋼焔は、やっておかなければならないことを思い出し、そう言った後、逃げるように部屋を出て行く。

「はい、いってらっしゃいませ」

「悠さん」
 沙耶は、誰もいなくなった部屋で悠を呼ぶ。

「ババア、行くのか」
 すると、ベッドからガバッと悠が現れ返事をした。

「はい」
「よし」
 二人は互いの腕同士をガシっとクロスさせて頷くと、鋼焔を追跡し始めた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「クレア様、少々お時間よろしいですか?」
 クレアの部屋の前に着いた鋼焔は、扉をノックして返事を待つ。

「どうぞ、お入りになってくださいませ」
 クレアの部屋は、来客用の部屋と大差の無い大きさだった。
 今は、ほとんど使われていないためか、余計なものがなくスッキリしている。
 部屋の端っこに、人形とぬいぐるみが飾られているのが目立っているぐらいだ。
 
「天城様、どうなされたんですか? ……もしや『騎士領』のことでしたら、秘書官のアリアに聞いて頂いた方が詳しい話を聞けるかと思いますよ?」
 クレアは、鋼焔がやって来た理由を察して、そう進言する。

「実は、そのアリアさんについて話を聞かせてもらいたいのですが」
 しかし、鋼焔の考えは違った、今は騎士領よりも彼女の情報が必要になっていた。

「アリア……についてですか? ――もしかして彼女を疑われておられるのですか!?」
 クレアは、一瞬不思議に思ったが、鋼焔が考えていることに思い至り、次第に声が大きくなっていく。
 そして、身内同然の者が疑われたが、怒りよりも、驚きが先にたっていた。

「はい」
 鋼焔は、普段通りのまま、素直に返事をする。

「……わかりました、ですが、彼女はずっとインスマス王家に尽くしてくれているのですよ、杞憂かと思われますわ」
 クレアは、少し呆気に取られたが、どう考えても彼女は関係ないだろうと思う。
 了承し、鋼焔の質問に答える心の準備をする。

「それでも、一応聞かせてください、彼女は『騎士領』に出入りしているんですよね?」

「はい、以前は妹たちの教育係りをしていたのですが、四年ほど前に父に申し出て秘書官に登用されて以来、フローラ姉様と『騎士領』の管理をされています」

「――四年前、ですか、最近、彼女について何か変わった事とかありませんでしたか?」
 神宮寺信夜が、事を起こしたのは五年前。
 四年前と聞いて、鋼焔はさらに疑惑を深めていく。

「……わかりません、今日はわたくしが帰省したので珍しく戻ってきているのですが、普段は『騎士領』の管理と秘書官として働いているので、わたくしも、母も、ここ最近は全く彼女と話しをしていませんの……」
 クレアは、すまなそうな表情で答えた。

「そうですか、後、彼女に好きな物はありませんか」
 鋼焔は、もう少し些細な情報でもいいからと、続けざまに質問していく。

「……甘い物が好きですね、昔はよく一緒にケーキを食べたりしておりました」

「では、苦手な物は?」

「苦手な物、ですか……、そういえば、わたくし小さい頃お転婆で虫とかカエルとかヘビを捕まえてはアリアのところまで見せに行っていたのですが、……わたくしのせいでトラウマになってしまったのか、見ただけでお顔が蒼白になられますわ」

「なるほど、後、あの胸は本物ですか?」
 一見、どうでも良さそうに思える質問を鋼焔は繰り返していく。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 その頃、クレアの部屋の扉の前には、
(……コウさん、やっぱり、あの女が気になっているんですか!?)
沙耶と、悠がいた。

 しかも、鋼焔が、変な質問をし始めたタイミングだったので、勘違いされている。

(おい、ババア、ドアにへばり付き過ぎだろ、メイドさんに変な目でみられてるぞ……)
 周りにいる侍従のギョッとした視線が二人に集まり始めていた。

(悠さん、今邪魔しないでください、私の沽券に関わることなんです)

 沙耶は、必死だった。
 鋼焔が先ほど、初めて自分より胸の大きな女性に見惚れているのを見た瞬間、かつて無い精神的ダメージを受けたのだ。
 神宮寺沙耶は、初めての敗北の味を噛み締めていた。
 
(ちょっと胸のサイズで負けたぐらいで、そこまで必死になるもんなのか……)
 
(……悠さんぐらい圧倒的戦力差で最初から勝負が決まっているなら、諦めもつくんですけど……)

(……テメェ、クソババアいい加減に――むぐっ…むうーうーむぅー……ぅー……)

(悠さん、静かにしてください、今大事なとこなんです)
 必死な沙耶は、誤って悠の鼻と口の両方を押さえてしまい窒息させそうになっていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「あ、天城様、失礼ですわ! アリアは同性にじっと見られていてもすぐ赤面しまいますのに、先ほどの天城様の視線は最低でしたわ!」
 さすがに、鋼焔の失礼な質問に対してクレアは、尤もな怒りをあらわにした。

「すみません」
 しかし、鋼焔は、口では謝罪の言葉を述べているが、ますます疑惑を深めていく。

「……お話しの方はもう結構ですか?」
 特殊な目的を持った帰省をして、色々と気を張っていたのかクレアは少し疲れ始めていた。

「ええ、助かりました、ありがとうございます」
 鋼焔は、ある程度欲しい情報を手に入れたことと、クレアも帰宅して疲れているだろうと思い、話を終わらせることにする。

「お役に立てて嬉しいです、……疑いも晴れるといいのですけど」

「そう、ですね、それでは失礼します、またあとで」

「はい、また、なにかあればいらしてくださいませ」
 鋼焔は一礼をして部屋を出て行いった。

「……ん? 気のせいか」
 鋼焔は、部屋の中からでも、扉の前に誰かの気配を感じていたのだが、周りには苦笑いをしている侍従がいるだけで誰もいなかった。
 もう何人か、怪しい人間が入り込んでいて、さっそく餌に食いついてきたのかと思っていたが勘違いだったようだ。

 

 その、怪しい人間の沙耶と悠は、すでに扉の前から全力で逃げ出していた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 鋼焔が、自室に戻って明人と話していると、
「天城様、いらっしゃいますか?」
 グロリアが扉をノックしながら声をかけて来た。

「はい、どう―――」
 鋼焔が入室を促そうとしたところで、扉がバァン、と凄まじい音を立てて、壊れるのではないか、という勢いで開く。

「フ、フローラ様!? お待ちになってください」
 侍従長のグロリアは焦った表情で、扉を開けた主を宥めようとしている。

 しかし、それを物ともせず、

「貴様か、『騎士領』に入りたいという不届き者は、連絡もせず来訪しておいて非常識なヤツめ、聖騎士でもない人間を入れるわけがないだろう、とっとと祖国に帰るのだな」
 扉を豪快に開けて現れた女性――クレアの姉のフローラは、吊り上った鋭い眼で鋼焔を睨みつけ、綺麗に背筋を伸ばしながら、鋼焔を思い切り指差し、言いたいことだけ言った後、鋼焔たちの反論を待たず、すぐに立ち去った。

「も、申し訳ありません、天城様、フローラ様は少し儀礼や慣習に拘りがある御方でして……」
 グロリアは青ざめた顔で、鋼焔に弁解する。

「いえ、気になさらないでください、彼女の言い分は尤もかと」
 鋼焔は扉が勢いよく開いたことに驚いていたが、それ以外は全く気にしていなかった。

「……本当に申し訳ありません、……失礼致します」
 何度も頭を下げた後、グロリアも立ち去った。

「明人、どう思う?」

「うーん、結構怪しいねぇ、たしかに尤もな言い分だけど、妹の恩人に対する反応にはみえない気がするぜ、ところで――アリアさんの方はどうだったんだ?」

「―――アリアさんは間違いなく黒だ、ただ、クレア様に話しを聞いてから少しばかり違和感がある、少し嫌な予感がする」

 鋼焔は、自分が来ることを伏せて、事前に名前がばれないようにしていた。
 さらに、鋼焔は古賀に下の名前を呼ばないよう、頼んでおいた。
 
 インスマス王国の人間は、父の鋼耀ならいざしらず、鋼焔の名前を知っているものは少ない。
 クレアが言っていたように、アリアは、クレアとその母との会話が無いならば、鋼焔の名前を知っている可能性はまず無い。
 
 だが、彼女は咄嗟に鋼焔の名前を口にしてしまった。

 つまり、鋼焔のことを調べておいた、ということだ。
 秘書官になった時期も怪しい。
 しかも、『騎士領』を管理している。
 だから、鋼焔は彼女を怪しいと思う、神宮寺信夜を手引きした可能性があるのではないかと。
 


 ―――しかし、それ以上に、恐らく十数年も潜入していた人間が、知らないはずの名前を呼ぶ、という『初歩的なミス』をするハズがないのだと確信している。



 鋼焔は、アリアに舐められている、挑発されているのだ。



 さらに、クレアから聞いた話と神宮寺信夜の研究が、それ以上に嫌なものを運んできているような気がしている。



 だからこそ、最初に覚悟していた『罠』と見なす。

 追い詰めようとした此方が、まんまと誘い出されたのだと、気持ちを切り替える。




 

「それに――京、彼女を見て何か感じなかったか?」
 鋼焔は、初めてアリアを見た時の何とも言えない感覚を思い出す。

「……御主人、京も確かに何かを感じました。はっきりとは分からないのですが……」
 鋼焔の隣に現れた京も、どう言い表して良いのか分からない、という表情で困惑していた。

「おれは、なにも感じなかったけどなぁ」
 鋼焔と京にしか分からない何かがあったのだろうかと、明人は首を傾げていた。

「……しかし、その嫌な予感が当たらないことを祈るしかないな」

「ああ……」

 鋼焔の願うような呟きが部屋に漏れていた。



[29549] 二章 四話 三つの研究
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/10 16:07
 五年前まで、日鋼には三人の優れた魔術研究者が存在した。

 黒田響《くろだひびき》。
 赤羽奏《あかばかなで》。
 神宮寺信夜《じんぐうじしんや》。
 
 彼ら三人は、あらゆる魔術と科学を検証、吟味、習得し、『龍《ドラゴン》』―――太古の昔、鋼の精霊と並び立っていたとされる怪物を現代に再現しようとしていた。

 まず最初に、彼らは確実な手段を選択する――『過去』に存在していたであろう『龍』をそっくりそのまま現代に召喚しよう、というものだった。
 そして黒田が中心となり、過去と現代を繋げる魔術を生み出そうとした。

 彼らは『過去』と『現世』を繋げるため、時間系統と空間系統の魔術、両方を組み合わせた『時空間魔術』、という術式を新しく開発しようとする。

 しかし、時間と空間系統を扱う魔術は、そのどちらもが古代魔術の中でもハイレベルで取り分け難易度が高く研究は難航を極めた。

 数年間、彼ら三人が中心となり研究は進められたが、開発は当初の予定を大幅に遅れ、予算だけが浪費されていった。

―――結果として、『時空間魔術』の研究は頓挫した。

 過去からの召喚自体は、理論上可能だと言われていたが、肝心の『時空間魔術』の術式が彼ら三人をもってしても開発することは不可能だったのだ。


 次に、彼らは二つ目の方法を模索する。


 前回、頓挫してしまった『時空間魔術』のノウハウを活かし、赤羽を中心として、この『世界』と近似の『異世界』から『龍』の召喚を試みる。

 初めに『龍』が居るだろう世界を探すことに決めた。
 
 彼らは科学と探知魔術を組み合わせて、おそらく『龍』が存在しているだろう、という莫大な魔力を感知、計測できた異世界の座標を手に入れた。
 
 今回は、『過去』と『現世』を繋げる場合と異なり、『異世界』と『世界』という場所と場所を繋げるだけの魔術なので、『空間魔術』のみに絞って研究は進められていく。

 そして手に入れた異世界の座標を、前回の研究で改良していた『空間魔術』に組み込むことで、更なる改良を加えていった。


 彼らはたった半年で完成までの工程を終了させ、現代魔術『異世界への門』の術式を完成させるに至った。


 しかし、この研究は失敗に終わる。


 初めての魔術実験から、最後――二十五回目の実験に至るまで、ただの一度も『異世界への門』の魔術が発動することはなかった。

 ―――術式が完成していたにも関わらず。

 彼らにも失敗の原因は分かっていたが、どうすることもできなかった。
 ありとあらゆる手を尽くしたが、『足りないもの』を用意する方法は見つからなかったのだ。



 そして、最後に神宮寺信夜が中心となり魔術と遺伝子工学を組み合わせ『龍』を再現する試みが開始された。

 神宮寺信夜は、龍の化石や、古代の琥珀の中にいる蚊などから、龍の遺伝子情報の断片を手に入れていた。

 最初は遺伝子情報だけで、龍を甦らせようとしたが、何度繰り返しても、一週間持たず龍の細胞と思しきものは死んでいく。

 そこで信夜は、蛇、蜥蜴、亀、鰐などの爬虫類に『転写の魔術装置』を使って、龍の遺伝子の断片を上書きした――そして、ついに、不恰好ではあったが『龍』らしき生物が生まれ、初めて研究は成功を収めた。


 しかし研究が成功したのも束の間、天城鋼耀によって龍の研究は中止される。

 
 龍の研究が始まったのは、天城鋼耀が当主に就くよりも前だった。
 先代の指示によって始められた研究を鋼耀は危険視していた。
 
 鋼耀は、鋼の精霊たちの棲家に使者を送り、古代の情報を集め、現代で龍を甦らせることの危険性を証明し、研究を凍結させた。

 黒田、赤羽、神宮寺の三人も一時的にそれを受け入れたように見えたが、諦められるわけもなく秘密裏に研究は進められていた。


―――すでに、彼らは、『龍』という偉大な存在に心を奪われていたのだ。


 だから、彼らはどこかの国で研究を続けるために、他国の人間と接触し日鋼から研究情報を持ち出そうとした。

 彼らは、研究所に残っていた情報を持ち出すことには成功したが――
 欲を張り、神宮寺家で秘密裏に行っていた研究情報も持ち出そうとしたため、鋼焔によって彼らは亡き者にされた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 その、赤羽奏と黒田響が死んだ日―――、

 神宮寺家にあった薄暗い地下室には、十数名の死体が転がり三人の少年少女だけが生きていた。
 すでに室内は、鋼焔の『侵蝕領域』に蝕まれ始めており、元々低く保たれていた室温は上昇している。


 そして、その中で、神宮寺沙耶は死の淵に瀕していた。


 彼女は、未熟だった鋼焔の魔術によって斬り裂かれた。
 血は、止め処なく流れていき、急激に体温は下がっている。
 さらに、鋼焔の『侵蝕領域』によって、残り滓も同然な体力と魔力すらも奪い尽くされようとしていた。

「沙耶!……沙耶!」
 鋼焔は必死な形相で、幼馴染の少女の意識が途絶えないように声をかけ続けながら、治癒魔術を連続で唱えている。
 しかし、当時の鋼焔は治癒魔術が不得意であった。
 何度、治癒魔術をかけても妖刀『村正』で傷つけてしまった沙耶の傷を塞ぐことができない。

 沙耶は喋ることすらままならず、肩で激しく浅い呼吸を繰り返している、瞳の焦点も、もはや定まっていない。
 
「…………ご、御主人、その眼と髪は……、―――いえ、それよりも沙耶様を外にお連れしましょう」
 京は主の絶大な力と、目の前で多くの死を見て動揺し。
 今まさに眼前で、主の友が死のうとしている現実に呆然としていた。

 その上、自分の主が、鋼の精霊と同じように眼が赤く染まり、黒い髪に銀色が混じり始めていることに気付き驚愕した。
 しかし、今は、そんなことよりも『侵蝕領域』から瀕死の重傷を負った彼女を運び出そうと提案する。

「……駄目だ、動かせば、余計悪化する」
 『侵蝕領域』に奪われていく沙耶の魔力や体力よりも、『侵蝕領域』内にいる為、飛躍的に上昇している治癒魔術の効果の方が遥かに上回っていた。

 しかし、それでも瀕死の状態に留めておくことしかできない。傷を塞ぐことができない。
 持って数分で沙耶の命は尽きようとしている。
 例え、助けを呼んだとしても間に合わないだろう。

「……ゥ………ァ………」
 それまで、激しく呼吸を繰り返すだけだった沙耶の唇が僅かに動いた。
 鋼焔と、焦点の合っていない沙耶の視線が交わる。
 鋼焔には沙耶の苦しそうな表情が、喜んでいるように見えた。
 感謝されているように思えた。
 
 殺すだけ殺して、誰一人助かっていないこの状況で。

「……京、何か、何か方法は無いか」
 治癒も蘇生も上手くできない鋼焔だが、諦めるわけにはいかない。
 一人になろうとしていた自分の傍に、ずっといてくれた彼女を失いたくなかった。

「……う、う、う……――っ! そ、そうです、御主人、その眼と髪、もしや鋼の精霊の血が混じっているのではないですか!?」
 京は先ほど知った事実と、ある事を思い出してそう訊ねる。
 今まで主が黙っていたことから、話したく無いのだろうとは思うが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 鋼焔は、ああ、と頷いた。

 京は自分で聞いておいて耳を疑った。
 人間と精霊では体の構造そのものが違う。

 例えるなら、動物と植物で子供を授かるようなものだ。
 どうやって、鋼焔の母親が子を授かったのかわからないが、奇跡としか言いようが無い。
 
 しかし、今はそんな疑問よりも、沙耶を助ける方が大切だった。

 京は、主に秘策を授ける。

「――しからば、血にありったけの魔力を籠めて沙耶様に飲ませてください!」
 
 他の精霊に比べて、鋼の精霊に流れる血液には特殊な力がある、血の中に多く含まれる鉄――鋼の力と、精霊契約に使われる本来の使用法が重なっているためだ。
 鋼焔の莫大な魔力を籠めれば、瀕死の状況を打破できる可能性が生まれる。

 鋼焔はその指示を聞いてすぐさま、自分の唇を切った。

 流れ出した血にありったけの魔力を籠める。
 さらに、唾液を混ぜ、未だ激しく呼吸を繰り返している沙耶と唇を合わせた。


 沙耶は、薄れてかけている意識の中でも、それを確かに感じた。
 初めてが最後のキスになってしまうのは少し残念に思ったけれど、一つも夢を叶えずに死んでしまうのは、もっと嫌だった。
 そして、最後の瞬間は幸福だったと想いながら、沙耶の意識は落ちていく。


「……京、これで沙耶は助か――」

 鋼焔がそう訊ねようとした瞬間、目に見えて変化が起こっていた。
 
 鋼焔によって斬られた傷は一瞬で完治。
 血の巡りも良くなったのか、顔色も良くなり、呼吸も徐々に落ち着いていく。

「京! ありがとう」
 鋼焔は、涙を流しながら自分の相棒を強く抱きしめ、心からの言葉を発する。

「ご、御主人、く、苦しいです」
 京はさっきまで陰鬱な気持ちになっていたが、誰かを救えたことで少しだけそれが晴れた気がした。
 いつもより、主が激しく気持ちを表してくれたことも嬉しかった。
 
 それから一息ついた後、鋼焔は黒田響の首を刎ねた。

 そして、沙耶をおぶって、地下室を後にしようとした――ところで、京に声をかけられた。
 
「御主人、その紙の束はなんでしょうか?」
 京は、鋼焔の足元に落ちている辞書より分厚そうな紙の束を指差す。

「……ん?」
 そう言われて初めて気が付いた鋼焔は、足元に落ちていた分厚い紙の束を拾い上げて、パラパラとめくっていく。

「……トカゲ、男?」
 初めの方のページに、そんなものが挿絵付きで紹介されていた。
 さらにページを捲ると、すでに研究所から奪われてしまっていた貴重な情報が残っていた。

「京、これは隠し持っといてくれ」

「よ、よろしいのですか?」
 京は国にバレると不味いのでは? と思い、焦った表情でそう返したのだが。
 
 鋼焔は少し疲れているのか、小さく頷いて肯定の返事をするだけだった。
 些か躊躇した後、京はそれを着物の中に仕舞いこんだ。



 そうして、三人は薄暗い地下室を後にした。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 インスマス城四階の食堂では、鋼焔たちを歓迎するための食事会が開かれようとしていた。
 
 食堂にはすでに、王、四人の妃、フローラとクレアを合わせた姉妹が数人、アリア、そして明人を除いた鋼焔たちが着席している。
 
 鋼焔たちは普段の私服ではなく、場に相応しい格好で望んでいた。
 沙耶は、薄紫色のフォーマルドレスに着替えている。
 しかし、悠は何を勘違いしているのか黒を基調としたロリータファッションにその身を包んでいた。
 
 そんな彼らの後ろには、侍従が一人ずつお世話をするために控えている。
 
 食堂は広く、食卓の机は長大で真っ白なテーブルクロスが敷かれていた。
 机の上には綺麗な装飾の施された蝋燭立てや、食べていいのかどうか判断に迷うフルーツの盛り合わせが置かれている。

 
 食堂は広い空間であるため、隣の席との距離は二m近く間が開いているのだが。
 鋼焔の隣席の二人――沙耶と悠はわざわざ椅子を動かして鋼焔の一m以内に近づけていた。

「ねぇ、お兄ちゃん、これちょっと少なくないかな?」
 悠は、自分の前に並べられている食前酒とオードブルとスープを指差して、不満そうな顔をしている。

「悠、これはな――」
「……悠さん、コース料理を知らなかったんですか……天城家の長女がそんなことでは、日鋼の常識が疑われてしまいますよ」
 鋼焔が説明しようとした矢先、沙耶が頭を垂らして眉間を押さえながら、やれやれと頭を振り、悠の無知を哀れんだ。

「へ、へぇー、沙耶さんありがとう、あたしまた一つ賢くなったよー」
 口では感謝の言葉を述べている悠だが、顔は引き攣って口元がヒクヒクしている、眉間にも若干の皺が寄る。

「いえいえ、無知蒙昧な義妹を導くのも姉の役目だと思っていますから、お礼なんて必要ありませんよ」
 沙耶はニコニコとした笑顔で悠に毒を吐きながら、ちゃっかり鋼焔にもアピールしていく。

「ぐ、ぐぐぐ……沙耶さんを姉だなんて一生認めないよ!」

「そうですか? 私はこんなにも悠さんのことを愛しい義妹だと思っていますのに……」
 沙耶の言葉で、悠の表情がさっきよりも一段階ほど崩壊に向かって進む。
 
 そこで不意に、鋼焔は鋭い視線を感じて、そちらに向かって振り向く。
 すると、王の近くに座っているフローラが物凄い目付きで鋼焔達を睨んでいた。
 目だけで「静かにしろ! この社会のダニどもめ」と言っているように鋼焔には見えた。



 鋼焔は食事の前に明人と、フローラについての情報を交換していた。
 彼女はクレアとは母親が違うらしく、あまり似ていない。
 髪の毛はクレアのように綺麗な黄色の金髪ではなく、少し赤みがかった金髪で肩ぐらいに切り揃えられている。
 今は目付きが鋭いが、それでも美姫といって差し支えない容貌をしている。
 鼻は高く、目はクレアと同じ碧眼で、顔全体の印象は女性にしてはやや凛々しく見える。
 神話に出てくる戦乙女があんな感じなのではないだろうかと、鋼焔には思えた。
 
