<東奔政走>「挙党一致」「政官協調」で核燃料サイクル幻想から抜け出せ
週刊エコノミスト 9月20日(火)17時1分配信
◇山田・孝男(やまだ・たかお=毎日新聞政治部専門編集委員)
ノーサイド(no side)と無節操は紙一重である。野田佳彦新首相は党内にノーサイドを呼びかけ、政官協調、与野党協調を訴えた。だがそれは、大義なき挙党態勢、元の木阿弥の官僚支配、民主党の臆面もなき自民党化とどう違うのか。なんとなく円満というだけで日本の明日が開けるか。新首相はこれらの疑問に答えなければならない。
引き続き政策選択の最大の論点である原発を手がかりに、野田政権の前途を考えてみよう。
◇官も民も言い出せない
脱原発派は言わずもがな、原発推進派にしても、福島原発震災が日本の技術の問題点を暴いたという事実は認めるだろう。産・官・学にマスコミを加えた原発推進共同体が、根源的な危険や未解決の問題に目をつぶって(あるいは気づかずに)暴走してきた。その実態に、ようやく国民が気づいた。この点についても議論の余地はなかろう。
にもかかわらず、「エネルギー基本計画」(昨年6月閣議決定)の見直しは進まない。電力供給の原発依存度を「2030年に50%(従来は30%)」と展望する長期計画がそのまま放置されている。
中川正春文部科学相が就任後の記者会見で、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)の研究開発費を来年度も引き続き計上する意向を明らかにした(9月3日)。
「もんじゅ」は日本の原発政策の根幹をなす核燃料サイクル構想の柱の1つだ。計画によれば、原発から出る使用済み核燃料を利用して発電する。立案は1967年。80年代に実用化のはずが、ずるずる延び、いまは「2050年始動」と言っている。政府は既に血税1兆円をつぎ込み、来年度予算でさらに二百数十億円上乗せという話だ。
どう見ても無駄遣いではないかと疑う声は根強く、原発震災以降はますます批判が高じている。それでも予算をつけるということは、なお核燃料サイクルを追求する国家意思を表明したのに等しい。
なぜ、そうなるのか。原発震災により、他の巨大技術とは全く異質の破滅的な危険を思い知らされたというのに、行政はなぜ、かくも政策転換に後ろ向きなのか。
理由は分かっている。原発は国策民営だ。役人にしてみれば、政策変更で電力会社の投資を煽った責任を問われたくない。「エネルギー自給、環境にも優しい」と半世紀以上宣伝してきた核燃料サイクル路線の誤りを認めたくない。
電力会社は当然、問題を理解しているが、自分から「やめたい」と言い出すことですべての責任を負いたくない。原発の立地自治体は交付金を受け取り、原発が生む雇用・消費に依存するシステムにひたりきっている。脱原発は重電メーカーなど関連産業の活動に冷水を浴びせ、巨額の損失を強いる−−。
これだけの守旧体制を壊し、立て直すためには並々ならぬ政治力が必要だが、新政権は出足から心もとない。本稿執筆時点の政界の話題は鉢呂吉雄経済産業相のあっけない辞任だ。在任9日。福島原発視察の感想を聞かれ「死の町」だと言った。新聞記者たちの前で「放射能をつけちゃうぞ」とおどけた。
原発担当閣僚は、首相の股肱として官僚の硬直を正し、産業界や自治体を説得するのが仕事のはずだ。ところが、子どもじみた舌禍で早々と自滅し、首相はアフターケアに追われている。それが野田ノーサイド政治の現実である。
民主党代表選(8月29日)に先立ち、永田町・霞が関界隈に原発政策の転換を促す無署名の“建白書”が出回った。A4判23ページ。表題は「原子力発電のバックエンド問題について」。原発関係閣僚や、一部の民主党代表候補にも届けられた。
バックエンド(back−end)は核燃料サイクルの後段の工程だ。ウラン採鉱、精錬、濃縮、加工までがフロントエンド(front−end)。使用済み核燃料の再処理、再利用、および放射性廃棄物の貯蔵、最終処分がバックエンドにあたる。
