R-15表現があります。そう言った描写に抵抗のある方は読み進めるうえでご注意ください。
さようなら竜生 こんにちは人生
月の美しい夜だ、と私は空を見上げながら思った。思い返せばこの様に落ち着いた心持ちで空を見上げる事も久しい。
空を仰ぎ見る視線を下げれば、不躾に私の住まいに足を踏み入れた人間達の姿が映る。
私を討とうと言うには数は少なく、七人ほど。怪物を討つには千人の兵士よりも一人の英雄の方が相応しいが、この七人はいずれも間違いなく歴史に名を残す英雄であるだろう。
私は人間達の先頭に立つ青年を見つめ、口を開いた。同時に血の味が口の中に広がり、溢れた血が私の口から滴り落ちて水晶が形作る地面に赤い血だまりをいくつも作る。
ほう、血の味など久しぶりに味わう。その事が、奇妙に嬉しかった。なにかを感じると言う事それじたいが私にとっては久しぶりのことなのだ。
「私の記憶に在る限り、私はひさしく人を襲った事はなかった筈だ。むしろ人の味方をした事もあったと思うのだが、これはいかなる理由あっての所業か?」
私の心臓を貫いたばかりの剣を握る青年――大陸でもっとも名の知られた勇者は、英雄譚で語り継がれるのに相応しい美貌に苦悩の色を浮かべる。私を討つ事は彼の本意ではないようだ。
ならば勇者に命令する事の出来る立場の人間、聖神教の法王か連合王国の筆頭国王あたりであろう。繁栄の極みに在る人間達にとっては、私の様な存在は目の上のたんこぶと言う奴には違いあるまい。
「わざわざ討伐などせずとも出て行けと言えば出て行くものを。勇者よ、そなたの手に在る剣を作る為に一体どれだけのオリハルコンとマナを用いたのだ。それを作る為の時間と労力があれば、飢えた子供らをどれだけ救えたかと考えた事はないのか?」
はっきり言って嫌みであり、嫌み以外の何ものでもない嫌みである。勇者達とは何度か面識はあったし、共闘した縁もあって勇者とその仲間達が基本的に善良な心根の主である事を、私は知っている。
その様な人間なら、こう言った物言いの方が堪えよう。わが命を奪うのだ、この程度の嫌みを言う権利くらいはあるだろう?
ふむ、ずいぶんと瞼が重くなってきた。戦闘開始当初に勇者の仲間の魔法使いが展開した生命力を吸収する魔法の影響と、心臓を貫いた勇者の竜殺しの剣の一撃によるものだ。
やれやれカビの生えた古臭い生き物を一匹殺す為だけに、よくもこれだけ手の込んだ事をするものだ、と私は正直呆れていた。
「心せよ、勇者よ、その仲間たちよ。人の心は尊く美しい。人の心は卑しく醜い。いやさ、やはりそなたらはいまだ人と獣の間、人間よな。役に立たぬとなれば私の様にそなたらも排斥されよう。一度は肩を並べたそなたらの事、私の様な結末を迎えるとあっては心苦しい。死に行く老竜の最後の忠告。しかと聞き入れよ、小さき友たちよ」
芝居がかった物言いはあまり得意ではないが、それなりに小さき友たちにとって耳と心に痛みを感じる内容ではあったようで、後悔と罪悪の念を大小の差はあれ浮かべている。まあ、これ位でいじめるのは許してしんぜよう。
同胞もめっきりと数を減らしてしまい顔見知りもいなくなり、話し相手にも事欠いていたし、いささか長生きをするのにも退屈を感じていたのだ。
こんなに美しい月の下で死ぬのなら、それも悪くはあるまい。心穏やかに逝けるのは間違いないのだから。
「ふむ」
私は最後にひとつそう零して、瞼を閉じた。神代から生きた古神竜の最後にしてはいささか呆気ないものだろうが、世界に一頭くらいはそんな竜が居ても良いと私は思う。永遠の眠りには安らぎと充足感があった。
これなら、ま、よかろう。我ながら風変わりな竜だと思うが、少なくともこの時私は私の生の終わりに不満はなかったのである。
ああ、死神どもよ恙無く私の魂を安息の内に冥府の底へと運ぶが良い。さもなくば我が吐息で冥府を灰燼に帰してしまうぞ。
「ふむ」
と私は呟いた。どうという事の無い大陸のどこでも見られるような草原の一角である。冬の冷たさが消えぬくみを帯び始めた春の風が、私の膝まで伸びた草原を揺らし、私はさながら緑の海の中に立ちつくしているかのようであった。
