きょうのコラム「時鐘」 2011年9月29日

 会津磐梯山(ばんだいさん)が美しかった。「めったにないよ、こんな日は」と地元の人が言うほど好天が続いた先週末、福島県へ行ってきた

先の15号台風で阿武隈(あぶくま)川が氾濫した郡山市の一角は泥だらけだった。震災で壊れて修理中のマンションやホテルが目立つ街である。そこに経験したこともない洪水が襲った。水が去った街には、ぬれた畳や家財道具が山積みされていた

地震に続き水害が残したがれきの山だ。消防団員が路肩の泥を洗い流していた。それだけでもつらい話だが、本当の深刻さはここからだった。泥には放射線が測定されていて勝手に処理できないという。泥の処分地は未定と知りながら、黙々と後始末に汗を流すのである

先日の本紙「寂庵より」に、瀬戸内さんが「理不尽な人災」と呼ぶ被災地を訪れたとあった。京都の送り火に東北の松を使わなかったことをわびたところ「あのことは水に流す」と言ってもらい涙ぐんだという

紙面には連日、福島の汚染土問題が取り上げられ、処理面積や濃度の数字が並ぶ。だが、数値化できず、水にも流すこともできない様々な理不尽が被災地には山積みだ。