この世界の発展は魔術と切っても切れない関係にある。
どの種族の大人に訊いても、そう答えるだろうし、どんな本でもそんな風に記されている。例外はあるかもしれないが、それは常識はずれな本と言わざるを得ないほど世界は魔術に溢れていた。
魔術という言葉が何千年前からあったのかは未だ不明だが、少なくともこの世界の本には四千年以上前から使用されていた、と記されている。
魔術には多くの種類がある、聖騎士の神聖術、陰陽師の陰陽術、ネクロマンサーの死霊術、エルフの多くが用いる精霊魔法、その他色々ある魔術のなかでもとりわけ強力な魔法陣を用いる者が魔陣使いと呼ばれていた。
魔術の力は偉大である。真っ暗な夜を照らすことも、箱の中に人や景色を映すことも、一瞬で遠く離れた地点に移動することも、強力な術者にかかれば死んだ生物ですら蘇らせることも可能だった。
もちろん、大量の生き物を殺すことも。
戦争なんてものは、時代や場所を選ばずいつでも起こるものなのだろう、現在、世界の多くの国が戦争状態にある。
国の力を左右するものは、その国の資源であったり、経済力であったりするが、なにより、優秀な魔術師が多くの戦局を覆してきた歴史を鑑みると魔術師が国力そのものと言っても過言ではないだろう。
だからこそ、どの国もこぞって優れた魔術師を輩出しようと魔術学校の設立と多大な育成費の捻出を行っている。
今、現在、戦争状態にない国であっても魔術の発展を怠れば隣国からの侵略が明日、明後日に起こっても不思議ではないからだ。
この物語は東の大陸のとある小国の魔術学校から始まる。
小国の名は日鋼。同盟を結んだ七ヶ国に囲まれ、共同支出によって設立された武鋼魔術軍事学校を運営している。
武鋼魔術軍事学校の在り方は、次世代の兵士、技術者、指導者を長期間にかけて育成することであり、種族の差別は無く、下は8歳から、上は35歳まで幅広い年齢の人間を受け入れている。
日鋼は小国ではあるが、代々、優れた魔術師を育成してきた実績のある魔術軍事国家である。育成した魔術師を傭兵として派遣することで国力を増大させていった。
さらに、鉱山資源が豊富で鍛冶、製鉄技術にも優れ高品質な武器、兵器などを生み出し輸出し経済的にも潤い、世界中で、東の大陸の『武鋼』、と呼ばれるほどであった。
現在、日鋼を支配しているのは天城家の当代、天城鋼耀。
そして、鋼耀の長男、鋼焔《こうえん》は魔陣使いとして武鋼魔術軍事学校に通っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午前の講義の終わりを告げる鐘が鳴り響く中、二人の青年が談笑しながら、学食を目指している人で溢れかえった廊下を歩いていた。
「なぁ、コウ、さっきの魔術史学概論のノートちゃんと取れたか?」
少し涙目になりながら訊いてくる友人、明人の言葉に、鋼焔はああ…と頷いた。
「無理だ、…明人も間に合わなかったか、相変わらずあの講師の板書速度には恐れ入る。この学校が創設何年目か知らんが、おそらくあの人が史上最速だろうな」
鋼焔は、遠い目をしながらさっきの講義を振り返っていた。
「…コウ、おれたち、選ぶ講義間違えたのかな」
「いや、おまえが『おれは恋をした、愛の前に全ては平伏す』って世迷言を吐いた時点で間違えていたと思う」
鋼焔は、かなり遠い目をしながら一月前を思い返していた。
「だってさ、あの先生見たことも無いほどの美人だったからさ、騙されるのも…」
「そうだな…」
「「仕方ないな」」
はぁ…と二人同時に溜息をつく。
「しかし、このままじゃやばいな、手が攣りそうだし、いい加減対策を練らないと駄目だな。『そういう講義』ってことでもあるだろうし」
「『そういう講義』って、…そういうことか、なんらかの魔術で解決しろ、ってことか」
明人は、呟きながら納得していた。
「まぁ、対策を練ろうとしたところで、おれも明人もそういう魔術には向いてない気がするが…前途多難だな」
「うむ…やっちまったな」
明人もかなり遠い目になっていた。
「よし、気分を変えて飯にしようぜ、コウ、って…おまえは屋上だったな」
明人はかなり羨ましそうな目を向けていた。
「…ああ、いつも付き合い悪くてすまんな、ちょっと行って来る」
鋼焔は羨ましい視線を向けられているにも関わらず、暗い表情をしながら答えた。
「おー、行って来い、ホント両手に花とか羨ましいぜ」
友の声を受けながら、戦場に向かう気持ちで鋼焔は屋上へ移動する順路を目指し始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
屋上の真ん中には美麗な絨毯が敷かれており異彩を放っていた。
そこに座っている二人の少女達が発している風格も、その見た目の美しさも周囲から浮く原因にもなってはいるのだが。
なにより、二人の取って貼り付けたような笑顔が最大の原因であった。
しばらく、二人が固まっていると、不意に屋上の扉が開いた。
「すまん、明人と話し込んでいたらちょっと遅れた」
屋上の扉が開いて二人の待ち人が現れると、さっきまでの作ったような笑顔とは打って変わって自然な笑顔になる。
「コウさん」
「お兄ちゃん」
「「お待ちしておりました」」
二人の少女は三つ指をついて、絨毯に額がつきそうなほど深くお辞儀しながらいつもの挨拶をした。