風の中にはほのかだが花の香りも混じっている。いくつか摘んで帰ろうか。我が子からの贈り物とあれば、母も喜んでくれよう。
私はそんな考えに至り、足元に生えていた薬草の一種であるヒールグラスとその向こうに生えていた小さな白い花を摘んで小脇に抱えていた籠に入れた。
既に籠にはヒールグラスと食用のパン苔が山と盛られている。これだけあれば本日の収穫は十分であろう。父母も文句は言うまい。
ふむ、とこればかりは治らぬ口癖を一つ零し、私がかすかな自己満足に浸って自尊心を満たしていると、背後から小さな足音と私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ドラン、そろそろ帰りましょうよ」
「ふむ、確かに村に戻らねば収穫の結果に依らず怒られかぬな」
振り返った私の瞳には、赤いくせ毛を背の中ほどまで伸ばした私の幼馴染アイリの姿が移る。擦り切れた布のブラウスとスカート、肩からは私と同じように籠を下げいかにも辺境の村民といった格好をしている。
だが私に向けられた笑顔は太陽の様に明るく、頬の辺りのそばかすとかいうヤツがアイリの愛橋に一役買っている。
人間の美醜はいまひとつ分からんが、ま、幼馴染という関係でもあるし、世話にもなっているので可愛い女の子であると言っておこう。
私もアイリも大陸の辺境にある小さなベルン村の子供である。ただの子供ではない。人間の子供である。そう人間である。
運命を司る三女神の悪戯によるものか――あいつらめ、悪神に尻を追いかけ回されて、乳房を舐めまわされて、耳穴に舌をねじ込まれていた所を助けてやったと言うのに実は愉しんでいて、その時の事を根に持っていたのか?――大陸最強種である竜だった私は、非力ながらも大陸でもっとも栄える種族の人間に生まれ変わっていたのである。
私は体得してはいたが勇者の手によって殺された時、転生の術を発動させてはいないのでこの度の転生は私以外の誰がしかの意思によるものである。
実はさきほど三女神云々とは言ったが真相は三女神の悪戯でも何でもなく、私が人間に生まれ変わった理由についても私がまだ赤子であった内に大体の察しは付いている。
竜としての私が死んだ最後の戦いの時、私を強制的に転生させる魔法が使用されていたのであろう。
私の肉体は滅びたが、物理的にも霊的にも最強である竜種の私の魂を滅ぼしきる確たる算段が立たなかったのか、勇者達あるいは私の討伐を命じた者達は私の魂を弱まらせる手段として転生を選んだのだ。
実際、人間に生まれ変わってから私が私を認識した時、魂があまりにも弱体化している事に気付き、唖然としたものである。
生まれ変わる前と後では魂の生産する魔力の質も量も桁が違うのだ。竜であった頃の私の魂の魔力生産量が地形を変える様な豪雨であったとするなら、今の私は残尿感に悩まされる老人の小便である。なんとも情けなし。
それでもまだ魂が竜としての域にある私の魔力生産量は、人間の常識をはるかに超えている。生半事では死ぬような目に遭う事はない。
肉体は紛れもなく人間のものであるが、魔法を用いて肉体を作りかえれば、人間の肉体には過剰な魔力供給にも耐えられるし、オークやオーガなどの力自慢のモンスターも捻り殺せる。
ただ今のところ私は人間として生きるつもりなので、流石に人目に着く所ではしないが。
私は二日だけ早く私より先に生まれたから、という理由で姉風を吹かすアイリの後に続いて産まれ故郷であるベルンへの帰り道を歩いた。
ベルン村は辺境の僻村である。人口は百五十人ほどで、村の周りに堀を巡らし分厚い木板で村をぐるりと囲んでいる。
魔物や野盗、蛮族の出現が頻発する辺境ではまあ一般的な防護策といえよう。村への入口は北と南に両開きの木製の門が二つ。常に槍や剣、弓で武装した門番が二名ずつ門を守っている。
ここら辺では子供ほどの背丈の劣鬼とも呼ばれるゴブリンや、犬の頭を持ったコボルト、二足歩行の武装したオオトカゲのリザードの集団の姿を見る事が出来る。
