八咫烏とは三足烏のことで、高句麗の国鳥といわれる。熊野三山の熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社は八咫烏を祭神にし、日本プロサッカーのシンボルになっていて、日韓の本源争いまで生じているようだが、はるか以前に高句麗の国鳥であるから、本源はいわずもがなである。では、その八咫烏であるタケツノミ(鴨建津之身命)=アジスキ(味耜高彦根命)は、高句麗と関係する人(神)格なのであろうか。
問題は、タケツノミがどうして八咫烏と呼ばれたか、あるいは三足烏がどうして八咫烏と称されたかである。普通に考えれば、タケツノミを八咫烏と称して問題を複雑にするよりも、タケツノミの名のままでも、道案内には差し支えなかったと思われるのだが。
『日本書紀』によれば、大空から飛び降ってきた八咫烏を見て、神武帝は「この烏のやってくることは瑞夢に適っている。偉大なことだなあ。盛んなことだなあ。天照大神が我々の仕事を助けようとして下さる」と言った。ということは、アマテラス(天照大神)が遣わした鳥ということになる。
『古事記』は「天の神の御子よ、これより奥にはおはいりなさいますな。悪い神がたくさんおります。今天から八咫烏をよこしましょう。その八咫烏が導きするでしようから、その後よりおいでなさい」という高木の神の命令を神武帝に教えたと記している。
『旧事本紀』によれば「大国主命(大己貴命)と多紀理姫との間に生れた建角身命は太陽神饒速日尊の使神として、神武天皇を熊野に出迎えたので、記紀神話で、八咫烏にされてしまっている。昔から中国では烏は太陽に住む鳥、あるいは太陽のお使いとされているためであろう」と記している。
よく読んでみると、まったく意味不明の文章である。神武帝を出迎えたら、どうして八咫烏になるのか、中国では烏は太陽に住む鳥、とあって、高句麗がどうしてすっぽり抜け落ちてしまっているのか、などの説明がなく、文字明瞭、意味不明の文章というものである。
『歴史読本 神社に秘められた謎の古代史』(新人物往来社2002年11月号)に、出羽修験の伝承があって、そのなかに、片羽が八尺ほどもある三本足の大烏が飛来して能除太子を山中に導いた。「羽黒」という名称はこの大烏にちなんで太子によって名づけられた。…三本足の大烏がここに登場するのは明らかに熊野修験の影響だろう。もちろん熊野の山中で行きづまった神武天皇の一行を導いた八咫烏を背景にしている。能除太子にまつわる伝承そのものは中世のあたりまでしか遡れないらしい、とある。(韓登) |