 そして、クレアと同じように聖騎士の魔陣使いであるらしい。
 学校は、妹とは違いインスマス王国内の王立魔術学校に在籍していて、鋼焔よりも一つ年上の先輩であった。


 
「……沙耶、悠、少し静かに」
 彼女の視線の重圧に耐えかねた鋼焔が二人に注意する。
「……沙耶さんのせいで怒られた」
「……悠さん、静かにしましょうね」
 互いのせいにして、二人は一時休戦に入った。

「すいません、お待たせしました」
 トイレに行っていた明人が席に着き、全員が揃ったことで食事会が始まる。

「それでは、クレアの無事の帰還と、皆さんのご健勝を祈念して乾杯!」
 王、自らが乾杯の音頭を取る。

 皆が食前酒とは別に用意されていたグラスに入ったお酒を一斉に呷った。
 


 そしてその瞬間まで、鋼焔と悠はある事を失念していた、

「「あ……」」

 と、同時に兄妹は呟きを漏らして沙耶の方を見る。

 沙耶は、大きめのグラスに入っていたお酒を全て飲み干していた。

「もう一杯頂けますか?」
 さらに、後ろに控えている侍従に向かっておかわりを所望している。
 兄と妹には、この後に展開されるだろう惨事が容易に想像できた。

 沙耶は普段お酒を飲まないが、祝い事がある度に大量に飲酒することがある。
 そして、いくら飲んでも顔に酔いは出ないのだが、酔い始めると――鋼焔に絡み始めるのだ。

 しかも、途中で飲酒を止めようとすると泣き出す。
 非常に厄介な存在だった。

 悠は兄に向かって合掌している。

 鋼焔はこんな場で公開処刑はされたくないので、急いで料理を口にし始める。

 しかし、コース料理なので次が運ばれてくるのに時間がかかる。
 鋼焔が前菜とスープを食べ終えて次の料理を待っている間にも、沙耶は何度もおかわりをしていく。


 そして鋼焔が肉料理に手を出そうとした瞬間、沙耶の姿が隣から消えていた。


「コウさん」
 ―――沙耶は食事中にも関わらず、席を立ち鋼焔の背後に忍び寄っていた。
 そして艶っぽい声で鋼焔の名前を囁く。
 
 食堂にいる人間全ての視線が集まっていく。

「は、はい」
 そのまま鋼焔を後ろからギュッと抱きしめ、体重をかけていく。


 鋼焔は後頭部に、かなりのボリュームと程よい弾力性を持った柔らかいものが押し付けられているのを、幸せに想いながら、同時に嫌な汗が背中を伝っていくのを感じた。

「コウさん、今日、私、悲しいことがありました」
 いつもと変わらぬ口調と表情だが、声のボリュームは大で、この場に相応しく無い言葉を垂れ流す。

「沙耶、さん、どうしたんですか?」
 鋼焔はなるべく刺激しないように丁寧に言葉をかける。

「コウさんが、あの人の胸をエッチな目で見ていました!」
「さ、沙耶、人を指差すのは止めよう!?」
 ビシッとアリアに向けられている人差し指を、鋼焔は優しく包み込んで下ろさせた。
 
 フローラが憤怒の表情で二人を見ている、彼女が握っているフォークがグニャグニャになっていた。

「さ、沙耶、見てないから! アリアさんの胸は見てないから落ち着いて!」
 早くなんとかしなければ、フローラという名の火山が噴火してしまう。

「……嘘です。私、見ました」
 そう言いながら、ギュウギュウと鋼焔の後頭部に自分の胸を押し付ける。

「……どうすれば、信じてくれる?」
 鋼焔は後頭部に全神経を集中させながら妥協案を探る。

「じゃあ、宣言してください」
「せ、宣言?」

「大声で『神宮寺沙耶のおっぱいが世界で一番大好きだ!』って言ってください」
 沙耶がそう言った瞬間、フローラの方からバキンっと何かが砕ける音がした。
 クレアは白い目で、王と四人の妃はニヤニヤしながら、鋼焔と沙耶を見ている。
 
 止める気はないらしい。

「…………」
 鋼焔はしばし迷う。
 
 若干、手遅れかもしれないが、今からでも沙耶を止めることは可能だ。
 
 泣き出すだろう彼女を部屋に連れていく。
 
 それだけで済む話である。


 しかし、アリアとフローラを見てあることを思いつく。


 昼間、クレアと話、明人と情報を整理している内に、『ある疑い』が徐々に確信に変わりつつあった。
 
 そして、自分の考えを信じるならば、この場で己が取る行動次第で相手を土壇場に追い込めるはずだと思っている。

 決定的な証拠はまだ無い、単なる自爆で終わる可能性も少なからずある。

 しかし、このまま何もかも相手のシナリオ通りに役割を演じるのは性に合わない。


 鋼焔は、覚悟を決めた。


「神宮寺沙耶のおっぱいが世界で一番大好きだ!」
「神宮寺沙耶のおっぱいが世界で一番大好きだ!」
「神宮寺沙耶のおっぱいが世界で一番大好きだ!」
 これ以上無い声量で三回連続宣言する。


 鋼焔の魔法の言葉で食堂の時が止まる。


「コ、コウさん……!」
 沙耶はトロンとした目付きになり、恍惚とした表情で少し痙攣している。


 直後、ダンッと拳が机に叩きつけられる音が、静まりかえった食堂に響く。

 フローラが親の仇を見るような目付きで鋼焔を睨みつける。

 鋼焔は臆せずその視線を受け止めた。

 そしてさらに、ダメ押しといわんばかりに、

「神宮寺沙耶のおっぱいが世界で一番大好きだ!」

 と、フローラの顔を見ながら大声で叫んだ。

「あちゃー……」
 それを見た明人が、顔を片手で抑えている。

「……貴様、そこを動くなよ」
 ついにキレたフローラが、鋼焔に宣戦布告した。

 しかし、すぐに周りの人間が抑えに入る。
 グロリアやクレア、果ては王や妃まで宥めに入った。

 危うく食堂で殺し合いが始まるところだったが、王や妃に止められたフローラは怒りを隠さず乱暴に食堂の扉を開けて出て行った。

「ほんと、申し訳ありません……」
 鋼焔は気まずい雰囲気にしてしまったことを謝罪した後、食事を再開した。
 当事者の沙耶は、四回目の宣言で極楽浄土に旅立っていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 波乱の食事会が終わり、鋼焔が部屋でくつろいでいると、

「天城様、お時間よろしいでしょうか」
 アリアが訊ねて来た。

「はい、どうぞ」
 部屋に入るように促した後、鋼焔は彼女のために椅子を用意する。

「すいません、ありがとうございます」
 アリアは礼を言いながら、鋼焔の用意した椅子に座る。

「それでアリアさん、どうなされたんですか?」
 鋼焔は、彼女が何を言いに来たのか分かった上でそう訊ねる。

「……食事の後インスマス王に聞いたのですが、天城様たちは『騎士領』に入りたいのですか?」

「はい……ですが、食事前にフローラ様に聖騎士ではない者は帰れ、と言われてしまったのですが……しかも、先ほどあんな無礼な振る舞いをしてしまったので、もう望みは無さそうかと……」
 鋼焔は落ち込んでいるかのように、頭を垂れて、弱々しく言葉を漏らした。

「…………いえ、私がなんとかフローラ様を説得してみます」

「本当ですか!?」

「……はい、もしかしたら明日一日かかるかもしれませんが、なんとかしてみます」

「……アリアさん、ありがとうございます」
 鋼焔は両手でアリアの手を取ってブンブンと上下に振る。

「い、いえ、天城様はクレア様の恩人ですから、これぐらいのことは私もやらせて頂かないと、インスマス王国の名折れかと思いまして」
 鋼焔の態度と言葉に、アリアは照れた表情で応えた。

「……それでは、今日はもう遅いですし、失礼しますね、……また明日良い報告ができるよう頑張ってみます」

「はい、本当にありがとうございます」
 アリアは鋼焔にお辞儀した後、扉をそっと閉めて出て行った。

 
 そして鋼焔は、椅子に座ったまま目を瞑って思案する。


 これからの方針を決めていく。


 定まったそれは幼稚だが、最も効果的に『疑い』を確信に変えてくれるだろうと思えた。



[29549] 二章 五話 聖剣
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/13 22:17

 インスマス王国での二日目の朝、鋼焔達は食堂で朝食をとっていた。
 王、妃、フローラ、アリアは、用事があるのか同席していない。
 もし、鋼焔とフローラが揃っていれば、間違いなく朝から険悪な空気に包まれていただろう。

「買い物、ですか?」
 鋼焔は朝食をとっている最中、クレアからそう提案され、少し渋い顔で繰り返した。

「ええ、カナン地区でわたくしの母の店と、お薦めのお店をいくつか紹介しようと思いまして」
 クレアは、その鋼焔の表情を気にも留めていない。
 おそらく買い物が好きなのだろう、楽しそうな口調になっている。

「「えーっと、おれたちは――」」
 鋼焔と明人の二人が、あからさまに嫌そうな表情になり遠慮しようとする。
 クレアの表情を見ていると、間違いなく長い買い物になるだろうと容易に想像できる。
 沙耶、悠からして、鋼焔の身近にいる女性の買い物は長い。

 鋼焔も『伝説の武器・防具屋』に興味はある。
 しかし、一時間や二時間ならまだしも、半日も買い物に付き合わされたら堪らない。
 二人はなんとかこの場をやり過そうとする。

「――ちなみに天城様に拒否権はありません」
 クレアは先手を打った。
 先ほどまでと打って変わって、凛々しい表情と厳しい声音で釘を刺す。
 しかも、完全に二人の心中を読みきっている。

「……まだ、何も言っていないのですが」
 クレアの態度にたじろいだ鋼焔が、消え入りそうな声で異議を唱える。
 すでに勝負がついてしまっている気がするが、そう簡単には折れない。

「なんとなく表情で分かりましたわ、フローラ姉様のことはアリアに任せてわたくしたちは外で時間を潰すのが懸命かと」
 フローラの名前を出された時点で鋼焔の詰みは確定した。
 このまま反論を続けると、昨晩のことを引き合いにだされトドメを刺されてしまう。

「……あたしもお兄ちゃんとお買い物行きたいなー」
 悠は純粋に買い物に行きたいのか、兄に向かって上目遣いに懇願する。

「……ああ、わかった――わかりました」
 これ以上は、往生際が悪くなると思った鋼焔は観念した。

「そもそも御二人のせいで、ただでさえ意固地な姉様が難攻不落の要塞と化してしまったのですから、これ以上問題を起こさないためにも出掛けるべきですわ」
 どうやら鋼焔の引き際は悪かったらしく、クレアの容赦ない追撃が加えられた。
 非常に耳の痛い言葉だが、今は甘んじて受け入れるしかない。

「「……申し訳ありません」」
 朝食の席で、鋼焔と沙耶の神妙な謝罪が繰り出された。



 準備を整えた鋼焔たちは正面の門のところに集合していた。
 天気は快晴で、日差しは強い、インスマス王国は少し涼しいので丁度いい具合の外出日和となっている。

「そういえば、食堂でアリアさんを見かけなかったんですが、仕事ですか?」
 鋼焔は、朝食の時から気になっていたことを、クレアに訊ねる。

「いいえ、アリアは『騎士領』の近くに住んでいますので、毎日そこから通っていますの」
 『騎士領』は、身も蓋もない言い方をすると『何も無い』場所である。
 そこに住む、となると現代的な生活をするのには、かなりの不便を強いられるのだが。

「そうだったんですか、てっきりアリアさんも城に一緒に住んでいるのかと思っていました」
 鋼焔は最初からアリアが城で生活していないと予想していたが、さらにクレアから情報を引き出すために敢えて惚けて訊ねる。

「ええ、秘書官の職に着く前は城内で寝食を共にしていたのですが、彼女たっての希望で『騎士領』に、というわけですわ」
 
「仕事熱心な方なんですね」
 鋼焔の言葉は全く持って白々しい。

「それはもう――フローラ姉様からの信頼も厚いです」
 クレアは、一連の鋼焔の訊ね方が明らかにアリアを疑っている、と察知し、鋼焔と沙耶――二人に皮肉を籠めてそう言った。
 鋼焔に協力をするつもりではいるが、やはり身内同然の物を探られるのはあまり面白くないらしい。

「そのアリアさんなら、私が犯した失態の分も帳消しにしてくれそうですね……」
 全くと言っていいほど気にしていない鋼焔と比べて、沙耶はクレアのトゲのある言葉にかなりのダメージを受けていた。

「はい、きっと、許してもらえると思いますから、わたくしたちは買い物を楽しみましょう」
 クレアは自分の気持ちも切り替えるつもりで言った。
 彼女はショッピングが大好きなのだ。


 一行は、クレアの実家に来た時の道を逆に辿っていく。
 
 鋼焔は来た時と違い、建物ではなく行き交う人を見ていた。
 すると、周りの男女問わず、変に視線が集まっているのを感じる。
 観光客だから珍しがられているのではない、国王の娘を連れている上に、他二名の黒髪の美人と美少女を合わせて三人が、街道を華やかに彩っているからだ。
 なんとなく鼻が高い。

 そしてカナン地区に入った途端、古賀が、
「あー、ぼくなぁ嫁さんに買い物リスト渡されてんねん、そやから今日は別行動ってことで、ほな」
 と、言い残して逃げるように離れていった。
 止める暇も無い鮮やかな去り際だ。

「「に、逃げた」」
 残された二人の男の、心の叫びが漏れる。
 二人は朝から黙っている古賀がおかしいと思っていたが、まさかそんな手を用意していたとは――今後参考にしようと思った。

「お、お兄ちゃん、また、見えてきたよ」
 二度見た程度では慣れないのだろう。
 悠は伝説の店を指差しながら、声を震わせていた。

「あ、ああ……」
 鋼焔も恐らく何度見ても慣れないだろうと思いながら、店の看板と昇りを眺める。

「それでは、入りましょうか」
 クレアが伝説の店の木製の扉を、ギギギィと音を立てながら開く。

「いらっしゃいませ! クレアお嬢様お待ちしておりました」
 中には数人の店員がクレアの来店を待っていたのだろう、城で待っていた侍従のように整列していた。

「皆さんわざわざすいません――今日はこちらの天城様に何か良い品物を用意していただけますか?」

「え!?」
 不意にクレアが言った言葉に鋼焔は驚かされる。
 ここに来るまで、一切そんな話しはしていなかった。

「……実は、母がお礼に何かプレゼントしたい、と以前から申しておりまして、それで天城様に喜んでもらおうと思い黙っていたのです、驚かせてしまい申し訳ありません」
 クレアは口では謝っているようだが、表情は笑顔だ。
 鋼焔が驚くところを見れたのが、よほど嬉しいらしい。

「いえ、こういった物は好きなんで泣いて喜びますよ」
 鋼焔は壁に立掛けている、剣や盾を見て素直な気持ちを表す。
 そのどれもが、一目見て一流の鍛冶師が作ったと分かる業物だ。言葉に嘘は無い。
 自分で節操がないと思うが、鋼焔は買い物に付いて来て正解だった。

「そう言って頂けると、母も喜ぶと思いますわ」
 クレアは鋼焔の言葉に、顔の横で掌を合わせて喜色満面になっている。
 彼女もプレゼントをしたかったようだ。


 
 それから皆が壁に掛かっている剣や盾、飾られている鎧を眺め始める。
 剣はどれも西文化の物で、殆どが両刃の直剣だ。
 長くて細いのもあれば、短く幅広の物もある。
 さらには枝のような剣も置いている。
 
 
 そしてそのどれもが凶悪な値札が付いている。


『エクスカリバー』 :30000000ゴルド
『アロンダイト』  :18000000ゴルド
『ロンギヌス』   :25000000ゴルド
『カラドボルグ』 :20000000ゴルド

『アイギス』 :8980000ゴルド
『オハン』 :5500000ゴルド
『カフヴァール』  :5000000ゴルド


「コ、コウさん」

「お、お兄ちゃん」

「お、おう」

「……コウ羨ましいぜ」
 値段を見て、明人以外の三人は息をのむ。明人は意外に大物なのかもしれない。
 日鋼の通貨で考えると、一番安そうな物でも50億円近くするのだ。
 これを無料でもらおう、というのは中流階級の少し上ぐらいでしかない鋼焔たちでなくても気が引けるだろう。

「天城様、気に入った品はありましたか? 見つかりましたら言ってくださいませ」

「は、はい」

「天城様、こちらの『アロンダイト』なんていかがですか?」
 鋼焔の心中を全く察していないクレアは、値段なんて気にせず、気軽に鋼焔のところに180億を持ってくる。

「……クレア様、このお店もう少しお求め安い価格の商品はないんですかね」
 鋼焔はとにかく、『億』という単位から離れたい。

「? 全部似たような値段だと思いますけど、もしかして値段を気にされていたのですか?」
 彼女にとって50億と300億は同じ値段らしい。

「え、ええまぁ」
 鋼焔は、同じなわけないだろうがっ! と突っ込みたい衝動にかられたが自制した。

「そんなものは気になさらないでください、母からの、いいえ――わたくしと母からの贈り物だと思って受け取ってほしいのですわ」

「…………わかりました」
 超高額な『値段』を『そんなもの』と言われた鋼焔は、こめかみを押さえて悩みながらも了承する。
 彼女の笑顔と言葉は真摯な気持ちが籠もっていて、これ以上迷うのはクレアを軽んじることになりそうだった。

「さ、沙耶、これなんかどう思う?」

「コウさん、指が震えています」
 鋼焔が指差した剣は200億を超えていた、震えるのも仕方ないと思いながら沙耶も剣や盾を見回していく。

「もーお兄ちゃん、気にせず選べ、って言ってるんだから選んじゃおうよ。――これとか、いいんじゃない?」
 悠も大物だったようだ、もはや値段を気にしていない。

 彼女が指差した物は刃長1m以上ある両刃の直剣だった。
 刀身は薄い桜色で、古代魔術文字が彫られている。
 『アイギス』と同様に、なんらかの魔術が付与されているのだろう。

「――クレア様、この剣は?」
 鋼焔はその剣が、どうしてか気になった。
 
「妹さんはなかなか見る目がありますわね――それは聖剣『アスカロン』のレプリカですわ、この店でも至高の一品といって良いものです」
 クレアは、壁に掛けてあった『アスカロン』を下ろして鋼焔に手渡す。

「………………」
 じっと『アスカロン』を見つめる――最近感じた奇妙な感覚と、似て非なる何かをこの剣から僅かに感じる。

 鋼焔は柄を握ってみる。

 いやにしっくり来た。

 普段、剣を握っていない鋼焔には――そこまでの良し悪しが分かるはずもないのに。

「それになさいますか?」
 じっと剣を見つめている鋼焔を見て、気に入ったのだろうと思ったクレアが声をかける。

「え、ですが……」
 鋼焔はできるだけ安い品物を選ぼうと思っていのに、『アスカロン』は200億を超えている。
 気が遠くなる数字だ。

「ですから遠慮なさらないでください、と申し上げましたのに―――それに決定ですわ!」
 未だ迷っていた鋼焔の手から『アスカロン』を奪い去り、そのまま支払いカウンターまで持っていってしまう。

「あ……」

「お買い上げ、ありがとうございます」
 鋼焔が小さく呟きを上げた時点で、すでに小切手が切られ支払いは終了していた。

「お兄ちゃんすごいね、あれ一本で日鋼に家が何百件建つんだろ……」

「……妹よ、そんな無粋なことは考えてはいけない」
 それを計算したら鋼焔は、一度たりともこの剣を振るわない自信がある。

「天城様――どうぞ、おまけで盾も付けて貰いましたわ」
 クレアが鋼焔に手渡した盾は、銀色の金属で作られていた。
 そして、その表面には黒い鱗が取り付けられている。
 大きさは頭二つ分ぐらいで、形状は円形に近いカイトシールドだった。

「ありがとう、ございます」
 クレアは気軽におまけ、と言ったが盾にも魔術が付与されているのを感じる。
 おそらく数十億クラスの一品なのだろう。

 神聖術士でも武神術士でもない鋼焔には、剣も盾も宝の持ち腐れになりそうだ。
 日鋼に戻ったら、沙耶あたりに剣術の手ほどきでもしてもらった方が良さそうだ、と考えていた。


 そして一行は伝説の店を後にして、次に寄るところを検討していた。

「それでは、アクセサリーショップに行きましょうか」
 クレアは武器屋だけで時間を潰してもいいかと思っていたが、それでは女性としてどうかと思ったので自分と女性陣が好みそうな店を紹介することにした。

「そこもクレアさん家のお店なの?」

「いいえ、違いますわ、百年以上続いている老舗なのですけど、わたくしたちぐらいの年代の女性に、人気がありそうなものを取り扱っているお店ですの」

「ふーん、行って見たいかも」
 悠も興味が沸いてきたらしく、ノリ気になっている。
 可愛い物には目が無いお年頃なのだ。

「ええ、いざ参りましょう」

「みんな先に行ってしまいましたが、コウさん、……大丈夫ですか?」
 意外と気が合うのか、クレアと悠が小物について意見を交換しながら歩き去っていく。
 
「……ああ、よし、行くか」
 鋼焔はまだ剣を見つめてぼうっとしていたが、得物送還魔術で剣と盾を格納し沙耶と歩き始める。

「はい!」
 沙耶は元気よく返事をして、鋼焔の腕に飛びつき自分の腕を絡めた。
 悠も近くにいない上に、お洒落な街中なのでデート気分になっている。
 そして鋼焔は腕に押し付けられている胸の感触で、先ほどの200億のことが頭から抜けそうになっていた。



「いらっしゃいませ―――これは、クレア様、ようこそおいでくださいました」
 装飾品店にクレアが入店した途端、店の雰囲気が一変した。
 クレアは常連なのだろうが、一国の姫でもある、無理も無いのかもしれない。

「そんなに畏まらないでください、今日は父も母もいませんので、楽になさってください」
 
「は、はぁ……」
 クレアは緊張を和らげようとしているが、彼女の寛容な物言いが逆に畏まらせてしまっているようだった。

「おわー、結構イイ感じかもー、あたしあっちの方みてくる!」
 その張り詰めた空気をあっさり突き破るように、テンションの高い悠の声が店内に響く。
 悠がそうなってしまうぐらいに、店内の装飾品は目を引くものが多い。
 指輪や、ネックレス、イヤリング、ブレスレット、色んな物が置いてある。
 流行を取り入れた物や、日鋼には無い色彩の強い凝ったデザインの物などが豊富に取り揃えられていた。

「……なぁ、コウ、おれたちこの店は居心地悪そうだな」

「ああ、と言いたい所だが、おれも探し物がある、じゃ」
 店内を見回していた鋼焔は、魔術を付与することが可能な空の装飾品が置いてあるのを見つけて、そちらに足を運んだ。

