どうやら池田さんは wikipedia と2ちゃんねるのどちらに対しても妥当な認識をお持ちでないように思える.
まず wikipedia はバイラル駆動的な集合知として成り立っている.口コミ情報の記述化に情報真偽の概念は無い.あるのは情報の存在を許すか否か,あるいはどの程度許すのかという情報共有度合だけである.口コミ制御が事実上不可能であることと同様に,wikipedia に記載情報の真偽管理を期待することは 無駄であろう.wikipedia に記載されている池田さんに関する情報に対して,当の本人がその情報は虚偽であると表明しても,世間の池田さんに対する捉え方はその虚偽に基づいているというのが(本人には受け入れ難いかもしれないが)事実として存在するのである.このような情報伝達の捻れを解消するために wikipedia に記載情報の品質管理を徹底を期待するのは御門違いと言わざるをえない.なぜならば,その要求は wikipedia の存在意義自体を否定するものであるからである.
j.w.o の品質が低い(部分が多い)のは、単純に編集の手・監視の目が英語圏に比べたら恐らく一桁以上少ないと言う事情が大きいのではないでしょうか。
とまれ、ご自分の項に関しては自分で修正することも検討されたらどうかと思います。それが Wikipedia のひとつの姿だと思いますし。
先生は経済学者であって、経済評論家ではない。
それは確かなことですが、ネット者が、経済学者が評論することを経済評論家と等価と感じることを禁じることはできない。
私は無名なブロガーだが、人によっては、「スポンタさんは有名なんだから」と言ってくれる。だが、著作もなく、アルファブロガーに選出されぬ私は無名人であり、Wikipediaの項目にもならぬことは、その重要性の程度を証明している。
Wikipediaに明示されているように、この項目は書きこみ途中なのである。そのことを明記すべきであって、もし本人が存命中ならば、本人のオーソライズという機能があってもいいのかもしれない。
だが、本人のオーソライズが真正性を保証するのでは必ずしもないから、あまり価値がないと私は考えている。
☆
テレビ番組を見ていたら、「遺憾」という言葉の意味を、謝罪ととっている人の割合が半数を越えているという。「遺憾」とは本来、残念という意味であり、自分に責任があって誤る謝罪とは意味が異なる。しかし、政治家など、自分に責任ある人たちが、「遺憾」という発言を繰り返すことによって、意味が転化してしまったようである。
実は、Wikipediaも同じようなものであって、巷間に認識されている情報について共通概念をネット上に現出させているだけであって、それが必ずしもリアルな実証性を伴わないのは仕方のないことである。
また、情報に関する重要度も、本人にとっての重要度と、書きこみ者にとっての重要度は異なるから、具体的な事実が間違うことも珍しくない。
年号の記述にしても、それが本質的な重要度を背負っていないのならば、それは「てにおは」の間違いに等しいのではないだろうか。
☆
そもそもWikipediaは、集合知 ・インテリジェントの結実ではなく、集合知・ナリッジの集合なのである。
勿論、先生が理想とするようなWikipediaができあがってもいい。だが、それは、西氏がつくりあげた亜流2ちゃんねるのようなもので、作ったはいいが、一向に盛り上らないサイトになるだけだろう。
☆
重要である情報に関しては、吟味がつくれるべきだし、そのように議論が沸いていく。だが、重要でない情報は吟味されずに放置されていく。
それは仕方のないことだし、あえて掉さす必要もないと考えている。
勿論、当人にとっては重要度が高いのなら、それは、ひとりのネット者として訂正におよべばいい。
それだけのことだ。
☆
ところで、ロス疑惑氏のタイトルはWikipediaにはない。
グーグルでたどってみても、そのほとんどは彼が無実であり、冤罪被害者であることを主張するサイトたちだけだ。唯一みつけたのが、関連書籍を通読して、尚、無実を感じられなかったという書評のブログ…。
勿論、司法が無罪としたのだから、無罪なのだ。だが、司法の判断とは別に、市井人の思いはもうひとつ別にあるはず。だが、それが一切ネット上にない。
すでにこのような歪の言論空間ができあがっているし、先生の言説を実現する方向にネットが動いていったとしても、このような状況を増幅する方向にしか作用しない。
☆