リザード以外の二種は個体の力は大したことはないが、繁殖能力が高く成長も早い為すぐに数を増やすし、中には精霊術を使うシャーマンもいて意外と侮れない。
リザードは、ゴブリンほど繁殖能力は高くないものの個体の戦闘能力が高く、農作業で鍛え抜いた村人では一対一の戦いで勝利する事はかなり厳しい。
特にリザード部族の中で戦士階級の隊長クラスともなれば、ベテランの冒険者や正規訓練を受けた騎士でも連れて来なければ、相当の被害を覚悟しなければならない。全て聞きかじりなので、私がこの目で確かめたわけではないが。
幸いなのは、リザード種は人間とも交流を持つ事の多い亜人種で、ベルン村も以前飢饉に襲われたリザード達を助けた事があり友好な関係を築けている。滅多なことでは敵対関係にはなるまい。
村の中央広場でアイリと別れた私は草を混ぜた泥と木と藁で作った粗末な我が家へと足を向ける。
アイリは帰り道の間ずっと喋りっぱなしだった。人間の子供はまさに元気の塊である。卵から孵ったばかりの竜種の赤子もかくやと言わんばかり。あの元気なら大陸でもっとも繁栄するのもむべなるかな。
アイリはベルン村の子供たちの間でも元気がよく明るい性格の為人気があり、よく慕われている。わが幼馴染ながら良く出来た娘である。
母の為にと摘んだ花だったが、気が変わったのでアイリの髪に良く似合うだろうと思い、髪飾り代わりに私が着けてやると、アイリは顔を真っ赤にしてしばらく口をぱくぱくとさせていた。
その様子は酸欠のサハギン(二足歩行の魚人である)を思わせた。赤い髪に白い花弁を飾ったアイリは顔を俯かせるとやたらと小声で「……あ、ありがとう」と呟き、私を振り返ることなく走り去って行った。
お礼を言う時は相手の顔と目を見るものだ、と私は父母から教わり実践しているのだが、アイリは違うのだろうか。私は疑念をそのままに首を傾げてしばらく考え込んだが、答えが出そうにもなかった。
なので私は開閉する時に軋む音のする木戸を開いて我が家に帰る事にした。あまり遅くなっては心配させてしまう。父母を心配させるのは私の望む所ではない。
「ただいま。ヒールグラスとパン苔を取って来た」
「おかえりなさい。まあ、ずいぶん採れたのね。これだけあればたくさん傷薬を作れるわね」
「それは重畳」
私を迎えたのは人間となった私をこの世に送り出してくれた大恩人である、母アルセナ。
僻村の農民らしい粗末なスカート姿で、やや色の褪せた金色の髪を白いスカーフで纏めていて、少しばかり汚れたエプロンを腰に巻くのが今生の我が母の常のスタイルだ。
辺境の暮らしは苦労と苦労と苦労と不運と理不尽が仲睦まじく肩を組んで、前触れもなく突撃してくるものだが、私に向けられた笑みには日々の暮らしの疲れは欠片もない。辺境の女は逞しいのである。そうでなければ生きていけないのだから。
竜であった頃の意識がある為、年齢に似合わぬ言葉づかいや振る舞いをする私を不気味がらずに、二つ上の兄や一つ下の弟と同じように息子として愛してくれる奇特な女性である。
近親相姦や身内の争い事ばかりしている人間の創造神達よりも、よほど尊敬に値する御方であると私は心底思う。
よくもまああんな連中からこんな生き物が作りだされたものだ。まあ、それでも人間にもとんでもなく醜悪な面があるのが珠に疵というべき、かやはりというべきか。
人間の全てが尊敬に値する者たちばかりではないが、中には神々よりよほどまともな人格の持ち主がいるのも確かで、私は人間もなかなか捨てたものではないと我が父母や村の人々を見る度にしみじみ感心する。
その日の夕食は私が取って来たパン苔と畑で採れた野菜を使った質素なスープと、母が焼いてくれた歯応えのある黒パンですませた。
いつも通りの夕食であるが、人間として生まれ落ちてから十年経った今でも、竜とは異なる人間の味覚は私にとって色褪せない新鮮な刺激である。
なにしろ月を見上げても月の穴を見ることもできないし、耳も鼻もとんでもなく鈍いのである。
見るもの聞くもの味わうもの嗅ぐもの全てが、竜だった時とまるで違う事は私にとっていまだ慣れる事の無い掛け替えの無い体験なのだった。五感の変化はまさしく新世界を私に体感させていたのである。
