中缶室通風筒・中缶室ASH-HOISTの表現についてコメント

戦艦三笠 考証ブログにおいて中缶室用のASH-HOISTについて考証と称して4回にも亘り解説しました。然し同ブログが更新すると必ず2chの弊社を付け回しているスレッドに自慢話と弊社・弊社個人を中傷する書き込みが必ず登場しています。誰が見てもブログは「表」で2chは「裏」として使っているのは容易に分ります。
しかし2chで見る文章そしてこだわりの部分とブログでのこだわりとして過去の同じ発言パターンが金太郎飴よろしくの記述があります。この人物は三笠保存会そして桜の錨の管理人の関係者とみています。
つまり自衛隊OBの後ろ立てを得てやりたい放題と言う構図が見えています。彼らの意図も見えており、当方としてもその手にはのりません。実はこの場合、先に手を出した方が火中の栗を拾う・火傷を負う事になります。

さて、ブログの人物(当方はASH HOISTで騒ぐ迷惑な人物としてAHO厨、アホ厨と名づけました。)は中缶室右舷前方部の右舷側をうまく処理したと宣言しても左舷側を処理して更に造船史別冊等”複数”の平面図における表現、つまり前煙突基部前縁と比較して、スカイライト後端・ASH・HOIST後端が約半フィート強(20cm程度)後退して描かれているという事を処理し切れていません。実は問題の造船史別冊とは違う同じソースの別の図面のコピーを所持しています。(未公開の図面には三笠の実艦写真にはあるが造船史別冊の図には描かれていない部分があります。造船史別冊の図がオリジナルから情報が落ちた劣化コピー品である事を証明するものです。)

更に黄海海戦当時の図面も同じ描き方になっており、中缶室通風筒下部前面と前煙突基部構造物の前縁は同一ではないと示しているものだと考えています。

つまり以下の通り 上甲板平面
          ->BOW
------
   | |
  F |S |  
   ---
    |
    |
    |
    |
   ---
   | |
  F |AH|
ーーー--
    #70

例のブログはこの部分が

------
   |  |
   |S |
   ---
   |
   | スカイライトの前縁以外左舷部については一切明言なし。
   |
   |
   ---
   |  |
   |AH|
ーーー--
#70
になってしまいます。

平賀資料の右舷側面図がこの混乱に拍車をかける図になってしまい、造船史別冊や黄海海戦被害図
の問題の部分を否定しかねないのです。同ブログは直接平賀資料の図を掲載せず、むしろ態々避けて書き込まれています。

当方として、この矛盾を解くカギは左舷側のスカイライトが採光窓とするのなら
高い所ではなく低い所に設置されるべきもので、ボート甲板まで伸びる高い構造物ではないと考えます。
では右舷側は図ではボート甲板まで伸びる高い構造物が確かに描かれていますし#70で線が入っています。#70の位置は前煙突構造物の前縁、中缶室通風筒ボート甲板より上の前縁の位置に相当しています。

では、ASH HOISTのボート甲板まで伸びる構造物が本当に固定式なのか?
それとも半固定式で壁が取り外し可能ではないのかという疑問が平面図の解釈から生まれます。
ASH HOISTの周りを囲む壁があると平賀資料は示していますが、やはり複数の平面図では前部煙突基部構造物前縁と・中缶室通風筒全面は面一ではないという事を示しています。例のアホ厨が示さない部分で、言わない事で疑問を読者に見せないレトリックに使っている部分です。
右舷側がボート甲板まである高い構造物であるなら左舷側のスカイライトも高い構造物になる可能性もあります。
しかしスカイライトは採光窓として高い構造物として存在する理由が分りません。ボート甲板に迫る高い構造物であるのなら黄海海戦被害図に上甲板の構造物として描かれる事はないと考えます。

中缶室通風筒は上甲板上とボート甲板平面で約20㎝のズレがあるのは平面図面・断面図を追えば分ります。
RSM-01のパーツはそのズレを「不明な部分」として極秘明治37・8年海戦史での日本海海戦の被害図が違うにしろ「間違えやすい理由がはずのでは?」という事で斜め傾斜として表現しました。(極秘明治37・8年海戦史の間違いはかなり前から分っていました。アホ厨のブログに言われるまでもありません。)
もしかしたら中缶室通風筒はボート甲板直下でブロック状に約20cmの段差があったのかもしれません。
該当の部分はボート甲板の下に位置するものであり写真の存在すら確認できません。


反論点を整理すると

 1.アホ厨のブログでは図面の矛盾を説明し切れていない。
    平面図が示す問題を「ズレ」と言ってバッサリ切り捨てている。評価しなければならない平面図は2種
    黄海海戦図の図を示さないというレトリックを使って逃げています。
 2.平賀資料のA.Hの部分がアホ厨の考証を支えているが
    該当する部分が固定式なのか半固定式なのか?1の矛盾を解決するのならASH HOIST部分の壁は
    取り外し可能な壁であり、日露戦争当時にはその壁は存在していないと考えても良いのでは。
 3.ボート甲板上にバケツの取り出し穴が描かれていない 当然左舷側のスカイライトも
    A.Hの最上部はボート甲板より確実に下にある しかし平賀資料ではボート甲板まで構造物の壁
    が届いている。矛盾する部分。

この3点を反論として提示します。4回に亘り説明文を付けてもアホ厨は平面図・断面図が示す矛盾点を説明しきれていません。
またアホ厨が示すプラモ改造模型は前煙突中央部下部構造物の前縁は後退し過ぎであり#70の位置に該当の前縁が来ていません。そもそもこれが間違いなのです。

RSM-02では平賀資料の図を無視するわけにいかないので、半固定の壁が装着されたとして該当の部分
にパーツを追加する事を考えています。選択式のパーツとしてです。
平賀資料が示した図も重要ですが、黄海海戦図被害図がラフな図ですが三笠の当時の特徴を捉えていると高く評価している事もあり、これまでのパーツ開発の基本図の一つとして重要視してきました。

中缶室通風筒付近は図面の解釈が大変難しい部分です。アホ厨のブログの内容は確かにストーリー立てがありますが私から見て杜撰な解釈が上記の通り直ぐ3つ出せる位、あらゆる可能性を精査したものではなく
都合の悪い図面・事象は切り捨てる事で成り立っています。そして木を見て森を見ずという癖が明らかに
見られます。当方を2chという掲示板で裏では攻撃し自画自賛していると強く疑っている事もあり、ネットの性格を考えた上で、緊急の対応を行いました。他業務に影響が出てしまっているからです。
桜と錨のブログ管理人がヨイショして良いのかと考える次第です。

以下、追加情報

現在、ハセガワの主砲塔が本当に正確なのか?という事で改修を始めています。
既に10点ほど問題点や表現不足・パーツが厚過ぎての問題など多発している事が判明しています。
また、外注してある三笠の船体が来週頭までには到着し評価に入ります。

この9月は記録的な忙しさもあり、他業務(無線LAN、IT系業務)もあり不景気風は何処にあるのかと言う位に仕事に忙殺されました。この状況が金融危機を睨みながらになりますがまだしばらく続くものと思います。


以上

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