ここにおいて、すでにWikipediaは無力化している。
その無力化をして、2ちゃんねると等価とするならば、先生のおっしゃるとおりである。
☆
ありがとうございました。
櫻井よしこと同じ項目に入れたら失礼というよりはもうかわいそうだと思いました。
まず wikipedia はバイラル駆動的な集合知として成り立っている.口コミ情報の記述化に情報真偽の概念は無い.あるのは情報の存在を許すか否か,あるいはどの程度許すのかという情報共有度合だけである.口コミ制御が事実上不可能であることと同様に,wikipedia に記載情報の真偽管理を期待することは
無駄であろう.wikipedia に記載されている池田さんに関する情報に対して,当の本人がその情報は虚偽であると表明しても,世間の池田さんに対する捉え方はその虚偽に基づいているというのが(本人には受け入れ難いかもしれないが)事実として存在するのである.このような情報伝達の捻れを解消するために wikipedia に記載情報の品質管理を徹底を期待するのは御門違いと言わざるをえない.なぜならば,その要求は wikipedia の存在意義自体を否定するものであるからである.
次に2ちゃんねるに対する偏見について是正したい.往々にして2ちゃんねるは日本の匿名文化の象徴としてみられがちだが,これに対して2ちゃんねるの管理人は2ちゃんねるは匿名掲示板ではないと釈明したことがあった(詳細は彼のblog).
2ちゃんねるに匿名投稿が多い理由は,2ちゃんねるの利用者層がそれを自ら望んでいるからに他ならないのである.日本人同士が議論に興じるためには,発言者地位という仮面と発言内容の情報価値とを切り離す必要があると考えた人が匿名性を選択したように私には思える.だから「2ちゃんねるは掃き溜め窓口」等の断定を見ると「あなたは一体2ちゃんねるの何処だけを眺めていたんだ」と感じずにはおれない.
閑話休題.
さて,「2ちゃんねる化するウィキペディア」に対して話を戻す.以上のように,2ちゃんねると wikipedia のどちらも口伝情報で成り立っているという事実から,「この両者の関係性は弊害である」という本記事の主張は偏見に満ちた誤りであると指摘したい.
俺はここにお前のご高説を読みに来ているのではない。
少なくとも、Wikipediaでモデレータ的な立場にいる方々はそういう現象に心を痛めていらっしゃるようなので、一応。
>俺はここにお前のご高説を読みに来ているのではない。
これ、かなりの数の人が言いたかったと思います。良く言ってくれました(爆)。
ここのコメント欄には、時折、面白いものもあるので見てしまうのですが、↑にはスクロールさせられるだけでイライラしてましたから。
何分、無名なブロガーなもので、私は先生の知名度に粘着する卑劣漢でしかないのでしょう。そんな私のコメントを掲載する池田先生の広いお心に感謝しております。
先生が無意味なコメントであると判断されるならば、コメントを採用されないことは自明でありますし、そのような作業の中から、池田先生のブログ空間ができあがっていくるのだと思っております。
先生にはお手を煩わせてもうしわけありませんし、改めて言う必要もないとは存じますが、適宜、私のコメントを掲載・非掲載の処理をお願いもうしあげます。
☆
私は、私なりの行動基準にて、コメントをするか、TBをするか、もしくはブログに書くがTBをしない等の判断をしています。
そのような私の主観があり、それを判断する池田先生の主観があり、今回苦情を書かれているコメント者の主観がある。
私は、それぞれの主観のせめぎあいがブログスフィアであると思うし、そういう苦情たちが、それぞれの発信者のよきリファレンスになると確信しています。
その意味では、私に苦言を呈していただいたコメント者の方々に、感謝もうしあげる次第です。
ありがとうこざいました。
そして、ご立腹の段ありましたようで、心よりお詫びもうしあげます。
追記:
本エントリーとは関係のないメタ議論になっておりますことを、重ねてお詫びもうしあげます。
少なくともウィキペディアにおける「池田信夫」という項目はほとんど顧みられていない僻地であり,これをもってウィキペディアの質を断じるのはウィキペディアにとってちょっとかわいそうであるように思います.大まかに言って、ウィキペディアが素晴らしいのは適度に多くの人数が携わる項目に関してだと思いますので.逆にあまりに多くの人間が関わる記事もまた,問題を抱えやすいと感じています.