その日一日、魔物の襲撃もなく無事に食事にありつけた事に感謝する祈りをささげ、私は拾ってきた手頃な木の枝を削って木製の槍や矢を作る作業に没頭してから床に入った。
我が家は台所兼食卓と物置と寝間の三部屋である。寝床は二つ。木の寝台の上に布で包んだ藁を敷き、その上に両親と家族が横になる。
夏は暑苦しいことこの上ないのだが、冬場では互いの体温で温め合わないと冗談でも何でもなく凍死するから油断できない。
この世界のあらゆる環境下でも何の支障もなく活動出来た頃の私からすれば、思わず口笛を吹きたくなるようなスリリングな就寝時間である。
太陽に突っ込んで太陽浴じゃ、と鼻歌を歌っていた頃が少しばかり懐かしかったのは、誰にも言えない私だけの秘密である。
太陽が地平線の彼方を黄金色に染め上げるのとほぼ変わらない時刻で、村の人々は朝の目覚めを迎える。私も例外ではなく昨夜の夕食の残りで朝食を済ませてから、今日も畑仕事に出る。
ただ赤子の頃から好奇心旺盛であった私は、農作業の合間に村の近くで木の子や果実、野草取りをする許可を父母から獲得している。
竜としての第六感と魔法を操る力が残っていたのを良い事に、諸感覚を強化した私が必ず成果を上げてくるのも、許可が下りた理由だろう。私が農作業に没頭するよりも外で遊んでくる方が、より大きな成果をあげるからだ。
魔法を使えば人間の大人百人分でも働いて見せるが、流石に家族や村人の前で魔法を使うわけには行くまい。
この様な辺境で魔法使いは希少だし、そもそも魔法を誰から習ったわけでもない私が魔法を使っては、家族にも迷惑が及んでしまう可能性だってある。
最低限の畑仕事を終えた私は父と兄に許可を取り、私は今日も村の外へ冒険に出かける。とはえい村の外には魔物が蔓延る危険な辺境である。そう遠くへ出る事は許されない。
昼食までには戻ってくるようにと父に厳命され、私はそれに首肯して返し愛用している母手製の鉄蔦の籠を肩に背負い、護身用の短剣を腰のベルトに差し込んでから村の外へと駆けだした。
今日ばかりはアイリを始めとした村の子供たちにも見つかるわけには行かなかった。
父が外出を許してくれるぎりぎりの時間を見極める為に、観察と実証を繰り返し最良のタイミングを掴んだのは、近くの草原や森とは違う所に行く目的があったからだ。
この小さな体に生まれ変わってからというもの、私にとって世界はその色を変えて未知と刺激に満たされた楽しい遊び場に変わっていた。
それに父母には内緒にしているが、私がその気になれば、魂が衰弱したとはいえゴブリンの百二百など有象無象でしかないし、実は一年半前に村を襲うとしていたオーク十匹とゴブリン七十匹の混成集団を皆殺しにした事もある。
死骸は全て最も小さき粒まで分解したから、村の人達はオーク達の存在さえ気づかなかった。
なので私としては私の生命に対する危機感はない。ただ私が留守にしている間に村に何かあっては困るので、村の近くに魔物や悪意を抱いた人間が近づいたら私に知らせが来る結界を展開してある。
どれだけ離れていても転移を使えば瞬き一つの間に村に帰還できるから、不安要素はない。
さて晴れ晴れとした気持ちで強化した肉体で野を走る私の目的はと言えば、村の人達が決して足を踏み入れぬ沼地である。
かつてリザード族に飢饉が襲いかかるまでリザード族の集落が存在していた場所で、リザード族の廃屋や武具や道具が残っているかもしれない。
ただし持って帰ってもどこで見つけてきたと詰問されるのは目に見えているから、あくまで見物である。
途中で父母や兄弟をがっかりさせない程度に収穫を得るつもりではあるが、私の心は初めて足を踏み入れる場所に対する好奇心でいっぱいだった。
リザード族が山奥にある川の近くに移り住んだのが、かれこれ十年前だそうで現在の沼地がどうなっているのか、村の中に知る者はいなかった。
八本足のスレイプニル馬や竜馬にもひけを取らぬ速度と、無尽蔵のスタミナに任せて走り続けていた私は、たいして時間をかけることもなく沼地に到着した。
