ヨーヨーをやっている人の気持ちは、ヨーヨーをやっている人にしかわかりません。
ヨーヨーに引き込まれる人の気持ちは、ヨーヨーに引き込まれた人にしかわかりません。
例えば一概に「絵が好き」と言っても、絵を描きたい人の気持ちと、絵を集めたい人の気持ちは別なのです。
これはなんにでも当てはまることで、
手先が器用な人の気持ちは、手先が器用な人にしかわかりません。
手先が不器用な人の気持ちは、手先が不器用な人にしかわかりません。
でも、手先が不器用な人は、手先が器用な人の気持ちも、不器用な人の気持ちもわかると思うのです。
「何か物事を教える」という時、たとえ自分が不器用でも、その物事についてしっかり学習していれば、相手が器用だろうと不器用だろうと関係がないのです。
そして不器用な人は、器用な人がつまづかなくても、不器用な人ならつまづいてしまうところに気付ける……という点がある以上、むしろ不器用な人の方が「何かを教える」という時に武器になるのかなーと思います。
なにより、このように『デメリットにしか見えないことをメリットへと転換する』ことが、人間の最大の武器なのかなーと思います。
「手先が器用」だということを、相手に教えることも含めて「手先が器用」というならば、この話は崩れてしまうのですが、それはご愛嬌。