もちろん,ウィキペディアの項目にいろいろ問題点があるのはご指摘の通りだと思いますが。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B1%A0%E7%94%B0%E4%BF%A1%E5%A4%AB&action=history
物理や社会学関連の項目にアニメの話なんか
載せるな、オタクをインターネットから追い出そう
オタクのいなかった、平和なネットと取り戻そう
>スポンタさん
もう少し抽象度を下げていただけると助かります
>先生が無意味なコメントであると判断されるならば、コメントを採用されないことは自明でありますし、そのような作業の中から、池田先生のブログ空間ができあがっていくるのだと思っております。
これは「別にいいじゃん」と開き直ってるように見えるのですが。
長文投稿がいけないのでなくて、横文字言葉で自分に酔ってるとしか思えないようなノイズ同然のポエムを残していく事がムカつかれてるんで、コメントするなら意見を明確に誰にでもわかるように書くべきでしょう。しかも、前回も似たようなことで他の閲覧者から苦言を呈されていたはずです。「このわかりにくい文章が俺の魅力だ」とか言うなら、それはTBして自分のブログでやるべきです。
あなたのコメントを見てると、好きなミュージシャンのコンサートに行ったのに、横から「俺の歌も聴いてくれ」って変なオッサンが出てきた時の気分になります。
スポンタさん
コメントは端的に、わかりやすくお願いします。無駄な言葉遊びは、論点がずれ不快です。
私がよく見る鉄道関連の項目は質が高いですよ。
○○駅など。まあ極一部の駅はあれですが。。。
関係ないけどlivedoorキーワードの更新メンバーが最近増えてきてる。wikiの時代なのかな。
あと、匿名云々は要は実名の人の中にもおばかさんが増えたってことじゃないですか。逆に言えばある意味バカで埋め尽くされた2chが輝いて見えるってわけ。ただ、いいバカも沢山いますよ。
基本的スタンスは知りえない人がしるひとの書き込みで情報の共有化だとおもいます。
そこに偽りがあれば嘘が本当になりかねない。
一部マスコミにも言える事ですがヤラセ、誘導、偽アンケートなど知名度が上がれば、その責任も重要になってきます。
2chの事も書いてらっしゃいますが良い部分も多々ありますがvipperなるものが面白半分で暴徒化していても
管理人には一切責任はないと注意書きがしてありまう。
しかし、2chはスポンサーを取り営利目的で開いてるところです。
いちいち監視、管理できないとの事ですが登録制にすれば簡単なことです。
言った物勝ちな風潮を助長し支援するのは如何なものかと思います。
言論の自由、表現の自由は尊重されるべきですがそれには責任も伴います。しかし
中小誹謗してる人に責任を追求しようにも多勢いに無勢、個人で立ち向えますか?
自分で相手を探せますか?侮辱罪で訴えるのに弁護誌料を工面できますか?