鋼焔もいつも通り、その挨拶に気圧されながら、あ、ああ…とだけ答えて絨毯の上に座る。
ついで、二人の少女も鋼焔の左右に分かれるように座りなおす。
右側に座った美人は鋼焔の幼馴染の神宮寺沙耶、神聖術を扱う聖騎士である、日鋼生まれの聖騎士は珍しく学内でも目立っていた。切れ長の瞳、ロングヘアー、スタイル抜群で豊かな胸が特徴的である。
左側に座った綺麗というよりは可愛らしい美少女は鋼焔の義妹の天城悠、クリッとした愛らしい瞳、髪はツインテールに結っていて柔らかそうな頬が特徴的だった。
「ささ、もう時間もありませんし、お弁当頂いちゃいましょう」
沙耶は包みを広げ、『二人分』の取り皿と箸を用意する。
すかさず、悠が、
「もー、沙耶さんったらあたしの分忘れているー」
と、このお茶目さん、とでも言いたげな風に突っ込みを入れた。
「あら、ごめんなさい。最近、私ったら物忘れが激しいみたいで、どうでもいいことは覚えられないみたい、ごめんなさいね。えーっと、えーっと、…悠ちゃん」
沙耶は本気で悠の名前を忘れてしまいましたという雰囲気で白々しく名前を口にした後、嫌そうに悠の分の皿と箸を用意した。
「あははー、やっだなー、もう、沙耶さんってば。お婆ちゃんじゃないんだからあたしの名前忘れるなんて。ねー?」
悠は怒りで頬を引き攣らせながら、棒読みの台詞を吐く。
一連の流れだけで鋼焔は少し疲れ始める。これがもはや日常の光景と化していた。とりあえず、少しでもこの空気を変えようとお弁当に手を出し始める。
弁当の中身は真ん中の仕切りによって左右で東洋、西洋料理と分けられていた。
鋼焔は相変わらずどちらが作った料理かはっきりしているな、と思ったが口に出せば墓穴を掘ること間違いなしなので黙っていた。
「念のため言っておきますけど、右の見た目が良くて美味しそうなのは私が作ったほうですよ、コウさん」
ニコニコとした笑顔で言う沙耶によって、綱焔の目論見はあっさりと砕かれた、と同時に左から不機嫌そうな呻き声が聞こえたが、今、それに反応するのは泥沼だと判断し鋼焔は流すことにした。
「…えーっと、じゃあ沙耶の料理から頂こうかな。いただきます」
狐に色に揚がったエビフライを選んで口にした。昨晩、調理したにも関わらずサクッとした歯ごたえと噛む度に旨みが溢れるプリっとした食感、鋼焔の好みにストライクなソースまで付いたそれは完璧と言って差し支えなかった。
「なんか前より美味しくなっているな、さすが」
素直な賞賛を聞いた沙耶は、咲いた花のような笑顔になり、珍しく頬赤らめた。
「ふふ、ありがとうございます。もっとコウさんの好みの食事を研究して毎日美味しいって言ってもらえるように頑張りますね」
鋼焔は沙耶からダダ漏れの好意に照れつつ、もうひとつ、もうひとつと照れ隠しするかのように勢いよく食事を取り始めた。
それを見ていた悠はやはり面白くない、唇を噛み締め、怒りに耐えていた。
鋼焔が沙耶の4つ目の料理を採ろうとしたところで、悠は攻勢に出た。
「お兄ちゃん、あたしの料理も食べてほしいな!はい、あーん」
悠は大きく口をあけて、兄に復唱を求める。その時見えた悠の舌の形に沙耶と鋼焔は違和感を覚えたが意識は強制的に流されていった。
悠は一番自信のあった南瓜の煮付けを選んで綱焔に差し出す。
「ああ、あーん…ってまたするの!?すまんが、今日は勘弁してほしい」
鋼焔は周囲の視線が少しずつ集まっているのを感じていた。
「あーん、…ダメ?」
上目遣いで瞳を少し濡らしながら懇願する。
「いやいや、全然ダメじゃないよ、悠」
鋼焔は妹に甘く、案外と流されやすかった。あーん、と大きく口を広げ妹の自信作を咀嚼する。沙耶はそれを半眼でみつめていた。
「うん、美味しい」
兄に褒められて妹のテンションは最大値を振り切った。すかさず2つ目を差し出す。
しかし、それは鋼焔の口に吸い込まれること無かった。
「あむっ、――味付けが濃いし、ちょっと煮崩れしていますね…うーん甘く採点して45点ですね」
悠の差し出した煮物を横から奪い去った沙耶が、まるで不味い物を食べましたと言わんばかりに顔を歪めながら品評した。
悠の目つきが鋭くなりはじめ、鋼焔は凍りついていく空気に、もう駄目かと思ったがそこに救いの手が差し伸べられた。
「御主人、鬼堂様より連絡です。至急、連盟会議室に来られたし、とのことです!」
突如、鋼焔の背後の空間から銀髪で赤い目をした藍色の着物を着た少女が現れた、見た感じの年齢は10歳ぐらいで人間離れした風貌。彼女は鋼焔の使い魔で名は京、代々、天城家と懇意にしている鋼の精霊の一族の最年少の娘である。
「どうなさいますか?」
京は、主に向けて少しおどおどするように上目遣いに問うた。
「わかった、急いで向かう、と伝えてくれ」
「了解しました!」
元気溌剌といったような大きく明るい声が屋上に響く。
「それじゃ、二人とも、悪いけどちょっと行って来るから。…仲良くしろとは言わないから喧嘩しないで昼飯食べときなよ」
無駄だとはわかっていても、二人に一応は釘を刺す。
楽しい一時が奪われたことと、その言葉に、二人は怒られた子供のようにしゅんとなり、少し気落ちした返事をした。
「…はい、いってらっしゃいませ」
「…お兄ちゃん、いってらっしゃい」
鋼焔は屋上の扉を開き、駆け足で会議室に向かっていった。