「……くっ、独りになってしまった」
 明人は物凄く居心地が悪い。
 ここはどうみても女性向の店だった。

「お兄ちゃん、見て見てこれ!」
 悠は、ピンク色のコミカルな髑髏があしらってある指輪をつけている。
 安っぽくないデザインで、悠の好みそうな色をしていた。
 
「お、結構似合ってるな」
 死霊術士としてもありかも知れないと思いながら、兄は素直な感想を述べた。

「ほんとー? それじゃ買ってくる!」
 よほど気に入っていたのか、悠は指輪売り場に走って戻り、即購入していた。


「お買い上げありがとうございました!」
 鋼焔も空の装飾品コーナーで、選んだ物の会計を済ませる。

「コウさん、何か買ったんですか?」

「ああ、ちょっとな」

「むむっ、気になります」
 鋼焔は普段、装飾品の類を付けないので、沙耶はとても気になった。
 誰か、他の女性にプレゼントするつもりなのかも知れない、と思い不安になる。

「内緒だ」

「はい……」
 素っ気無い返事に、沙耶はしゅんとする。
 それを見た鋼焔が珍しく頭を撫でてやると、一転して沙耶の機嫌はすこぶる良くなった。

「じゃあ、みなさん次のお店にいきましょうか!」

「……ちょっと沙耶さん、急に耳元で大きな声出さないでよ!」

 機嫌が良くなった沙耶が急に仕切り始め、一行は次の店を目指して歩き始めた。



[29549] 二章 六話 決闘
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/16 01:38

 その後、鋼焔達は何件かの店をクレアに紹介してもらった。
 鋼焔と明人も、徐々にインスマス国の品物が珍しかったのか最後の方では女性陣と変わらないほど買い物を楽しんでいた。

 そして帰宅の途につき、インスマス城の正門まで帰ってきていた。

「クレア様、皆様おかえりなさいませ」
 正門の前には、少し暗い表情をしたグロリアが立っていた。
 クレアが近づくと、折り目正しく表情を切り替え挨拶した。

「ただいまグロリア、こんなところでどうなさったの?」
 いつも城内に居るはずの彼女が、こんなところで待っているのを疑問に思いクレアは訊ねる。

「クレア様、それが、ですね……フローラ様が皆さんを、中庭にお連れしろとおっしゃられているのです」
 グロリアはまた少し暗い表情になり、ぽつぽつと話した。

「わかりましたわ、グロリア、皆さんの荷物お願いできるかしら?」
 妹のクレアにはフローラが何をしようとしているのか予想がついたらしい。
 荷物が邪魔になるようだ。

「はい、お任せください」

「それでは皆さん、参りましょう」
 クレアは少し険のある表情になり、言葉にも力が入っていた。
 いまから喧嘩でもしにいくかのようだ。



「クレア様、申し訳ありません、フローラ様と話しあったのですが――」
 中庭にはフローラとアリアが待っていた。
 そしてアリアは、心苦しそうな表情になっている。
 どうやら、フローラの説得は上手くいかなかったらしい。
 
 少し離れた所に居たフローラが、鋼焔たちのほうに向かってくる。

「アリア、私から話そう――単刀直入に言う、貴様らを『騎士領』に入れるつもりはない」
 アリアより前に出た彼女は、冷たい視線で一同を見回しながら断言した後、

「と言いたいところだが、クレアの件もあるのでな」
 不敵な微笑みを浮かべてそう続けた。

「――そこでだ、今から私が貴様達を『騎士領』に入るに足る者かどうか試させてもらう。私と決闘して、一本でも取ることができたら認めよう、立会人はアリアにしてもらう」
 クレアは余裕の表情だ。
 よほど、戦闘に自信があるのだろうと見受けられる。

「お客様にそんな無礼な物言い、いくらお姉様でも――」
 そして姉の高慢な態度に堪えきれなくなったのか、クレアは声を荒げた。

「クレア黙りなさい、無礼と言うならば、そこの男の方がよっぽど無礼であろう、異論は認めん」
 フローラは鋼焔に向かって指を突きつけながら、クレアに捲くし立てる。
 鋼焔は素知らぬ顔でそれを受け流した。
 しかし、沙耶は昨晩のことを思い出したのか、また少し落ち込んでいた。

「なんですって―――」
 今度こそ、クレアは姉に向かって怒りを露わにする。
 
 このまま姉妹喧嘩に発展するかと思われたが――

「クレア様、別に構いません、入るチャンスを頂けるだけでも僥倖ですから」
 鋼焔は全く空気を読まず、本当に嬉しく思っているかのように、且つ、クレアを宥めるために落ち着いた声音で話した。

「天城様が、そうおっしゃるなら……」
 矛先を向けられている張本人が、全く気にしていない様子だったため、クレアは毒気が抜かれてしまった。

「ふん、その余裕の表情、いつまで保てるか見ものだな――付いて来い」
 フローラはその鋼焔の態度を見て、鼻を明かしてやりたくなったようだ。
 そして決闘をするため、中庭の広い場所へと皆を誘導する。

「最初に決闘のルールを決めさせてもらう――魔術の詠唱禁止、魔法陣の使用禁止、それ以外なら何をしても構わん、勝敗はどちらかが気絶するまでだ、もちろん降参も認めよう」
 フローラは淡々と説明を始めたが、どう考えても偏ったルールである。


「ちょ、ちょっと待ってください、詠唱禁止っておれたちに不利なんですけど」
 明人が焦った表情で自身を指差しながら、不平を訴える。
 特に鋼焔と明人は、詠唱無しではまともに戦えないので致し方ないことである。

 しかし、フローラは、
「嫌なら、別に帰ってもらっても構わんが」
 冷めた表情と言葉で一蹴した。

「ぐっ……なんて女だ」
 明人は苛立たしげに、小声で悪態をついた。

「――そうだな、時間をかけるのも面倒くさい、クレアを除いた中から三人選べ」
 フローラはただの嫌がらせで条件を提示したわけではない。
 一月前の事件を聞いて、身の程を弁えているのだ。
 聞いた話が事実ならば、ハンデをもらわなければ勝負にすらならないと。

「わかりました―――ちょっとみんな集合」
 これ以上何か条件を増やされる前に、と思ったのか鋼焔は不利な条件を呑んだ。
 四人集まって作戦会議を始める。

「コウさん、私が決めてきましょうか?」
 沙耶はフローラの言い方が癇に障っていたのか、落ち込んでいた様子から一転し、闘志に溢れている。
 少し怖い。

「……い、いや、ちょっと待て、おれに任せてもらえないか」
 鋼焔は沙耶の迫力にたじろぎながらも、この巡ってきたチャンスを活かそうとする。

「コウ、何か策でもあるのか」

 鋼焔は明人の言葉に静かに頷く。

「ああ、沙耶、悠――――」

 そして鋼焔は、沙耶と悠に小声で作戦を話し始めた。



「えっ!? ……コウさんを疑っているわけではないのですが……本当にそれでいいんですか?」
 沙耶は作戦を聞いて耳を疑った。
 鋼焔のことは信頼しているが、その策を選ぶ意味が全く分からなかったのだ。

「うーん、お兄ちゃん、あたしは普通にやってもそうなる気がするけど、いいの?」
 悠は、沙耶と違って二つの指示を出された。
 そして悠も疑問に思っているのか、作戦の意味が分からず唸っている。
 
「ああ、任せた」

「わかりました、悠さんの得意そうな分野ですが、私、頑張ります」

「ちょっと沙耶さん、それどういうこと!」
 沙耶の物言いは、的を射ている。
 図星をさされた悠は目を剥いた。


 そして鋼焔の指示通りに、最初は沙耶が決闘の舞台へと上がる――フローラと少し距離を置いて正面にたった。
 
 二人とも服装はシャツとスカートという出で立ちで、今から戦闘をするようには到底見えない。
 
「ほう、昨日の酔っ払いが最初の相手とは――お楽しみは最後に残しておくタイプなのだが、まぁいいだろう」
 
「最後が良かったんですか? なら、私が決めてしまうので、これが最後になるかと思います」

「――どうやら、まだ酔いが醒めていないようだ、私の剣で醒まさせてやろう」

 二人は鋭い言葉を交わした後、互いの得物を召喚する。

 沙耶はいつも通り日鋼刀のみ。

 フローラも盾を使わない神聖術士だったようで、エストックのみを召喚していた。
 エストックの先端は鋭く尖っている。
 長さは沙耶の刀よりもかなり短い。
 4分の3程度だろうか、リーチではかなり負けている。
 そして彼女もクレアと同じように高級品を使っているようだが、実戦に必要の無い余計な意匠は省かれた簡素な物だった。

「――アリア」

「は、はい、始め!」
 フローラがアリアに開始の合図を促す。
 そしてついに、二人の剣士の戦いの火蓋が切って落とされた。


 先に動いたのは――沙耶だ。
 地面が抉れるほどの踏み切りで、まるで飛び掛るかのように突きの姿勢でフローラに突進する。


 相対するフローラは、右手右足を前に出して構えている。
 その右手に握られたエストックの先端は、わざと構えを崩しているのか、だらりと脱力させるように斜め下を向いていた。


 そして、沙耶の突進による突きがフローラに届こうとした刹那、それは起こった。


 フローラの腕が、蛇のようにグニャリと左側に一度曲がった後、寸前まで迫っていた刀を右側に押し出すように突きを放ったのだ。

 エストックの先端が刀の横腹を叩き、沙耶の思い描いていた軌道を逸らした。
 喉元辺りを狙っていたそれは、フローラの右肩の後ろを通過する。

 フローラは神速の突きを、神技を持って封じ込めた。

 そこからフローラはエストックを引き戻し、お返しとばかりに沙耶の喉元に向かって突きを放とうとする。
 フローラのエストックは、リーチが短い代わりに圧倒的に小回りが利いている。
 沙耶は腕が伸びきったままだ。
 早くも決着が着くかと思われたが。

 しかし、沙耶は突きを放った直後にフローラの右わき腹に向かって、押し出すような前蹴りを繰り出していた。

 フローラは前蹴りに気が付いていなかった。
 突きの姿勢に入っていた彼女は、急制動をかけるが間に合わない。
 カウンター気味に入った沙耶の前蹴りが、右わき腹に直撃する。
 そしてフローラを五メートルほど蹴り飛ばした。

 飛ばされたフローラは、後ろに一回転しながら着地。

 沙耶は相手を警戒してか、すぐさま追撃には移らず右上段に構えた。
 五メートルの距離を、摺り足でじわじわと詰めていく。


 そして戦闘を眺めていた鋼焔は、すべきことを果たすためアリアに近づいていく。

「となり、よろしいですか、アリアさん」
 鋼焔は大変失礼なことに、アリアの豊かな胸を凝視しながら話しかける。

「はい、どうぞ」
 その視線を気にした様子もなく、アリアは笑顔で了承した。

「フローラ様、かなりやりますね」
 鋼焔はかなり驚いていた。
 クレアもそうだったが、戦う必要のない立場の人間が武芸に秀でているのは如何なものか。
 それに、フローラがもし魔法陣を使っていれば、沙耶は先ほどの攻防で負けていた可能性すらある。
 ―――鋼焔は今まで、沙耶に匹敵する剣士を見たことがなかった。
 危うく先ほど飛ばした指示が、無に還るところだった。

「はい、フローラ様は王立魔術学校でもトップクラスの成績ですので」
 王立魔術学校も相当レベルが高いようだ。
 鋼焔は、武鋼魔術学校が飛びぬけているとばかり思っていたが、フローラを見てその認識は改めざるを得ないと痛感した。

「沙耶は勝てると思いますか?」

「……良い勝負になると思います、沙耶様の先ほどの動き、あれほどの神聖術の使い手を見るのはフローラ様以来です」
 鋼焔はそれを聞いて頷いた。

 訊きたかったことが聞けたのだ。



 そして決闘の舞台では、沙耶とフローラが互いの間合いに入ろうとしていた。

 沙耶は右上段――後は刀を振り下ろす動作だけしか必要としない、最速の構えをとっている。
 先ほどの、フローラの突きによる捌きを攻略するためだ。

 
 先に間合いに入った沙耶が動いた。

 
 右斜め上から、前に出ている右腕に狙い定めて斬り下ろす。
 初手の突きなど比べるべくもない速さの一撃がフローラを襲う。
 

 待ち受けていたフローラは、先ほどとは逆に腕をしならせるように動かす。
 一度外に抉るように腕を捻った後、内側に向かって突きこんだ。


 恐るべきことに、再びその突きが沙耶の右上段最速の一刀を捉えた。


 沙耶の斬撃は、先ほどよりも圧倒的に速かった。
 しかも刀は突きのように真っ直ぐ出ていない。
 捉えにくい軌道になっているにも関わらず、フローラは同じように捌いたのだ。

 剣線が歪む――沙耶の刀は空を斬り、フローラの右足付近の地面に吸い込まれていく。

 しかし、捌かれることを念頭に入れておいた沙耶は、手首を返して刀を跳ね戻す、刃を上に向け下からフローラの右腕を掬い上げようとする。

 だが、すでに勝敗は決していた。

 沙耶が刀を上に動かそうとした時点で、喉元の寸前にフローラのエストックが突きつけられていた。
 
「参りました」
 沙耶は切り上げようとしている状態で固まったまま、敗北を宣言した。

「ふぅ……酔っ払いと侮っていたが、中々やるではないか、将来、私の護衛をやってみないか?」

「お断りします、すでに仕える人は決めていますので」
 二人は、勝敗のことなど気にした様子もなく言葉を交わす。
 優れた剣士同士、気持ちが通じ合う何かがあるのだろう。

「それは残念だな――で、次は誰だ、そこの破廉恥な男だと私は嬉しいのだが」
 沙耶との話を切り上げ、鋼焔に対して不敵な微笑みを浮かべながら軽口を叩いた。

「悠、頼んだぞ」

「う、うん」

「おや? さすがにこんな小さい子では私も手加減してしまうかもしれんな、卑怯な真似をする男だ」

「テメ―――ンッンー、よ、よろしくお願いしまーす」
 悠は兄を侮辱されたことと、小さいと言われたことに反応して地が出そうになった。
 だが、指示を完遂するため冷静になろうと努める。

「それでは、始め!」

 開始と同時に悠は大鎌を召喚する。
 そしてゆっくりと走って接近していく、その姿は完全に無防備だった。

 悠は何も考えていないのか、そのままフローラの間合いに入ってしまった。
 
 フローラは容赦無く突きを繰り出した。寸止めではない。
 悠の喉にエストックが貫通する。

 しかし、串刺しになった悠の姿が、徐々に黒い大蛇に変わっていく。
 悠の使い魔のドロシーだ。
 本物はすでに姿を消していた。

 そして串刺しにされているドロシーが、エストックから抜け出し鋼焔とアリアの方に逃げてきた。
 鋼焔には、ドロシーが涙目になっているように思えた。
 主の手荒な扱いに、不満があるのかもしれない。

「……悠様は死霊術士だったのですね、騙されました」
 アリアはドロシーの頭をよしよし、と撫でながら、さぞ驚いたように感嘆した。

「無理も無いですよ、同年代でもズバ抜けていますからね」

「そう、ですね、でも――」
「相手が悪かったかもしれませんね」

「はい……」

 二人が視線を戦っている悠たちに戻すと、フローラが何も無いところに向かってエストックを向けていた。
 5秒、10秒立つ、その間フローラの剣尖は、何かを追っているかのように動いている。

「…………参りました」
 すると、観念したのか姿を消していた悠が現れる。
 エストックの先端は、悠に向けられていた。
 フローラは早々に『解呪』して悠の姿が見えていたようだ。

「まぁ年齢のわりにはできるほうだな―――おい、そこの貴様、次はおまえなのだろう?」
 フローラは軽く悠をそう評した後、鋼焔に剣先を向けた。

「ええ、お相手させていただきます」

「貴様には寸止めする自信がないな、後で誰かに治癒してもらうがいい」

「よろしくお願いします」
 鋼焔はフローラの明らかな挑発を無視する。
 
「ふん」
 その態度にフローラは忌々しそうに鼻を鳴らした。




「……私、嫌な予感がします」
 沙耶は過去の記憶から、この後に起きることの予想がなんとなく付いていた。

「どうしたババア、ここまではお兄ちゃんの予定通りじゃん」
 

 そう――鋼焔は二人に、ある程度戦った後、わざと負けるように指示を出していた。
 

 沙耶も悠も指示通り、加減して戦っていた。
 しかし、沙耶は初めの攻防でフローラの実力を看破し、最後の一撃はほぼ全力で放っていた。
 どうやら、速さ"だけ"で打倒できる相手ではないと確信し、安心して渾身の一刀を振り抜いたのだ。

 悠は術の効果を弱め、フローラが『解呪』し易いようにしていた。
 そしてもう一つの指示も、きっちりとやり遂げた。


「……いえ、そうではなくて、昔からコウさんと魔術無しの組み手をすると決まって――」

「始め!」

 沙耶と悠が話している間に、最後の一戦が始まった。




 詠唱が禁止されている以上、鋼焔にできることなど限られている。

 神聖術は適性が無い。
 武神術は習得する必要も、暇も無かった。

 身体強化ができない鋼焔は、端からまともに勝負する気は無い。

 とりあえず鋼焔は、『アスカロン』を召喚する。

 しかし、鋼焔は剣など扱えない。
 傀儡術で刀を操ることと、実際に刀を握って振るうことは全く違う技術なのだ。
 そして傀儡術は、魔術で生み出していない物は操ることが出来ない。

 だから仕方ないので、鋼焔は『アスカロン』をブン投げる。
 剣尖が真っ直ぐフローラの顔面に向かうように、柄に掌を当てて押し出すように投擲した。

 もはや、『アスカロン』の値段など気にしていない。

「なっ――ふざけた真似を」
 てっきり剣同士で打ち合うと思っていたフローラは、裏切られた気分になったようだ。

 そしてフローラは剣尖を睨み付ける。
 尖った先端に視線が吸い込まれる。
 

 フローラは『アスカロン』を避けなかった、エストックで軽々と捌く。

 そしてフローラの視界には、向かってきている鋼焔が映っている。
 神聖術士でも武神術士でもない鋼焔の走りは、彼女から見れば鈍足だ。

 フローラは待ち受ける。近づいた辺りで腕辺りを刺してやろうと思った。

 しかし、近づいてきた鋼焔が、急に不自然な動きをしたため身構える。
 走りながら、腕を引いている――何かを投げる動作だ。
 だが、手には何も持っていない。

 そしてそれを見ていたフローラの視界が、一瞬、何かに塞がれた。

「―――なにッ」

 鋼焔は剣を投げた後、フローラに向かって走りながら盾を上に投げていた。
 放物線を描いて落ちてきた盾は、フローラの眼前を落下し、数瞬だけだが鋼焔の姿を完全に隠す。


 ただでさえ人間は、尖った物を見てしまうとそこに視線を集めてしまう。
 さらにフローラは、神速の刀をピンポイントで捌けるほどの、類稀な集中力の持ち主。
 彼女は剣に集中する余り、鋼焔が盾を放り投げる瞬間を見逃していた。

 そして盾が通過した直後、フローラの額に『アスカロン』が刺さろうとしていた。

「――うッ」
 フローラは突如眼前に現れた剣に驚愕し、小さく呻き声を上げ、反射的に目を瞑った。
 直後、額に衝撃が走る。
 だが、手元から離れた時点で武器の魔力は減少していたのか、殴られた程度の痛みしかない。


 これはフローラにとって、完全に予想外の出来事だった。
 走りながら、しかも投げる動作をしながら、得物召喚の魔術を行使することができる人間が、存在しているとは思ってもみなかった。
 得物召喚は詠唱する必要は無いが、精神集中はそれなりに必要なのだ。

 フローラが五感の類稀な集中力の持ち主なら、鋼焔は精神の類稀な集中力の持ち主である。

 さらに、フローラが瞑っていた目を開いた瞬間、今度は目と鼻の先に盾が迫っていた。

 ガンッと鈍い音を立てて、フローラの顔面に盾が直撃する。

 こうも、いきなり眼前に迫られていると、捌くことも避けることも不可能だ。
 

 フローラはやられながらも、鋼焔の洞察力に驚嘆していた。

 初戦、沙耶が最初の突きを繰り出した時、フローラは刀に集中する余り、前蹴りに気が付くことができなかった。
 鋼焔はそれを糸口にして、フローラの長所が短所でもあることを見抜いたのだ。
 

 「貴様ッ!! ―――なにを!?」
 視界が戻ったフローラが鋼焔に向かって吼える。
 しかし、盾で顔を塞がれている間に、鋼焔がフローラの右側を通り過ぎようとしていた。

 
 そして、鋼焔はそのままフローラの背中に飛び乗り、


「――ひっ、んっ、やめっ……こ、この変態、死ねっ!!」


 後ろからフローラの胸を揉んだ。

 フローラは胸を這い回るおぞましい感触に、嬌声と罵声をあげた。
 そのまま、背後の鋼焔に向かってエストックを振るう。

 しかし、その斬撃を鋼焔は、

「【Ncr Ned Fbr Spc】」
 禁止されていた詠唱を行い、短距離空間跳躍で避けた。


「やっぱり……」
「お、お兄ちゃん、最低!!」
「…………女の敵ですわ」
「コウ、恐れを知らぬ男め……」
 沙耶は以前に同じことをやられたので、こうなると分かっていた。

 クレアはなんとなく鋼焔という人間が分かってきた気がした。
 戦闘中は、何を仕出かすか分からない人なのだと。

「すみません、詠唱してしまったのでおれは失格ですね」
 鋼焔はあっけらかんとしている。
 
「……いいや、ルールは変更だ、どちらかが死ぬまでやろうではないか」
 フローラの目は完全に据わっている。

「お、お姉様、落ち着いてください」
「フローラ様、ここはどうか御収めください……」
 クレアとアリアが、焦った表情で止めに入った。



「……貴様ら――いや、貴様にはもう二度とインスマスの地は踏ません、明日朝一番にここを去れ、もう二度とその面を拝みたくは無い」
 フローラは少し怒りが収まったのか、呆れた表情をしながら冷静に告げた。
 告げた内容はただの脅しだ、王が承認する可能性は低い。
 だが、これで鋼焔たちが『騎士領』に入るのは、実質不可能になった。

「はい、わかりました」

「くっ………ふんッ」
 鋼焔は慇懃に応じたが、それがかえってフローラを逆撫でする。
 もちろん、鋼焔は故意にやっていた。

 そして鋼焔をひと睨みした後、フローラは城の方へ歩き去っていった。


「アリアさん、すみません、せっかくチャンスを作ってもらったのに、それを棒に振るような真似をしてしまって」
 鋼焔は、精一杯申し訳なさそうにアリアに謝罪する。

「い、いいえ、気になさらないでください、勝負の結果ですから仕方ありません」
 アリアの表情はかなり引き攣っている。
 鋼焔を見る眼差しも、どこか忌々しそうだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 すでに夕食もとり終わり、午後十一時を回っている。

