日銀政策決定会合:「量的緩和」派と「ゼロ金利」派が対立

2011年7月29日 10時56分 更新:7月29日 14時26分

 日銀は29日、01年1~6月に開かれた金融政策決定会合の議事録を公表した。同年3月19日の会合では、速水優総裁(当時、以下同)が量的緩和政策の導入を提案し、採択されたが、議論の過程で山口泰副総裁らが「ゼロ金利政策の復活」を主張。議論は日銀執行部の分裂含みの展開となり、「量的緩和」派と「ゼロ金利」派で意見が対立していた構図が明らかになった。

 量的緩和は、金融政策の目標を従来の金利から資金量(当時は日銀当座預金残高)に切り替える新たな緩和手法だった。日銀は00年8月に政府の反対を押し切ってゼロ金利政策の解除を決めたが、ITバブル崩壊や世界同時株安、日本の金融システム不安で景気が失速。ゼロ金利解除は失策だったとの批判も強まり、わずか7カ月後、大胆な緩和策を打ち出すことを迫られた。

 議事録によると、3月19日の会合で、まず藤原作弥副総裁が量的緩和を主張し、「十分以上に資金を供給すれば、金利は事実上ゼロとなる日が多く、ゼロ金利政策と同じ効果を実現できる」と強調。三木利夫審議委員も「量の面で市場に明示するのが重要」と賛同した。

 これに対し、武富将審議委員が「金利政策の枠内で何をするかが一番分かりやすい」と指摘。山口副総裁も「ゼロ金利が素直な対応方法」としたうえで、量的緩和は「(目標の資金量を増やすことで)追加的な緩和の余地が大いに生まれるというイリュージョン(幻想)を与えかねない」と疑問を呈した。

 前回会合で「ゼロ金利は資本主義に反する」と発言していた速水総裁は、「思い切った金融緩和策の領域に踏み込むこともやむを得ない」と量的緩和の導入を提案。最終的に篠塚英子審議委員を除き、9人中8人の賛成で導入が決まった。

 日銀は政策決定会合の約1カ月後に発言者名などを明示しない議事要旨を、10年後に詳細な議事録を公表している。【谷川貴史】

top
文字サイズ変更
このエントリーをはてなブックマークに追加
Check
この記事を印刷

PR情報

スポンサーサイト検索

アーカイブ一覧

 

おすすめ情報

特集企画

東海イズム!チャレンジセンターの活動

対談第2回 チャレンジセンターで培う人間