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「死後の世界」はあるか?

仏教的世界観で諸相を観察する
中山身語正宗という仏教系の新興宗教徒が「除霊のため」、中学生に冷水を浴びせかけて、死亡に至らしめた事件で、当の犯人は犯行後、

「悪霊を払うために一生懸命やっていたのに、残念だ。」
というコメントを残している。

こういった新興宗教の宗徒のよくわからないところは、これだけ仏教関係の書物や情報があふれているのに、ほとんどまともな勉強をせずに、簡単に教祖のいう「ダルマ(法)」だとか「仏陀(覚醒者)」だとかを信じてしまうことで。

(とはいえ、オウム真理教徒のなかには中村元選集なんかを読んでいた人もいるようだが)

この、中山身語正宗の教祖、ほとんどの新興宗教の教祖と同様、おかしいです。
そもそもの始まりは「大川隆法」と同じ、「仏陀からの霊言」パターン。

オーソライズするのに一番簡単だからね。霊言。
まあ仏陀はどこにも「輪廻」(?)しないのだから、霊言なんかするわけがないのですけど。
(釈迦は輪廻を肯定も否定もしていない。)

この事件の犯人のコメントがヘンなのは
「悪霊」というメタファーを「冷水をあびせる」という物理の力で消そうとしているところで、端的に言って、言葉は金槌でたたいても壊れません。

メタファーと物理的力学は別次元にあるが、この辺の整理が微妙になるトピックが、

「死後の世界」。

合理主義者は、「認識主体」がなくなれば「世界自体」がなくなるのは当然だ、と「死後の世界」を批判するが、

これは仏教的には「断見」として退けられる。

因みに今から2500年以上前に、六師外道の哲学者の一人アジタが合理主義者と同じことを言っている。
(アジタは死後は何もないのだから、この世の喜びを楽しみましょう、という。)

釈迦がこの「哲学」を乗り越えた方法はなかなかおもしろい。

世界的に今最も影響力のある仏僧の一人、thich nhat hanhは、

無から有(生誕)、有から無(死)は生まれない、例えば紙は木や太陽光がなければ存在できないし、紙が燃やされると熱や灰になるのであって、消えてなくなるわけではない、と説明する。

人間だけが死を無だと予測するのは、discriminative perceptionを発展させてきたからで、これをtransformすることで、discover the true nature of realityを得ることができる。

で、そのwe are what we perceiveをtransformする方法論をbuddhismと定義している。

いや〜、英語で読んだほうが理解が早いです。正直。

仏教の基本コンセプトである三法印は日本語では

・諸行無常
・諸法無我
・涅槃寂静

と表現されるが、

英語では

・impermanence
・nonself
・nirvana

で、わかりやすい。

合理主義者が死を無だと定義するとき、暗黙のうちに自分の認識を100%単独の物理現象だと仮定しているが(メタファーは無にはならない)、仏教者はこの仮定を否定する。

(正確にいうと、「死」を否定するのではなく、「無」を否定する。現象としての「死」はあるが、「無」はない。)

何によって?

ここから四諦、八正道に入っていくわけですね。

Nirvana is complete silencing of concepts.

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