「コウさん、入っても構いませんか?」
 鋼焔の部屋に沙耶が訪ねて来た。

 扉を開けて沙耶が部屋に入る。
 今日買った、洒落たナイトウエアを着ていた。
 そして、ベッドに座っていた鋼焔の隣に座る。

「昼間の、あれで本当に良かったんですか?」
 沙耶には未だに、鋼焔がやろうとしていることが分からなかった。
 
「ああ、間違いなく明日―――信夜さんと会う事になる」
 鋼焔は自信を持ってそう言った。

「そう……ですか」
 沙耶は少し驚いたが、鋼焔の言葉をそのまま受け止める。


 そして父と母のことが脳裡を過ぎった。


「沙耶、迷っているなら」

「……いいえ、そういうわけじゃありません、少し考えていただけで」
 鋼焔には沙耶の表情が悲しそうに見えた。
 沙耶は、以前から父親のことは、自分で決着をつけると言っていた。
 今まで、鋼焔はなにも肉親を殺すことはない、と繰り返していたのだが、彼女は頑なに譲らなかった。


「――そうだ、これ昼間買ったんだけど、受け取ってくれ」
 少し暗い雰囲気になってしまったのを切り替えようと、鋼焔は用意していた物を取り出す。
 赤い色の宝石をあしらってあるペンダントだった。

「も、もしかして、私にプレゼントを買っていてくれたんですか!? う、嬉しいです」
 突然の贈り物に、沙耶の表情は一変した。
 
「そんな大した物じゃないけど……というか、半分おれのお守りみたいな物で悪いんだけど、それ、肌身離さず持っていてくれないか」

「分かりました! お風呂に入っている時も絶対はずしません」
 沙耶は喜悦の表情で、鋼焔からもらったペンダントを胸に抱いている。

「いや……流石にそこまではしなくていいけど、喜んでもらえたなら良かった」
 鋼焔は、たまにはプレゼントもしとくもんだな、としみじみと思った。

「あのう……コウさん、今日はこの部屋で眠ってもいいですか?」

「ああ」


 室内に沈黙が降りた後、二人の唇は自然と重なり合っていった。



[29549] 二章 七話 現代魔術
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/17 10:07

 インスマス王国での三日目の朝、鋼焔達は最後の朝食を食堂でとっていた。

「グロリアさん、アリアさん、朝食をすませたら帰らせていただきますね、短い間でしたけど、ありがとうございました」
 鋼焔は皆を代表して、二人に世話になった礼を言う。
 
「はい……フローラ様から話は聞いております、すみません、お力になれなくて」
 グロリアは沈痛な面持ちでクレアの後ろに控えていた。
 鋼焔のせいでこうなっているにも関わらず、彼女は本当に自分が無力だと悔いるように力なく言葉を漏らした。

「………………」
 アリアは無言で佇んでいる。表情もどこか硬い。

「い、いえ、自分がやってしまったことなのでお気になさらず」
 グロリアの表情を見た鋼焔が、慌てて声をかけた。
 自分のせいでそこまで思い詰められると良心が痛む。


「はぁー、二泊三日やったかぁ、あと一日あったら良い夜のお店いけてんけどなぁ」
 空気を変えようとしたのか、古賀がわざとらしく話し始めた。
 だが、またしても妻子ある身に相応しく無い発言である。

「おいッ、コウ!」
 明人はキッと鋼焔を睨む。
 夜のお店にかなり興味があったようだ。

「そこで突っ込む相手は古賀さんだろう……」
 鋼焔の意見に女性陣はウンウン、と肯定する。そして古賀に向けて冷たい視線が集まっていく。

「じょーだん、冗談やって!」
 たじろいだ古賀は、両手を顔の前に掲げて軽蔑の眼差しから逃れようとしていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「悠、忘れ物はないな?」

「うん、大丈夫だと思う」


 朝食後、すぐ荷物をまとめ、帰りの支度を終わらせた鋼焔たちは城門の前に集合していた。

 インスマス王国の朝は涼しいを通り越して、少し肌寒い。
 日鋼は夏が近づいていたが、インスマスとは気候が違うようだ。
 皆、少し暖かそうな服装に着替えていた。

「しっかし、コウ、どうするんだ本当に、今から忍び込むのは骨が折れるぜ」
 明人の言うことは尤もだった。
 おそらくフローラはその可能性を予期して、警戒態勢を敷いているだろう。
 正規ルートで入らなければ、確実に誰かに見つかってしまう。

「……堂々とわたくしの前で、忍び込む相談なんてなさらないで下さいませ」
 クレアも鋼焔たちと一緒に日鋼に戻るため、同行している。
 そして、これで何度目になるか分からない不穏な発言を聞かされて、疲れた表情になっていた。

「まぁ、大丈夫だ、とりあえず正門まで歩いてみれば分かる」
 鋼焔は自信満々に発言した。
 全く何の心配もしていないように見える。
 それから、皆に先立って正門に向けて一人歩き始めた。

「? むぅ……わけが分からん」
 明人は正門に行ったところで何も状況は改善しないだろうと思っているのだが。
 とりあえず、鋼焔の言葉を信じて付いて行くことにした。

 そして正門に向かってしばらく歩いていると、城の方から誰かが走って追いかけてきた。

 足音に気がついたクレアが振り向くと、そこには、

「アリア? どうなさったの?」
 息を切らしたアリアがいた。

「…はぁ…はぁ…皆様お待ちください、お話しがあります」
 彼女は必死の形相で呼吸が整わない内から話し始めた。
 よほど切羽詰っているようだ。

「……フローラ様は、今日戻ってきませんので……私の独断で『騎士領』に皆様をお連れします」

「ア、アリア何をおっしゃってるの、そんなことをしたら貴方がどうなるか……」
 アリアの発言は問題だ。
 フローラの命令に背くことは許されないだろう。
 間違いなく今の立場は失われ、牢屋行きも免れない。

「アリアさん気持ちは嬉しいのですが、そこまでしてもらうわけには」
 鋼焔はアリアの決意を受けて、非常に申し訳無さそうな顔をして遠慮する。


「いいえ、天城様にはクレア様の命を助けて頂いたのです―――職を辞す覚悟もできています、これぐらいは遣らせて下さいませ」
 只管、真剣な表情で真摯な言葉を並べていく。
 彼女の決意は本物のように思える。

「付いてきてください」

「アリア―――」

 クレアが再び声をかけようとしたが、有無を言わさぬようにアリアは城の裏手に向かって駆け出した。


「な、大丈夫だったろ――行こう」
 鋼焔はそう言って明人の肩をポンと叩く。
 そしてアリアの背を、獲物を追い詰めた蛇のような眼で睨んでいた。

「………あ、ああ」
 鋼焔の予想通りに事が運んだことに、明人は驚きが隠せない。
 さらに彼の表情を見て、これから何かが起こるのだろうと確信した。

 城の裏手には中型サイズの転送装置があった、厳重にロックされているのかアリアはパネルを操作した後、網膜をスキャンしていた。
 ロックが解除され転送装置の扉が開く。

「こちらへ」
 アリアの指示に従って、中に入っていく。
 彼女がキーを操作し、瞬く間に転送が終了する。


 扉を開くと、そこには白い世界が広がっていた。


 『騎士領』とは古代の神聖精霊の遺跡だ。そのため聖騎士の聖域とされている。
 眼前には白い石で造られたいくつもの神殿が建ち並んでいる。
 これらは数万年前の建築物だが、魔力を籠めて作られておりかなり良好な保存状態で残されていた。
 

「すごー、写真とっとこ」
 悠は鞄から携帯端末を取り出して、すぐさま白い光景をその中に収めた。

「……悠さん、観光に来ているわけではないんですよ」
 沙耶は呆れながら、悠を横目で睨んでいる。

「わかってるけどさー、お兄ちゃんと沙耶さんのせいで二度と来られそうにないんだもん」
 二人は反論のしようも無い。なんとも耳が痛い話だ。


「明人、爬虫類の死体が発見された場所、分かるか?」
 鋼焔はさっそく神宮寺信夜の潜伏先を見つけるため、明人の父親たちがくれた情報を確認する。

「ああ、確かあっちの方だ」
 明人は転送装置から、北西の方角に百メートルほど離れた地点を指差した。

「アリアさん、向こうの方を見に行っても構いませんか?」

「はい、何も無いと思いますけど……」
 たしかに明人の指差した先は、他の場所よりも建物自体が少ない。
 保存状態も悪いものが多く、半壊しているものさえ見えた。

 北西の方へと歩いていく。

『騎士領』の地面は舗装されておらず歩き難い。
 向かっていく先には、神殿から崩れた石材が散らばっていた。

 そしてその途中、鋼焔は何かに気がついたのか、足を止めた。
「京、今さっき転送装置のあたりに魔力の反応が無かったか?」


「……たしかに、ありましたが鼠か猫かと思われます」
 鋼焔の隣に現れた京は、難しい顔をしている。
 どうやら魔力感知にひっかかったモノは微弱な力だったようだ。

「そうか、じゃあ先を急ごう」
 鋼焔はさっそく誰かに見つかったのかと警戒したが、勘違いだったのかもしれない。

「……たしか、ここらへん、だったと思う」
 そうこうしている内に目的の場所へと到着する。
 周りには半壊している神殿ばかりある。中には今にも崩れそうなものもあった。

「御主人、あの神殿から何か感じます」
 京は神殿自体が発している以外の魔力を敏感に察知したのか、半壊している神殿の一つを指差した。
 
「行ってみよう」

 全員でその神殿に入り、異常が無いか確認していく。
 見たところ、崩れている石ぐらいしか目に付かないが。

「ん、ここなんかおかしないかなぁ」
 古賀が床の石の異常を発見した。床は四角い石がびっしりと詰められているのだが。
 そこだけ石の大きさが、微妙に他の床の石と比べて小さいため隙間ができている。

「本当ですね、ここだけ反響する音が違います」
 沙耶が神聖術で強化した拳で、床が砕けそうなほどガンガン殴りつける。
 たしかに反響する音が違っていた。どうやら下に空間があるらしい。

「明人、そっち指いれてくれ、おれはこっち持つから」
 
「分かった――せーのっ」
 鋼焔と明人で石床を退けると、階段が現れた。
 地下へと続いている。普段から使っているようで、階段には靴の跡が残っていた。

「地下、ですの? まさか本当に……」
 クレアは、インスマス王家が犯罪者に加担していたことが信じられないのか、言葉を失った。

「とりあえず入ってみよう」
 鋼焔が灯の魔術を唱えて暗い通路に灯を点す。
 鋼焔を先頭にして階段を下っていく。

「う、何だか変な臭いがするー」
 悠が鼻を押さえて嫌な顔をした。

「……本当ですわね」
 地下から、薬品の臭いと何かの腐敗臭が漂ってきていた。



「広い、ですね」
 階段を下りると広大な地下空間が広がっていた。
 最近誰かが造ったわけではなく、神殿と同様に魔力の籠もった石材で壁や床がしっかりと造られている。
 床には無造作に本や資料が捨てられている、本棚もいくつかあるが本の量に比べて圧倒的に足りていない。
 本棚の近くに戸棚も置かれている、その中に多種多様な薬品がしまってあった。

「むっ? なんだ、この文字……コウ分かるか?」
 明人は床を見てギョッとした。
 床一面に見たことも無い文字が書かれていた。
 
「いや、おれも見たことが無い、気をつけたほうがいいかもしれん」
 ほぼ部屋全体に描かれているようだった、おそらく結界術の類だと予想できるが。

「お、お兄ちゃん、あそこ見て、あれなんだろ……」
 悠は中央に設置されている、人が入れるぐらいのサイズのカプセル型の装置を指差した。

「やっぱりあったか、ここが神宮寺信夜の隠れ家と見て間違いない」
 鋼焔が、いの一番に確認したかったものが見つかった――『転写の魔術装置』だ。
 これは確実に廃棄しなければならない物だ。

「そんな……」
 クレアが愕然とする、ショックを隠しきれないようだ。

「肝心のお父様の姿が無いようですが……、とりあえずその装置、破壊しておきますか?」
 周囲を確認した後、沙耶は刀を召喚して『転写の魔術装置』を指差した。

「ああ、おれがやる、皆離れていてくれ」
 他の人間が鋼焔を中心に広がるように離れた後、装置に手を翳しながら火の魔術を詠唱する。


 そして、詠唱が完了した後、鋼焔はその手を――アリアに向けた。


「あ、天城様!?」

「コ、コウなにするつもりだ」

「転写装置でそんなことまでできるとは思わなかったが――」
 鋼焔は拾った研究資料を読んだが、魔術と遺伝子を組み合わせるとどうなるのか、あまり理解していない。

 だが、積み上げてきた証拠がアリアの化けの皮を剥がした。

「……あらら、やっぱりバレていましたか」
 アリアの口調と表情が一変した。
 愉快そうで、どこか自信に満ちているような印象を受ける。
 
「ア、アリア、何を言っていますの!?」
 
「すみません、クレア様、―――僕は、アリアという人間ではありません」
 ニコニコとアリアの顔をした誰かは、楽しそうに口ずさむ。
 正体がバレるのは、織り込みずみだったようだ。



「―――そいつが『神宮寺信夜』だ」
 鋼焔は断定する。
 完全な証拠は無かったが、それしか考えられなかった。
 四年前に入れ替わり、ボロを出す可能性を低くするため『騎士領』に居住し、同時にここで研究をしていたのだろう。

 そしてクレアから聞いた話では、アリアは胸を見られるのと爬虫類を嫌がるはずだった。
 しかし、この偽者は胸を凝視されても顔色一つ変えない。
 大蛇――ドロシーを見ても怖がらず、あまつさえ撫でていた。
 よほど爬虫類が好きな人間でもない限り、触りもしないだろう。

 さらに、アリアは沙耶の戦闘スタイルを見て、一目で『神聖術士』と判断していた。
 一度戦ったクレアですら武神術士と勘違いしてしまう、刀を持った聖騎士という珍しい存在にも関わらず。
 神宮寺沙耶の情報は価値が低いため、わざわざ調べる可能性も無い。
 仮に、アリアが信夜の仲間だったとしても、うっかり間違えてボロを出してしまうような情報を教えるわけもない。自分の娘は武神術士とでも教えておけば済む話だ。


 彼女が父親であったからこそ、ついうっかり口にしてしまったのだ。

 
 そして正体よりも重要なのは、なぜ五年もの間、手がかりすら掴ませなかった人間が爬虫類の死体と自分の研究結果を晒してボロを出したのか、ということだ。


「う、うそだろ……」

「ど、どういうことですの、いつからアリアは……」
 鋼焔以外の誰もが驚愕の表情を浮かべている。
 沙耶は複雑な表情になっていた。久しぶりに会った父親が女になっていたらそんな顔もするのだろう。

「そこの装置で『上書き』させてもらったんですよ――あ、それと彼女のことは別に悲しまなくていいですよ、最初から僕の仲間でしたから」
 信夜は転写の魔術装置を指差しながら楽しそうに説明する。

「……殺したの、ですか」

「邪魔でしたから」

「くっ……貴方ッ」
 クレアは眼に殺気を籠めて睨み付ける。
 眼前の偽者の言葉が真実かもしれない、例えそうだったとしても、思い出の中のアリアが間諜だったとは今は信じることができなかった。

「……さて、お父様、私も聞きたいことがあるのですが―――どうして、お母様を殺したんです」
 沙耶は殺す前にこれだけは訊いておきたかった。
 仲の良かった夫婦だったはずなのに、母親は五年前、家で殺されていた。
 
「ああ、僕の邪魔をしたから殺したよ」
 本当になんでもなさそうに、信夜は答えた。
 まるで蚊か何かを潰した程度の感情しか持っていないように思える。

「そうですか―――では、死んでください」
 沙耶は刀を信夜に向けて構える。

「やれやれ、どうしてこんなにのんびりとお話ししてあげていると思うんだい? ふふ、折角だから見せてあげるよ」
 信夜の皮膚が緑色に変化し始める。
 緑色の鱗が体中に現れ、身体が肥大化していく。
 頭から背中にかけて角と思われるものが生え出した。

「トカゲ……やないな龍か?」
 信夜は自分の体で実験していた。目撃情報のあった二足歩行するトカゲとは眼前の化け物だった。

「うっ……気持ちわる」
 悠が変貌していく信夜を見て口を押さえた。
 龍の不完全な遺伝子を使っているせいなのか、信夜の体は鱗の部分と、人間の肉が緑色になってブヨブヨとグロテスクになっているのが混じった不恰好な姿をしている。

 変貌していく信夜に向けて鋼焔は火炎の弾を発射した。
 
「効かないよ、その程度の魔術なんて」
 しかし、龍の鱗が火を掻き消す。全くダメージを受けた様子が無い。


 そして突然、誰かの魔陣領域が地下室に展開された。


「―――貴様ァああああああッ」
 その直後、この場にいなかった女性の怒号が地下室に響き渡る。
 さきほど、鋼焔が転送装置付近に感じた気配は彼女だった。
 どうやら彼女は隠の魔術で尾行していたらしい。

「お、お姉様」
 フローラがエストックを構え、背後から信夜に飛び掛っていく。
 しかし、殺されたアリアの話を彼女も聞いていたのか冷静さを欠いている。

『やれやれ、貴方のせいで面倒が増えたんですよ、これ以上邪魔をしないでください』
 信夜はフローラの方を見もしない。
 エストックが、信夜の背中のブヨブヨした肉目掛けて突きたてられようとしたが――龍尾によって防がれた。

「……そんな、ぐあッ」
 そしてそのまま龍尾でフローラを弾き飛ばす。

『まずは一人』
 振り向いた信夜がフローラに向かって大きく口を開ける。
 そして口からブレス――火炎放射が吐き出された。

『【Ncr Ned Fbr Spc】』
 しかし、間一髪、鋼焔が空間跳躍でフローラの前に割って入った。
 そのまま二人はブレスに押されて、壁際まで凄まじい勢いで弾き飛ばされた。

『おや、死んでもらっては困る人に当ててしまいましたか』

「悠さん、コウさんの様子を見てきてください」
 沙耶は信夜から視線を離さず、悠に指示を飛ばす。

「わ、わかった」
 
 悠が動いた瞬間、沙耶が信夜の足をなぎ払おうと突っ込んだ。
 信夜は避けるそぶりすら見せない。
 右からの水平斬りが、左足の肉の部分目掛けて炸裂する。

「ちっ、切り難いですね」
 だが、刃が肉の弾力に押し返される。
 鱗は堅く、肉は柔軟でどちらを狙ったところで通用しない。
 信夜は足元の沙耶に向かってブレスを吐く。
 沙耶は肉を蹴飛ばした反動でそれを回避した。

「みんな火は止めとくんや、意味なさそうやで」
 
「……刃が、通りませんわ」
 古賀、クレア、明人も集中的に攻撃を浴びせていくが信夜は動こうとしない。
 相手は固定砲台よろしく、ブレスを吐き続ける。
 火の魔術以外なら、多少ダメージを与えられるようだが、ノータイムで相手が攻撃してくるため、なかなか詠唱をすることができない。
 
「もう終わりにしていいですか? やることがあるんですよ」
 
「調子に、のんな!」
 接近した明人が武神術による拳を叩きつけるが、やはり鱗によって防がれる。

「……くそっ、ほんま化け物やな」
 古賀が舌打ちする。攻略の糸口が見つからない。
 時間が経てば自分たちが不利になるのは明白だった。



「おい、貴様、大丈夫か!? なんで私を……」
 弾き飛ばされていたフローラはほとんど無傷だった。

「……大丈夫です、昨日までの詫びのつもりでしたが、余計でしたか」
 鋼焔は背中に軽い火傷を負っていた。
 咄嗟に召喚した黒鱗の盾である程度は防いだが、さすがに無傷というわけにはいかなかった。

「……い、いや、助かった、礼を言う―――ありがとう」

「それよりも急がないとまずい、さっさと片付けます」

「【Ark Fir Irx】」
「【Ark Ift Aym Wul Pjr Sol Irx】」
 鋼焔は二本の刀を具現化させる。

「沙耶! 受け取れ」
 そしてそれを、傀儡術で沙耶に向かって飛ばした。

「―――コウさん」
 鋼焔は信夜を自分が殺そうか、と言っていた。
 だが、そこまで甘えるつもりはない。五年前は鋼焔が全て一人で背負ったのだ。
 今度こそ沙耶は自分の手で決着をつけて、胸を張って鋼焔の隣を歩んでいきたいと思っていた。

 そして鋼焔はその気持ちに応える。
 沙耶に渡したのは、『村雨』と『祢々切丸』だ、これで父親を斬り殺せというのだ。
 
 『村雨』の刀身は水で濡れている、この刀はあらゆる炎を切り裂く。
 『祢々切丸』は沙耶の怪力でも、重いと感じさせるほどの巨大な太刀になっている。
 二本とも鋼焔の強力な魔力が籠められていた。

 不穏な気配を感じ取ったのか、信夜が沙耶に向けてブレスを吐いた。

 しかし、沙耶の左手が炎に向かって繰り出される、すると

 村雨が火炎の息を引き裂き消滅させた。

 爬虫類の目が驚愕に見開かれる。

「さようなら、お父様」
そしてそのまま信夜の懐に入った沙耶は、右の『祢々切丸』で信夜の首――龍の頭をあっさりと切り落とした。
 沙耶にはもう父親に対する感情は殆ど残っていなかった。
 殺すことを躊躇する相手ではもはやなかった。

 あの日から、天城鋼焔が神宮寺沙耶の全てだった。


 悠がフローラと鋼焔を連れて戻ってきた。
 
 そして鋼焔はすぐさま転写の魔術装置を破壊した。

 しかしそれを破壊した瞬間、何らかの魔術が発動する。

 信夜の罠が発動する――地下室を赤い結界が包み込んだ。

 彼は、『騎士領』の石材に結界魔術を刻み込み、『転写の魔術装置』と組み合わせて、結界内に居る人間の魔力を、自身に転写できる罠を作っておいた。

『【我…………、次元の…………、…………出でよ異界の門】』
 そして首だけになった信夜が現代魔術を詠唱していく。
 そしてそれが発動する。

 この時、地下室にいた人間全員の魔力が一気に奪われた。
 鋼焔以外はほとんど空になるまで吸い尽くされる。
 
 そして地下室の床が青白く光り、魔術で出来た門が地面に現れる。

『はは、ふはは、やった、やったぞ、成功した、成功したッ! 赤羽、黒田、成功したぞおおおおおお』
 首だけの信夜は狂ったように叫ぶ。
 彼らが何年も追い求めていた夢がついに叶う。
 龍が存在しているだろう世界と、この世界が繋がろうとしている。

「な、なんなのですの、これは……」

「……地面が、青く光ってる」

「な、なにをした貴様ッ!」

「【Io Ift Aym Wul Pjr Sol Ahrp】」
 動揺している皆を鋼焔は暴風の魔術で、青白く光る床から吹き飛ばす。


「コ、コウさん、何を……!?」
 鋼焔以外の全員が壁際まで飛ばされ、信夜の魔術の範囲から逃れた。



 鋼焔には、以前から疑問に思っていることがあった。
 五年前に拾った研究資料の中にあった第二の研究は、なぜ術式が完成していたにも関わらず失敗したか、についてだ。
 謀反に加わっていなかった研究者に聞いたことはあるが、その答えを持っている人間は存在しなかった。
 おそらく根幹に関わっていた者だけが詳しく知っていたのだろう。

