あきひろについての考察
ブログを開設するに差し合たって、最初に何を書くか迷った。
このブログでは、自分の趣味や、日々感じた事を書こうと思うが、今回は知り合いの配信者について書こうと思う。
皆さんはlivetubeという配信サイトをご存知だろうか?。
この配信サイトの存在は知らなくても、ニコ生やユーストリーム等の名は一度は目にした事があると思う。
今日ではすっかり市民権を得た(とは言っても、ネット上に限っての話だが)個人配信だが、ほんの数年前までは、ネット利用者の中でも、ごく一部の人達だけが楽しむマニアックな世界だったのだ。
爆発的に利用者を増やす事になった最大の要因は、ブロードバンド環境の普及とニコニコ生放送の出現だろう。
と、この調子で個人配信の歴史について語り始めると時間がいくらあっても足りないので、今回は僕が今まで知りあった配信者の一人について書こうと思う。
あきひろ、この男を初めて見た者は、皆、一様に同じ感覚を共有するはずである。
それは、言い知れぬ不安感だ。
若い人物ほど強い不安感を抱くはずである。
まるで、そこに自分の将来の一つの形を見ているかのような、そういう感覚である。
誰しも一度はこう思うはずだ、自分はいずれとんでもない犯罪を犯してしまうんじゃないか?、このままではホームレスになってしまうかもしれない、見る者にそうした底なしの不安感を与える配信者、それが今回紹介するあきひろである。
41歳で職歴無し、社会性不安障害と鬱病と睡眠障害に悩まされ、精神病院に通院中、重度の知的障害の弟とギャンブル依存症の母を持ち、専門学校を18歳で中退したあと、今日に至るまで社会との関係を一切拒み、ひきこもり続けている。
何故、彼は立ち直れなかったのか。
僕には、父親が事業に失敗して失踪して以来女手ひとつで重度の知的障害と精神障害を持つ息子を懸命に育ててきた彼の母親を責める事はできない。
彼の言動を見るにつけ、彼が抱える問題は、他の誰でも無い、彼自身によって作りだされてきた物だという風に思うようになったのだ。
自分が嫌な事からは全力で逃げ出し、興味が無い話や、自分に対しての批判は完全に目を背ける(現に、三回に一回は”分からない”という返しをするのだ)
そんな事なかれ主義を全力で実行している碇シンジのような彼の性格が全ての元凶なのだ。
勿論、精神障害者特有の、コンプレックスからくる自虐性は彼も持ち合わせている。
しかし、同時に、他者に対しての憎しみや批判も、常人が行うレベルを遥かに超えているのだ。
言わば、自分を守るための防衛機制、酸っぱい葡萄に近いものであろう。
こんなご時世、弟が、母親が、父親が、病気があるから、働いてないから、太っているから、遺伝だから、、、
自分自身に原因があるにもかかわらず、他者のせい、世の中のせいにして自分自身を守り、それにすら気づいていない、そういう彼の性格こそが責められるべきであり、世の中のシステムに適応できない彼を憐れむ必要など全くないのである。
勿論、人間社会全体で言えば、彼のような人間が増え続けている事は大きな問題ではある。
僕が思うに、現在の人間社会のシステムが、人間が本来持つ動物としての本能に対して、大きなストレスを与えていることが最大の原因だと思う。
だが、所詮彼らは弱者なのだ。
そういうストレスに耐え、懸命に毎日を立派に生きている人は沢山いるのだ。
そういう人から見れば、彼らは、自分に甘え、逃げているだけに過ぎないのだから。
最大多数のための最大幸福。
彼ら弱者の為に、懸命に毎日を生きる人達の為に作られたシステムを壊す必要なんか無い。
家族を守るため、食うために働いている人達の負担を増やしてまで彼ら弱者に生活保護を与えて国が飼い殺すなんて狂気の沙汰だ。
母親が死んだらどうするの?この問に対してAさんはこう答える、生活保護貰うから。
叔母が俺の事気に入ってくれてて遺産くれるらしいし。
本物のクズである。
年金暮らしの母親や重度の知的障害の弟が作業所で稼いできた給料から小遣いを貰い、日がなパチンコで遊び、グロ動画と2ちゃんねるを見続ける日々。
ジャンクフードを浴びるように食し(彼の体重は160センチで117キロにも達している)パソコンの前に座り続け、配信上のコメントに一喜一憂しているあきひろ。
恐ろしいことに、ネットの世界では彼は特別では無い。
どんなマイノリティでも受け入れてしまうネットの性質ゆえ、彼らをネット上に縛り付け、助長させてしまっている事も見逃してはならない。
長くなったが、最後に、彼が配信で話す内容について触れたい。
それは、彼がまだいまの彼になる以前、輝かしい学生時代の思い出話、四半世紀も昔の思い出話の中で、今日も彼は生きているのである。
そうして、あきひろは今日も、ギャンブル依存症の母親と重度の知的障害を持つ弟の三人で暮らす、社会から隔絶された公営住宅の一室から配信を続けている。(記念すべき第一回目の記事は陰鬱な物になってしまったが、今後も、様々な事柄について思うところを率直に書いていくつもりなので楽しみにしていて欲しい)
