日本共産党、原子力委へやらせメール

 か?
 ははは。東スポごっこって楽しいな。
 でも、こりゃあどう考えてもやらせメールじゃん。98%が脱原発なんて、ありえない。やらせに決まってるではないか。

赤旗WEBより:「原発廃止を」98%
http://ime.nu/www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-28/2011092801_02_1.html
産経新聞WEBより:「脱原発」が98% 原子力委への国民意見
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110927/plc11092711420013-n1.htm

 Googleった限りでは、「98%」を大々的に見出しで報道したのは赤旗と産経新聞。これじゃ、日本共産党のやらせメール・マッチポンプ以外に何が考えられるのだ。
 そもそも、である。サンケイの記事を引用すると『約4500件。うち「直ちに廃止すべきだ」が67%、「段階的に廃止すべきだ」が31%で、計98%に達した』と。直ちに廃止が67%だけでも十分に嘘臭いが、直ちに廃止と段階的廃止って随分意味合いが違うと思わないか?

 でも世の中には、確かに反原発の人が短期間で大量に増えた。しかし、4月の統一地方選挙で共産党と民主党は大敗した。要するに大半の国民は、現政権の不平や今ある不満を、左翼政党に投票して解決する道を選ばなくなったのである。昔のように、「何となく社会党」のような無責任なやり方ではなく、常に現実的に物事を考えるようになったのだ。じゃあ何でそうなったかといえば、アカいおじいちゃんおばあちゃんが上のようなことばっかりやってるからである。違うかしら。

大阪の肉便器集団NMB48の山本彩、ドッグフードは「ニートの主食」発言

 ちわ。
ドッグフードは「ニートの主食」 NMB48キャプテン発言に批判殺到
http://www.j-cast.com/2011/09/25108082.html
『AKB48の妹グループ「NMB48」のキャプテン・山本彩さんがテレビ番組でドッグフードについて「ニートの主食」と発言し、ネットで怒りを買っている。
問題とされているのは、2011年9月21日に放送された日本テレビ系「なにわなでしこ」内の企画で、山本さんが披露した「ボケ」だ。』
 ホントにしょーもねーな。普通、今だったら「東日本大震災避難住民の主食」とか言わないか?


AKB48、震災支援に「恩返し」 上海で無料公演へ
http://www.asahi.com/national/update/0923/TKY201109230485.html
 『人気アイドルグループ「AKB48」が24日、上海で無料コンサートを開く。東日本大震災に対する中国の支援に感謝を伝えるために企画され、出演料も無料。先週のSMAP北京公演に続く、日本の「アイドル外交」となりそうだ。』
 でね。誰かが「南京大虐殺なんかなかったのに、教科書の内容にあれこれ文句を言うのでおかしい!」って口を滑らしたら笑えるぞ。
 そしたら、制服向上委員会と藤波心とが速攻で中国に行って「私たちは過去の歴史を反省しないAKB48とは違います!」って、朝日新聞辺りを当て込んで売り込みに行くわけだ。で、SKiが反原発ソング歌ったり、藤波心が例の調子でアジる。
 しかし、何故か追い出されるのは制服向上委員会で、しかもメンバーが半分になって、誰かに拉致されたと噂の残り半分の消息は不明。で、藤波心の乗った飛行機が何故か爆発してね。
 おい。山本彩。こっちの方が面白いだろ?

