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[29581] あずさが通る!
Name: antipas group◆e7e7618c ID:f11eb473
Date: 2011/09/05 18:41
あらすじ

人間観察が趣味というヘンな女の子、倉下梓に巻き込まれていく人々の数奇なストーリー。九州の片田舎は熊本県を舞台にして、無意味に繰り広げられる心理話。人なら誰しも考える…心の中の深いところにある不思議なコト、哲学的なコト、小難しいコトを残さず解き明かせっ!!


この小説は「小説家になろう」にも投稿されています。



[29581] 人間観察 編 vol.01
Name: antipas group◆e7e7618c ID:5d6e17dd
Date: 2011/09/03 20:00
人間観察 編



 高川千佳はいつも僕を無邪気な目で見てこう言う。

「なぁなぁ、なんか面白い話してー」

「もうなにもネタがない。どれだけ話させりゃ気が済むんだよ」

「だって、緒山の話はいつも面白いんだもん」

彼女は僕が誕生日にあげたピンクのスヌーピーのキャップを振って、宙を見ながらそう言った。

「帽子ありがと。着こなしが難しそうだけど」

「おう。昔同じ帽子を被ってるいい女がいてな。たまたま同じなのが売ってあったから、買ってきたんだよ。そいつは上手く着こなしてたよ」

「…は?」

彼女は一瞬だけ不機嫌な顔を見せると、すぐにニンマリな笑顔を取り戻しこう言った。

「じゃあその女の話聞かせて」

しまった、と思いつつももうすでに諦めている自分がいる。

なんたってこの高川ときたら、一度自分が興味を示した話は、なんとしてでも聞こうとするからだ。溜息をつきながら、

「話長い上にオチもないし、第一つまらないぜ」

と言う。そんなことはお構いなしに、彼女が目をキラキラさせて、大きくウンウンと頷くのもいつものことだった。


 昔、僕がまだ浪人してた時の事だ。予備校はたいてい駅の近くにある。僕が通う予備校は放任主義だったので、みながマイペースで勉強する。当然、ほとんどの人は予備校に行かず、近くの駅とその周辺のお店やゲームセンター、ファーストフード店や本屋さん、駅周辺に置いてあるベンチなど…いくらでもある人が居付きそうな場所で遊ぶことになる。


 「あかんやん」

即座に高川が突っ込みを入れる。

「でもまぁそんなものなんだよ。帰ってから勉強するんだわ」

「予備校の意味ないやん」

「もちろんたまには行くけどね。そんでな…」


 四月。JR熊本駅は、田舎の駅とはいえ県庁所在地、人通りは多い。二浪目が決定した春、いつものようにバカメンバーが群がる。全員が予備校の初日の講義登録に来た人間だ。実はほぼ全員が、そこそこ頭がいい。しかし、医大や有名国立・有名私大狙いの人間は現役時や一浪目の時に受かった大学を馬鹿にして、もう一年頑張ればもっといい所にいけるはずだ…と考えて、もう一年勉強する選択肢を選ぶのだ。もちろん予備校周辺で遊ぶライフスタイルが居心地いいから…という理由が全く無いわけではない。今が面白い上に、未来にも希望が溢れているから、この選択肢が最良のものだと考えるのであった。

 僕が通っていた予備校は超大手だから、県内各地から人が来る。予備校において、そこには学年というものは無い。先輩も後輩も同じ授業を受けることになる。高校は別でも、小学校や中学校の時の同級生、高校の時に一度きり遊んだだけの余所の学校の人、話にだけは聞いていた友人の友人…など、本人も予想だにしていない出会いや再開も少なくない。

 四月も半ばを過ぎて、大学に受かって抜けていった二浪の代のメンバーを、新しく入った一浪の代のメンバーが補充し、グループが形成される。紹介に紹介を重ねて誰かの友人、誰かの知り合いという伝手があって、普段つるむグループが出来上がる。そうして少しずつ対人関係がこなれていくのである。

 彼女を初めて見たのはそんな時…春の時期だった。

 駅に隣接するゲームセンターの二階には大きな窓があり、そこから駅前すべてを展望できるのだが、最近いつも駅のど真ん前の植え込みを背にして座っている女の子がいる。しかも可愛い…ということがグループの中で話題になっていた。年のころは同じくらいで、可愛いだけでなく、ファッションが奇抜なので、とにかく目立つ。茶髪の「ち」の字もないほどの透き通るような黒髪で、全くクセのないストレート、長さはセミショート。目はとても大きく、口は小さい、背丈は百六十センチくらいで、細身で色白、胸はそれほど無かった。


 「お前は巨乳が好きなのか?」

「別にどっちでもいい。胸の大きさで女性を判断したりはしない」

高川はホッとした表情で胸を撫で下ろす。わかりやすい奴…。


 ファッションは毎日くるくると変わる。ほっそりしたジーンズ、綿パンの時もあれば、スカートは丈が長い時も短い時もある。同じ服を着てるのを見ることはないってくらい、服装は毎日変わる。奇抜でお洒落、とにかくルックスで目立っていた。


 「同じ服着てるの、見たことないってのはお前も同じだが…」

高川を見ながら言う。高川は、自慢げな表情をしてフフンと鼻を鳴らす。彼女も異常なほどの衣装持ちだった。しかし、高川とその女の違う点、それはその女の方がジャンル・バラエティに飛んでいるという点である。普通ファッションには、その人のセンスや好みが出るものだ。高川だと、一発でこういうファッションが好きなんだな、とわかる。服は変われども高川のセンスで統一されているからだ。しかし、その女の毎日の服装からは、ファッションセンスは感じられるものの、あまりにもジャンルが飛びすぎていて…なんというか、異常だった。

 そんな中でも、いつも身につけているものもあった。カバン…赤い皮のランドセルや黒い編み上げブーツがそうである。これらはさすがに毎日とは言わないが、かなり高い確率でいつも身につけていた。赤いランドセルといっても、もちろん小学生が持つようなものではなく、ちゃんと大人用にデザインされたブランド物だったのだが…今までの人生の中でも、その女以外が身につけているのを見たことがないほど…稀少奇抜であった。彼女は名前を知られるまで「赤いランドセルの女」と皆から呼ばれていた。このことからも誰の目から見てもランドセルが一際目立ったパーツであったことがわかる。

 しかし、面白いというか…解せないのはルックスだけではない。赤いランドセルの女は一日中、駅前の植え込みのそばにしゃがみこんで、駅前を通る大勢の人々を見ている。じっと見ているのだった。誰かを待っている様子でもなければ、誰かを探している様子でもない。ただ見てるだけである。その姿をゲームセンターの二階から見ている僕らは、まったくもって何をしているのか予測することもできず、

「あのコは一体毎日毎日何をしてるんだろう?」

「なんであんなにコロコロ服装を変えるんだろう?」

「でも本当に可愛いなぁ、名前はなんだろう?」

・・などと、いろんな意味で注目の的になった。


 ゴールデンウィークも過ぎた五月の半ばあたり、いつも通り、好きな講義に顔を出したあとは、たまにはいいかと自習室に行き、そこそこの時間勉強した。退室して廊下に行って、連絡事項や成績上位者が張り出される掲示板を、何の気もなしに見てると…自習室で一緒になって連れ立っていた平沼君という一浪のメンバーがこう言った。

「こいつらは一日どれくらい勉強してるんだろうな…。家森君も入ってるわ。彼…全然勉強してないのに」

 笑いながら、少々嫌味ったらしくそう言う。家森君というのは、二浪メンバーとして予備校に在籍しているのに、ほとんど講義にも、その周辺の溜まり場にも顔を出さず、普段何をしているのかわからないという…メンバーの中でもなかなかレアな人だった。ラ・サール高校という国内でも上から数えて何番目という、超成績優秀進学校の落ちこぼれであった彼は、医学部狙いのため、少々成績上位者リストに貼り出される位では志望大学には受からない。

「腐ってもラ・サールだよな。高校で落ちこぼれて毎日遊び呆けててもセンターで七百取ってくるからなぁ…」

 あまり意味のない会話だな、と思って予備校を出ようと階段の方を向く。…目を疑う光景がそこにあった。赤いランドセルの女が、予備校の廊下を歩いてこっちに向かってくるのだった。




[29581] 人間観察 編 vol.02
Name: antipas group◆e7e7618c ID:d4e3b06c
Date: 2011/09/04 18:30
 本日の服装は、真っ白でフリフリが付いた少々ゴシックな感じのシャツに、黒いヴィジュアル系アーティストのようなロングスカート、黒の編み上げブーツと赤いランドセルはデフォルトのままで、今日はゴスロリ風の服装だろうか。まるで人形のようだった。漆黒でまっすぐのストレートの髪も合わせて様になっている。一瞬戸惑いながらも…話しかけるわけにもいかず、擦れ違うしかないと思った瞬間、また一つ驚くことが起きた。

「倉下じゃん。久しぶり、元気!??」

平沼君が、普通に赤いランドセルの女に話しかけるのである。あれあれ?と軽く動転しつつも平静を装い、その場に第三者としていようとすると、彼女は僕をチラッ見たあと、平沼君の言葉に、

「元気元気!沼ちゃんも元気そうじゃん!また一緒だね!あ、その髪型かっこいいねー」

と、かなりテンション高めの大声で返答した。

 植え込みのそばでしゃがんで、…どちらかというと暗めの表情で、そこを行く人を見続ける彼女からは、まるで想像できない言動だった。しかし、彼女が浪人生で同じ予備校生だったとは…まったく知らなかった。灯台下暗しとはよく言ったもんだ。全然予想できなかったなぁ…などと考えていると、

「最近どう?」

とか、

「ちゃんと勉強してる?」

とか、

「高校の時の友達と会ってる?」

など、差し障りのない会話を済ませた彼女は、平沼君にこう言った。

「この人、新しいお友達?早く紹介してよ」

赤いランドセルの女は、こっちを見てニコニコしながら、まだかまだかという感じで、頭を左右に小刻みに揺らしている。

「おぅおぅ、紹介するよ。こっちは緒山先輩。三巻先輩を通して予備校で知り合ったんだ。緒山君、こっちは倉下、高校の時の同級生で俺と同じ一浪」

「倉下梓です。よろしく」

と右手を差し出す。

イメージの違いからか、展開の早さからか、少々戸惑いながらも、

「よろしく」

と言うと、彼女は、笑ったまま、

「握手わぁ~~?」

と言い、こちらの手をつかんでブンブンと上下に振った。さらに戸惑いながらも…、

「はは、面白い人だ」

と笑って、なんとかコメントすると、彼女は、

「そうでしょう!わたし面白いの」

と、ニコニコしながら、

「面白い人だけど、今日は勉強すんの!二人ともまたね!」

と言って、自習室のほうへ歩いていった。

「変な女でしょ?」

笑いながら平沼君が言った。

「だなぁ、同級生だっけ?」

と、少々興味があったし、もう少し彼女の情報が欲しいと思った僕は、平沼君に話をさせようとさりげなく話題を振る。

「うん、中学も一緒。高校なんて三年間同じクラスだった。物怖じしないっていうか、男になら誰に対してもあんな感じで親しくしてさ、まったく人見知りなく話しかけるんだよね。でも女子からは…女子とはほとんど話しないからすげー嫌われてたわ。ま、でも当の本人はそんなの気にもしてないって感じだったけど」

「へぇ、ファッションは奇抜だけど可愛いじゃん。そんであの人なつっこい性格だったら、モテるでしょ?」

「中学や高校の時は制服しか見たことなかったから知らなかったけど…あいつ、ファッションもイってるねぇ…ていうか、緒山君ひょっとして惚れた?」

笑いながら彼はそう言う。そして、

「でもあの娘はやめといた方がいいよー、趣味もやばいからねぇ」

と続けた。

「別に惚れてはいないけど、趣味がやばいって??」

「そう、人間観察」

「ん??」

「だから趣味が人間観察」

「??…人間観察ってなに?」

「言葉そのまんまだよ。人を観察して、その人が何考えているかとかを予想して楽しむんだってさ。俺には全然理解できないんだけど、本人曰く最高に楽しいらしいよ」

「…なんだそれ。初めて聞いた」

「だしょ。だから変わった女だって言ってるじゃん」

 …そうか、じゃあ朝から夕方まで、駅前の植え込みにいたのはそのためだったのか。確かにここ、JR熊本駅は県内で最も多種多様な人々が行き交う場所のうちの一つだと言える。JR熊本駅は電車の乗り場だけではない。バスやタクシー、路面電車の乗り場も隣接している交通機関のターミナルだ。老若男女問わず、地元の人も外の人も、学生も社会人も、日本人も外国人も、みんなが利用して、様々な人がごった返す。人を観察するのならうってつけの場所だな、と思った。

「人間観察ねぇ…」


「なにそれ。この話、昔のあんたの女の自慢話になるわけ?人間観察とか意味わからん」

高川は一気に不機嫌な様相になり、そっぽを向きながらブツブツと言う。どこにも自慢はないでしょうが。と思いつつも、一応断りを入れる。

「結末その一、僕と梓は付き合ってない。付き合ってないどころか、デートすら一度もしてない」

「結末その二、梓とは何年も連絡を取ってない。今後会うこともないだろう」

こうして、結末を部分的にバラしておくと、人は最後まで話を聞きたがるものだ。僕に何かしらの好意を抱いていることから出るのだろう、高川の嫉妬の気持ちも、今は梓とは何の関係もないという安心感で抑えられる。高川は気持ちがすぐに表情や態度に出る。無邪気でとてもわかりやすい。案の定、

「ま、聞くまでもなくわかってたけど。あんたがそんなにモテるわけないもんね」

と、セリフとは正反対に、ホッと安心した表情になる。

「まぁそんな話だよ。その女…梓がその帽子を被ってたのさ」

「うえぇ~~そんな気持ち悪い女が付けてた変な帽子なんていりませんーー」

などと、憎まれ口を叩きながらも帽子を手放す様子は無い。本当にわかりやすい。梓とは正反対だ。…これで話を切り上げて帰りたいと思ったのだが。

「はよ続き話せ」

「……」

やはりこうなる。これもいつものことだ。


 梓は、僕や平沼君を通して、僕らがよくつるんでいるグループに仲間入りした。平沼君の言ったとおり、彼女は誰に対しても物怖じすることなく、積極的に親し気に話しかける。それに対する対応は人それぞれだが、趣味が人間観察だと言われると、その反応を見て楽しんでいるように見えなくもない。彼女はとてもアクティブに、気持ちを表情や態度に表しているように見える。そして、それに誰もが好意を抱いた。

 身につける服は奇抜で、行動はテンションが高くて、たまに意味不明。総合すると変な女だが、話をしていて面白いし、一緒にいて楽しい。

 あっけらかんとしてて、素直でいい奴で可愛い…というのが大方の人が持つ彼女の印象だった。

 彼女は誰にでも親しく話しかけ、本当に星の数ほどの男友達ができたが、その中の誰とも男女の付き合いはしていないし、親友と言えるほど深い話をした人もいない。かといって、上辺だけの付き合いだけというわけではなく、人といる時は本当に楽しそうに話して遊んでいるのだった。

 そうして一、二か月も経つと、彼女に付き合ってくれと告白した友人が数人出てきたが、彼女はいつも…、



[29581] 人間観察 編 vol.03
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/05 18:31
「あー、本当にごめん…あなたのことは好き。でも私…特定の人と男女のお付き合いはしないって決めてるの。それって…言えば、みんなが友人で恋人みたいなもの。とても変な考え方かもしれないけど、今の付き合いで満足して欲しいんだ。本当にごめんね…」

といった感じで、薄っすら涙を浮かべながら申し訳なさそうに謝る。

 いつものハイテンションな彼女からは想像できない表情とセリフを前にして、男には今の関係を壊したくはない、いつも天真爛漫にしている梓を泣かせたくない、という感情が生まれ、

「わかった。じゃあこれからも仲の良い友達でいよう。でも俺はいつまでも待ってるから…もし気が変わったら…」

といった風の台詞を残して、今まで通りの関係に戻るのである。

 何度かこういった話が噂として聞こえてきた。平沼君が彼女のことを色々と知っていたのは、ただ単に中学高校の六年間を一緒に過ごしたせいであり、特別に親しかったからではない。いわば僕らと同じレベルの付き合いだったのだが、知り合ってからの時が膨大だったことにより、彼女のいろんな面を見てきたせいである。

 僕らとつるむ時間も増えたが、駅前の植え込みのそばでしゃがんで人を見続けるという、彼女の特異な行動も以前と同じく行われていた。昔は一日中ずっとだったが、今でも毎日三時間以上はそうしている。これに対して、

「お前、なにやってんだ?」

と、駅前を通りかかった友人が話しかけると、彼女は決まって、

「人を見てるの!人を見るのっておもしろいんだよ。一緒にどう??」

と言うが、ご一緒すると、特に話もせずに本当にずっと人を見続けているだけなので、退屈さとその場の雰囲気に耐えられず、皆退散するのだった。従って駅前の植え込みにいる時はいつも彼女一人である。

 時が経つにつれて、僕は彼女に惹かれるようになった。男女としての付き合いが三割くらい、残りの七割は、なぜ彼女はこんなに変わってるんだ?なぜ毎日ファッションをくるくる変える?人間観察ってなんだ?その意味は?その目的は?といった、彼女に対する知的好奇心だった。


 先に結末を言ってしまったせいもあって、高川は大人しく話を聞いている。彼女ですら、梓の言動の意味が気になるらしい。


 梓のことを深く知るなら…当然、植え込みにいる時に話しかけたり、その様を観察するのが一番効率がいいだろう。二人っきりになれて、なにか話も聞けるかもしれない。

 夏期講習も始まり、まともな受験生ならそろそろ遊ぶのを止めて集中しないとやばくなるという時期のある日、ゲームセンターの二階の大窓から、植え込みのそばに彼女がいるのを確認して…彼女のところへ行った。

 今日の彼女の服装は、真っ白のワンピースにピンクの木製のサンダルと、これまた真っ白くて大きなつばの帽子、その帽子にはピンクの長いリボンが結んであり、余った端は風に揺れてヒラヒラしている。赤いランドセルはデフォのまま、毎日数時間も外に出ているためか、肌は少々日焼けしていた。彼女は僕を見るなり、

「あっぢぃ~~今日やばいねー、地面がじりじりしてるよ」

と、眉間にしわを寄せ舌を出して、手のひらで顔を仰ぎながら、ワンピースの胸元をパタパタさせている。僕は、

(丁度いいな、打ってつけだ…)

と思って、

「暑い。超暑い。ていうか、こんなにクソ暑いのにお前は外で何やってんだよ?自習室でも行こうぜ。涼しいし」

と、さりげなく彼女の目的を聞いてみる。回答はもちろんデフォルト通り。

「人を見てるんだよ。私、人を見るのが好きなの。自習室じゃなくてここにいない?暑いけど。滅茶苦茶」

と、本当に暑い暑いという表情でこっちを見る。…別にここで深く聞くのも変じゃないだろう。

「なんで人を見るのが好きなんだ?こんな暑い中で…何時間もやることじゃねーだろ」

彼女はうっすら微笑むと、

「人を見て考えるのが好きなの。面白くない?色んな人がいるんだよ。ここには!」

と言った。

「どこでも色んな人はいるよ。…でも、そんなに面白いなら僕も人を見てみようかな」

僕は彼女のことを知るため…、このクソ暑い世界の下、彼女と一緒に人を見ることにした。

「へっへ~~、きっとハマるよ~!」

彼女は「やった!」という表情で、植え込みのそばにしゃがみこむ。僕はすぐそばのコンクリの花壇の淵に腰掛けた。ちょうど右斜め上から、しゃがんだ彼女を見下ろす形になる。人を見出した彼女は、ほとんど話さない。こちらからの問いかけにもそっけなく答えるだけで、他の友人たちがこうしている彼女を放っておくのも無理もないと思った。

 数日間同じようなことを繰り返したが、そのうち彼女がいない間でもそこにいる機会を作り、彼女が何をしているのか、何が面白いのかを理解するため、彼女と同じく行き交う人を見続けた。そうしてると遠くから彼女がやってくる。

 今日の彼女の服装は、胸にantipas groupと書かれた白地のロックTシャツに、ベルボトムジーンズ、テンガロンハット…という相変わらず滅多に見ないような格好だ。両腕や首にはかなりの量のアクセサリが付いていて、動くたびにジャラジャラと音を立てている。もちろん黒い編み上げブーツと赤いランドセルはデフォルトのままだ。

「んん??緒山君、何やってるの??こんなに暑いのに」

彼女は微笑みながらそう言う。

「人を見てるんだよ。…人を見るのは楽しいんだ。良かったら一緒にどう?」

と笑いながら言うと、

「えー、どうしようかなぁ??なんか退屈そう………だからご一緒する!」

と、ニコニコしながら植え込みのそばにしゃがみこんだ。腰の辺りにもついている大量のアクセサリがジャラジャラと地面に当たる。


 それからさらに数日後を境目に、彼女との間にいくつか会話が出てくるようになった。

 今日の彼女は、真っ黒いタンクトップにいつもの赤いランドセルと編み上げブーツ、ブラックジーンズに、先日同様ブレスレットやネックレスを大量に付けたファッションで、まるで八十年代のロッカーか、バイク乗りという服装だ。

「ほら、あの人見て。あのおじさんスーツでしょ。昼にスーツで駅を歩いてるってことは…当然仕事中でしょ。旅行カバン持ってる…多分出張中ね。だから熊本の人じゃない。スーツはちょっと汚れてるし、ネクタイも少し曲がってるから、何泊かして帰るところかな。大荷物だったら送るだろうし…送らずに荷物を持ってるってことは二、三泊くらいかなぁ。指輪してるから結婚はしてるよね。こんな時間から帰るってことは、だいぶ遠方の人だと思うわ。飛行機使わないんだから、遠くても関東くらいね。暑さのせいかもしれないけど、不機嫌な感じ…。とぼとぼ歩いてるし、出張の成果はあまりなかったのかな。それとも家庭の問題かな?あのくらいの年代の人って大変そう。怪訝な評定して歩いてる人がほとんどなの。ちょっと早足なのは、電車に乗る為かなぁ?ちょうど特急が来る頃だし、そうだったら…やっぱり熊本の人じゃないなぁ」

そう言って、矢継ぎ早に続ける。俗に言うマシンガントークだ。

「人って言うのはね、心を外に映し出すものなの。そこにいるだけで心の情報を外に振りまいているわ。私はそれを汲み取って推測するのが好きなの。そこにいるだけでもたくさんの情報を振りまいてるんだから、面と向かって喋ったりしたらもう大変!ボロボロと自分の心をこぼしちゃう。当然、その人が知って欲しいと思ってれば、いっぱいいっぱい見えてくる。でも、逆に隠そうとすれば隠そうとするほどこぼれちゃうんだ」

「…じゃあ、どうすれば隠せるんだ?自分の気持ち」

「本気にならなければいい。人は本気になればなるほど、心の情報を外に振りまく。本気で嘘をつけばつくほど、その人の心情が見える。本気で行動すればするほど、外から心が見えやすくなるものだわ。当たり前だけど、九十九パーセントの人が普段から本気で生きているわ。どうでもいい事をしてる時、自分を偽る?偽らないでしょ?人は普段から正直にしているもの、本気で生きているものなの。都合が悪くなったり、自分が他人に心の情報を渡したくないと思ったときに嘘をつく。でも逆にそういう時こそ、危険を回避するために本気で必死になって嘘をついてるんだから、とてもわかりやすいんだ」

彼女は別にこちらを見ることもなく、しゃがんで背を向けたまま淡々と話す。

「本気でなかったらわかりにくい。例えば、薬やお酒で酔っ払ってる人は見えないわ。それが本気か嘘か、私にはわからない。お酒のせいで本音が出たのかもしれないし、酔った勢いで心にもないことを言ってるかもしれないしね。心に障害がある人や、認知症のお年寄りの人とかのことも見えないんだ。普通に一緒にお話してるようなんだけど…見えないんだ…。もちろん、わかる時もあるんだけど…。あ、じゃあ…」

彼女は台詞を中断すると、ほどよく遠くを歩く少年を控えめに指差して言った。

「じゃあ、あの子はどう見る?日焼けしてラケット背負ってるから、バトミントンでなくテニスよね。ジャージに熊本高校て書いてあるから、現役高校生でテニス部ね。夏休みだし、制服じゃないし、試合かなんかあるのかなぁ?でも一人で行って試合ってのはあまりないよね。ジャージ少し汚れてる…お昼だけど、もう帰るところかなぁ。家はどこだろう?学校を経由したとは限らないわ。熊本駅を利用するってことは、よほど遠いのね。ご苦労様だわ。表情が怪訝なのは暑さと疲れのせいねきっと」

予想、予測、推測、推理、空想、憶測、妄想…そう分類できるであろうことを、彼女はしゃべり続ける。彼女はその少年を五、六秒ほど見ただけだ。

「そうかもしれないけど…ほとんどが確認不可能じゃないか」

「そんなことないわよ~」

言うと、彼女はバッと立ち上がった。

「ね!ついてきて!早く!」

「???」

僕が戸惑って、

(なんだなんだ一体??)