 鋼焔も資料を眺めている内に、ある程度の仮説は立てることができていたが、決め手に欠けていた。

 しかし、ある出来事がその答えをもたらし、幼稚な方法で確信することができた。

 ―――なぜ、神宮寺信夜がこのタイミングで『罠』を張ったのか。

 三年前でも、一年前でも、半年前でもなく、なぜ、『今』なのか。

 そして鋼焔は、そのことから答えに辿り着いた。


 第二の研究――現代魔術『異世界への門』に『足りない物』とは、『膨大な魔力』だった、ということに。


 『一月前』、鬼堂灯美華を止めるために、鋼焔は己の絶大な力を解放した。

 一般客の中にどこかの国の間諜が混ざっているのは確実だった。

 どこからか神宮寺信夜はその情報を手に入れ、ある計画を建てた。
 
 そう、『膨大な魔力』を持った人間――鋼焔を『騎士領』に連れてくることが目的だったのだ。

 
 初め、信夜には余裕があった。
 それ以上に浮かれていた。五年以上見つからなかったものがついに見つかったからだ。

 そして鋼焔を挑発してここに誘き出し、すんなりと事を運んだあと、再びアリアに扮してインスマス王国に留まり、研究を続けよう、という思惑があった。
 
 しかし、それは相手を舐めすぎていた。


 ―――鋼焔は、わざとらしいほど『騎士領』に入れなくなるように振る舞い始めたのだ。


 彼は焦った、このチャンスを逃せば二度と『異世界への門』は成功することは無いと。


 だから、必死にフローラを説得して機会を作った。
 さらに、フローラに背く――アリアという隠れ蓑を捨てる覚悟で動いたのだ。
 
 結果として形振り構わず行動した信夜によって、鋼焔が抱いていた疑惑は、確信に変わって行くことになった。

「京、荷物を全部持って背中にくっついていろ」
 鋼焔はアスカロンと黒鱗の盾を召喚して京に渡した。

「わ、わかりました!」
 体の大きさに不釣合いなものを持ったまま、京は鋼焔の背中に張り付く。


 鋼焔は、この五年の間に『罠』に対するそれ相応の『準備』と『覚悟』はしてあった。


「【汝は姿無き刃、次元の鉄鎖を断ち切る強靭な刃なり、我は汝の主にして世界の連環を斬り伏せし無上の刀剣】」


 そして鋼焔の口から、彼の夢を打ち砕く詠が紡がれていく。
 それは現代魔術だった。しかも信夜が聞いた事もない詠唱を唱えている。

「―――……そ、そんな馬鹿な……なんで、なんで、そんなものを……おまえが唱えることが、できるんだ……」
 信夜が驚愕するのも無理はない。
 空間系統――しかも『異世界』に関わる現代魔術を、研究者でもない人間が術式を理解し、新たに『産み出す』など考えられないことなのだ。

 だが、鋼焔は五年という時間を費やして、研究資料に載っていた『異世界への門』に対抗する現代魔術を生み出していた。

 ――研究者でもない、その上特別な知識も無かった為、鋼焔には四年近くかかったのだが。

「これで、終わりだ」
 鋼焔は、五年前から続いていた戦いに、終止符を打つ。

「……あ、あ……あぁ……ぁ……ぁ…………」
 龍の遺伝子のおかげで首だけになっても生きながらえていた信夜だが、鋼焔によって完全に精神をへし折られ、終に息絶えた。
 
 そして鋼焔はタイミングを見計らい、現代魔術『次元斬』を発動させる。
 鋼焔の右手に赤黒い光が集まる。それが鋭く尖った刃のような形に変化していく。

 
 異界への門が開く、地下室を青白い光が呑み込んでいく。

 それと同時に鋼焔は発動させた魔術の刃を振るおうとした―――

 鋼焔が腕を振るった瞬間、青白い光と赤黒い光が衝突し、爆発した。

 地下室を二つの相反する光が覆い尽くす。

 そして光が徐々に終息していく。
 
 視界が戻った地下室の中央――『異世界への門』は跡形もなくなっていた。
 

 
 「…………え、コ……コウさん?……コウさん、どこですか?…………コウさん………コウさん………―――コウさぁぁあああああああん」
 そして沙耶は、そこにいるはずの人が見当たらないことに愕然とし、叫び声をあげ続けた。
 

 ―――鋼焔と京の姿も、この世界から消失していた。
 

 [第二章 完]



[29549] 三章 一話 異世界、墜落
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/19 01:32

 森の中を少女は歩いていた。
 右手には釣竿、左手には木製のバケツを持っている。そして背中には大きな銀のハンマーを携えていた。
 彼女は、これから森の中央に位置する湖で釣りをする予定だ。

 釣りは本来、彼女の仕事ではない。しかし、今はそうも言っていられない。

 ここ最近、『魔物』の活動が異常に活発になり始め、森に行くのも命懸けになってしまい、戦闘能力を有する者が、村の外の仕事を分担していた。
 単独での戦闘能力が高い彼女と他数名が森で狩りを行っている。
 他の村民は村の警備や、『魔物』によって破壊された建物の復興に当たっている。

 しばらくして少女が湖の近くに着いた頃、空が光った気がした。

『ん? 気のせい、かな』
 空を見上げ、呟く。しかし、曇天の空には分厚い雲しか映っていなかった。
 そして視界の端にはいつも通り、別の大陸がいくつか浮かんでいるのが眼に入る。
 
 少女は視線を正面に戻す。
 今日こそはたくさん釣ってやる、と気合を入れなおして再び湖へと歩を進めた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 鋼焔は今しがた自分が出現したポイントを注視する。
 『異世界への門』の消失を確認した。

 凄まじい風の音が耳を打つ。服がバサバサと音を立てている。

 鋼焔たちは落下していた。

 どうやら、異世界側の門は上空に開いていたらしい。下には雲が見える。
 上空何メートルなのかは定かではない。
 
 そして鋼焔に異世界に来てしまった動揺は無い。
 編み出した現代魔術『次元斬』は、対象の空間魔術が発動後ではないと使えないため、運が悪ければ異世界側へと飛ばされる可能性も予想していた。
 
 そのため、帰る手段ももちろん用意している。

「京、もう一度背中に掴まれ、戻るぞ」
 まだ、異世界に来て十秒も経っていないが、とっとと帰ることにする。
 相棒に声をかける。
 しかしその時、己の声にかなりの違和感を覚えた。
 鋼焔の声がやたらと高くなっている。声変わりしていないような声。
 いきなり上空に出たせいで、耳がおかしくなったのだと判断する。

(ご、御主人、どこにいるのですか?)
 京は主を探すように必死に首を動かしている。かなり困惑している様子が見て取れた。
 
「……目の前にいるだろう? もしかして見えていないのか?」
 鋼焔は嫌な予感がしてきた。
 異世界に来たため、精霊である京に何か異常が起こったのかもしれない。

(そ、その声、本当に御主人の声なのですか……?)
 普段聞きなれた主の声とはかけ離れているため、余計に戸惑う。
 京はどうやら、鋼焔の姿は見えないが声だけは届いているようだ。

 そして鋼焔は気が付く、京の姿が僅かに透けていることに。
 よく見なければ分からない程度だが、京の体に空の青が透けて見えていた。
 さらに、彼女の声は耳で聞こえているわけではなかった。
 頭の中に直接響いているように感じる。

「……ああ、そんなことよりも、どうなんだ?」
 京に指摘された鋼焔も、声が高くなっていたのは気のせいではないと思い直す。
 何かが起こっている。

(は、はい、先ほどから空しか見えません、視界が勝手に動いています……浮くことも、できないみたいです)
 慌てているのか、鋼焔から見えている京は空中でジタバタしている。
 手を伸ばして羽ばたく鳥のようなポーズを取っている。

「予定変更だ、とりあえず着地する」
 このまま、元の世界に帰るのはあまりに危険すぎると判断する。
 下手をすれば京がこの世界に取り残される可能性がある。

(了解しました!)
 鋼焔の指示で少し落ち着いたのか、元気よく返事をした。


 魔術師が空を浮く方法はいくつかある。
 代表的なもので、《飛翔》《反重力》の二つがある。
 しかし、完全に飛ぶ、となるとクラス9以上を唱えなければならない。
 だが今は落下速度を抑え、着地するだけでいい。

 鋼焔は飛翔のクラス5の詠唱を開始する。

「【Fcr Ift Aym Wul Pjr Sol Ahrp】」
 
 詠唱を終わらせ魔術を発動させる……しかし、何も起こらない。

「……ん?」
 鋼焔は眉をひそめる。
 落下中ではあるが、精神集中は乱れていない。
 魔力も二回分の現代魔術で減少したが、すでに完全に回復しつつある。
 何の不足も無い。

 気を取り直してもう一度詠唱――発動させる。
 魔力の流れは感じられるが、やはり何も起こらない。

 それならば、ともう一度、もう一度、もう一度、と何度も唱える。

(御主人、詠唱が何度も聞こえているのですが、もしや成功していないのですか……?)
 京は青褪め、嫌な汗をかき始める。

「まずいな、異常が起きてるのは京だけじゃなかった、おれもだ」
 鋼焔は平然とそう言った。

 声だけがおかしいと思ったが、よくよく確認してみると、服が明らかに異世界に来る前とは別の物を着ているのだ。
 藍色の浴衣のようなものを着用している。こんなものを鋼焔は持っていない。
 髪の毛も銀髪になっている。『侵蝕領域』内ならそうなるはずだが、この状況ではありえない。
 しかも髪の毛が背中にかかるぐらいまで伸びていた。
 そして、体が動かし難い。手足が少し痺れているような感じがする。
 なにより、180cmほどあったはずの鋼焔の身長が明らかに縮んでいた。
 まるで、少女のような体つきになっている。
 
 鋼焔はなんとなく現状を把握し始めていた。


 とりあえず、付いているのか、いないのか、を確認する。


 落下しながら、浴衣の隙間を縫って股間に手を突っ込む。

「付いてるな」

(ぎゃああああああ、ご、御主人、な、なにか、手に変な感触が……それに浴衣みたいな物が見えました)
 鋼焔が確認作業をすると同時に京が悲鳴をあげた。

「えっ!? 京、どんな感触がしたんだ」

(な、なにやらぷにぷにした物が指に当たっていました……そ、それよりもこのままでは墜落死してしまうのでは?)
 どうやら、京は鋼焔と肉体の感覚を共有しているらしい。
 まさかとは思うが、髪や体つき、服装、感覚の共有、これらから考えると京と融合してしまった可能性が高い。

 こうなるだろう原因に心当たりは無くもないが、直接的な引き金が分からない。異世界に来たせいなのだろうか。
 それに人間と精霊が融合するなんて話は聞いたこともない。
 尤も、鋼焔の場合は完全な人間とは言い難いが。
 
 そして、魔術が発動しない原因が判明した。
 精霊は魔術を使うことができない。
 京と融合した鋼焔は、精霊に近い存在になってしまっているようだ。

 だがそれならば、打開策がある。
 鋼の精霊ならば、京のように魔術を使わず空に浮くことが可能なはずなのだ。

「京、どうやら、おれたちの体がくっついてしまったみたいだ――――その、ぷにぷにした物はおれの×××だ、すまん」

(えっ? ええ? えぇえええええええええええ!? ゆ、融合ですか……)
 京が一瞬呆然とした後、絶叫した。そして、

(っていうか御主人、な、な、なんてものを触らしてくれちゃってるんですか!?痴漢です!鬼畜です!!この変態ッ!!)
 顔を真っ赤にして激怒した。

「京、落ち着け。この体、おまえが動かすことはできないのか?」
 精霊のような体なら、精霊に任せるのが手っ取り早い。
 それに鋼焔はまだこの体に慣れるには時間がかかりそうだった。
 少なくとも、地面に激突するまでに扱いきれる自信は無い。

(むむむむッ、ムムッ―――無理です……)
 怒りながらも、京は何かをしようと意識を切り替えたが、すぐに諦めた。
 どうやら、肉体の主導権は完全に鋼焔が握っているらしい。

「……じゃあ、普段どうやって飛んでいる?」

(うう……そ、そうですねぇ、ふわって感じ、ですかね……?)


「さ、さすがに、その説明じゃ全くわからん」
 京の大雑把すぎる説明に冷静に突っ込みを入れる。
 しかし、浮く、という行為が当たり前の彼女には説明のしようが無いのかもしれない。

(ご、御主人、地上が見えてきましたよ!? あうう……、ど、ど、どうしましょう!?)
 京の顔が絶望に染まる。
 雲を抜けてついに地上が見えてきていた。
 一面に森が広がっていた。運よく木がクッションになったとしても即死する気がする。

「……試せるだけ試してみるしかない」
 後、何分何秒残っているか分からないが、その間に鋼の精霊としての力を使いこなせるようになるしか道はなさそうだった。
 鋼焔は助言に従って、ふわっとするイメージを思い描く。

 すると、

(ご、ごごご御主人、落下速度が上昇しましたよ!?)
 地上に向かって急激に加速した、残された時間が削られていく。

「……ダメか、なら――」
 鋼焔は浮くことを無視することに決めた。
 こうなれば、堅くそして強くなることをイメージして魔力を練り上げる。

 すると、さらに速度が増した。

 残り二千メートルは残っていた距離が一秒かからず失われる。

 地面が目と鼻の先に迫っていた。

(ぎゃあああああああああああああ、死んじゃうううううううう)

 墜落する寸前まで、京の絶叫が脳裡に響き渡っていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 森の中央に存在する湖は澄んでいる。
 湖底の緑が湖を僅かにエメラルドグリーンに染めている。
 魚の一匹一匹がどこを泳いでいるのかもハッキリと分かる。
 そして湖の周りには黄色い花が囲むように咲き誇っていた。


 やっと、湖に辿り着いた少女はバケツを椅子にして釣りを開始していた。
『あーん、もうやんなっちゃう……』
 竿がピクっと動いた瞬間、竿を引き上げる。
 しかし、エサだけが無くなっていた。
 まだ、一匹も釣れていない。
 
『……うう、僕が頑張らなきゃ、皆がおなかを空かせて待ってるんだ!』
 反対側の森に行けば、ここよりも動物が豊富にいるのだが、今は魔物を警戒しているため立ち入り禁止になっていた。
 さらにこの間、村の近くまで侵入してきた《人狼》たちによって、田や畑を荒らされたばかりで、村が食料難に陥るのも時間の問題と思われる。
 ここ数ヶ月は食物も村内で子供に優先して分配しているのだが、彼女自身も含めて到底満足のいく食事量ではない。

 このままでは不味いと思う。
 しかし、魔物を駆逐して反対側の森に行くのは難しいのが現実だった。
 村の防衛に人員を裂かなくてはならず、森に向かって退治しに行くには人手が足りていない。
 森の至る所に魔物が生息しているからだ。
 しかも最近は、『セントラル』からやって来たという《氷狼》なる魔物が、《人狼》達をまとめあげ、三つほど離れている村を壊滅に追いやったという噂が流れている。

 もしかしたら、自分達の村もそのうち……、という恐怖が食料難と合わせて、村民の体と心を真綿で首を絞めるように侵していた。


 だが、今はそんな悲観にくれている場合ではない。
 怖くてもおなかは空くものなのだ。
 彼女はなんとか、自分より小さな子供達がおなかいっぱい食べられるよう一匹でも多く魚を釣らなくてはならない。

 少女がもう一度エサをつけ、竿を垂らしていると、再び反応があった。

『あっ、……えいっ!! や、やった釣れたー』
 本日初めての釣果だ。中々大きい魚が釣れた。すぐにバケツに入れる。
 調子が出てきたのかもしれない、と思いすぐさまエサを付け、竿を垂らす。
 
 すると、すぐに二匹がかかった。

『もしかして、僕の中に眠る釣りの才能が目覚めたのかな……――えいっ!!』
 掛け声と共に勢いよく竿を引っ張りあげると、先ほどよりも大きな魚が釣れていた。

『うん、この大きさなら二匹で今夜の分は大丈夫かも、もう一匹ぐらい釣っていこうかな』
 少女が一人満足そうに唸っていると――

 
 後方から凄まじい、ドゴォンという爆発音のようなものが轟いた。


『ひうっ、ゆ、揺れてる……な、なんだろ今の、爆発?』
 この世界の住人は全て浮遊大陸で生活しているので地震という概念を知らない。
 そして島が揺れる可能性で、初めに思い浮かぶのは魔物による破壊行為だ。

 だが、こんな規模の揺れを伴う爆発なんて彼女は知らない。
 もし、今のが魔物ならついに『セントラル』から龍種がやってきたのかも、と不安になる。
 
 少女は釣りを中断して見に行くことにする。
 化物が来ているのなら、逸早く発見して、村に避難の指示を出さなければいけない。
 背中の銀のハンマーを両手で構えながら注意して偵察しにいく。



『なにこれ……う、うそッ!? に、人間……? 生きてる、のかな……』
 少女が爆発音のした場所に行ってみると、木が十数本薙ぎ倒され、地面に半径15メートルほどの大穴ができていた。
 
 そしてその中央には、銀髪で変な衣服を纏った小さな人間の子供が倒れていた。

 しかし、人間は最も安全で危険な場所の『セントラル』にしかいないはず――だが、今はそんなことよりも、子供の様子を確かめなくてはいけない。

『息は……あるね、よ、よかったぁ』
 子供は気絶しているだけで、爆発の中心にいたにも関わらず外傷はなさそうだった。
 彼女には何がなにやら分からない。
 
『……そうだ、村に連れていってあげないと』
 こんな小さな子供をこんな危険なところに放って置くわけにもいかない。

『お、おもっ!! こ、この子、見た目に比べて凄い重い……』
 その子供は見た感じ、どう見ても20~30kg程度にしか見えなかったのだが、60kg以上は間違いなくあった。

 少女は気合を入れて子供を負ぶさり、両手に竿と魚の入ったバケツとハンマーを持って森を後にした。



[29549] 三章 二話 異世界の言葉
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/22 00:26

『……い……おい、聞こえないか? そこのお前』
 闇の中から声がする。

『……驚いたな、お前ほどの力を持つ者がこの世界にいたのか』
 どこからか、男の声が聞こえてくる。
 鋼焔には彼の言葉が理解できなかった。ただ、声の主が驚いていることだけはぼんやりと理解した。


『―――いや、違うな、来たのか、なんの目的で来た?』

 
『……まぁそんなことはどうでもいいか、お前に興味が湧いた』
 声の雰囲気が変わった、鋭く刺すように鋼焔の耳を打つ。

『それでだ、お前と戦ってみたいんだが、俺のいる所まで来てくれないか、こちらは少々身動きがとり難くてね』

 
『――――なんだ、言葉が通じないのか、面倒くさい奴だな……』
 鋼焔はその声を聞いているだけで、何かを刺激されていく。
 似たような感覚をつい最近どこかで―――


『仕方が無い、気長に待つことにするかね』
 その声は確かに大人の声だったが、とても嬉しそうな気持ちが籠もっており、珍しい玩具を見つけた子供のように弾んでいた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 
「……ん、…………ここは?」
 鋼焔が目を覚ますと、天井が目に入った。
 慣れ親しんだ自室ではない、インスマスの客室でもなかった。
 違う部屋で寝起きした時のなんとも言えない感覚に襲われる。

 部屋は綺麗に削られた石で造られていた。
 石と石の間には黒い砂のような物が詰められている、それによって石同士が接着されているようだった。
 ベッドの近くには窓、反対側にはもう一つのベッドと扉があった、全て木製だ。
 今は、両方とも開いているようで、窓からは赤い日差しが差し込んでいる、時刻は夕方ぐらいだろうか。
 開いている扉からは木のテーブルが見えた、台所なのかもしれない。
 そしてベッドの傍には銀色のランタンが置かれており、灯りが点されていた。


「京起きろ、京」
 目の前で、仰向けになりながら眠っている着物姿の少女に声をかける。

(……ふぁい、ごしゅじん、おはようございます)
 京は空中で上半身だけを起こす、という奇妙な光景を見せつけながら目を擦っている。

「どうやら、あの後、意識を失ったみたいだな」
 鋼焔は頭から地面にぶつかった記憶があるが、その後のことは覚えていない。
 
(……そうみたいですね――――そして、誰かがこの部屋まで運んでくれた、というところでしょうか)
 京のために顔を動かして部屋を見回す。
 すると、彼女は部屋の様子を見て何かに気が付いたような素振りを見せた。

「ああ、ありがたい話だ」
 もし、あのまま森の中で寝ていたら、体の痺れが余計酷くなっていた可能性もある。
 試しに四肢を動かしてみると、右足以外は感覚がハッキリして来ていた。
 鋼焔と京が、この体に馴染んできたのかもしれない。

(しかし、この部屋……いえ、この世界もしかすると文明の発展が元の世界に比べると遅れているのかもしれませんね)
 京は先ほど見た部屋の光景から判断した。
 この部屋には文明の利器と呼べる物が見当たらなかった。

「……そう、だな」
 鋼焔にはそのことから、どの程度元の世界と差があるのかは判断つかないが、おそらく数百年単位の乖離があるように思えた。

(……ところで御主人、これからどうしますか?)

「とりあえず、分離する方法を探さそう。魔術が使えなければ帰ることができないからな、これが最優先事項だ。しかし、その前にこの体に慣れないとな」
 慣れなければ、分離する以前の問題だ。もしこの世界の治安が悪ければ、鋼焔は身動きが取れなくなる。
 鋼焔は魔術も魔法陣も使えない自分は、四肢がもがれたようなものだと、そう思っている。

(……なかなかどちらも時間がかかりそうですね)

「まぁ、なんとかしてみせる」
 落下中にいくらばかりかの手応えは感じていた。
 浮くことは出来ないまでも、何かが出来るような気がして来ている。



 不意に、誰かの足音が聞こえてきた。
 この家の主だろうと予測する。そして、鋼焔が眠っていた部屋の扉から誰かが入ってきた。

「うおっ!?」
 鋼焔は思わず声を上げてしまうほど驚いた。

 なぜなら、部屋の扉を開いて現れた女性が―――人間では無かったからだ。

 その女性は青白い肌をしていた。人間が青い顔になってもこうはならないだろう。
 髪の毛は紫色で肩の辺りまで伸び。
 瞳の色は黄色く光っている。
 下は黒い革でできたホットパンツのようなものを穿いている。
 上着は白いシャツの上から黒い革製の胸当てを着けていた。
 そのどちらからも、微弱な魔力を感じられる。
 
 そして人間との一番の違いは、彼女の頭のてっぺんに、人差し指ぐらいの長さと太さを持った、一本の角が生えていることだった。

 おおまかな体の造りは人間と似ているが、人間には無い妖しい魅力を放っている少女だった。


(ひっ、に、人間? ……ではありませんね―――まさか)
 京は驚いたが、その姿にどこか見覚えがあった。

『あ、起きたんだね、どこか身体痛いところないかな? 大丈夫?』
 現れた少女は不安げな顔で鋼焔の傍に歩みより、声をかけた。しかし―――

「!? えっ!?」
 彼女が話した言葉は、鋼焔たちが元の世界で使っていたものとは異なっていた。

 そして、鋼焔にはその言葉が理解できなかった。―――いや、正確に言うと、ほんの少しだけ理解することができた。
 まさか、異世界の言葉が理解できるとは思っていなかったが。
 会話の内のほんの一部でも意味が分かるのは僥倖だと言える。

 そのため鋼焔は驚いたのだ。
 
 それから、鋼焔はあることを確認するため、京に対して頭の中で声をかけてみる。

(京、聞こえるか? 京)
 
(は、はい、聞こえます! 御主人の声が、元通りの声で聞こえていますよ?)
 鋼焔は念話が成功して安堵した。
 相手に言葉は通じなくても、目の前で独り言を言うのはさすがに気が引けた。

(今はそんなことより、目の前の人がなんて言ったか分かったか?)

