今日は、お休みのはずが家内も私もお稽古を受けてしまう。
それぞれ、9月はお仕事の都合で来られなかった生徒さんである。
夜には、さらに真台子でも一番難しいものを茶名以上の方にお稽古してもらう。
第五しかできない。
しかし、一時間以上かかるお点前に私もクタクタになる。
やはり奥秘は特別なもの、古今伝授の形でやらなければ身につかないし、これは生徒さんも疲れると思い、ちょっと後悔した。
だが、理由があってのことで習った生徒さんは喜んで帰った。
家に帰りご飯を炊くがそれ以上はスタミナ切れ、今日はお結び一つという忙しさで何もする気に慣れない。
どうも、このところお稽古より、それ以外のトラブル続きで参っている。
家内も三日ほど寝込む。
冷凍の手作りの氷枕と保冷剤で頭と目を休め。
30分で起き上がる。
さあ!
お料理と冷蔵庫を開けると、スーパーのおでんが二人分買ってある。
忘れていた。
大好きな宮城の塩釜のおでんである。
味が最高で、非常用に買っておいたもの。
もう、おでんに決まりである。
ゆで卵を作り、大根を煮る。
ご飯粒を少し入れて煮ると美味しくできる。
ただ時間が掛かる。
その間に、7月からの日課の洗濯。
バケツ一杯の水で今日の靴下やハンカチ、下着などを洗ってしまう。
夏は行水で、ついでに洗うが今は流石に行水は風邪をひく。
体が揺れるので、今年はお風呂に入っていない。
まるで病人のように、時間がないときはタオルで体を拭いて終わり。
入院生活が長かったから、全然平気なのである。
だが、湯船に入らないのは疲れが取れない原因でもあると家内が心配するが、病院ではお風呂に入るのは介助を要すると診断されているのでめんどくさいのである。
今は、風呂は風呂でも草津の湯が恋しい。
子供の時は、鼻がわるく休みのたびに湯治に祖母と通った。
何年かで鼻の病は治ったのも不思議である。
スーパーのおでんにゆで卵とはんぺんを足し、時間が掛かったが大根もうまくでき、やはり秋は庶民的なおでんが一番と舌鼓!
私たちは、なんでもお稽古中心である。
時間があるときに、割引のものを買い置きである。
時には、すべてのお店が仕舞ってしまう時間までお稽古が続く。
本当にうれしい限りである。
食事をとるより、教えていたい。
教えること以外は、なにも考えない。
今は、秋の引継ぎで頭も一杯。
世俗的な、ものはすべて排除。
生徒さんがどれだけお点前に集中してくれるかが勝負。
まさに伝授は一生に一回。
全精力を使い果たす。
途中で、自分の命の火が消えれば、それは本望である。
自分が40年以上かけて学んだ、ものを一瞬で伝える。
こんな、以心伝心、不立文字の世界は実際、何度も伝授を受けてだんだん納得のいくのもである。
言葉や文字で説明してはいけない。
初めは何もわからなくてよい。
ただひたすら、夢中でお稽古、伝授を受ける姿勢が大事。
理屈ではない。
それほど初めての伝授は、大変なことなのである。
目標に向かい、雑念の入る余地などありはしない。
私がそうだった。
そうして、30年ぐらい修行して本当の行台子をしり、古今伝授の本当の意味が少しずつ分かるのである。
本当に奥が深く、ほんの4,5年で古今伝授のシステムを知ろうなんて不可能に近い。
古今伝授の伝統は1500年近い、流れがあるのである。
恐れおおいいことである。