と、思ってる隙に彼女は走り出す。かと思うと、五メーターほど先で急に立ち止まる。

「どうした?」

追いついて、彼女に話しかけると、彼女は額を押さえて、

「あ~やばい、立ち眩み…。ふふ…視界が真っ白だわ。倒れたら後よろしく!」

「なんだそりゃ、大丈夫か??」

「うー、意識が…」

と呟いて…十秒くらいたつや否や、

「戻った!!」

と言って走り出す。アクセサリがジャラジャラと音を立てる。駅の階段を翔け登って、駅構内の二階まで走る。それを遠く目にしながら、

「まったくもって変な女だ」

そう呟くと、僕も急いで彼女の後を追った。




[29581] 人間観察 編 vol.04
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/06 13:50
 二階に上がると、彼女は誰かと揉めているように見えた。ビュンビュン走っていたためエスカレーターを上がってきた人と衝突したらしい。小走りでそこまで行く。よく見るとぶつかった相手は、テニスラケットを背負った…先ほど見ていた少年だった。

「本当にごめんね、お姉さん急いでて…前見てなかったの」

少年は逆に申し訳なさそうに

「いえ、こちらこそぶつかってすいません」

と謝っている。

「あぁぁ、バトミントン?のラケット…かな?大丈夫?傷付いてない?」

「あ、テニスです。ぶつけてもないし、大丈夫だと思います」

わざと間違い、訂正させて回答させる。…上手いと思った。

「大丈夫だったらいいんだ、私もテニスやったことあるんだよ。難しいよねぇ。今日は試合かなんか?」

 彼女は少年とは目を合わせないで、自分の服装を直すような動作をしながら言う。とりあえずは自分の服装のことの方が大切だけども、自分のせいでぶつかったので、相手に気を使って相手に関する話題を振るという素振りをする。沈黙していては場が気まずくなるから、なにかしら喋らなくてはと思い、とっさにテニスの話題を振ったという感情を、焦った様子とともに表情に出しながら。……上手いと思った。

「いや、別に…ただの練習だったんすけど、ちょっと体調が優れなかったんで、早く帰らせてもらったんです」

「そっか、そんな時に…不注意でごめんね。家はどこ?近くだったらバイクで送るけど…」

バイクとか乗れるんかコイツ??と、心の中で呟きながらも、その服装と合わせてなんら違和感のない言葉である。家の大体の場所もわかるうえに、自然な流れでの質問だ。…上手いと思った。少年は彼女の言葉を遮って、

「いや、ちょっと当たっただけですし、平気です。家は八代で…少し距離あるんで…電車で帰ります。なんか気を使っていただいて…わざわざすみません」

「そっか、八代じゃ少し遠いかな。ごめんね、気をつけて帰ってね」

少年は一礼して、バッグから定期入れを出すと、改札の方へ小走りで去っていった。

「今のは結構当たりの方かな」

「…私の見方」

僕はただ…普通に感心して返答する。

「いや、たいしたもんだ。見方も聞き出し方も…なんというか自然だったし…ていうか、驚いた」

彼女は人差し指を立てて、得意げに話を始める。

「そんなに勢いよく当たったわけでもないのに、よろけて…その瞬間は怒った顔したの。だから体調が悪くて不機嫌だってのは本当だと見るわ。私がすぐに謝ったから、怒りも消えちゃったって感じ。もともと礼儀正しい子だと思う。家が八代で熊高てことは、かなりの高成績よ。それでいてスポーツまでやってるんだから、いいところのお家だと思うわ。擦れた感じもなかったし、言葉使いもしっかりしてるし、いわゆる優等生タイプね。それだけにプレッシャーもあるように感じたけど、疲れはそのせいもあるのかな。ラケットの可愛らしい感じのキーホルダー見た?バッグに付いてた…。あれってどうみてもプレゼントよねぇ。たぶん彼女さんか、彼を好きな女の子に貰ったんだと思うわ…。で、それバッグに付けてるってことは満更でもないってことよね!?新しかったし、青春真っ只中って感じ?」

彼女はそう言って、キャーと照れ笑いしながら頬を両手で押さえる。

「緒山君はどう見た?」

僕はただ呆けて傍観していただけで、何も見えていない。何もわからない。

「ていうかお前…、バイク乗れんの?」

彼女は僕の問いに答えず、とぼとぼと歩いて、下りのエスカレーターに乗った。下に着いて誰にと言うわけでもなく、ボソリと呟いた。

「わたしって……自転車も乗れないのよね」

そのままいつもの植え込みまで歩く、二人とも定位置に戻った。彼女の右上から言う。

「…練習しろ」


 数週間の間、彼女と似たようなことを繰り返した。彼女はたまに自分の見方が気になる人がいると、おじさんであろうが、お姉さんであろうが、子供であろうが構わずに、道を尋ねる振りをしたり、切符の値段を尋ねたり、いきなり目の前で倒れたり、知り合いと間違えた振りをしたり…、時には何の理由もなしに、唐突に話しかけたりもした。そうして自分の見方を確かめていたのだろうか。僕はただそれを見守るという感じの毎日が続いた。


 夏も終わりに差し掛かろうとしたある日、グループの中でも一際目立つ、プロレスラーのような体格を持つ九綱君に話しかけられた。なんでも彼は、進学校卒業ではあるが、ずいぶんと名の通った不良グループに属してたらしい。彼は僕に、

「緒山さんは、梓と付き合ってるんすかね?よく一緒にいますけど」

僕は笑いながら即座に返答する。もちろん彼も梓と面識はある。

「いやいや、付き合ってないし、そんな話もしたことない。ただ仲が良くてつるんでるだけなんだわ。本当に全然そんな関係じゃないよ」

僕がそう答えると、彼は改まって言う。

「いや、自分、梓にちょっと気があるんすけど、先輩と付き合ってるとかあったらアレなんで、一応話くらいはしとこうと思って確認しただけなんすよ。すんません」

不良というのは礼儀正しい。なにかと自分の考える筋を通して、物事にけじめをつける。彼が一浪目で年下で良かった、と思いつつ、

「梓と僕は…みんなと同じでただの友達だし、何も気にすることはないよ。なんて言えばいいのかわからないけど…、頑張ってね」

と、内心ビビってるのを悟られないようにしつつも、優しく相手の神経を逆撫でしない、かつ年上の立場を保てるであろう言葉をかける。

 心の中で思う。梓に恋すると大変だ…。今まで何人か…彼女に恋をした人を見てきたけど、つきあうことは不可能なんだ。彼女は誰に対しても、二人きりで遊ぶことやデートのお誘いにOKはくれる。とてもすんなりと。でも恋人関係やHは決して許さない。それは九綱君も僕も例外じゃない。今まで何人もの男が、同じ運命を辿ったことか。

東大合格間違いないという超成績優秀者も、バスケだかバレーだかで全国に名を馳せたようなスポーツマンも、流れるようにギターが弾けてインディーズデビューするから受験はやめるというバンドマンも、ものすごい男前な上に喧嘩が強いらしい元不良も…みんなダメだったという噂を聞いた。皆が皆、彼女との関係を、親友や恋人というレベルまで持っていくことは出来なかったそうだ。

「僕はどうだろう…?」

九綱君にはああいったものの、まったく恋心がないかというと、そうではない。日々二人で人を見ては話をすることを積み重ねた今、以前抱いていた彼女への思いは、恋心と知的好奇心が五分五分か、恋心が若干強いというものになっていることに気付いた。

「僕が告白したら…付き合ってくれたりするのだろうか。…そりゃ、デートくらいは受けてくれるだろう。デートは誰とでもしてるみたいだし」

九綱君と話をした日から、こうした思いが日に日に強くなっていった。


 …それから数日後くらいかな。その日、梓は透けるように白いシャツに、黒いネクタイ、黒いキュロット、頭にはシルクハットという出で立ちで現れた。もちろん編み上げブーツと赤いランドセルはデフォルトのままである。駅前の植え込み近くの定位置に、僕ら二人でいるのもいつも通り…。彼女は人を見ている。僕は彼女をデートに誘ってみようかと、ここ数日の間ずっと考えていて…言い出せてなかった。今もそのことばかり考えている。…しかし、今日は違った。人間誰しもなんか調子がいい日や、すんなりとしゃべれる日というものがあるものだ。僕にとっては、今日がちょうどそんな日だった。

 何の前置きもせずに、本当に唐突に、僕はいつもの定位置、彼女の右上…コンクリの花壇の淵に座ったままで、彼女に話しかけた。



[29581] 人間観察 編 vol.05
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/07 16:13
「ね……」

「うん、いいよ。いつにしようか?」

 彼女は、僕がしゃべり出した瞬間、本当に第一声を発した瞬間、こちらを振り向きもせずにこう言った。これは今でもはっきりと覚えている。僕は、

「ねぇ、梓、よかったら今度どこか遊びに行かない?…普段、土曜日とかは暇?」

と言うはずだった。が、それは遮られた。しかし、会話そのものは成立している。彼女は僕の問い掛けに返答している。まだこの世には存在していない、僕の心の中にだけある問い掛けに、彼女は返答した。面食らって、色んな考えと感情が頭を過ぎった。

(…そうか、彼女は駅前を通る人だけを見ていたわけじゃない…。僕も平沼君も、九綱君も他のグループの皆も…すべて見られていたんだ。…なんでこんな簡単なことに気付かなかったのだろう…。人の歩く様のみだけでも、その人の心情まで推理してしまう彼女だ…。これだけ一緒にいて、言葉も幾度となく交わした僕のことなど、完全にお見通しというわけだ。…ていうか、大体僕は彼女を見ていない。彼女を見てはいたが…彼女を見れてなかった。彼女の心の中は、何一つわかっていない……。っていうか、まずはこの場を収拾しなければ……)

焦っていたのは覚えているが…気が動転したのか、負けん気を起こしたのか、それは覚えていない。ハッと我に返り、彼女を認めまいとして、不思議な表情を作って…状況すべてを否定すべく返答をする。

「…ん?どうした?何を言ってる??」

「私、土曜日は空いてるよ」

彼女はまるでお構いなしといった感じで話を進める。…こいつ、曜日まで当ててきやがった。僕はさらにそれを否定する。

「土曜日?いったい何の話??僕はただ、そこを歩いているお婆さんの見方を…梓に尋ねたかっただけなんだけど…」

彼女はここで初めて、僕の方をを振り返った。その表情はいつも通り。薄っすらと笑って、首を傾げてこっちを見ている。

「なんだ~~!もう!私…全然間違っちゃった。あーもう!」

「な、何と勘違いしたんだ一体??」

 僕は冷や汗をかきながらも、できるだけ平静を装って、何事もなかった振りをした。しかし、そうしつつもたくさんのことを考えて、だんだん恐ろしくなってきた。人は基本的に、心の中を覗かれるのを嫌う。誰しも人に秘密にしておきたいことはあるし、知ってほしくないことがある。彼女と親しくなってしまえば、それはすべて見抜かれてしまう。…そう、すべてがだ。彼女は、

「私、てっきり緒山君が…えーと、その…、ほら…」

と、言いにくそうに・・もじもじしている。

 僕はこれだけ長い間彼女を見てきて、この時初めて彼女を見た。初めて本気で…彼女を推理した。こっちの行動と思いはすべてバレた。いや、すべてバレていた。それでいて彼女もこの場を収拾しようと動いている。僕が誤魔化したのを見抜いた上で…それに合わせてくれている…と、そう感じた。そう、彼女の今の台詞と態度は、この場を収拾させるための演技だ、…でも、もうこの演技に乗るしかない。…ていうか、今の僕が思っているこの思考からしてバレている。現在進行形で、僕は彼女に見られている。

(なんてこった…)

彼女は自分の感情を容易に隠すことが出来るし、僕は彼女ほど彼女を見ることが出来ない。逆に僕は感情を隠す術に長けていないうえに、彼女は僕を容易に見透かすことができる。現在進行形でこちらの考えが漏れている。…イヤだ。非常にイヤな気分だ。

「そういう時は、帰って休むといいよ…」

彼女は優しい表情と口調でそう言った。…冷や汗があふれる。

「なんか体調が悪そうに見えるよ、緒山君…」

僕はこれ以上何もしゃべれない…喋れば喋るほどボロが出て…見透かされる…。途端に恐ろしくなり、この場にいればいるほど、事態は悪くなり続けると考え、僕はろくに返答もせずにその場を立ち去った。…恋心などすべて塵のように一気に吹き飛んで…、あとには彼女を恐れる心と、彼女に負かされた、彼女に見透かされた…という気持ちが残った。
 そして、それ以来、彼女とは疎遠になった。


 「へ~~、不気味な女ね。不思議でもあるけど」

高川は、

「やっ」

と、買ったジュースを僕に放り投げる。

「いやー、生きてきてさー、あれほどなんと言うか…自分が考えてることを言い当てられたのは、後にも先にもないよ、ホント」

「人間観察恐るべしやな。ていうか、この帽子、気味が悪くなってきたんだけど!」

語尾を上げて、否定的に話すわりには付き返す素振りもない。

「まぁ、確かに…冒頭から言っている通り、変な女なんだわ。でも梓のファッションセンスは皆が認めたもんだし、その帽子は梓にも負けないファッションセンスの持ち主の高川さんにしか~、プレゼントできないね。ほんと、ある意味すごい賞賛の品だわ、それ」

彼女はデレデレして、

「えへへー」

という表情を満面に浮かべて、僕から目を逸らす。ホントわかりやすいなこの娘は…。梓と違って。

「まぁでもぶっちゃけ、千佳ちゃんの方が若いし、可愛いし、全然イケてるんだけどね」

これだけわざとらしい台詞でも、彼女は真っ赤になって照れながら上機嫌になる。

「あーもう、あんまりこっち見んといて。うざいからもうー!!」

彼女は恥ずかしさと照れのあまり、両手で顔を覆っているが、顔がニヤつきまくってるのがわかる。そうして顔をもっと赤くして指で前髪をくるくるといじっている。心と顔と動作がリンクしてやがる。…まぁ、普通は誰でもそうか。

「で、オチは?」

ジュースを飲み干して、彼女はそう言った。

「いや、だからこの話オチはないよ」

「じゃあ続き話せ」

「…はい」


 もう秋も半ばに差し掛かったかなという日、僕は平沼君と駅前を歩いていた。

「そう言えば…、九綱君、倉下に告白して振られたそうだぜ」

平沼君が言う。

「マジで?…あ、そういやあの人に相談っていうかさ。梓と付き合ってるのか?とか聞かれたことがあったよ」

「あれ、緒山、付き合ってた?」

「いや、全然。ただつるんでただけだよ。…あいつ、変わってるよなぁ」

平沼君は大笑いした。

「だしょ~、だから最初からそう言ってんじゃん。あいつは普通に話す分はいいんだけど、一線を越えて親密になるもんじゃないんだよ。緒山君も一時期親しげだったもんね、身に染みてわかったでしょ」

彼はまだ笑っている。

 例の一件からむこう、梓とはほとんどつるんでない。もちろん会えば普通に話すし、笑いもするが…駅前の植え込みのそばの定位置に行くことはなくなった。彼女は、今でも長時間に渡りそこにいる。そこで人を見続けている。…結局、彼女については何もわからず終いだったが、それは他の誰もが同じことだった。平沼君でさえ、今や彼女の思考については、僕よりも知らないだろう。たぶん…。

 あれから、僕も梓ほどではないが、人を見る…ようにしている。…幾分かは人が見えるようになった。その人の様子から、言動や思いを推理し、言葉の裏を探り、細かい行動の基点となる心を探ろうとする癖がついた。…それは、好奇心だとか、梓に負かされたという悔しさから来るものではなく、ただ単に自分の心の中のプライバシーを守りたいという自衛の心から来るものだった。…梓にはすべてがバレている。彼女を避けていることも、彼女を恐れていることも、そして…おそらく、僕がどれほど人のことを見えているのかということも…。

 彼女だったら、必要さえあれば…僕のことはいとも簡単に見透かせるだろう。今でも一度会うだけで…少し話すだけで、最新の僕の心を見透かせるはずだ。…なのに、こちらからは彼女の心を見透かすことはできない。 まるで起き抜けの寝ぼけた時に見る、深い霧がかかっている朝の風景のようだ…。彼女の存在は感じるのに、彼女の意図も感じるのに…、それが何かはっきりとわからないといった感じだった。

(…人を見る……か…)

現に今の平沼君の台詞も、かなりの情報を含んでいる。彼も先日の僕と同じくらい、梓と近くなった時期があったのだろう。経験からくる「身に染みて」だろう。梓に関しては、彼は僕の先輩であり…同類だ。賛辞と警告の感謝を込めて、

「まったくもって君の言うとおりだったよ。本当に身に染みた。変な奴で…まぁ、いい奴と言えば、いい奴なんだけどね」

と、言った。平沼君はまだ笑っている。今の言葉で…彼もまた、僕が見抜いたということを見抜いただろう。

 駅前の南側に差し掛かると、前からレアキャラが歩いてくる。ラ・サールの落ちこぼれの家森君だ。彼には夏前くらいから、大きな問題があった。彼は二浪目に入ってからは、三回ほどしか登校していない。家にもいないらしい。どこで何をやっているかは、僕の知るところではないが、三巻君や九綱君に聞くところによると、パチスロや麻雀にハマっては、友人勢に借金を重ねて、さらにギャンブルを行っているらしい。さらには会う度に、俺は空手の三段位を持っているだとか、ギターは十年やっていて、家にはヴィンテージのギブソンのレスポールが何本もあるだとか、入学時はラ・サールでもトップクラスの成績だっただとか、色々と前には聞いたこともないような大きいことを言う傾向にあった。特に一浪の人に対して、先輩風を吹かすかのように、そういう大ボラを吹いた。

 夏前くらいのある日、そういった大げさな話を聞くに堪えなくなって、三巻君や九綱君やその他のグループで中心的な存在になっている人たちが、彼を呼んで説教をしたのだった。



[29581] 人間観察 編 vol.06
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/08 13:00
 僕もその場にいた。はたから見れば、ちょっとしたいじめの現場に見えたかもしれない。しかし、内容はいたってシンプルで、

「ギャンブルは身を滅ぼすから程々にしろ」

「借りた金はちゃんと返せ」

「見え透いた嘘はつくな」

などといった、正当なものだった。

「空手三段だったら、今三巻と殴り合いやってみろ、三巻は中学から今まで空手やってて、全国の試合にも出たことがある経験者だが、それでも三段は持っていない。相手にとって不足はないし、三段を持ってるお前だったら、一方的に殴られることもないだろ?」

と、グループの中心的存在である山村君が言う。

「もちろん、どっちかが大怪我しそうになったり、危なくなったら止める。喧嘩じゃない」

と付け加える。三巻君が、

「よっしゃ来いッ」

とTシャツを脱ぎ捨て、ストレッチをしだすと、家森君は土下座して、
「ごめんなさい、嘘です。全部嘘です」

と言って謝った。

 こうしたことがあり、今でもグループ内で、多少煙たがられていた。だが、予備校生とはいえ、二十歳前後のいい大人である。その一件以来は、みな会えば普通に話すし、あいつはどうしようもない奴だとは口々言うものの、彼に対して表立って嫌がらせをしたり、文句を言う人はいなかった。お説教の前よりは、人付き合いはマシになっただろう。ラ・サール高校卒業は本当のことだし、昨年センターで七百超の点数を出したのも本当のことだ。

「生まれついてのエリートゆえ、高校時代に挫折したときに、大きく屈折してしまったんだろう。ある意味、可哀相なやつだ」

とは山村君の談だ。

「緒山君、平沼、おはよう、久しぶり!」

その一件は、数ヶ月前のことなので、家森君ももうギクシャクした感じは見せない。

「よぉ、ラサール、相変わらず余裕だな。今年は自信有りだな?」

僕がそう言うと、彼は、

「いや~、ダメだね。三浪街道まっしぐら」

と、笑いながらそう返す。

「ダメじゃん。先輩。気合入れろって!まだ間に合うから」

平沼君がすかさず突っ込む。

「いやいや、ダメだね。相変わらずパチスロやってるしね!スロットも受験も、勝ち目ないねぇ」

「ダメだって先輩。ていうか、借金返してしまったの?マジでやばいよ~スロットは~」

「とかこんなこと言っといて、センター七百以上普通に取るからなコイツは。ホント、嫌な奴だ」

今にして思うと、台詞には少々トゲがあるが、こういう口調が挨拶になるような間柄なのだ。言葉には裏もなく、みな会話を楽しんでいる。そこに誰かが、僕の後ろをドンと突き押した。

「やっほ~!!三人とも元気???」

「痛ったいな!!誰だ!ったく!?」

…梓だった。今日の彼女の服装は、薄いピンク色の中国の人民服のような上下、髪をアップにしている。もちろん編み上げブーツと赤いランドセルはいつも通りで、漆黒でストレートの黒髪も変わらないままだ。
「誰やねん。こいつ?」

家森君がボソボソと平沼君に耳打ちする。

「誰やねん。…て、なんで関西弁やねん!私のこと忘れたんかいな。しまいにゃおっこんでしっかし!!」

 相変わらずテンションは高い。もちろん、家森君と彼女は初めて話している。二人とも予備校へはほとんど来ていない…、会う筈もなかった。顔を合わせること自体、おそらくは初めてだろう。

「緒山君でしょ、沼ちゃんでしょ、う~~ん、あれれ?知らない誰かさん…?名前はなぁに?私はあずさ、倉下梓!」

「なんだこいつ…」

家森君は明らかに退いていた。僕はハッと我に返り、彼女を見た。…はっきり言って、ただのハイテンションのバカな女にしか見えない。彼女はこうしている今も、対象を見ているのだろうか…。平沼君が、

「はいはい…」

と、呆れ気味に紹介する。

「こっちは家森君、ラサール出の天才だけど…スロットにはまってる大バカさんだ。こっちは梓、俺の同級生で…あ~なんと言うか、ただのバカだ」

「…なにそれ!?…なんかムカつく紹介の仕方じゃん?沼ちゃんだけは私の味方だと思ってたのに!!」

彼女は両人差し指を口に入れ、左右に思いっきり広げて舌を出す。

「び~~~~~、ふーんだ!アホーー!!」

「変な女だ…」

家森君はストレートに本人の前で感想を言った。

「だろ?僕(俺)もそう思う」

僕と平沼君の台詞が被る。彼女は、

「ま、いいや。今日私、急ぎの用事があるの!三人ともまたね!!」

そう言って、瞬く間に市電の乗り場の方へと走り去っていく。

「超変な女だ」

家森君が彼女の評価を訂正する。

 僕らもそれに、うんうんと同意して頷いた。


 それからちょうど一週間。今度は予備校の階段で平沼君と一緒になった。

「よぉ緒山君、もう帰るところかい?」

「ああ。これ以上勉強するとどっかおかしくなっちまう。ミスドでお茶でも飲んで帰るよ」

「じゃあ、俺も帰ることにするよ」

「いいのかい?今追い込んどかないと、暮れに苦労するよ」

「まー、今日一日くらい大丈夫っしょ」

 連れ立ってミスタードーナツに入る。ここに来れば、いつもグループの中の誰かと会えるもんだが、今日はもう夕方も過ぎて、辺りも暗くなってることもあってか、誰もいない。みんなゲームセンターのほうへ移動したんだろう。平沼君がふと言う。

「そういや、こないだ家森君と梓会ったじゃん?あれから家森君大変らしいよ」

「たいふぇん??」

オールドファッションを食べながら返答する。

「おー、あの晩な、梓から電話がかかってきて、家森君の電話番号教えて欲しいって言うんだわ。別に男の番号だし…いいでしょって、何の考えなしに教えたのがダメだったんだな。それから家森君、梓に電話されっぱなしで、付きまとわれてるんだってよ」

「あのあじゅさが??そりゃふぇずりゃしいな。はれにへもほこかでいっしぇん引いふぇいるほにな。はいつは」

「…いや。何言ってるか全然わからん。…食べ終わってから話してよ。…そんで、家森君からさ、苦情と文句の電話がかかってきて大変だったよ。最近じゃ、夜の九時から朝の九時まで、文字通り一晩中電話してるらしい。かかってくるだけだから、電話代はかからないんだろうけど、そりゃもう怒ってたよ…。ったく俺、本当に悪いことしちゃったな」

 梓は自分から電話をかけることは滅多にない。用事があっても、なるべく会って話そうとする。誰かが彼女にかければ、時間の許す限りは喋ってるらしいが…。

「あの梓がねぇ…なんか、にわかには信じられない話だな。家森君の話だしな」

「でもメリットのない嘘だからな。俺はモテるんだぜって嘘?…でもないでしょ」

「だなぁ。初対面の時、本気で退いてたもんな」

グダグダと喋って、僕らはミスドを後にした。

「もし家森君に会うことがあったら、平沼が悪いことした、反省してたって伝えてよ」

「うん、わかった、言っておくよ」

 それ以来、駅前の植え込みのそばで、梓がしゃがんで人間観察をしている姿は見なくなった。



[29581] 人間観察 編 vol.07
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/09 20:20
 彼女は家森君と知り合ってからは、植え込みのそばには一切行ってないようだった。植え込みのそばにはいないが…、彼女を見る回数は一気に増えた。彼女は、ある日を境に、予備校に登校してくるようになった家森君と、いつも一緒にいた。

 彼女の今日の服装は、まるで喪服のように真っ黒なロングスカートとシャツである、ブレスレットやピアス、ネクタイまで黒い。たまにお洒落でかけている伊達メガネまで黒縁だ。いい加減…いちいち説明しなくてもわかるとは思うが、黒の編み上げブーツと、漆黒の髪はさらにブラックを統一させ、赤のランドセルのみ、黒以外の色で、点一色際立っていた。家森君とはいつも一緒で、片時も離れることがないという様子だった。僕や平沼君や他の皆と会えば、普通に話すが…、それも家森君がそこにいればの話で、彼がそこを立ち去ると、