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061226k0000m040135000c.html
果たしてこの法案は個人のHP,やブログが狙いであって無法地帯の2chに効果があるか疑問です。
1.無礼なコメント
2.事実誤認
3.ナンセンスな思い込み
4.異常な長文
特に多いのは2で、これは載せてから訂正するのは二度手間なので、最初から載せません。
3のパターンのマニアは、自分が「専門家」だと思い込んでいるので、没にしても「自爆」覚悟で口汚いコメントを何度も投稿してくる。こういうバカのコメントは、すべて没にします。
スポンタさんのコメントは、意味がよくわからないけど、3に相当するほどではないので没にはしていません。基本は、みなさんに自由に議論してもらうのが原則ですから。
2chで「祭り」になっているネタについての項がwikipedia上でも編集合戦になっているのをたびたび見かけますし、面白半分で書かれている項目も多いのでしょうね。でも池田先生の仰るように一定の基準を満たすまで掲載しない、となると誰がどうやってモニタリングするの、という問題が出てくるんじゃないかと思いますが・・・
おそらく、CV(CURRICULUM VITAE)をご自分で用意されて自分のサイトで掲げて頂けると、正確な情報をWikipediaに限らず多くの人が把握できるのではないかと思います。
http://en.wikipedia.org/wiki/Takeshima
↑takeshimaは韓国の主張するところのdokdoにリダイレクトされるのは有名ですね。
wikiで歪曲されるほど有名人なのだと思えばいいんじゃないでしょうか。
「学校法人須磨学園情報通信研究所 研究理事」は「須磨国際学園 研究理事」に訂正してください。これは今も続いています。上武大学は今年10月からで結構です。
須磨国際学園のほうも修正しました(ただ、須磨国際学園について独立の有意な情報がないので、リンク先は学校法人須磨学園についてのエントリのままです)。
http://www.noguchi.co.jp/archive/diary/dr_060715.php
なお、その編集合戦が話題となり池田先生も上記で言及された西和彦さんのエントリのノートには、西さんと編集者のやり取りが記録されていますが、そこで公開されている西さんのメールに、西さんが最初にマイクロソフトに電話したときにはビル・ゲイツが「電話には出なかったです/出たのはマリアム・ルーボウでした」といったこれまでの定説を覆すようなことがさらりと書かれています。こうした貴重な情報をもっと上手に生かす方向に行ければよかったのですが・・・。
匿名IPによる編集を許しているのは、本家も同じだから変えようがないのかもしれないが、日本では匿名のモラルが低いので、ルールを見直したほうがいいと思います。
インターネットは「嘘」も「本当」も両方がある世界なんですよ。
それを1つ見て「ああ 〜〜〜なんだ!」とか信じてしまうのがダメなのです。
インターネットは多数の情報をいろいろ集める手段であって、最終的に判断するのは自分なんです。
上のWikipediaでもログが残る。そうすれば逆にそのログを見ればある程度信用性の判断ができます。
最近ニセ科学の話題をよく聞きますが、どんなものでもそんな簡単に断言できないものです。
科学や一般の常識は今までに何度もひっくり返ってきたのだから。
だから一つ断言できるのは
「簡単に断言してるものほど、それは嘘であると断言できる」ってことだけです。
…話がそれてしまいましたが
私の意見は「全ての情報は盲信せずに、多角的に見て信用しなくてはいけない」、ということを啓蒙する必要があると言うことです。
Wikipediaを無くしたってそれを求める人がいる限り別のものが出てくるだけです。
いや、それ以前にマスコミは散々ニセ情報や意図的情報で操ってきてます。
それどころか人間の有史以前から口コミなどでニセ情報を流し操ってるじゃないですか
(例えば喧嘩したとき、先生に自分に都合のいいことばかり言ってごまかそうとしませんでしたか?それも一種の情報の操作です)
長々すいませんでしたが要するに
「匿名・実名 ということではなくそもそも一つの情報で盲信することが間違い」ということです。
ただし現状ではWikipediaが盲信される対象となっているので、「全てのことを盲信すべきではない」という啓蒙活動と平行してIP記録等の対策は必要だと思います。
2chも一番の問題はあれをそのまま盲信する人が大勢いることだと思います。
皆があれを信用していなければ本人が不愉快に思う以上の損害を与えることはないのですが、なぜかあれを信用してしまう人が大勢いますから。
(※私からすると2chはネタとか御伽噺としか思えないんだけどなあ、ネタとして見る分には面白いんですが)
