人間観察 編
高川千佳はいつも僕を無邪気な目で見てこう言う。
「なぁなぁ、なんか面白い話してー」
「もうなにもネタがない。どれだけ話させりゃ気が済むんだよ」
「だって、緒山の話はいつも面白いんだもん」
彼女は僕が誕生日にあげたピンクのスヌーピーのキャップを振って、宙を見ながらそう言った。
「帽子ありがと。着こなしが難しそうだけど」
「おう。昔同じ帽子を被ってるいい女がいてな。たまたま同じなのが売ってあったから、買ってきたんだよ。そいつは上手く着こなしてたよ」
「…は?」
彼女は一瞬だけ不機嫌な顔を見せると、すぐにニンマリな笑顔を取り戻しこう言った。
「じゃあその女の話聞かせて」
しまった、と思いつつももうすでに諦めている自分がいる。
なんたってこの高川ときたら、一度自分が興味を示した話は、なんとしてでも聞こうとするからだ。溜息をつきながら、
「話長い上にオチもないし、第一つまらないぜ」
と言う。そんなことはお構いなしに、彼女が目をキラキラさせて、大きくウンウンと頷くのもいつものことだった。
昔、僕がまだ浪人してた時の事だ。予備校はたいてい駅の近くにある。僕が通う予備校は放任主義だったので、みながマイペースで勉強する。当然、ほとんどの人は予備校に行かず、近くの駅とその周辺のお店やゲームセンター、ファーストフード店や本屋さん、駅周辺に置いてあるベンチなど…いくらでもある人が居付きそうな場所で遊ぶことになる。
「あかんやん」
即座に高川が突っ込みを入れる。
「でもまぁそんなものなんだよ。帰ってから勉強するんだわ」
「予備校の意味ないやん」
「もちろんたまには行くけどね。そんでな…」
四月。JR熊本駅は、田舎の駅とはいえ県庁所在地、人通りは多い。二浪目が決定した春、いつものようにバカメンバーが群がる。全員が予備校の初日の講義登録に来た人間だ。実はほぼ全員が、そこそこ頭がいい。しかし、医大や有名国立・有名私大狙いの人間は現役時や一浪目の時に受かった大学を馬鹿にして、もう一年頑張ればもっといい所にいけるはずだ…と考えて、もう一年勉強する選択肢を選ぶのだ。もちろん予備校周辺で遊ぶライフスタイルが居心地いいから…という理由が全く無いわけではない。今が面白い上に、未来にも希望が溢れているから、この選択肢が最良のものだと考えるのであった。
僕が通っていた予備校は超大手だから、県内各地から人が来る。予備校において、そこには学年というものは無い。先輩も後輩も同じ授業を受けることになる。高校は別でも、小学校や中学校の時の同級生、高校の時に一度きり遊んだだけの余所の学校の人、話にだけは聞いていた友人の友人…など、本人も予想だにしていない出会いや再開も少なくない。
四月も半ばを過ぎて、大学に受かって抜けていった二浪の代のメンバーを、新しく入った一浪の代のメンバーが補充し、グループが形成される。紹介に紹介を重ねて誰かの友人、誰かの知り合いという伝手があって、普段つるむグループが出来上がる。そうして少しずつ対人関係がこなれていくのである。
彼女を初めて見たのはそんな時…春の時期だった。
駅に隣接するゲームセンターの二階には大きな窓があり、そこから駅前すべてを展望できるのだが、最近いつも駅のど真ん前の植え込みを背にして座っている女の子がいる。しかも可愛い…ということがグループの中で話題になっていた。年のころは同じくらいで、可愛いだけでなく、ファッションが奇抜なので、とにかく目立つ。茶髪の「ち」の字もないほどの透き通るような黒髪で、全くクセのないストレート、長さはセミショート。目はとても大きく、口は小さい、背丈は百六十センチくらいで、細身で色白、胸はそれほど無かった。
「お前は巨乳が好きなのか?」
「別にどっちでもいい。胸の大きさで女性を判断したりはしない」
高川はホッとした表情で胸を撫で下ろす。わかりやすい奴…。
ファッションは毎日くるくると変わる。ほっそりしたジーンズ、綿パンの時もあれば、スカートは丈が長い時も短い時もある。同じ服を着てるのを見ることはないってくらい、服装は毎日変わる。奇抜でお洒落、とにかくルックスで目立っていた。
「同じ服着てるの、見たことないってのはお前も同じだが…」
高川を見ながら言う。高川は、自慢げな表情をしてフフンと鼻を鳴らす。彼女も異常なほどの衣装持ちだった。しかし、高川とその女の違う点、それはその女の方がジャンル・バラエティに飛んでいるという点である。普通ファッションには、その人のセンスや好みが出るものだ。高川だと、一発でこういうファッションが好きなんだな、とわかる。服は変われども高川のセンスで統一されているからだ。しかし、その女の毎日の服装からは、ファッションセンスは感じられるものの、あまりにもジャンルが飛びすぎていて…なんというか、異常だった。
そんな中でも、いつも身につけているものもあった。カバン…赤い皮のランドセルや黒い編み上げブーツがそうである。これらはさすがに毎日とは言わないが、かなり高い確率でいつも身につけていた。赤いランドセルといっても、もちろん小学生が持つようなものではなく、ちゃんと大人用にデザインされたブランド物だったのだが…今までの人生の中でも、その女以外が身につけているのを見たことがないほど…稀少奇抜であった。彼女は名前を知られるまで「赤いランドセルの女」と皆から呼ばれていた。このことからも誰の目から見てもランドセルが一際目立ったパーツであったことがわかる。
しかし、面白いというか…解せないのはルックスだけではない。赤いランドセルの女は一日中、駅前の植え込みのそばにしゃがみこんで、駅前を通る大勢の人々を見ている。じっと見ているのだった。誰かを待っている様子でもなければ、誰かを探している様子でもない。ただ見てるだけである。その姿をゲームセンターの二階から見ている僕らは、まったくもって何をしているのか予測することもできず、
「あのコは一体毎日毎日何をしてるんだろう?」
「なんであんなにコロコロ服装を変えるんだろう?」
「でも本当に可愛いなぁ、名前はなんだろう?」
・・などと、いろんな意味で注目の的になった。
ゴールデンウィークも過ぎた五月の半ばあたり、いつも通り、好きな講義に顔を出したあとは、たまにはいいかと自習室に行き、そこそこの時間勉強した。退室して廊下に行って、連絡事項や成績上位者が張り出される掲示板を、何の気もなしに見てると…自習室で一緒になって連れ立っていた平沼君という一浪のメンバーがこう言った。
「こいつらは一日どれくらい勉強してるんだろうな…。家森君も入ってるわ。彼…全然勉強してないのに」
笑いながら、少々嫌味ったらしくそう言う。家森君というのは、二浪メンバーとして予備校に在籍しているのに、ほとんど講義にも、その周辺の溜まり場にも顔を出さず、普段何をしているのかわからないという…メンバーの中でもなかなかレアな人だった。ラ・サール高校という国内でも上から数えて何番目という、超成績優秀進学校の落ちこぼれであった彼は、医学部狙いのため、少々成績上位者リストに貼り出される位では志望大学には受からない。
「腐ってもラ・サールだよな。高校で落ちこぼれて毎日遊び呆けててもセンターで七百取ってくるからなぁ…」
あまり意味のない会話だな、と思って予備校を出ようと階段の方を向く。…目を疑う光景がそこにあった。赤いランドセルの女が、予備校の廊下を歩いてこっちに向かってくるのだった。