「じゃあまたね!」

と言って、

「うきと~~待ってってば~!!」

と、家森君のそばまで走っていく。うきとは雨樹人、家森君の下の名前である。僕、そしておそらく平沼君も…この数日の間に、二人に何が起こったのか知りたいと思った。しかし、同時に…そこには立ち入ってはならないという予感もした。

「べったりだな。あれじゃ、家森君と話すことも出来ない。倉下に話しても何も話さんだろうしなぁ」

平沼君がそう言う。

「いいさ、二人の問題だし…僕らには関係ない。そして何より受験直前だぞ」

時は十一月末。センターまで一ヶ月半、私大受験まで二ヶ月半。受験生にとっては、人生を左右する…文字通り寝る間も惜しんで勉強する期間だ。

「夜に家森君に電話しても繋がらない。おそらく倉下と話してるんだろうが…まぁ、確かに俺らが関わることじゃないな」

平沼君はそう言った。

 ほど遠くに…黒の中の赤い点として、彼女の後姿が見える。…僕はその後姿を、いつまでも見据えていた。しかし、彼女の思想のほんの切れ端すら…読み取ることは出来なかった。


 数日後、少し遅れた昼食を取った後、予備校に行こうと駅前を歩いてると、家森君が現れた。後ろから走ってきたらしい。…梓は見当たらない。彼一人だ。彼は唐突に、

「緒山君、ちょっといいかな?」

と、息を切らしながら、焦った感じで問う。…彼の思惑が見える。…梓のことだ。梓のことで、何か僕に相談したいんだろう。…平沼君は自習室にいて捕まらなかった。彼女のことを相談するなら、僕か平沼君だと前から思っていたに違いない。…ここでやっとチャンスができたというわけか。梓のことを聞くチャンス…。

「別に…構わないけど、どうかしたか?」

「ここじゃまずい。電車に乗ろう。往復の切符代は出すし」

と言って、

「頼む。お願い。…まじで」

と、切符売り場の方へ…彼は立ち止まる暇も出さず、グイグイと僕を連行する。

 ずいぶん切羽詰ってるな、と思った。…知的好奇心はある。情報も欲しいと思い、僕は彼と銀水行きの普通列車に乗った。

「電車の中なら大丈夫だ…と思う。…あいつは異常だ。どこにいてもついてくるし、別れた瞬間に電話してくる。ミスドでトイレに行ってくると言って、窓から抜け出してきた。万札以外は…電話も、財布も、カバンも、持ち物全部テーブルに置いてきたから、電車に乗るまでくらいの時間は稼げたはずだ。君が通るのを見て、抜けてきたから…電車に乗るまでは二、三分しか経ってない。うまく撒けたはずだ…」

言いたいことだけ全部言ってもらって、後で疑問点をまとめて話すのが一番効率がいいな。僕は家森君の話に合わせて、しばらくはうんうん、と頷いていた。

 話を総合すると、


・梓は初めて会った日の晩に電話をかけてきて、それ以来ずっと付きまとわれている。

・梓は、夜は家に帰っているが、その間はほとんどの時間電話で話している。

・なぜか嘘がばれる、居留守もばれる、彼女の前ではまったく嘘がつけない。

・なぜ俺に対してだけこういう態度なのかわからない。尋ねても話をはぐらかして答えない。

・好きだから付き合ってくれと何度も言われたが、了承してない。

・最初こそ満更でもないと思ったが、今は恐ろしい。彼女も怖いが、九綱はもっと怖い。

・できることなら、彼女の相手を九綱にでも代わって欲しいくらいだ。

・彼女と離れたり、電話で俺の声を聞いていないと大泣きする。そうなると手が付けられない。

・いつも物凄い額のお金を持っている。駆け落ちしようとか何度も言われた。

・とにかく俺のことを聞いてくる、最初の数日間は一日十時間以上は質問攻めだ。

・気付いてみれば、俺自身はなにも彼女のことを知らない。


「あいつはいったい何者なんだ?俺と親密な関係になって、何がしたい??」

散々喋った後、吐き捨てるように彼は言った。そんなこと…はっきり言って、こっちが知りたい。

「いや、正直わからない。僕か平沼君が彼女について詳しいと思ったんだろうが、残念ながら、彼女について僕が知っていることと言えば、人間観察が趣味だから…感というか、推理が異常に鋭いということくらいだ。彼女の前では嘘がばれるというのは同意見だ。それに彼女については何もわからないというのは、僕らも同じなはず。…君なら身に染みてわかると思うけど…」

以前、平沼君に言われた言葉を引用する。家森君は変に納得した。そうだろう、そうだろう…梓のことを探れないのは、彼も同じに違いない。
僕は電車に揺られながら考える。はっきり言って、この接触や会話自体、彼女の予測の範囲内に違いない。家森君のこれだけ切羽詰った態度は、本気の中の本気だ。この彼の形相を見ていれば、いつか彼がどうにか逃げ出して、誰かに接触して相談するという予測なぞ、梓は当の昔に立てているはず。…彼女なら…あの時に、家森君に初めて会ったあの時に、僕か平沼君に接触すると予見していたとしても驚かない。ここでの会話ですら、大方の予測が付けられているだろう。…そして、相手が僕だと言うことも。彼女は今頃、予備校に行って、平沼君の所在と僕の不在を確認しているだろう。本気で家森君を捕まえたいのなら、僕に電話してくるはず。…泳がされてるな…きっと。ここは下手なことを言って、家森君に知恵を付けないほうがいい。彼女の目的がわからない限りは危険だ。係わり合いになるべきではない。…しかし、目の前で必死になっている家森君を放っておくのも気の毒な気が…。いや、僕では彼女を出し抜く…彼女を上回る手段を思いつけるとは、到底思えないな…。

 だが、ここで彼女と勝負したい気持ちが一気に吹き上がった。

「家森君は…このまま電車に乗っていって、どこか行く当てが無いか?高校は鹿児島だから、南だったらあったかもしれないけど…」

家森君は両手で抱えた頭を開放して、ジトリとこちらを見た。

「このままどこかへ逃げて、センターまで行方をくらませばあるいは…もちろん彼女が知る由もないところじゃないとダメだけど…」

「…長崎に叔父がいる。バレるかな?」

「なるべく遠い関係の方がいいな」

「遠い関係の親戚に、いきなり居候させてくれって言うのか?」
「仕方ないじゃん。金か心に余裕があんなら、カプセルホテルや野宿の方がいいんだけどね」

「あ、一つあった…お…」

家森君の顔がほころんで発した言葉、僕はそれを即座に制止する。

「わかるだろ?僕が行き先を知れば、明日の朝にでも彼女に見透かされる」

「…そうか、そ、そうだな…。なぁ、お前も一緒に逃げようぜ」

ようやく彼は笑顔を取り戻して、そう言った。

 電車はもう銀水に着こうとしている。普通電車なのに…随分話し込んだもんだ。

 電車はガタンガタンと揺れて、荒尾に着いて静かになった。小学生くらいの子供が数人乗り込んでくる。その子供を無意識に見てしまった。学校帰りの時間帯だ。でもランドセルは持ってない。学校にJRで通うのか?今日は平日…この時間帯に、荒尾から銀水行きの電車に乗るという子供達の状況を、僕は見透かすことが出来なかった。…梓なら言い当てるだろうか。

 まだ対抗策があるのか?と言いたげな表情をした家森君の顔が目に入る。…僕もいつの間にか随分と見えるようになったもんだ。僕は答えた。

「…無茶言うな。もう何もないよ」

家森君は、驚いた表情をして言った。

「いまお前、梓みたいだったぞ。…やめろや、びっくりするじゃねぇか!」

…イヤなことを言われてしまった。

 銀水で彼と別れる。彼の表情は明るく、笑顔で僕に礼を言う。察するに、かなり適切な行き先があるのだろう。僕は彼と別れて、そのまま銀水出の電車に乗ろうとして気付いた。

「……ちぇっ、帰りの電車代貰うの忘れた。…ったく」


 予想通りだ。次の日の朝、予備校の一時限目が始まる前に、教室で僕は梓に捕まった。

 今日の彼女の服装は、毎度お馴染み編み上げブーツと、今は教室の端に置いてある赤いランドセル、黒に黄色のラインが入ったアディダスのダボダボのジャージの上下に、金の太いアクセサリを腕や首に着けている。青黒の帽子もアディダスだ。詳しくは知らないが、ヒップホップとかラップをやってる黒人さんみたいな格好…といった感じだろうか。彼女は僕を見るなり駆けてきて、僕の胸倉を掴んで、目を見開いてこう言った。

「雨樹人はどこ!!!??」

…まるで喧嘩が始まりそうだ。他の予備校生の注目の的になっている。



[29581] 人間観察 編 vol.08
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/10 09:38
(…ったく、恥ずかしいな)

と思って、彼女を見る。彼女は何も偽っていない。本気で僕を問い質す裏表のない台詞…。彼女が言っていた見抜きやすい本気の姿…それがそこにはある。だが、彼女は見ている。僕を観察している。そこまでわかるようになった自分をクスリと笑った。

「何がおかしいの?」

 少々落ち着いて彼女はそう言った。こっちの目立つのが嫌だという意図を見透かした。さらに自分が見られて、心を読まれたのではないかという予測を立てたからか、彼女は十秒も立たないうちに冷静さを取り戻した。こうなってしまえば、僕が彼女に勝る要素は一つも無くなる。

「昨日…銀水行きの電車に乗って、銀水で別れた。その後、彼がどこへ行ったかは知らない」

僕は必要最低限の言葉を発した。嘘ではないから表情に違和感はないはずだ。いや、あったとしても、彼女なら今の台詞と表情から真偽はおろか、昨日何があったかを読み取り、すでにどうすれば家森君に会えるかを考えているだろう。

 彼女は振り返って、教室の端に置いてあるった赤いランドセルを持って、一番後ろの席に座った。すぐに教室を出て行くだろうと思った僕にとって、それは意外な行動だった。そして、

「あなた達に迷惑かけてごめん…、でもこれが私なの。私の人生なの」

と、泣きそうに…震える小声でボソっと言って、テキストを机の上に広げる。

 僕は瞬間彼女を見た。やはり…何も見えない…。そしてその次の瞬間、どう足掻いても僕の得になるような事は起こらないと判断して、即座に彼女を見るのを止めた。

一時間半の講義が終わり…チラリと後ろを見ると、彼女はすでにいなかった。おそらく彼女は…僕を後ろからずっと見ていただろう。そして、僕が持っている大方の情報を見抜いたか、若しくはなにかしらの手段を思いついて、予備校を後にした…そのどちらかだろう。

 僕が家森君に知恵を付けたこと、家森君が知る限りの彼女の情報を僕が持っていること、センターの前後まで行方をくらましていること…できれば、これらを知られたくないために正直に電車と銀水のことを言ったのだが…どこまで見抜かれたかを、あの時の彼女の表情から見ることはできなかった。見ようとすれば、かえって藪蛇になっただろうし、そうでなくとも見る自信はなかった。最初から教室にいた平沼君が話しかけてくる。

「一体、あいつどうしたんだい?大丈夫か?」

僕は無表情で答えた。

「家森君と会えなくてイラついているんだろ。…彼、遠くへ逃げたんだ」

「そりゃ、梓…逆上するな」

彼は納得した感じでそう言って、二時限目の教室へ向かった。


 それからしばらく経って、街がクリスマス一色になったある日、僕は九綱君に呼び出された。ゲームセンターの二階である。今や僕は…こういうわかりやすい人の行動は、手に取るように見えるようになっていた。梓と家森君の件で情報が欲しいのだろう。

(わかりやすいな。彼は…)

と、思ってゲームセンターの二階に行くと、案の定、

「わざわざ呼び出してすんません。用事ってわけでもないんですけど、先輩って、梓と家森さんのことなんか知ってますか?ちょっと前からべったりつるんでて…梓は周囲には付き合ってるって、言ってるみたいなんすけど」

と、彼は苛立たしい様子で、僕に問いかけた。

 あれから家森君の姿はもちろん、梓の姿も見ない。なんの情報も入って来てないし、どうなってるのか、皆目見当もつかない。梓が必死で探しまわっているか、すでに見つけて二人でどこかにいる可能性だって十分考えられる。…別にいちいち九綱君にすべて話す必要はない。

「いや、知らない。梓が付き合ってるって言いふらしていること自体、初めて聞いたよ」

「ちょっと…自分、梓や家森と話したいとか思ってるんですけど、そうしても別に先輩はどうもないっすよね?」

「僕は第三者だし、関係ない…冷たい言い方をするわけじゃないけど、好きにすればいいよ」

「三巻さんも山村さんもそう言ってました。俺は前に梓に…特定の人と、男女の付き合いはしないと心に固く決めてるって言われたんすよ。こっちも遊びで惚れてるわけじゃないんで…、とりあえず説明くらいしてもらっても、バチ当たらないっしょ?」

そう言って、

「とりあえず近日呼び出すつもりなんで。一応、緒山さんには話通しとこうと思って」

と続けた。僕は、

「うん、後悔しないようにすればいい」

と答える。…知的好奇心がないわけではない。どうなるのか見てみたいという気持ちと、関わるとロクな目に合わないな、という気持ちで半々だった。九綱君が梓に絡んでどうなるのかなんてまるで読めない。後日、平沼君に軽く話すと、

「いや~、それは係わり合いになりたくないねぇ。この切羽詰まった時期に」

と、笑いながら言っていた。彼は東京の有名私大を受けるから、センターの受験予定はない。センター組より余裕があるはずの彼でもこの発言だ。それが賢いのだろう。確かに関わってもなんの得もない。ただの厄介ごとにすぎない。

 数日後の晩、九綱君から電話がかかってきた。

「例の日、今月の二十七日っすから。梓を呼び出しました。ゲーセンの二階っす。講義も年内最後なんで、キリもいいかと思って。面倒ごとと気持ちの整理は全部片付けてから、新年迎えたいですしねぇ」
彼は笑いながらそう言った。

「先輩も梓に言いたい事とかないっすか?ぜんぜん居て構わないんで、よかったら来てくださいよ」

「気分次第かな…勉強が手につかないようだったら行くかなぁ」

「先輩、三浪でもいいじゃないっすか、俺と一緒に来年も遊びましょうよ」

「…馬鹿言うな。人生かかっとる」

と、反射的に言って口をつぐんだ。あぶねー、電話の相手は九綱君だぞ。言葉には気をつけなくちゃ。ブン殴られちまうよ。その後は言葉に注意して、煽てつつも先輩としての立場は守って…電話を切ったのだった。


 「あんたよう喋んなぁ~~関心するわ」

自分で話せつっといてこれだ…。

「自分で話せつっといてこれだ…ったくお前は…」

高川の前では気持ちを偽らない。梓とは正反対の意味で、気持ちを偽る必要がない。…人間関係とはこうありたいものだ。人間正直が一番、変な見栄も意地もはらないし、偽らない。これが一番だ。こういう人間関係が周囲と築ければ、きっと幸せを感じるだろう。

(梓…、お前は今どこでどうしている?幸せになっているのか?)

と、心に思うと、すかさず高川がニンマリ笑って突っ込む。

「あんたいま、その女のことと当時の思い出振り返って、思い耽ってたでしょ」

…こんなパッパラ娘に見られるとは…あいも変わらず、僕はガードが緩いなぁ。こりゃ、今でも梓には会えないな…と思う。

「今のところ七十点!!!」

「はぁ??」

またこのパッパラ娘は何を言い出した?

「話長いけど、そこそこおもろい。これでオチがおもろかったら九十点あげるょ!」

彼女はパラパラっぽいヘンな踊りを踊りながら話の続きを迫る。この娘はたまに意味もなく踊り出す。

「あのなぁ、お前は何度いったらわかるんだ??この話にオチはないって言ってるじゃんか」


 十二月二十七日。ここまで試験までの期日が迫ると、予備校の雰囲気も大きく変わる。自習室や講義室には人が溢れ、皆が真剣な眼差しで勉学に励む。最後の追い込みをしている人と、最後の足掻きをしている人に分かれる。

 今年の一浪の代で最も可愛いと言われる、熊高卒の朱里ちゃんも、いつもより十倍は真剣な眼差しで、自習に取り組んでいた。天地がひっくり返るほど可愛いみんなのアイドルである彼女を一目見ようと、自習室に行く取り巻き勢も、彼女の真剣な態度に触発されて勉強し始めるほど、受験生の勉学の様相が激しい時期である。

平沼はそこで勉強していた。が、緒山、倉下、家森、三巻、山村、九綱の姿はなかった。…まぁ、全員普段からたまにしか居ない。それでも、倉下と九綱以外の二浪メンバーは、去年の今頃はここで必死になっていたものだが…と思って、細身で長身、分厚いメガネをかけた自習室の監督は溜息をついた。

 彼は、数十年間に渡ってここで受験生を見続けてきた。…若者はいい。夢と希望から創られる明るい前途がある。願わくば皆が納得いく結末になるといいんだが…。

「…だが、そうはいかんのが、受験というものなんだな」




[29581] 人間観察 編 vol.09
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/11 11:23
 当時、ゲームセンターでは、スパイクアウトという四人で協力プレイして遊ぶゲームが流行っていた。そこでは、僕と山村君、三巻君が遊んでいた。

「緒山ちゃん、余裕じゃん?この時期にゲームとか」

山村君が言った。彼とは中学生の同級生で、高校に入ってからも幾度となく遊んでいたこともあり、今でもかなり親しい仲だ。

「君も人のこと言えないでしょ」

「まぁ、いまさらじたばたしたって変わらないしね。あとは運を天に任せてって感じかな。…三巻、なに死んでんだよ?」

「…今日はいかん。なんか調子悪い」

 三巻君はタバコを吹かしながら、ギャラリーになる。九綱君は、落ち着かない感じで辺りをウロウロしている。他にもグループの人間は何人もいた。梓とのやり取りを見に来た人もいれば、梓にふられた人もいる。何も知らずにただ遊んでいる人もいる。

 そんな中、彼女は一段飛ばし&スキップ気味で、階段を昇ってきた。特に変わった様子もない。テンションは若干低めだと感じたが、それもあえて言えばというレベルで、言わば普段どおりだ。

 今日の彼女の服装は、キラキラのラメの入ったサンダルに、細身のジーンズ、アルファベットの豪華なロゴが入った白いシャツに、茶色の毛皮のごついコートを着ている。アクセサリーも多く、サングラスをかけている。これまで愛用し続けていた赤いランドセルは見当たらないし、編み上げブーツも履いてない。いわゆるギャルと呼べるであろう格好で、頭にはピンクのスヌーピーのキャップを浅く被ってた。漆黒の髪と色白の肌は健在で、それだけはギャルっぽい服装とギャップがあった。

 僕と九綱君は緊張してただろう。固唾を呑んだ。彼女の表情は、キャップとサングラスのせいでよく見えない。トレードマークの赤いランドセルがないため、ひょっとして人違いかとも思ったが、その場にいる全員が、なぜか彼女を倉下梓だと判断した。場の雰囲気が、彼女を梓だと主張したからだった。

 一瞬場は沈黙した…が、沈黙を破って、第一声を発したのは意外な人物だった。

「ははっ、おめー絶対胸そんなに大きくねーだろ!??」

笑いながら、彼女にそう言ったのは三巻君だった。

彼女はサングラスをパッと外して言う。

「し、失礼じゃんっ!!成長期なの!!最近Cカップになったの!!!」

三巻君は返す刀で、

「ねーよ、それはねーよ。元はAくらいだろが。何詰めてんだよ」

と、笑いながら言う。梓は、

「はぁぁ!!???Bありましたーー!!高校の時からBありますぅぅ~~!!」

と、眉間にしわを寄せて、三巻君に詰め寄る。彼は、

「ぶはははは」

と笑いながら、スパイクの台に百円玉を投入した。

「…ったく、久しぶりに会ったってのに何よ!超失礼じゃない!? ねぇ九綱くん!??」

と、九綱君に話題をふる。僕と山村君は、ゲームしながらも少し聞き耳を立てた。

「いやいや、お前の胸なんかどうでもいいから」

彼も笑いながらそう言ったが、笑いは演技だろう。もちろん彼女が見逃すはずもない。

「調子いい時は本当にBカップなんだから…、なんだったら今度目の前で測ってみせるわよっ!!」

彼女はまだプンプンとしている。

「本題に入るぜ」

九綱君はそう言って続けた。

「家森について話して欲しい」

「…別に、あなたたちに話さなきゃいけない理由なんてないじゃん。私のプライベートなことじゃない?」

こっちのプライベートを散々見ておいてそれはないだろう…と思ったが、彼女は誰のプライベートも聞きたがってないし、聞いてもいない。彼女は人のプライベートを、自ら組み立てることができるのだ。…しかもとても正確に。

「俺が言いたいことは一つしかない。お前は俺に、誰とも付き合うつもりはない。一人の男には縛られないとか言ってたよな。それが家森とはどうだ?…説明くらいしてくれてもいいと思うんだが。家森とは付き合ってんのか?」

彼女にふられた人を初め、そこにいる全員がそれぞれの事をしながらも、聞き耳を立てる。ただ三巻君だけが本当に、我関せずとゲームに興じていた。

「わっかんないなぁ~~?そんなの知ってどうすんの?あなたたちが聞いてもつまんないよ。私と雨樹人の話なんて」

彼女は悪びれた様子もなく、冷たく言い放った。

「つまらないかどうかは聞いた側が判断する。いいから話せよ」

 女だろうと殴りかねないという表情だ。拳は固く握られ震えている。九綱君からは怒りが溢れている。家森君…あの嘘つきで、皆に迷惑をかけたラ・サールの落ちこぼれ…。九綱君が最も情けない人間だと、嫌いだと思う人間を、自分の最愛の女性が選んだ。それは怒り狂うだろう。自らにも家森君にも、そして梓にも。意思が強い人としてのプライドもあっただろう。また、こんな状況にもかかわらず、家森君を下の名前で親密に呼ぶ彼女の態度にも、彼は苛立たされていたに違いない。

「おい、あいつキレたら止めてやれや、三巻」

山村君が三巻君に小声で言う。

「キレたらて、おまえな、…俺じゃあいつ止められんよ」

「マジですか…。あずさちゃん、ピーンチ」

山村君は小声でそう囁く。ゲームの音や有線の音が入り乱れるゲームセンターの中だ。小声はおろか、普通の声ですら注意しないと聞こえない。…が、梓は山村君を見ながらこう言った。

「いやぁん~~なんか梓ちゃん大ピンチって感じ!??」

山村君は少々驚いた表情をしたが、すぐに薄っすら笑いながらスパイクに戻った。僕は我関せずの態度を終始貫いているつもりだが…彼女の瞳にどう移っているかは定かではない。彼女とはまだ目を合わせていない。

「う~~ん、私…自分の話するのって好きじゃない。正直嫌いなんだけど…ていうか、私のこと…そんなに知りたいんなら、私に聞くんじゃなくて、与えられた情報を基にしてさ、自分で知って欲しいワ。自力で悟って欲しいの。…でもそれって、あなたたちは無理なんでしょ?できたらそうしてるもんね。そっちの方が断然楽だもの」

「…………そこまで知りたいんなら教えてあげるワ」

彼女はハァ…と軽く溜息をつきながら、手すりにもたれていた体を解放して、こちらに近づいてきた。

「九綱君? あなた、私を好きだって言ったとき、自分の身に何が起こったって言った?」

「……」

九綱君は黙ったままだ。ただ怒りは幾分か収まり、彼女の話に耳を傾けているように見える。

「雷が身に落ちたように…私を好きになったって言ったよね??それが一目惚れだって」

言って…続ける。

「…私の場合それが雨樹人なの」

 彼女は薄っすら微笑んで、九綱君のすぐそばでそう言った。手を出せば拳が当たる距離。緊張感が一気に走る。三巻君ですら、固唾を呑んでその場を見ていた。

 少しの躊躇もせずに彼女は接近した。…近い。…本当に近い。彼女は九綱君の両頬を両手のひらで優しく包むと、静かで優しげな声でこう言った。

「あなたは経験したでしょう?だから解る。私の気持ちが…。あなたの身に起こったこととオナジコトが私の身に起こった。あなたは身を退かない。決して私から身を退かない。…私も同じ。決して雨樹人から身を退かない」

 オナジコト…そこで僕は彼女を見た。言葉の節に違和感があった。彼女が見えた。その一瞬、一瞬の表情の違和感も感じ取り、僕は初めて…おそらくは最初で最後になるだろう、彼女を確実に見透かせた。…それは嘘だ。今のは嘘だ。

「…それは嘘だ。今のは嘘だ」

一瞬のゲームセンターのBGMの継ぎ間にタイミングが合い、思ったよりも声が響く。

梓も九綱君も…そこにいるグループ全員の目線が…僕に注がれる。

「あ…うーん、今、僕ちょっと声大きすぎたかな?」


「あんたって、ほんまアホやな?」

真剣に話を聞き入っていた高川が、我慢できず突っ込む。

「もう、ホント…、つい口に出てしまってん。本当にキレイに見えたもんだからさ」

「あんた、なんかたまに滅茶苦茶間ぁ悪い時あるもんなぁ」

「せやねん、仕事でもあんねん。たまにやねんけどな…。あっ、そう言えばこないだな…」

「いやえぇから、取りあえずこの話最後までして。仕事の話はまた聞くから」

と言うと、高川は滅多に出ない真剣な眼差しモードの表情になった。



[29581] 人間観察 編 vol.10
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/12 11:35
 梓はまた溜息をついた。

「ハァ…、そっか…緒山君いたんだっけか」

と言いながら、一瞬視線を宙に移して…すぐに九綱君へと戻す。

「でも、あなた…納得したでしょ?そして解ったでしょ?どう頑張っても、この状況は変わらないってことが。もうゲームオーバーなのよ」

と言って、今度はこっちの方を見る。山村君も三巻君も僕も、彼女が九綱君に近づいた辺りからゲームを放ってしまっていたため、ゲームオーバーになってしまっていた。

「このバカチン、早よ言えや」

山村君が梓に突っ込む。

 九綱君は納得してしまっていた。彼は、自分自身の中で絶大であった…他の何者にも障られない、自らの気持ちと同質のものに敵対していると気付いたのだ。その比類なき硬質の気持ちは、決して破壊できない。自らのそれが破壊されないのと同じこと。いや、たとえ破壊できたとしても、そこに何が残るのか?悲しみと苦しみが残るだけで、得られるものは何一つない。彼は頭が切れ、理解が早い人間である。梓の言葉を理解して、もうどうしようもないと悟った。すんなりと自覚した。

 …九綱君は、僕が見抜けた彼女の嘘を見抜けていない。いや、彼だけではない。そこにいる皆が見抜けていない。僕はどうすべきだろうか。彼女と話をするのか。このまま傍観するのか…。

(どうする……?)