このブログでは、自分の趣味や、日々感じた事を書こうと思うが、今回は知り合いの配信者について書こうと思う。
皆さんはlivetubeという配信サイトをご存知だろうか?。
この配信サイトの存在は知らなくても、ニコ生やユーストリーム等の名は一度は目にした事があると思う。
今日ではすっかり市民権を得た(とは言っても、ネット上に限っての話だが)個人配信だが、ほんの数年前までは、ネット利用者の中でも、ごく一部の人達だけが楽しむマニアックな世界だったのだ。
爆発的に利用者を増やす事になった最大の要因は、ブロードバンド環境の普及とニコニコ生放送の出現だろう。
と、この調子で個人配信の歴史について語り始めると時間がいくらあっても足りないので、今回は僕が今まで知りあった配信者の一人について書こうと思う。
あきひろ、この男を初めて見た者は、皆、一様に同じ感覚を共有するはずである。
それは、言い知れぬ不安感だ。
若い人物ほど強い不安感を抱くはずである。
まるで、そこに自分の将来の一つの形を見ているかのような、そういう感覚である。
誰しも一度はこう思うはずだ、自分はいずれとんでもない犯罪を犯してしまうんじゃないか?、このままではホームレスになってしまうかもしれない、見る者にそうした底なしの不安感を与える配信者、それが今回紹介するあきひろである。
41歳で職歴無し、社会性不安障害と鬱病と睡眠障害に悩まされ、精神病院に通院中、重度の知的障害の弟とギャンブル依存症の母を持ち、専門学校を18歳で中退したあと、今日に至るまで社会との関係を一切拒み、ひきこもり続けている。
何故、彼は立ち直れなかったのか。
僕には、父親が事業に失敗して失踪して以来女手ひとつで重度の知的障害と精神障害を持つ息子を懸命に育ててきた彼の母親を責める事はできない。
彼の言動を見るにつけ、彼が抱える問題は、他の誰でも無い、彼自身によって作りだされてきた物だという風に思うようになったのだ。
自分が嫌な事からは全力で逃げ出し、興味が無い話や、自分に対しての批判は完全に目を背ける(現に、三回に一回は”分からない”という返しをするのだ)
そんな事なかれ主義を全力で実行している碇シンジのような彼の性格が全ての元凶なのだ。
勿論、精神障害者特有の、コンプレックスからくる自虐性は彼も持ち合わせている。
しかし、同時に、他者に対しての憎しみや批判も、常人が行うレベルを遥かに超えているのだ。
言わば、自分を守るための防衛機制、酸っぱい葡萄に近いものであろう。
こんなご時世、弟が、母親が、父親が、病気があるから、働いてないから、太っているから、遺伝だから、、、
自分自身に原因があるにもかかわらず、他者のせい、世の中のせいにして自分自身を守り、それにすら気づいていない、そういう彼の性格こそが責められるべきであり、世の中のシステムに適応できない彼を憐れむ必要など全くないのである。
勿論、人間社会全体で言えば、彼のような人間が増え続けている事は大きな問題ではある。
僕が思うに、現在の人間社会のシステムが、人間が本来持つ動物としての本能に対して、大きなストレスを与えていることが最大の原因だと思う。
だが、所詮彼らは弱者なのだ。
そういうストレスに耐え、懸命に毎日を立派に生きている人は沢山いるのだ。
そういう人から見れば、彼らは、自分に甘え、逃げているだけに過ぎないのだから。
最大多数のための最大幸福。
彼ら弱者の為に、懸命に毎日を生きる人達の為に作られたシステムを壊す必要なんか無い。
家族を守るため、食うために働いている人達の負担を増やしてまで彼ら弱者に生活保護を与えて国が飼い殺すなんて狂気の沙汰だ。
母親が死んだらどうするの?この問に対してAさんはこう答える、生活保護貰うから。
叔母が俺の事気に入ってくれてて遺産くれるらしいし。
本物のクズである。
年金暮らしの母親や重度の知的障害の弟が作業所で稼いできた給料から小遣いを貰い、日がなパチンコで遊び、グロ動画と2ちゃんねるを見続ける日々。
ジャンクフードを浴びるように食し(彼の体重は160センチで117キロにも達している)パソコンの前に座り続け、配信上のコメントに一喜一憂しているあきひろ。
恐ろしいことに、ネットの世界では彼は特別では無い。
どんなマイノリティでも受け入れてしまうネットの性質ゆえ、彼らをネット上に縛り付け、助長させてしまっている事も見逃してはならない。
長くなったが、最後に、彼が配信で話す内容について触れたい。
それは、彼がまだいまの彼になる以前、輝かしい学生時代の思い出話、四半世紀も昔の思い出話の中で、今日も彼は生きているのである。
そうして、あきひろは今日も、ギャンブル依存症の母親と重度の知的障害を持つ弟の三人で暮らす、社会から隔絶された公営住宅の一室から配信を続けている。(記念すべき第一回目の記事は陰鬱な物になってしまったが、今後も、様々な事柄について思うところを率直に書いていくつもりなので楽しみにしていて欲しい)