ロシア・サンクトペテルブルクの国立軍事史博物館に展示されている大砲が、戦国時代の豊後国(大分県)のキリシタン大名・大友宗麟(1530-87)が、日本で初めて量産化に成功した国内最古の大砲「ファルコン砲」(石火矢(いしびや))とみられることが29日までに東京大史料編纂(へんさん)所の調査で分かった。
同編纂所が9月に実施した現地調査に参加した豊後中世砲史研究会(大分県)の神田高士代表(45)=同県臼杵市教委職員=によると、大砲は青銅製で、口径80ミリ、全長264センチ。砲身に「FRCO」と刻まれている。
宗麟は、キリスト教の洗礼を受けた1578年以降、洗礼名「フランシスコ」を図案化した印章を手紙などに刻印していた。調査団は、この形と砲身の印章が一致することや薬室の外側に日本製の大砲にだけある輪が付いていることなどから国産の大砲と断定した。
中世イエズス会の宣教師ルイス・フロイスが編集した「日本史」や日本の古文書には、宗麟がボルトガル領インドの総督に依頼し、1576年に国内で初めて大砲を輸入。それを基に、2年後までに大砲の製造に成功し、83年には量産したと記されている。
同編纂所の保谷徹教授(幕末軍事外交史)によると、江戸時代後期に北方警備にあたる幕府の大砲がロシア船に奪われた。ロシア皇帝に日本の大砲が献上された記録もあるといい、保谷教授は「宗麟が洗礼されて死ぬまでの期間に造られ、ロシアに奪われた大砲の可能性が高い」としている。
=2011/09/30付 西日本新聞朝刊=