 彼女はサングラスを手にして、その場を立ち去ろうと、階段の方へ向かう。…僕は梓を後ろから呼び止めた。

「…梓」

 呼び止めてしまった…。彼女はピタリと足を止める。まだ疑問がある。…最大の疑問だ。それを聞かずにこのまま別れるわけにはいかない。至って真剣に、僕は彼女に問う。

「最後にいいかな?」

 僕は彼女と勝負をする。心の読み合い。単純にただの勝負を。彼女は言っていた。知りたいのなら、当人に聞くのではなく、与えられた情報を基に自分で知って欲しい、悟って欲しいと。…彼女は片足を少し上げると、トンと降ろして、くるりとその場で回転して振り返った。

「なぁに?緒山君?私と勝負事でもするつもり?」

 いきなり手痛いジャブだ。思いっきり喰らってしまった。彼女はあくまで冷静沈着。調子も良いと見える。ガードしていては…勝ち目は万に一つもない。

「教えて欲しい。家森君に何を見た?」

一目惚れは嘘だ。その嘘を僕は見破った。彼女はもう嘘は吐けない。演技はできない。どう出る?倉下梓…。

彼女は眉一つ動かさず、僕の目を一直線に見ている。少々の間をおいて…彼女はその小さな口を開いた。

「女の子の心は…海より深いものなの。それは深くて、深くて、深くて、深くて、遠くにある…男性には到底見ることが出来ないもの…」

言って、

「特に私の心はネ」

そう付け足した。

彼女の台詞に嘘はない。だが情報は入ってきていない。…はぐらかされた。もう一つの大きな疑問…。場の空気のプレッシャーに耐えられなくなり、それを口にする。

「お前の目的はなんだ?これからお前はどうなる?」

今度は、彼女は即答した。

「あなたは私を見ることは出来ない。あなたでは私を知ることは出来ない」

 完敗…か。なぜか今は…もう表情が読めない。まるで見えない。演技なのか本当なのかすらわからない。

(彼女…ここにきてもう一つレベルを上げた!?)

と、思うくらい…何もわからなくなった。

(やはり・・初めから勝ち目などなかったか)

と思えてくる。

(・…九綱君と話した際に見せた、明らかな演技すら計算されたものだったのではないか…、僕か誰かが見抜けるかどうかを試したものだったのではないか…)

と、疑わしくなってきたと同時に、たくさんの細かい問いが頭を過ぎった…。

(梓、お前はなんでそうファッションに統一性が無いんだ?)

(梓、あんなにコロコロと服装は変えていたのに、なぜ赤いランドセルだけは変えないんだよ?)

(梓、そんでそのトレードマークのランドセル…、なんで今日に限って持ってねーんだよ!)

(梓、今時の女の子は誰でも茶髪にしてるぜ。なんでお前は真っ黒なんだよ)

(梓、お前、受験はどうするんだ?どこ受ける?一応受験生だろが)

(梓、お前は普段なにしてんだ?ていうか、逃げた雨樹人と再会したのか?)

(梓、お前は今何を思っている?何を考えている?)

 そう思い終わった瞬間に、梓は階段の方向とは逆、つまり僕らがいる方へ、ゆっくりと歩いてきた。…ゆっくり…ゆっくりと。そして、僕らの間を通る。本当にゆっくり。僕と擦れ違う瞬間、彼女は僕の耳元近くにまで顔を近づけて、そっと呟いた。

「そんなにいっぱい悩まれても…いちいち答えてられないわ」

彼女はそのまま、ゆっくりと僕らの間を通り過ぎると、振り向くことも立ち止まることもなく、二階の出口から出て行った。僕はその後姿を目を皿のようにして見た。だが、何も見ることは出来なかった。何も知ることは出来なかった。何一つわかることは無かった。

 三巻君がスパイクに百円玉を投入すると、山村君が中指を立てた。

「はいはい~、九綱の失恋残念でした飲み会兼忘年会に来る人、この指止まれ~~」

と言いつつ、三巻君に続いて百円玉を投入する。

「時間は九時からね。で、九時まで」

「オールかよ。受験生に優しくねぇな」

三巻君が突っ込む。

ゲームをしている三巻君と、その場に突っ立っている九綱君と、呆けている僕以外は、みんな山村君の指をつかんで賛同した。

 ゲームセンターの二階出口は駅構内に繋がっている。そこから出てしばらく進むと、エスカレーターのところに出る。いつぞやか、彼女が少年にぶつかって話をしていた場所だ。そのエスカレーターを降りて少し進むと定位置がある。いつぞやの定位置だ。僕はゲームセンターの二階にある大窓へ走って行って外を見た。定位置を見た。外は雪が降っていて薄っすらと積もっている。植え込みのそば…彼女はいない。結局…ゲームセンターを出て行く後姿が、僕が彼女を見た最後の姿となった。

 それ以降、グループ内で彼女を見たものはいない。


「で、どうなったん?」

「いや、話これで終わり。マジで」

「オチないやん。複線も回収なしやん」

「いや、だから最初からオチないって言ってたやん」

「で、家森君てどうなったん?」

「あー、それが彼はね、その年のセンター受けたんよ。そんで、結果がえらい良くて、京大の医学部を受験したって聞いた。受かったかどうかは知らん」

「え、めっちゃ頭ええ子やん。その時、梓って女とは会ってんの?」

「う~ん、後日…受験とか全部終わった後、平沼君に聞いた話では、
会ってるみたいだったね。沼ちゃんはさすがに今も梓と付き合いあるんちゃうかな。幼馴染だしね。そんで、彼、家森君と会ったみたいなんだけど、彼は平沼君に、梓と付き合ってるって言ったらしい。でも、いつ家森君と再会したのかとか不明」

「ほんで、その梓の人間観察の目的ってなんだったん?」

「いやそれはもう本当に解らず終い…。こっちが教えて欲しいくらいだわ」

「…あと、可愛いみんなのアイドル朱里ちゃんてなんやねん!!???」

高川の声が荒くなる。

「朱里ちゃんはなぁ…僕の初恋の人なんや」

「はぁ、ふざけんな!!こんな帽子いらんわ!!」

そう言って、高川はピンクのキャップ、梓と会った最後の時に、彼女が被っていたキャップを地面に叩きつけた。

「どうせやったらそのアイドルが被ってたキャップ持ってこいや~~!!」

 一緒に人間観察をしてるとき、肩を叩けば振り向いてくれる距離に…梓はいた。最後に耳元で囁いたとき、ピンクのキャップのつばが僕の頭に触れるほど…彼女は近くにいた。でも今は遠い遠い場所にいる。住まいだけでなく心もそうだ。

 今にして思えば、彼女の動作一つ一つ、言動一つ一つに、彼女を理解できるヒントが隠されていたはずだ。彼女は自分を知って欲しいと言っていた。だが、僕が考える限り、彼女を理解できる人間、彼女を見ることができる人間は、そうそうはいないだろう。家森君はその数少ない人間だったのだろうか。僕には…いや、僕だけでなく、皆にとってもそうは見えなかったはずだ。・・・・僕は本当に何も見抜けなかった。あんなにそばにいて、話もしたってのに。

「っさんじゅって~~んっっっ!!!」

高川が僕の耳元で大声で叫ぶ。耳がキーンとする。…近所迷惑だろが。
「…っていうか点数低」

その後、僕は高川の機嫌を直すのにさんざん苦労した。なにが悲しゅうて、プレゼントあげて、一番だと褒めて、長い長い話して…、機嫌を損なわれなければいかんのか…。




[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.01
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/13 10:06
 小さい頃から…薄々と思ってはいたのだが、人にはオーラというものがある。雰囲気というか、印象というか、とにかくそんな感じのものだ。芸能人オーラとか。見れば一発で…こりゃ一般人ではないな、と思える極道の人とか。うまく口では言えないけれど、とても直感的というか、感覚的というか…、そんなもの。

 人間は、大なり小なり何かしらの雰囲気を放っているんだと思う。普通の人であれば何も雰囲気を放っていないというわけではない。普通の人は普通の雰囲気を放っているのだ。だから普通であると、その人は一般人であると判断できる。

 今、僕には意中の人がいる。同じ学校で、同じクラスになって友達になった。一度知り合ってからはすぐに仲良くなった。今ではまるで、何年も昔から友人だったような間柄だ。こうなってしまえば、恋心を抱くのはごく自然のことだろう。

 彼女…僕が好きな女の子はもちろん普通の人だ。普通のオーラを発していることが…多い。おそらくはただの一般人だ。だけど、何かどこかが違っている…と思うことが多々あった。例えて言えば、真っ白の絵の具にほんの一滴の墨を垂らして混ぜ込んだくらいのもので…、純白の一般人ではない…そんな違和感の存在がはっきりと感じられる。そう…、彼女はたまに、普通とは些細に違う空気感と雰囲気を生み出す時があるのだ。


 熊本は市内の中心部に位置する私立知恩高校。熊本県と言えば、まま田舎であるとの印象が強いが、九州では福岡県に次いでの大都市である。人口も年々増え、現在に及んでは政令指定都市になるのも近いと言われている。この知恩高校は高成績の進学校だとはお世辞にも言えない。しかし、普通科特別進学コース…三十五人編成のこのクラスだけは別だと言える。このクラスの平均成績は市内トップクラスの私立高校のそれと同じレベルにあった。

 僕、藤田正志は、県内トップの成績を誇る熊本高校や、他の私立高校の受験に失敗し、滑り止めとして受けた知恩高校特別進学コースに入学した。

 三十五人の人が集まれば、そこには色々な人間がいる。勉強熱心な人、街に繰り出して遊ぶのが好きな人、体を動かすのが好きな人、テレビゲームが好きな人、異性に興味がある人…。趣向だけの話ではない。内向的な人、人見知りしない人、話しやすい人、とっつきにくい人、一緒にいて自然な人、波長が合わない人、好きな人、嫌いな人…色んな人がいる。違いこそ人それぞれだ。十人十色とはよく言ったもんだ。

 僕はその人それぞれの違いを、その人の印象やオーラなどと表現できるようなものから読み取り、自分と波長が合うか合わないかを判断するのが得意だった。波長が合う人と合わない人、それぞれに適した付き合い方がある。これを円滑に行うことによって、人間関係がギクシャクしたりするのを防ぐことができる。

そして、空気。よく場の空気、場の雰囲気を読むと言うが…、これを感じ取るのも僕の得意業だ。僕は他人と自分とその場が織り成す空気感を、容易に敏感に感じ取ることが出来た。この生まれ持った特技のおかげで、僕は人間関係においてのトラブルは、まるで経験したことが無かった。お父さんは僕に何度となく、

「正志は世渡り上手だから感心するよ。俺はいつも会社で揉めてる。がははは」

と、お酒を飲みながらよく言っていた。


 四月某日。入学してから数日。半分くらいのクラスメイトの顔と名前が一致してきた頃、僕は彼女と初めて話した。

 その日の二時間目の英語の授業中、窓ガラスがカタカタと音を立てる。一番後ろの席に座っていた僕のすぐそばの窓だ。何の音だ?と思って見ると、一人の女子生徒が、鍵のところを指差して、

(あ~け~て~~~)

と、声は出さずに口を動かした。気づいた僕にニッコリ微笑んで、鍵を指差した右手を激しく前後させる。左手には学校指定のカバンを持っていた。

(…おいおい、今頃登校かよ。見たことあるな…。うちのクラスの人だけど、なんという名前だったかな??)

などと思い、彼女の仕草と笑顔に負けたからか、気の毒に思ったからか、焦ったからか…よくわからないが、僕は鍵を開けてやった。

 彼女は少しずつ…静かにばれないようにと、難しい顔で窓を開ける作業に集中した。そして先生が板書している隙に、窓から音もなく教室に入ってきたのだった。後ろの席の何人かの生徒が気づく。抜き足差し足忍び足の動作を行いながらも、

(し~~~~~)

と、人差し指を立て、

(お願い見逃して!!!)

と、言わんばかりの表情を作る。後ろの生徒がクスクスと笑うと、教室の雰囲気が変わる。ザワザワした瞬間に先生が振り向いて、彼女を見つけるのだった。

「おいっ!なんだお前は!!?」

「ひっっ、なんでもありません!!」

「なんでもないわけがあるか!どこの誰だ?」

「帯山中三年の倉下です!」

「??? なんで中学生がここにいる!その制服はどうした!?」

「あ、違う。ここのクラスなんです!出席番号は二十六番の…」

「倉下、お前は二十三番だろうが…」

彼女のすぐ横にいた男子生徒が、立て肘で明後日の方向を向いたまま、口を挟む。彼は、入学式の日に話した…平沼幸浩君だ。話しやすい性格だが、どこか人との付き合いに一線を引いている。外見は同じ年と思えないほど大人びていて、パーマでうねった髪はそこそこに長く、雰囲気は熱いロックミュージシャンって感じだ。身長も高く、百七十センチはゆうに超えているように見える。

「あわわわ、二十三番の倉下梓です。遅刻しました!ごめんなさい!!」

と、大きく体を九十度に曲げてお辞儀する。クラス中に笑いがドッと沸く。

 先生は出席簿で名前と出席を確認したあと、溜息をついて、

「わかった、いいから席に着いて教科書を開きなさい。黒川先生には言っておくからな!」

と言い、生徒を黙らせて授業を再開させた。

 彼女はここの生徒で、今は学校にいるから当然制服を着ている。制服はグレーのブレザーとスカート、白シャツというスタンダードなもの。胸には青くて細いリボンが添えられている。彼女の髪型はセミショートで、本当に真っ直ぐの直毛、髪の毛の色は透き通るような黒で、肌は白い。目は大きく、体型は痩せ型細身、身長は百五十センチちょっとという感じかな。ルックスは一見どこにでもいそうな感じではあるが、よく見ると各パーツが際立っていて、とても可愛いらしい女の子だ。第一印象は、普通の人、おっちょこちょい、お寝坊さんといったところ。僕とも波長が合う気がした。友達になれれば上手くやっていけると感じた。

 その日のお昼休み、平沼君と二人でいた彼女に話しかける。



[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.02
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/14 10:48
「やぁ、今朝は大変だったね。朝寝坊?」

「藤田君か。こいつは朝が弱いんだ。俺、中学も一緒だったんだけど…ほんといつもこんな調子さ」

平沼君は笑いながら言った。彼女は僕に目を合わせた。…この瞬間、ほんの一瞬なにかの違和感を感じた。その場の空気がかすかに揺れた気がした。次の瞬間、彼女は表情を変えて、

(……???)

といった感じで、少し呆けたような目で僕を見る。それに合わせて空気感も元に戻る。そしてすぐに、

「あ~~、さっきは鍵空けてくれてありがとう!!!も~中学の時は三回に二回は誤魔化せたもんなのよ!風の梓って言ってねぇ~、いつの間にかねぇ、ちゃ~んと席にいるの!!」

「まぁ、沼ちゃんが毎朝教室の後ろの扉の鍵を開けておいてくれてたおかげなんだけどね」

「この教室一階のくせに、ベランダが無いんだからっ!入るのに苦労するわよ!!沼ちゃんも鍵空けてくれてなかったし!!長い付き合いじゃない!私がいない時点で、鍵くらい開けときなさいよ!!!」

彼女は怒涛のマシンガントークをして、プンプンと口を膨らませ、怒ったような表情をする。

「…いや、また寝坊だなとは思ったけどさ。まさか窓から入ってくるとは思わなかった」

平沼君は呆れたように言う。

「じゃあ、今度からは僕が開けておいてあげるよ」

「藤田君、やっさしぃ~~!!!」

怒った表情から一転させて、上機嫌な笑顔になり、名乗ってもいない僕の名前を呼んだ。

「あれ、まだ名乗ってないのに…僕の名前??」

「え?だって初めの日に自己紹介したじゃん」

確かに自己紹介はしたけど…そんなの緊張もあって、半分すら覚えてない。

「こいつ、バカのくせにそういうことはすごい記憶力なんだ。中学の時なんて、全校生徒の顔と名前と性格をほぼ覚えてやがったからな。しかも先生のもだぜ。異常だろ?」

「全校生徒ってすごいなぁ!記憶力すごくいいんだ?実はIQ百八十とかあったりして」

僕がそう言うと、平沼君は、

「あー、でもこいつ高校受験まで曜日と月の英単語書けなかったよな。人の名前は大切だけど、最低限の受験単語くらい知っとけよ」

と、笑いながら言う。

「バカって言うな!!バカって!!しかもなに!??英単語ぉ?ちゃんと言えますぅ~~!!!マンデイサタデイチュ-ズデイ、ジャンニュアリーフェビュリュアリーマーチアイプリルジュライ!!!」

彼女は大声で捲し立てるが、突っ込みどころは多い…。ルックスからは大人しめの性格をイメージしたが…明るくてテンションがとても高い人だ、と思った。

「鍵は藤田君に頼むからいいもんねっ!ふ~~んだ!」

「いや、ていうかもう遅刻すんなよ」

平沼君の冷静な突っ込みに笑いが込み上がる。居心地が良かった。波長が合うってのはこの感覚のことだ。会ったばかりなのに不自然な感じがない。自然に話が出来る。この二人とは仲良くなれる、親友になれる予感がした。


 ゴールデンウィークも過ぎ、少し暖かくなってきたある日。クラスはすでに馴染んでいる。三十五人の人間が集まると、そこには二、三のグループの構図が見えるようになる。それに属さない人も数人はいるが、理由は様々である。単に人との接触が苦手なことによる、つまはじき者になっていることによる、部活の人や地元の友達と遊ぶのが主であることによる、わき目も振らず勉学に勤しんでいることによる…など、本当に理由は様々である。

 僕も沼ちゃんも梓ちゃんも、特にこれといったグループには属していない。いわば中立派といった立ち位置にいる。しかし、梓ちゃんだけは少し異質で、とにかく親しみやすくて人見知りしない性格のため、毎日少しずつ男友達が増える。今ではクラスの男子全員と話すし、特進コース以外にもたくさん友達が出来ている様子だ。この調子だと、卒業時には皆と友達になっていても全然おかしくない。沼ちゃんが言っていた中学校の生徒全員の名前を覚えていたというのは、この社交性の高さによるのかもしれない。その反面、女子と話している姿はそれほど見ない。誰かと話しているのは、きまって男子であった。でも、最も多くつるんでるのは僕と沼ちゃんの二人で、傍から見れば、この三人で一つの小さいグループに見えるかもしれない。それほどよく一緒にいてよく話した。

「だから、漢文の構図は英語の文体構図に似てるんだって。SVなになに、習ったでしょ?英語は主語があって述語があって、その後ろに細かい情報が出てくるようになってるじゃん。漢文も同じ構成なんだよ」

僕が声を張り上げると、

「本当だな。だったら簡単じゃん。漢文の単語覚えれば、白文でもだいたいは読めるじゃん。一、二点とかレ点がある分、もっと簡単」

沼ちゃんが同意する。肝心の梓ちゃんは、

「ちぃっとも簡単じゃないわよ!英語できない私はどうなるのさ!自動的に漢文もできないことになっちゃうじゃん!!やばい、やばいわ~。こんな調子じゃクラス落ちしちゃうわっ!」

と大変に嘆いている。

「あ、それ置き字だから読まないよ」

梓ちゃんが悩んでいるところを指摘して言うと、彼女は、

「なにさ!?ぉきじ!!?なにそれ???」

と、目を白黒とさせている。

「英単語の中にも発音しない文字が含まれてることがあるでしょ?pingpongのgとかさ。それと同じ。漢文の中にも読まない文字があるの」

「はぁ??なんで読まないものを入れる必要あんのよ!!法則も無いし、いちいち覚えろっての?こんな文字使ってる人頭どうかしてんじゃないの!??」

「これからは梓読みでピングポングて言うことにする!」

「世界はあたしに従いなさいっ!!」

梓ちゃんの頭はパンクしそうだ。

「それについては俺も同感だ。読まない文字なんて省けばいいじゃん」

沼ちゃんが冷静に同意する。

 ここ知恩高校特進コースは、一年通しての成績が芳しくないと、学年が上がる際に普通コースに格下げされてしまう。逆に成績が最も良い普通コースの生徒と入れ替わりになる。はっきり言って、特進コースと普通コースの成績には雲泥の差があり、前例は滅多に無いそうだが…数年に一度は、入れ替わりの例が実際あったそうだ。

「数年に一度出るバカになりたくなけりゃ…勉強しろ」

沼ちゃんが、厳しく言い放つ。

「ゔぅ~~~、もうやだぁ~~」

梓ちゃんは頭を抱えて、髪をわしゃわしゃする。まぁ誰しもが勉強の時、どうしても理解出来ないことに遭遇すると嫌になるし、ヒステリックにもなるもんだ。


 一緒に過ごす時間が増えるにつれて、淡い恋心が育つ。前々から自覚していたが、僕は梓ちゃんのことが好きらしい。それが決定的に自覚できたのは、ついこないだ…ついこないだの放課後のことだった。

 沼ちゃんは僕の予想通りバンドをやっているらしく、学校が終わればすぐに帰宅する。一人で楽器の練習をするか、スタジオでメンバーと練習するかのどちらかなのだろう。学校に居残っている姿はたまにしか見ない。僕も帰宅部だ。これと言って趣味が無い僕は、家に帰ってテレビを見て、夕食を食べて勉強するというパターンが多い。梓ちゃんも部活には所属していない。前に二人にクラブ活動の話をしたことがあったが、

「俺はバンドが忙しいから無理だなぁ」

「私、すごい運動音痴なのよねぇー…もう少し体が思い通りに動けば、部活だって楽しいんだろうけどなぁ…」

と、二人とも部活には興味が無い様子だった。

 梓ちゃんは放課後はいつも校舎の屋上に出て、日が沈むくらいまでそこに居る。つい最近放課後は屋上に行ってるなと気づいたのだが…そこで何をしてるのかはよくわからない。ただ、毎日結構な時間をそこで過ごしているので、何か明確な目的があるのだろう。だが、僕はそれを想像することは出来なかった。

 知恩高校の校舎は四階建てだがそう高さはない。屋上からグラウンドが見渡せる。放課後はそこでたくさんのクラブ活動の様子を目にすることが出来た。

野球、サッカー、ハンドボール、陸上、学校の先生やOBの監督さん、外部の指導者など、高校生以外の人も多くいるし、ここ知恩高校の周囲には軽く数えて十ほどの高校が乱立しているため、練習試合目的で他校の生徒も多く出入りする。つまり、放課後のグラウンドは、学内学外学生非学生問わず、様々な立場の人がそれぞれのことを行う場所になるわけだ。

 ゴールデンウィークに入る直前のある日、僕は放課後、梓ちゃんが屋上に行ったのを確認してから数十分後、屋上に行ってみた。その校舎…二号館の屋上は、誰でも行き来自由になっている。お昼休みも解放されており、昼食を屋上で取る生徒も多くいる。放課後も昼食時ほどでないにしろ、数人の生徒が遊んだり喋ったりして、授業から解放された一時を過ごしている。

「いたいた…」

梓ちゃんは一人で、手すりに両肘をかけて寄りかかり、グラウンドの方を眺めている。ちょうど出入り口の前にいるため、彼女の後姿が見える。放課後の屋上といういつもと違う空間のせいか、スカートや黒髪が風でなびいてる後姿のせいかはわからなかったが、何故かいつもと違う雰囲気を感じた。異質な空気感。…しかしそんなことはほんの些細なことだ。僕は、後ろからワッ!と梓ちゃんを驚かしてやろうと、抜き足、差し足、忍び足でソロソロと近づいた。



[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.03
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/15 11:56
 …一歩、一歩と静かに忍び寄る。しかし、距離はあと一メートルと少し…といったところで、梓ちゃんは急にクルリとこちらを振り向いた。

「わっ!!!」

梓ちゃんは振り向くや否や、急に大声で僕を脅かす。僕はあまりに意外すぎて…尻餅をついて倒れてしまった。とたんに彼女が駆け寄ってくる。

「ごめん!大丈夫??ちょっと驚かしてやろうって…軽い悪戯のつもりだったんだけど…」

梓ちゃんは心配した表情で僕に謝る。

「う、うん…大丈夫大丈夫。それにしても驚いたなぁ…僕が来るのわかったの?」

梓ちゃんは僕を立ち上がらせるため、僕の両腕を掴んでエィ!と引っ張って言った。

「うん。コソコソしてるネズミさんがいたから、返り討ちにしてやろうと思ったの!」

梓ちゃんは僕の無事を確認すると、すぐに意地悪な笑みを浮かべてそう言った。

「ネズミとは酷い言い草だ。ここで何をしてるんだい?放課後はいつもここに居るじゃないか」

僕は何気なく聞いたつもりだったが、何故かその場の空気が真剣な空気になった気がした。

(おかしいな…普段の会話と同じようなものなのに…。何が違う?)