(いえ、わかりませ…… あっ!! ……もしかしたら、精霊言語かもしれません)
 多少の差異はあったものの、京はその特徴的な発音から思い至ることができた。
 
(やっぱり、そうか、京、精霊言語は話せるか?)

(…………魔術関連を少しだけならなんとか、……御主人は?)
 精霊言語は、基本的に精霊が習うことは無い。
 エルフたちが精霊魔法を使うために、学習する言葉だった。
 京が魔術関連だけでも話せるというのは勤勉だと言える。

 もし、ここにニィナがいてくれれば、難なく彼女と会話ができたことだろう。

(小さい頃、沙耶と一緒に日常会話を勉強していたぐらいだな)
 記憶を探ってみるが――もう、ほとんど忘れかけていた。

『どうしたの? どこか痛むの?』


『痛く、ない』
 鋼焔がずっと黙ったままだったので、少女は心配してベッドの傍にあった椅子に腰掛、声をかけた。
 心配するのも無理はない、鋼焔が落ちてきた場所はまるで隕石が衝突したかのような破壊の跡が残っていたのだから。
 
『そっか、よかったぁ、あ、そうそう君のことは村長に話しておいたから、何も心配いらないよ』
 返事に、彼女はほっと胸を撫で下ろした後、鋼焔の頭に手を伸ばす。

『ありがとう』
 鋼焔は何を言われているか分からなかったが、少女が優しそうな表情で頭を撫でてくれたので、礼を言った。
 外見年齢が沙耶と変わらないぐらいの女性にそうされたので、鋼焔は少し照れくさくなり、顔が紅潮していくのが自分でも分かった。

『ううん、どういたしまして、もう少ししたら晩御飯作るから、それまでゆっくり休んでいてよ』

『いただきます』

『ぷっ、面白いね君、まだ御飯出来てないよ?』
 
『いただきます』
 少女が手で口を押さえて可笑しそうにしている。
 鋼焔は『晩御飯』という言葉が聞き取れたので、食事の挨拶をしてみたのだが。

『そ、そんなにおなか空いてるの? それじゃあ、急いで作るからね、君は寝てていいよ?』
 すると少女は、鋼焔が食事の催促をしていると勘違いしたのか、慌てて部屋に置いてあったエプロンらしき物を身に付けた。

『はい、休んでる』 
 鋼焔は『寝る』という言葉は知っていたので、先ほどの『休む』の意味がなんとなく把握できた。
 覚えたての言葉をさっそく使ってみる。こうやって徐々に話せる言葉を増やしていくしかない。
 彼女はその返事を聞いて、安心したように笑顔を浮かべた後、台所に向かって行った。

(ご、御主人、なんて言ってるか分かりましたか?)
 京は少し青い顔をしている。どうやらほとんど何を話しているか分からなかったようだ。

「かろうじて単語が拾えるぐらいだ……、ほとんど分からん」
 大した差はないだろうが、日常会話では鋼焔に分があるようだ。

(ところで、御主人、あの女性―――雷天の精霊かもしれません)
 京は少女の姿を見て、そう確信していた。
 以前、鋼の精霊の棲家に一度訪ねてきた雷天の精霊を見たことがあったのだ。
 
「雷天……向こうじゃ絵だけでしか見たことなかったな」
『異世界への門』は近似の世界と繋がる魔術だと研究資料に書かれていたが、どうやら元の世界といくつかの共通点があるようだった。

(仕方ないです、今は雲の上に住んでいるそうですからね、しかし、この世界もしや精霊が普通に生活しているのでしょうか?)

「かも、知れないな、少しは先行きが明るくなってきたかもしれん」
 鋼焔は鋼の精霊か、もしくは魔術に詳しい精霊を見つけることができれば分離する方法が分かるはずだと思った。
 異世界に来てしまったあたりから運が無いと思っていたが、完全にツキから見放されたわけではなかったようだ。

 なによりも、親切な人に拾われたことが幸運だった。
 見ず知らずの、しかも自分とは見た目が異なっている。
 そしてなぜあの森にいたのかも分からない、そんな怪しい子供を特に気にした様子もなく、好意を持って迎えてくれているのだ。
 これで不幸だ、などと嘆く事はできない。



『御飯できたよー、こっち来て!』
 鋼焔がしばらく考え事をしていると、台所の方から声がかかった。
 どうやら、夕食の準備が整ったようだ。
 ベッドから起き上がり、右足を引きずりながらテーブルに向かって歩いていく。

『もしかして足を痛めてるの? 大丈夫? ベッドで食べる?』
 
『大丈夫』
 彼女は非常に不安げな表情で鋼焔の右足を見つめていた。
 その優しさが伝わってくる分、鋼焔は申し訳ない気持ちになる。
 右足はただ痺れが酷いだけで、他の四肢同様すぐに治るはずだからだ。

『それならいいんだけど……』
 少女は鋼焔の言葉に納得できてはいないようだったが、深く追求することは無かった。
 それに、あまり話していると夕食が冷めてしまうと思ったのだろう。

 そして鋼焔が椅子の傍に近づくと、少女は鋼焔を持ち上げて椅子に座らせてくれた。
 その際、彼女の表情がなぜか、歯を食いしばって重たい物を持ち上げようとしているように見えた。

『ではでは、召し上がれー』
 テーブルの上にはパンと思しきものと、魚とキノコの煮付け、木の実と山菜に、焼いた動物の肉を合わせたものが並べられている。
 木で出来たフォークとスプーンが料理の横に置かれていた。
 どれもいい香りがしている。
 鋼焔は十二時間近く何も口にしていなかったので食欲がそそられる。


『いただきます』
 そして鋼焔は食事の挨拶をした後、ある事に気が付いた。
 少女の前に並んでいる料理は、どれも量が少ないということに。
 魚料理に至っては、キノコしか入っておらず肝心の魚が無い。

『あなたは魚、食べない?』
 鋼焔は気を遣われているのだろうと確信する。
 彼女は自分の分を、ほぼ全て鋼焔に分け与えてくれているのだ。
 しかし、見た目が子供になったからといって、甘えるわけにもいかない。

『あ、……うん、僕、魚苦手だから、だからいっぱい食べてね!』
 鋼焔は間違いなく嘘だろうと思った。しかも、灯りに照らされている彼女の顔が少し痩せているように見えた。
 しかし、断ってもなんとなく自分が食べることになりそうだと思ったので感謝しながら頂くことにする。
 この恩はいつか必ず返そうと思いながら、料理に手を伸ばした。


『おいしい』

(御主人、これは凄い美味しいですね……)
 料理はどれも美味しかった、昨日まで食べていたインスマスの高級料理に勝るとも劣らない味。
 おそらくこの世界は自然が豊富なのだろう、素材からして向こうの一般的な料理とは雲泥の差があった。

『えへへ、照れるなぁ、それ僕が釣ってきたんだよ』

『すごい』
 鋼焔は驚いた。こんな美味い魚が近くで取れるのなら自分で釣ってみたいと思う。

『そ、そう? やっぱり僕って釣りの才能あるかも……』
 鋼焔が褒めると、彼女は顔を真っ赤にして頭を掻いていた。

『あっ!! そうだ、まだ名前教えてなかったね、僕はシンク、君は?』
 少女は手の平を胸の前で合わせ、楽しそうな表情になった。
 見ている方としては表情がコロコロ変わって明るい人だな、という印象を受ける。

『名前は鋼焔』

『コウエンちゃんって言うんだ、珍しいね、あーでも、人間ならそんな感じの名前が多いのかな?』
 シンクは『鋼焔』という名前が珍しいと言ったのでは無い、『鋼焔』という名前を女の子に付けるのが珍しいと言ったのだ。

『たぶん』
 鋼焔は、何を言われているのか全く分からなかったので、困ったときの"たぶん"で乗り切ることにした。

 お互いに自己紹介した後、二人はゆっくりと食事を楽しんだ。

 そして食事を取り終えると室内は薄暗くなっていた。
 もう眠ること以外にできることは無さそうな、異世界の夜が訪れている。

 鋼焔は歩いてベッドに戻り、布団の中に入る。

『それじゃ、今日はもう寝よっか、灯り消すね、お休み』
 シンクは同じ部屋の扉側のベッドで眠るらしい。そして傍に置いてあるランタンの灯りを消した。

『シンク、ありがとう、お休みなさい』
 鋼焔は彼女の名前と、今日一日の感謝を伝える。
 シンクはそれに―――笑顔で応え、自分のベッドに潜っていった。

 灯りを消した部屋は真っ暗で、窓の隙間から僅かに光が差し込んでいるだけであった。



[29549] 三章 三話 狩り
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/24 22:03
 窓の僅かな隙間から日光が差し込んでいた。
 そしてその隙間から小さな虫が屋内に入り込む。
 小さな虫の羽音が鋼焔たちの耳を打ち、目覚ましの代わりとなっていた。

 鋼焔たちが異世界に来てから初めての朝が訪れる。

(……御主人、右足の様子が)

(ああ、足先だけ痺れが酷くなってる、ただの麻痺じゃないのかもしれん)
 感覚を共有している二人はほぼ同時に目を覚ました。
 そして二人は同じように右足の違和感に気が付く。

 右足の痺れが変化していた。
 昨日は膝から下全体が痺れていたのだが、今は踝から先の感覚がほとんど無くなっている。
 手で足の指に触れてみると、冷え切っていた。
 歩行すること自体は昨日より楽になったかもしれないが、融合による更なる異常が起きている可能性が考えられる。

 そして二人が足の状態を確認していると、すでに起きていたのだろう、シンクが台所の方から顔を見せた。

『おはよう! もうすぐ朝御飯できるから座ってて』
 鋼焔がごそごそやっていたのに気が付いたシンクは、笑顔で元気よく朝の挨拶をする。
 朝から気持ちよくなるような清々しい挨拶だ。


 鋼焔も挨拶関係の会話なら何度も練習していたので、これ以上無闇に心配をかけたり、気を遣われないよう元気よく返すことにする。


『結婚しよう! シンク』
 何度も何度も練習した――いや、させられた挨拶の言葉を腹の底から声を出し、発音も完璧に発声した。

『え!? え、ええ? あ、朝からどうしたの? そ、それにダメだよ、ぼ、僕女の子だよ……女の子同士なんて不健全だよ! そ、それに僕たちまだ出会って一日しか経ってないよ……』
 シンクは途轍もなく困惑している。
 朝から、しかもどうみても女の子にしか見えない子供に結婚しよう、などと全力で言われればこうなるのも仕方は無い。

(御主人、シンク様の様子がおかしいですよ……言葉を間違えたのではないですか?)

(おかしいな、沙耶に朝の挨拶は徹底的に教えられたから、覚えてたはずなんだけど……)

 小さい頃の鋼焔は、沙耶が嘘を教えていたことに全く気が付いていなかった。

「コウさん、発音が違います! やり直しです」
「コウさん、気持ちが全然籠もってません! やり直しです」
 過去、沙耶先生による異様なほど熱の入った指導が繰り返されていた。

 沙耶は、鋼焔にありとあらゆるプロポーズの言葉を朝の挨拶と偽って叩き込んでいたのだ。
 鋼焔は朝の挨拶だけ数種類も覚えさせられている。
 しかも、全て発音は完璧に、言い方はかっこよくだ。
 そのため、挨拶の練習をするたびに沙耶は無上の喜びに酔いしれていた。



 鋼焔はテーブルに向かって、感覚の無い右足で歩けるかどうか試すように歩く。
 なんとか他人が見ても異常が見られない程度には歩けるようだった。
 そして、そのまま朝食の席に着く。

『ごめんね、朝も昨日の魚の残りで……』
 昨日とは違い、今朝は焼き魚だった。
 毎日この魚が食べられるなら言うことは無いと鋼焔は思うのだが、シンクはとても申し訳無さそうにしている。
 そして、鋼焔の皿には切れ身が二つ、シンクは一つ、とまた気を遣われていた。

『いただきます』
 鋼焔は魚とシンクに感謝の意味を籠めて手を合わせた。
 
『足の調子はどう?』
 
『大丈夫』
 鋼焔は本当のことを言う必要は無い、と誤魔化す。
 騙し通せるなら、余計な心配をかけるわけにはいかない。

『じゃあ、午前中は村を案内してあげるね!』
 鋼焔の返答に、シンクは自分のことのように喜び。
 屋外に出る扉を指差しながらそう言った。

『お願いします』
 そして、彼女は鋼焔が言葉に未熟なことに薄々気が付いてきたようで、会話しながら身振り手振りを加えて説明してくれている。

 鋼焔は異世界で彼女のような人に出会えたことは、これ以上無い幸運だと思えた。



 二人で朝食の後片付けを終わらせ、鋼焔は初めて家の外に出た。

 そしてその瞬間、鋼焔の常識は覆されることになる。

 視界の斜め上方向に途方も無く巨大な何かが浮かんでいるのが見えたのだ。

(京、大変だ、……島が浮いてるぞ)

(は、はい、驚きました、ということは京たちがいるこの大陸も浮いているのでしょうか!?)
 鋼焔は首を動かして周りの空を見渡してみた。すると、かなりの数の大陸が浮いているのが見える。
 大小様々な大地が空を浮遊していた。
 そして、その中でも巨大な山だけしか見えていない、高度の低そうな大陸がなぜか気になった。
 また何か奇妙な感覚に襲われた気がした。

『シンク、あれは?』
 鋼焔は気になったので、北西に見えている巨大な山を指差して訊ねた。

『んとね、あそこはセントラルっていう大陸で、人と魔物がたくさんいるところだよ』
 
『セン、トラル』
 ぼんやりと鋼焔は巨大な山を見ながら呟いた。

(ご、御主人、それよりも今の聞きましたか!? シンク様が魔物って言いましたよ)

(……魔物、ってなんだろうな、この世界、映画とかに出てくる怪物みたいな生物でもいるのか)

(分かりません……火蔵様がいれば何か分かったかもしれませんね)
 明人は、映画、小説、漫画など幅広く手をつけているため変わった知識も豊富だった。
 天城家ではそういった娯楽は、悠が少し所持しているぐらいで他の人間は非常に疎い。


 今は考えても仕方が無いと思い、視線を地上に移した。

 そして外には、シンクの家と同じように石を繋ぎ合わせて造られた建物がいくつも建っていた。
 かなり大きな建物もある、村長の家か、倉庫なのかもしれない。

 そして、村の住民の姿も何人か見えた。
 朝早くから外に出て洗濯物を干している人や、遊んでいる子供、話し込んでいる女性と男性が数人いる。
 その誰もが、シンクと同じように角が生えていた。
 しかし、一本の人もいれば二本の人もいる、果てには四本生えている男性もいた。
 肌の色はそれぞれ違うようで、赤い人、真っ青な人、緑、黒と様々なようだ。

 そして鋼焔の姿に気が付いた女性が、近づいて声をかけてきた。

『お、この子がシンクのとこで預かってるって人間かい、えらいべっぴんさんだねぇ』

『よろしくお願いします』
 鋼焔は女性の言っている意味はよく分からなかったが、丁寧に頭を下げておく。
 
『こっちこそよろしくね』
 どうやら初対面の挨拶は間違いなかったようで、女性の方も笑顔で同じ言葉を返してくれた。
 ただ、その女性もシンクと同じように少し痩せて見えた。


 その後シンクに連れられて、鋼焔と見た目だけは同年代に見えそうな子供たちのところに近づいていく。

『人間だー、めずらしー』
『ほんとだ、人間だ』
『初めて見た!』
 よほど、鋼焔の姿が珍しいのか、子供たちは目をキラキラさせながら集まってきた。

『よろしくお願いします』

『おー、よろしくなー』
 子供たちは皆元気だった。
 しかし鋼焔は、子供たちがどうして家の前で遊んでいるのか疑問に思った。
 昨日見えた森なんかは格好の遊び場だと思えたのだが、もしかして治安が悪いのだろうか。



 そして子供たちと別れて、村の端の方にある倉庫と思しき建物の近くまでやって来た時、広大な田畑と半壊している何件かの家が視界に入った。

 田畑は無残にも荒らされていた。
 収穫前だったのか、野菜などの穀物がグチャグチャにされている。
 野菜だけでなく土も荒らされており、巨大な動物の爪跡のようなものが見えた。

 さらに爪跡は破壊されている家の方にもあった。
 硬そうな石で造られているにも関わらず、鋭い爪跡がハッキリと残されている。

『シンク、あれは、どうして?』
 鋼焔はその鋭い爪跡を指差して訊ねる。

『あれはね、人狼っていう種類の魔物にやられたの、最近なんだか龍の魔力が強くなってて数も増えて力も強くなってるんだよ』

(京、今の分かったか?)
 鋼焔には余り意味が分からない言葉ばかりが並んでいた。

(うー、狼、魔物、魔力、そして龍という言葉だけは分かりましたが……)

(この爪跡が狼によるもので、それで狼は龍の配下、ってとこか)
 鋼焔は龍、という言葉を口にすると、自分がこの世界に来たことになった原因を思い出す。
 村の状況を見ると、やはり龍の研究は阻止されるべきものだったのだと。

(御主人、それにしてもこれでは、この村は……)
 京は悲しそうな顔をしている。
 魚や他の肉料理などの量の少なさを考えると、穀物類が壊滅的なのは死活問題と言えた。
 もし、猟に出て十分な食料が獲れなければ、この村の住民は確実に追い込まれていくことになる。

『そうだ、お昼食べたら釣りに行くんだけど、一緒に行ってみる?』
 村の傷跡を見ている鋼焔の顔を覗き込むようにして、シンクは声をかける。
 鋼焔のために釣竿を引っ張りあげるようなジェスチャーをしてくれていた。

『はい、行く』
 彼女には恩がある。
 鋼焔は、何か少しでも手伝えることが無いだろうかと即答する。

『うん! じゃあ、すぐにお昼の支度するね』
 シンクは笑顔になり、鋼焔の手を引いて急ぎ足で自宅に戻った。


 昼食は朝に続いて、焼き魚とパンだった。
 鋼焔は村の状況と、目の前の料理をじっと見据える。
 もう、料理に手を付けることはできない。
 昨日の内に、この村の状況を把握して置くべきだったと後悔している。

『コウエンちゃん、食べないの?』

『どうぞ』
 鋼焔はシンクに自分の料理を皿ごと差し出した。
 一応、一流の魔術師は空腹さえ我慢すれば、魔力だけで全てのエネルギーを賄える。
 餓死することは無い―――空腹で気が狂って死ぬことはあるらしいが。
 融合して変化した鋼焔の体が餓死しないかどうかは不明だが。
 少なくともこの料理はシンクが食べるべきだと思った。

『もしかして、僕の料理おいしくなかった?』
 差し出された皿を見て、シンクは悲しそうな表情になる。

『おいしい』
 鋼焔は首を左右に振りながらハッキリと言った。

『じゃあ、これは君が食べて、その方が僕は嬉しいから』
 シンクは鋼焔が何を考えているのか分かったのだろう、だからこそ彼女はとても嬉しそうな笑顔で料理を元の位置に戻した。


『半分に、しよう』
 村の現状を知った今、鋼焔にはもう彼女の真心をそのまま素直に受け取ることはできない。
 この料理を口にすることは、彼女の命を分けてもらうことと同じだ。

『コウエンちゃん、ありがと』
 シンクはくすっと笑った後、鋼焔が分けた魚を口にした。

 鋼焔は一口、一口、噛み締めるように味わった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 鋼焔のいる村から、北西に50kmほど離れた小さな村。
 その村に魔の手が忍び寄っていた。

 村の外の見張り台の上で森を監視していた黒い肌に二本の角を生やした男は、500メートル離れた付近に数匹の人狼を発見した。

 彼は見張り台に備え付けられている警鐘の鐘を鳴らしながら、森を警戒している仲間に声をかける。

『人狼が来たぞぉ!! 人狼が来――』
 叫び声を上げた直後。
 遠くの木から見張り台に飛び乗ってきた何者かの手によって彼の首は切断された。
 そして切断された彼の首の表面は凍りつき血が吹き出ることは無かった。

 見張り台の周りに木は無い。
 遠く、しかも低い木から、いきなり魔物跳びかかってくるなど、死んだ彼は想像できなかった、敵の魔力を感知することも無く絶命した。

 彼を殺した者は、平均2メートルほどの人狼よりさらに2メートルほど大きい体躯で、全身が白い毛に覆われている狼。

 
『静かになったね』
 雪のように白く、長く鋭い刀のような五本の爪が死んだ男の血で赤く染まっている。
 長く赤い舌がその鮮血を舐めあげる。
 
『それじゃみんな、あまり無理せず、いつも通りに動けよ』

『了解しました』
 先行していた殺戮者は見張り台の上から、遅れて集まってきた五匹の人狼たちに命令を下す。

 ―――人狼だけではこの大陸の住民――雷天の精霊にまともに太刀打ちできないが、彼の統率力と別格の戦闘能力がこの大陸での力関係を覆していた。


 狩りが始まる。


『なん、だこいつ、人狼じゃないのか……まさかこいつが氷狼ッ』
 警鐘が途絶えたことで、警戒に当たっていた十人が見張り台の近くに集まってきた。
 そして頭上に今まで見たことも無い、巨大な白い人狼のような魔物を見て息を呑む。

 彼はセントラルからやってきた、ホワイトクローという名を持つ氷狼。
 名前は彼を恐れた人々が、その特徴から名付けた。
 
『へぇ、俺のこと知ってる奴がいるんだ? この大陸でも結構名前が売れてきたもんだね、嬉しいな』
 見張り台の上からでも彼らの小さな呟きを、氷狼の大きな耳は聞き逃さない。

『でも邪魔だからどいてもらうよ』
 そして30メートル近くある見張り台の上から地上に降り立った。


『お、臆するな、かかれッ!!』
 4メートルを超える迫力あるその姿に畏怖するが、十人の戦士たちはそれぞれの武器を手に襲い掛かっていく。
 五人が氷狼に、五人が人狼たちに。