もし、コメントが削除されていたら、メールでお知らせします。
エンコーディングはEUCです。
mywebpage.netscape.com/kasumoerer/wikipedia_dead.htm
句読点の使い方がおかしいので、外国人が攻撃していることが、わかってしまうんです。
このあとの同様のコメントについても、事実関係は確認できないので、責任は持てません。ウィキペディア事務局は、当然のことながら、こうした問題の存在を否定しているようです。
それにしても、野口氏も指摘するように、日本版の編集責任者の名前も住所もわからないというのは奇怪ですね。こういうトラブルが起きても、確認のしようがない。infoみたいな連絡先はあるが、これでは責任の所在がわからない。こういう無責任体制は、大きな訴訟でも起こらない限り改まらないのかな。
彼は、差別発言と迷惑行為が酷いのでWikipediaから無期限ブロックされたのを逆恨みし、Wikipediaの管理者たちにネットストーカーを繰り返している人なので、まともに取り合わないほうがよろしいかと思われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Noda,Kentaro
彼によると、朝鮮人と中国人が陰謀を企み、携帯で連絡を取り合って野田を攻撃しているとのこと。妄想の内容から判断するに、一種の統合失調症と考えられます。
>ウィキペディアにはガッカリしました。
そこでがっかりするのか、自らがその記述を編集しなおすのか、Wikipediaのほかの閲覧者が求めているものは後者だと思います。
Wikipediaには編集の理由を示す欄もあれば、議論のためのノートもあるのですから、そこに「本人も公式HPでも言っていない」と理由を示して編集するべきなのです。
Wikipediaでは検証の出来ない出典に基づく記述、そもそも出典すらない記述は除去して構いません。執筆者の評論も除去の対象です。上記のアカウントなしでも編集可能なことと加えて、間違いがあれば正すことは容易な運営方針になってます。
なお、Wikipediaの責任者や住所が不明という意見がどこから出て来たのか不明ですが、Wikipediaを運営するのはウィキペディア財団です。日本語のページはあくまで日本語版という位置付けであり、日本版という形で営が独立しているわけではありません。住所や連絡先も公開されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:連絡先/その他
中国人と韓国人が管理ユーザの職についていることは複数のアカウントより報告済みです。私の推理では有りません。
携帯ではなくIRCを使っているという報告も多数届いておりますが、IRCでは2006年9月におきたMIXIのコミュニティ内のトラブルは解決できません。携帯で連絡を取り合っているからこそあのスピードで対処しています。
現在野田憲太郎にむかってMIXIで攻撃したうち、三名はニックネームを変えて逃走、利用者:FasoはMIXIを退会、ほか二名も退会しています。
この発言はhatenaでBrittyと名乗る者も、なぜか同じ詭弁を使います。毎回同じなので、誰が攻撃してるかは丸わかりです。よくネットで使う「パソコンにジュースがこぼれたから通信不能」といういいわけのようなものです。
野田憲太郎を攻撃する者が、なぜMIXIのニックネームを変えて逃走するのでしょうか?野田憲太郎はニックネームを実名に戻しているのに、ほかのユーザはニックネームを変え、ある者は写真も削除しています。それは、逃走する原因があるからではないでしょうか?
なお、ウィキペディア管理ユーザのうちLoniceraとAphaiaは、2ちゃんねるでBeをつけたりはずしたりして自作自演を常時行っています。そういえば木津隆史も、軍事板で自演常習であったとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/利用者:Sushisushi
http://en.wikipedia.org/wiki/User:Sushisushi
この人も野田憲太郎と同様、差別発言と迷惑行為を繰り返したためにWikipediaから無期限ブロックされ、そのことを逆恨みしているようですね。英文ですが、以下の投稿がその証拠です。
http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=User_talk:Zscout370&diff=prev&oldid=96098376
http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=User_talk:Zscout370&diff=prev&oldid=96205331