「放課後のグラウンドって…色んな人いるじゃない?私はここで、その人たちを見てるんだ」

梓ちゃんはニッコリ微笑んでそう言った。

「あ~、うちの高校、スポーツは有名だもんな。でもスポーツ観戦するのなら…もっと近くで見ればいいのに。マネージャーになるとかさ」

梓ちゃんはグラウンドを見ながら微笑する。

「ううん、ここでこうして見ているのが好きなの。藤田君も一緒に見ない?」

「う、うん。いいけど」

 時間は過ぎていく。梓ちゃんは本当にグラウンドを見ている。野球も、陸上も、サッカーも。何を、誰を、と言った見方でなく、全体を見ている。たまにその目線の対象を誰か個人に移しては…また全体を見る。生徒、先生、男性、女性、関係なしだ。僕には何がそんなに面白いのかわからない。たまに話しかけるが、梓ちゃんは空返事ばかり。いつもと違ってリアクションは薄い。

(前に運動音痴だって言ってたからなぁ…部活動の人らを見て羨ましがってるのかな…もっと近くで見れば楽しいのに…そうだ!!)

僕は彼女の手を掴んで、こう言った。

「こんな遠くで見ていても、何が起こってるかわからないさ。見るんならもっと近づかなきゃ!」

「え…?」

梓ちゃんは一瞬ハッしたような表情をしたが、すぐに戸惑った様子で僕を見た。僕はお構いなしに、梓ちゃんの手を引っ張って、出入り口まで連れて行こうとする。僕が急ぎすぎたため、五メートルほど進んだところで手が離れる。

 振り向くと梓ちゃんは、ちょうど夕日を左肩に置くような位置にいて…微笑んでいた。夕日は梓ちゃんの黒髪を赤く染めている。薄っすらと風が吹いて…梓ちゃんの髪の毛、スカート、胸元の青いリボンがなびく。彼女は…微笑を崩さずに、風になびくスカートと髪の毛を押さえる。…まるで高名な画家に描かれた絵画のようなシーンが、現実として目の前に創られて…僕は言葉を失った。

「そっか、距離か…」

梓ちゃんが呟く。よく意味はわからなかったが、僕は話を合わせる。

「そう!近い方がいいんだよ、観戦はね!近くないと、細かいところが見えないだろ!」

彼女は変に納得したような表情で、

「そっか…そうだね」

と言って、またニッコリと微笑んだ。

 その屈託の無い無邪気な笑顔を前にして、僕の心は梓ちゃんに根こそぎ持っていかれた。その日のその時、僕の世界観は変わった。今まで空虚であったピラミッドの頂点に、梓ちゃんへの想いが座位することになりましたとさ。


 想いは日に日に強くなっていく。梅雨も過ぎて、少々暑くなってきたある日。僕は沼ちゃんに梓ちゃんのことで話がある、と相談して気持ちを打ち明けた。どんどんと強くなる想いは、誰かに打ち明けるしかないほど僕の心から溢れ出しそうだった。彼は、

「そうだったのか、俺は全然気がつかなかったよ。中学の時のあいつは…今と同じで、周囲は男友達ばっかりだったけど、浮いた話は聞いたことないなぁ。倉下が恋愛に対してどういう考え方を持っているのか知らないから…ろくにアドバイスも出来ないけど、藤田君は中学時代を含めても、あいつとかなり親しくしてる方だと思うし、当然だけど悪い印象はないと思うぜ」

と、昼食のパンを頬張りながらそう言った。梓ちゃんは日々何度も繰り返す遅刻のせいで、担任の黒川先生に呼び出されていて不在だ。

ただ、僕の気持ちを言うばかりが相談の目的ではなかった。沼ちゃんは梓ちゃんのことをどう思ってるのか、逆に梓ちゃんは沼ちゃんのことをどう思っているのか。できればそれも知りたかった。

「ありがとう。それで、一つ聞いておきたいんだけど、沼ちゃんも梓ちゃんと親しいじゃん。もし、ほら、沼ちゃんが梓ちゃんのことを…あれだったら僕は…」

沼ちゃんはこっちの台詞の途中で笑って言った。

「ハハハ、無い無い」

彼は手のひらをヒラヒラさせた。

「あのな…、」

彼は小声で、耳を貸せという感じで、身を机の上に乗り出す。

「内緒だぜ…ていうか別に内緒じゃなくてもいいんだけど、俺…いま付き合ってる子がいるんだ。バンドの関係で知り合った子でさ、学院大学付属高校にいんだよ」

熊本学院大学付属高等学校。自由な校風で有名な、私立の進学校だ。学業成績は高く、普通のクラスからして、この特進コースに勝るとも劣らないほどの成績である。

「そうだったのか、全然知らなかった…。そんないいところのお嬢さんと付き合ってるなんて…やっぱバンドマンは一味違うねぇ」

と、僕はニタリと嫌味っぽくリアクションした。沼ちゃんは照れた表情で「クヌヤロゥ」と、僕にヘッドロックをかけて、頭をゲンコツでグリグリした。そこに、

「やっほ~~~!!ご飯食べちゃったの!!?んもうぅ、少しくらい待っててくれてもいいんじゃない??一人でご飯食べてもつまんないしぃ~!」

梓ちゃんである。彼女は、

「ようやく解放されたょ、まったくヤんなっちゃうワ」

と言って、ガサゴソとアルミを広げて中にあるおにぎりを手に取った。

「こってり絞られたか??遅刻女王」

沼ちゃんは、僕に、

(お互い内緒な?)

と、アイコンタクトを取る。

 …ほんの一瞬…なにか空気感が変わった??気がしたが、すぐに沼ちゃんと目を合わせて軽く頷く。

「なに見つめあっちゃってんの??ひょっとして二人、愛の告白でもしたの?もう付き合ってんの???」

『なわけねーだろ!気持ちわりぃ!』

二人の突っ込みがシンクロする。

「ステレオで否定するところがまた怪しいわねぇ~♪」

梓ちゃんは機嫌がいいと言葉尻が歌のようになる。

「ま、いいや。…二人でどうぞ見つめ合って頂戴。私はごはん食べるの!ごはん!」

と、おにぎりを口いっぱいに頬張った。


 夏の始まりの日。僕は前々からあることを考えていた。デート。梓ちゃんと二人でどこかへ行きたい。別に遊園地だとか、動物園だとか、そんないかにもなシチュエーションでなくても、必要なものがあるから買い物に一緒に行くとか、ちょっとした用事で出かけるのに二人で行くとか、そんな軽いもので十分だった。どこかで少し、二人だけの雰囲気になれば…僕はそれで十分、梓ちゃんに心を伝えることができると思っていた。

 生きていればチャンスは訪れるものだ。要はそれに気づくかどうかと、それを生かせるかどうかだ。今回は前者に関しては何の問題も無かった。

 その日のお昼休み、僕と梓ちゃんは黒川先生に呼ばれて職員室へと向かった。



[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.04
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/16 11:33
「なんかやだなぁ~~…何か悪いことしたっけかなぁ??私たち…」

先生のお説教は大の苦手な梓ちゃんだ。呼び出されるとロクなことがないというのは、いつものことだった。僕は、

「いや、今日はお説教じゃないと思うよ。僕も一緒に呼び出されてるんだし」

「そっか、そっだよね!」

梓ちゃんは本当に「そうか!」という表情をして、手のひらをグーでぽんと叩いた。…いや、そんなに普通に納得されてもリアクションに困るんだけど…。

 職員室に着くと、黒川先生は何の変哲も無く、何のリアクションも見せず、自分の席に座っていた。黒川先生は、かなりのお爺ちゃん先生で、やばいのではないかと言うほど老けて見える。教師の定年は六十歳くらいなんだろうか。しかしながら…この先生の見た目は、八十歳と言われてもわからないほどである。動作はかなりスローリーで、声も小さい。すでにボケがきてるのではないか、と思うくらい物忘れが多く、一部の生徒からは裏でバカにされていたが、それを知ってもニコニコしているほど、優しく人がいい先生だ。

「あ、あ~…やっと来たな。ふたりとも」

「はい、何の用でしょうか?」

用事を聞く行為は手っ取り早く済ませたい。話によっては、この後梓ちゃんと一緒に何かを行えるようになるのかもしれない。梓ちゃんは先生に軽く会釈した後、職員室を見回している。

「あ、あ~…ふたりに頼みたいことがあってね…なんだったかなぁ…?たしかプリントが…」

そう言って、先生はゴソゴソと何かを探してるようだが…数分経っても出てこない。

「先生…?」

「あ、あ~…悪いねぇ、ちょっと待っとくれ」

と言うと、隣の女性教諭に話しかける。

「かねがわせんせ~い、ほれ、あの高校生優秀論文集の…プリントはどうしたかなあ??」

隣の机の金川先生は、美人でグラマラスな英語教師である。エロチックなオーラをプンプンと発している。このレベルのオーラだと、僕でなくとも誰でもわかるだろう。こういうオーラをフェロモンなどと表現するのだろうか。残念ながら特進コースだと授業での縁はないが、男子なら誰もが最初に顔と名前を覚えるであろう先生である。

「あ、それならほら、先生の机の一番上の引き出しにありますよ。今朝、生徒に頼むんだって仰ってたじゃありませんか。忘れたら困るって仰って…」

そう言って笑いながら、黒川先生の引き出しの一番上の引き出し空けて取り出してみせる。

「はい、もう先生ったら、ボケるには若すぎますわ」

「あ、あ~…悪いねぇ、すっかり忘れてたよ…。ありがとう金川先生」

(爺さん、その引き出しは一番最初に見てるだろうが!)

と、突っ込みを入れたかったが…さすがに先生に向かってそんなことは言えない。

「ありましたか?」

と、問うとすぐに説明してくれる。

「あ、あ~~…実は市内の私立高校の連盟で毎年論文を募集しててな…」

辺りを見回しつつも会話を聞いていたのだろう、梓ちゃんの眉間にしわがよる。

「…僕は編集の責任者でね。それを読んで受賞作品を選んで…優秀なものは本にして、毎年出版しているのだけれど…、」

(まさか論文を書けとか読めとか…)

僕の眉間にもしわがよっていたに違いない。

「…実は締め切り間近なのに、まだシャンパニア学園高校の原稿が来てないんだ。それで…、ふたりには悪いんだけど、今日学校が終わってから、シャンパニアまで取りに行ってくれないかな?」

聞くや否や、眉間のしわが取れて顔がほころぶのが自分でもわかる。

(黒川先生グッジョブ!)

と、心に思った。

(これって事実上デートになるじゃんっ!)

梓ちゃん並のハイテンションになりながらも、表面は冷静に受け答える。

「あ、わかりました。そういうことなら放課後に二人で行ってきます」

「あ、あ~~…悪いねぇ、ふたりとも。それじゃお願いするよ。向こうには電話してあるし、白藤先生という方に原稿を頂いたら、明日のホームルームの時に渡してくれればいいから」

先生はニッコリわらって「よろしく」と表情で言う。

「わかりました!」

僕は快く返事して、職員室を後にした。

「梓ちゃんは都合は良かった?なんか、僕が勝手に引き受けちゃったって感じになっちゃったけど」

思い返せば、梓ちゃんは一言も喋ってない。一人で先走ったかと心配になってきた。しかし彼女は、

「ん~~?大丈夫、大丈夫!私ってほら、放課後は屋上にいるだけだし、先生方への点数も稼いでおかないとね。遅刻魔で成績悪くて運動音痴じゃぁ、本当にクラス落ちしちゃうワ」

それは困る…。特進コースのクラスは三年間一緒なんだ。梓ちゃんがいなくなってしまったら、僕の学校生活は真っ暗になっちまう。

「そうだね、先生は責任者だって言ってたからね。その責任者に頼まれるくらいだし…信頼されてるみたいだから、ちゃんと仕事すれば点数大幅アップだよ、きっと!」

僕は嬉しくなって後々のことを考えた。その時、梓ちゃんは僕を食い入るように見てた。真剣な表情で…あまりにも鋭い目線を受けて我に帰る。我に返れば、空気の澱みにも気づいた。

「??どうかした?僕の顔に何かついてる???」

彼女はニッコリ微笑んで言った。

「いいえ、あんまり藤田君が嬉しそうだったから、ついつい見てただけ」

僕は急に恥ずかしくなった。顔が赤らんだのが自分でもわかった。


 シャンパニア学園高校は、知恩学園の南東に位置する。私立でも県内屈指の進学校で、先の学院大学付属高校などと並んでの成績優秀な男子校である。名前から連想されるようにキリスト系の学校で、僕ら知恩高校は仏教系の学校なので、同じ高校という括りでも随分と雰囲気に違いがある。知恩高校からはそれなりに距離があるが、熊本市内を走る路面電車を使えば、数十分で着いてしまい、そう歩かなくても済む。

 二人っきりで外のムードを楽しむにはうってつけの機会だ。もっと梓ちゃんのことを知りたいし…もしもチャンスがあれば…いい感じの雰囲気になれば気持ちを伝えたい。

 僕の特技は空気を読むことだ。その場の空気を読んだり、人が発するオーラを感じ取る。もしも…、もしも少しでも梓ちゃんが僕に気があるようなオーラを発すれば、見逃すことなくそれを感じ取る自信はあった。

 帰りのホームルームも終わる。沼ちゃんが、

「面倒なことを押し付けられたなぁ。しかも、シャンパニアとか…遠いじゃん。ま、でも…」

と言って、ニンマリと僕に笑みを送る。梓ちゃんはすでに校庭に出ている。僕は、

「そうなんだ、二人っきりでデートを楽しんでくるよ」

と、意地悪な笑みを直球のセリフで返す。沼ちゃんはフッと鼻で笑って、

「おーぅ、楽しんでらっしゃい。おいらは今日も練習だべー♪~~」

と、歌いながら教室を去っていった。僕は急いで校庭へ出た。

 梓ちゃんはカバンを両手で背中側に持って、水道のところに寄りかかって校庭を眺めていた。

「本当にグラウンドを見るのが好きなんだな」

目線を移さずに答える。

「うん、私見るの大好き。子供の頃からこうなの。ずっと、ずっと…こうしてた」

なんだ、小学生の頃から観てばっかだったのか。スポーツでもなんでも、観るよりやる方が楽しいだろうに。

「じゃあ、ぼちぼち行きますか」

靴紐を結び直してそう言う。梓ちゃんは、

「うん。シャンパニアなら市電だね。行こうかっ!!」

と言って走り出す。

「乗り場まで…競走~~!!」

五、六メーター先で叫ぶ。

「おいっ、そりゃずるいぞ!!」

僕は追いかける。ったく、運動音痴のくせに粋な真似を。



[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.05
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/17 11:48
 乗り場へは僕のほうが早く着いた。梓ちゃんは全力疾走の果てに転んで、涙目になっていたからだ。

「…全力で走るからだ。ガキかお前は」

「だって抜かれそうだったんだもん!!」

僕は乗車券を二枚取って、一枚を梓ちゃんに手渡す。

 熊本市内において路面電車はかなり重要な交通機関だ。JR熊本駅より若干南に行ったところを始発駅として、熊本駅前、市内の中心街のど真ん中を経由して、僕らの学校の近くを通る。そしてそのまま水前寺公園を抜け、南東へと進む。健軍という地域を越えてしばらく行けば終点となる。シャンパニアは健軍にあるので僕らが乗った乗り場からは、近からず遠からずといった距離だ。時間的には数十分ほど掛かる。

 梓ちゃんはさっき転んだことも忘れたかのように、市電の中を見渡して、様子を見入っている。今気づいたが、梓ちゃんはなにか他のことに気を取られると、すごく真剣な眼差しになる。簡単に空気感が変わる。今まで幾度と無く感じた違和感は、彼女が何かに夢中になったときに現れたものなのかもしれないと思った。そう思った瞬間、梓ちゃんがニッコリ笑って手を差し出してきた。

「ん、これあげゆ」

と、コロコロとアメを口の中で転がしながら、僕にもアメをくれる。

「ありがとう」

アメを受け取って口の中に入れる。オレンジの味がする。

「藤田君は何か好きなこととかあるの?趣味とか、得意なこととか」

梓ちゃんは僕を覗き込むようにしてそう言った。

「う~~ん、特に無いなぁ。でも車が好きかな。三年生になったらすぐにでも免許を取りに行きたいよ。で、卒業したらすぐにでもバイトでもしてさ、自分の車が欲しいんだ」

梓ちゃんは目をキラキラさせて僕の話を聞いている。少し…ほんの少しだけ…梓ちゃんは僕に気があるのかな…と思った。

「…だから、今は勉強に集中かな。つまらない答えだけど、成績さえ良かったら、親も免許を取ることやバイトのことも許してくれそうだしね。もちろん、渋々だろうけど」

「そっかぁ~~、なんか立派だねぇ♪」

「梓ちゃんは、趣味は何かある?好きなこ…」

僕は彼女の趣味や昔のこと、家のこととか…プライベートなことは何も知らない。よければ何か知りたいなと思った矢先、感心した表情で話される梓ちゃんの台詞に、僕の言葉は遮られた。

「ほらほら、沼ちゃんも音楽やってるでしょ!?男の子っていいなぁ~~なんかやりたいことがあって、夢があって、それに向かって…って感じでさ!わたし中学生の時、一度だけ沼ちゃんのライブ観た事あるんだ!もうねぇ…凄かったんだ!!音もグワングワンに鳴っててね!ステージのライトとか、沼ちゃんの服とかもすっごいの!!!その場の人がみんな飛び跳ねたりしてて…私は怖くて入っていけなくて、後ろのほうで見てたんだけど、もう同じクラスの沼ちゃんだとは思えないくらいカッコ良くてさ!ライブ終わってから、観に来てくれてありがとうって声かけられたんだけど、沼ちゃんの回りのファンの女の子から、白い目で見られちゃったりしてさぁ~!そいでさ…」

 彼女のマシンガントークは延々と続く、その後は黒川先生や金川先生の話、試験の話、クラスメイトの話などしているうちに、あっという間に健軍に着いたのだった。

 往々にして、気心のしれた人と一緒にいたり、好きなことをしたり、極度に集中したりすると、あっという間に時は過ぎ去ってしまう。人間の感覚とは不思議なものだ。集中時なんて特にそうだ。帰って勉強して…たまにハマって集中してると、母さんが僕を呼ぶ声が聞こえなかったり、少し悩んで考えてただけなのに、四十分くらい過ぎていたりすることがよくある。時間の感覚は当てにならない。現に梓ちゃんと一緒にいると、時はまるで僕に嫌がらせをするかのように、早く過ぎてしまう。退屈な授業中と比べると、同じ経過時間だとは到底思えない。時間だけではない。人の感覚そのものが大して当てにならない。初めて通る道は長く感じたり、初対面の人から変に威圧感を感じたりしてしまうもんだ。…その場の空気を読むのは得意なつもりだが…これまでだって、誤解はたくさんあったんだろうなぁ。

 健軍で降りて、そんなことを考えていると、微かにだが…確かに空気感の澱みを感じた。ハッと我に返り、目の前に何かがあるのに気づく。…なんだ??目??気づくと、梓ちゃんの顔が目の前にあった。近い。数センチだ。いつかの屋上の時のように、尻餅をつきそうなほどの勢いで後退する。

「な、な、な…ビックリした!!!ど、どうしたんだ一体??」

「えぇ?だってだって、さっきから何度も呼んでるのに、藤田君てば全然返事してくれないんだもの。どうしたのかなって思っちゃうよ」

んん?呼ばれたのか?俺?全然気づかなかった…。これこそ集中ってやつだ…。あーでも、近かった…。でも…キスする時って、今くらい近づいて…、

「ふふ、でも藤田君の言うとおり」

梓ちゃんが上機嫌に言う。なんだ?なんのことだ?僕の言うとおりって…。そう思って、

「んん?何か言ったっけか…?僕…」

「あれあれれ、覚えてないの??ま、いいや。それより早く行こ行こ!日が暮れちゃうワ!!」

というと、またも彼女は走り出す。おいおい、さっき転んだばかりじゃないか。もう忘れたのか。

「おい!待てってば!そんなに急ぐとまた転んじまうぞ!!!」

彼女は五、六メートル先でピタリと足を止める。どうやら今、思い出したらしい。痛みとともに。


 シャンパニア学園高校は男子校だ。なぜか市外および県外の出身者が多く、その数は半分以上を満たす。九州全土はもとより、果ては広島や大阪などの大都市からも入学者が来る。僕は理由までは知らないが、毎年毎年そうなるらしい。一般にはキリスト教系私立で進学校ということもあって、いいとこのボンボンお坊ちゃまが集まる高校として知られているし、それは事実だった。

 …そこでの出来事は唐突に起こった。まぁ嫌なことが起こる…それはじわじわくるとは限らない。刹那、いきなり起こることだって多々ある。

 シャンパニアの校門まで行くと、そこで異様な二人組が目に入った。本当に唐突に。一人は…小さい。凄く小さい。身長は梓ちゃんと変わらないくらいの男で、丸坊主、目はくっきりとして大きく、服装は下から、靴はローファー、シャンパニアの制服のズボン、上は黒のノースリーブ一枚だった。金色のチェーンのようなネックレスと指輪をいくつかつけている。

 もう一人は、身長百七十センチくらいで細身、肩まである長髪、目は大きく、眉は細く整えられている。男だが、黒く長いスカート状のズボンをはいている。スカート下は派手な模様の入ったウエスタンブーツで、肩口から破けるようなデザインの白いシャツから、白くて細長い腕が伸びている。腕元や首の周りには、ジャラジャラとかなり多くのアクセサリが輝いていた。二人とも…まるでヤンキーマンガに出てくる悪役キャラみたいなルックスだった。

 見たらすぐに気づく。異様なのはルックスだけではない。空気感だ。ひどく澱んで歪んでいる。二人ともこっちを見てすらいないが、この二人は危険な人物であると、ルックス以外からも…そう、オーラが出ている。その場を飲み込んでしまうほどの威圧感とオーラ、それがその場に滲み出ていて、その空間を支配しているといった感じだ。

 …別に何も構うことは無い、彼らに用事は無いし、彼らだって僕らに用事はない。もう行こう…と梓ちゃんを振り返ると…彼女はいつもの真剣な眼差しの…数倍はあろうか、超真剣な眼差しで二人を凝視しているのであった。長髪の方が、梓ちゃんに気づいてこちらを見る。坊主の方は電話をしているようだ。こちらは見ていない。時間にして数分、距離にして十数メートル…梓ちゃんと長髪の男は、互いを凝視していた。

 …今更ながら気づいた。この異様な空気感と緊張感は、この二人が作り出しているのではない。梓ちゃんが大部分を作り出している。彼らが放つ威圧感とオーラは、その場の雰囲気とはまた別物であり、このとてつもなくイヤな雰囲気は、梓ちゃんが彼らを凝視していることによって作られているものだった。

「あ、梓ちゃん??」

はっきり言って、こんなにも連中を見ていては…彼らに敵意が無くても、こっちからケンカを売っているようなものだ。そう思われても仕方がないほど、梓ちゃんは長髪の彼を凝視していた。



[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.06
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/18 12:08
坊主の方が電話を終えて、長髪に話しかける。

「先輩、新空予約取れたっす。今日は少し盛大にやりますか」

長髪の男は、梓ちゃんから目を逸らさずに、

「おお、そりゃ良かった。…もしよかったら少し動いてから行きたいな。みんなを呼んで、プレハブで遊んでから行かないか?九綱君が良ければそうしたい」

と言った。

「俺はどっちでもいいっすよ。でも、食事前は動いた方が、確か健康にいいっすよね?」

坊主は携帯電話をしまいながらそう返答して、初めてこっちに気づいた。こっちを見て、

「??…先輩の知り合いっすか?」

と、たずねる。

「いや、知らないな。…行こうか。運動と空腹は最大の調味料だと言うね。健康にもいいはずだよ」

長髪は坊主と会話しながらも、まだ梓ちゃんから目を離さない。僕は両者間から生まれるプレッシャーでどうにかなりそうだった。

「うっし、今日こそ少しは本気出しますよ」

と言った坊主頭の彼は、ゴツゴツッと拳と拳を胸の前で叩く。背丈こそないが、ノースリーブから見える腕の筋肉は凄まじいものだった。

「九綱君が本気出すなら、僕は見るだけにしておこうかな」

「それじゃ、俺お腹空かないっすよ」

 二人は話しながら校門の方、こちらのほうへ歩いてくる。長髪はまだ梓ちゃんから目を逸らしていない。梓ちゃんもずっと…ずっと長髪の彼を凝視したままだ。そのまま、距離がどんどんと詰まっていく。すごい重圧感だ。おかーちゃん、助けてって感じ…。