「機会の平等」こそ戦後民主主義のまやかし

 年をとってから、困難に立ち向かう気持ちが失せて、嫌なことから逃げる気持ちが強くなる。それどころか、仕事で困難な事がある前日に、恐怖で眠れなくなる。これでは小学校の頃の「プールの前日」である。
 「艱難汝を玉にする」と言葉では分かってる。しかしもう、努力を信じられなくなってしまったのだ。一方、「勝ち組」と呼ばれる人は年をとっても努力を信じられるのだろう。多くの「成功体験」を積み重ね、努力は裏切らないと思っている。ま、ゴマすってるだけの人もいるが。
 ところが、努力って奴は裏切り者なんだ。そして、裏切られていくうちに周りから「あいつは駄目だ」のレッテルを貼られて、本当に努力をしても誰も見向かなくなる。そのうち、人生そのものにやる気をなくす。人生の失敗例の典型だ。
 と、月曜日のオープニングの恒例、ぐちで始まります。
 そう、何回ぐちったか分からないけれど、人生とは、距離もハンディも不平等なマラソンである。なのに、こう書くと嫌がる人がいる。それには二タイプがあって、一つは成功者。そりゃあ自分は「平等ななマラソンに勝った」って言いたいわ。そしてもう一つは「お前の考え方は身障者差別だ!」と叫ぶ左翼や人権家。
 今回は「成功者」の話はナシにして、左翼や人権家の話だけにする。彼らの発想は、人生が不平等なマラソンならば、不利な人には有利になるハンディをつけてあげましょう。ジャンピングシューズを履かせてあげましょうというわけだ。
 私とて救貧制度や身障者への優遇制度を否定しない。
 しかし、例えばブス。誰一人とて「ブスに産んでくれ」と親に頼んでないのに、ブスに生まれてしまった。そしてブスは美人に比べて、人生のあらゆる場面で凄まじいまでの損をする。ブスはAKBのオーディションにも絶対に受からない。だったら、どうしてブスに対してブス支援金制度の授与を人権活動家は主張しないのだろうか。アムネスティはどうして整形手術の権利を宣言しないのか。
 いや、キモヲタだってそうである。誰だってジャニーズ系のイケメンに生まれたかったのに、自分の意思の届かないところでヲタになってしまったのだ。少しはCD購入代を補助したらどうか。

 そして、である。どうやったら平等なスタートのマラソンができるのか。実は、左翼でなくても、実は多くの人間がこんな馬鹿げた教義を「正しい」と信じているのではないか。それは「機会の平等」という教義である。いわく「みんなが手をつないで一等賞なんて『平等』はサヨが言ってること。平等ってのは機会の平等なんだよ」と、自称「保守派」まで得意げに語る。
 しかし、機会の平等ってつきつめていけば「可哀想なブスにバスの無料パスを」にいきつくのではないのか。そもそも「努力」は平等なのか。「学問Aを学んだ人」が高収入で「学問Bを学んだ人」が低収入だったら、Bを学んだ人に国家補償があるのだろうか。
 本当に「機会の平等」って素晴らしいんだろうか。例えば、プロ野球で左のワンポイント専門とか、守備固めの達人とかは、機会の平等からすれば「落ちこぼれの成れの果て」なのか。ゴルフのレッスンプロは競争に負けた落ちこぼれなのか。あるいは、これら業界ではまだ「機会の平等」が徹底してないのか。



 うわーー、この歌大好きだったんだ。
 この曲に再び巡り合えるとは。これ、たまにGoogleってたけどなくってね。それにしても醜い顔だ。
 でもまあ聴いて見ろって。そんな損した気持ちにはならないと思うよ。