沼地にのみ生える木を用いたリザード族の家屋は十年の風雨によってすっかり倒壊し、残骸としか言いようのない物体がそこらに転がっているばかりで、私の好奇心を少しばかり萎ませた。
見渡す限りの黒く濁った沼が広がっている。毒が流れ込んだというわけでもないようだが、元は澄んだ水で満たされていたのが徐々に濁ってゆき、リザード達が住むには適さない環境になってしまったらしい。
十年が経過した今もそれは変わらぬようだ。
「ふむ」
しばらく沼のほとりで足を止めていた私は付近の精霊力が、大地に偏っている事に気付く。大地系のノームが移住でもしてきたのか、土の相が強まった事で水の相が弱まり、それが地形に影響して沼が濁る事に繋がったのであろう。
上手く精霊のバランスを調節すれば再び沼は澄み渡り、リザード達の棲息にも適しよう。まあ既に移住地を見つけたのだからわざわざ戻ってくる事もないかもしれない。
そうだな、私が魚の養殖かなにかでもしてみようか。いつか理由をつけて沼に行ったら綺麗になっていた、魚も棲んでいた、とでも言えば村にとって新たな食糧源の確保に繋がる。
とはいえ道中で魔物の襲撃がないとも限らないし、その対策も考えておかねばならないか。やれやれ人間として生きることを諦めれば、さっさと解決できる事ではあるがこうして頭を悩ませるのも楽しいと来ている。
私は腕を組んでしばしの間思案に耽っていたが、背後で巨大な蛇が這いずるような音を耳にして、思案を中断する。リザード族の飼っていた大蛇かあるいはヒドラでも住み着いていたのか、と私は振り返った。
「ほう」
そして私は素直に感嘆の吐息を零した。背後を振り返った私の視線の先に居たのは、見目麗しい緩くウェーブした金髪の美少女だったのである。
目鼻口の配置はまさしく造形の天才の手になるものに間違いはなく、青い瞳はサファイアの如くまばゆく輝いている。上半身には何も纏ってはおらず、剥き出しになっている乳房は重く揺れて桃色の肉粒も露わになっている。
十代後半の少女と呼べる顔には不思議と妖艶な笑みが浮かび、赤い唇からは二股に別れた長い舌がチロチロと出入りを繰り返している。
少女の顔は私のはるか上に在りつつましく窪んだ臍からいくらか下がった箇所からは、巨大な蛇の胴へと変わっていた。うねりくねりする蛇体が少女の下半身なのである。
ラミアか、と私は内心で呟く。人面蛇体の女しか存在しない魔物である。始祖は既に失われた王国の王女が呪いを掛けられて姿を変えた魔物だと言うが、よもや我が故郷の近くに住んでいたとは知らなかった。
魔物としての格は上級に限りなく近い中級と言ったところか。長く生きた個体ともなれば上級の魔物にも匹敵すると言う。こいつが現れたらベルン村など壊滅しかねない。
ラミアは私の姿を見て笑みをそのままに赤い唇を長い舌でぺろりと舐めた。新たな唾液の口紅が塗られて、一層ラミアの唇の艶やかさが増す。
私はさぞや美味そうな獲物に見えているのだろう。ラミアの主食は他の生き物の精気である。血肉をそのまま食す事は嗜好に合わぬようで、ラミアが食事を終えた場所にはミイラ状になった被害者の死体が転がっている場合がほとんどだ。
「ぼうや、いけないわ。こんな場所に一人きりなんて。お父さんやお母さんはいないの?」
なんとも甘い声であった。まだ大人になりきっていない少女であるのに、はちみつが滴るかの如く、こちらの脳髄を熱く恍惚とさせる声音である。魅了の魔力が付加されているが、ふむ、人間の精気を食べるのならこう言う芸当も出来るだろう。
密かにレジストしながら、私は答えた。
「私一人だけだ。他に誰もいない」
「まあ、本当にいけない子ね。こんな所には来てはいけないって教わらなかったのかしら。そんないけない子にはお仕置きをしなくっちゃね」
悪戯っぽく笑みを深めて、ラミアは蛇体をくねらせてゆっくりと私に近づいてくる。私は無抵抗のまま近づいてくるラミアの青い瞳をまっすぐに見つめている。
ラミアの縦に長い楕円の瞳孔が細く窄まって、魔力がそこに集中しているのが感じられた。ラミア種の持つ麻痺・魅了系統の魔眼である。ラミアにとって私はすでに自身の手の中に捉えられた無力な獲物なのであろう。