 二人が目の前に来る。長髪は梓ちゃんを見たまま、梓ちゃんは長髪を見たまま。坊主は僕と梓ちゃんをチラッと見たが、すぐに興味なさげに進行方向へと目線を戻す。…しかし、二人とも全く目を逸らさない…でも、不思議とガンつけるだとか、睨み合っているわけではないという感覚が伝わってくる。これは…互いに互いを観察しているという感じだ。観察という言葉が頭に浮かんだ瞬間、これは我ながらピッタリの表現だと思った。そうだ、この二人は互いを観察しあっている。お互いに、鋭く…。

 擦れ違うか、その直前か、というタイミングで、沈黙が破られた。
「私たち、用事があって、白藤先生に会いに来たんです!職員室はどっちでしょうか!??」

沈黙を破ったのは梓ちゃんだった。彼女は全くの緊張も怯えも無い様子で、ニッコリ笑って長髪から目を逸らさずに、大きな声で話しかけた。二人が足を止める。長髪はまだ梓ちゃんから目を逸らさずに静かに言った。

「僕はシャンパニアの生徒じゃない。…悪いけどわからないなぁ」

また沈黙が来る。二人は立ち止まったままだ。人生史上、最もイヤな空気感に…当事者として加わっている気がする。次の沈黙を破ったのは坊主頭だった。

「白藤ってのは知らないが…、職員室はあの建物の二階だ」

「ありがとう!!」

梓ちゃんはようやく長髪から目線を外して、坊主頭を見る。そしてニッコリ笑いながらそう言った。彼女のお礼が終わるか終わらないかというタイミングで、二人は立ち去る。擦れ違った後ろで、

「??マジで知り合いじゃないんすか?」

「いや、本当に知らないよ」

というやり取りが聞こえた。僕がホッと胸を撫で下ろすと、

「どうしたの??あの建物の二階だょ」

と、梓ちゃんが言った。本当に不思議そうな表情をしている。この時、僕は初めてはっきりと梓ちゃんの異常性を認識した。なぜああも人を凝視したのか。なぜこれだけのことをして…平気でいられるのか。なぜあのような雰囲気を作り出せるのか。恋心が消えたわけはない…が、僕の感、小さい頃から僕を支え続けた場の空気を読む感と、人のオーラを感じ取る感は、梓ちゃんに対して、盛大な緊急警報を鳴らしていた。当の本人は僕を見つめて、不思議そうな顔をしている。僕は気を取り直して、

「うん、行こうか…」

と言って、彼女の前を歩いた。

 そこからはスムーズに事は運んだ。坊主頭の言ったとおりの建物に職員室はあった。白藤先生は、黒川先生に負けず劣らずといった年齢のお婆ちゃん先生で、お茶とお菓子を出して僕らをもてなしてくれた。僕らはしばらく学校の話をして、無事に論文の原稿を受け取って、市電に乗った。帰りも何気ない世間話をして、梓ちゃんは家の最寄の降り場で降りて帰っていった。

 僕は自転車通学なので、学校まで戻る必要がある。帰途の折、今日のことを考えていた。いいムードは特になかったこと、男を凝視してた梓ちゃんのこと、気持ちを伝えることが出来なかったこと、梓ちゃんから異常性を強く感じ取ったこと。

 …正直、色々と戸惑ったけど、梓ちゃんへの想いは消えてはいない。誰だって、少しくらい変なところはあるだろう。なにより、梓ちゃんとはいい雰囲気なんだ。相性がいい。一緒にいると、時間は矢が飛び去るように過ぎる。僕は、梓ちゃんから感じ取った異常なオーラよりも、梓ちゃんと一緒にいる時の雰囲気の良さ、居心地の良さを選び取ることにした。今度は…今度こそは…たとえいい雰囲気にならなくても…想いを伝えたい。そう強く決心した。


 期末試験が終わり、もうしばらくすると夏休みに入る。もうじりじりと暑くなってきたその日。いつものごとく、三人でしょうもない話をしていた。

「でもさぁぁ??そんな格好だったら、風邪ひいちゃうじゃん??いくら夏でもそれは無いよぉぉ♪」

「でも、暑いんだぜ?だって、暑いんだぜ!?」

「いやいや、そりゃ無いよ沼ちゃん、朝起きて自分で鏡見てビックリするんじゃないの?」

「朝はいいんだよ。誰も一緒じゃなけりゃな!」

「な、な、何言ってんのよ!?バカ!!」

沼ちゃんが、梓ちゃんにドン!と押される。

「うぉっ、あぶねぇ!!」

沼ちゃんは椅子を後ろに倒し気味にして座っていたので、椅子が大きく揺れる。僕と梓ちゃんは目を合わせて二人して笑った。

 まるで何年も昔から友人だったような間柄だ。恋心も消えていないし…むしろ例の一件から少しの時を挟んで、また強くなる一方だ。もちろん、時折感じられる違和感…それは例えて言うなら、真っ白の絵の具にほんの一滴の墨を垂らして混ぜ込んだくらいのものだが、今もはっきりと存在する。消えてなんかいない。シャンパニアで男を凝視してた時に感じた警報と共に…色濃く脳裏と肌に感覚が刻まれている。

「あ、そういや二人とも、お願いがあるんだ」

沼ちゃんが改まって話を切り出す。

「なぁに♪??」

すかさず、梓ちゃんが返答する。今日も彼女は上機嫌だ。

「実は月末にライブやるんだ。すごい久しぶりなんだけど、新しい曲も何曲かできたし、今すごくバンドの調子いいんだ!それで、よかったら二人とも観に来て欲しいんだよ」

沼ちゃんは目を輝かせて、嬉々として語った。

「そうなんだ!? 行く行く、絶対行く~~!だって、前に見た時ものすごかったもん!私、今でもよく覚えてる!!音とかライトとかがね、すっごいの!!」

沼ちゃんの頼みだし、梓ちゃんが行くって言うのなら、僕は断る理由は無い。音楽についてはそれほど詳しくないし、当然ライブに行った事など無い。正直腰は引けたが、梓ちゃんが絶賛する沼ちゃんの勇姿というものを見てみたくもあった。

「もちろん僕も行くよ!梓ちゃんから噂は聞いていたしね。楽しみだ」

と、僕が言うと、沼ちゃんは嬉しそうに返答する。

「ありがとう!よっし、気合入れて頑張るぞ!!あ、これチケットね! …antipas groupってバンドが主催でさ、三つのバンドが出るんだけど、俺らは二番目でさ~~。六時半には会場は空くし、八時前くらいの出演になると思うし…」

沼ちゃんはさらに嬉しそうに、刷り上ったばかりの赤いチケットを僕と梓ちゃんに渡して、ライブの説明をする。確かに梓ちゃんが言ったとおり、なんだか羨ましい。やりたいことがあって、それに向かって一直線って感じだ。沼ちゃんの熱く真剣な眼差しが作り出す、この場の空気感は僕にそう伝えた。

 放課後…梓ちゃんはすぐに屋上に上がっていった。最近はグラウンドの水のみ場の傍でしゃがんで、じっとグラウンドを見てることも多い。僕が、近くで見たほうが面白いと言ったせいか、屋上が三割、水のみ場のそばが七割くらいの割合で、近くでの観戦が増えていた。男友達が異常に多い梓ちゃんは、水のみ場のそばからグラウンドを見てる時、今から帰宅するのであろう多くの男子から話しかけられていた。それに対して一つ一つ応対して話していたが、遊びに誘われたり、帰宅に誘われたりしても、決してその場を離れようとしない。少し話をしたら、またグラウンドを見る行為に戻るのだった。そのせいか、梓ちゃんの放課後のグラウンド観戦モードの時は一緒にいてもつまらない、という話は、梓ちゃんを知る人にとって常識となっていた。今では、放課後グラウンド観戦モードの梓ちゃんは、皆に帰りの挨拶程度しか話かけられない。したがって、水のみ場のそばでしゃがんでグラウンドを見ている梓ちゃんは、基本的に一人である。

 僕は梓ちゃんのそばに行く。水道の蛇口が設置されているコンクリ台に腰掛けた。ちょうど、しゃがみ込んでいる梓ちゃんの右上から、彼女を見下ろす形になる。梓ちゃんは振り向きもしていない。

「なに、」

その瞬間だった。梓ちゃんは僕の話を遮り言葉を発した。



[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.07
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/19 11:51
「人を見てるんだ。私、人を見るのが好きなの!」

僕は驚いた。僕は、

「何を見てるの?毎日熱心だね!」

だとか、そんな感じで話しかけるつもりだったのに…でも、話は成立している。梓ちゃんは…僕のまだ発していない、まだ僕の心からこの世に出てきていないはずの問いに…しっかりと答えていた。僕は戸惑いつつも、

「なん…」

梓ちゃんはまた、僕の言葉を遮る。

「う~~ん。感かなぁ??自分でもよくわからないんだ。藤田君がなんか…人の雰囲気とか、その場の空気感読むのと同じかもね!!」

テンションが高い、いつもの梓ちゃんの声でそう言う。彼女はグラウンドを見たままで、僕のほうは振り返っていない。僕は梓ちゃんに自分の特技の話をしたことは無い。そんなことが特技だと言っても…理解されないか、理解されても気持ち悪いと思われるのがオチだと思っていたからだ。しかし、梓ちゃんはなんで…僕の言うことがわかったんだ??まるで、心の中を見透かされているようだ…。

 その時、僕ははっと気づいた。違和感の正体…澱んで歪む空気感の正体…それは梓ちゃんが、人の心の中を見透かす時に起こる現象なんだ、と。現に今の空気感は、初めて梓ちゃんと話した時に感じたもの、梓ちゃんが屋上にいた時に感じたもの、市電に乗って健軍で降りた時に感じたもの、そして何よりあの二人組に遭遇した時に感じたものと同質のものだ。彼女は人の心を見透かす。…その時に空気感が澱んで歪む。…今も澱んでいる…ということは、リアルタイムで僕の心を…。

「???どうしたの?藤田君」

梓ちゃんが目の前にいる。いつの間にか立って、僕のほうを向いて、目の前にいる…

「え?え?…いや考え事…し、してたんだ…」

色んな思考が頭を過ぎる。また僕は集中していたのかとか、梓ちゃんはいつの間に…振り返って僕の前に来たのかとか、今もまだ僕の心は見透かされているのかとか…。

「すごく難しい顔してたよ??悩み事???」

「い、いや…沼ちゃんのライブのことを考えてたんだ」

僕はとっさに言い訳した。別にやましいことをしてるわけではないのに、冷や汗がドッと噴出す。そして、言い訳を続ける。

「ほら、僕ってライブって行ったことなくてさ。ああいうのって、ちょっと怖いムードもあるじゃない??それで緊張しちゃってさ…」

僕は梓ちゃんとは目を合わせられずに…目線を泳がせてそう言った。彼女は、

(うん、わかるわかる、その気持ち!)

と、言わんばかりに、目を閉じて首を上下にゆっくりと振る。目を開いて、

「でも、大丈夫だよ。沼ちゃんもいるし、二人で行くんだし、…ていうか、他にもうちのクラスの人や、うちの学校の人、何人も行くんじゃないかな!?そんなに心配しなくても…」

言って、大きく息を吸い込んだ。

「大丈夫だって!」

僕の背中をバンと叩いた。

「痛ってぇ!」

僕は今までの冷や汗がふっ飛ぶかのように、梓ちゃんと一緒に笑いこけた。いつの間にか澱んだ空気感は、爽やかな親友との間に生まれるハッピームードに切り替わっていた。  

 今まで幾度か感じた確かな違和感は、やはり心を見透かそうとする梓ちゃんから生まれるものだろう。それは間違いない。だが、彼女から生まれる不気味さを完全に自覚して受容した今でも…彼女への想いは少しも色褪せず、心の中心にふてぶてしく座位してるのだった。


 あいにく、その日は雨だった。それほど強い降りではないが、しとしとと朝からしつこく降っている。予報によると、明日も明後日も降り続けるようで、少しの間も止む気配は無い。土砂降りでないのがせめてもの救いか。雨の日のライブだと、お客さんが減って、盛り上がりに欠けたりしないのかな…などと、素人心配しながらもライブハウスへ向かう。

 ライブハウス「ギャング」は、新市街にある。ここへも市電で向かうことになる。新市街は、熊本県内でも最大の繁華街の中心部に位置している。周囲には、熊本城や上通り・下通りという名のだだっ広いアーケード、中央郵便局や市役所、大型デパート、県立美術館などが点在し、JRや航空の交通機関の要所を除いては、県内で最も人の行き交う場所だと言える。交通も発達していて、多くのバスやタクシーが行き交う。もちろん市電も熊本城を横目にして、アーケードの中心を突き抜ける形で路線が敷かれていて、ローカルなルックスの市電が一日に何度もそこを往復している。

 ライブハウスは地下にある。梓ちゃんとは現地集合だ。僕らはまだ携帯電話を持っていなかったので、頻繁に連絡を取り合うことは出来ない。事前に行った約束と言えば、開演する七時には現地に行くという程度の簡素なものだった。夏休みに入って一週間ほどたつが、もちろんその間は梓ちゃんとは会えていない。…今日、会って気持ちを伝える。そしてできれば、夏休み中も何度か遊びたい。改めてそう思うと、色んな意味で緊張してくる。

 六時四十分くらいか。僕は地下への階段を降り、重い扉を空けた。不健康な雰囲気…暗闇の狭間から、自然界ではけして見ることのできない色の光が僕の目を突く。雨降りの外よりも湿気を含んだ空気が僕を纏い、刺激的なサウンドから織り出される音楽は、僕の耳を鋭くつんざく。出入り口の扉の近くに座っているサングラスにパンチパーマで、くたびれたスーツを着ている男性から、チケットの半券と、ドリンクチケット、チラシなどが入ったビニール袋を手渡されて、ライブハウスの中へと歩いていった。すでにその空間の半分ほどは、人で埋まっている。かなりの大音量で音楽が鳴っているため、そこにいる人はみな大声で、耳と口を近づけて会話をする。初めてこんな場所に来たが…本当に異質な空間だ。正直ここにいるだけで疲れる。辺りを見回すと、梓ちゃんと沼ちゃんがいた。

 梓ちゃんは、上から白のカチューシャ、白くて薄地のブラウス、グレイのニットのスカートを履いている。靴は黒い編み上げブーツだ。彼女の私服姿は初めて見る。学校での梓ちゃんからは、まったく予想できなかった、清楚で大人しい感じ、お淑やかな女の子っぽい…。梓ちゃんの印象にも、ライブハウスという場にも合ってない気がした。梓ちゃんは僕に気づくと、胸元で小さく手を振ってニッコリ笑う。

「やぁ、早かったね!」

僕が二人の下へ駆け寄ると、沼ちゃんがそう言って言葉を続ける。

「あっちに中川君と小川さんがいるよ。山口さんも来てるし、あと西田さんと木村さんも来てるよ。遅れるけど石田君と矢部君も来るよ」

次々とクラスメイトの名を挙げる。

「そっか、雨が降ってて心配したけど、たくさん人来てるじゃん!良かったな!頑張ってよ!!」

と背中をはたく。沼ちゃんは、

「任しとけ!今日は楽しんでいってくれよ!!あ、あっちで飲み物もらえるし、ビールでもソフトドリンクでも好きなものもらって。飲み物のチケットもらったでしょ?」

僕は受付で手渡されたドリンクチケットを見せて、バッチリ!という表情で微笑んだ。

 沼ちゃんは、彼を呼びに来た赤毛でウェーブがかった髪型の女性と一緒に、控え室の方へ消えていった。梓ちゃんが僕に挨拶する。

「ご無沙汰!元気??」

梓ちゃんはこの異質な場の空気に呑まれることもなく、相も変わらずのハイテンションだ。

「うん、元気元気!梓ちゃんも元気そうだね!」

「私は元気が取り得だもん!!休みでしっかり寝れてるし、なぁ~~にも問題無いょ~~♪♪」

梓ちゃんは上機嫌になると、首を振って言葉尻に音程が付く。夏休みのおかげだろう。すこぶる上機嫌に見えた。

 しばらくクラスメイトの人らと話をしていると、室内の音楽と辺りの照明が消える。照明が残されたステージの方へ、自然と注目が集まる。そうしてライブは開演した。

 最初のバンドは僕らと同じ年齢くらいの人らで、数曲演奏した後、まだあまりオリジナルの曲が出来てないから、有名な曲のカバーをするとコメントして、次の曲を始める。よくラジオやテレビで流れていて耳にする、流行りの曲のメロディ聞こえてきて、カバー曲が何曲か演奏される。

 会場内はすでに八割くらいの人で埋め尽くされている。最前列の人らは波打つように、バンドが生み出すリズムに合わせて動いている。演奏者の熱気と観客の熱気が合わさって、互いが互いを牽制・牽引して相乗効果を生み出し、その場の雰囲気を更なる高みへと昇らせていった。いつか梓ちゃんが話してくれた光景と同じものが目の前にある。

「ねっっ!!私が言った通りでしょ!!?」

 一瞬僕はギョッとした。また心を見透かされた??…今は状況が状況だけに、空気の澱みを感じ取れない。それだけに何も嫌な気はしない。むしろ気分が高揚して楽しい感じだ。心の中を見透かされたからって…それが何だってんだ!と、会場の熱気に包まれて、彼女に対する違和感などまるで気にならなくなってしまう。そんなものはとても些細なものだ。本当にそう思った。

「うん、凄いね!上手く言葉では言えないけど、すごいエネルギーだ」

「でしょでしょ!!?」

梓ちゃんとの距離は近い。とにかく大音量なので、お互いの耳元まで口を持っていかないと話は出来ない。自然に…髪と額の辺りがわずかに触れる。僕はバンドの演奏も余所に、ドキドキしてままならなかった。



[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.08
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/20 11:48
 梓ちゃんと僕は一番後ろでバンドと観客の一体になった姿を、第三者のような視点で見ている。その情景はとにかく凄まじく、教室や電車の中、街の風景と自分の家くらいしか知らない僕にとっては、まるで異世界のように感じるのだった。

 バンドの演奏が終わると、一気にその場のボルテージが下がる。ボクシングで第一ラウンドのゴングが鳴った後のように、選手同士も観客もクールダウンするため、一息入れるという感じだ。僕は飲み物をもらって、先ほどの位置まで戻ってきた。梓ちゃんは、

「あ~~、お酒なんて飲んで!フリョォだ。藤田君いけないんだ~~!!」

と、悪戯っぽい笑みを浮かべて、横から人差し指で僕の肩をつつく。僕はみんながビールを頼んでいるようだったから、合わせてそれを頼んだ。空気を読んだつもりだったんだが…。

「そういうところってば大人だよねぇ~~私、お酒って飲んだこと無いわ。…飲んでみたいけど、ルールは守らなくちゃね!!」

梓ちゃんは宙を見て、一人で勝手にウンウン!と頷いている。すぐさま、

「あ、沼ちゃんだ!もう始まるのかな???」

見ると、沼ちゃんがステージ袖から出てきて、なんか床に小さい箱みたいなものを並べて、コードで繋いでいる。色とりどりで綺麗な小箱だ。あれも音を出すための装置かなんかだろう。じきにそれも終わった様子で、

(用意できたのかな??)

と思った時に、また客席の照明が消えて、うるさく鳴っていたBGMがスッと消える。

(~~始まる!)

そう思った瞬間に、本日二度目の大音量がギターの弦からはじき出され、沼ちゃんのバンドのライブが始まった。つい先ほど目の前にしていた光景が、寸分の違いも無く再現される。すると梓ちゃんが、僕の耳元に口を持ってきた。

「行こ!」

そう言ったように聞こえた。が、意味が解らないので聞き返す。

「?いまなんて??」

梓ちゃんは、一段と声を張り上げて言った。

「ここで見てても、何が起こってるかわからないわ!!どうせ見るんならもっと近づかなきゃ!!!」

梓ちゃんはニッコリ笑って、僕の手を掴んで前に走り出す。

「もっと近くがいい!!後ろからじゃ見えても…わからない!!!」

いつか、僕が梓ちゃんに言った言葉。僕は嬉しくなって、梓ちゃんの手を握り返した。目の前に広がるのは圧縮された人と人の…海、まるで嵐で時化っている海だ。この大海原に二人して飛び込んだ。

 そこから先は細かいことは覚えていない。リズムに合わせて、跳ねて、体を動かし、踊って、気の向くままに動いて、そして暴れた。梓ちゃんなんて、クラスメイトから持ち上げられたが最後、その場に居た人みんなにリフティングされて、ステージ前の端から端まで跳ねるボールのように運ばれていた。他にも興奮した男がステージに上がって客席に飛び込んだり、そのまま後ろまでリフティングされて運ばれたり…僕らはここにきて初めて、演奏者や観客と一体化した。流れてくる水はただの水なのに、海に混じってしまえばたちまち塩水になるかのように、僕らはライブの空気と一体になって、うねり狂うボルテージをさらに下から押し上げてやった。

 この最狂のテンションは、沼ちゃんのバンドとそのあとのバンドまで、少しも緩むことなく続き、公演のすべての項目が終わった後は、まるで戦国時代の戦の後を想像させるほどだった。会場前とは変わって比較的目に優しい薄暗い照明と、幾分か音量が絞られた場内BGMをバックに、僕らは今体感した興奮について話していた。

「すごいすごい!!!前より全然楽しかった!!」

「なんか会場が揺れている感じだったね!なんで地下にあるかわかったよ!こんなの上の階でやったらビルが崩れちまう!」

クラスメイトも含めて、みんな矢継ぎ早にその感想を口にしている。沼ちゃんと彼のバンドメンバーも客席にお礼を言いに来た。

「みんな、今日は本当にありがとう!すごい盛り上がってくれて…こんなの俺も初めてだったよ!!単純に…興奮したし、嬉しかった!!」

沼ちゃんは本当にすべてを出し尽くして、至極満足という感じだ。バンドメンバーの人らも、わざわざ出てきてみんなに口々にお礼を言う。梓ちゃんは、

「沼ちゃん~~~良かったよぉ!!私なんて何度もみんなに持ち上げられて流されちゃって…少しチビっちゃったわょ!!!」

なんて言ってる。

 みなが帰り支度をしてると、沼ちゃんがこっそりと僕に耳打ちする。

「もう遅いし、倉下送ってけよ。さっきのであいつなんか足痛めたみたいだし。うってつけじゃん」

言って、

(チャンス到来だぜ!)