花いちもんめ/海援隊

フォークソング・ニューミュージックという怪物--もじどおり「南沙織がいたころ」その2

 昨日「南沙織がいたころ( http://sinzinrui.blog.fc2.com/blog-entry-1501.html )を書いた後に思ったけれど...テレビ視聴者の低年齢化・ヤング化」と書いたけれど、そのもう一つの大きな変革が、吉田拓郎氏=「フォークソングのテレビ投入」だ。
 御存知のとおり、吉田拓郎が「結婚しようよ」を大ヒットさせた時に、吉田陣営はテレビに出演しないという戦術・ギミックを使った。
 これは当時のフォークソングの「アンチ歌謡曲」のカルチャーに気を使ったのもあっただろう。みなさんも「当時吉田拓郎がコンサートに出たら「歌謡曲の真似するのか」と野次りまくられ石を投げられた」の類の話を聞いた事があるだろう。当時のファンは「フォークソング=チャラチャラしたアイドルとは違う高級なもの」と思っていたのである。(今でもその風潮・その売り方は多少業界に残っている)
 しかし、吉田拓郎にしろラジオのDJには出ていたと思うし、ビートたけしの言うとおり、ヒット曲が嫌ならばどうしてシングルレコードんか出すんだろう。
 何よりもいい加減な事に--ある意味象徴的なことに、天地真理も南沙織も吉田ファンでフォークソングを支持していたんだね。--そうしたらノコノコとテレビに出てくるんだよ。天岩戸ってやつは、いつの時代も女の色仕掛けで簡単に開くもんだな、ケケケ。で、吉田氏のズリネタは南沙織だったようで、上記「南沙織がいたころ/永井良和著/朝日新書) 」にもあったが、かまやつひろしと「シンシア」なる曲を歌い、吉田・かまやつの真ん中に南沙織が間抜けそうにしてる珍シーンをベスト30歌謡曲でご披露した。
 あ、そうそう。ベスト30歌謡曲っていえば、アリスが「今はもう誰も」で売れ始めた時に、バンドを引き連れて歌ったんだよ。で、ふつうはアリスの3人を主にアップにするだろ? けれど、前にいる2人(谷村・堀内)は分かったが、残りの一人(矢沢透)がどれだか分からない。で、途中までアップにならなかったんだね。で、「今はもうだれーもーっ」て後半にドラムが歌い出して、「あ、残りの一人は太鼓だったとは!(笑)」。ちなみにベスト30歌謡曲は、後発の「パパと呼ばないで」に視聴率を取られてしまった可哀想な番組です。
 と、話がそれたが、当然のようにオッサンどもは「フォークソングなんて下手くそな歌は馬鹿げている」とぶつくさと批判をしたが、古井戸・海援隊・南こうせつとかぐや姫・荒井由実・チューリップ・井上陽水・アリス・イルカ...と、「何人かは落としてるな」ってくらい次々と登場し、彼らの多くが未だ影響力を持っている(古井戸は仲井戸麗市がいたから、勝ち組仲間に入れて下さい、個人的に)のだから、文化人の評論ってのは当時から芸術的なまでに的中しなかったのだ。そして当時の良い子はギターと新譜ジャーナルを買って、FとBmで挫折するわけだが。
 何てことはない。いとも簡単に若者の世界から演歌を追い出してしまった、と言いたいがそうでもなかった。演歌歌手は評論家ではない。彼らだって若い世代に歌を聞いて欲しいのだ。内心では「俺の実力を見せてやる」と思っているのだ。棺桶に片足突っ込んでるジイさんが「ヒッピーみたい」と罵ろうとも、「吉田先生、私にも是非一曲書いて下さい」と頭を下げざるを得ない。もちろん女性アイドルは「先生」と二人きりになったら腰をすりつけ手を握り「せんせい.... 私にも一曲書いて....」そしてついに浅田美代子は吉田拓郎の手を無理やり太ももに、かどうかは知らないが、ニューミュージックの先生方はアイドルを食いまくってないか、おい。
 それはともかく、いわば反逆児・怒れる若者の象徴だったフォークソングの導入は大成功だった。彼らが基本的に作詞・作曲を自分でこなすことが、作曲家としても重宝され、それが参入を早めた事は間違いない。歌手という人種にとって作曲家は命綱。AKBでなくても、枕営業してでもいい曲が欲しいのだ。
 「じゃあ何でいとも簡単に天下がとれたのか?」と言われると正直わからない。簡単にいえば「音楽番組に参入してきた若者にとって、古賀政男を教祖と仰ぐ日本作曲家体系は相当にセンスが古かった」とか、「フォーク・ニューミュージックの作り手の方が年齢的に近いのでリアリティーがある」とか、そんな感じなんだろう。
 ただ5年もすれば、余程の石頭でない限り「良いものは良い」と認めるようになったのだ。それでは、この時期に才能ある人間が集中したのか、それとも日本の芸能界の老人化に業界も気がついてなかったのか。
 いずれにせよ、アイドルとフォークソングという歌唱力不要の謎の「歌手」という向こう40年不動の「芸能界の基本スタイル」が確立したわけだ。

シンシア/吉田拓郎・かまやつひろし

歌唱力というセーフティーネット--もじどおり「南沙織がいたころ」

 「南沙織がいたころ」の書評( http://sinzinrui.blog.fc2.com/blog-entry-1501.html )を書いた後に思ったけれど、今思えば、1970年前半も一種の革命だったのだろう。それがどういう革命だったかといえば、テレビ視聴者の低年齢化・ヤング化であり、そういう意味では少し漫才ブームに似ている気がする。自分の記憶を辿っても、ここら辺から「自分の意志でテレビを見た」「自分が心からテレビを面白いと思った」記憶があるのだ。思うに、それ以前はどっか子供向けといっても「大人が見せたいテレビ」を見ていたのでないだろうか。