バックエンド工程で出る核のゴミを「もんじゅ」や青森県六ヶ所村の再処理工場でリサイクルするというのが核燃料サイクル構想だ。が、その技術は未完成で、完成の見通しはない。いさぎよく現実を認め、「そのうち何とかなるだろう」式の無責任な国策はもうやめよう、というのが建白の趣旨である。
◇原発転換促す建白書の中身
文書の本編は、核燃料サイクルにお墨付きを与えた「05年原子力政策大綱」の検討プロセスに対する詳細な批判だ。それを踏まえ、以下の提案がなされる。
(1)もんじゅは廃止
(2)六ヶ所村再処理工場も停止
(3)使用済み燃料の中間貯蔵実施
(4)原子炉の廃炉や、放射性廃棄物の毒性を下げる技術開発のための研究機関を創設
注目すべきは(3)の中間貯蔵だ。中間貯蔵とは、使用済み燃料の仮置きを言う。再処理・処分の新技術が確立するまで数十年程度収納しておく。その場所を決める一案としてユニークな提案を盛り込んだ。「原因者負担、受益者負担の考え方から、各都道府県に使用済み核燃料の引取・保管義務を負わせる」。しかも温室効果ガスの排出取引(emission trading)にならい「都道府県間の取引は容認」するというのだ。
04年春、永田町・霞が関に核燃料サイクル批判の怪文書が出回ったことがあった。経産省・資源エネルギー庁の非主流派による内部告発だった。A4判25ページ。「原子力発電のバックエンド問題について」とよく似ている。今夏の文書は7年ぶりの続編かもしれない。
経産相辞任で出鼻をくじかれた首相はますます低姿勢だが、失点を恐れて無原則なノーサイド路線へ走るべきではない。むやみな官僚排除は有害だが、原子力村(原子力推進の産官学複合体)に浸りきった官僚に遠慮することはない。
自民党長期政権の知恵に学ぶのはけっこうだが、原子力村に対する感覚麻痺までマネてはいけない。民主党支持の電力労組に気兼ねしてモジモジする必要もない。
エネルギー政策をゆがめる核燃料サイクル幻想から抜け出さねばならない。挑戦を避ければ、怠慢の誹りは免れまい。何のためのノーサイドか。挙党か。融和か。協調か。ドロくさい挑戦に期待する。
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引き続き政策選択の最大の論点である原発を手がかりに、野田政権の前途を考えてみよう。
◇官も民も言い出せない
脱原発派は言わずもがな、原発推進派にしても、福島原発震災が日本の技術の問題点を暴いたという事実は認めるだろう。産・官・学にマスコミを加えた原発推進共同体が、根源的な危険や未解決の問題に目をつぶって(あるいは気づかずに)暴走してきた。その実態に、ようやく国民が気づいた。この点についても議論の余地はなかろう。
にもかかわらず、「エネルギー基本計画」(昨年6月閣議決定)の見直しは進まない。電力供給の原発依存度を「2030年に50%(従来は30%)」と展望する長期計画がそのまま放置されている。
中川正春文部科学相が就任後の記者会見で、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)の研究開発費を来年度も引き続き計上する意向を明らかにした(9月3日)。
「もんじゅ」は日本の原発政策の根幹をなす核燃料サイクル構想の柱の1つだ。計画によれば、原発から出る使用済み核燃料を利用して発電する。立案は1967年。80年代に実用化のはずが、ずるずる延び、いまは「2050年始動」と言っている。政府は既に血税1兆円をつぎ込み、来年度予算でさらに二百数十億円上乗せという話だ。
どう見ても無駄遣いではないかと疑う声は根強く、原発震災以降はますます批判が高じている。それでも予算をつけるということは、なお核燃料サイクルを追求する国家意思を表明したのに等しい。
なぜ、そうなるのか。原発震災により、他の巨大技術とは全く異質の破滅的な危険を思い知らされたというのに、行政はなぜ、かくも政策転換に後ろ向きなのか。
