Astandなら過去の朝日新聞社説が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
逆転敗訴とはいえ、国民の「知る権利」に基づき、政府に真相をただし続けた裁判の意義が失われることはない。1972年の沖縄返還時に、財政負担を日本側が肩代わりするという日米[記事全文]
あれほどの巨大地震を想定していなかった反省にたち、地震・津波対策を見直す。国の中央防災会議に設けられた専門調査会が、提言をまとめた。歴史を調べて知見を尽くし、考えられる[記事全文]
逆転敗訴とはいえ、国民の「知る権利」に基づき、政府に真相をただし続けた裁判の意義が失われることはない。
1972年の沖縄返還時に、財政負担を日本側が肩代わりするという日米両政府の密約があった。こう訴えて、元毎日新聞記者の西山太吉さんや作家の澤地久枝さんらが、その密約文書の公開を求めていた裁判だ。
東京高裁はきのう、政府に開示を命じた一審判決を取り消す判断を示した。最大の争点は、文書が存在しないので公開できないとしてきた、政府の言い分を認めるかどうかだった。
一審の東京地裁は、政府の文書を見つける努力が不十分で、文書がないとはいえないとして、公開を命じた。
東京高裁は、この判断を変えた。理由は、民主党への政権交代後、岡田克也外相が指示した調査で、米国側の資料などをもとに事実上、密約の存在を認めたことだ。政府が文書を隠さなければいけない理由がなくなったので、文書がないという主張も信じられるというわけだ。
だから、開示命令は取り消されても、密約があったという厳然たる事実は揺るがない。
一方で判決は、01年の情報公開法の施行を前に、密約はないという長年のウソがばれないように、外務省などが文書を「秘密裏に廃棄」した可能性を指摘している。
外務省は、文書がなくなった経緯は確認できないという調査結果を公表しているが、まったく説得力に欠ける。こうした無責任な役所の体質は、これからも問い続ける必要がある。
私たちは、密約が決して過去の問題ではないという現実を忘れてはいけない。
ことしも、驚くべき事実が次々に明らかになっている。ひとつは、日本政府が在日米軍関係者の公務外の犯罪について、重要事件以外は起訴しない方針を米国側に伝えていたことだ。
もう一つは、沖縄県の米海兵隊のグアム移転について、日本側の負担割合を見かけ上減らすために、米政府の支出額や移転人数を、実際より水増ししていたことだ。
外交交渉中の秘密保持は必要でも、こんな国民を欺くようなやり方はいけない。政府に都合の悪い事案も、明らかにして国民を説得するのが筋だ。
民主主義国家の外交・安全保障政策は、国民の幅広い理解と支持の上に成り立つ。
密約訴訟が突きつけたのは、政府の外交が信頼できるか、どうかである。これからも目をこらしていかねばならない。
あれほどの巨大地震を想定していなかった反省にたち、地震・津波対策を見直す。国の中央防災会議に設けられた専門調査会が、提言をまとめた。
歴史を調べて知見を尽くし、考えられる最大級の津波に備える。大きな揺れを感じたら、迷わず高い所に逃げる「津波てんでんこ」が基本。津波避難ビルの指定や、浸水の恐れが大きい土地の利用規制といった方法を駆使し、5分程度で避難できるまちづくりをめざせ――。
堤防に頼ってきた従来の対策から、住民の避難を軸にした対策への大転換だ。議論の中では「逃げる」ことをめぐる様々な課題が浮かび上がった。
最初の津波警報が「岩手、福島3メートル、宮城6メートル」と過小評価だったことが、避難行動に影響し、被害を広げたとされる。気象庁は、第一報では波の高さは示さず「巨大な津波」などと表現するよう、改善策を打ち出したが、まだ足りない。
受け手側に立ったどんな言葉がよく伝わるか。警報やその続報がどこにいても届くように、携帯電話の一斉メールなどを活用できないか。そんな提案も盛り込まれた。
地震でも津波でも、危険を避けるため徒歩で逃げることが鉄則とされてきた。ところが今回の震災では、避難者の6割近くが自動車で逃げ、その3分の1が渋滞に巻き込まれていた。
車の避難を想定した新ルールは必要か。専門調査会で議論したが、結論は出なかった。
死者・行方不明者の6割が60代以上だった。入所者の大半が亡くなった老人施設がある。消防団員や警察官の犠牲が多かったことも、重い事実だ。
自力で逃げられない人や、そうした人の避難を助ける立場の人の安全を、どう確保するか。福祉施設の立地や、大災害時の避難誘導のあり方から、考え直さなければならない。
政府は今後、防災基本計画の見直しにとりかかり、各自治体は地域の実情に応じた対策を迫られる。今まで縦割りだった都市計画と防災計画の壁を取り払う発想も、必要になる。
「5分での避難」と目標が示されたことには、戸惑いの声もある。様々な施設整備には、財政支援も求められよう。
住民の自助意識を高め、「まず逃げる」という防災文化を創る。そのためには、「逃げられる」環境を整えることが、政治や行政の大きな仕事だ。
日本は震災の世紀に入った。そう覚悟し、どこにいても危険にさらされているということを忘れてはなるまい。