 人狼たちは一対一で絶対に敵と戦ってはいけないと、氷狼に徹底的に教え込まれている。
 全員が森の奥に下がっていく。

 しかし、単に逃げるわけではない。
 襲いかかって来た相手を森の中に誘い込むように、ゆっくりと後退していく。
 五人と五匹が森の中に散っていく。


 氷狼は仁王立ちして五人の敵を迎え撃つ。
 銀の剣で切りかかってきた男に白い爪を振るう、凄まじい速さの攻撃は相手に『能力』を使わせる暇すら与えない。
 その爪は剣ごと男の胴体を切断し、六つに分割した。
 血は流れない、切断面が凍りついている。

 そして、残り四人が絶叫しながら同時に氷狼に襲い掛かる。

 次の瞬間、氷狼は逆立ちした。
 そして足を大きく開き、足の指から手と同様の白い爪を生やす。
 氷狼は逆立ちをしたまま、手を軸に体をもの凄い速度で回転させた。
 竜巻のような旋回が四人を何度も斬りつける、一瞬にして残り四人をばらばらの肉の氷に変化させた。


 一方、森の中を逃げていた人狼の一匹が、タイミングを見計らい雄叫びを上げた。
 すると、他に逃げていた四匹が雄叫びを上げた人狼のところにやってくる。

 瞬く間に形勢逆転、森の中に誘い出すことで敵を分断し、木を使った俊敏な移動で彼らは各個撃破していく。
 一人の相手を殺害したところで、遅れて他の人間が集まってくる。
 人狼たちは再び、付かず離れずの逃げ方で四方八方に散っていく。

 これを二度ほど繰り返し、彼らはあっさりと勝利を収めた。
 そして村に先行しているだろう氷狼の後を追って、彼らも餌場に急いでいく。


 人狼たちが村に着く頃には、ほとんど全てが終わっていた。


『クロー様、制圧完了しました』
 そして遅れてやってきた人狼たちは、家の隅々まで隠れている村民がいないか確認していた。

『ああ、ごくろうさま、それじゃ、昼御飯にしようか』

『しかしこの村、手応えの無いやつしかいなかったね、しかもみんなあんまり美味しく無さそうな顔してるし』
 村の住民は全て家の外に引きずりだされ、中央に集められた。
 村民の四肢は全て氷狼によって凍結させられ、身動きを封じ込められていた。

 そして 氷狼は村民一人一人の顔を眺めながら物色している。


『おっ、なんだ美味しそうな子もいるじゃん、ついてるね』
 彼は一本の角を生やした青白い肌の少年に目をつけた。

『や、やめろ、子供には手をださないでくれ!』
 その少年の父親が凍った四肢を引き摺りながら、イモ虫のように氷狼の前に出て懇願する。


『そうそう、それだよ』
 氷狼は酷く楽しそうな笑顔を浮かべながら頷いている。

『……お願いします、どうか子供だけは逃がしてやってくれ……』
 氷狼は目の前で頭を下げている父親を見て、よだれをだらだら垂れ流し始めた。

『ホントおまえたちは最高だね、鳥や魚は喋らないからな。俺がお前たちの頭も体も残しているのはね、この最高の瞬間を味わうためなんだよ。食べる瞬間まで『餌』と話すと腹の虫が凄く鳴いてね』

 氷狼がそう説明した直後、その父親の首を切断し、拾い上げ口の中に放り込んだ。


『おッ? 美味そうなガキがいるじゃないですか』

『その子は俺が食べるから手を出さないでよ』

『お、おとうさん……』
 少年は地面に這い蹲りながら、頭の無くなった父親の死体にしがみ付き泣いていた。
 だがその涙が地面に零れる前に、白い爪が少年の首を断頭台のように叩き斬った。

 泣いたままの表情で固まった少年の生首を、一度見てニンマリと笑った後、氷狼は口の中に放り込んだ。

『うぅん、やっぱり子供の柔らかくて新鮮な頭蓋骨を噛み砕きながら、同時に味わうふわふわな脳味噌の食感は堪らないね、最高だよ』
 彼はうっとりした顔で、目を瞑り、口の中で転がすように少年の頭を味わった。

 その後も彼らの食事は続く。

 目の前で一人一人殺されていく仲間を見せつけられ、村民たちは悲鳴を上げる。
 その度に氷狼たちはよだれを垂れ流す。延々とそんな光景が繰り返された。



『クロー様、次はどっちの方にいきますか』
 食事も終わり、彼らは次の餌場の相談をする。

『そうだなぁ、―――晩御飯はあっちにしようかな、なんか良い匂いがするんだよね』

 彼の指差した方向はシンクたちの村の方向を指し示していた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 昼食をとった後、鋼焔とシンクは湖に向かって森の中を歩いていた。
 シンクは釣竿と背中に銀のハンマーを背負っている。バケツは鋼焔が持っていた。

 そして鋼焔は、シンクに傍を離れないよう言い含められている。
 森には先ほどの爪跡を残した魔物が出るためだ。


 
 そして、しばらく森を歩いていると、鋼焔は異世界に来て色々あったため忘れていたが、途轍もなく重要なことを思い出した。

(……京、『アスカロン』と盾がどうなったか分からないか?)
 異世界への門を通過する際、召喚していない物がどうなるか分からなかったので、京に持たせていたのだが、こちらに来た時から両方見ていない。

(……分からないです、気が付いた時には融合してしまっていたみたいですから、もしかしたら……森のどこかに落としてしまったのかもしれません)
 
(ま、まぁ仕方が無いか、飛べるようになったら森の中を探してみよう、なかったらなかったでしょうがない、帰ったら素直にクレア様に謝るしかないな……)
 鋼焔の頭の中に200億という金額が駆け巡る。


 そうこうしている内に湖が見えてきた。


 まるで鏡のように透き通った湖が二人の前に現れる。
 京が、綺麗ですね、と感嘆している。
 鋼焔もここまで綺麗な湖を見るのは初めてだった。
 その美しさを表現する言葉が見つからなく、ただ黙ったまま湖を眺めている。

『ようし、今日も大漁目指して頑張るぞっ!』
 この光景が当たり前なのだろう、シンクはさっさとバケツに座って釣り針に餌を付け始めている。

 鋼焔は湖の間近まで近づいて、水面を覗き込んだ。
 今日は風も無く、水面に波は立っていない。

 本物の鏡のように、覗き込んでいる鋼焔の顔が綺麗に映っていた。

(へー、御主人と京の顔が合わさるとこんな顔になるのですねー)
 二人を合わせた顔は少女にしか見えなかった。
 そして見た目の幼さの割に、美少女と呼ぶよりも美人と呼んだ方がしっくり来る様な外見をしている。
 しかし、実際は男なのだが。


(……御主人?)
 京はその時、水面に映っている自分たちの顔が不思議な――哀しんでいるような、喜んでいるようななんとも言えない表情をしていることに気が付いた。

 だが、それも一瞬のこと。
 
『コウエンちゃんもやってみる?』
 シンクがそう声をかけた瞬間、幻のように水面からその表情は消え去っていた。

『やる』
 鋼焔はシンクの隣に行って、釣り竿を受け取る。

『じゃあ、この餌つけてね』
 小さなミミズのような生き物が大量に入った箱を、鋼焔の目の前に片手で差し出した。
 
(ご、御主人、そのうねうねしている虫を触るのですか!? ……あ、あっ、ああっ、や、やめぇぇぇぇぇ)
 鋼焔は京の脳内の声を無視して、人差し指と親指で虫をつまみ上げ、ぷちっと釣り針に突き刺した。
 そして釣竿を湖に垂らす。
 さらに十秒後、鋼焔は魚を釣り上げていた。
 
『ちょっ!? …………僕より上手かも』
 自分よりも圧倒的な速さで釣り上げられ、シンクはショックを受けている。

 その後も鋼焔は順調に魚を釣り続け、一時間かからずバケツが満杯になった。

『よし、これぐらいでいいかな? コウエンちゃんそろそろ帰ろっか』

『わかった』
 これ以上は釣りを続けても仕方が無いので、二人は予定よりも早く帰宅することにした。
 シンクが魚の入ったバケツを持ち、鋼焔が釣竿と餌を持って帰宅の途に着く。
 帰り道、鋼焔は『アスカロン』が落ちていないか確認しながら歩いていた。


 すると、遠くに灰色の何かが見えた。しかもそれがもの凄い速さで近づいて来ている。
 そしてその灰色が、鋼焔たちの左側の草むらを掻き分け、正面に飛び出してきた。


『おいおい、青臭い匂いがするかと思って来てみりゃ、こりゃとんでもねぇな人間がいるじゃねぇか』
 2メートル近くある灰色の毛並みをした狼が現れた。
 その狼は筋肉質で、二足歩行し、驚くべきことにシンクたちと同様に精霊言語を話していた。
 彼こそ、この大陸で最も繁殖している魔物――人狼《ワーウルフ》である。

「なッ!?」

(ご、御主人、狼が二足歩行して喋ってますよ!?)

(……驚いたな、これが、魔物なのか)

 鋼焔はこの世界に来て何度目かの驚愕の声を上げた。
 二足歩行はともかく、動物が話していることには度肝を抜かれた。

『コウエンちゃん、僕の傍から絶対に離れないでね』
 シンクは魚の入ったバケツを足元に置いた後、背中に背負っていた銀の戦槌を両手に持った。
 その長さは120cmぐらいで、先端の部分は子供の頭ぐらいの大きさだ。

 シンクは鋼焔を後ろにかばうように前に出て、両足を大きく広げ、重心を低くする。
 そして体を捻り、右に構えたハンマーを背中に回し、人狼から見て体で武器が隠れるように構える。
 
 鋼焔はシンクの構えを見て、戦闘に相当慣れているのだろうと察した。
 彼女の構えは堂に入っていて、表情も落ち着いている。
 つまり、彼女は日常的にこの魔物と戦っているのだろう。

 
 待ち受けるシンクに対して人狼はその巨体を縮こませ、四本足――クラウチングスタートのような姿勢をとった。
 ―――鋼焔は人狼の魔力が膨れ上がるのを感知した。どうやら神聖術のように魔力で身体能力を強化しているようだ。
 
 人狼が地面を蹴り、跳び上がった。
 しかし、跳んだ先は獲物である鋼焔がいる方向ではない、木に向かって跳んでいる。
 そして、俊敏な動きで木の幹を踏み台にした。
 三角跳びの要領でさらに上に大きく跳び上がり、シンクと鋼焔の後ろに着地。

 人狼と鋼焔の間に障害物は無くなった。
 着地した直後、長く赤い舌を伸ばし、よだれを垂らしながら、鋼焔目掛けて疾走する。

 人狼の牙が鋼焔の頭に後50cmで届こうか、というところで、鋼焔は背後のシンクから魔力が迸るのを感じた。

『ハアァァァァッ!!』
 シンクが気合の籠もった咆哮を上げ、ハンマーを体の後ろ――斜め後方下から背の高い人狼の左側頭部目掛けてフルスイングした。
 
 そのシンクの攻撃を人狼は屈んで避けようとしている――鋼焔の背が低いため口を下げようとしたのだ。

 しかし、その瞬間、銀の槌の先端から野太い電撃が迸り、屈もうとしていた人狼を感電させ、動きを停止させた。

 ――シンクたちは魔術を使えないが『能力』がある。彼女は雷と身体強化を操る。

 そしてそのままシンクの一撃が停止した人狼の頭を横から殴りつける。
 
 人狼の頭蓋が砕ける音がした、と同時に脳漿をぶち撒きながら横にすっ飛んでいく。
 殴られた頭に引っ張られるように勢いよく草の上を滑る――数メートル滑って止まった。
 そして数秒後、人狼の姿が霞のように消え去った。どうやら消滅したようだ。

『うん、もう大丈夫だよ』
 血のついた銀のハンマー片手に、シンクは笑顔で振り向いた。

(い、一撃!? ……シンク様、なかなかやりますね、かなりの魔力を感じました)

(そうだな、魔法陣課にいてもおかしくないぐらいだ)
 京が驚くのも無理は無かった、元の世界で精霊といえば住み処から出ると人の魔力が無くては戦えない脆弱な存在なのだ。
 人狼の方もそれなりの動きと魔力を見せていたが、シンクと比べれば赤子のようなものだった。
 
『コウエンちゃん、それじゃ行こっか』

 シンクはハンマーについた血を拭った後、鋼焔の手を握り締め再び歩き出した。



[29549] 三章 四話 氷狼、襲来
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/26 18:09

 現在、釣りから戻って来たシンクは台所で夕食の仕込みをしている。
 鋼焔も手伝おうとしたが、台所で作業をするには身長が足りなかった。

 そのため鋼焔と京は、家の外で空を飛ぶ練習をしている。
 すでに2時間ほど続けていた。

 そして小さな成果が見え始めていた。

「京、見てくれ、1cmほど浮いてないかこれ?」

 墜落した時の失敗から、鋼焔はとにかく浮いていることが当たり前だと考えるようにした。
 どうやら飛ぼうと思えば思うほど、飛べないのだと、あの時思い知ったのだ。
 まだ、その意識が足りていないらしく、周りの人間が気付かない程度にしか浮いていないが。

(微妙ですね。たしかに、浮いている気はしますが、横に動いたりはできないんですか?)
 
「よし、試してみる」

 鋼焔は意識して横にスライドするように空中を滑ろうとする。
 しかし、何も無い空中で躓いてしまい、側頭部を勢いよく地面に打ち付けた。

(……頭が痛いです、さすがにまだ無理でしたか)

 感覚を共有している京も、鋼焔の視界の中で打ち付けた頭をさすっていた。

「いや、今日中にものにしてみせる」

 鋼焔は何度か痺れた右足で、走ろうと試みたが不可能だった。
 魔物なんて物騒な生き物がいる以上、移動手段として空中浮遊は必須だと思われる。


 それから鋼焔はさらに1時間ほど練習を続けた。

 5時ぐらいになっただろうか、空が紅く染まり始めている。

 そして、ついに、

「京、これでどうだ!」

 鋼焔は空中を移動することに成功した。しかし、

(……ですが御主人、これではどう考えても、歩く方が早くないですか?)

 京の言うとおり、移動速度は絶望的に遅かった。

「……それぐらい分かってる、明日には鳥を超えてみせる」

 鋼焔は珍しく拗ねたような調子で言った。
 京がケチをつけてばかりなので褒めてもらいたかったのだ。

 二人は、陽も落ちてきたのでそろそろ練習を切り上げようと、家の中に戻った。
 テーブルの椅子に座り、台所で料理しているシンクの後ろ姿を眺める。

 夕食前、少しぼんやりしていたその時、強烈に耳を打つ鐘の音が遠くから聞こえてきた。

(魔物でしょうか……)

(そうだろうな)

『コウエンちゃん、家の中にいてね、絶対に外に出たらダメだよ! 僕、ちょっと行って来るから』

 鋼焔と京が心の中で呟いていると、料理を中断したシンクが矢のような速さで飛び出していった。

 シンクのいなくなった家に、沈黙が降りる。

(……また、昨日の狼でしょうか?)

 数分経ってから、少し不安な気持ちを覗かせるように、京がポツリと呟いた。

「そうかもしれないな、でもあの程度の相手ならシンクさん一人で、何十匹でも相手にでき―――」

 二人が楽観的な予想をしていたその時、桁違いの力―――魔陣使い十数人分に匹敵するほどの魔力を感知した。

(なっ!? ……いったい誰の―――ご、御主人、どこに行くつもりですか!?)
 
「京、さっきの魔力、あれは魔物の力じゃないのか」

 鋼焔はすでに椅子から立ち上がり、家の外に出ようとしている。

(……たぶんそうでしょう、村の人だとは考え難いです、これほどの力があるなら村が荒らされる前に狼を駆逐できるでしょうから)

 京は先ほどの魔力は襲撃者のものだと判断する。
 そして、これが魔物の力ならおそらく村民全員で戦っても勝てないだろうと思う。

 昼間の印象で魔物という存在を舐めていたかもしれない。
 この魔力の持ち主と戦って楽に勝利するなら、それこそ魔陣使いを50人は用意する必要がある。

「京、行くぞ」

 鋼焔は外に出た。
 魔力を感じた方向を見定め、歩き始める。

(で、ですが、行ってどうなるというのです。今の御主人は、魔術が使え無いのですよ? それに、まともに浮遊することさえ出来ないでは無いですか……)

 あの狼とは別次元の存在が来ているのだ。
 京には、今の状態の主では荷が重過ぎる相手としか思えない、
 姿形は子供で、戦闘ができるほどの足も無い、あるのは使うことのできない魔力のみ。
 これでは百回戦ったとしても百回殺されるだけだろう、と考えなくても分かる。

「動かないんじゃない、痺れているだけだ」

 鋼焔は京の話を聞いていないのか、じっと森の方を見据えながら、全速力で歩いている。

(そんなの同じことですっ! ……御主人、落ち着いてください、むざむざ殺されに行くつもりですか?)

 京は鋼焔が感情だけで戦況を見誤るのは、らしくないと思った。
 二人はこの世界に来て、シンクの優しさに触れた。
 今その彼女が窮地に立たされているせいで、冷静さを欠いているのだと思い、必死に説得を試みる。

「世話になった礼を今返さなくて、何時返す」

 彼女の主は低く絞り出すような声を出した。

 血相を変えて説得する京を無視して、未だ森の方に向かっている。

 一心同体の京にも、鋼焔の気持ちはよく分かっている。
 だが、それとこれとは話が別なのだ。
 何年も連れ添った主に死んでほしく無い、一蓮托生である自身も死にたくは無い。
 まず、最初にその二つがあった上で、助けたい誰かのことを考える。

 今の主には戦う力が欠如している。
 他人を助けるという話自体、論外だった。

(京も御主人と同じ気持ちです……、ですが、行ったところで足手まといになるだけです、家の中に隠れていましょう)

 そこでやっと鋼焔は京に意識を向けた。

「京、今のおれ"たち"は戦えないと思うか」

 その声の調子は普段通り落ち着いたものに戻っていた。
 自分が戦えないとは微塵も思っていない、そんな自信さえ垣間見える。

 そしてその言葉は、京に何かを訴えかけていた。
 
(何を今更っ! 戦う、戦えない、以前の問題です、せめてこの体に慣れてからおっしゃってください。 ……お願いします、家に戻ってください)

 何を分かりきったことを、と主の的外れな言葉につい声を荒げてしまった。
 
「おれはそうは思わない、それを証明してみせる―――――見えた、跳ぶぞ」

 鋼焔は500メートルほど先の森の中に人影を発見した。

 京との会話を打ち切り、鋼焔は倒れるぐらいの前傾姿勢になる。

(えっ!? と、跳ぶって!? ええ??)

 そして麻痺していない左足一本に魔力を込め。
 グッと膝に力を溜めて、思い切り地面を蹴り飛ばす――その瞬間、地面が爆ぜた。

 鼻が地面を擦るのではないかと思うほど、地表スレスレを滑空するように、鋼焔が跳んで行く。

 京は視界を埋め尽くす――凄まじい速さで通り過ぎていく地面に恐怖し、絶叫していた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


『ふぅん、昼食と比べると、量も多いし、中々歯応えがありそうじゃないか』

 森では戦闘が開始されていた。
 氷狼と人狼五匹と、警邏していた二十人が相対している。

 この村の人間は人狼の誘いには乗らなかった。
 初めて遭遇した敵――氷狼を警戒し、守りに徹して力の程を見極めようとしている。

 村民と魔物たちの間には、光り輝く稲妻の障壁が形成されていた。
 障壁は、雷天の精霊十人が力を合わせることによって、森から村へと侵入できないように、ぐるりと張り巡らされている。
 そしてそれは触れた相手を感電させ、焼き殺す、攻防一体の結界だ。
 
『おまえらは、下がっときなよ、黒こげになっちゃうからね』

『了解しました』

 氷狼が一人、前へと出る。

 ゆっくりと村の方へと向かう。
 悠然と障壁に近づいていく。


 そして目の前に立ちはだかる、稲妻の障壁を―――物ともせずに通り抜けた。


『そ、そんな馬鹿な……、くっ、構えろ』

 村民たちは驚愕したのも束の間、障壁を解除し、全員がその手に武器を持った。

『少し、ビリビリするぐらいだったね』

 氷狼にダメージを負った様子はかけらも無い。
 白い毛が電流で少し逆立ったぐらいだ。

 村民は攻めない――攻められない。
 今ので氷狼の実力がどれほどの物なのかはある程度察した。
 守りに徹する以外に道は無い。

『あ? 来ないの? ――――なら、こっちから行くよ』

 氷狼は手と足に白い爪を生やした。
 足の爪で地面を噛み、凍らせながら、二足歩行で疾走する。
 村民と20mは離れていた距離を1秒ほどで詰め、手前にいた浅黒い一本角の男に向かって手の爪を振るおうとした。

 しかしその時、

『オラァァアアアアアアアッ!!』

 という、裂帛の気合を伴いながらハンマーを振りかぶっている少女に不意を付かれ、攻撃を停止。
 その少女が握っている銀の戦槌から先ほどの障壁より数段上の魔力を感じとり、後方転回で回避する。
 予め凍らせていた地面を滑って、さらに距離をとった。



 突如現れたシンクが、すでに敵のいない地面を打つ。
 爆音を響かせながら地面が弾け飛んだ、そして彼女はそこからさらに魔力を解放する。

 目の前の氷の道に雷を流し込む。
 氷の電気抵抗の高さを物ともせず、魔力は雷鳴を響かせながら伝導する。

 刹那の合間に稲妻が氷狼に達しようとした―――が、彼はそれを横に飛んで難なく回避した。


『へぇ、驚いたな、こんなやつがいたのか、翼持ちの部隊長クラスってとこかな』

 氷狼は眼前の青白い肌の少女を見て、セントラルで戦っていた相手を思い出した。

『まぁ、あいつらは数が揃って無いと向かってこない腰抜けしかいなかったからね、久しぶりに良い悲鳴が聞けそうでなにより』

 彼は、向こうで何十人という戦士に追われながら過ごす毎日を送っていた。
 それなりに力を持った相手が一人いたとしても、なんの苦にもならない。


『みんな、遅れてごめんね!』

 シンクは謝罪しながらも眼前の白い魔物から目を離さない。
 完全に不意をつけたはずだった二段仕掛けの攻撃を、こうも易々と避けられたのは初めての経験だった。
 あの魔物が、近くの村を襲っていたという氷狼だと確信する。

『シンク助かったぜ。 ――それより気をつけろ、あの白い奴、障壁をものともしなかった』

 危うく爪で切断されそうだった男が注意を促す。

『うん、分かったよ、絶対にここで食い止めてみせる』

 シンクは天にハンマーを翳し魔力を練り始める。
 先端の部分が発光し、雷鳴が轟きだす。

 ハンマーの先が紫の雷を纏って巨大化した。
 子供の頭ぐらいだったそれが、大きい樽のように変化する。
 彼女は雷を固形化させた。もちろん雷本来の性質を宿している。

 その場で彼女は氷狼に狙い定める。
 距離15メートル―――どう考えても届きそうに無い位置から、その雷槌を後ろに振りかぶった。
 
『さっさと、終わらせようかな』

 シンクがハンマーを振りかぶると同時に、氷狼は地面に全ての爪を突き立てていた。

 その瞬間、氷狼から吹き荒れる雪のように猛烈な魔力が流れ出した。

 一瞬にして、辺り一体が凍りついていく。
 周りの木は氷のオブジェになり、森の草は凍った後、砕け散った。

 絶対零度の地獄が展開された。


 それを見たシンクは氷狼に狙いをつけていた軌道を無理矢理修正し、地面を殴りつける。
 雷と氷の魔力がぶつかり合い、凄まじい力の奔流を引き起こす。
 雷鳴と氷が砕け散る音が何度も鳴り響き―――やがて、静まった。
 彼女の足元近くまで伸びていた氷結は、その一撃が食い止めた。