と、グッと親指を立てる。僕は笑って、

「ありがと。今度は僕が全力を出すよ」

と言い、親指を立てる仕草を返して、梓ちゃんのそばに行った。

「足痛めたんだって??大丈夫かい??」

梓ちゃんは少し辛そうな表情をした後、すぐに微笑んだ。

「うん、ちょっとね…さっきので挫いたみたい…。今は痛むけど、きっと二、三日で治ると思う!」

「二、三日って…これから帰るのが大変じゃないか。もう遅いし、家か…近所まで送るよ」

「あ、ありがとー…でも大丈夫だよ。藤田君に悪いし…」

沼ちゃんがそこで口を挟む。

「出来れば俺も一緒に送ってやりたいんだけどなぁ。俺はまだ料金清算とか、打ち上げとかあるし、ちょっと外せないんだ。藤田君、悪いけど倉下を頼むよ」

ナイスフォローだ。

「うん、もう遅いし。梓ちゃん、ほんと気使わないで。送っていくよ」

「…わかった、じゃあ藤田君お願い!ごめんね!!」

二人でクラスメイトや沼ちゃん、彼のバンドの関係者さんに軽く挨拶してライブハウスを出る。

 小雨の中、市電乗り場まで歩く。梓ちゃんは、少し歩き方がぎこちないけど一人で歩けるみたいだし、表情も暗くなく、歩く速さもそう遅くはない。確かにこれなら二、三日で治るだろう。市電の乗り場までも、市電の中でもライブの話ばかりだった。

 市電は雨の中を淡々と進んで行く。十五分か二十分ほどで僕らは降りる。

「ほんとごめんね藤田君、家まではもう少しあるんだ」

梓ちゃんは、僕に本当に申し訳無さそうな表情で謝った。

「いいよいいよ、気にしないで」

僕は梓ちゃんのすぐそばに立って、傘を広げる。少々歩みが遅い梓ちゃんと、しとしと雨の中、街灯で照らされた夜の住宅街を進んでいく。僕は一気に緊張感が高まっていった。雨が降っているのと、梓ちゃんが足を挫いてるおかげで、僕らは合合傘である。距離は近い。閑静な住宅街のおかげで話もしやすく、邪魔者はいない。夜の暗さと少々頼りない街頭のおかげで、告白のムードは完全に出ている。これはチャンスだ。これ以上ないってくらいのチャンスだ。僕はこの機を逃したら、一生梓ちゃんに気持ちを伝えることが出来ないような、そんな気がした。しばらく歩いて…僕は一気に話を切り出した。

「…梓ちゃん? 僕ね…君の…ことが好きなんだ」

空気感が変わった。と、思った次の瞬間また空気感が変わる。澱んで歪む。あの空気感だ。水のみ場のそばの時を思い出して、改めて自覚する。僕は今梓ちゃんに見られている。見透かされている。でも、それは当然のことかもしれない。僕は今、愛の告白っていう…大それたことを彼女にしたんだから。梓ちゃんが僕を見るのは当然だ。僕は今まで緊張のあまり、梓ちゃんと目を合わせていなかったが、やっと濡れた道路に合わせていた視線を上げて、彼女の瞳へと移す。刹那、空気が緩んだ。澱みと歪みが消えた気がした。梓ちゃんは静かに口を開いた。



[29581] 空気感と雰囲気 編 vol.09
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/21 17:27
「…本当にごめん…藤田君のことは好き。でも、私、特定の人と男女のお付き合いは考えていないの…。逆に言えば…みんなが友人だし、それでいて恋人みたいなもの…。とても…とても変な考え方かもしれないけど、今の私たちの付き合いで満足して欲しいんだ」

言って、

「本当にごめんね…」

と付け足した。梓ちゃんは薄っすら涙を浮かべながら、すごく申し訳なさそうに、僕の告白に返答した。

 いつものハイテンションの彼女からは、思い浮かべられなかった表情とセリフだ…。梓ちゃんはいたって真剣だった。真剣に茶化すことなく僕の気持ちに応えてくれた。…振られた。こうなる予想をまったくしていなかったわけではない。僕はなぜ、梓ちゃんが男女の付き合いを避けるのかが気になった。梓ちゃんに問おうとする。

「あず…」

その瞬間、澱む。また空気が澱んで歪む。

「本当にごめん、でもこれが私…、私の気持ちなの」

また心を見透かされた??梓ちゃんは、いつものハイテンションの時とは打って変わって冷たく、そして静かな声で言った。今もこの間の水飲み場の時と同じように、こちらの疑問を聞きもせずに答えていた。しかし、応答は成立している。一気にあの時の不気味さと不信感が脳裏によみがえる。同時に色々なことが頭を過ぎる。僕はどうすればいいのか、どうしたいのか、どうすべきなのか…少しの間だけ…考えて結論を出そうとする。梓ちゃんが…どんなにいびつな空気感を出そうが知ったことか!僕は…自分の梓ちゃんを想う気持ちの方がずっと大切だ。そう結論付けた。前々から何度となく思ってきたことだ。しかし、僕のその気持ちは、梓ちゃんに静かに拒絶されている。  

 …考えた挙句、僕は今までの関係…友人関係、沼ちゃんと三人で話す関係、クラスメイトとしての関係、二人で合合傘をして歩いても…何も違和感が無い関係、好きだと言葉を伝えるに至るほど親密になった関係…これこそを大切にしたい、崩したくない、決して失いたくないと考えた。幸いにも梓ちゃんはさっき、

「今の私たちの付き合いで満足して欲しい」

と、言った。僕さえ気持ちの整理ができれば、この関係…何物にも変えられないこの関係は、失わずに済むかもしれない。僕は意を決して、心に覚悟を作り上げて返答した。

「…わかった。じゃあこれからも仲の良い友達でいよう。でも僕は待ってる。…いつまでも待ってるから…もし気が変わったら…今度は君から…教えて欲しい」

僕は、雨音に消されそうなほど静かな声でそう言った。澱んで折れ曲がった空気感は、元に戻っている気がした。梓ちゃんは、

「うん、わかった。…ありがとう」

言って、少し微笑みを取り戻した。少し気分が明るくなる。そうだ…、僕は彼女の笑った顔が見たいんだ。梓ちゃんの笑顔を望んでいる。泣かせてどうする??泣かせちゃったんじゃ…全然、全然ダメじゃんか…。僕はそう心に強く思った。


 夏休みも中盤を過ぎた頃のクソ熱いその日。唐突に、本当に唐突に、父の転勤の話が家族の食卓に浮上した。

 父は大森組という、世間でも有名な上場一部の建築系の会社に勤務しているのだが、なんと北海道支社務めになるらしい。給与は一気に上がるし、これまでの貯金と転勤を承諾する際に発生するお金で、家を買うことも考えていると言う。北海道支社勤めになると、もう転勤はまず無いとのことだ。転校は大変だと思うけど、高校生活は始まったばかりだし、向こうで安定した生活を基盤に、新しい環境で勉学に勤めて欲しい。そう両親は言う。

 …心に引っかかることは一つしかない。梓ちゃんのことだ。しかし、両親はもうこの転勤を心に決めている。僕が今ここでどうこう言っても、転勤は覆らないだろう。恋心がおさまったわけではないが…このまままるで知らない土地に行って、まったく新しい人達と、梓ちゃん達と作ったような関係を築き上げていくのも一つの選択肢かもしれない。少し悩んだ末に…両親からしてみれば、以外にすんなりと…であろう、答えを出した。

「うん、わかった。…でも、北海道って雪が降るし、積もって大変なんじゃないの!?」

と、何も心残りが無いかように振舞った。父さんと母さんは、元々北陸の出身で雪には慣れ親しんでいる。

「なぁに、人間どこだろうと住めば都さ。雪もいいもんだよ。ダルマできるぞ、ダルマ!」

父さんは本当に嬉しそうだ。僕はついこないだ、ずっと欲しくて欲しくてたまらなかったものを手に入れることに失敗した。でも父さんは、長年働いてきた自分への評価と、その評価を受け入れてもよいという家族の了承を得た。きっと欲しかった物に違いない。本当に嬉しそうだ。思えば、僕は早急すぎたのかもしれない。もう少し時間をかけて…ゆっくりと二人の関係を成熟させていっていれば…あるいは梓ちゃんと…。

「ま、どっちにしろ転勤で不可能になるか」

「ん、なんだ?」

父さんが反応する。

「いや、こっちの話」

 自分の部屋に戻る。セミがジージーと鳴いている。まったくうるさくてしょうがない。同じうるさいって感覚でも、ライブハウスのあの空気感とはまるで違う。人間の感覚とは本当に不思議だ。思ったのは…人間の感覚に絶対はないということだ。僕は何度も何度も何度も…梓ちゃんが発する、澱んで歪んだ雰囲気を味わったが…今にして思えば、確信したはずのその感覚でさえも、錯角だったのではないかと思えてくる。だってあの…あの天真爛漫で、ハイテンションで、遅刻魔で、おっちょこちょいで…僕が恋心を抱いた梓ちゃんが、そんな奇妙な雰囲気を作り出すなんて…。そう思って、ふと僕は気づく。

「そう言えば、結局…僕は梓ちゃんのことを何も知らないままだな」

梓ちゃんとは本当に数多くの言葉を交わしたが、意外なほどに彼女は自分の話をしていないことに気づいた。趣味、特技、好きな食べ物、好きな本、好きなテレビ、好きな音楽、逆に嫌いなもの、家族構成、将来の夢、やりたいこと、なりたいもの、好きなタイプ、嫌いなタイプ、今まで生きてきて一番不思議だったこと、今まで生きてきて一番面白かったこと、一番悲しかったこと、誕生日、血液型…etc…今にして思えば、僕は梓ちゃんのことを何も知らなかった。

「やっぱり早急すぎたのかもなぁ。今度恋をするときは…もっとじっくり相手のことを聞いてから、告白しよう」

 夏休みは半ば過ぎ、僕がすんなりと了承したので、引越しは来週にも行われるそうだ。北海道は遠い。おそらくもう梓ちゃんや沼ちゃんと会う機会は無いだろう。電話くらいは…とも思ったが、急にそんなことを言っても二人を悩ませるだけだし、引越しを了承してしまった身としては気まずいし、何より悲しい。二人がどう思うかはわからないが、空気を読んでこのまま消えることにした。

 遠くにいるからといって、関係が崩れるとは限らない。近くにいるからといって、関係が続くとも限らない。梓ちゃんは手紙でもハイテンションなのかな…。手紙のやり取りだけでも、あるいは電話のやり取りだけでも僕の心を見透かすだろうか。異様な違和感を感じさせるだろうか。

「なんだ、やっぱり…まだまだ好きなんだなぁ」

そう独り言を言って…梓ちゃんのことを思い出すと…涙が出た。そして思った。梓ちゃんなら…梓ちゃんなら手紙の文字の筆圧や書き直し、電話の声のトーンや話し方で、僕の心を見透かすだろう。容易に。なんの造作も無く。そして、北海道にいるはずの僕の周囲の空気感を澱んで歪ませて、僕をビビらせる。だからこそ梓ちゃんなんだ。そう、それこそが梓ちゃんなんだ。

 そう気づいて、それでもやはり彼女を好きな自分に気づいた。だが、僕の感…僕をこれまで支え続けてくれた空気感と雰囲気を読み取る感は、

(これで良かった、あの女は君の手には負えない)

と、知らせている気がした。

 …ついこの間、シャンパニアの校門前で、僕の感は梓ちゃんに対して緊急警報を鳴らした。僕は梓ちゃんの心の深層に何があるのかはおろか、彼女の表面の部分すら知ることは出来なかった。それを知ることができてたなら…彼女とお付き合いできただろうか。それとも、僕の感の知らせる通り、彼女を持て余してしまっただろうか。…この答えを知る機会は失われた。おそらく…おそらくこれから先、梓ちゃんに接近するチャンスはもう二度とないだろう。…二回あったチャンスは、気づきこそしたが、生かせはしなかった。

そんなことを延々と考えていると、唐突に部屋の扉がガチャリと開く。

「も~~~、お兄ちゃん!何度呼んだら返事してくれるのよ!??起きてるんならちゃんと返事してよね!お母さんがご飯だって!!」

妹が顔を出す。

「ノックくらいしろよ!」

そう返すと、妹はさらに声を荒げて、

「何度もしたわよ!!!」

いかんいかん。また集中してしまっていたか。

「すまんすまん、ちょっと考え事してたんだ…」

すかさず怒号が飛ぶ。怒れる妹を尻目に、僕は逃げるようにリビングに走るのだった。



[29581] 人生の分岐点 編 vol.01
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/22 13:09
人生の分岐点


 ターニングポイント。人生には分岐点というものがある。人は何かをするにつけ、あらゆる行動の可能性の中から、たった一つの選択肢を選び取る。あるシーンで何かを選び取り、そしてまた次のシーンで何かを選び取る。それを繰り返す過程で、人格は形成されて行き、積み重ねられて初めて、人生と成り得る、そして、更なる果てには人間の終着点があるのだと…私は思う。

 この人生に用意されている私の選択肢…。選び捨てられた選択肢の先に…なにがあったかなぞ、当人はおろか、他の何者であろうとも知ることはできない。

 命が消えようとするとき、人はそれまでの人生を走馬灯のように思い返して、脳裏に張り巡らすという。幾度となくあった私のターニングポイントが次々と思い返される。…人生の選択肢。私は…どの分岐点を間違って進んでしまったのだろうか。


 コンビニは、その立地条件やオーナーの性格、お店の方針でその形態が決まる。店舗の持つ雰囲気は、場所、広さ、付近地域の特色、オーナー、そのオーナーによって選ばれるアルバイト、客層…こういったもので形作られるのだと思う。

 私が勤めるここ、セブンイレブン帯山店は、九州は熊本県熊本市の閑静な住宅街に位置する。熊本東バイパスという大きな通りが近くにあるが、直接面してはいないため、基本的には近隣住民がこの店の客層となる。

 交通機関の要所近くや、オフィス街の店舗だと、お客さんの顔ぶれは比較的ランダムで、流動的である。しかし、住宅街の店舗となると、客層は一軒家やマンションを購入して構えている方が対象となるため、お客さんは近所に新たに他のコンビニエンスストアが開店でもしない限りは、この店へ通い続けることになる。したがって、常連さんと呼ぶことが出来るお客さんは多く、特に話はしないものの、おそらくお互いに…顔は知っているという間柄になるのだ。

 コンビニで働いたことがある方ならわかるだろが、常連さんには誰がつけるわけでもなく、自然とあだ名が発生する。毎朝スポーツドリンクとおにぎりと新聞を買っていく太った中年男性は「太(ふとし)」、お昼にきまってパンと紅茶を買っていく美人のOLさんは「ビューティー」、深夜に立ち読みしてカップラーメンを店舗前で食べている不良少年の団体には、「ヤンキーA」「ヤンキーB」「焼きソバヤンキー」「から揚げヤンキー」、毎日メール便を持ってくる青年は「メール便の人」…などと、各人の身体的特徴や、当人がよく購入する物をもとに、大変安易にネーミングされる。そう呼んでいるということを知らないアルバイトが初耳で聞いても、「あー、あの人か!」とわかるほど、直球なネーミングがなされるのである。

 私、新城真理は二十九歳のコンビニアルバイトである。二浪の末、東京の有名私大文学部に合格して、そのまま大学院修士課程へ進学、その後博士課程に進んだのはよかったが、もう少しで博士号というところで、担当教授と反りが合わなくなり、単位取得退学という形で、実家の熊本市帯山に帰った。両親は優しく、

「真理ちゃんはずっと勉強して頑張ってきたから、少し休むといい。じっくり休んでから、今後の身の振り方をゆっくり考えなさい」

と言ってくれた。

 私のコンビニ店員歴は長い。もちろん店舗こそ幾度も変わってはいるが、浪人時代から通して、今までずっと続けている。熊本に帰ってきてからもやってきてることだし、働かないと精神衛生にも悪いから…と、とりあえず近所のセブンイレブンの面接を受けた次第だ。…それももう半年以上前の話になるが。

 コンビニに来るお客さんというのは、当然何らかの目的があって店内に入ってくる。食事を買いに来る人、飲み物を買いに来る人、タバコを買いに来る人、本を買いに来る人、お金を下ろしに来る人、宅配便を出しに来る人、トイレを借りに来た人、公共料金を支払いに来る人、万引きしに来る人…etc…最後のは冗談だけど、とにかく目的は様々である。

 私ほど店員暦が長くなると、そのお客さんと今の状況を見ただけで、その人が何を欲しているのかわかるようになる。極端な例だと、三十五℃を超えるような蒸し暑い日に、汗だくで入ってきて、メロンパン三個のみを買っていくような客はまずいない。そういう客は、二百円程度の大型ペッドボトルのスポーツ飲料を買っていく。また、小学生くらいの子供が来て、

「これくーださい!」

と、スポーツ新聞をレジに置いたりはしない。子供は、お菓子やマンガを買っていくのがほとんどだ。

 外見にこれといった特徴が無い人でも、何回か店に来れば、購入物の特徴を見ることができる。最も多いと思われる食べ物の買い物パターンですら、三、四パターン程度だ。

 十年の経験上言えるが、ほぼすべての人がそうである。…ここで「ほぼ」という表現を使ったのには理由がある。それは私が知らない客もこの世にはごまんといるだろうから、当然例外もあると思って…そう思って使ったわけではない。実際に例外として、ウチの常連客で心当たりがあったからだ。

 あだ名は「謎の女子」。彼女は、購入物はもちろん、現れる時間帯にも規則性がない。ついでに言えば、服装にも規則性が無い。来る度にコロコロと服装が変わるのだ。ほぼ毎日…私が働いている日だけでも毎回来店を確認するので、いない時間のことを考えたら、かなりの回数で店に来ていることが想像される。一日に一回は必ず来ている大常連さんである。わかることは、容姿から十四~十七歳だろうということ、これだけ頻繁に来るのだから、近所に住んでいるのだろうということくらいである。

 私が見る彼女は、推定年齢とは裏腹に大人びて見えた。髪の毛は、カラーは漆黒、髪型はボブ、長さはショート。色白で目は大きく、肌の白と黒目・黒髪によるコントラストがクッキリしている。はっきり言ってかなり可愛い。昨日は艶消しの黒いノースリーブに黒いロングスカート、履物も真っ黒の編み上げブーツを履いている。今日は全身黒尽くめだ…と思った。

 購入物は…とにかく規則性が無い。常連であれば、食べ物の好みは大方わかるものだが、彼女に至っては、棚に並んでいる順番で取っていってるのかと思うほどバラバラである。

 私は深夜バイトが主なのだが、謎の女子は現れる時間も様々で、深夜一時ごろに現れることもあれば、明け方の五時ごろ現れることもある。彼女の職業が皆目見当つかない。若い子だし、深夜徘徊しているところを見ると、フリーターかなんかで、夜は遊んでいるのかなとも思ったが…それにしては、複数人数で来店したことはなく、いつもきまって一人だった。

 印象は冷たい子供といった感じで…、一度だけ、それも一瞬だけだが、眼光が鋭く光るというか、異質な視線で他のお客さんを見ていることがあったので、そんな印象がある。ルックス、行動、印象…そう言った点で、一際目立つ女の子で…どこかしら一般人でない、普通の人ではないな、と思わせるお客さんだった。


 深夜のコンビニアルバイトというのはなかなか難儀なもので、昼間に比べると危険性が高い。熊本という田舎でもそれは同じことで、ここ最近、近所では若者の暴力事件が起きたり、お面を被った変質者が頻出したりと…なにかと物騒な話があった。しかし、東京でも深夜や早朝のバイトを行っていた私にとっては、

(…またか)

と、思えるほどありふれた話だった。その手の輩の話は幾度となく聞いたが、コンビニの店員が最も気をつけるのは強盗に対してで、当然ながら、勤務中に外を出歩いたりはしないため、店外で起きた暴力行為や変質者などの事件に絡んで、直接被害をこうむることはほとんど無い。これも経験上から自信を持って言えた。

 十月某日、深夜は少々肌寒くなると思った、そんな日。深夜三時。一般的にはこの時間を指して、草木も眠る丑三つ時だとする。お客さんも誰もいない。手持ち無沙汰なので、深夜は大体一緒にシフトに入っているオーナーさんに断って、外のゴミ箱の整理や店内清掃、書式業務をする。最近は家庭用ゴミも捨てられていることがあるので、夕方や夜にゴミ袋を換えていても、深夜にはすでにいっぱいになっていることが多々ある。そうして、いっぱいになっているゴミ袋の口を縛っていると、謎の女子が来店した。ここは店の外だが、

「いらっしゃいませー」

と声をかける。…事が起こったのはその瞬間だった。



[29581] 人生の分岐点 編 vol.02
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/23 08:36
 目の前の通りを挟んだ向こうで、叫び声と大声、物音が聞こえる。なにやら男女が揉めているらしい。店に入ろうと、扉に手をかけていた謎の女子も、声を聞いて通りのほうを振り向く。彼女の動作につられて通りのほうを向いた時だった。男性が女性を刃物で切りつけているという、とんでもない瞬間を目にする。私はあまりにもいきなりで驚いたからか、

「きゃぁっっ!!」

と、大きな声を出してしまった。刹那、男はこっちを見る。あれよあれよという間に、何の因果か、バッチリと男と目が合ってしまう。男は次に謎の女子のほうを見る。私もつられて彼女のほうを見ると…彼女はその男を凝視していた。当然ながら、彼女と男は目が合う。その様は異様だった。謎の女子は臆すどころか、眉一つ動かすことなく、男と襲われていた女性、そしてその周辺を見ている。そして、いったん状況を確認するかのようにそれらを見た後…また男を凝視する。男も謎の女子の異様さに気づいたからか、私達に目撃されたからか…こちらに今まで以上に強く注目した。その時、男が見せた一瞬の隙に…地面にへたり込んでいた女性はバッと立ち上がり、ヒールを捨てて走って逃げ出した。男は、

「待ちやがれっっ!!」

と、声を荒くして叫ぶが、視線は私達と逃げる女性の間を行き来している。女性は逃げ出してしまったし、思いっきり目撃されてしまった…。どうすればいいのかわからないという状態に陥って、パニックになっているように見えた。もちろん私自身もパニックである。とっさに、

「け、警察を…」

と言って、店に入ろうとすると、男は(クソッ!) と言わんばかりの表情をして、女性とは別の方向へ逃げていった。私はその後、少しの間ポカンと口を開けて呆けていたが、休憩室にいる店長に話をしようとして店内に入ると、謎の女子はすでに会計を済ませて出て行くところだった。

「あ、ありがとうございました…。帰り、気をつけて帰ってね…」

と言うと、彼女は一瞬私を見た後、特に気持ちを表情に出すこともなく、人形のような整った顔立ちのまま、

「…あなたもね」

と言って、足早に店を出て行ったのであった。

 その後、店長に事情を話して警察に通報した。警察の人は被害届けが出るまで事件としては取り扱えないが、最近色々と物騒な事件の報告を受けていることもあって、付近のパトロールを強化すると言った。そして女性が履き捨てたヒールを証拠品として持っていった。私は気分的にも精神的にも大丈夫だったのだが、オーナーさんは念のためにしばらくの間だけでも…、と深夜の時間帯を外してくれて、それからしばらくは夕方中心のシフトに入ることになった。


 それから数日後。夕方は六時ごろ。あれから別段変わった様子もなく日常は過ぎてゆく。しかし、先に起こっていた暴力事件の犯人や変質者、先日否応無しに目撃してしまった男が逮捕されたとの報せは受けていない。特に新聞等で知らされることもない。このまま風化してしまうのだろうか…。季節は秋口、外は爽やかな風が吹いているだろう。…などと思っていると、一人の女子高校生が店に入ってきた。

「いらっしゃいませー」

と言う。大人しくて真面目そうな子だ。すぐに雑誌が置いてあるコーナーへ行ったから、顔までは確認していない。白のハイソックスに、靴はローファー、グレーのブレザーとスカートに白シャツ、胸には青のリボンが付いていた。

(知恩高校の制服だ…)

知恩高校は、熊本市内にある仏教系の私立高校で、学力偏差値はそれほど高くないのだが、スポーツ、特にバレーボールは全国的にも有名な高校である。

(中学生の時、すごく仲がよい友人が知恩に進学した…彼女元気かな??)

などと考えていると、当のその子がレジにくる。

 おにぎりが数個とお茶…レジ打ちして、お金を受け取ってお釣りを渡す。特に何も考えずに、

「ありがとうございましたー」

と言うと、

「元気そう。夜間ではなくなったのね」

女子生徒はそう言った。

「???」

呆けて彼女をよく見ると、その子は深夜によく店に来ていた謎の女子だった。

「!!」

驚いた…高校生だったのか!いや、そのくらいの年だとは思っていたけどまさか…という感じだ。

「思いっきり目が合ってたもの…。できれば夜は避けたいわよね」

彼女は、こちらの驚いた表情をサラリと流して、言葉を続けた。

「でも気をつけて。あの人…きっとあなたと私に…もう一度接触する」

彼女はこれもまたサラリと…恐ろしいことを言った。

「え…?せ、接触って??」

もちろん意味はわかるのだけれど…会話の流れについていけない。そう問うと、彼女は、

「襲われるかもしれないってこと」

そう言って、足早に店を出て行く。私はポカン…と口を開けて、彼女の後姿を見続けた。

 彼女が何物かは知らないけど…。

(怖すぎるわっ!)

私は本当に怖くなった。黒髪の無表情女子高生の冷たく言い放つような口調での警告、そしてあの女性を刃物で切りつけた犯人がまた来るかもしれないという恐怖…。

(もう…、なんだって私は…子供の言うことにこんなに動揺してるわけ??)

でも、彼女の言うことは一理ある。あんなに現場を直に目撃してしまったんだ。口封じのため…とか。

(…でもそんなのあるんなら、事件の直後に来てるわよっ!あ~~、やだやだ、サスペンスドラマの観すぎよね…)

 事件からは数日経っている。その後は特に話は聞かないし…、犯人はもう懲りて自宅に引きこもりながら、

(…神様どうかバレませんように…)

などと、手を合わせて祈っているのかもしれない。…でも、謎の女子の台詞はいやに真に迫る感じだった。

(なんか根拠でもあるのかしら…自信ありげに接触するって言い切ってたけど…。それほど自信があるんだったら…私なんかより、あの子の方がよっぽど危険じゃない。私の数倍は男を直視してたわよっ!んもう…なんでこんなことになっちゃったんだろう。あの時ゴミ捨てに外になんて出なきゃ良かったわ!仕事とは言え…悪い選択しちゃった!!)

「あ~~、もうやんなるわ~~…」

そう言って、頭をグヮシグヮシ両手で掻き回すと、

「あ、あの…」

と、目の前に困惑した表情のお客さんがいた。

「す、すいませんっ!!」

私はすぐに仕事モードへと気持ちを切り替えた。


 さらに数日が経った。謎の女子が話しかけてきた時は少々怖くなったものの、実際に何も起こらない平和な日々が続くと、あれは取り越し苦労もいいところだったと感じてしまう。

 あの子が来た次の日はまだ少し恐ろしくて、万が一刃物で刺されるようなことがあってもいいようにと…弟のマンガ雑誌をお腹に入れて勤務したりもした。が、我ながらバカみたいだ。

(そう簡単に刺されたりしてたまるもんですかっ!)

なんて思って、一人でプンプンしていると、謎の女子が店に入ってきた。



[29581] 人生の分岐点 編 vol.03
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/24 17:42
彼女は日中夕勤帯も二日に一度くらいのペースでやってくる。

「いらっしゃいませー」

 あれからは口を利いていない。私は彼女のことが気になっていた。よく見てみると、彼女はなんか…異質だ。さすがに謎の女子と名付けられただけあって、彼女独特の雰囲気がある。人を見る目つきというか、ただ普通にそこに存在している態度が堂に入っている。

(まだ若いのに…そう、子供が持つ無邪気さや落ち着きの無さがないんだわ…)

疑問点も多い。高校生なのになぜ深夜徘徊しているのか、なぜ毎日毎日服装を極端に変えるのか、なぜ購入物が一定でないのか、なぜ暴力事件を冷静に見ていられたのか、なぜ自信ありげに犯人が接触してくるなどと言っていたのか、そして…なぜその犯人に会うかもしれないのに平然としていられるのか…私にはわからないことだらけだ。

 彼女は、今日も好みやパターンを推定できない物をいくつか手にとって、どさりとレジに置く。他にお客さんはいない。まったく知らない仲じゃない。むしろ犯罪の現場を同時に目撃したという、一般にはなかなか例がない稀有な間柄だ。私が彼女に何かを話しかけて…いや、質問しようとした瞬間…、彼女は私の言葉を遮って言った。

「十八番のタバコも貰えるかしら」

私の台詞の頭に被せるタイミングがあまりにきれいだったので、私は反射的に絶句した。一瞬言葉を詰まらせた後、息を飲んで気を取り直して答える。

「た、大変申し訳ありませんが、未成年の方には煙草はお売りできません」

言うと、彼女は微笑して、五千円札を出した。

「五千円お預かりいたしますー」

と言うと、

「お釣りはいらないわ」

と言って、いつものように足早にお店を出て行く。

(なんか…こっちの言葉…はぐらかされて逃げられちゃったって感じ??しかもお釣り要らないって…あなたの買い物、千円にも満たってないじゃない…。お金持ちなの?っていうか煙草なんか吸うわけ??子供のくせに…)

(もうっ!ほんっとうに……変な子ッ!)