これらの発言の病理学的性質については、正常人の眼には余りに明らかですから、これ以上のコメントは差し控えておきます。
>>たとえば(野田憲太郎の別アカウントと言われていた)この人でしょうか?>>
まったく根拠のないでたらめです。野田憲太郎がこの問題を知ったのは、利用者Sushisushi氏がMLに登場する数ヶ月前です。このように、絶えず錯誤レスをつけて問題をはぐらかすのが「日課」なのです。なぜ、「たとえば」などという語り口でやってくるのか。パソ通時代にも、これと似たテクニックがありましたね。
「味方以外は全て敵」としか思えないのなら、さぞ普段はお疲れのことでしょう。
池田先生、初めてコメント申し上げます、マグナカルタと申します。
池田先生のエントリーを拝読して、若干疑問に思ったことがあり、以下、投稿致します。
おそらく池田先生はそのようなことを自らしようとはご想像すらなさらないのでしょうけれど、世間には自らの経歴・学歴を詐称しようとする輩がごまんとおります。この10年でも、ワイドショーで話題になるような騒ぎとなった経歴詐称も少なからずあります。
そうした人々が公式に発表する「経歴」と、Wikipediaのその人物の項目に匿名の投稿者が載せる「公式と異なる経歴」のいずれが「正しい」のか、ということを考えたとき、匿名性と正しさの相関は果たしてどのような関係にあるのかということを私は疑ってしまうのです。
さらに言えば、このブログでWikipediaに載っている私の情報は間違っている、と語っている池田信夫なる人物が、Wikipediaの項目になっている池田信夫と同一人物なのかすら、にわかには分かりません。もしかするとこのブログを書いている人物は池田信夫になりすました赤の他人であり、あたかもWikipediaの項目を嘘のように言っているが、実は本物の池田信夫氏はWikipediaの情報の通りであって、こんなブログが存在していることすら知らず生活しているのかもしれない。無論私自身がそのようなことを本気で信じているわけではありません。しかし、他の事例ではそういうことがあるのかもしれないし、その可能性は常にある。池田先生が、そうしたことについてどこまで自覚的であられるのか存じかねるのですが、匿名性と信頼性の関係についてそこまで短絡的であってよいのか、という点に疑問を感じました。
例に出された西和彦様の事例については、西様におかれてはお気の毒であると言わざるを得ません。Wikipediaにおける議論のローカルルールを守る守らないと言ったことも揉めた原因となったようですが、それは恐らく些末な問題でしょう。あの場においては、西和彦を名乗って発言する人間が真実西和彦であることを証明する手段がほとんどない以上、対処の仕方を誤られたと言わざるを得ません。西氏が自らノートパソコンに向かってタイピングしている姿と、タイピングしている文面を同時に撮影して、その動画ファイルを自らのHPにでも公開する程度が関の山でしょう。そうでもしない限り、実名と匿名の発言の間に
、どれだけの差がありましょうや。
「本人」と名乗って精神に病を抱えた者と百万遍の水掛け論を繰り返すことと、「公式ホームページ」を作ってそこに「公式プロフィール」の項目を作り、それをソースとして明記しWikipediaのプロフィールを実名匿名のいかんを問わず編集することと、どちらが建設的かは自明のように思えます。病人には、公式プロフィールを削除させず、「自らの信じるその人間のプロフィール」を好きなだけ書かせればよい。その過程を見て、後者を信じる人間の方が果たして本当に多いでしょうか。
どうにも悪文となってしまい、申し訳ありません。
野田憲太郎と同一人物ではないかと疑われるのは、特異な思考障害のパターンが野田と酷似しているからです。
関係ない事象をことごとく「携帯を使った中国人や朝鮮人の陰謀」と結びつける思考は、正常な理性を持つ人間のものではありません。但し、前にも申し上げたように両者が真に統合失調症に冒されているとすれば、彼らの妄想の内容が似ていることは無理なく説明できます。
こういう人に対して私が言えることは、早く精神科に行って専門家の治療を受けて欲しいということだけです。
日本語圏のネットのコミュケーション全体を
結果的に貧しい物にしてしまっている。
治安の悪い国で現金の持ち方に気を使うように、
空き巣の多い地域で戸締りに気を使うように、
日本のネットで名前を出さないのが
日本のネット住人達の日常的な防犯対策になっている。
治安が悪いとわかっていて防犯手段を放棄する
人はいないと思います。「治安回復」まで
実名の普及はまず不可能ですが、今後、
治安が良くなるとは到底期待できませんね・・
かかれたら、誰でも不快だと思います。他の種類の項目と同じように扱うわけにはいかないのではないでしょうか。
ある一定の手続きの下、管理者が