 それと、歌手の歌唱力低下が言われだしたのもこの頃のような気がする。
 そういえば、この頃から父はブツブツと「最近の歌手は歌が下手になって」と言っていた。確かに、天地真理以前の女性アイドル歌手(園まり・小川知子・岡崎友紀・伊東ゆかり・中尾ミエ・黛ジュン・山本リンダあたりか)は、どれも天地真理どころか確かに南沙織よりうまい(黛ジュンは下手か)。
 そういえば、同じ時期に男のアイドル(この日記ではアイドル=女性アイドル)に郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎というのも登場したが、郷ひろみという歌手も「歌唱力難あり」の酷評だった。後の芸能界に絶大な影響を与えたが。そして何年も立たないうちに、衝撃の歌笑力・浅田美代子デビューの登場となる。
 いわゆる「歌手の歌唱力」問題。ジイさんどもが、「最近の歌手は歌が下手だ」と嘆き出したわけだ。そして実際に、この歌唱力問題が、旧勢力の神聖力批判に切り札になっていた。
 実際に、そういう歌唱力軽視風潮に対して、当時の権威である「日本レコード大賞」「紅白歌合戦」もどっかで一線を画していたと思う。
 郷・天地とも、全盛時代にレコード大賞の最優秀新人賞はもらってないし、NHK紅白でもチョイ役扱いだった(今の紅白における(郷・天地と同格人気の)モーニング娘やAKB48のの扱いや、「パンチラ製造機」スマイレージの最優秀新人賞を考えよ)。
 と思って調べたら、おお、1972年のレコード大賞審査委員の「慧眼」に大笑い。しかし、1974年の「逃避行」なんか当時のレコ大らしさである。
 WIKIの「19XX年レコード大賞」より71~74の一節をピコ。新人賞受賞者のリストです。(◯が最優秀新人賞)

1971年
南沙織「17才」
本郷直樹「燃える恋人」
欧陽菲菲「雨の御堂筋」
シモンズ「恋人もいないのに」
◯小柳ルミ子「わたしの城下町」
1972年
青い三角定規「太陽がくれた季節」
郷ひろみ「男の子女の子」
三善英史「雨」
森昌子「せんせい」
◯麻丘めぐみ「芽ばえ」
1973年
浅田美代子「赤い風船」
安西マリア「涙の太陽」
あべ静江「コーヒーショップで」
アグネス・チャン「草原の輝き」
◯桜田淳子「わたしの青い鳥」
1974年
浅野ゆう子「恋はダンダン」
荒川務「太陽の日曜日」
城みちる「イルカにのった少年」
テレサ・テン「空港」
西川峰子「あなたにあげる」
◯麻生よう子「逃避行」

 で、改めて調べてみると、この当時には大衆賞なるものが存在していた。

1971年
鶴田浩二「傷だらけの人生」
堺正章「さらば恋人」
1972年
橋幸夫「子連れ狼」
天地真理「ひとりじゃないの」
1973年
麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」
ガロ「ロマンス」
沢田研二「危険なふたり」
1974年
梓みちよ「二人でお酒を」
殿さまキングス「なみだの操」
中条きよし「うそ」
山口百恵「ひと夏の経験」

 新人でもないし、あるいは歌唱力もない人たちを、大衆賞に押し込んで一線を画すことによって、「レコード大賞=今年最もヒットした曲で、なおかつ歌手に歌唱力もあり、この年の代表にふさわしい曲」を選んでいたわけだ。ちなみに、1971年の最優秀新人賞小柳ルミ子は72年に歌唱賞(=レコード大賞・最優秀歌唱賞候補)。「王道」を歩ませている。
 一方、NHKにはオーディションなるものがあり、NHKの歌謡番組に出演するには、これに合格しなければならないとされていた。それが、天地真理・郷ひろみ以降の「下手な歌手」の登場で、この「オーディション」の存在が当時の子供でも話題になった。特に「浅田美代子が落ちた」は当時の良い子の格好のネタになった。
いいかえれば、レコ大や紅白はチャラチャラしたアイドルとは一線を画していると当時の良い子も悪い子も思っていたわけである。
 なんて調子で書くと、相当に偏った「西村流日本芸能史」を延々と綴りそうなので、今日はここまでで強制切断。

恋する夏の日/天地真理
プロフィール

sinzinrui

Author:sinzinrui
西村雅史。元オウマー。昔「オウム真理教大辞典」って本を共著で出したら、それ以降不幸続きです。
お詫び(2011.9.6)
so-netから移行したため、過去ログの写真がありません。また、リンクが貼られてません。手で直すので、修復には1年以上かかると思います。何卒お許しを。

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