 しかし、他の村民全員は下半身まで完全に凍りついていた。
 手に持った武器で自身に絡みついた氷を砕こうとするが、傷一つ付けることが出来ない。

 難を逃れたのは彼女一人だけであった。

『み、みんな……』

 シンクの表情が絶望に染まる。
 全員で一丸になれば打倒できるだろうと思っていたが、敵の実力を見誤っていた。
 氷狼は、彼女が今まで戦ってきた魔物とは格が違いすぎた。


『さあて、おまえらまずは前菜とい――――ン!?』

 氷狼が人狼たちに声をかけている最中、森の草むらを物凄い速度で頭から掻き分けて出て来た子供の姿が彼の目に入った。


 そのまま子供は氷の上を滑り、氷狼のすぐ傍で凍り付いていた木に、頭から勢いよくぶつかって停止した。

 森にいた全員が戦闘中ということを忘れてしまったかのように、その闖入者に意識を奪われる。


 子供は、幽鬼のようにゆらりと空中に浮かぶように立ち上がった。


 
 その姿は、銀髪、赤眼、氷狼が見たことも無い服を着た人間だった。



[29549] 三章 五話 鋼の双拳
Name: 桐生◆200643a5 ID:bd5ad875
Date: 2011/09/29 00:46

 先ほどとは状況が一変し、誰もが動きを止め、静寂が森を包み込んでいる。
 その中で、小さな子供がゆっくりと氷狼の正面に移動する。


 身長4メートルを超えた白い怪物と、小柄で、か弱そうな銀の童子が対峙した。


 そしてシンクは誰よりも先に、突然飛び出してきた子供の正体に気が付いていたが、このあまりに唐突な出来事に言葉を失っていた。

 しかし、呆気にとられていた表情から一転、何をすべきかを思い出し、

『コウエンちゃん、逃げて!!』

 彼女はとにかく叫んだ。
 どうやって来たのかも、なぜここへ来てしまったのかも分からないが、そんな疑問を今、考え込んでいる暇は無い。
 鋼焔が立っている所は、誰よりも危険な場所なのだ、一秒後には殺されていてもおかしくは無い。

 相手の力量を考えると、逃げろと言ったところでどうしようもないのは彼女自身分かってはいたが、叫ばずにはいられなかった。


 だが、鋼焔はシンクの叫び声を聞いても微動だにしない。
 目の前に立つ白い狼の顔を見上げ、その赤眼を鋭く細める。

『なんだ、子供か?』

 突如現れた場違いな存在に興味をそそられたのか、氷狼は顎に手をやり、訝しげに眼前の子供をじっくりと見下ろす。

 それから驚いた表情になり、

『おっ、かなりの上玉だ、しかも人間! 良い匂いがすると思って来て見たら、最高の昼食になりそうだね』

 よだれを垂らさんばかりに舌なめずりをして、目を輝かせた。

(……御主人、今ならまだ間に合います、さっきみたいに跳んで逃げてください)

 さきほどの跳躍には驚かされたが、それでも京には眼前の相手を打倒できる気がしない。

(逃げる必要は、無い)

 鋼焔は、彼我の戦力を見極め冷静に判断する。

 体が子供のようになってしまい、魔術も魔法陣も使えなくとも―――魔力はある。
 そしてこの体は小さかろうが、古代最強と謳われた鋼の精霊に近い存在になっているのだ。
 戦うための力は、失われていない。

 ならば、"この程度の相手"に背中を見せる道理は無い。


『やめろ、その子に手を出してみろ、僕が許さないぞ』

 今にも、鋼焔の頭に噛り付きそうな氷狼を見て、シンクは恐れながらも銀の戦槌を構える。
 無駄な足掻きになるかもしれないが、なんとか自分に注意を向けさせようとする。
 白い魔物を自分一人で打ち倒せるわけも無い――それでも、闘志を籠めた眼差しで敵を睨み付ける。

『――っるさいねぇ、静かにしててよ、この娘の悲鳴が聞こえないでしょ? 今からこの可愛い娘の首もぎ取って、頭蓋骨を噛み砕きなら、中の味噌をすするんだから―――さッ!!』

 シンクの方をチラリと見た後、氷狼は白刃と化した右の爪を、鋼焔の首目掛けて突き出した。

(さ、避けてください!!)

 京は自分たちの体に迫り来る、圧倒的な力を有した凶刃を見て叫び声をあげた。
 

 心に、頭に、彼女の悲鳴が響いても、鋼焔は不動を貫く。

 ただ、彼は、一度も試していないのは思い切りが良すぎたかもしれない、などと迫り来る白い爪を見つめながら、ぼんやりと考えていた。



『く、うッ……』

 あってはならない、そして見たくない光景が起ころうとしている。
 シンクは目を瞑り、鋼焔から顔を背けた。


 村人たちは悲痛な表情でそれを見届ける。
 人狼たちはニヤついた顔でその瞬間を待ち焦がれる。


 しかし、何も音がしない。首が抉られるような、怖ろしい音が誰の耳にも届かない。


 代わりに、氷狼の混乱を隠せない、焦りを含んだ声がその場にいた全員の鼓膜を打つ。

『な、なんなんだ、こいつ、ば、化け物か!?』

 敵味方関係なく、動揺が走る。

 村人も人狼も、目を飛び出させんばかりに見開き、声にならないほどの大きさで「なにが……」「うそだろ……」と、それぞれぶつぶつ呟いている。
 
 人狼たちが、何かにうろたえている氷狼を見るのは、これが初めてだった。
 彼はいつも余裕の表情を崩さず、自分たちを導いてくれる絶対的な強者だった。
 そんな彼が、この瞬間、怯えて喚いている子犬に見えた。



 何が起こったのだろうかと、シンクは瞑っていた目を開いた。



 氷狼の右の爪、その全てが砕かれ無くなっていた。
 さらに鋼焔の小さな白い手が、爪を失った狼の人差し指を、握りつぶさんばかりに掴み上げている。
 想像だにしない、光景が目の前で繰り広げられていた。


 そして氷狼は、その拘束から抜け出そうと渾身の力を込めているが、こ揺るぎもしない。
 ありえない事態に混乱した彼は、他の手足、もしくは口で攻撃することすら忘れていた。

 そして、

『は、離せ、離せよ――――ぐ、ぐぁぁああああああああああ、ぉ、おお俺の、俺の指、ゆびがぁ……』

 肉が潰れ、骨が粉々になる音が、氷狼の絶叫と共に森に響き渡った。

 鋼焔の小さな手が、万力のように氷狼の指を圧縮して、すり潰した。
 小さな掌から、赤い血、肉の汁、血に染まった骨の破片が零れていく。

(ご、御主人、これは……まさか……)

 京は全身に染み渡る圧倒的な魔力の循環を知覚した。
 普段、鋼焔から供給されている魔力が、今この融合した体にも感じられる。



『なッ…………』

 誰もが、体をくの字に曲げ悶絶している氷狼と、彼の指をもぎ取った得たいの知れない子供を見て、戦慄し言葉を失った。


『ど、どうなってるの……!?』

 シンクは鋼焔が指を握り潰す瞬間を目撃したが、それが視覚情報として脳に入ってきても処理することができなかった。
 その光景はあまりに彼女の常識とかけ離れていた。

 さらに、その光景は続いていく。

『あ、あぐぁぁ…ぁぁ…ッ』

 鋼焔は地上から数センチ浮き上がり、氷狼の目の前まで接近する。
 眼前で苦しみ悶えている相手を無視して、体に流れる魔力を破壊の力として、練り上げていく。
 速く、堅く、強く、なるようイメージする。
 見えるはずの無い魔力――赤黒い魔力が鋼焔の全身を陽炎のように揺らめいている。

「京、いくぞ、これがおれとお前の力だ」

 鋼焔は、戦闘中にも関わらず口を開いた。
 この場ではただ一人、彼女しか理解できない言葉で言い放つ。
 ――――今はまだ伝わらなくても良い。
 出会ったその日から、彼女に伝えたい想いを、戦いの中で積み重ねていく。


 そして鋼の精霊となった肉体が、鋼焔の魔力によって始動する。

 痺れの無い左足を大きく踏み込み、左の脇を閉める。
 同時に膝から腰、腰から肩をコンパクトに回す。
 腰を軸にした回転の力が、全身の魔力を右腕に伝導させる。


 二人の右拳が撃ち放たれる。


 拳が視認できないほどの速さで氷狼の下腹部に到達した。

 肉が切断される音、骨が砕け引き千切れる音が鳴り響く。

 殴ったのは小さな拳。
 だが、それがまるで巨大な鉄塊が強烈に突っ込んだかのように――――氷狼の胸から下を根こそぎ奪い去った。
 
 氷狼の下半身が勢いよく後方に弾け飛び、後ろの木に叩きつけられる――凄まじい破砕音と共にその木を薙ぎ倒し、勢いそのままに次の木に激突、さらに薙ぎ倒し、さらに次ぎの木も、次の木も、と鋼焔が突き出した拳の延長線上に氷狼の血で染まった新たな道ができあがっていく。


 そして、下半身を失った氷狼の体が、だるま落としのように鋼焔の目の前に落ちてくる。


 鋼焔は、右腕をすでに引き戻していた。
 上半身だけになった氷狼の体が地面に着地すると同時に、すかさず二撃目を撃つ動作に入る。
 但し、今度は最初から踏み込んだ状態で、拳を前後させるだけ。
 だが、一撃目とは比べ物にならないほどの魔力を右腕に纏わせている。
 腕からは赤黒い魔力の焔が噴出している。
 魔力が完全に右腕を包み込んでいた。

 そして、右拳を全力で氷狼の顔面に向けて打ち抜く。

 速度の概念を超越した赤黒い焔が、撃ち出されると同時に氷狼の頭を飲み込んだ。

 直後、鋼焔の拳を中心に凄まじい魔力の波動が巻き起こる。

 ――波動が衝撃となって周りに広がっていく。

 轟音が響き渡り、大気が震動する。
 焔が全ての氷結を瞬く間に融解させ、その下から現れた地面に亀裂を走らせる。
 近くの森の木は薙ぎ倒され、遠くの木は葉を散らす。
 周囲にいた他の者は肌にビリビリとした衝撃波を感じた直後、体が浮き上がり数メートルも後ろに吹き飛ばされた。

 そして、

 直撃を受けた氷狼の頭は、影も形も残らない―――雲散霧消した。

 残ったのは首から上の無い上半身のみ。首から赤い鮮血が迸る。

 藍色の浴衣が返り血で紫に変色する。


 ――――氷狼は自分が殴られたことにすら気付くことはなかった。

 
 氷狼の殺害が終わった後、村人たちも人狼も皆、尻餅をついたまま愕然とした表情で、ただ、ただ、眼前で起こった出鱈目な光景の残骸を凝視するのみ。


 しばらくして、目を丸くさせ、口をあんぐりと開けていたシンクが、

『……は、えっ、ええっ!? な……なんで、なにが、こ、鋼焔、ちゃん!? ……何者、なの……?』

 現実に戻って来た。
 まだ、頭の混乱は抜け切っておらず、言葉がまとまっていない。

 あの氷狼には自分以上の力を感じた。
 自分を含め、他の大人20人を一瞬にして窮地に追い込んだ相手にも関わらず、あの少女は―――。


 そしてシンクに続いて、徐々に他の者も正常な思考を取り戻していく。

「う、うおおおおおおおおおおおおッ!!」

 突如飛来した子供の手によって、九死に一生を拾った村人たちは両手を空に突き上げ、歓声を上げた。
 生き延びた喜びを全身で表現している。


『ぁ、あ、うあ、うぁああああああ、に、逃げろッ!! 逃げろおおおおお!!』

 我に返った人狼たちは、死に物狂いになって森の中へと逃げ帰っていく。


 そのあと、氷狼の首が無い上半身が消滅し、全てが終わった。
 再び森に、一時の平穏が訪れる。



 そして鋼焔は視界の中で、なぜか、不機嫌そうにじっとりとした目付きになっている京の姿に気が付き口を開いた。

(京、思ったよりやれそうだろ? この体、魔法陣が使えない分、魔力では数段劣るが、燃費は抜群に良いし、侵蝕領域が発生しないから使い勝手も良い感じじゃないか)

 心の中で、得意げな様子で彼女に語る。

 上空から信じられない速さで墜落したにも関わらず、無傷だったことを考えれば、この程度のことはできるだろうと予測していた。
 しかし、実戦で力の使い方を学習することになるとは鋼焔も思いも寄らなかった。
 
 すると、彼の話を聞いていた京は顔を怒りで紅潮させて、刺すような視線を放った。

(御主人、……小さくなってもやることが無茶苦茶ですっ、というよりですね、最初から戦えるなら戦えるとそう言ってください!! 怒りま―――うッ)

 突然、お説教していた京が呻き声とともに、鋼焔の視界の中で苦しそうに口元を手で押さえた。

(どうした!? 大丈夫か……?)

 また何か融合による異常が起こったのかと心配になる。

(……ええ、ちょっと疲れた上に興奮しすぎただけだと思います)

 彼女は深く息をつきながら、小さな胸に手をやっていた。

(そうか、それなら良かった)

 どうやらいきなり力を使ったせいで、京にも僅かながらに影響が出たのだろう。
 その言葉を聞いて鋼焔は胸を撫で下ろした。

(もうっ! それもこれも全て御主人のせいなのですからね)

 安堵する主の声を聞いて、彼女は怒りながら上機嫌になる、という器用な表情をしていた。
 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あの後、鋼焔はシンクにおんぶされて家路に着いた。

 彼女は帰ってすぐに、途中で止まっていた料理の続きをやり始めようとしたのだが、作っている最中に他の村民が訪ねてきてお裾分けしてもらえた。

 そして来る人全て、料理を置いた後、鋼焔に向かって神妙に拝みながら何かを呟く。
 ―――テーブルは料理で埋め尽くされていった。
 何か盛大に勘違いされている気がして、鋼焔と京は冷や汗を垂らした。

 それから、お裾分けの流れが途絶えた後、鋼焔とシンクは豪勢な夕食をとった。


 しかし、お腹いっぱい食べられるにも関わらず、シンクは戸惑った表情をしながら食事をしている。
 料理を口に運んでいる最中、鋼焔に聞きたいことがあるのか、チラリチラリと視線をやっていた。

 そして、鋼焔が食べ終わるのを待ってから、彼女は恐る恐る訊ねる。

『コウエンちゃんは……どこから来たの?』

 この世界の人間は、そのほとんどがセントラルに住んでいる。
 シンクは以前、村にやってきた人間や、セントラルに住んでいる人間を見たことはあったが、その誰もが微弱な魔力しか持っていなかった。
 そして鋼焔は見た目もただの人間とは異なっている上、桁違いの力も持っている。
 だから、彼女は鋼焔が人間ではない何かで、どこか違う場所から来たのだと思い、質問をした。


 鋼焔はしばらく考えてから、

『違う世界』

 彼女には話しておこうと、決意して口を開いた。

『違う、世界?』

 初め、どこか違う大陸のことだろうかと考えたが、セントラルの『魔女』に別に存在している世界の話を聞かされたことを思い出した。

『なんのために、来たの?』

 シンクには興味もなければ、理解もできない難解な話だったため、あまりよく覚えていないが、この世界に良く似た世界や、この世界の住人よりも遥かに力を持った人々が存在している世界があるという。
 翼持ちたちは、そういった世界から龍を退治できる人を召喚できないかと、魔女にしつこく相談を持ちかけていたらしいが、彼女にも不可能らしく、その愚痴を聞かされたことがあったのだ。

『龍を倒すため』

 鋼焔は先ほどから考えていたことを口にした。

(ご、御主人、何を!?)

 京はその言葉を聞き、驚いた表情になって目をむいた。
 鋼焔が勝手に決めたことを咎めているようだ。

 しかし、魔物の力を知った今、このまま放置して帰るのはなんとも後味が悪い。
 今日だけ敵を排除したところで、自己満足の偽善にしかならない。

 根源を絶たなければ、己が帰った後、シンクはいつか魔物に殺されるのではないかと思う。
 彼女のためだけに、この世界で戦う決断をする。

 わざわざ異世界に来てまで、何かを殺すつもりは無かったが、すでに心は定まっていた。
 どちらにせよ分離する方法も探さなければならないのだ。
 そのついでに爬虫類の一匹や二匹相手にするぐらいなら、京も許してくれるだろう。

『な、なんか凄い話になってきたね……』

 シンクは先ほど思い出していたこと、ずばりそのものを言われて驚いた。
 鋼焔のあの力を見た今ならば本当にそうなのだろうと信じられたが、余りに壮大な話に、疲れ気味の頭が付いて来れそうに無い。

『龍のこと、教えて』

 魔物との関係、数、居場所、その能力など、鋼焔は龍について詳しい情報を集めておきたい。

『うん、でも今日は僕も疲れてるし、また明日にしよ?』

 一度、伸びをした後、シンクはテーブルに肘をついて手で両頬を押さえ、ふにゃっとした笑顔になって鋼焔を見詰める。

『わかった』

 鋼焔は疲れているわけでは無いが、突拍子も無い話をした手前、シンクにも整理する時間が必要だろうと思った。
 それに、明日すぐにこの村を出るわけでも無い。
 分離する方法を探しに行く前にやらなければならないことがある。

 そして、笑顔を崩さぬまま、シンクが勢いよくその場に立ち上がり、

『それじゃコウエンちゃん、体汚れちゃってるし、一緒にお風呂入ろっか』

 鋼焔のところに近づいて来て、その体を持ち上げた。

『よろしくお願いします』

 鋼焔は迷う事無く、即答した。
 跳んだ時に砂埃を被り、森で氷狼の血を少し浴びて汚れている。

(なっ、御主人、相手は女性ですよ!?)

 京の非難する声に、鋼焔は無言を返した。


 そのまま、シンクに連れられ台所を出て右の部屋に行くと、石で出来た浴室があった。
 ゴツゴツしているが、露天風呂のような趣がある。
 
 浴室の入り口で服を脱ぐようで、シンクはすでに服を脱いで全裸になっていた。
 革の胸当てをつけていたせいでよく分からなかったが、彼女の胸は程よくふっくらと肉付いており、美しい曲線を描いている。
 そして、先端の桜色は青白い肌によって一層際立っていた。
 腰はくびれ、お尻も柔らかそうでハリがある。
 肌にはシミ一つ無く、彼女の肌の色も相まって現実離れした美しさを放っている。
 そして重そうなハンマーを振るっているだけあって、体は引き締まっており出ている所は出ているが無駄な肉はついていない。

(D、いやCだな、大き過ぎず、小さ過ぎず、まさに美というに相応しい)

 それを見ていた鋼焔の唸るような心の声が思わず漏れた。

(御主人、視界を共有していることを忘れていませんか?)

 僅かに、殺気さえ籠もっていそうな眼差しと声を感じる。
 主が、普段女性の胸や裸を見て何を考えているか京には分からなかったが、融合したことにより、今、全てが彼女の知るところとなった。

 鋼焔も服を脱ごうとしていたが、シンクによって脱がされ、そのまま全裸の彼女に抱っこされ浴室に連れて行かれる。

 その瞬間、柔らかい、と鋼焔の心の声が再び漏れた。

(沙耶様と悠様に言いつけますよ)

 今にも爆発しそうな声が鋼焔の頭に響き、京の様子を見ようとしたその時、なぜか彼女の着物も脱げていることに気が付いた。

(京、なぜかお前の服が脱げている)

(話を逸らすつもりですか? そんな手には引っかかりませんよ)

(いや、本当だって――――京って、ツルツルだったんだな)

 鋼焔は初めて見る彼女の全裸を、上から下まで確認しておいた。

(………………御主人、分離したら覚悟しておいて下さい)

 視界の中に映っている京は手をバキバキ、首をコキコキと鳴らし、早速ウォーミングアップに入っている。

 そして浴室に入ると浴槽からは湯煙が上がっていた。
 湯に触れてみると程よい熱さになっている。
 森から帰った後、シンクが外に出ている時に魔力を感知したが、雷の能力で風呂を炊いていたらしい。
 
『コウエンちゃん、座って』

 入浴する前に体を洗うため、鋼焔を木の椅子に座らせた。
 彼女は手に乾燥させた瓜のような物を持っている、それで体を擦るようだ。
 それを浴槽の湯に浸した後、シンクはしゃがんで鋼焔の背中を優しく擦っていく。
 腕を上げさせて、横腹から腋まで丁寧に洗う。

 そして背中が終わった後、

『じゃあ、今度はこっち向いてね』

 鋼焔は後ろを向いた。
 視界をシンクの健康的な裸身が覆い尽くす。
 それを心のアルバムに焼きつけんとばかりに凝視する。

 しかし、そうやって没頭している最中、シンクの視線が鋼焔の股間に吸い寄せられ、

『えっ……これは、なに?』

 そういって彼女は驚きながら手を伸ばしてそれを掴んだ。
 そして、強く握ったり、引っ張ったり、先っちょを指でツンツンする。

(ひゃっ、ご、御主人つ、掴まれていますよ!? な、なんだか変な感じです……)

 京が小さく喘ぎ声を上げた。
 初めての感覚に戸惑いつつも、頬を染めて変な顔になっている。
 ×××がシンクの乱暴な手つきよって刺激を与えられ、大きくなっていく。

『…………も、もしかしてコウエンちゃん―――お、男の子だったの!?』

 彼女は今日、何度目になるか分からない驚愕の表情になり、信じられない思いで訊ねた。

『はい』

 鋼焔は会話の中で、何を言われているのか分からない言葉が幾つかあったことを思い出す。
 あれは全て女性に関連するものだったようだ。
 そういえば、湖で自分の顔を見たときは女っぽい顔だなと一瞬思ったが、最初に確認してから自分をはっきり男だと認識していたので、すっかり忘れていた。


『…………ひぅ』

 顔を真っ赤にして小さく悲鳴を漏らした後、シンクは気絶した。
 危うく後頭部から頭を床にぶつけそうになったが、慌てて鋼焔が抱きとめる。

(御主人、これは沙耶様と悠様に報告させて頂きます『女性を×××で失神させた』と)

 その言葉は事実だが、間違いなく誤解される。
 沙耶は嘆き悲しみ、悠は兄を罵るだろう。
 

(お二人とも、さぞやお嘆きになられることでしょう、今から楽しみです)

 先ほどの意趣返しとばかりに、京が陰湿な笑みを浮かべている。

「京さん、本気でそれは勘弁してください」

 浴室に、鋼焔の真剣に懇願する声が反響した。


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