介入するのは健全なありかただと
思います。個人認証や信頼性の
問題は、
例えばフリメはだめ、とか
公式ホームページに公式経歴をのせるてそれを明示する、とか
で担保されるのじゃないでしょうか。
「被害者」たる本人が奮闘して
何度も書き換えたりしなきゃいけないのは変だと思います。
一方、こういう特殊な項目だけで
wikipedia全体の室を云々するのは
どうかと思います。
英語や中国語の対応項目
もすぐに読めるし、
他のウエッブソースへのリンクも
あるし、便利だと思います。記述の質は玉石混交だと思いますが、
そこそこメジャーな項目
についてはいい記述も多いと思います。
当然誰でも書き込みができる分、すべてが信用性がない記事ではないと思いますが、やっぱり普通のネットの掲示板って感じですね。
「売っていない」と主張するのがいつもの手口ですが、確実に個人は特定してますよね。
それは法的にはセーフですが、モラルの問題として、見過ごすことは出来ません。
小学生からご老人まで加筆、削除できる”辞書”になんの信頼があるのでしょうか
荒らしについて管理者に通報がなされることもありますが、それが可変IPからのものであると、対処がなされる割合は低くなってきます。あるプロバイダーからの投稿を全部ブロックするのは色々な意味で大変なことですから。
“10の嘘の中に1の真実を入れるだけで残る9の嘘の信憑性は高まる”
インターネット、またウィキペディアの欠点であり暗黒面です。
私もネットによる(著名人の)風評被害問題は何とかすべきと常々思っていたのですが、今はもう諦めました。
責任感だとか、倫理観だとか、そういう当たり前の論理がネットに対して通用する(べき)と考えているのがそもそも問題(間違いではないけど)なんだと思います。
たぶん、ネットというものは「人間が作り出したもの」だから論理が通用するべきだし、秩序があるべきだと人は考えてしまうのでしょう。
ですがネットはそうであるためにはいささか巨大になりすぎました。
論理的に考えれば、自分が人為的な被害を受けているのに犯人が捕まらず、何の補償もないというのは理解出来ない問題です。
しかし相手が匿名でしかも不特定多数の透明人間軍団とあっては、その論理も通用しません。
であれば、その根本的原因である「匿名性」を何とかしよう、と考えるのですが、それも(日本では)もはや手遅れでしょう。
ですから為す術はないのです。
自然災害に対して人が無力で、諦めを持たざるを得ないように、ネット被害に対しても諦めを持たざるを得ない時代になってしまったのでしょう。
どうにも出来ない問題なのだから、自然災害だと思って諦めるしかない。というのが私の結論です。
そう開き直れないなら、姿の見えない無限の敵と戦い続けるか、防災として初めから著名人にならないようにするしかありません。
Wikipediaには最高責任者が存在せず、誹謗中傷や個人情報等が書き込まれても、なかなか削除されません。Wikimedia財団の日本支部も無く、責任も米国にある本部に丸投げです。納得が出来ません。一日も早い改善を望んでいます。
金集めに必死のようですので。
一言で言うと2ch化していると言ってもおかしくない状況だと思います。
私も元はWikipediaの編集者として参加していましたが、ここに来ていよいよその編集者の管理レベルの低下を肌で感じています。
特にノートの状況は深刻です。自分達の論理につきあえない参加者は無視、よくて村八分、これが今の編集者の姿です。
管理者も以前ほど積極的な対応を見せなくなりましたし、もう終わりは近いと見ていいでしょう。
はっきり言って英語版の信憑性もあやしいもんだ
しょせんwikiも「ネットの情報」ってことで2chと大して変わらないと思うよ
それどころか、2chの奴らは自分達を「便所の落書き」って自嘲してる分まだましって言えるかもね
サブカルチャーは特にその傾向が顕著ですが、概要程度に留めていればまだいいんですけどね…。
もっとも一般の方が編集者として参加されるならば、今の現行のシステムではそういった問題が常につきまとうことは間違いないでしょうが。
実名文化が広がっている国では実名であることがそのまま書き込みへの牽制になりますので、大衆へ広げるということが頭にあれば下手なことは書けなくなります。
匿名文化はいい面もありますが、一方で悪い面もあるので、文化を変えるべきとまではいきませんが、概して悪い面が目立ってしまうのは仕方のないことだと思います。
百科事典としてのWikiの敵はGOOGLEとWEB全体であるということにWikiが気が付いていないということが、Wikiの弱点というか欠点ではないかと思います。
いちど日本のWikiの編集者がどういう人たちなのか、見てみたいです。そうしたら全てを納得できるかもしれないと思いました。池田さんも一緒にWikiにそういうお願いをしていただけませんか?