理由は分かっている。原発は国策民営だ。役人にしてみれば、政策変更で電力会社の投資を煽った責任を問われたくない。「エネルギー自給、環境にも優しい」と半世紀以上宣伝してきた核燃料サイクル路線の誤りを認めたくない。
電力会社は当然、問題を理解しているが、自分から「やめたい」と言い出すことですべての責任を負いたくない。原発の立地自治体は交付金を受け取り、原発が生む雇用・消費に依存するシステムにひたりきっている。脱原発は重電メーカーなど関連産業の活動に冷水を浴びせ、巨額の損失を強いる−−。
これだけの守旧体制を壊し、立て直すためには並々ならぬ政治力が必要だが、新政権は出足から心もとない。本稿執筆時点の政界の話題は鉢呂吉雄経済産業相のあっけない辞任だ。在任9日。福島原発視察の感想を聞かれ「死の町」だと言った。新聞記者たちの前で「放射能をつけちゃうぞ」とおどけた。
原発担当閣僚は、首相の股肱として官僚の硬直を正し、産業界や自治体を説得するのが仕事のはずだ。ところが、子どもじみた舌禍で早々と自滅し、首相はアフターケアに追われている。それが野田ノーサイド政治の現実である。
民主党代表選(8月29日)に先立ち、永田町・霞が関界隈に原発政策の転換を促す無署名の“建白書”が出回った。A4判23ページ。表題は「原子力発電のバックエンド問題について」。原発関係閣僚や、一部の民主党代表候補にも届けられた。
バックエンド(back−end)は核燃料サイクルの後段の工程だ。ウラン採鉱、精錬、濃縮、加工までがフロントエンド(front−end)。使用済み核燃料の再処理、再利用、および放射性廃棄物の貯蔵、最終処分がバックエンドにあたる。
バックエンド工程で出る核のゴミを「もんじゅ」や青森県六ヶ所村の再処理工場でリサイクルするというのが核燃料サイクル構想だ。が、その技術は未完成で、完成の見通しはない。いさぎよく現実を認め、「そのうち何とかなるだろう」式の無責任な国策はもうやめよう、というのが建白の趣旨である。
◇原発転換促す建白書の中身
文書の本編は、核燃料サイクルにお墨付きを与えた「05年原子力政策大綱」の検討プロセスに対する詳細な批判だ。それを踏まえ、以下の提案がなされる。
(1)もんじゅは廃止
(2)六ヶ所村再処理工場も停止
(3)使用済み燃料の中間貯蔵実施
(4)原子炉の廃炉や、放射性廃棄物の毒性を下げる技術開発のための研究機関を創設
注目すべきは(3)の中間貯蔵だ。中間貯蔵とは、使用済み燃料の仮置きを言う。再処理・処分の新技術が確立するまで数十年程度収納しておく。その場所を決める一案としてユニークな提案を盛り込んだ。「原因者負担、受益者負担の考え方から、各都道府県に使用済み核燃料の引取・保管義務を負わせる」。しかも温室効果ガスの排出取引(emission trading)にならい「都道府県間の取引は容認」するというのだ。
04年春、永田町・霞が関に核燃料サイクル批判の怪文書が出回ったことがあった。経産省・資源エネルギー庁の非主流派による内部告発だった。A4判25ページ。「原子力発電のバックエンド問題について」とよく似ている。今夏の文書は7年ぶりの続編かもしれない。
経産相辞任で出鼻をくじかれた首相はますます低姿勢だが、失点を恐れて無原則なノーサイド路線へ走るべきではない。むやみな官僚排除は有害だが、原子力村(原子力推進の産官学複合体)に浸りきった官僚に遠慮することはない。
自民党長期政権の知恵に学ぶのはけっこうだが、原子力村に対する感覚麻痺までマネてはいけない。民主党支持の電力労組に気兼ねしてモジモジする必要もない。
エネルギー政策をゆがめる核燃料サイクル幻想から抜け出さねばならない。挑戦を避ければ、怠慢の誹りは免れまい。何のためのノーサイドか。挙党か。融和か。協調か。ドロくさい挑戦に期待する。
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最終更新:9月20日(火)17時1分
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