美しく細い指の揃ったラミアの手が優しく私の頬を挟みこんだ。人間の上半身に相応しい暖かな手であった。ラミアが二股の舌先で私の頬を舐める。優しい舐め方だ。
「お姉さんがお仕置きしてあげる。とっても気持ち良くしてあげるから、怖がらなくっていいのよ」
年若いラミアの様だ。私が怯えていない事を見抜けていない。ふむ、と私は一つ零し、そろそろラミアに自分が誰を獲物と思ったのか、教えてやる事にした。
私は魔力を瞳に流し込み、瞬時に人の眼球から竜の眼球へと造りかえる。一度閉ざした瞼を開いて、ラミアの瞳をまっすぐに見つめ返すのと同時に、ラミアの顔から笑みが消えて代わりに恐怖が全てを支配する。
多くの種族が持つ魔眼の中でも最高位に君臨する竜種の眼で睨み返されたのだ。人間の子供がなぜそんなものを持っているのか、とさぞや混乱していることだろう。
体を麻痺させ心を魅了した筈の人間の子供が、逆に自分の精神と肉体を完全に支配しているのである。ラミアの動揺と混乱は推して図るべし。
私はラミアの美しい金の髪を右手で掬い上げて、鼻先を近づけてからその甘い匂いを胸一杯に吸い込んだ。
「私が怖がる必要などない。獲物は私ではなくそなたなのだから」
私がラミアの全身に視線を這わせると、びくり、とラミアは恐怖に震える。ふむ、本能的に私が人間の皮を被った化けものであると理解したのだろう。
しかし私にはラミアの命を奪うつもりはなかった。どうもこのラミア、親元を離れたばかりなのか、野生の動物や魔物の精気は感知できるが人間のそれはない。おそらく私が人間の獲物としては初めてなのだろう。
まだ人間を手に掛けた事がないとなれば、情状酌量の余地ありと考えもしたし、また他にも私がラミアを殺そうとは思わぬ理由はあった。
少々下世話な話になるが、私はつい先日大人の階段を一つ上った。精通である。竜としてのそれは知っていたのだが、人間としては初めての経験であった為に、私は動揺して父と母に相談し、実に暖かい笑みを向けられたものである。
ぐしぐしと力強く私の頭を撫でまわす父の顔が妙ににやけていた事は記憶に新しい。
さて何故こんな事を言うかと言うと、大きく実った乳房やくびれた腰、太ももの半ばでを陽光の下に晒すラミアの裸体を見ているうちに私は、ムラっと来ていたのである。
私の粗末なズボンはいまや霊峰もかくやと言わんばかりの急勾配になっている。ふむ、竜のそれとは異なる人間の生態は実に興味深い。しかも自分で実体験できるのだから、これ以上ない経験と言える。
私はラミアの腰を抱きよせて、吐息のかかる距離で金髪の美少女の怯える顔を見つめた。
「そなたは美しい。呪うなら美しく生まれた事を呪うが良い」
そして私はラミアの唇を奪った。柔らかでみずみずしい感触がした。
「ふう」
と私は一仕事終えた父を真似て満足の吐息を吐き、近くの岩に腰を降ろした。私の視線の先では腰砕けになったラミアがしどけなく地面に横たわり、真っ赤に染まり恍惚と蕩けた表情を浮かべ、虚ろな視線を私に向けている。
人間の体では初めて味わう快楽に、私は少々我を忘れてしまいラミアの許しを請う懇願の声も耳に届かず、ラミアの限界をはるかに超えて人間と蛇の混合生物である彼女の体を貪り尽くしてしまった。
幾ら魔法による半永久的な体力と精力の供給があるとはいえ、少々やりすぎだ。ラミアの方も直接的な性交は初めてだったと言うのに。
この様子ではしばらくラミアはまともに動けまい。近くに危険な魔物が居ないとも限らないから、ラミアの意識が戻るまで私はこの場に留まってラミアを守る事にした。しかし、これでは昼食に間に合うまい。父になんと言い訳をすればよいやら。
それにしても、と私は時折痙攣するラミアに視線を移す。人間としては初めてとはいえ、これは病みつきになりそうだ。これからは自制せねばなるまい。
こうして私は人間としての童貞を失った。相手は魔物であったが大変具合はよろしかったと言わせて頂く。
<終>
さようなら人生、こんにちは竜生とは関係ありません。こんな感じで主人公が欲求に従って魔物娘や人間と仲良く生きてゆくお話です。