私は、高尚なリクツや格好のいい横文字表現はよくわかりませんが、単純に、Wikiは情報の提供者に基準や審査が無いという時点で、平たく言ってしまえば、ただ「辞書というコンセプトの口コミ掲示板」なんじゃないでしょうか。
「百科事典」や「辞書」という、ネット以前の時代に、信頼出来る情報を載せた書物にあてがわれていた言葉が銘打たれていることで、うっかり「本当の辞書や辞典」のように履き違えてしまいますが。
>一方的な悪口ばかりで論争や相互批判が成立せず
未成熟ってことじゃないでしょうか。
そういう部分が子供のままというか…コミュニケーション能力の不足と精神の未熟というか。
そして、自分の意見が無いというより、その以前に、その者の無意識の意識が、集団に同化して安心を得る事の方により比重があるのでは…。
出る杭は打つ、他と異なる性質のものを(警戒以外に、妬みや嫉妬等も含んで)嫌い、排斥にかかる、公明正大に競り合わず、口先で相手を貶める事を恥としない。先人が形成するそうした性質の群に生まれつくと、自ずと同化すると安心するという心理を、生存本能として獲得しそうに思います(気に入りませんが/苦笑。
群で生きる動物は、群から外れるというのは諸々の要因で生存が厳しくなり死に繋がる事になるので、非常なストレスを感じる、という事を読みかじりましたが、ヒトも群を形成してその恩恵で生きる動物の一つだから、ある意味それも自然な副産物なのかもと。
昔読んだ本で、個が集まって集団になると、その集団が性格を持った個になって、集団ヒステリーが起こる、みたいな事が書いてあって、学術的云々は知らないけど、なるほど巧い纏めだなと思った事がありました。
もしそうなら、ネットも個が密集する場所ですし、2chやwikiやetc、至る所、個が失われて、集団ヒステリー気味であるのかも知れないですね。
ともあれ、自分のプロフィールが与り知らぬ他人に勝手に作り上げられ、公開されているというのはとても気の毒です。
でも「他人の口に戸は立てられない」ので、私も、「これが公式プロフィール」というのをご本人が公開されて、wikiの該当ページに、色々書いてあるけど、公式はコレよ、って記載するとよいのではと思いました。
ところで、名誉毀損等々にならないんでしょうかね? →人のでまかせなプロフィールを勝手に作って公にし、本人に苦痛や迷惑を与える行為
適正な代価も払わず何らかの利益がある、そんなうまい話など有ると思う方が異常なのでは。(錬金術の等価交換の原理などと言えば無視されるかな)
Wikiのいい加減さは、ある記事の訂正を巡る話から私も感じていましたが、冷静に考えればいい加減な内容になるのは当然だと思いませんか。
一流の方は当然として、その道のプロの方は幾ばくかの原価(お金や時間)を投資して技術や知識を得てきたわけですよね。確かにこの年になると後に残しておくべきと思うこともありますが、それを受け取る側にも最低限の素養とか姿勢がなければただの時間浪費になるようです。
となれば、書き込む方は自慰行為として書き込む行為自体を楽しみにするか、書き込みによって注目されることを目的とするか、はたまた、書き込み内容によって直接の利益を得ようとするか。
そんな相手ですから、相手にするのも、無視するのも何れにせよ疲れることは同様ですが、大事な時間を浪費するのはどちらにしても同じなんですが。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。