と、思った瞬間、出口の扉を押そうとする彼女が、

「変な子」

と、呟いたのが薄っすらと聞こえた…。幻聴か???そう思えるほど、私が心に思ったタイミングとピッタリで…。静かですぐに立ち消えてしまうような声だ。彼女はそのまま、動作に何の不自然さやぎこちなさも見せずに、スッとお店を出て行った。

 …私は面食らいながらも…お金をレジにしまって、彼女に渡すはずだったお釣りの金額分のお金を出して、募金箱に入れた。オーナーさんの言いつけだった。ガサガサッと折り曲げられた四枚の千円札を募金箱に入れ、続けてチャリンチャリンと小銭を何枚か入れる。それが済んで、

「なんなのよあの子…。変な子」

今度は声に出して言った。


 それからさらに数日が経つ。もちろん平和なままだ。何も起こってない。私はすっかり安全を取り戻した気になっていた。オーナーさんの許可を得たうえで、また深夜にもポツポツと入るようにした。

(なんか深夜のほうが調子いいのよね…)

学生、研究生時代からそうだ。往々にして、大学生や院生は夜型になるものだ。長年繰り返したライフスタイルのせいか、夜中の十二時から四時頃が最も調子がよくなるような体になっていた。

 このお店は住宅街にあるが、深夜にもそれなりの数のお客さんが来店する。レジで暇そうにしている時間も多々あるが、平均すれば一時間に十~二十人ほどのお客さんが来ているだろう。客入りは決して悪くない。深夜に戻ることができた初日から…謎の女子は来た。夜の彼女は私服だった。

 今日は、赤い男物のようなジャンバー、下は地味な薄いベージュのブラウス、帯のようなベルトに、紫のロングスカート、靴はいつかも履いていた黒の編み上げブーツだった。あとは今日のポイントです、と言わんばかりに、頭に可愛らしいブラウスと同じ色のリボンを付けている。

「いらっしゃいませー」

言うと、彼女はこちらをチラリと見て、商品棚のほうへ歩いていった。いつものごとく、規則性の無い食品をさっさと選んでレジに置く。

(今日は何か言うかな…?)

とか思いながら、バーコードを読み取っていると、彼女はいつもの静かで落ち着いたトーンで、

「また夜に来てるんだ?」

と言った。私は彼女と目線を合わさずに、商品のバーコードを読み取りながら、

「はい。もうだいぶ経ちましたし、その間何もなかったので」

と、ほんの少々「何もなかった」を強調して、嫌味っぽく言う。すると彼女は、

「辞めたほうがいいわよ」

と言った。私はバーコードを通すのを中断して、

「…え???」

と、素になってそう答え、彼女を見た。何を言っているのかわからない。静かで冷たく言い放っているが、どこかこちらを心配しているような感じがしなくもない口調…。

「もう辞めたほうがいいわ。お仕事」

彼女は声のトーンをまったく変えることなく、そう言った。



[29581] 人生の分岐点 編 vol.04
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/25 16:23
「え…?な、なんでですか??」

(お仕事…?バイトのこと??)

唐突に…こっちがまったく予想だにしないことを言われれば、反射的に聞き返してしまうのも仕方がない。私は彼女に、なにか粗相でもあったかと思ったが、答えは違う。

「危険だからよ」

至って冷静に彼女は言う。彼女は千円札を右手に持って、「はい」という表情で私に手渡す。私は焦りながら、

「せ、千円お預かりいたしますー」

と言って、レジ打ちした。彼女は今度はお釣りを受け取ると、いつものごとく足早にお店を出て行く。その後姿を呆けて見ていると、彼女はドアの前でピタリと足を止めた。振り返らずに言う。

「よく考えて選ぶのよ」

言って、店の外の夜に消えていくのだった。私はまた呆けた顔をして、ぼんやりと彼女の後姿を見続けた。

 …まるで言っている意味がわからない。

(なんでわたしがあんな子供にタメ口で仕事辞めろとか言われなきゃいけないのよ!!…たとえ客と店員という関係でも、いい加減ムカツいてきちゃうわっ!ったくなんなのよあの子!自分だって同じシーン目撃して…、しかも凝視してたくせに!!あの子の方がよっぽど危険じゃない!!)

横のレジにいたオーナーさんは私を見て、

「し、新城さん??どうかしたのかい…??」

オーナーさんは恐る恐る私の顔色を伺って、そう言った。そんなに酷い顔してたのかしら…私…。

「いや…あの女の子ですよ。いつも夜は私服の変な服装で来て、お昼にもたまにくる知恩高校の…」

「あぁ、あの黒い髪の可愛らしいお嬢さんか」

オーナーさんもすぐにわかる。そう言って、

「あの子は、夜によく東バイパス沿いのバス停のベンチに座って、ずっとボーッと車が通るのを眺めてるよ。何度か警察にも補導されたりしたみたいで、近所では評判の子だ。もっとも座ってるだけで何もしてないからすぐ釈放だ。不良って感じじゃなくて、なんか不思議で変な子だよな。謎の女の子ってところだ、ははは」

さすがは私たちアルバイトのボス。ネーミングセンスまで阿吽の呼吸。…でもバス停でずっと道路見てるって…余計に意味不明で謎だわ。

「少し前まで帯山中学に通っている姿をよく見たよ。今は知恩に行ってるのか。子どもはすぐに大きくなるな。光陰矢のごとしだ」

と、オーナーさんは笑う。私はもう少し謎の女子について話が聞きたかったが、お客さんがレジに来たので、話はこれで終わった。


 久しぶりに旧友と会うのはいいものだ。高校の時に仲が良かった同級生の鈴本洋香は、

「帰って来てるのなら、何故連絡をよこさない?」

と、私を厳しく叱った。お叱りを丁重に受けて、二人して食事に行く。

 昔の話と仕事のグチ、どうしてもこれが話題の主になる。驚かれるのは…やはりコンビニのバイトである。

「マリ、それはないんじゃないか。中央大学の院を出て…なぜ高校生のアルバイトみたいなことをやっている?」

「だって慣れてるし、腰掛けなんだもん」

クイとグラスを煽って言う。

「そんなんじゃ、彼氏も出来てないだろ?ちゃんと就職すればよい。…んー、良かったら、私がクチ聞こうか?」

旧友の鈴本洋香は、熊本日々新聞社で編集の仕事をしている。男勝りのキャリアウーマンで、高校時代から成績は良く、クラスの中心人物で、カリスマ性もあった。

「洋香はいいとこだもんねぇ~~、私だってそんなとこで働きたいよ」

「マリ…お前、自分の学歴を知ってて…私をバカにしてるのか??今度ウチを受けてみるといい。私も推薦しておくし、絶対採用されると思うがな」

新聞の編集か…文学修士なんてなんの役にもたたないと思っていたけど…。ここまで文章に携われる仕事もそうそう無いかもしれない。それに何よりやりがいのある仕事だ。俄然興味が沸いてくる。

「ほんとに??できればお願いしたいわ。採用さえしてくれれば、身を粉にして働くわよ」

「お前、向いてると思うぞ。仕事は細かいけど、生活はガサツで…すぐ馴染んでやっていけそうだ」

「ガサツで悪かったわねぇ~」

そう言って焼酎をグイとあける。

「お酒もそんだけ飲めりゃ上等だ。絶対採用だな」

洋香は、

(こんなに飲む子だったのか…)

と、私を白い目で見つつも感心している。

 今日はお酒が進んだ。学生時代から飲むのは好きだったけど、こんなに飲んだのは久しぶりだ。正直、院を中退してからは落ち込んでいた。が、両親の支えと地元での落ち着いた生活と時間が、私を癒してくれた。そろそろ新しい生活を考えてもいい頃だ…。

 ふと思う。あの時大学院を退かなかったらどうなっていたかな。意地を張って地元に帰らずに東京で就職していたらどうなっていたかな。洋香のお酒の誘いを断ってアルバイトに行っていたらどうなっていたかな。

お酒のせいか…たらればを考える。サークルで仲が良かった先輩が言ってたっけ…。



[29581] 人生の分岐点 編 vol.05
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/26 23:11
「人生は選択肢の連続だ。僕らはあらゆる分岐点の中で出会い、別れ、一緒の時を過ごす。その分岐点の選択が一つでも違っていたら…僕らは出会わなかったかもしれないし、ここにある…なにもかもが狂ってしまっていたかもしれない。そして選択を繰り返した果てにある…その人間の終着点はどういうものなのか。なぜその終着点に行き着いたのか、どうやって行き着いたのか。…それは誰もが誰ものを知ることが出来ない」

…とかなんだかそんな感じのこと。…確かにそうよね。人は何気なく生きているけど、何気ない選択をひたすら繰り返してる。その何気ない選択が、未来を大きく変える可能性だって…大いにあるわ。…でも、そんなの…どうしたらどうなるかなんて、絶対にわかんないわよね。…などと、色々と思い耽ってると、すでにダウン気味の洋香がムクッと起き上がる。

「帰る~~。タク乗り場まで連れてってくれ!!」

と、言いながら…ゲロゲロと吐いていた…。

 夜の風は冷たく、もう秋の終わりを伝えていた。季節は巡って人々をやさしく諭す。それは母親が朝に子供を起こすかのように、父親が悪いことをした子供を叱るかのように、優しく、厳しく…人々に時の流れを知らせる。人生の中を連続して、必ず我が身に降りかかってくる分岐点…、それはまるで季節の変わり目のようなものだ。必ず来るとわかりきっているのに…それが何時だかは曖昧で…はっきりとはさせていない。

 洋香に肩を貸して、ユラユラと歩いていた私たちは、やっとタクシー乗り場に着いた。タクに洋香を乗せて、彼女の自宅の住所を運転手に告げる。彼女の家は私の家とは反対方向なので、彼女とはここで別れることになる。彼女は、

「わらしは意識あるから、らいじょーぶ。らいじょーぶらって。おまえぇ、気ぃをつけて…帰り…なさぁいよぉ…」

と、非常に心配な様相だが、自宅の前で降ろされることになるので大丈夫だろう。

 私は夜風に当たって酔いの大方は醒めていた。もちろん少々残ってはいるが、彼女に比べればなんてことはない。すぐに次のタクシーが来る。夜の一時も過ぎた頃、私は夜の景色を眺めながら、自宅に向かっていた。新聞の編集の仕事のこと、アルバイトのこと、謎の女子のこと、人生の分岐点のこと、女性を切りつけた男のこと…お酒が入ると色々と考え事をする。私の人生はどうなるんだろう…みんなこんなこと考えるのかなぁ…。

 少しウトウトとしていると…視界にバス停とベンチ…と、そこに座って佇んでいる少女が移る…。とっさに、

「すいませんっ、止めてください!」

と言う。もう家は近い。運転手さんにお金を支払う。

「酔っ払ってるし、少し歩いて酔いを醒まして帰ります」

言って、タクシーを降りた。そこから十メーターほど歩いて、少女の右後ろに立つ。少女はベンチに腰掛けているので、彼女の右上から見下ろす形になる。後ろから…頭に長く付けられている白のリボンと、白のワンピース、ベージュの服を羽織っている…それくらいが確認が出来る。…深夜二時前の東バイパス沿いのバス停、そこに私達はいた。私が話しかけようとすると、意外に…彼女が先に口を開いた。

「今日は仕事じゃないのね」

やはり謎の女子だ。彼女は私を見てもいないのに、私を私だと判断して話しかけた。

「よく私だってわかったわねぇ。隣いい?」

今日は店員とお客さんの関係ではない。敬語を使う必要もあるまいと思う。

(私はこの子より一回り以上年上なんだぞっ)

と、自分自身に言い聞かせつつ、親しげに話しかけた。

「よいしょっと」

私は彼女の返答を待たずに、バス停のベンチの彼女の隣に、少しの間を開けて座る。別に彼女が何をしてようと関係なかった。ここに来たのは酔っ払っているせいと、ただなんとなく誰かと話でもしたかったせいだろう。

「いい夜ね。少し冷たいけど」

私がそう言うと、彼女は空を見上げて返答する。どこまでも続く、抜けるような黒い空は雲一つなく、星も月もクッキリと夜に抱かれていた。

「うん、月もキレイ。おかげでよく見えるわ」

???一体何が見えるのだろうと思う。

「何が見えるの?」

彼女は静かに答える。

「人よ。車に乗っている人」

意外な返答だった。でもそんなことはどうでもいい。

「私、多分あのコンビニ辞めるわ。他にお仕事を探すことにしたの」

(別にあんたに言われたからじゃないけどね)

と、心の中で舌を出して付け足す。

これもまた意外なリアクション…。彼女は私と目を合わせて、真剣に話を聞いている様子だった。

「そう?…寂しくなるわ」

と、またも意外な事を言う。お酒のせいか突っ込みも厳しくなる。

「辞めろって言ったくせに。何言ってんのよ」

笑いながら言う。彼女はその言葉を聞くと微笑んで、

「そうね」

言って、

「でも、その選択は賢いわ」

と、付け足した。

選択という言葉を聞いて、最近よく考えることが頭に浮かぶ。人生の分岐点、選択肢の連続、人間の終着点…。こんなこと、あなたみたいな子供には難しすぎるわね。尋ねようとしたが、止めた。その時、彼女はこう言った。



[29581] 人生の分岐点 編 vol.06
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/27 18:32
「あなたはその決心で、大きく未来を変えたかもしれないわ」

私はドキッとしたが…返答した。

「そんなこと聞いてないわっ!子供の知ったかぶりになんて付き合ってらんない」

私は声を少し荒げて、きつめにそう言った。彼女は(???)といった表情をして、私を見ながら少し考え込むような仕草を見せた。そして、

「ふふ、今夜は飲みすぎたのかしら?…らしくないじゃない」

と、落ち着き払った声で言った。少し冷静になる。

(私ったら…子供相手になにムキになってるのよ。大人気ない。これじゃまるで…私のほうがてんで年下の子供みたいじゃない…)

そう思って、問う。

「じゃ…じゃあ、あなたは私があのコンビニのバイトを辞めたらどうなるって思うの?」

彼女は私に合わせていた目を伏せて、首を横に振った。

「それはわからない…誰にもわからない。ただ、」

「ただ…?」

自然と彼女の話に耳を傾ける。彼女は立ち上がって、私の前に立つ。幾台もの車が静かに通って、街頭やビルのネオン、車のライトや信号の光などが様々に混じりあって…彼女の背中のすぐ後ろを幻想的な光で鮮やかに照らす。車が風と共に通り過ぎる。その風は彼女のスカートと長く結ばれたリボンと黒髪とをなびかせて揺らす。…なんて美しい様だ。まるでポストカードか、モデルさんの写真みたいだ。彼女はニッコリと微笑んでいる。

「ただ…あなたは自分の未来を自らの意志で選択したわ」

そう言って、

「お腹空いちゃったワ」

「またね」

と続けて、夜の黒に薄っすらと消えていった。私はポカンと彼女の後姿を見続けた。…いつも彼女の去っていく様を見ている気がする。

 自らの選択。そういえば今まで私は行動をする時、断固とした決意など…それを持って行動したことは一度もなかった。私が決めたことであっても…どこか他人行儀でその場の流れに流されて、まぁこれでもいいかと思って…、そうして決めたことばかりだったように思える。確固たる信念を持って、人生の分岐点を曲がったことがあっただろうか。…いや、無くてもいい。問題はこれからだ…、これだ!とわかるような分岐点にある選択肢は、私の確固たる信念と決断を持って選び取られるべきだ。…そう、これからは自らの意思を持って、人生の分岐点を通っていくんだ。そうすれば…そうすれば、たとえ終着点にどのような結末が待っていたとしても、胸を張って受け止められるはずだ。

 私は何か胸のつかえが外れたかのように…心が軽くなった。お酒で酔っ払うよりもよっぽど気分がいい。私はベロベロに酔っ払うのとはまた別の心地良さを味わいながら、自宅への帰途を辿った。


 次の日、早速両親に就職の意志を打ち明けた。高校の友人の鈴本が、新聞社の仕事のクチをきいてくれるから、とりあえずそれを受けてみようと思う、と伝える。両親は笑顔で、

「真理ちゃんがそう決めたのだったら、私達は応援する他ないわ」

と、言ってくれた。その次の日には彼女に連絡して、再度確認を取る。彼女はお酒の席と同じ様子で、二つ返事で上司に話を通しておくと言ってくれた。

 …私は人生の分岐点を大きく曲がった気がした。目の前にずっとあったのだけれども、なかなか掴み取れなかった選択肢を…両腕に抱きかかえたような感じ。

それから一週間後、面接通知が来る。それから、ちょっとした一般教養の問題と論文、二度の集団面接、三度の個人面接を経て…採用通知が来た。

「職歴以外は何も申し分ない、しかしそれも若いので何の問題も無かった」

との上司のお言葉を、洋香を通して聞いた。

私が選び取った選択肢はすべて、トントン拍子で私が思い描いて想像した通りの図柄になっていく。アルバイト先のオーナーさんにも就職についての話を全部話す。オーナーさんはまるでわが娘のことのように喜んでくれた。…皆が皆、上手くいっているように思えた。

…しかし、その日は来た。誰しもの人生に嫌なことは起こる、それはじわじわくるとは限らない。刹那、いきなり起こることだって多々あるものなのだ。

 その日はコンビニ勤務、最後の夜勤の日だった。今回の勤務が終わって、夕シフトを二回こなせばアルバイトは卒業である。その週は月末と重なり、週明けと同時に十二月となり、新聞社勤めが始まる。

 時間は三時を回ったところか…別段変わった様子はなく、お客さんがいないことを除けば、いつも通りの夜である。就職のことや、寒さのせいか少し体調を崩したことがあって、あれからバイトは少し休みがちだった。そのせいもあって、謎の女子と会うことは少なく、彼女とはあのバス停の夜からろくに口を利いていない。

(なんだかんだ言って…彼女のおかげで今の状況になったって感じもある。機会があれば礼の一つでも言いたい)

私はそう思って、少し落ち着いて話が出来るといいな。と思った。偶然か神の悪戯か…丁度その時、謎の女子が店に入ってきた。私はなんだか可笑しくなって、いつもより少し上機嫌な声で、

「いらっしゃいませー」

と言った。

 今日の彼女は、黒い編み上げブーツに、ブラックレザーのズボン、上は青のスカジャンにニット帽という、相も変わらずファンキーで統一性のない格好だ。

(ほんと、何から何まで…最後の最後まで変な子だわ)

彼女はいつものごとく、適当に食べ物を選んでは、それをよく見もしないで手に取っている。そして私がいるレジのところに来るか否やというタイミングで…、いきなりサングラスで短髪、黒のロングコートの男が店に入ってきた。

「いらっしゃ…」

 私は異常を察知して、挨拶の声を止めた。



[29581] 人生の分岐点 編 vol.07
Name: antipas group◆e7e7618c ID:b5dd6933
Date: 2011/09/28 15:02
 男は余所を見向きもせずに、一直線にレジのほう早足で来る。出入り口はレジのすぐ横にある。奥のレジにいた私の前に、会計の台を挟んで謎の女子がいる。私が「???」と戸惑っているうちに、男はコートから刃物を出す。サバイバルナイフというのだろうか?刃渡りが数十センチはありそうな…ごついナイフだった。

 この時…やっと私は、数ヶ月前に店の前で見た、女性を切りつけていた犯人だ…と確信した。レジの前にいる謎の女子は、男の形相とナイフを見て後ずさって、レジの前横に設置しているお酒の棚に当たる。酒ビンがグラグラと揺れ、うちいくつかは床に落ちてきた。男が入ってきてここまで、その間十秒も経っていない。私はあまりにもいきなりだったせいか、ビックリして体が縮こまる。体が動かない…。声も出ない…。男は叫んだ。

「お前らの目撃が俺の人生を変えた!お前らがいたから俺は道を誤った!!」

と、狂うように叫びながら、ナイフを大きく振りかぶった。目の前にいる謎の女子は男を凝視している。男は、

「その目で…俺を見るなっ!!」

と、謎の女子に近づく。その間は最早二メートルも無い。

 この一瞬で、私は今ここが…この時こそが、また一つの人生の分岐点だと思った。選択肢は何がある?時間は無い…。その時、私は決心した。考えた中で、最も悔いの無い行動を選ぶ。

(私は自分で…自らの意志でこの分岐点を曲がるッッ!!)

…ナイフを大きく振りかぶった男は、謎の女子を狙っている。私はナイフと彼女の間にレジ越しで自分の腕を入れた。腕に熱さが走る。数秒遅れて鋭い痛みも走る。鮮血が散る前に、私は彼女に言った。

「はやく逃げてっ!!」

そして、男を睨み付ける。男は私と目線を合わせた瞬間、

「そ、その目でぇぇ…俺を見るなッ!!!!」

と、さっきよりも数倍はあろう大声で叫んで、私の血で赤く染まったナイフを、私の胸に突き立てようとする。ナイフが胸に触れる感触があるかないかというくらいに、男の体が後ずさりする…謎の女子が両手で体重をかけて、男を思いっきり突き飛ばしたのだ。

 彼女は私の方を、いつになく取り乱したような表情で凝視する。さすがにいつも冷静でクールな彼女でも、ここは焦らずにはいられなかったのだろう。冷や汗と涙と私の血が顔にかかって、異形の表情になっている。彼女は、レジに前のめりになって倒れようとする私をひしと抱きかかえる。なんで逃げないのよ…と思った。

「バカ…逃げなさいよっ…二人して殺されるわよ…!!」

 …私がそう言った瞬間、第ニの異変が起こる……。もう何がなんだかわからない…さっきまで私達を殺そうと憤って狂っていた男は、こちらに背を向けて後ずさりしてくる。何が起きたの…と思い、男の向こう側を見る。

 さ、猿…???猿のお面をつけた人が、男の前に立っていた。その姿はまるで中国の人のようで…テレビや映画で見るようなもので…派手だった。派手なお猿の面に、男性物の中国の衣装を身に纏っている。そう、確か京劇とかなんとか…。

(な、なによ?何が起こっているのよっ!)

と、思った瞬間、謎の女子がポツリと言った。

「…変質者」

わたしもピンと来る。そうだ…数ヶ月前から出没しているというお面を被った変質者…こいつだ、こいつに違いない。男は後退しながら小声で、

「た、助けてくれ…」

と、猿面に怯えて、誰にと言うわけでもなく嘆く…。私達に背を向けて後退してきているので、後ろ向きのまま私達との距離が縮まる。…謎の女子は猿面を凝視している…。すると彼女は、突然私を抱いて支えたまま、後ずさりする男の尻を思いきり、前に押し出すようにして蹴った。

 …何から何まで初体験だ。…私はその直後に凄まじいものを見ることになる。彼女が蹴った様ではなく、自分から滴り落ちる大量の血でもなく、ナイフを持った男の恐ろしさでもない…。謎の女子に蹴られた男は、勢いで足が前に出る。少女の蹴りだ…こんなものでは一のダメージを負わせることも出来ない。だが、男は反動で前によろけて進んでいく…その瞬間…その瞬間である。私は凄まじいものを見た。…猿面。猿面はまるでエプロンか前掛けのように下まで伸びている上衣から、上半身をほとんど動かすことなく右足で男の首元を横から蹴りこんだのだった。その動作があまりに美しくて…私は痛みも忘れて…その美しくて激しい蹴りに見入ってしまった。男は首を境に頭と体の上部が「く」の字に曲がり、そのままレジ前の棚に体ごと突っ込んでいく。

「ガラガラガラ…ッシャアアアァァ~~~ン!!」

棚が倒れる。その直後、猿面は懐から薄い札束を出してレジの前、私を抱きかかえる謎の女子の前に、万札をパラパラっと投げ捨て、男の髪を引っ掴んでそのまま引きずって出て行こうとする。ナイフ男は完全に意識を失っていた。男が店に入ってきてから、二分も経ってないだろう。たかだか二分程度の時間のくせに…人生で最も長い時間に感じる…。棚が倒れた音で異常を察知したオーナーさんが、店の奥から出てくる。猿面はオーナーさんの目の前を、男を引きずりながらゆっくり歩く。猿面はそのまま、なんの焦りも戸惑いの仕草も見せずに店を出て行った。

「け、け…警察を…!!」

と、叫ぶオーナーさんを見た謎の女子は、柄にもなく声を張り上げて言った。

「警察なんてどうでもいいわ!救急車を呼んで!」

言って、

「店員さんが刺されているの!!」

と付け加えた。私はその時初めて…自分の胸にナイフが突き立っていることに気づいた。


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